妹紅、天子に布都の襲撃から二日後、椛は腕の治療に専念しながらも哨戒役を続けていた。
今までずっと誰からかの襲撃があったせいか落ち着けない。一応一番見張りがきくところで座り込んでいた。
「…………今のところ侵入者はなし、ですね」
「隊長、山の下部も異常はなかったよ」
水蓮が椛の後ろに姿を現した。
「………ご苦労様です。後は好きにしていてください」
「了解了解」
すると水蓮は椛の横に座り込んだ。
「………………水蓮さん?」
「好きにしていいって言ったじゃん」
「そうですけど…………」
「……………ねぇ、隊長。腕……大丈夫?」
「腕、ですか?今のところは大丈夫ですよ。生活には支障がきたない程度には回復しましたし」
「そっか、よかった………」
水蓮が安堵の息を漏らし、それを横目に椛は遠くを見通す。
「あれから二日が経ちましたがピタリと止みましたね。襲撃が」
「そうだね。ずっと戦ってばっかだったもんね」
「…………一息つける間があればいいのですがね」
「………隊長、次奴等が来たときは隠れてな。ボクが行く」
「……………彼女達の矛は私に向けられてます。それを真っ向から叩き潰すのは私の役目です」
「叩き潰すって……………」
「……今はそれしか方法がありません。彼女達はすでに耳を貸す余裕すらない。かといって私達が何もしなければやられるだけ。だったらせめて自分の身くらいは護る」
「……東雲君が帰ってきてくれれば――――――」
「―――――水蓮ッ!」
水蓮の言葉を遮って椛が叫び、睨み付けた。
「それ以上は、言うな」
「……………ご、ごめん隊長………」
「………いえ、こちらこそ急にすみません」
「まーた君達は辛気臭そうな顔してるね」
気の抜けた第三者の声がしてそちらに視線を向けると目を細めた。
「…………………にとり」
「やぁ椛、それに蔓。先日まで襲撃者の対処ご苦労様」
「…………何のようですか」
「なぁに、暇潰しさ。こっちも工事が一段落着いたからね。休憩だよ」
負傷している左腕を見ておもむろに椛に近付いて掴んだ。
「………ッ」
「隊長!にとり、何してるんだ!」
「この傷は東雲橙矢のせいでつけられたものだ。奴はこれからも君を傷付けるだろう。………いい加減奴のことは忘れな」
「…………お前………ッ!何処まで東雲君を馬鹿にすれば気が済むんだ!」
胸ぐらを掴み上げると近くの木に叩き付ける。
「……………本当のことを言ったまでさ。元はと言えば東雲橙矢が悪いんだ。分からないかい?椛にあんな感情を持たせたのは他でもない東雲橙矢だ」
「ふざけるなよクソ河童!」
拳を握ると殴り付けた。
「お前に東雲君を語る権利なんてない!知ったかで東雲君のことを言うな!!」
「じゃあ私からも言わせてもらう。君にだって奴を庇う権利なんてない」
「何も関係がないお前には言われたくないな……!」
「確かにないさ。………もちろん君よりも奴を知らない。けどそんなの関係あるか?奴のことをどう言おうと私の勝手だ。それに私は奴に対してそこまで関心はない。故に奴がどうなろうと知ったことじゃあない」
「だったら……」
「だったらなんだ。よもや椛や君が奴のことをどう想おうが自分達の勝手だと?救いようのないね。いいかい?私が言いたいのは奴に対してどれだけ関心、または想いがあるかだ。それがなければ奴がいなくなろうが悲しい思いをすることも、こんなことになることもない」
「……………ッ」
「東雲橙矢を想っていた中で唯一正気を保ってるのは水蓮、君と紅魔館の面々じゃあないのかな?地霊殿は………まぁいいか」
「隊長は…………」
「椛ももうすでに正気を失ってるさ。………はじめの方はなんとか立て直していたみたいだけどその最中に命蓮寺の船長はじめ蓬莱人やらが襲撃に来たらそりゃもう正気なんて保てない」
「そんな……………」
「打開出来るのは悔しいけど東雲橙矢だけだ。奴がいれば少なくとも正気に戻るはず」
「……………………」
「今はとにかく休んでな。いつ次誰が襲撃に来るのか分からないんだから」
「………分かってるさ」
「ならよし。………私よりも君の方が椛といる時間が長い。……椛のことは頼むよ」
「あぁ、もちろんだよ。今まで通りずっと、隊長は私が護る」
「それを聞けて安心した」
じゃあね、と手を上げて去っていくにとり。
「…………隊長が正気じゃない………。そんなの知ってる」
そこまで戦いに関わってない水蓮ですら気が狂いそうになるほど殺気が濃すぎるのだ。その中で殺り合っている者はそれ以上に狂ってるに違いない。
「…………………ボクがまともなうちは……」
せめて隊長を護り通そう。そう心の中で決めた。
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橙矢と紫は効率よく、とはお世辞でも言えないほどの鈍さで妖怪を確実に殺してきていた。
その鈍さは橙矢の力の消費量が尋常ではないほどで、やむを得ず所々で休憩を入れていたからである。
「くそ……!死にやがれ!」
酸素不足で揺らぐ視界の中でなんとかピントを合わせて斬り伏せる。刀を返して倒れた妖怪に刺すとすぐ抜いて突撃してきた妖怪を斬り裂いた。
「ハァ……ハァ……。まったく、いなくなる気配がしないな……!」
「もう一踏ん張り所よ東雲さん。ここ一帯はもう少しで片が付く」
「それはいいことを聞いた……なッ!」
刀を引き寄せ、一気に全身をバネにして突きを放つ。しかしそれは避けられ、腕を掴まれた。
「おいおい……!マジか……!」
浮遊感が一瞬した後何かが割れる音がし、近くのビルの中で倒れていた。
「……………ぇ」
次いで所々に出来た傷の痛みが橙矢を襲い、悶える。
「ァ……ァァ―――――――!!」
「東雲さん!」
スキマが開いて紫が出てくる。
「東雲さん!大丈夫!?」
「や、八雲……さん………」
『そこかッ!』
妖怪が一気に迫ってきた。
「ク……!やむを得ないわ、来なさい!」
紫の隣にスキマが開くとひとつの影が飛び出て妖怪が食い千切られた。
『ガ………!?』
「よくやったわ」
着地すると橙矢の方に駆け出してきて、橙矢の傍らで止まった。
「東雲さん………」
「ち……橙…………」
「紫様、これは一体………?」
「話は後よ。とりあえずここら辺りを掃除するわよ」
「分かりました。東雲さん、待っててくださいね。私と紫様で始末してきます」
「ま、待て……」
「安心してください。何かあれば戻りますから」
「待てって言ってるだろ……!」
何とか動いて橙の服の裾を掴んだ。
「し、東雲さん……?」
「頼む………怪我だけはしないでくれ……………」
「………分かってます。東雲さんは安心して待っててください」
「ほんとは藍もいてくれたらより効率がいいんだけど……」
「すみません紫様。藍様は結界から出ようとする妖怪の駆除で……」
「やっぱりそんな輩がいたのね。まぁ藍だけでも事足りるでしょう」
「そうですね。けど手っ取り早く済ませましょう」
「橙、頼りにしてるわよ」
「はい、紫様」
橙がかがみ込む、と思った時にはすでに橙の姿は消えていた。代わりに外にいる妖怪共の身体の節々が少しずつであるが削れていた。
『こいつ……!化猫か……!?』
「お前らに答える義理はないッ!」
一瞬だけ見えた橙の姿に妖怪はもちろん橙矢も背筋が凍った。
僅かながらであるが橙の身体から妖気が漏れているのが見えた。
「あれは………式神〈橙〉」
一度見たスペルであり、橙矢が持つスペルのような干渉系統ではなく、どちらかというと肉体強化。もしくは妖気の増幅。
命蓮寺の僧侶、聖白蓮も同じようなスペルを持っている。ただしそちらの場合元々の能力が肉体強化系統の魔法を使う程度の能力なのでいくら橙矢でもその状態の白蓮と互角に渡り合えることはほぼ不可能である。肉体強化の上にスペルで上乗せされたらそれはもう恐ろしいことになる。
橙の場合スペルだけの肉体強化なので何とか対処は出来るが。
だがまぁ今は味方ということで心強いことこの上ないが。
『化猫ごときが――――』
「――――あ?」
橙が爪を鋭くして首を裂いた。
「誰が化猫ごとき……だって?たかが化猫と侮ってもらっちゃ困るなぁ三下共。私は化猫であっても八雲藍の式神なんだ」
低い体勢を取るとさらに加速した。
「侮る暇があるなら………少しは対処したらどうだい!」
次々と跳ね上がる首。一拍置いた後に血が噴水のように吹き出る。
「…………紫様に仇なす者はすべて私が殺す」
『くそ……!どうなってやがんだ八雲家は……!こうなったらせめて退治屋だけでも!』
「ッ!させるか!」
橙が跳ねると橙矢の近くに着地する。
「東雲さん、立てますか!?」
「当たり……前だ……!」
身体を起こすと刀を杖代わりにして立ち上がる。
「急いでここから離れます!妖怪共の狙いは東雲さんです!」
「橙!私が抑えておくから早く離れなさい」
「お願いします……!」
『逃がすかッ!』
「させるかッ!」
橙矢に迫る妖怪を横から橙が殴り付けた。
「東雲さん!逃げてください!」
「分かった……!」
走り出して割れた窓とは反対側の窓を開けて飛び出る。続いて橙も着いてきた。
「この場から離脱します」
爪をしまって橙矢の手を掴むと再び式神〈橙〉を発動した。
「しっかり掴まっててください……!」
「橙!さすがに回り込んでいくのは止められないわ」
「上等……!」
左右から妖怪が迫ると橙が再び爪を鋭くする。
「東雲さん!私がやります!」
「頼む」
手を放すと橙矢が上半身を倒し、そこに橙が背で回りながら爪で切り裂く。
「誰にも東雲さんは傷付けさせません!」
追撃するために橙矢から降りると駆け出した。
「ッ!馬鹿!戻ってこい!」
気が付いた時にはもう遅かった。妖怪の狙いは橙矢よりも先に橙矢を守護する橙の存在だった。
すでに橙の周りに妖怪が囲んでいた。
「チッ!雑魚妖怪共が……!」
「橙!」
助けに行こうとするが数匹の妖怪が立ち塞がる。
「どきやがれロリコン共――――!」
一匹に飛び付いて顔面に刀を刺すと横に振り抜きながら近くの妖怪を裂いた。
「橙待ってろ!」
「大丈夫です東雲さん!こんな奴等程度……!」
縦横無尽に駆け回るがそれでも囲まれていて抜け出せないでいた。
「俺が崩す!その間に抜け出せ!」
一匹を蹴り飛ばして一角が崩れる。
「橙!今だ!」
橙に手を伸ばして橙がそれを掴む―――寸前橙矢の身体が吹き飛んだ。
「え………」
橙矢の身体が地を転がり、動かなくなる。
「東雲さん!」
「橙!駄目よ!逃げなさい!」
紫の声が響くがそれよりも早く後ろから鋭利な爪で裂かれた。
『隙だらけだぜぇ、化猫』
「……………東雲……さん……」
這いずりながらも橙矢へと近付く。
『終いだ化け猫。すぐに退治屋も送ってやるさ!』
一匹の妖怪が橙を軽々と持ち上げると大顎を開けて、首筋に食い付いた。
▼
(あれ、俺何してるんだっけ)
僅かながらに開いている視界の中で横になりながら呟いた。
前方には掴まれている橙の姿が。
(……確か橙が囲まれていて……それを助けようとして………)
そこでようやく何があったかを思い出した。
『終いだ化け猫』
そう言って橙を掴んでいる妖怪が口を開いた。
「………………東雲…さん…………」
「――――――!」
橙の声を聞いた瞬間自分の中で今にも爆発しそうな怒りがこみ上げてくる。
(………やめろ……)
何故今まで気が付かなかったのだろう。
『すぐに退治屋も』
(その手を、放せ)
自分が戦う理由。
『送ってやるさ!』
それは―――――
「―――――――その手を、放せッ!」
瞬間橙矢の右足の筋力が数倍に跳ね上がる。久々に感じるこの感覚。
触れたものを強化させる程度の能力が。