東雲橙矢が幻想郷を去って早三日が経った。そのことは紫が烏天狗を伝い、新聞を通じて幻想郷全土に報された。
天狗の山から彼の名前が消え、完璧に抹消された。
東雲橙矢が外に帰ったことに疑問をぶつけた者が何名かいたそうだが悉くかわされたらしい。
―――――――妖怪の山
詰所の中で椛はいつからであろうか。ずっと何も考えず天井を見続けていた。
「橙矢さん…………」
数日前まで近くにいた者が今、手に届かないところに行ってしまった。もう二度と、帰ってこれないところに。妖怪の一生は人間に比べて長い。その長い生涯、こんな日々を送っていかなければならないのか。
「…………隊長」
そんな椛に声をかける人物が一人。
「………水蓮…さん……………」
「………………………」
声をかける方も、かけられる方も共に心身が弱りきったような顔をしていた。
「これ………落ちてたよ」
水蓮が手にしていたのは天狗が被る赤い頭巾だった。それは土や泥などで汚れていた。
「………それは」
「恐らく……東雲君のだよ」
「……………………そうですか」
「……それだけだよ。あとは彼の家に…………いくつか生活の名残を思わせるものがある」
「……………………」
「…………あ、あの……隊長…………………」
「……………………」
「………ボク………のせいで…………」
「……今さらですね。そんなこと言ったって橙矢さんは帰ってきませんよ」
「けどボクは…………!」
「……今は待つしかないですよ」
「隊長……ごめん………本当にごめん………!」
「水蓮さんのせいではありませんよ。大丈夫、大丈夫です」
椛が水蓮の手を引き寄せると抱き締める。そして頭をポンポンと叩いた。
「橙矢さんは必ず戻ってきます。いつも彼は常識を覆してきましたから」
「………………………」
「―――――隊長!!」
突然詰所の戸が開かれて一匹の白狼天狗が飛び込んできた。先日、村紗に襲われたときトドメを刺される寸前で助けてくれた白狼が二匹の前に手をついた。
「な、なんですか?」
「か、風見幽香が………」
「?幽香さんが………?」
「なんでも隊長に会わせろだのなんだのと……」
「…………下手に刺激して暴れられるのも面倒ですね。とりあえず通してください。私が対処します」
「分かりました。ここに案内しても?」
「いや、私が門の前に行きます。どの方角の門で?」
「北です」
「了解。水蓮さん、貴女も来てください。……絶対に橙矢さん関連ですから」
「…………………分かったよ」
「では私はお先に風見幽香の元に来ます。二人は後から来てください」
白狼の言うことに二匹は頷く。
「………私が着く前に暴れられたら本末転倒ですが」
門の前に着くと一人の女性が傘を差して立っていた。その者は椛と水蓮が姿を現すと表だけの笑顔を向けた。
「こんにちは、チワワちゃん。元気だったかしら」
「どうも、幽香さん。………何か用でも?」
「なに、そんな時間を取らせるわけじゃあないわ。それで、その子は?」
幽香は椛の後ろにいる水蓮を指差す。すると水蓮の身体が跳ね上がった。
「私の隊の者ですよ」
「付き添いってことね」
「まぁそう解釈しておいてください」
「………………別にそんなことどうだっていいわ。それよりも大事なことよ。分かるでしょ?」
「……………」
幽香はおもむろに傘の先端を椛の目の前まで持ち上げた。
「……………どうして橙矢を追放したのかしら?それなりの理由があってのことなのよね」
「……………………」
「……………答えなさい。どうして橙矢を追放したのかを」
幽香の言葉には微かな怒りが含まれていた。それは椛はもちろん水蓮でも感じ取ることが出来た。
「………隊長………」
「………私だってしたくありませんでしたよ」
「ふぅん?それについては本心よね。貴女が橙矢に対して好意を抱いていること、そして誰よりも橙矢を大切にしていたことからしてみれば分かるわ」
「………それはどうも」
「……………けどね」
急に幽香の声が低くなった。
「彼………いえ、あの子は泣いていたわよ」
「―――――!」
「私に泣きついてきたわ。独りは怖い…………って」
「橙矢………さんが…………?」
「えぇ、橙矢が、よ。あの時の橙矢の表情、今でも忘れられないわ」
椛が橙矢と接してきた中で少なくとも泣いていた時は一度もなかった。それが……………。
「あの子はもう、誰も信用できないわね。肉体的にも、精神的にも追い詰められていたわ」
すると椛に濃すぎる殺気が伝わる。言うまでもないが幽香がこちらに殺気を向けていた。
「それもこれも貴女のせいよッ。貴女が橙矢を追放したせいでどれだけあの子が悲しんだと思ってるの?」
「……………承知はしてます」
「貴女が!いくら反省して許しを乞おうとも橙矢は戻らないのよ!!」
「分かってますよ」
「分かってるなら尚更よ。………前言撤回するわ。貴女は橙矢をこと、何とも思ってないわね」
「―――――ふざけるなッ!」
椛が一瞬にして妖気を膨張させると睨み付ける。
「貴女に何が分かる……!好きなのに振り向いてくれない、私を見てくれない!そんな気持ちが!」
「橙矢は!貴女を選んで白狼天狗になったんじゃない!私に比べれば―――――!!」
近くにある木を殴り付けるとそこから皹が入り、崩れ落ちる。
「………いくら言っても無駄なようね、チワワちゃん」
「………それはこっちの台詞ですよ風見幽香」
幽香と椛が同時に地を蹴り、それぞれの得物を振り抜いて激突した。
「…………ッ答えなさい……なんで橙矢を追放したの!?」
鍔迫り合いながら叫んで空いている拳で傘の上から殴り付けて吹き飛ばした。
「貴女に答える義理はありません!橙矢さんと私達の問題です!」
「戯れ言を……!」
「それはこっちの台詞だ風見幽香!」
刀を地に突き刺して無理矢理止まると弾幕を放つが幽香も弾幕を張って相殺させた。
「チッ……相殺………!」
「犬走椛ィ!!」
弾幕が晴れると幽香が飛んできて胸ぐらを掴み上げると門に叩き付けた。
「隊長!」
水蓮が森を抜けて背後を取ると宙で構え、矢をつがえて放った。しかしそれは傘を振るって落とされた。
「水蓮さん、手を出さないでください!」
腰を捻って蹴り飛ばすと拘束を解き、腰から鞘を抜いて投げつけた。
幽香がそれを掴んで投げ返す。回転しながら掴むと回転の勢いで刀を叩き付けた。
「これは私と幽香さんの戦いです。貴女には関係ない!」
「貴女程度が私に勝てるとでも?思い上がらないでちょうだい!!」
傘で弾き、首を掴んで地に叩き付けると傘を突き付けた。
「終わりよ犬走椛!」
光が集束していくがその途中で椛が両足を振り上げて逆に幽香の首を締めるとそのまま振り下ろした。素早く足の拘束を解くとそのまま足を掴んで地に投げ捨てて足を振り上げた。
「潰れなさい!」
間髪入れず足を振り下ろしてきた。
「―――――――!」
腕を交差させて受け止めたが強すぎる衝撃が椛を駆け抜ける。
「グ……ゥ…………ッ!」
空いてる足が振り抜かれて鈍い音がすると同時に椛の身体が宙に舞う。
舌打ちしながら刀を地に突き刺し、着地すると弾幕を放つ。
「貴女の弾幕なんか効かないわよ」
傘を広げて受け止めるとそのまま閃光を撃つ。
「こんな閃光なんざ――――」
「――――犬走椛ィィ!!」
幽香とも、水蓮とも違う第四者の声が響いてそれが誰か分かると椛は後ろへ全力で跳んだ。
目の前に錨が突き刺さり、そこから椛を追うようにひとつの影が飛び出し、椛の腹に蹴りが深く入る。
「――――――ッ!」
「お前だけは……!」
「船長………さん……ッ」
「橙矢に何をしたんだ……!何で橙矢が外に行っちゃったんだよ!」
「貴女もですか………」
「橙矢を………橙矢を…………返せェ!」
錨と刀が弾き合い、火花が散らされる。
「何で貴女が………」
「答えろ犬走椛!なんで橙矢が外に行っちゃったんだよ!あんたなら分かるはずでしょ!!」
「知りませんよ!」
「嘘を言うなァ!」
「貴女邪魔よ!」
村紗の後ろから幽香が蹴り飛ばす。しかし少し後退しただけで幽香に錨を投げ付ける。
幽香は殴り付けて錨をひしゃげさせると裏拳で村紗を殴り飛ばした。
「ッゥ!転覆〈撃沈アンカー〉!!」
「効きませんよ!」
飛んでくる錨を刀で弾いて村紗に駆け出す。
「くそ………!」
「貴女も黙りなさい!」
「ッ!」
放たれる閃光を飛んで避けてそのまま村紗に刀を振り下ろす。
杓を取り出すとそれで防いだ。
「そんなもので……!」
「隙ありよ犬走椛!」
「させるか―――!」
いつの間に接近していたのか幽香の拳を水蓮が割って入り、懐刀で受け止めた。
「水蓮さん…………」
「東雲君を追放したボクが……黙って見てるなんて出来ないよ」
「貴女が追放……した………ですって!?」
「……あぁそうだよ風見幽香。ボクの一時的な感情のせいで東雲君は外の世界に行ってしまった。すべてボクのせいだ」
「じゃあお前が死ね」
村紗が椛を押し返すと水蓮に向かっていく。
「行かせません………!」
後ろから飛び付くと首を絞めて後ろに倒す。
「ッ………!放せェ!」
「放しませんよ……!」
「放せって………言ってるだろ!!」
肘打ちが鳩尾に入り、痛みに負けて思わず放してしまう。
「もう一度殺られないと分からないようだね……!」
「……ッ同じ者に二度も負けませんよ!」
再び火花を各々の得物が散らせるが、今回は村紗が押し負けた。
「チッ……!」
飛ばされながら錨を地に叩き付けるとそこから水が吹き出る。
「何………!?」
「だったら溺死させてやるよ………!」
「―――鬱陶しいわね!消えなさい!」
「まだ死神には嫌われてるみたいなんでね!死ねないよ!」
横からそんな声が聞こえると閃光が翔んできて迫り来る水を一気にかき消した。
「陽動成功……!カッ……!?」
水蓮が椛の方に一瞬気を取られた時、幽香の蹴りが入った。
「余所見とはいいご身分ね」
「……ッ……余所見なんかしてないさ」
懐刀をしまうと弓を構えた。
「ボクの本領はここからだ」
「弓程度で、ね。まぁせいぜい頑張りなさい」
矢をつがえると上空に向けて射つ。
「君に負ける要素が見当たらないね」
「面白い挑発してくれるじゃない……!」
森の中に飛び込むと白狼へと変化して木々を飛び回る。
『妖怪の山はボク達の、天狗の本領が発揮される場所。来たことを後悔させてやるさ―――!!』
「ならそれを力で覆してやろうじゃない」
『え―――――』
傘の先端を地に刺すと揺れ始める。
『地震……!?』
「来なさい。私の可愛い花達」
幽香が呟くと同時に木々が薙ぎ倒され、花が一気に地から出て咲き始める。それは少し離れたところで対峙していた椛と村紗にも影響していた。
「な、なに……!?」
「水蓮さん!これは一体……!」
「…………ッ!」
人間体に戻すと懐刀で花を切り裂いていく。
「隊長!足場が壊された……!」
「仕方ないですね……!私が抑えておきますから水蓮さん、貴女は応援を呼んできてください!」
「行かせないわよ」
「いや、行かせてもらう」
伸ばされた幽香の腕に先程射った矢が上空から落ちてきて突き刺さる。
「こんなもの……ッ!」
幽香は止まらずに水蓮の頭を掴んだ。
「や、やめ………」
「報いを受けなさい」
そのまま水蓮を地に叩き付けた。
「………貴女のしでかしたことは死んでも報えないかもしれないけどね」
「報い……なら、十分受けたさ」
水蓮の手が幽香の腕を掴んで放させる。
「………隊長を悲しませた。……それ以上の報いはないさ」
「馬鹿言わないで」
傘を振り上げると殴り飛ばして椛にぶつけさせた。
「きゃ……!」
「犬走椛、覚悟しな!!」
村紗が錨で水蓮ごと椛を殴り飛ばすと肩に担いだ。
「……さぁ、年貢の納め時だ」
「そうね、まずは貴女達から消えなさい」
「ク………!」
椛と水蓮を挟む形で幽香と村紗が近付いてくる。
「すべて貴女達が悪いのよ?橙矢を追放なんてするから」
「……!」
「橙矢を不幸にしたお前達を私は許さない。……絶対にだ」
殺気を駄々漏れにする二人に思わず竦み上がった。
「もう終わらせましょう」
幽香の言葉と共に駆け出す。
「…………………まぁ、当然のことか」
水蓮がボソリと、呟いた。
幽香と村紗、それぞれが武器を振り下ろして――――――鈍い音が響き渡った。
「―――――なんで」
その言葉が鈍い音が響いてからどれくらい経った後のことであろうか。村紗の口から発せられたものだった。
振り下ろした錨は椛には届いておらずその前に立つ尼に止められていた。
「聖………!」
それは反対側でも同じだった。水蓮の前にメディスン・メランコリーが両手を広げて庇っていた。その者の寸前で傘が止められていた。
「幽香………」
「……スーさん」
「な、なんで………なんで邪魔するんだよ聖!こいつらは橙矢を……!」
「一輪」
「はいよ姐さん」
いつの間にか背後に迫っていた一輪にすぐに対処できずに羽交い締めされた。
「くそ!放してよ一輪!」
「悪いね村紗。しばらく大人してくれるかな」
懐から注射器のようなものを取り出すと首もとに突き刺した。
「ギッ!?…………」
痛みで顔を歪めるがすぐに身体の力が抜けて一輪にもたれかかり、気を失った。
「……何が…………」
「医者に作ってもらって正解だったよ、精神安定剤」
「精神……安定……剤?」
「最近の村紗は少しやり過ぎなところがあったからね。……大人しくしてもらうためだよ」
「スーさん………貴女」
「幽香……落ち着いてよ。彼女達は東雲君の大切な人なんだよ?………それを貴女の手で潰すの?」
「………その橙矢を追放したのは誰よ……」
「それでも!貴女だって東雲君の悲しむ顔は見たくないでしょ!?」
「…………ッ!」
「お願い幽香。よく考えて?一時的な感情で壊そうとしないで?」
「……………………チッ」
視線を逸らしながら傘を下ろして踵を返した。
「スーさん、貴女の言う通りね。この子は…………」
そこからは何も言わずに歩いていった。
「………白狼天狗さん、貴女……大丈夫だった?」
メディスンが水蓮の前まで来ると屈んで心配そうに覗き込む。
「な、何とか…………」
「……………けど、幽香の気持ちも分からなくはない。大切な人と会えなくなるんだもん」
「………………………」
「その場の感情で事を起こしてしまうと後々大きな後悔になる。村紗にも、貴女にも言えることです」
村紗を抱き上げた白蓮が水蓮をチラとだけ見てから山を降りていく。
「うちの船長が迷惑かけたね。とりあえず私達としては妖怪の山との関係は悪くしたくない。不問にしてくれないかな?」
白蓮に代わって一輪が二人に頭を下げた。椛としても命蓮寺との関係を悪化させるのはこちらとしても得ではない。
「………分かりました」
「助かるよ。じゃあこれで失礼」
一輪が雲を呼ぶとそこに白蓮と一輪がそこに乗る。
「…………何だかよく分からないけど……助かった……のかな」
「…………そう、みたいですね」
「……ほんと、死にかけた…………。あんな大物と……殺り合うなんて」
「水蓮さん、本当に助かりました。……私一人だけじゃ……到底相手にすら出来ませんでした」
「……………あんな大物とやる機会そうそうないからね。いい経験になったよ」
「船長さんはともかく幽香さんはあのスキマ妖怪に匹敵するほどの力を持ちますから。よく生き残れたものです」
「……今の今までのことが夢に思えてくるよ」
「………そうですね」
「……けどさ」
「ん?」
「……これでボクのやったことがどれほど重いことなのか分かった気がするよ。あれほど東雲君が思われてるなんて」
「…………………橙矢さんは優しい人です。今も昔も変わらず。私とはじめて会ったときも会って数分の、それも自分の命を狙った私ですら庇ってくれましたから。……橙矢さんを慕う気持ちはわかります」
「……………隊長」
「行きすぎた気持ちは心身を支配する。この言葉が合うかもしれません」
「結局、ボク達もあいつらと一緒だったってことか」
「…………上には誤魔化しておきましょう大事にすると後が面倒になりますから」
「そうだね。とにかく………少し休んでからでもいい?」
「構いませんよ。………私も……さすがに辛いです。この前の傷も癒えたわけではありませんし、ね」