たどり着いた場所は、蒼がたゆたう微睡みの世界。幾万の諦観と霊魂でできた、深海の墓所。灰青の泡沫がフワフワと浮かび、地上へ登っていく。
宵闇。終わりも始まりも/眠りも目覚めもなく、静寂を保ち続ける。
「―――本当に、ソレでいいのですか《キリト》?」
【冥王】が問いかけてきた。促すでもなく止めるでもなく、ただ俺の答えを知りたくて。
最下層【蒼玉宮】。
あらゆる想いに押しつぶされ沈まされて、たどり着いたドン底/始まりの場所。背負わされた想いも命も全てが、ここに落ちる/抱かれる/留まり続ける。すべてを優しい欺瞞で包み込んで終わらせてくれる、そのはずなのに―――
ここにはもう、救いはない。ただ一つ、残酷な真実だけが鎮座している。
「私がここに在れば、皆永遠を生きられるんですよ? 死ぬことはないんです」
ずっと聞きたかったその声はしかし、静かで儚い。希望の明るさは欠片もなく、受け入れざるを得ない宿命の物悲しさに満ちていた。熱も命も灯っていなかった。……彼女自身は、ソレに価値を見出していない。
だったらなんで―――。喉元まで出掛かったソレを、寸前でこらえた。熱と苦味に耐えながら飲み下す。
ソレでもその優しく美しい顔には、揺らぎがない。悲しげに伏せるそのはしばみ色の瞳の奥底には、決して、己自身にも変えることのできない強固な意志があった。どれだけ言葉を重ねても覆らない、もうすでに決まっていた。
冷静になると、代わりに言った。
「ここに、俺の欲しいモノは……無い」
彼女がそうするのなら、俺もそうするしかない。役目を果たすしかない。……スレ違うしかない。
「ソレは、一万の命を奪うに値するものですか?」
再びの問いかけは、俺をさらに抉った。すぐに答えられず、間が空く。
ここまで来た以上、もう答えは決まっていた/決めざるを得なかった。ソレは俺が果たさなければならない義務であり、ここまで押し出してくれた全ての人たちの願いだ。自分の力だけでここまでこれたわけじゃない、無碍にはできない。そして何より、俺自身の願いだから。でもソレは、彼女の願いと反する。
「ここに留まり続けることは、生きてるとは言えない。……死んでるも同然だ!」
「この世界はあなたにとって、電子情報の塊でしかなかったのですか?」
「そんなわけあるかッ!」
ならばなぜ? 悲しさを纏いながらも、その奥には怜悧な面持ちを浮かべながら突きつけてきた、誤魔化しや冗談は許さないと。揺れる栗色の髪が、彼女の神威を彩る。……かつて対峙した/肩を並べて戦った時と変わらない、凛々しさを向けて。
息を飲まされた、心臓が止まりそうになった。
なぜ……、なぜこんなことになっているのか? どうして彼女と俺が、こんな関係になっているんだ? こんなのどちらも望んでいなかったのに、どうして? ……あまりにも理不尽な運命に、涙がこぼれそうになった。
それでも、堪えた。瞑目して押し込めた。目の前で彼女が耐えているのなら、俺も頑張らないといけない。……できなくてもやらなくちゃならない。
再び心を鎮めると、代わりに答えず。ただ目的を告げた。
「―――俺はアイツを……殺す。殺すのはアイツだけだ」
「いいえ。貴方が殺すのは9488人の人間ですよ」
誤魔化すな/目を背けるな……。あえて無視したことを、突きつけてきた。
俺はまたしても答えに窮した。答えることはできたが、ソレを口に出してしまうことができなかった。……できるわけがない。
彼女との決別を、俺自身で告げるなど。
ためらう俺とは違い、彼女は揺らがない。俺の辛さすら抱えよう/背負おうと顔を沈ませている。
そして、ソレを煽るかのように続けてきた。
「……人の命は、たった一人分であっても、背負いきれるものではありませ―――」
「その代わりにッ! スグ達が……死ぬんだろ?」
耐え切れず叫んだ、このあまりにもフザけた二者択一を。
「はい。
力の限界であり、加えて責任の範囲外でもある。こちらが望んでもいないのに、勝手にきたのはそちら。全ては自己責任であり自分たちの能力不足だった……。反論できない冷酷な事実。
それを告げながらも、彼女の顔には苦悩の色がにじみ出ていた。努めて押し殺そうと被った冷徹な仮面の下に、ソレが見えてしまう。
「ソレを回避するためには、私を殺し
「だから俺に
それこそ本末転倒だ。ソレを防ぐために/救出するためにここまで来たのに、逆に助けられなんて。あまつさえ殺すなど……ありえない。
だけど、そうせざるを得なかった。わざわざ言ってくれなくたって、わかっていた。
彼女は最も確実な方法を提示してくれている、覆しようのないほどの。不死身になれば、無敵であるアイツに対しても勝ち目がでてくる。ただ一人のどこにでもいるプレイヤーである/たった一つの命だけで勝利を掴み取るには、奇跡を願うしかない。……奇跡は人事を尽くすからこそ現れるものならば、最大の可能性を拒絶した俺には訪れようもない。
無言でにらみ合った、鍔迫り合いのような沈黙。俺は、吐き捨てた罵倒のお返しが欲しくて。彼女は、そうできないことを悲しみ耐え続ける。……天秤は傾き続けるだけ、互いに直そうとしない。
先に耐え切れなくなったのは、俺の方だった。
「……俺がここに来たこと自体間違いだった、そう言いたいのか?」
「貴方がここに来ることはわかっていました。その前提を下に全てが編まれた。この結末は……必然です」
誰が何をしてもどうしようもないほど、何の間違いもなく願った通りの結果が現れた、それだけのこと。ただそれを、俺は、俺だけが受け入れられないだけだ。
彼女もそうであって欲しいと―――
全てが閉ざされて/俺と彼女が分たれてしまう、その前に、叫んだ。
「どうしても、君に会いたかった。君の声が聞きたかった。君と一緒にあちらの世界で、生きたかった! ……生きたかったんだ、
彼女への想いを、俺の全てをぶちまけた。
俺の豹変に驚いた彼女は、目を丸くして……今にも泣き出しそうに笑った。
「―――私もそうだったよ、
そして、たった一度だけ、あの黄昏の空の上で伝えた俺の名をもって、言った。……告別の言葉を。
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