雷光が雨の闇に沈む世界を映し出す。それは地に倒れ伏す人間と、おびただしく流れ出す血をも鮮やかに浮かび上がらせた。
六道に銃を向けた三蔵を、仲間だったのだろうと悟空が止めた。その隙を見て攻撃してきた六道であったが、それを阻止したのは三蔵である。
悟空と六道の間に入り錫杖に刺された三蔵を、その場の誰もが信じられない事のように見ていた。
ガラでもねぇ、と悟浄が言うがその通りだ。誰もが三蔵がそんな行動に出ると思わなかった。
「……蔵! 三蔵ッ……!! 三蔵ぉッ!! さんぞ……」
「動かしちゃ駄目です悟空!」
何度も三蔵の名を呼び体を揺する悟空を八戒が止めようとするが、その場に無言で割って入ったのは黎璃である。その顔色は青いが、血を流す三蔵に自分の上着を使って止血を施す動きに迷いはなかった。
「あ……うがああ ああ あ!!」
三蔵を刺してしまったことに動揺したのか、六道が呻く。だがそんなものに構っている暇は無いと、黎璃は八戒を見た。
「八戒さん、貴方たしか気功波を使っていましたね。なら治療も「はッ……! ざまぁ見やがれ……!! 妖怪ごときに加担しやがる奴は人間だろうと死んじまうがいい!! ひゃはははははは!!」
黎璃の言葉を遮った六道に、彼女は心底鬱陶しそうに側に落ちていた六道の錫杖を投げつけた。無理な体勢から放たれた錫杖であるが、それは真っ直ぐに飛来し六道に迫る。が、己の武器であるそれを六道は危なげなくつかむ。そして狂気に淀んだ目で黎璃を捉えた。
「何故だ……? 何故そいつを助けようとする。そいつは、そいつらは妖怪の仲間だ。何故殺してはいけないッ!!」
「八戒さん、気功での回復は出来ますか?」
あくまでも無視する気なのか、六道の言葉に答えず黎璃は八戒に問う。
「出来ますが……」
「では、あとをお願いします」
「ちょ、黎璃さん!?」
止血をする以外今の自分に出来ることは無いだろう。そう考えた黎璃は黙って立ち上がると、拾った小石を六道に投げつけてからそのまま六道に向かって駆けだした。
六道は小石を煩わしそうに腕で振り払ったが、その隙に懐に潜り込んでいた黎璃のつま先が顎に迫る。すれすれのところでそれを避けるが、もとより避けられることを想定していたのだろう。黎璃はその動きを次につなげ、足を振り上げた勢いのまま反り返りぬかるんだ地面に躊躇なく片手をつくとそれを軸にしてもう片方の足で六道の脇腹に蹴りを叩きこんだ。
「がッ」
女の身からの蹴りに受けても軽いだろうと油断していた六道は、予想以上に鋭く重い蹴りに胃液を吐いた。その隙を見逃すまいと、驚くべき俊敏さで体勢を立て直した黎璃は泥に汚れた拳で六道の顎を的確な角度で打ち抜く。
六道の脳が揺れた。
「くッ! 貴、様!」
「え、黎璃ちゃん強くない!?」
悟浄の声に、意外に突っ込みに律儀だなと感心しつつ黎璃は六道を見る。
「強力な呪符、その呪符に覆われて妖怪が触れない体、術を跳ね返す強力な法力……。あなたのそれは、ほぼ全てが妖怪に特化したものですね。そんなあなたが最も敗れることを危惧をしなければならないのは人間ですよ。まあ、守ってきたはずの人間に攻撃されるなんて皮肉なものですが」
「う……ぐぐ…………あああああああ!! クソ! クソクソクソォぉぉぉッ!!」
煽るつもりは無いが、黎璃は酷く不機嫌だった。かつて仕えた主の魂を持つ者が、目の前で傷つけられた。それによって酷く矜持を傷つけられた気分になっている自分に気づき、黎璃は「まだ付き人気分が抜けていなかったのか」と自身の心の在り方に苦笑した。
そんな彼女に対峙する六道といえば、思いがけず昔なじみの三蔵を刺してしまったことでただでさえ危うい精神の均衡を欠いていたところを、ひ弱そうな女に叩きのめされて動揺しているようだ。それを隙として見た黎璃は、その場を戦闘の専門家に譲ることにした。思わず足と拳が出たが、もともと自分は戦闘向きでは無いのだ。
「動揺している今が勝機です! 悟浄さんと悟空くん、あとお願いします。私と八戒さんで三蔵さんを安全な場所に運びま…………え……?」
しかし振り返った先にあった光景に黎璃は言いかけた言葉を失った。
「おい、悟空。どうしたってんだ!?」
「悟空!?」
八戒と悟浄の前で、悟空が地面に両手をつき苦しそうに荒い息を繰り返す。
「はあっ、はぁ、は、はぁっ、あ……ッ」
「! 待ちなさい! 悟空くん、自分をおさえて! 三蔵さんはまだ……!」
あの時とは違う!! そう続けようとした。
しかし無慈悲にも…………容赦なく、その時は訪れた。
金属の割れる澄んだ音が、わずらわしい雨の音の中でやけに甲高く響いた。
その姿を見るのは2度目……になるのだろうか。
黎璃は妖力制御装置から解き放たれた悟空が、圧倒的な力で六道を圧倒するのを見ていることしか出来なかった。しかし目をそらすわけにはいかない。黎璃はその動きを見ていなければならなかった。
理性を失った彼が六道を倒した後、彼の標的がこちらに移ることは目に見えているのだ。ならば、それまでに少しでも彼の動きを追えるように目を慣らしておかなければ。慣れない目で追った悟空の動きは、疾風でしかない。
大地のオーラが集結し、巨石に宿った生命体。
「これが…………斉天大聖……ッ」
目で追う、目で追う、目で追う。しかしそうすればそうするほど絶望的な結論しか出てこない。
あの子は成長した分強くなっている!!
黎璃はその身を飾る装飾品の一つに手をかけたが、その途端ビキリと体が固まった。
「!?」
動かない体に焦りを覚えるが、直後に脳裏に響いた懐かしすぎる声に息をのむ。
『クッククク・・・・・・面白いことになってんじゃねーか。なあ、黎璃?』
名前を呼ばれて決定打。
「まったく、貴方は今でも彼らを見守っておいでか……!」
バレバレの自身の正体に苦笑するしかないが、この場において頼もしいその声に安堵した。
数珠から放たれた光によって出来た隙に六道は逃げた。そうすれば黎璃の予想通り照準はこちらへ向けられ、理性を無くした悟空は動くもの全てを殺すつもりなのか、六道にむけていたのと同じ勢いで悟浄に向かってくる。
「駄目です! 今の悟空には判別能力がないんだ」
「ったく、トチ狂いやがって……! 黎璃ちゃんに嫌われても知らねェぞ、クソ猿!!」
腕をつかむが、犬歯の発達した口が開く。
「クソッ! これでも、食ってな!!」
苦肉の策として自らの腕に食いつかせて悟空の頭を押さえる悟浄だが、それ以上はどうしようもない。
「~~~! 目ェ覚ましやがれッ! このバカ猿……ッ!!」
食いちぎりそうな勢いで噛みつかれる苦痛に顔をゆがめる悟浄だったが、突如脳へ直接響くような声が聞こえると同時に悟空の体がビクンと跳ねた。
『そのまま抑えておけ!!」
「な……何だァ!?」
甲高い音が悟空の周りを取り巻き、やがて細い光の輪が現われる。次第に収縮したその光は悟空の額を覆うほどの太さになり、最後は先ほど壊れたものと寸分違わぬ金鈷となりそのまま額に収まった。それと同時に糸の切れた人形のように悟空が力を失い倒れこむ。それを悟浄が受け止めるが、聞こえてきたのは気が抜けるような寝息だけ。
「寝てやがる……」
「今のは一体……?」
困惑する八戒の声に答えたのは、それをなした張本人であった。
「だらしないね。……よォ、三蔵一行?」
先ほどまでいなかった人物が2人、そこに現われていた。声を発したのはうねる豊かな黒髪をたばねた迫力のある美貌の女性。薄絹の衣装はその豊満な胸をあられもなく透かしている。
女性は眠る悟空を見ると、視線をあげて悟浄を見据えた。
「こんなところで足止めくらってる様じゃ、大したことないな。お前らも」
「なッ、何者だてめぇ!!」
その馬鹿にしたような言いように噛みつく悟浄だが、それに対してすかさず女性の後ろに控えていた初老の男性が憤慨したように女性の正体を明かす。
「おい、貴様!! 口を慎め!! この御方こそ天界を司る五大菩薩が一人、慈愛と慈悲の象徴、観世音菩薩様にあらせられるぞ!!」
ちなみに両性体です、と付け加えられた一言を2人はなんとなく聞かなかったことにした。
それまでのやり取りを無言で見守っていた……否、術で動きを止められていた黎璃であるが、美貌の両性具有の神に視線を向けられると体を拘束していた術が解けた。しかし別の意味でその体はいまだ強張っている。
「よーォ。久しぶりだな、黎璃?」
「黎璃……黎璃ですと!? 観世音菩薩様、まさかその人間……」
「そうだぜ? まあ覚えちゃいないだろうが」
「いえ、覚えておりますよ。助けていただきありがとうございました……観世音菩薩様」
黎璃が言うと、観世音菩薩とその付き人である次郎神は驚いたように黎璃を見た。それに苦笑を返すと、黎璃は懇願するように膝まづいて頭を垂れた。
「私の事は後でいくらでも話しましょう。今はどうか、あの方をお救いください」
そう言って三蔵を見る黎璃であったが、しかしその懇願に対して観世音菩薩は首を横にふった。
「いや、お前が覚えているというならお前がやれ」
「! ですが」
「金蟬……。いや、三蔵が死ぬぞ?」
「……あなたがいれば、そのようなことは……」
「お前の仕事だ。やれ」
有無を言わせぬ言葉の強さに、それ以上を言いよどむ黎璃は困ったように眉根を下げた。
「その制御装置は妖力用じゃねぇだろ? ならそれを外せば出来るはずだ」
「あの、彼女に何をやらせるつもりですか? それとお知り合いのようですが、どういった関係かお聞きしてもよろしいでしょうか」
見かねたのか八戒が問うが、観世音菩薩は面倒くさそうにがしがしと美女のような見かけの割に男らしい動作で頭をかいた。
「説明が面倒くせぇ。ま、言ってみれば昔なじみだ。何をやらせるかって? このこっ酷くやられた馬鹿を治させるんだよ」
「昔馴染みって……あんた神様なんだろ? 黎璃ちゃんは人間じゃねーか。それに治させるって、八戒みたいな気功が使えるってのか?」
「色々あんだよ。さてと」
観世音菩薩はニヒルに笑いながら黎璃の耳につけられた装飾品を一つ手に取る。
「自分で出来ないなら俺がやる。いいな? 黎璃」
「嫌だと言ってもやるんでしょう、あなたという方は。……お願いします」
ため息をつき覚悟すると、次の瞬間耳が引っ張られる。そこが火がついたように熱い。
少量の血がぐしゃぐしゃの地面に散らばる。…………観世音菩薩は、黎璃の耳飾りを耳たぶごと千切り取ったのだ。
「! 何をやって……!」
「こうしねぇとすぐに取れるもんじゃないんだよ、この雁字搦めの呪法で取り付けられた制御装置はな」
「制御装置? まさか黎璃さんも……」
「黎璃は妖怪じゃねぇよ。もっとややこしい存在さ」
説明を求めるように悟浄と八戒が黎璃を見るが、黎璃は薄く笑むばかりだ。
「さてと。そろそろ輸血するなりしないとコイツが死ぬぞ」
「傷は僕が気功術で塞ぎましたが……。けれど出血がひどくて、こればかりはどうしようもありません。どうする気ですか?」
「まかせろ。黎璃に」
「おいおい神様が直々にやってきに人任せかよ。それに何で黎璃チャン?」
観世音菩薩はにやっと笑って黎璃の肩を抱いた。
「何のために制御装置外したと思ってるんだ。なあ、黎璃」
「……」
黎璃は無言でその腕を外すと、屈んで三蔵の顔を覗き込んだ。
懐かしい面影を残す、だがまったく別の存在。しかしその魂の在り方は、再び誰かの光となる。
(現にあの子供の太陽はまた貴方だった。……同時に、あなたにとっての太陽もやはりあの子なのでしょうね)
あなたが守りきって、再び咲かせた太陽の花。再び散らしてしまうのには、あまりにも早い。
一時的な交わりは緩く結んだ紐をするりほどくように、すぐに消えるものとばかり思っていた。
しかし自分はこうして今、男の鼓動を、呼気を感じられるほど側に居る。そして以前はなすすべなく見送った命を、つなぎ止めようとしている。
「不思議な巡りあわせですね。……再びお会いできて嬉しかったですよ」
独白の後、心の中で「だからまだ死なないでくれ」と懇願した。元気な姿を見られたならそれでよかったのに、何故自分の前で死にかけるのか。
黎璃はふっと目を閉じると、触れたら溶けてしまわないだろうかと懸念しつつ……その太陽に顔を近づけた。そして
ざっくり切った自身の指を三蔵の口につっこんだ。
「何で!?」
「え!? な、何が? どうかしましたか悟浄さん!?」
黎璃としては至極真面目に行った行為であるが、それを見た悟浄に即座に突っ込まれて狼狽した。
「いやいやいや、今の雰囲気ってか流れは完全に目覚めのチュー的なあれだったじゃん!? てっきり俺ぁそういう術かと……!」
「よく言った赤いの! おい、お前それは無ぇだろ! もっと効率的にやれ効率的に! 俺が治療の場を譲った意味が無いだろうが! そういう野性的な感じじゃなくてだな……! 血気と生気を口から口へ送るのが一番楽だろう!」
ぎゃんぎゃん煩い外野を黎璃は聞こえないふりをすることにした。今自分は真剣なのだ。邪魔をしないでもらいたい。
そして黎璃は気絶しているというのに思いっきり眉間にしわをよせて呻く三蔵にぐいぐい指を差し入れ、鼻をつまみ強制的に自身の血を飲ませる。絵面的にかなり奇妙なことになっており、治療されているはずの三蔵は苦しそうだ。しかし、その顔色は確実に良くなっていた。
再び縁が結ばれるのも悪くない。
しかし、黎璃の中で目の前の人物は今も昔も自分にはちょっと眩しすぎるのだ。治療のためとはいえ、唇で触れるには少しばかり恐れ多い。どうせ術を使って血に直接生気を込めて飲ませているのだ。効果はさして変わるまい。
「とりあえず、早く元気になってくださいね」
かつてと同じかそれ以上か……。前世も現世も苦労が絶えない"元上司"に、黎璃は薄く笑って呼びかけた。
黎璃は宿のベッドにだらんと手足を投げ出して突っ伏していた。その背中に未だ天界へ帰らない観世音菩薩様が呆れたように声をかける。
「だらしない。あれくらいでへろへろか?」
「あのですね……致死量ギリギリの血気と生気全部あげてしまったので、動けないのくらい勘弁してください……」
ずりっと顔を横にあげて言った黎璃の顔色は、死相すら浮かぶほど白く色が無かった。逆にこの顔色で喋れる方が驚きだと、少し離れて見ていた八戒はハラハラと様子を窺う。
「そんな体勢では休まるものも休まりませんよ」
ついに見かねて、うつ伏せの黎璃の体を反転させてからその額に絞ったタオルを乗せてやったのは八戒である。それをありがたく思いつつ、黎璃は楽になった体勢で一息ついた。体勢を直されたことで幾分か息をするのが楽になった気がする。
そんな時だ。バタンっとドアが閉まり、部屋に入ってきたのは悟浄である。菩薩の後ろに控える次郎神と目が合って、社交辞令とばかりにお互い会釈をかわした。
「つーか、あんたらはいつまでいるんだよ」
「ハッ、こいつに聞きたいことがたっぷりとあるんでな。それを聞くまでだ」
「ホント、黎璃ちゃん何者よ」
「悟浄、三蔵は?」
「血気も戻ったし今は寝てる。悟空は側をはなれねぇまんま」
「そうですか……」
悟浄が持ってきた水差しからコップに水を注いでそれをサイドテーブルに置くと、八戒はさてとばかりにニコっと笑顔を振りまいた。
「黎璃さん、話してくれますか? 僕たちもとても気になっているんですよ。ああ、のどが乾いて話しづらければ、いくらでも水はあるので言ってくださいね。飲ませてあげますから」
だから話せよ、という笑顔の裏の圧力を感じ、黎璃は乾いた笑いを浮かべつつ顔をひきつらせた。……まあ、喋れるようになるまで待ってくれただけましだろう。
もちろん彼らとの“前”の付き合いは話すつもりはないが、目の前には笑顔の八戒、すぐそばには「どどんっ、ババンっ」と擬音を背負って菩薩なのに貫録ありまくりの仁王立ちをする観世音菩薩。前門の虎後門の狼どころか2人で4方を囲む四神並の迫力があるのでは、言い逃れできそうにない。
「ええ、いいですよいいですよ。なんでもお聞きくださいませ」
「黎璃チャン今完全に諦めたな」
「まあ、ここまできたら隠すことでもありませんし……」
諦めムードただよう黎璃だが、昔の上司2人を前に寝たままというわけにもいかず気力を振り絞って体を起こした。そして観世音菩薩と次郎神に向き直ると、深く頭を下げる。
「お久しぶりです。観世音菩薩様、次郎神様」
「本当に黎璃なのだな……」
「次郎神様につきましては、ますます胃を痛めておられるご様子で」
「ううむ。この慇懃無礼さ、まさしく黎璃」
「え? き、気遣ったつもりなんですが……」
「お前の言葉は含みが多いんだよ。で、だ。黎璃……今までどうやって隠れてやがった? いくら魂を探ってもみつからなかったくせに」
探してくれていたのか。
黎璃は自分がしたことを後悔してはいないが、流石に申し訳なくてかつての上司であり……友人でもある観世音菩薩に改めて深く頭を下げて謝罪した。直後に「謝るくらいなら最初からするな馬鹿」とデコピンをくらってしまったが、それさえも懐かしくて今度は笑ってしまった。そしたら今度は頭に拳骨を落とされた。ずいぶんと暴力的な慈愛と慈悲の象徴もあったものである。
「あの、話の腰を折るようで悪いんですが……。まず、黎璃さんがどんな立場の人なのか窺っても?」
旧知との再開で珍しく感情が波打っていると、八戒が肝心なところを聞き逃すまいと質問をしてきた。
「ん? お前らはこいつのことを何も知らないのか」
「ええ。数日前が初対面ですし、宿を貸してくれた人と借りた人くらいのつながりしかありませんからね」
「黎璃とは何処で会った?」
「ここから東にある森です。黎璃さんは陶芸家だそうで、そこに一人で暮らしていましたよ」
「陶芸家……ねぇ。らしいっちゃらしいな。お前、物作りは一通り好きだったもんな」
「そういえば、私のボトルシップもよく一緒に作りましたねえ」
次郎神は自分の趣味を地味と馬鹿にしないで、一緒につきあってくれた部下との日々を思い出しなんとなく和む。陶芸か。うん、いいな、自分も今度始めてみよう。
「話を聞いていると、昔からの知り合いのようですが……」
「でも黎璃ちゃんは人間だろ? 何百年生きてるかわかんねぇ神様と知り合いってなぁどういうことだよ」
「ああ、今は人間ですけれど、私前世は下級ながら神だったんですよ」
「は?」
あまりにもさらっと言われたものだから、思わず悟浄は聞き返す。黎璃は困ったように笑いながら言い直す。
「前世は天界に住んでおりました。とある神の補佐を務める文官で、神格は大したことありませんでしたが……。とりあえず、地上の方から見れば一応神にカテゴライズされる存在でしょうか」
「………………………………前世ェ!?」
「神様……ですか。いやぁ、どう反応していいのやら……」
「まあ、世の中色々あるんですよ。細かい事はいいじゃないですか」
「いや、細かくはねぇだろ」
分かりやすく驚く悟浄とリアクションは小さいながら多分それなりに驚いているだろう八戒を見て黎璃はつい「いや、あなた達もですよ。むしろあなた達のが凄いんですよ」と心の中で突っ込んだ。その表情はとてつもなく微妙そうな感情を表現している。
そして観世音菩薩であるが、こちらは更に微妙そうな顔をしていた。
「記憶を持ったまま生まれ変わってることも驚きだが…………お前さぁ、何で神通力が残ったまま生まれてるんだ。俺が驚くなんてレアだぞ、レア」
「そう言われても不可抗力ですよ。だから面倒な術式組んでこんなに制御装置つけてるんです」
そう……黎璃としては記憶を受け継いだまま生まれ変わった事に関してはさほど驚かなかったが、まさか神の体と共に捨ててきた神通力が身の内に残っているとは思わずそれについては驚いた。
森の中に捨てられた幼少期はそれのおかげで生き延びたが……いつまでもそのままではまずい。強い力というのは、何かを引き寄せてしまうのだ。
そのため、黎璃は成長して満足に動けるようになってからすぐに1つ目の制御装置を作り出した。そして何故か成長するたびに力は増していき、ついには前世で持っていた力を超えてしまった。なので仕方が無く次々と制御装置をつけたしていき今に至る。その制御装置であるが、現在髪飾り一つ、観世音菩薩により一つ無くなったが両耳にあけたピアスが大小合わせて六つ、首の飾りが3つに指輪が5つと計15個に及ぶ。風呂に入る時邪魔でしょうがない。
「最初はこれらの力を安定させるために結界を張って過ごしていたんですが、結果的にその結界が天界の目を欺いていたようですね」
「なるほどな。…………偶然か?」
「ええ、偶然です」
あくまでも偶然だと言い切る黎璃に、観世音菩薩は疑いの視線を向けた。しかし黎璃は素知らぬ顔でほほ笑んでいる。
「……まあいいか」
とりあえず追及をやめた観世音菩薩であったが、代わりにとんでもない事を言い出した。
「なあ、黎璃。お前こいつらの旅についていけ」
突然の命令に驚いていると、八戒と悟浄がいきなり旅の同行者を増やされそうな事態に戸惑い説明を求めた。
出会って間もない相手である以上に、前世が天界の住人という奇妙な経歴の持ち主だ。彼らの旅の中心人物である玄奘三蔵が目覚めない今、彼らが代わりに話を聞こうとするのは当然だろう。
しかし観世音菩薩は「便利だから連れてっとけ」と雑な説明だけすると、彼らをさっさと部屋から追い出してしまった。なんとも自分勝手である。
そして黎璃はといえば、八戒と悟浄が部屋から追い出された後……前の黎璃が死んで生まれ変わってからの500年の出来事を根掘り葉掘り聞かれ、同時に久しぶりの世間話に疲れて眠ってしまうまで付き合わされた。
彼らの旅に同行する事に対しての説明も求めたが、それは「今度は満足いくまで最後まで見届けて来い」という一言で片づけられてしまった。……本心を知るすべは無いが、予想するに500年分心配をかけた事に対する腹いせと、旧知ゆえのお節介といったところだろうか。黎璃は厳しいのだか優しいのだか分からない観世音菩薩のはからいに苦笑した。
だが、こればかりは一行の中心である彼が目覚めて意向を聞かないことには始まらない。
黎璃にとって、かつての上司であり友である観世音菩薩よりも優先させるべき意思がある。……今は違う人間だとしても、それが彼女の中で変わることは無かった。
深夜。
好きなだけ一方的に喋ってから観世音菩薩が次郎神と共に天界へ帰ると、黎璃はぐったりとしたまま寝入ってしまっていた。目を覚ませば宵の口はとうに過ぎ、窓の外には夜のしじまが広がっていた。あれほど煩かった雨音はもう聞こえず静かなもので、音といえば時折風がカタカタと窓を揺らす程度だ。
見れば肩まで布団がかかっており、サイドテーブルに置かれた水差しには新しい水が継ぎ足されている。観世音菩薩がそのようなことをするとは思えないので、おそらく宿屋の友人か気を利かせた八戒だろう。後者であれば色々言いたいこと聞きたいことは多いだろうに、親切なことだと黎璃は心の中でそっと感謝を述べた。
ふと、気配を感じる。
見れば窓の外に人影。夜だというのにその服色と髪色が月の光をわずかに反射して目立つ僧侶が、森の方へ向かっていくところであった。
「貴方という方は……」
おそらく六道と決着をつけるために赴いたのだろうが、何も大怪我した日の夜に出かけなくてもいいのではないかと呆れた。明日では駄目だったのだろうか。
しかし見てしまった以上、止めることはしないが見過ごすわけにもいかない。黎璃は重い体に鞭打って、窓を開けると思い切りよく飛び降りた。着地の時の振動が体に響くが、悠長にしていたら見失う。仕方があるまい。
そして黎璃は三蔵を追いかけた先で、彼と六道……朱渶との結末を見届けた。
彼らの間に交わされた会話の意味も、彼らの過去も黎璃は詳しく知らない。しかし札の力に飲み込まれ、完全に狂いかけた男が三蔵が突きつけた銃を最期は笑って受け入れたのだ。……きっと、彼らなりの決着はついたのだろう。
「……覗き見とは悪趣味だな」
「失礼。ですが、声をかけるのも割り込むのも無粋だと思いましたので」
事が終わると、いつから気付いていたのか三蔵が不機嫌な声で木の陰に隠れていた黎璃に声をかけた。黎璃も隠れる気は無かったのでそのまま出ていくと、丁度三蔵がよろけて転びそうになったのでその体を支えた。やはり無理が祟ったのだろう。
「さっきまで貴方、大怪我をしていたんですよ。無茶するお人ですね」
「ッ、離せ。女に支えられるほど柔じゃねェ。邪魔だ」
つれない言葉に苦笑するも、黎璃は引かずそのまま肩を貸した。本当なら背負っていきたいところを我慢しているのだ……三蔵がそれを知るすべはないが、これでも黎璃としては妥協している方なのである。
「おい、いらねぇって言ってるだろうが!」
「……ふふっ、苦しいくせに意地を張りますね」
「何だと……」
「言っておきますが、貴方の治療には私も協力したんです。そのせいで私は今とても具合が悪い。なので、そのお詫びと思って肩くらい貸させてください」
具合が悪いといいつつ詫びに手助けをさせてくれという奇妙な言葉に、三蔵はもう一つの事と合わせて驚いたように軽く目を見張る。
「治療? お前が?」
「詳しくは帰ったらお仲間にお聞きください。……ところで、そのお仲間の中にこのたびわたくし黎璃も加えさせていただくこととなりました」
「何だと?」
「観世音菩薩様の御意向です。最初は貴方の意思を尊重しようかと思いましたが、出会って短い期間内にこんなもの見せられてしまいましたからね……放っておけなくなってしまった。まったく無茶にもほどがある。どうにも危なっかしくて、見ていてハラハラするのですよ」
黎璃の言葉に三蔵が隣で何か言っているが、黎璃としてはすでに「行く」と決めていたので否定の言葉に耳を貸すだけ時間の無駄であると割り切って無視をした。
再び巡り合った縁だ。今度こそ、友のいうように満足いくまで見届けるのも悪くない。
もとより目的も無く生きていたのだ。……たとえ命を賭けることがあったとしても、それが出来るなら対価としては安い。
「無作法者ながら、これからお仕えさせていただきますよ。三蔵法師様」
どうせなら彼らの旅を傍らで記録していく役目を賜ろう。きっと波乱万丈で面白おかしい冒険譚が出来上がる……それを思うと、今から完成が楽しみだ。
黎璃は珍しく浮足立っている自分を感じ、やはり前世での出来事が硬くしこりとなって残っていたことに気づく。もしそれを消すためにこの場にいるのなら、わざわざ生まれ変わった甲斐もあるというものだ。
3人の神の魂を受け継ぎ宿す者と、大地の化身ともいうべき大妖。
そこにひっそり記録係が加わって、彼らの西への旅は続いていく。
最遊記、アニメから入って漫画は外伝で泣いた思い出。アニメのOPとEDが格好良かった。
その最遊記の昔書いた二次創作を見つけたので直そうとしたものの、直し始めたら昔の文章が今よりもっとひどすぎてお話の枠だけ残してまるまる修正という羽目に。もともと連載のつもりで書いたものなので、短編のくせに知り切れトンボ感が凄い。そんな無駄に長いわりにお粗末なものを、もしここまで読んでくださった方がいたら感謝。
ちなみに最初主人公はアクセサリーじゃらじゃらつけたお兄やんの予定だったのですが、敬語が思いっきり八戒と被るので女主人公になりました。でも中身が年季入ったババァなので恋愛要素は皆無。前世での補佐官属性を引き継がせて、ポジション:ばあやorじいやにしようと思ってた。