巨大化け蟹の襲撃後、黎璃は三蔵一行に合流した。一行に加わり旅する中では見覚えのなかった先ほどの炎術は誰が放ったのかと問えば、なんと牛魔王の一派である紅孩児とその妹、部下二人と交戦に続き化け蟹を倒すために共同戦線を張っていたというから驚きだ。すでに紅孩児たちは去った後らしいが、ずいぶんと賑やかかつ騒がしい事である。
黎璃は紅孩児一派に出会えなかったことに自称付き人兼旅の記録係として残念に思ったが、またいずれまみえることもあるだろうとこの場は流すことにする。それより今大事なのは、自分が相対した敵の情報を伝える事だ。
三蔵たちの話を聞き終えたあと、黎璃も自分の行動内容を報告し、再び清一色と相対したことも伝える。すると顕著に反応をあらわにしたのは八戒だった。
「! れ、黎璃さん! 何もされていませんか!?」
「ええ。ですが、二度も取り逃がす失態……。お恥ずかしい限りです」
「……いや、構わん。相手はあのバカでかい式神を操るような相手だ。簡単に倒せるとは思ってねぇ」
「お、三蔵サマやっさしー」
「黙れ」
珍しく寛容な態度を見せた三蔵を悟浄が茶化すが、すぐさまハリセンによる制裁をくらっていた。その一方で八戒は目に見えてほっとしていたが、横でじっと黎璃を見ていた悟空が一人だけ不可解そうに眉根を寄せる。
「なあ、黎璃。何もされてないって本当か? ……血っぽいにおいするんだけど」
「!」
その言葉を聞いて、目ざとく黎璃のズボンの隙間から覗く小さな傷を見つけた八戒が何も言わずにその裾をまくりあげる。するとそこには小さいながら、無数の噛み跡のような傷が点在していた。そして八戒がそれを見るなり、すうっと周囲の気温が下がったように感じた者が数名。
「…………。黎璃さん、これは?」
「八戒、目が笑ってなくね?」
ニッコリ。一見いつもと変わらぬ笑みを浮かべながら黎璃を見上げた八戒に、悟浄が恐る恐ると言った風に問いかけた。しかしそれに対する答えは無言のニッコリ。悟浄は口を噤んだ。
そして八戒に問われた張本人である黎璃は、八戒と同じくニッコリとほほ笑んだ。怪我を隠していた後ろめたさなど微塵も感じさせない、実に堂々たる態度の上での笑みである。悟浄は口をもにょらせた。
「少々虫に噛まれまして。ああ、報告し忘れていました。相手はムカデを操ることが出来るようですよ。かなり大量に操れるようですから、毒にはお気を付けください」
「毒は!」
黎璃の言葉を聞くなり、間髪入れず八戒が立ち上がり黎璃の肩をつかむ。
「あれだけの噛み跡です! 強い毒のあるムカデだったら、ただではすみませんよ!? 早く治療を……」
「いえ、問題ありません。解毒済みです」
「え……?」
焦る事も無く一定のテンポを崩さず発せられた黎璃の言葉に、八戒の勢いが削がれる。そして黎璃はそのままゆっくりと説明した。
「この程度の毒なら、神通力で解毒することが可能なのです。便利でしょう? ……といっても、私は八戒さんのように怪我の治療となると不得意ですので、傷はそのままですが」
「そう、ですか……」
それを聞くなり肩の力を抜いた八戒。
黎璃は普段温厚な八戒のその取り乱しように、先ほど清一色から聞いた言葉を思い出していた。
____________________猪八戒を名乗っている
_____________________蟲に犯された貴女を贈り付けたら、きっと彼は妻の事を思い出す
(おそらく、なにかしら因縁のある相手なのでしょうね。それもかなり根深そうだ)
しかし八戒自ら話すことが無ければ詮索はすまい。そう考えた黎璃は、何事もなかったかのように微笑んで口を閉ざした。……新参者がでしゃばるのは、多分相手にとっても自分にとってもよろしくない。特に、こういったデリケートな話題は。
そして気を取り直した八戒は、今度は笑みを消して少々真面目な顔で黎璃をたしなめた。
「ですが、女性が傷をそのままにしておくというのは感心しません。あとで治療しますからね」
「そうだぜ黎璃ちゃん。肌綺麗なんだし、大事にしなよ」
「ふふっ、すみません。それと、ありがとうございます。ではご厚意に甘えさせていただきますね」
気遣いは素直に嬉しく、黎璃はすんなりと謝り礼を言った。更に言えばその後悟空が残っていた肉まんをわけてくれた(と言っても買ったのは黎璃なのだが)ので、清一色を取り逃がした悔しさが少々癒された黎璃である。
そして一行はそのまま夜を待たずして町を出た。
妖怪から狙われる自分たちが留まって、これ以上町に被害が増えては事だと判断した結果である。
その夜だった。
清一色が再びしもべを使い接触してきた。今度の使い魔は化け蟹とは正反対に小さいサイズで、その姿は人形。しかし襲撃の方法はあくどいもので、悟浄の血管に根を張り血を吸いとる生きた種なるものを植えこんだのである。けたたましく笑う人形を三蔵の小銃が打ち抜くが、それで種が取り除けるわけでもない。結果、荒い方法ではあるが三蔵が悟浄の心臓の隣に植わっている種を撃ち抜き、即座に八戒がそれを気功で塞ぐと言う方法がとられた。それは無事に成功したが、八戒は度重なる心労により倒れてしまう。
そしてそれを見た黎璃は笑顔で銃剣を構えて立ち上がった。
「おい待てテメェ何処に行く気だ」
「三度目の失態はいたしません。私めが奴を仕留めてまいりましょう」
「俺にこいつらの面倒見させる気か?」
じろりと眼光鋭く黎璃を睨んだ三蔵が、顎で気絶した八戒と悟浄を示す。ちなみに悟空だが、ジープに水を取りに行ったためこの場にはいない。
黎璃は薄い笑顔のまま少々考え込んだが、笑顔を引っ込め諦めたように眉尻を下げると緩く首を振った。付き人として、雑事に主の手を煩わせるなどプライドが許さない。しかしそれを忘れていたとは、相手のいやらしい手段に黎璃もまた怒っていたようだ。それにより自身の役割を見失うなどそれこそ失態もいいところだと、黎璃は清一色の追跡を諦めた。
「…………。わかりました。とりあえず、お二人を安静に出来る場所までお運びいたしましょう」
「その後も、勝手に動くんじゃねぇぞ。迷惑だ」
「おや、心配してくださるのですか? 身に余る光栄です」
「チッ、言ってろ。俺はただ面倒事が増えるのが嫌なだけだ」
暖簾に腕押し糠に釘。そんな態度の黎璃に苛立ちつつ、三蔵は悟空が戻ってくるのを待つ。
しかしいくら待とうが、悟空……そしてジープである白竜が戻ってくる事は無かった。
その後、仕方がなく三蔵が八戒を、黎璃が悟浄を一休みできそうな岩場の空洞へと運んだ。するとそれを待っていたかのようにあたりには濃い霧が立ち込め始め、森を白い闇で染め上げる。……これには三蔵も黎璃も「嫌な雰囲気だ」と感想を抱いた。タイミングが良すぎる。
しかし幸いなことに霧が立ち込めた後は特に清一色からの接触はなく、半日ほど静かに時間が経過した。そして半日経った頃……先に目を覚ましたのは悟浄である。彼は未だ戻らぬ悟空を探しにあたりの探索をすると名乗り出てくれたが、結果は芳しくなく悟空は見つからないままだ。霧も晴れず、八方ふさがり……というのが現在の状況である。
ちなみに八戒もつい先ほど目が覚め、今は三蔵となにやら話している。黎璃は何やら過去が絡んでいそうな話に気を使い、現在洞窟の外に出ていた。先ほどまで探索に出ていた悟浄もそんな彼女につきあってくれるつもりなのか、煙草をふかしつつ外の岩壁に寄り掛かっている。
「おそらくこれも、あの男の仕業でしょうね。まったく目障りな」
「……あのさ、黎璃ちゃんって意外と辛らつだよな。ま、普段の丁寧さとギャップがあって俺は好きだけど」
動かない状況と霧という障害物に苛立った黎璃が悪態をつけば、悟浄がニヤリと笑って軽口をたたく。それに対して黎璃は至って真面目な表情と声でもって返した。
「そうですか? でも、事実でしょう」
「(好きの方はスルーされた……)違いねぇ。なんつーか、あいつの卓の上に居るみたいで気持ち悪いぜ」
「まったくです。……あの時仕留めてさえいれば」
黎璃は同意を得られたことにわずかに笑みを浮かべたが、すぐさま眉根を寄せてぎりりと力を込めて銃剣を握った。よほど取り逃がしたことが悔しかったらしい。
そんな彼女に苦笑しつつ、悟浄はふと問いかける。
「そういや黎璃ちゃんてさ、戦い方ってどうやって覚えたんだ?」
黎璃は旅に加わった当初、自分の身は自分で守れるがそれほど戦いは得意ではない、と言っていた。しかし今のところ彼女の戦績を省みるに、ずいぶんと謙遜したものだと悟浄は感想を抱く。少なくとも相手を倒す時の躊躇が無いだけで戦いの様相は変わるし、得意ではないと言いながら黎璃は遠距離、中距離、近距離と器用にもその場に応じて戦い方を変えられる。そんな相手が戦いが得意でないとはこれいかに。
「ああ、全部前世の過去にとった杵柄ですよ」
何でもないように言う黎璃であるが、悟浄は素直に疑問を抱いたことを口に出す。
「神様だってのに戦ってたのか?」
「神様にも軍神、闘神という役目の方もいらっしゃいますし、軍もあります。色々と戦う事も多いのですよ。……まあ、私は文官でしたので、軍に所属していたわけではありませんが」
「じゃあ、趣味で?」
「はい、趣味で」
半分冗談で聞けば、普通に言い切られてしまった。
黎璃の敵に対する容赦のなさに疑問を抱いた結果の問いかけだったのだが、まさか趣味とは。恐ろしい趣味である。
「ああ、勘違いなさらないでください。戦い方は趣味で学びましたが、実際に使ってみたのは今世に生まれてからです。なにせ昔から少々過酷な生活環境だったもので」
趣味で殺戮していたとでも勘違いされたらたまったものではないと、黎璃が注釈を足す。そしていたずらっぽく微笑んだ。
「とっても強い大将がいらっしゃいましたので、その方に憧れて」
それを聞いて、何故か悟浄は自分の事を言われたわけでもないのにこそばゆい気持ちを味わった。悟浄はその妙な感覚に疑問符を浮かべつつ、いつもの軽口で問いを重ねる。
「へえ~。何、色男だった?」
「ええ、とっても」
「もしかして、惚れてた?」
「友人でした」
何処か懐かしむように黎璃は目を細め、その瞳には確かな親愛が見て取れた。古き友人を懐かしんでいるのだろう。
「そうかい。……その友達も、その憧れが今あんたの役にたってるんなら喜んでるかもな」
「ふふっ、そうでしょうか」
立往生、八方ふさがり。……そんな状況だと言うのに、流れる空気はどこか穏やかだった。それこそ長年来の友人同士の語らう空間が、その場に存在しているように。
そしてそのまましばし談笑していた時だ。
悟空の声が聞こえた。
結果で言えば、その悟空は清一色が作った偽物だった。それは見た目から声に至るまで精巧な作りであったが、すぐさま三蔵に見破られ破壊された。するとそこでようやっと術者本人のご登場である。
もったいぶった男だと、黎璃は回りくどい手段とその内容に眉をひそめた。ついでに言うと清一色には傷一つなく、黎璃が破壊した箇所も修繕されている様子なのも気にくわない理由の一つだ。
しかしやっと本人が出てきたと言うのに、相変わらず直接戦う気は無いらしい。町で黎璃にしたようにムカデをけしかけてきた清一色は、ムカデで身動きが取れないように一行を捕らえた後……八戒の顎を掴みこう告げた。
「よぉくごらんなさい。貴方の姉を凌辱し孕ませた、ムカデ野郎の息子の顔を」
そして激昂する八戒を押さえつけなおも言葉を続ける。いわく「貴方の痴態と殺意だけが
が、腕を切り裂かれ額を撃ち抜かれようと清一色は平然としている。二度目となるその光景に、黎璃は思わず舌打ちした。
「その男、どうやら自分の死体を自分で式神にでもしているようですね。……ここは私が引き受けましょう。こういった死霊の類には、神通力って結構効果バツグンなんですよ」
言うなり、黎璃が自ら進み出る。それを見た清一色は眉をひそめた。町で受けた攻撃を警戒しているのだろう。
「貴女は少々厄介ですね。先に引き離しておくべきでしたが……、まあいいでしょう。今からご退場願えれば」
「!」
清一色の言葉に身構えた、その時だ。何処からともなく再びムカデが現れる。しかし今度のそれはただのムカデではなく、人間大の大きさ。刻まれた梵字を見るに式神だろう。
そして現れた式神は攻撃するでもなく、尾で黎璃の脚を捉えるとそのまま引き倒した。そしてずるずると引きずり始める。
「くっ!」
「テメッ、何しやがる!」
すぐさま悟浄がムカデを切り裂こうとするが、その外殻は先日倒した蟹のように硬い。傷こそつけたが、跳ね返された。
「そのムカデ、たいして強くはないんですけどね。ま、邪魔者を遠くに捨ててくるくらい出来るでしょう」
清一色が愉快そうに笑うが、ムカデの移動速度が速い上に木々が邪魔で攻撃がうまくあたらない。黎璃ももがくが、引きずられている事でうまく身動きとれないようだ。
しかし黎璃が森の奥深くまで連れていかれる前に……張りのある声と共に、彼は現れた。
「どりゃあ!」
硬い甲殻の上から、愛用の武器である如意棒の力でもってその体内を潰したものが居た。それは行方知れずとなっていた悟空であり、彼は何故か足を引きずりつつも元気な様子で同じく行方の知れなかったジープ……白竜を引き連れて現れた。
「悟空!」
「大丈夫か!? 悪ィっ、待たした! あ、白竜も一緒だぜ!」
「すみません、助かりました」
「いいって! 無事なら!」
黎璃の礼に快活な笑顔でかえした悟空は一見本物である。登場のタイミングとしても、白竜を連れていることからも本物である可能性は高いが……果たして今度の孫悟空その人は本物だろうか。
しかし直後に彼が発した一言で、一行の誰もが確信する。「本物」だと。
「おっせーんだよテメーは!」
「しょーがねーだろ! 足折れてんだから! 腹めっちゃ減ったし、もーサイアクッ」
腹減った。悟浄に悪態をつかれながら悟空が不満そうに口にしたその言葉で本物であると認識される辺り、彼の日ごろの言動が窺える。そして悟空の心底腹が減ったというその様子に、事が終わればすぐにご飯をたっぷり用意してあげようと、黎璃は巨大ムカデに引きずられて若干ひりひりする背中をさすりながら決意した。
ともあれ、これで五対一の構図。が、清一色のしぶとさはムカデというより蛇のようだった。苦戦しているのは清一色の方であるはずなのに、その狂気じみた余裕は崩れない。どうやら男は八戒の精神的に苦しむ様子が見たくて仕方がないようで、それ故に八戒本人でなく周りの者から狙っているらしい。
「
清一色は人差し指を立て、無味無臭の笑みでもって嗤う。
「お友達をいたぶるのが有効だとね」
「ならば死になさい」
誰かが何かを言う前に、言葉と共に発砲音。……黎璃である。
近距離からの狙撃は清一色を捉えずその背後の樹木の枝を打ち落とす結果に終わったが、その動作は誰よりも早い。清一色の言葉に「最低」と言葉を返そうとしていた悟空は、喋ろうとして開けた口をそのままに、普段と様子が違う黎璃に少々冷や汗を垂らした。隣の悟浄にコソコソと耳打ちで「なんか、黎璃いつもとちがくない?」と問えば「女には優しく、女は怒らせるな。これが真理だ。敵以外な」と返ってくる。悟空はその謎の説得力に、とりあえず頷いておいた。
「やれやれ、あなた意外と短気ですね。もう少し会話の余韻を楽しむとか無いんですか?」
「私はこの方たちの付き人を務めております。その方たちを侮辱し害するあなたを、一分一秒でも生かしておく理由はありませんよ。何より私が気にくわない」
重々しい音と共に新たに銃剣に弾を込めつつ、黎璃は淡々と告げる。
「おお、怖い怖い。女は怒らせると何をするかわかりませんねぇ。ですが、貴女にはもうだいぶ遊んでいただきました。赤い髪のお兄さんにも、金眼の坊やにも……ね。だったら、順番は守らないと」
言うなり、清一色は今度は麻雀の点棒を曲芸師のナイフのように飛ばし三蔵を攻撃した。三蔵はその攻撃を軽くいなしたが、清一色の視線は彼に定まったまま……。どうやら、本格的に三蔵を狙う気でいるらしい。
「今度は、本当に彼のお友達に減っていただきましょうか」
「……やってみろよ」
その美貌とは裏腹の、ドスのきいた低い声でもって三蔵が返す。そして三蔵を攻撃されたことに真っ先に怒りをあらわにしたのは悟空だ。
「おいッ! この最低野郎!! 三蔵に何かしてみろ。タダじゃ済まねぇかんな!」
「おやおや、お宅のペットは忠誠心が厚いですね。しかし、立っているのもやっとの状態のくせに……よく吠える」
「!」
言うなり、悟空の脚に先ほど三蔵に攻撃した時と同じく麻雀の点棒で攻撃する清一色。しかし普段ならばその程度の攻撃を避けて見せる悟空の動きは鈍く、避ける事もままならずその脚に点棒が突き刺さった。
これに焦ったのは黎璃だ。先ほどムカデから助けられた時の動きから、てっきり骨折の件は悟空の冗談だと思っていたのだ。
「悟空くん!? あなた、足が折れてると言いながらジャンプなんかしてるから冗談かと思えば……無茶をして」
「……お前、本当に骨折してたのか」
「だから最初からそう言ってるだろ!? いってー……! あ! でも、黎璃は気にすんなよな。あのままじゃ何処連れてかれてたかわかんねーしさ!」
「そのこと自体には感謝しています。ですが、もうこれ以上は動かないように。奴は私がやります」
「……いえ、黎璃さんは下がっていてください」
悟空に念押ししてから銃剣を構え前に出た黎璃であったが、それを押しとどめたのは八戒だ。そして八戒はそのまま小声で三蔵に何やら話しかける。
「……フン、なるほどな」
何やら納得した様子の三蔵。そして直後、三蔵の不意打ちが清一色を襲い、上方に逃れた清一色を八戒の気功砲が更に遠方へとその身を飛ばした。
そのまま八戒と三蔵は遠くに弾き飛ばした清一色を追って走り出す。……黎璃に怪我人二人を押し付けて。
「黎璃さん! 二人を頼みましたよ!」
「え、ですが」
「頼みましたよ!」
念押しされて、黎璃は少々残念に思いながらもそれを受け入れた。骨折した悟空と、昨晩の怪我の後遺症により本調子ではない悟浄。八戒と三蔵の加勢よりも、今自分に出来る最善は二人に無茶をさせないことだろうと納得したのだ。
そして残された自分のまず一番初めの役目は、足手まといのごとく置いていかれたことにブーイングをあげる悟空と悟浄をなだめることである。
「アイツらわざと俺ら置いてきやがったな!?」
「マジかよふざっけんな!」
「まあまあ、お二人とも。本調子ではないのですから、今は三蔵様と八戒さんのご厚意に甘えましょう」
「でも!」
「黎璃ちゃん、気遣ってくれるのは嬉しいが俺は行くぜ。あの男、そう生易しい相手じゃねぇ」
「ふふっ、別に追うなとは言っていません。ですが、傷に障らぬようゆっくり行きましょう。……たしかに清一色はやっかいですが、あの程度のやからにあのお二方がどうこうされるとも思えません。我々はせいぜいゆるりと向かおうじゃありませんか」
「ゆっくりって、そんな悠長な……」
「早く行こうぜ! 見失っちまう! ってかもう見失ったけど!」
なおも渋る二人に、黎璃は少々困った顔になる。どうやら二人とも怪我を押してでも追うつもりらしい。
しかしそこでふと黎璃は閃いた。
「あ、じゃあ私のバイクに乗っていきます?」
清一色を怪我人および、三蔵の次に狙われそうである黎璃から引き離したまではよかった。しかし森は清一色を木々の影ごと抱き込んで、その行方をくらませた。三蔵を八戒の目の前で殺したいであろう清一色の考えからするに、近くに潜んでいることは間違いないだろうと三蔵は推察するが、八戒はその考えに同意しつつも不安をぬぐえないでいる。……三人と離れたのは少々軽率だったのではないかという、後悔と共に。
「……確かに、奴の今の標的は三蔵です。ですがあの男……百眼魔王の息子は、僕を苦しめるためにあらゆる手段を使おうとしている。妙に黎璃さんを警戒していましたが、女性である彼女は多分三蔵の次に狙われやすい。……大丈夫でしょうか」
八戒の実の姉でありながら……それと知らず孤児院で共に育ち、夫婦の契りを交わした妻であった花喃。彼女はムカデの大妖である百眼魔王への生贄に選ばれ、無理やり子を孕まされた。そして彼女は、花喃を百眼魔王に差し出した村人と百眼魔王の城の妖怪全てを屠ってまで妻のもとにたどり着いた八戒の前で……自ら命を絶ったのである。八戒の心の、もっとも深い場所にある傷跡だ。
それを知る百眼魔王の息子、清一色が八戒を傷つけるためにとる手段は容易に想像がつく。すなわち、花喃の死を女性である黎璃を使って八戒の目の前で再現する事。
しかし三蔵は不機嫌そうに取り出した煙草に火をつけると、どうでもよさそうに紫煙と共に言葉を吐き出した。
「大丈夫だろ。あの女、猫かぶっちゃいるが相当図太いぞ」
「三蔵、あのですねぇ……」
「違うか? 虫も殺せねぇような顔して、ここまで平然とついてきやがった奴だ。そうそう好きにはされねぇだろ」
「まあ、否定はしませんが。でも最初は一番彼女の同行を否定していた割に、ずいぶんと高評価ですね」
「フンッ、ただ事実を言っているだけだ。無駄な心配して隙を作る方が馬鹿らしい」
三蔵の言葉に八戒は苦笑でもって返す。その感想こそが三蔵にしては高評価なのだと、再度突っ込めばこの金髪の不良僧侶は怒るだろうかなどと考えながら。
そのまましばし、清一色の動向を待ちつつぽつぽつと言葉を交わす。何気ない会話の延長のような調子で、自分はここにいていいのかと問えば……これまた何でもないような調子で「お前は俺を裏切らない」と返ってくる。
______ 狡い人ですね。そんな風に言われたら、裏切れるわけないのに。
奇妙な縁で結ばれた、妖怪と人間の四人。最近そこに一人増えて、五人になった。そしてその仲間たちを、過去がどうであれ……失いたくないものだと八戒は考える。そのためには自身の過去の亡霊のごとく現れた、あの男を倒さねばならない。
「気合い、入れなきゃですね」
小さく呟き、八戒はぐっと拳に力を入れた。
そして数分の後、息をひそめていた清一色が攻撃を仕掛けてきた。しかも直接的な攻撃だけでなく、清一色が真に狙っていたのは八戒の心の隙につけこみ、操る事。……清一色は、三蔵を八戒自らの手で殺させようとしたのだ。
しかし八戒は操られているふりをしつつ、実のところ正気だった。三蔵の首を絞める指にも力は入っておらず、それに気づいた三蔵も清一色の隙をつくために演技に乗ってくれている。何気に名演技だなと考え、意外と余裕がある自分に驚いた。
(僕も図太くなりましたねぇ)
確かに過去は消せないし、後悔もろもろが消えるわけでは無い。しかし血で染まった手を洗い流しながら、拾われた命を繋いで……これからも生きてゆくのだ。自虐的な思考に囚われたままでいるのは、もう飽いた。
そう考えつつ、不愉快な声で自分の趣味趣向について語る男を倒すべく機をうかがう。相手は自分が完全に術中にはまり、三蔵を殺し取り乱していると思って油断している。ここから一気に畳みかけて…………などと演技をしつつ考えていた八戒であったが、機会は想像外の騒々しさをもって訪れた。
「ぎゃああああああああああ!! 待った待った! 黎璃ちゃん待ったストップ! 止まろう! 一回止まろう!」
「うぷっ、俺、腹空っぽのはずなのに何か出そっ……」
「馬鹿猿この野郎! 間違っても俺の背中に吐くなよ!?」
聞きなれた声が、何故かバイクの走行音と共に近づいてくる。そして森の木々縫って、凄まじいスピードで一台のオフロードバイクが躍り出た。その背に乗るのは、行儀が悪い事に三人乗りの仲間達。しかもその内二名……悟空と悟浄は振り落とされそうだ。
そしてバイクを運転していた黎璃だが、清一色を見つけるなりそのままの勢いで一直線に向かってきた。ひき殺す気満々である。
「なっ!」
「!」
油断に加えて驚愕。清一色は間一髪で避けたためバイクに轢かれる事は無かったが、その隙を八戒と三蔵が逃すはずもない。三蔵の弾丸が清一色の額に二つ目の風穴を穿ち、それにより動きを止めた清一色の胸を八戒の腕が貫いた。……そこはかつて、"一度目"に殺した時に八戒が切り裂いた場所。
「!! 猪悟能……! 正気……だったんですか……!」
「ふふっ、見くびるんじゃねェよって感じ……ですかね。残念ながら、僕の心はつけいる隙があるほど広くないもんで……。よく心広そうって言われるんですけど、意外と心狭いんですよ」
それと、とつけくわえる。
「僕の名前は猪八戒、です」
八戒の手に握られた、式神の核……一つの牌が砕かれた。
「いやぁ~、助かりましたよ。大きな隙を作ってくれて」
核を砕かれた清一色は最期まで「もっと楽しませてくれると思ったのに失望した」「貴方のように生きる臭いしかしない偏屈な偽善者は嫌いだ」などといった、身勝手な言葉を残して砂となり消えた。そしてしばし何か考え込んでいた様子の八戒だったが、気を取り直したのか合流した仲間たちに笑顔をむける。が、そこには地面に転がるグロッキーな悟空と悟浄に平謝りする黎璃と、「何やってんだこいつら」とばかりに心底呆れた顔の三蔵という状況が広がっていた。八戒は「一応過去の因縁に一つ区切りついたというか、シリアスな場面なんですけどねぇ~」と思いつつも噴出す。悪いとは思うのだが、見事にへばった二人と、これまでの印象として老成した落ち着いた女性というイメージだった黎璃が焦っているのがどうにもおかしいのだ。
「あの、すみませんでした。でも、その、徒歩で移動するよりは負担が少ないかと良かれと思って……!」
「あのさ、黎璃ちゃん。気遣いは嬉しいんだけど、気遣ってくれるならスピードはもうちょい落とそうぜ。な? いや、障害物避けながらあのスピードは素直にスゲーんだけど……うぷっ」
「す、すみません……」
「ううう……気持ち悪ィ……」
「み、水を! とりあえず水を!」
「え、黎璃ちょっと待っ、ごばばばば!」
「ああ! すみません!」
「馬鹿か……」
普段はおちゃらけた態度が多いものの、実は一番良識的なんじゃないかと思う悟浄が青い顔で諭せば黎璃は身を縮こませて謝罪した。そして隣で地面につっぷしている悟空へ慌てて水を飲ませようとするが、慌てたためか一気に口の中へ流し込み過ぎたらしい。陸の上だというのに、悟空が溺れているような声を出した。そして一連の様子を見ていた三蔵が、半眼で呆れ交じりのため息をつく。……何気に名演技とも言うべき演目「死んだふり」を見られずにほっとしているのは、八戒の気のせいだろうか。
「あ、おい! 八戒テメっ、笑ってんじゃねぇ! これもお前らが俺たちを置いてったせいだぞ!」
「げほっ、ごほっ。そうだそうだ! 黎璃の運転めっちゃ怖かったんだからな! あ、でも清一色倒せたのはよかったけど!」
「す、すみません……ふふっ」
口元をおさえて笑い続ける八戒に気づいた悟浄が文句を言えば、悟空も息を整えてから盛大に抗議の声をあげる。二人とも置いていかれたのがよほど気にくわなかったらしい。ちなみに黎璃はと言えば、二人の言葉にますます小さくなっている。
「チッ、ウルセェ……。怪我人なら怪我人らしく静かにできねぇのか」
三蔵が眉間に皺をよせて言えば、悟浄と悟空は今度は三蔵につっかかる。
(ああ、騒がしいですねぇ……)
しかし、その騒がしさが愛おしい。
_____________花喃。僕の罪は消えないけれど、許されるならもう少しだけ……自分のために生きてみたいと思うんだ。
いつのまにか森の霧は晴れ、木々の間に青空がのぞいていた。
(なんたる失態……)
黎璃は少々落ち込んでいた。というのも、気遣ったつもりが怪我人二人に余計な負担をかけてしまったからである。
現場に到着した直後に件の敵である清一色は八戒により倒されたからいいものの、もしかすれば体調不良の悟浄と悟空を清一色の前に放り出すところだったのだ。意外と自分も頭に血が上っていたのだなと考えつつ、黎璃は作業の続きにとりかかった。
ちなみに現在黎璃が何をしているかといえば、狩ってきた野兎と釣ってきた魚の調理である。あの後森を抜け一息付けそうな場所まで来た一行は、次の町まではまだ遠いためそこでいったん休憩をはさむことにしたのだ。そこで腹の虫を切なく鳴かせた悟空のために、乱暴な運転のお詫びもかねて黎璃は食事の用意を申し出た。といってもここ最近の野営料理は黎璃がかって出ることがほとんどなのだが。
そして調理を進めつつ、何だかんだで賑やかな四人を横目でうかがう。なにやら悟空が「八戒生命線短いの? じゃあさ、これでいいじゃん!」などと言いながら八戒の手に油性ペンで生命線をつけたすというわんぱくな所業をしている。が、それを書かれた八戒が少々茫然とした後嬉しそうに笑っているのでいいのだろう。その様子がなんとも微笑ましい。
______________ 本当に、生まれ変わったら生まれ変わったで、厄介なものを抱えていそうな人たちだ。
そう思いながらも、だからこそ複雑に……鮮やかに輝くであろう彼らの生が眩しく見える。やはり今度こそ、そんな彼らを許される限り見届けていたい。出来れば
「黎璃~! 俺、腹減ったー!」
「はいは~い。もうちょっと待っていてくださいね~」
黎璃は腹ペコの五百歳児に答えつつ、調理の手を止めず今日記録すべきことを頭の中でまとめていく。彼らの旅の軌跡を記す、黎璃の大事な仕事である。
(う~ん。旅の後にまとめなおすとして、最初はキャッチーな一言が欲しい所ですね。……あ、そうだ!)
今回の記録を文にまとめつつ、それを世に送り出すところまでなんとなく考えている黎璃。彼女は思いついた一言を、忘れないうちにとささっとメモ帳に書いてみた。
すべからく見よ、西遊釈厄伝!
(なんちゃって)
三蔵一行の旅の記録係の仕事は、まだまだ始まったばかりである。
カリスマパープル
食いしん坊イエロー
情熱レッド
癒しグリーン
そこに冷静ブルー(イメージカラー)を加えて最遊戦隊にしようと思ったら何故か段々と物騒になっていく主人公。
祝・最遊記再アニメ化!
ただでさえ中途半端な短編のくせに嬉しくてつい書いてしまった続きでしたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。お粗末様です。