第三十五話 六十六の仮面
「で、俺はこの時間帯に行けばいいというわけか」
橙矢は隣に座る蓬莱人に言うと頷く。
「そういうことになるな。不都合になることがあったら随時連絡をいれてくれ」
「いちいち連絡するためだけにここに来るのはちょいと骨が折れるな」
二人がいるところは人里。そこにある茶屋で引き受けた仕事の事について話し合っていた。
「だったら使いを回せばいいじゃないか」
「無理無理、俺の位は一番下だからな。逆に使いに回される方さ」
「ふぅん……橙矢だったらすぐに上なんかいけそうだけどな」
「生憎俺は上に立つ人柄じゃあないからな。今は椛の隊でなりを潜めてるよ」
「確かにお前の部下だけは嫌だな」
ニヤニヤとしながら妹紅が嫌味を言ってくるが受け流した。
「確かに性格面もあるがな。一番の理由が俺が一部を除いて天狗の中では間違いなく嫌われてる、からかな」
「そうだな。お前はあれだけの事をしたんだ。真相を知らん奴からしてみればただただはた迷惑だったに違いない」
「けど別に多くの支持なんていらねぇよ」
「およ、強がりかい?」
「馬鹿言え。椛やお前達が俺のこと信頼してくれてるだけで充分だっての」
「……なるほど、多くの薄い信頼より少数の厚みってことね」
「当たり前だろ?」
「橙矢のくせに中々可愛いこと言いやがってこの野郎!」
急に妹紅が腕を首に回して自らの方へ引き寄せる。
「ッ………別に普通の事だと思うが」
「………けどさ、今でも私達のことそんなに思ってくれてるなんてね」
「は?当然だろ。良くしてくれてるお前らにはどれだけ礼を言っても足りないくらいだ」
「………天狗になってからなんか素直になったな。お前」
「そうか?人間の時よりかは意識してたんだがまさかそこまで言われるほどなってたとわな」
「そっちの方がお前の気持ちが伝わりやすくていいさ」
腕を放して妹紅が橙矢にもたれた。
「…………妹紅?」
「………こうしてお前と落ち着いて話せるのはいつぶりだろうな。初めて会ったとき以来か?」
「一ヶ月ぶりだろ。妖怪の山で」
「あの時は少ししか話せてなかったろ。今みたくこうして誰にも邪魔されず二人きりでいたときなんか」
「それだったらそうだな。……やけに忙しい四ヶ月だったからな。もう一生分くらいは働いたろ」
「そうは言ったって今も働いているんだろ?」
「まぁ……そうだけどさ。仕方ないだろ、白狼天狗になったら山の哨戒にあたらないといけないんだから」
「覚悟の上でだろ?」
「……………………」
「そういうところだけは変わらないなお前は」
「つまり何も考えず突っ走る暴走野郎だって言いたいのか」
「まぁね。けどそれは一番良い結果に繋がった」
「………それは言い過ぎだ。全部が全部最善の結果に繋がったわけじゃあない」
「だけど最悪の結果にもならなかった」
「んなこと結果だけの話だ。別にどっかの教師みたく言うつもりはないが問題は中身なんだよ」
「やれやれ、ネガティブなところは相変わらずだ」
「いやまぁ……否定する気はないけどよ」
「しないんだな」
「分かりきったことをどう否定しろと」
「なんだよもう少しくらい否定してみろよ、つまらない」
「………どっちなんだよ」
「残念だけどお前が望んでる方じゃあない」
「けっ、性格の悪いことで」
「お前に言われるなんて相当だな」
「幻想郷には性格の悪い奴ばっかりだな」
「そのほとんどがお前に感染させられてるんだけどな」
「おいおいそれじゃあまるで俺のせいで性格が悪くなったとでも言ってるようなもんだぞ」
「間違いがあるなら聞くけど?」
「あのなぁ……」
「ふっ、まぁ深くは考えるな」
「そうは言ってもな……」
「今が楽しいならいいんじゃないか?」
「…………………」
「橙矢、私はこれで良かったと思ってる。何故だか分かるか?」
「里が無事なことか?」
「いや、お前が無事なことだよ」
「………俺が?」
「お前だ橙矢。お前は私にとって慧音に並ぶ大切な人なんだからさ」
「あ、あぁ……そうか」
気恥ずかしくなって視線を逸らす。
「どうしたんだ?……もしかして恥ずかしくなったとか?」
「…………あぁそうだよ恥ずかしいよ」
「なんだ、お前にもまだ人間らしい感情があったんだな」
「ほぉ?それはつまり俺が人間らしくないと?随分と皮肉が出るようになったもんだ」
「そんな皮肉が出るようになったのはお前のせいさ」
「………馬鹿なことをしたもんだな」
「……………正直なことを言うと」
「ん?」
「ほんとは少し寂しいんだ。ほんとは橙矢が白狼天狗になって、そして生き返って、またこうして話せるのは嬉しい。けど人間だった頃に比べてさ………なんか距離が開いたような気がして………」
「………………」
「なぁ橙矢。これからもたまにでいいからさ……私に会いに来てくれないか?」
「………………」
橙矢は何も言わずに妹紅の頭に手を置いて撫でた。
「……ったく、可愛いこと言ってるのはどっちだよ」
「橙矢…………」
「俺は約束を裏切ることで有名なんだがな。……まぁけど、当然だろ?俺だってお前に会いたいと思う時があるんだから」
「わ、私に……?」
予想外の言葉だったのか顔を真っ赤に染めた。
「ば、馬鹿。そういうことは時と場所を選んでから言えよな……」
「なんで場所なんか選ばなきゃいけないんだよ」
「だ、だって……恥ずかしいじゃんか……」
「さっきの仕返しだと思っとけ」
「うぅ………」
「………恥ずかしい、ね。普段そんな表情出さないくせに」
「うるさいな………そんなこと言うのはお前くらいなんだよ………」
「そうか?お前は結構可愛い……いや、美人なんだからさ。近寄りがたいんだと思うぞ。先生よりもな」
「そうなのかな?確かにあまり話しかけられないけど………」
「蓬莱人である上に月のお姫様と殺り合ってるんだからな。そりゃあ近付きたくないわけだ」
「そ、そうなんだ………」
「普通考えれば分かるだろ」
「……………それで」
妹紅は顔を上げると少し橙矢から身体を離した。
「私はいいんだけどいつまでやってるつもりだ?」
妹紅が言うのは撫でていること。橙矢はそこで気が付いたのか悪い悪いと謝って手を離した。
「まぁ橙矢がしてたいなら私は構わないんだけど」
「別に、俺がしたくてやってたわけじゃないし」
「……じゃあなんでやってたんだよ」
「理由を聞かれると……そうだな、褒美を与えてあげた、とかか?」
「ものすごい上から目線だな」
「だって他の表現のしようがないんだ。仕方ないだろ。じゃあいい例を見せてくれ」
「唐突な無茶ぶりはやめてくれるか?」
「つまんねぇなぁ、だからお前には知り合いがいないんだ」
「それはお互い様だろ」
「いやぁ、俺はいるぞ。ただし俺のことを恨んでる奴等で溢れかえってるけどな」
「もっと酷いな」
「そんな褒められても」
「言っておくが一ミリも褒めてないからな」
「………え、嘘」
「いやほんと」
「いやん」
「殴られたいか」
「いやん横暴」
振り上げられる拳に気付きながらも避けるのが面倒という理由で甘んじて鉄拳を喰らい、軽くだが橙矢の身体が宙を舞った。
空中遊泳を楽しんだ。
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「少しは反省したか橙矢」
「まったく、それどころかなんで殴られたのかいまだに分からん」
「お前の頭の中は相当おめでたいようだな」
「人によって捉え方が違うだろ」
「そう言ってるから敵ばかり増えるんだよ」
「何人増えようが関係ないっての」
「もう、少しは気にしろよな」
「はいはい。……さて、じゃあ俺はこの辺でおいとましようかな」
よいしょ、と腰をあげる。
「帰るのか?」
「そうだな。確かに今日は休みを貰ってるが晩には帰らないと心配かけちまう」
「まるで子供だなお前」
「どちらかというとあいつの方だな」
「………待ってる人がいるなら仕方ないな。………久し振りに飯でも一緒にしようとしたんだけど」
「ん?だったら行くか?」
「え?いやでもお前」
「いいんだよ。そこまで重要なものでもないしさ」
「…………そうか」
「そろそろ日も沈む。早めに行っておくか」
「そうだね。早めに行かないと席が埋まるかもしれないし。ミスティアのところでいいか?」
「あの屋台?構わないが」
「こっからちょっと遠いけど……まぁ我慢できるよな」
「出来るっつーの」
「じゃあ―――――」
「待て、そこの御仁」
二人して立ち上がり、その場を立ち去ろうとした時、橙矢に声がかかった。
「……………」
面倒事だと即座に判断して知らない顔で歩いていく。
「そこの白狼天狗」
「はい俺だな」
だるそうに首を声のした方に向ける。そこにはピンク髪の仮面をつけた少女が佇んでいた。
「ようやく反応したか。いつから白狼天狗の耳は悪くなった?」
少し不機嫌そうな声がするが少女の表現は少しも変わらずポーカーフェイスで本当に不機嫌なのかどうか分からなかった。
「………なんだガキ」
「ガキではない。私には秦こころという名前がある」
「じゃあこころちゃんよ。俺になんか用でもあるのか」
「いやなに、何故妖怪の山に引きこもりの白狼天狗が人里にいる、と思ってな」
「見れば分かるだろ。こいつに用件があったから来たんだよ」
「それはお前自身の用件か?それとも天狗を通してのことか?」
「どこまで聞けば気が済むんだよ」
「私はこう見えても深入りする方でね。叢雲の異変を起こした本人がそこにいるのなら尚更」
急にこころが薙刀を取り出して橙矢に向ける。
「お、おい!?何橙矢に得物を向けてるんだよ!ここは人里なんだぞ!」
妹紅が慌てたように二人の間に入るがこころは薙刀を逸らそうとはしなかった。
「すべてが許そうとも私は東雲橙矢。お前を許しはしない」
変わらない無表情だが仮面がいつの間にか鬼の仮面になっていた。だが橙矢の興味は他のところにあった。
(なるほど……仮面で表情を表してるのか。……霊面気……?分からん)
「……じゃあ外に出ろ。そこでなら好きなだけ相手をしてやるよ」
「橙矢!お前まで!」
「うるせぇぞ妹紅。どうせこれは俺が撒いた種だ。だったら俺がケリをつけるのが常識ってもんだろ。それとも何か他に案でも?」
「い、いや………」
「こころとやら、ついてこい。拒否は許さない」
「………………」
「………これでも最大限の考慮をしてるつもりなんだけどな」
「…………いや、いい。そこまで気が回るなら私の勘違いだったんだろう」
意外にもこころが薙刀をしまい、下がる。
「理解が早くて助かるよ」
「…………」
「しっかしなぁ、妖怪であるお前がなんで里を守る?」
「………お前には多分分からないだろう」
「あっそ、ならいい。行こうか妹紅」
「あ、あぁ」
心底どうでもいいような感じで言うと里の外へと向かっていく。
「……………」
立ち止まってチラ、とこころの方を見る。だがすでにこころは姿を消していて影も形もなかった。
「まったく……なんだってんだよ」
あまりにも理不尽な威嚇にさすがの橙矢もため息を吐いた。