数日後、ある程度落ち着いたが、山に戻る素振りすら見せない橙矢は幽香と太陽の丘に咲いている花達の世話をしていた。と言っても橙矢が出来ることは水をまくくらいしかできないのだが。
「橙矢、そこ忘れてるわよ」
「ん、あぁ悪い」
「これで何回目よ。少しぼーっとし過ぎじゃなくて?」
「悪いって。少し考え事してただけだ」
「ふぅん?それはこの子達に失礼じゃなくて?」
一面に咲き誇る花を背に橙矢に笑みを向ける。
「………あぁそうだな。今は花に水を与えるのが先か」
「そうよ。この子達だって一生懸命生きているのだから」
「ふっ、そうだな。………お前らしいや」
「ねぇ橙矢?あれから何日か経つけど……戻らなくていいの?」
「………追放してきたところへ何で帰らなきゃならん。かといっていつまでもお前の世話になるわけにはいかないからな。いずれは昔使っていた家に戻ろうと思う」
ふと目を閉じてからゆっくりと開く。そこには一切の感情も感じ取れず、ただただ無情を表していた。
「邪魔虫はとっとと出ていくさ」
「自分のことはあまり過少し過ぎないようにしなさい」
「…………………」
口の端だけを吊り上げてなんとか笑みを作った、みたいな作り笑顔を幽香に見せた。
「………………ッ」
それを見て幽香は目を細める。
「…………橙矢、貴方…………」
「あ?どうかしたのか?」
「………いえ、何でもないわ」
彼は、
「………変な幽香」
「………………貴方に比べたらそうでもないわよ」
東雲橙矢は、
「そうかもな」
「否定しないのね」
笑うことすら出来なくなってる。
外っ面ではもう精神面でも体調的にも治っているような素振りを見せているが幽香はそれに気付いていた。ただ自分を騙しているだけなのだと。妖怪は人間とは違い精神的な生き物だ。精神が弱まればその妖怪の力は愕然と下がる。故に妖怪である以上精神は常に保たなければならない。
「橙矢、少し休憩しましょうか」
ある程度進んだところでふと幽香が足を止めた。
「………そうだな、結構やったからな」
「いくら貴方でも今のままじゃ辛いでしょ。それを見越してのことよ。普段の貴方だったらもっとコキ使うわよ」
「……それは酷いな。人権の侵害だ」
「あら?貴方は今私の家に居候してるじゃない。つまり貴方は私の所有物というわけ。貴方をどう使おうと私の勝手ではなくて?」
「ハッ、その考え方はなかった」
「じゃあ、そういうことでいいのかしら?」
「一応な。限度は弁えてくれ」
「分かってるわよそんなの。無茶はさせないわ」
「お前は前から話の通じる奴だと信じてたよ」
「幻想郷で恐れられてる私のことをお前呼ばわりする奴のことなんて信じられないわ」
「逆に言えば信用できる、じゃなくて?」
「まぁそうとも言えるわね。貴方とは幾度も馬鹿みたいに殺り合っていたわけだし。信頼はしてるわ」
「俺もだ。幽香、お前は俺を何回も助けてくれた。今回もだ。………感謝してもしきれないな」
「ふふ、貴方がそう言うなんて珍しいわね」
「…………あぁ」
「………………………橙矢、貴方私のこと、信頼してくれてるのよね?」
「そうだと言ったはずだが」
「なら、ここで暮らさない?」
「……………あ?」
突然な提案に思考がストップした。
「だって行くところ、昔の家しかないのでしょう?だったら私といなさい。それが貴方のためになるわ」
今の橙矢の精神状態が続けば独りになったとき、より酷くなる。今は辛うじて幽香といるから保てている。
「……………いや、でも」
予想通り断ろうとする橙矢の身体を抱き締めた。
「貴方は私の所有物なの。拒否は許さないわ」
「…………………幽香」
「私だって一人じゃ寂しいもの。……互いに利益はあると思うのだけれど?」
「………そうかもな」
「それじゃあ決まりね」
「あらあら、花の妖怪ともあろうものが惚けてるわね」
何処からともなく声が聞こえるがすぐに誰か見当がついた。
「………………」
「……八雲さん」
幽香が橙矢を放して背後に下がらせる。幽香の視線の先にはスキマが開いていた。
「……何のようかしら紫」
「そう構えないでちょうだい。誰も東雲さんを盗るなんて野蛮なこと言わないわよ。……幽香、貴方に用があるのよ」
「私に?」
「とりあえず東雲さんは別にしたいから東雲さん、橙の相手してくださる?」
「え、あ、あぁ……」
「橙、来なさい」
「はいはーい!」
紫に続いてスキマから橙、それに九尾の狐、藍が出てくる。
「東雲さん!」
「橙、昨日ぶりだな」
「はい!」
橙矢が橙の頭を撫でて、それを橙が目を細めて受ける。それを横目に幽香は紫と藍に顎で自身の家を指した。
「………………はいはい」
▼
幽香の家の前に設置されてる椅子に腰かけて少し離れて見える橙矢と橙を見ながら口を開いた。
「それで、私に話って何のこと?いや大体分かるのだけれど」
「藍」
「はい。………風見幽香、知っての通り東雲は妖怪の山から追放された。天狗の身でありながらも、だ。天狗は必ず妖怪の山に属する」
「えぇそうね」
「…………彼は、東雲はそこにはいない」
「……………………追放」
「妖怪の山に属さない天狗なんて許されないわ」
「……つまり?別に妖怪の山にいるなんて規則ないでしょうに」
烏天狗の射命丸文が良い例だ。彼女は天狗である身ながら好き勝手に山から出ては幻想郷を飛び回っている。あんなに好き勝手出ていっては規定もくそもない。
「力の強すぎる者が野良だと人里から人が出なくなるでしょう?そんなの許されざることです」
「藍の説明に追加するならばそれは東雲さんはその中に含まれる。貴女なら分かるでしょう?彼の強さは」
「そりゃあまぁ……ねぇ」
「…………けど」
「…………?」
「今の彼は弱すぎる。それこそ野良の妖怪にすら勝てないほどに」
「なっ…………!」
紫の台詞に幽香の目が開かれる。
「…………彼はもう立ち直れないでしょう」
「よしんば立ち直れたとしても以前みたく貴女と戦えることはない。今の東雲は能力が使えないみたいだしな。尚更」
「確かに、今の彼は弱い。だからこそ力を持つ私が護るのよ。力を持つものは護ることを強いられる。橙矢がそうだったように私も彼を護る」
「……勘違いしてるようなのだけれど。いい?妖怪は恐れられる存在。故にその力は………」
ふっとその場から紫が消え、すぐ背後の空間が裂けてそこから紫が出てきた。
「――――壊すためにある。かつての貴女、そうだったでしょう?」
「…………!」
「紫様」
「……分かってるわよ藍。まぁ何が言いたいのかというと、
東雲さんを外界へ帰す」
「え……………………」
帰る?誰が?橙矢が?帰る………橙矢は幻想郷が故郷ではないのか。なんで外界に行かなきゃならないのか。
「ま、待ちなさいよ………橙矢は妖怪よ………?」
自分でも声が掠れているのが分かるほどだった。
「彼の髪や耳や尻尾は私がどうにかするわ」
「そうじゃなくて………橙矢は外の世界から弾かれてこっちに来たのでしょう?」
「それはドラキュラの能力により一時的に東雲さんが外の世界から弾かれていただけ。本当はすぐ帰すつもりだったのだけれど……中々彼がこの世界が気に入っちゃってね。帰すに帰せなかったのよ」
橙矢はドラキュラの『拒絶させる程度の能力』で外界から弾き出された。存在そのものが世界に忘れ去られ、そして幻想郷に迷い込んだ。そのせいで橙矢は自分自身が元々影が薄いと勘違いしていたようだが。橙矢にとってはとんだとばっちりに過ぎない。
「…………冗談なら聞かないわよ」
「残念だけど彼が妖怪の山に戻らない以上そうするしかないの。彼が嫌だと言ってもね。妖怪になった時点で覚悟は決めてもらわないと」
「………………………ッ」
「弾幕すら撃てない、さらに能力を除いた彼の力ではこの先の幻想郷での生活はより過酷になるわ。貴女だって嫌でしょう?彼が苦しむ様を見るのは」
「だから私が護――――」
「――――――れないのよ」
幽香の言葉を遮り、紫が強く言う。
「………妖怪でも貴女みたいな者は数は少ないもののいたわ。けど…………それでも護れた者はいない。総じて失うばかりだった」
「ふざけないで!そんじょそこらの妖怪とは訳が違うのよ私は!」
「さっきの中に、私が含まれていても?」
「ッ!」
「…………そういうことよ。私だって護りたい人はいた。けれど強大過ぎる私の能力で殺してしまった。強すぎる盾は時に最悪の矛となる」
「貴女の二の舞になるつもりはさらさらないわ。私はあの人の支えになりたいだけなの」
「それが彼の枷になる、ということを知っててのことなのかしら?」
「枷?」
「東雲さんを縛り付けている枷は誰かからの信頼他ならない。その枷を千切れば彼は元の彼に戻れる」
「何よ……それ………まるで橙矢が人を避けているみたいじゃないの」
「みたい、ではなくそうなのよ。今の東雲さんが本当に、心の底から信頼してるのは貴女か紅魔館の人達だけ。後の人妖すべては信頼してないでしょう。勿論私も信頼されてないでしょうに」
「……………………」
「……彼には気の毒だけれど幻想郷の秩序を守るためよ。………我慢しなさい」
「………そんなの、橙矢が………いくらなんでも可哀想じゃないの………」
「…………もし彼のことが忘れられないと言うならワーハクタクにでも頼んで記憶を消してもらうだけよ」
「――――ッ!」
「紫様!」
立ち上がって傘の先端を紫に突き付けると藍が構える。そしていつの間に来ていたのか橙の鉤爪が首に突き付けられていた。
「幽香!」
「………気にしないで橙矢。暴れたりしないわ」
傘を下ろして椅子に腰かける。
「……………橙矢との記憶を消す?ふざけたことよく平気で言えるわね」
「何事も平等に見れば容易いことよ」
「幻想郷のことも、かしら?」
「……………それは例外よ」
「面白いこと言うわね。全てを平等に見るのではなくて?」
「…………近いうちに東雲さんを迎えに行くわ。それまでに覚悟を決めておくことね」
「待ちなさい!そんな勝手なこと――――」
「藍、橙、帰るわよ」
「分かりました」
「はい紫様!」
紫がスキマを開くと橙、藍の順に入っていく。
そして紫がスキマを閉じるとき、橙矢に視線を送り、
「ごきげんよう、東雲さん」
片目を瞑って消えていった。
「…………幽香、八雲さんは何だって?」
橙矢が幽香に近付くと急に幽香が振り返って橙矢を強く抱き締めた。
「………………幽香?」
「………橙矢、貴方は絶対……私が護るから」
「………………………」
何か分からなかったが橙矢は残った腕で幽香の後頭部に当て、自身に寄せた。
「……それはこっちの台詞だ。………お前の前から俺はいなくならないよ」
「橙矢………ッ」
胸に顔をうずめてより強く橙矢を引き寄せる。それに橙矢はただ何も考えず幽香に為されるがままにされていた。