そのご縁は前世から   作:丸焼きどらごん

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年末前の黒歴史供養その1

注)序盤だけ書いて満足していたブツを発見し、そこそこ文量があったので短編に書き直してみようと挑戦したものの知り切れトンボ感が凄い。


そのご縁は前世から 六道編(前)

 神々が住まう天界を極楽と信じたのは、下界人の妄想であると彼女は断言する。

 

 停滞した時間、生ぬるい空気。なんの汚れも無いとばかりに小綺麗なふりをする上っ面の下は、淀んだ感情や思惑で塗りつぶされている。下界の人々が天上の神々ですら何も自分たちと変わらぬと、感情を持つ限り同じ過ちは何処ででも繰り返されると知ったら絶望するだろうか。

 

 

 

 

 産まれて、育って、動いていた。しかし“生きた”と感じた瞬間は怠惰に過ごした幾百年の中で何年あっただろう。

 

 強いて言うなら、飽きたのだ。そんな眩暈がするほど退屈な世界に。

 

 

 

 

 だから“あの人たち”が居なくなった時……彼女は「もういいか」と今まで生きた世界に見切りをつけた。

 

 このままこの場所に留まったとして、いったい何になろう。自分は何者になれるのだ。きっとなれまい。精々再び幾星霜の時を惰性で過ごして、やがてまどろむように溶けて存在するだけの有象無象になり果てるのだ。

 それは酷く醜悪に感じた。ならばいっそ、綺麗さっぱり消えてしまおう。

 

 

 その大きすぎる決断は、酷く穏やかな心持で行われた。あっさりと今まで培ってきたものを投げ出す自分は薄情だなと思いもしたが、心はまるでバカンスに出かける前日のように晴れ晴れとしていた。やはり自分は薄情なのだろう。準備期間は楽しかった。ただ一人、ばれたら煩そうな友に見つかりやしないかとひやひやしたが、それもスリルがあって楽しかったと思う。

 そして準備は滞りなく終わり……その時は意外にも早く訪れた。

 

 

 

 しかし、やはりあなどれない。最後の最後で見つかって、最期に目にした美しい友の顔は憤怒で染まっていた。豪快に笑う姿が好きだったから、らしくない感情を持たせてしまい申し訳なく思う。だが今さら引き返せるわけもなく、ただ自分だけはと満面の笑みを浮かべて手を振った。

 

 

「今までありがとう。もしもまた逢えたなら、この埋め合わせをいたしましょう」

 

 

 自分の罪悪感を軽減するためのずるい方便は、しかし後々彼女の首を絞めることとなる。

 

 されど未だそれを知るすべは無く、彼女は最後の一歩を踏み出した。

 向かう先は人の世、去る場所は神の世。……天界では“堕ちる”と評されるその一歩は、彼女にとっては楽しい小旅行の始まりでしかなかった。

 

 

 

_________常春の生に、夜が訪れる。そして、新しい夜明けを迎えた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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 今日の天候は曇天からの豪雨である。黎璃は洗濯物が干せなくなったことを残念に思いつつも、多様に変化する空の色は嫌いでは無かった。たとえそれが暗い空模様でも、代わり映えの無い永遠の蒼天よりは好ましい。

 しかし洗濯物が干せないとなると、今日の予定を見直さなければ。そう考え、結果強い雨音に耳を傾けながら読書としゃれ込むことにした。

 

 暖炉にたっぷりと薪をくべて、底冷えする部屋を暖める。そしてミルクパンで膜が張らない程度に牛乳を温めて、自作の陶器のマグカップに注ぐと蜂蜜をたっぷり投入した。同じく自作の陶器皿には数日前に作った酒をよくきかせたチョコ菓子をぜいたくに分厚く切って乗せ、生クリームをたっぷりと添える。甘い飲み物に甘い菓子と、人によっては胸焼けする組み合わせだろうが黎璃にとっては大好物だ。文句をつける人間も居ないので鼻歌交じりに用意する。

 それらをこげ茶のサイドテーブルに置き、読む本を隣に積み上げれば準備万端だ。クッションが敷き詰められた大きな籐の椅子に深く身を沈め、さて物語の世界に没頭しようかと本を開く。

 

 

 しかし、そんな至福の時を邪魔する音が響いた。

 

 ドンドンッ、と家の扉を叩く音のあとに、切羽詰まったような声。それを聞いた黎璃はため息をつくと、そっと本を閉じた。

 

「来客とは珍しい。どちら様ですか?」

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「すみません、突然押しかけたにも関わらず着替えやお茶まで出していただいて。……とても助かりました。ありがとうございます」

 

 深みのあるこげ茶の短髪に緑柱石の瞳を持つ温和そうな青年は、申し訳なさそうにしながらも柔和な笑みで黎璃に礼を言った。人を安心させる笑顔だなと思いつつ、それに対して黎璃もほほ笑みでかえしてからゆっくりとした動作で首をふった。

 

「いえ、お気になさらず。それより服のサイズは大丈夫ですか?」

「ええ、少しきついですが問題ありません。ところでこの服、貴女の物にしては大きいですが……他にも住んでる方が居るんですか?」

 

 目の前の華奢な女性が着るにはいささか大きすぎる服に、他にも同居人が居ると予想して男性が問う。おおかたその相手が留守の間に上がり込んで申し訳ないとでも思っているのだろうが、しかしこの家に住むのは黎璃だけなのでその気遣いは無用である。

 

「いいえ、この家に住んでいるのは私だけです。その服は趣味もかねて作っている副業でしてね……売り物なんですよ」

「そうでしたか。では、後で買い取らせていただきますね」

「ああ、いえ、そういった意味で言ったわけではありません。洗えば問題ありませんから、お気遣いいただかなくて結構ですよ」

「ですが……」

「いえいえ、本当に大丈夫ですから」

 

 いえ、でも、と気遣い合戦のゴングが鳴ろうとしたその時だ。弾けるような歓声が狭い部屋いっぱいに広がった。

 

「うわ! これめっちゃ美味い!! なあなあ、もっと食っていいか!?」

「この馬鹿ザル少しは遠慮しやがれ! あ、でも美味いのには同意。お姉さん料理上手だね~。これチョー美味いよ。甘いもんそんな食わないんだけど、これならいくらでも食べれるね」

 

 黎璃が出した菓子を頬張って満面の笑みを浮かべる幼さの残る顔立ちの青年に、隣に居た真紅の髪の男が鋭く突っ込みつつも鮮やかに表情を色香の香る笑顔に取り換えて黎璃をほめたたえる。その慣れた様子に黎璃は「ああ、女慣れしてる人だな」と感想を抱いた。さりげなく自分の腰に腕を絡めてくるあたり、その感想は正解だろう。

 

「おい、このエロ河童! 人のこと言えねーじゃん! その人の腰から手ぇ離せよ! このエロエロエロエロエロ河童! おねーさん、気を付けろよな! こいつすっげぇエロい馬鹿だから!」

「ああ!? んだって? これは友好を深めるためのスキンシップだっつーの! これだからお子様は嫌になっちゃうね~。あーヤダヤダ」

「何だとぉ!?」

 

 にらみ合いを始めた二人にどうしたものかと黎璃は眉根を下げるが、そこにパンパンっと柏手を打った先ほどの青年が割って入った。

 

「はははっ。2人とも欲望に忠実、という意味ではどっちもどっちですね~。…………………………………………ただでさえご迷惑かけてるんですから、大人しくしていないと駄目ですよ?」

「…………俺、今の間が怖い」

「同感……」

「何か?」

「「いいえ、何でもありません」」

 

 先ほどから賑やかな明るい茶髪に金色の瞳の青年と真紅の髪と瞳の青年は、穏やかな青年の笑顔に隠された真意を感じ取ってかビクビクと縮こまった。彼らの名を順に孫悟空、沙悟浄、猪八戒という。

 

 黎璃の家があるこの森は酷く迷いやすい。旅の途中の彼らは森を突っ切っていこうとしたらしいのだが、ものの見事に迷った上にこの豪雨に見舞われたんだとか。しかも運の悪い事に仲間の一人が体調不良の病人らしく、その雨で容体が悪化し困り果てていたというから不運である。そんな時、黎璃の家を発見し転がり込んできたというわけだ。「地獄に仏とはことことだね~」と悟浄が冗談交じりに言っていたが、“彼ら”について知る黎璃としては苦笑しか出てこない。まさか自分が仏呼ばわりされる日が来ようとは……。扉を開けた先にあった顔ぶれに、内心心臓がひっくり返るほどに驚いたなんて彼らは知るまい。知らせる気も無いが。

 

 黎璃は少々沈み過ぎた思考を引き戻すと、壁際に目を向けた。そこには黎璃の寝床があるのだが、今そこの主となっているのは彼らの仲間である金糸の髪に紫紺の瞳の美貌の僧侶……玄奘三蔵である。今は瞳を固く閉ざし、美しい顔だというのにがっつり眉間に皺を刻んでぐったりとベッドに身を投げ出していた。時々呻いて身じろぎし、その顔色は真っ青だ。

 まさに病人といった様相に、黎璃の表情が曇る。ああ、覚えてないだろうが久しぶりの再会が病人状態とは……なんとも情けない。今生のこの方は、不摂生をしていないだろうか。線の細さが不安を煽ってしょうがない。見たところ成人はしているようだが、きっちりしているようで妙に抜けていたかつての姿を思い出すと不安でしかなかった。いい年こいて初対面の女に心配されるなど不本意だろうが、黎璃としては条件反射のようなものである。

 

「お連れ様は疲れがたまっていたようですね。ただの風邪でしょうが、発熱がひどい。解熱剤は飲ませましたが、しょせん応急措置です。町へついたら、ちゃんとしたお医者様にみせてあげてくださいね」

「何から何までお世話になります……」

 

 先ほどに引き続き申し訳なさそうな八戒であるが、たいして残り2人は馬鹿にするように三蔵を指さしてこそこそと囁きあっていた。

 

「三蔵の奴だらしねぇよな~。これくらいで倒れるなんて」

「三蔵様ったらひ弱なのね~」

「2人とも、小声のつもりでしょうが結構響いてますよ。三蔵に聞こえても知りませんからね?」

「「げっ」」

 

 声をそろえて嫌そうに顔をゆがめる二人を見て、黎璃は仲がよろしいことでと苦笑した。そしてそんな彼女は、するりと悟浄の腕から抜け出すとぬるめに温めていた牛乳を少し深めの皿によそって小さな白い竜の前に置く。なんとこの竜、ジープに化けるのだというから不思議な生き物だ。竜が何を食べるのか知らないので少し不安だったが、嬉しそうに牛乳を舐め始めたところを見るに大丈夫そうである。

 ……それにしても、こんなイロモノが集まって旅とはいったい何が目的なのだろうか。どうせ一時の交わり。藪蛇になってもかなわないのでツッコミはしないが、少し気になった黎璃であった。

 

 

 

 

 

 

 

「ところで、黎璃さんは何故こんな森の中で暮らしているんですか?」

 

 しばらく雑談したのち聞いてきた八戒の言葉に、黎璃は窓の外を指さした。八戒はそれを視線で追うと、この家から少し離れたところに小さな小屋を見つける。

 

「私、こう見えて陶芸家でしてね。この近くの沢の水と土は良い材料なので、ここで作品作りをしているんです」

「なるほど。あの小屋は作業用ですか」

「へえ、じゃあもしかしてこのカップは黎璃ちゃんの手作り?」

「ええ、お恥ずかしいながら」

「いやいや、たいしたもんだって」

 

 感心しながらお茶の入ったカップを見る悟浄だったが、悟空が疑わしそうに悟浄を見る。

 

「悟浄にゲージュツなんてわかんのかよ」

「あ~ん? 食い気だけのお前には言われたくねぇな」

「何だと! 俺だって三蔵の寺で色々見てんだかんな!」

「お前はもっぱら壊す専門だろうが」

「うぐっ……」

 

 言葉に詰まる悟空に、黎璃はふっと笑って助け船を出す。

 

「芸術の善し悪しなど人それぞれですよ。私は使ってくれる人が気にいってくれたらそれでいい。悟空くん、そのカップはどう?」

「すっげ~持ちやすい!」

「ふふっ、それはよかった」

 

 そう優しく笑ってカップにお茶を足してくれる黎璃を見て、悟空は出合ったばかりの彼女に何故か一瞬懐かしさを感じて首を傾げる。しかしその懐かしさは心地よいものだったので、深く考えずこそばゆさに笑ってから礼を言った。

 

「でもこんな森の中で女の子一人危険じゃねぇの?」

「そうですね……最近は妖怪が凶暴化していますし、人気のない森の中の女性の一人暮らしなんてかっこうの餌食ですよ」

 

 黎璃の職業に納得しつつも、物騒な一人暮らしを懸念して悟浄と八戒がそれぞれ心配そうに黎璃を見た。今回は助かったが、見ず知らずの男4人を家に入れる時点でかなり危機感が薄いように思える。もし妖怪が襲ってきたら、華奢な女性一人などあっという間に犯されて食われるだけだろう。

 

 しかし、黎璃にとってその心配は無用のものだ。

 

 

「ああ、それは……」

「…………これだけ強力な結界が張ってあれば、そんなこともねぇだろ」

 

 悟浄と八戒の言葉に答えようとした黎璃の声は、気だるそうな美声に遮られた。見れば黎璃のベッドからまだ顔色の悪い三蔵が体を起こしている。

 

「おい三蔵、寝てなくていいのかよ? まだ顔色すっごく悪いぞ!」

「うるせぇ……! こんな何処だか分らない場所で、寝てられるか」

 

 そう悪態をつく彼を見て、黎璃は「そういえばここに来た時彼は気絶していたな」と思い出す。なのでとりあえず、黎璃は一番温かい場所に陣取っているクッションを敷き詰めた籐椅子を三蔵にすすめてから自己紹介をした。

 

「初めまして、三蔵法師様。私はこの森で陶芸を営んでいる者で、名を黎璃と申します。先ほどあなた方が雨にぬれて訪ねてこられたので、宿を提供させていただきました」

「……そうか、世話になったな。知っているようだが、俺は玄奘三蔵だ」

 

 三蔵は礼を言いつつも勧められた椅子には座らず、怪訝そうに黎璃を見た。そしてこの森に入る時のことを思い出す。

 

 

 

 

 

 入る瞬間までその存在に気づけぬほどさりげなく、しかし巧妙に張り巡らされた結界がこの森一帯を囲んでいたのだ。

 

 悟空たちが入れたところを見ると妖怪全てにきくわけではないのだろうが、何かしら悪意をもったものを寄せ付けない類の物なのか……森に入るまでしつこく追ってきていた妖怪たちが森に入った途端ぱったりと現われなくなった。そして中に入ったら入ったでどこの霊場だと言わんばかりの霊気と生気の密度の濃さに驚いた。その影響を受けてなのか、わさわさと元気に生い茂る木草が我が物顔で道を浸食していて途中からどこが道で何処がそうでないのか分からなくなり……結果、方向感覚が狂って迷ったのである。

 結界はともかく、濃すぎる霊気と生気は生物にとっていいとばかりは言い切れない。その中で暮らしているのだから、てっきりこの結界を張った張本人かそれに連なる者だと思っていたのだが……居たのは徳の高い僧侶ではなく、陶芸家の女性だった。

 どうにも怪しく、素直に好意と受け取れない。三蔵は用心深い性格をしていた。

 

 その疑問を口にした三蔵の言葉に、悟空たちの視線が黎璃にむけられる。しかし黎璃は内心を悟らせることも無く、すらすらっと言葉を紡いだ。

 

「連なる者……というのは、合っているかもしれませんね。私の家は代々この土地で陶芸家として生きてきましたが、ずっと昔のご先祖様は高名な霊能者だったそうです。その方が家族と共にこの土地に住むと決めた時に災いから家族と子孫を守れるようにと結界を張り、その血族がここに住み続けることによって結界の力が増したと聞いています。これ以上は祖父母も両親も亡くなっているので詳しく説明することは出来ないのですが……。とりあえず、悪意を持った者に襲われる心配はありません。ありがたいことです。ご先祖様には感謝しなければ」

「へぇ~! すっげえな!」

「つーことは、だ。ここに居る間はむさい野郎どもにデートに誘われることは無いってわけか。……ああいや、こっちの話。気にしないでね~」

 

 

 

 感心する悟空と悟浄に黎璃は笑みを深めるが、今話した事はほぼ全部嘘である。

 

 

 

 黎璃は乳飲み子の時に捨てられたために祖父母どころか両親が生きているか死んでいるかも知らないし、陶芸は黎璃が趣味で初めてそれが高じて仕事になっただけ。土質と水質のよい土地を探して、ここを見つけて家を構えたのは5年前。ついでに言うと、この森の結界が張られたのも5年前である。先祖代々などと、由緒あるもののようにふるまうにはおこがましい浅い歴史だ。

 

 それらを顔色一つ変えずに話した黎璃だが、簡単には騙されてくれないような疑いの視線に内心少し困っていた。

 

 

(面倒くさい人たちですね……。素直に騙されてはくれないか)

 

 

 疑いの視線を向けてくる三蔵。そして柔らかい笑みで悟らせまいとしているが、探るような含みのある視線をよこす八戒。

 

 黎璃としてはこの出会いは偶然の産物、一時の交わりだと割り切っているのであまり気にするものでもないが、かつての知り合いにそんな目で見られるのはどうにも居心地が悪い。宿を貸して服を貸して看病してお茶まで出して……少しは感謝してありがたがってくれてもよいものだろうに。

 まあ、それだけ彼らの旅は油断ならないものなのだろう。そう納得することにして、黎璃はそのまま笑顔で誤魔化しきることにした。

 

「そういうわけなので、安全性はずっとここで暮らしてきた私が保証しますよ。さて、三蔵さんは折角起きられたんですから軽食でもいかがですか? 体力をつけて、早く体を治さなければ。もう時間も遅いですし、今夜はよければ泊まっていってください」

「そうですね……黎璃さんにはもうしわけないですが、そうさせてもらいましょうか。三蔵、いいですか」

「…………チッ」

「では、黎璃さん。お言葉に甘えてお世話になりますね」

 

 舌打ちが返事代わりなのはいかがなものか。そう思った黎璃であるが、指摘してもこの美人の機嫌が悪くなるだけだろうと懸命にも指摘の言葉を胸にしまった。

 どうやら三蔵の話を聞いて疑わしい気持ちが生まれたようだが、八戒はまだ自分を信用してくれているようだ。ここは藪蛇しないで、さっさと泊めて朝になったら穏便に送り出すのが吉だろう。

 そう考えた黎璃は、三蔵に提供する食事を作るべく笑顔のまま台所に向かった。寝ている時よりもひどい眉間の皺は見なかったことにしよう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 数日後。

 

 前日までの豪雨が嘘のように、気持のよい晴天が頭上に広がっていた。しかしそれを見上げる黎璃の目は胡乱げである。

 

 何故なら今いる場所は住みなれた家の庭でも、庭同然と言っても良い森の中でもなく……がたがたと舗装されていない道を走るジープの車内だからだ。

 過ごした時間は短いが、その中で聞きなれてしまった左右の喧騒も気にならないほど何かを悟った気分だった。横を銃弾がかすめていこうが、ぎゃーとか叫んで左右からぎゅうぎゅうと抱きつかれようが、最早無我の境地である。

 

 そしてふと、前世で一回途切れたはずの縁が再び繋がったような感覚を覚える。……出来れば嘘であってほしいと、黎璃は深くため息をついた。

 

 

 

 

「本当にすみません、黎璃さん」

 

 心底申し訳なさそうに謝ってくる八戒に、黎璃は薄く笑って「いいえ」と首を横にふった。

 

 

 

 事の発端は、三蔵一行が旅立つ時に道案内を申し出たこと。

 

 彼らがやってきてから、3日間豪雨が続き4人は三蔵の療養を兼ねて黎璃の家に滞在した。雨がやみ、三蔵も体調を回復させた今日の朝……初めは迷いやすい森の出口まで案内をして終わる予定だった。しかし、問題は出口に案内した後に起こった。

 

 ほんの僅か。本当に少しだけ……結界のある部分を抜けた途端、三蔵達を待ち伏せていた妖怪たちに襲われたのだ。それはもう、3日間ためこみましたと言わんばかりの超団体でのお出ましだった。

 そこから入り乱れての大乱闘になったのだが、いかんせん数が多い上に妖怪たちはターゲットである三蔵一行の他、無力そうな黎璃まで襲ってくる。黎璃は初め結界の中に逃げ帰ろうとしたのだが、焦った悟空に抱え込まれて、ジープに放り込まれてしまったのだ。そしてそのまま脱出し、長い長い歓迎御礼豪華絢爛な襲撃パーティーのレッドカーペット(※妖怪の血)を抜けたらすでに森から遠く離れていたというわけで……。

 まごう事無きとばっちりである。

 

「ごめんな、巻き込んで……」

 

 しゅんっとうな垂れる悟空だったが、あの場合は普通の人間が置き去りにされたら妖怪のいい餌だ。黎璃をジープに放り込んだ悟空の咄嗟の判断は間違っていない。……間違っていないが…………どうせなら結界側に放り投げてくれればなおよかった。まあ、こうなってしまったものは仕方がない。

 どうせだからと、黎璃はそのまま次の町までの案内を申し出た。乗り掛かった舟ならぬ乗り掛かったジープである。これも何かの縁だろう。

 しかしながら、後部座席の真ん中……一人はまだ小柄とはいえ、戦うための筋肉の付いた青年2人にサンドされている状態は少し息苦しい。出来れば長くは乗っていたくはないものだと、黎璃は早く町に到着することを願った。

 

 しかし、その前に落ち込んでしまったこの青年を慰めなければ。子供のような彼が落ち込むさまは、どうも罪悪感を覚えさせる。黎璃は彼の少年時代を少し知っているだけに、その思いも顕著だった。放っておくには憐れである。

 

「大丈夫ですよ。町には買い出しによく行くので、知り合いも居るからしばらくそこに泊めてもらいます。ほとぼりが冷めたらちゃんと家には帰れますから心配しないでください」

 

 くしゃりと同じ目線にある少年の頭をなでると、悟空はくすぐったそうに笑って頷いた。うむ、この子にはやはり笑顔の方が似合う。そう思いつつ、黎璃も満足そうに笑うのだった。

 

 が、そこに水を差す者が一人。

 

 

「………………ずいぶんと、血に慣れているな」

 

 丁度会話が途切れた時、今まで悟空と悟浄に罵声を飛ばす以外声を出していなかった三蔵が口を開いた。その言葉に悟浄はそういえばと、先ほどの血しぶきが容赦なく飛び散る戦いを思い出した。

 自分たちにとってみればいつものことだが、戦いになれない一般女性があんな光景を見たら怖がるのではなかろうか。…………特に武器の特性上、一番血を撒き散らしてしまう自分などは。しかし彼女は、悟浄が肩を抱いて言い寄っても微笑でやんわりと嗜めることはしても、嫌悪の感情は向けてこない。考えてみれば奇妙なものだ。

 

「ああ、自給自足の生活ですからね。狩った猪や鹿を自分でさばいていますから、血とか別にいまさらですし……」

 

 猪狩るの!? 黎璃の細腕を見ながら思わず声をあげそうになるが、なんとか飲みこんだ悟空と悟浄である。人は見かけによらない。

 

「…………や、でもこう言っちゃ何だけど、動物と、人間に近い姿の妖怪が死ぬのとは違うだろ? 怖くないの? たとえば、一番殺してた俺とか」

「あ、ズリィ! 一番ブッ倒したの俺だぞー!?」

「悟空、今は勝ち負けだとかは置いておきましょうね」

「ウルセぇぞ猿」

「う……! な、何だよ2人して~」

 

 思いがけず八戒にたしなめられ、三蔵に叱られた悟空は落ち込んだ。黎璃はそんなやりとりを見ながら「こんな愉快な集団を怖がれと言われてもな……」と内心思う。正直黎璃自身が護身のために妖怪を殺したことがあるため、特に彼らを忌諱することはない。が、それを言ってはまた三蔵あたりに警戒されてしまうだろう。なのでとりあえず、場を収めるために少し考えてからその内容を口にした。

 

 

 

 

「逆に見ててちょっと爽快でしたよ? 勝てないのに向かってくる彼らは滑稽でしたね。ふふっ」

 

 

 

 隠れドS。黎璃にとって不本意な印象が増えた瞬間である。

 

 

 

 

 

 

 

 そしてしばらく走ったのち、目的の町に到達する前に彼らは奇妙なものに遭遇することとなる。

 

 

「おい…………何だよコレ……」

「!!」

 

 死臭。それを放ち、壊れたおもちゃのように積み重なるのは妖怪の死体。それも全て体中に札を張り付けられているものばかりだった。

 しかもただ死体が腐っただけではない……言いようのない腐臭を放つ空気に満ちていて、吐き気がした。

 

 

 

 

 気分の悪いまま町へ着くが、その前に雨が降り出したため全員ぬれ鼠再びである。今度はそれに黎璃も加わってしまった。

 

 黎璃は知り合いが勤める宿へ三蔵一行を案内すると、自身も濡れていたため、その知り合いである少女に半ば強引に着替えさせられた。そして彼女は普段まったく男っけのない黎璃が連れてきた男4人に興味津々である。

 

「ねえねえ黎璃! あの人たちとはどういう関係!?」

「宿を提供した家の主人と旅人達だねぇ」

「説明早ッ! へ~、あの人たちあんな辺境の森を通ってきたわけだ……」

 

 なるほど~と頷く彼女に、黎璃は苦笑しながらかるく頭を小突いてやる。

 

「辺境で悪かったね。」

「ああ、ゴメンゴメン。でも4人とも格好いいじゃない! どうしよ、今からお茶持ってくんだけどドキドキしてきちゃった」

 

 可愛らしく恥じらう友人にとりあえず「赤毛のお兄さんはたらしっぽいから気を付けてね」とだけ釘をさす。案の定、お茶を運んだ友人は悟浄に部屋を教えてと聞かれたらしい。

 

 

 そして着替え終わった後宿の主人にあいさつに行けば、事情を話したらしばらくここに泊ればよいと言ってくれた。今戻って妖怪の残党に出くわしてもたまらないので、黎璃はその好意に甘えることにした。後日お礼に、今度陶器をいくつか持ってくると約束する。

 

「そりゃあ嬉しいねぇ。黎璃先生の作品はお客さんにも評判がいいんだよ」

「おや、それは嬉しいですね。ですけど、まだまだ先生と言われるほどの腕ではありませんよ」

 

 困ったように笑う黎璃に宿の主人も人好きのする笑顔でそうかい? と笑う。

 ふと黎璃は思い出し、気になっていたことを彼に聞くことにした。

 

「あの、少しお聞きしたいことがあるんですが……」

「ん? 何だい」

「ここに来る途中で札を貼られた妖怪の亡骸を見たんです。どうも気になって……」

「ああ! そりゃあ六道様だよ。黎璃ちゃんはしばらく町に来てなかったから知らんかったんだな」

「六道様?」

「最近、このあたりで救世主とも呼ばれてるお坊さんだよ。妖怪退治のために各地を転々としているんだと。」

「へえ、それはまた珍しい人が来たものですね」

「助かってるよ、本当。あの方の呪符はどんな妖怪だって滅しちまう。凄い力を持った法力僧さ」

「そうなんですか。……ありがとうございました」

 

 主人に礼を言い、世間話をした後用意してもらった部屋に戻る。疲れた体を投げ出してベッドに横になると、身に付けた装飾品の金属がこすれてじゃらんっと音がした。それを鬱陶しそうに見た黎璃であるが、わけあってこの装飾品類は外すことが出来ない。邪魔以外の何ものでもないそれは、慣れた今となっても時々煩わしい。

 

 黎璃は天井を見上げる目を細めて先ほど聞いた話を反芻する。

 

「法力僧か……」

 

 少なくともまっとうな坊さんではなさそうだな、と黎璃は考える。でなければ、札からあんな臭気を感じるものか。

 その場を通り過ぎるまで口呼吸をしてみたが意味は無く、未だにあの臭いが鼻の奥に残っているようで胸やけがする。

 

 あれはきっと、何か“墜ちた”存在だ。関わらない方が無難だろう。

 

 黎璃は三蔵達に別れのあいさつをするのは明日にしようと決めると、気分の悪さを誤魔化すようにそのまま眠りの中へと体をゆだねた。

 

 

__________ 外は雨がふっている。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 友人の悲鳴と、ガラスの割れる音。

 

 

 

 ビクリと体を震わせた黎璃はすぐにとび起き、音のした方へ駆けだした。そして階下へ降りると、悲鳴をあげた友人が蹲っているのを見つけて声をかける。

 

「どうしました?」

 

 驚かさないように出来るだけ優しく声をかけると、友人は肩を震わせたが相手が黎璃だとわかるとほっとした顔になる。しかし未だに震える体を見て、黎璃は彼女の頭を胸元に抱き寄せて背をさすった。

 

「妖怪が……調理場に……! 料理長のおじさんが、食べられ……ッ」

「!」

「今、黎璃の連れてきたお客さんが来てくれて……戦ってくれてるけど……怖くて……ッ」

 

 それを聞いてひとまず安心する。彼らならそこいらの妖怪には負けないだろう。…………だが、亡くなった料理長のことを考えると悔やまれる。近くに居ながら気付かなかったとは、不甲斐ない。どうやら結界に引きこもっているうちに勘が鈍ったようだ。

 

 とりあえずこの場は彼らに任せよう。そう思い、友人をこの場から遠ざけようと抱いたまま立ち上がろうとした時。

 

「ッ!」

 

 一瞬だけ飲んだ息をゆるく吐き出し、黎璃は背後に立つ存在を見るべく振り返った。

 悪い意味で無視できない存在感をまとってそこに立っていたのは、体中に札を張り付け錫杖を持った僧侶。彼は黎璃と目が合うと、口の端をあげて笑った。しかしその笑みは絶対の自信に彩られながらもいびつで、少なくとも黎璃の目には不気味に映った。しかし黎璃の警戒を歯牙にもかけず……というより気づきもせずに、僧侶は口を開く。

 

「安心されよ。この六道が、ただちに妖怪を滅してくれよう」

 

 その言葉に黎璃は相手の正体に気づいたが、実物からは先ほど見た札とは比べるべくもないほどの瘴気が感じられた。思わず顔を背けそうになったが、流石に失礼だと思い直す。

 とりあえず様子を見守ろうとそのまま厨房に入っていく六道を見送ると、腕の中の友人が希望のこもった眼でその後姿を見ていた。

 

「六道様……六道様だわ! きっと妖怪を退治してくださる!」

 

 喜ぶ彼女の体の震えは止まっており、友人を安心させてくれたことには六道に感謝した。しかし黎璃は男の放つ気配から嫌な予感を感じ、友人に部屋へ戻っているように言い含めてから六道に続いて厨房に入る。すると丁度六道の札により妖怪が息絶えるところだった。気配は不気味だが、仕事の早さは評価に値するだろう。

 感心しながら見ていると、先に厨房に入っていた悟空と目があったのでなんとなく手を振ったらつられたのか振り返してくれた。…………なごむ子だ。

 

 幼さの残る青年の反応に多少癒されていると、部屋へ戻るようにと言ったはずの友人が厨房をのぞき込んでいた。そして妖怪が倒されたと分かるなり、感動したように目に涙を浮かべて六道に礼を言う。

 

「あ、ありがとうございます! 六道様!!」

「礼などいらん。これは俺の使命だ」

 

 六道に近づいた友人の肩をさりげなく引き寄せると、黎璃は有無を言わせぬ声色で彼女に今度こそ部屋に戻るよう言い聞かせる。友人は不思議そうにしながらも、気が抜けて疲れが出たのか素直に頷いてくれた。

 そうして友人が部屋に帰る所を見送っていると、穏やかな声が黎璃の名を呼んだ。しかし穏やかながら、その中には諫めるような響きが含まれている。

 

「黎璃さん。悲鳴が聞こえたのでしょうが……危ないので、こういう時は迂闊に来てはいけませんよ。貴女も早く部屋に戻って休んでください」

「ああ、ええと……すみません」

 

 諫めつつも、八戒の表情には己を気遣う色が見えたので黎璃も素直に謝った。

 そして自分たちが最初に戦っていた相手をあっさり倒されたからか、拍子抜けした表情の悟浄と悟空がそれぞれ部屋に帰ろうと厨房を出ようとする。

 

「よくわかんないけど、そいつが片づけてくれてラッキーってカンジだしぃ? 俺らも部屋戻るわ」

「俺も眠い……。黎璃~また明日なー」

 

 そんな解散ムードの漂う中、黎璃は六道と唯一緊張を解いていない三蔵の様子を伺った。三蔵はわずかに青い顔色で六道を見ている。黎璃に向けたような疑いの目ではなく、何かに驚いたような……。

 

(知り合い?)

 

 ジャラン

 

 黎璃が推測交じりに三蔵を見ていると、錫杖についた金色の輪が奏でる音が厨房内にやけに大きく響いた。そして視線をそちらに向けると、悟浄の首に錫杖の先をつきつける六道の姿。それに対して悟浄は煩わしそうに問う。

 

「…………何」

「貴様ら人間か?」

「また随分と、不躾な質問ですね」

 

 六道の言葉にけん制するように八戒が口を挟むが、六道は気にせず言葉を続けた。

 

「俺の目はごまかせんぞ。貴様ら三人とも、妖怪だな」

(おや)

 

 それを聞いて黎璃はなるほど、と内心で頷いた。人間にしては何処か雰囲気が違うなと感じてはいたが、今世での彼らは悟空に加えて2名が妖怪のようだ。少しだけ驚いた黎璃だが、かといって特に抱く感想も無い。強いて言うならば何処へ行っても普通では済まない方たちだなと、妙に納得したくらいである。

 

 

 が、この六道と言う男にとって彼らが妖怪であるという事実は見逃せないもののようだ。

 

 

 

「だったらどうだってゆーんだよッ!!俺たちは……」

「悟空」

「言っただろうが……。全ての妖怪を俺が滅すると……!!」

 

 悟空の言葉に耳を貸すことも無く、六道は先ほど滅した妖怪へしたように悟空に札を投げつけた。悟空は札を避け何とか反撃に転じようとするが……狭い室内ということもあってか、大きな動作を得意とする悟空の動きが裏目に出た。簡単に避けられ、背後をとられたのだ。そして悟空に錫杖の打撃が迫るが……それを手で受け止めた者がいた。

 

 

 紫紺の瞳で六道を見つめるのは美貌の僧侶、玄奘三蔵である。

 

 

「朱渶……。何してんだ、あんた」

「! お前は……」

 

 やはり知り合いか。黎璃は己の憶測が当たっていたことを知りそのまま様子を窺っていたが、思いがけず三蔵の過去を知ることになってしまった。

 

 

 

 

 

 

 ___________妖怪の夜盗に惨殺された先代の三蔵法師。奪われた聖天経文。

 

 彼は師の仇を討ち、聖天経文をとり返すために対となる魔天経文を手に“三蔵”を継いで寺を下りた。

 

 しかしその後、とりそこねたもう一つの経文を狙い再び妖怪たちが襲ってきた。それらと戦うために六道こと法力僧であった呪符使いの朱渶は、「阿頼耶の呪」と呼ばれる禁忌の術に手を出したのだ。…………その結果、妖怪を殺さなければ激痛にさいなまれる呪われた体へとなり果てたのだとか。

 

 ……10年。その長い期間を、罪も無い妖怪までも殺して痛みから逃れようと生きてきたのだと男は嗤う。

 高笑いするその姿に、恐らく三蔵が知る彼の面影は残っていないだろう。酷く苦し気に顔を歪めた三蔵の頬を汗が伝い落ちた。

 

 

 

 

 

 

 黎璃は本来知るはずの無かっただろう三蔵の過去に、なんと間が悪いとこっそりため息を吐き出した。

 

(あのお方は、どうしてこうも数奇な星のもとに生まれるのか。……おいたわしい)

 

 知らなければ、こうして嘆くこともなかったものを。新たな生を受けて生きている姿を見られて良かったと……そんな風にこの一時の出会いに感謝していたのに、なんとも余計な事を知ってしまった。

 

 黎璃はかつての“主”の魂を宿した男の運命に心の中で渋い顔をしながらも、屋外へと戦いの場を移した彼らを追って外へ出た。しかし横からぬっと腕が出てきて、外へ出ようとした黎璃の動きを止めた。そしてその主は、たった今知らぬ間に黎璃に同情を投げかけられていた三蔵その人である。彼はその美貌でもってきわだつ鋭い眼光で黎璃を睨みつけた。

 

「とばっちりで死にてェのか」

「三蔵法師様……」

 

 いや、気遣ってくれるのは嬉しいが……あなたは戦わないのかと、黎璃は自分の腕をつかんだ男を無言で見つめ返した。

 雨の中で対峙した六道と悟空、悟浄、八戒に対して、三蔵は雨に濡れない屋根の下で壁に背を預けている。…………まるで戦おうという気が見て取れない。相手はかつての知り合いだろうに、それでよいのだろうか。

 しかし黎璃の呆れたような視線も、悟空が投げてよこしたこちらも同じく呆れを含んだ視線も彼は気にしない。

 

「三蔵……ズリー……」

「どうした玄奘三蔵! やはり妖怪には手を貸せんか?」

「……ちげーよ。俺が手ェ貸さなかろが、どうせ。……死なねーもんそいつら」

(いや、死ななかろうがどうしようが、知り合いとして貴方が彼を止めるべきなのでは……)

 

 当然とばかりに言い切った三蔵に、黎璃は思わず心の中で突っ込む。そしてこの場の空気を壊さないために言葉に出さないだけ賢明であったと少しだけ自画自賛した。

 

「……ま、そりゃそーだ」

「死んでもお経上げてくれなさそーですしねぇ。三蔵、そこに居てくれていいですから黎璃さんを頼みますよー」

 

 しかし黎璃の呆れなど知るはずもない彼らの実にあっさりとしたやりとりに、彼らには彼らなりの信頼関係があるのだろうと黎璃は納得した。言葉にすれば即座に否定されそうではあるが、これが彼らのスタンスなのだろう。

 一時的に知り合っただけの自分が口を出すのは無粋であろうと、黎璃はやはり突っ込まなくて正解だったと再び小さく自画自賛した。

 

 

 そして短いやり取りの後すぐに戦闘は再開されるが、黎璃は三蔵に腕を掴まれたままである。見れば三蔵の視線は六道に向けられており、その真剣さを見るにやはり思うところはあるのだろう。黎璃の腕を掴んでいる事などとうに忘れている様子だ。

 

 黎璃はしばし逡巡したが、意を決して三蔵に話しかけた。返事が返ってこなければそれはそれで構わないと思う程度の、軽いお節介である。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「あの六道……本名は朱渶さんでしたか? お知り合いのようですが、苦しそうですね」

「……何が言いたい」

 

 静かな声で話しかけてきた女に言葉を返すと、返事があるとは思わなかったのか女の切れ長な目が見開かれた。だったら話しかけるなと言いたいところだったが、その前に女……黎璃は言葉を続ける。

 

「僧侶の最高峰に座するあなた様にこんなことを言うのは、釈迦に説法と言われてしまいそうですが……死は終わりではありません。魂はまたいずれ巡るでしょう」

 

 空気に溶けるような、不思議な声色だった。

 まるで自分等よりはるかに長い時を生きた老人のようなそれに、一瞬虚をつかれるも三蔵は最初に舌打ちでもって答えた。

 

「チッ、言われるまでもねェ。……何だ、さっさと引導を渡してこいってか?」

「いえ、そういうわけではありませんが……。ご不快に思われたのでしたら謝罪します。申し訳ありません」

 

 特にこだわって言葉を重ねるわけでもなく、黎璃はすんなりと頭を下げた。先ほどの言葉には傍観するていで内心躊躇っていた自分の心を見透かされたようで不愉快に感じた三蔵であるが、あっさりと身を引いた態度を見てやや拍子抜けする。

 雨宿りや看病、道案内など世話にはなったが、他の3人と違い彼女と交わした会話の数は少ない。森の結界や妖怪の惨殺現場にも物怖じしないなど不審な点にうっすら警戒していた相手ではあるが……少なくとも、こちらを気遣うようなそぶりに嘘偽りは無いように見受けられる。だからこそ、逆にその素直さが三蔵に居心地の悪さを覚えさせた。

 

 …………朱渶を呪いから解放する手段は一つだけ。もう、殺してやるしかないのだ。

 

 どういうわけかこの女もその手段を理解しているようだ。そのうえで、殺すことは罪科では無いとでもいうような内容の言葉を口にする。

 

(言われなくても分かってんだよ……。お節介もいいところだ)

 

 結論はもう出ていた。今のあの男にとって、生は苦痛でしかないだろう。生きたまま救ってやれるすべを持たない自分が酷く不甲斐なく腹立たしい。

 彼との過去を、師と過ごした時間を……思い出して柄にもなく郷愁のような感情に浸った心が、行動をためらわせていた。脳裏をかすめる青空を舞う橙が分厚い雲に覆われた雨空に重なる。

 

 しかし、このまま何もしないことこそ自分への裏切りだ。

 郷愁などに囚われず、進め。

 

(テメェのことで手いっぱいなことなんざ、とうの昔に分かり切ってる)

 

 別に女の言葉に背を押されたわけでは無い。しかし、確固とした意志でもって三蔵は雨でぬかるんだ地面に一歩を踏み出す。

 

『貴方らしい』

『お前らしいよ』

 

 知るはずのない過去と、かつて過ごした時間の幻影が重なった。

 三蔵はそれを振り払うように乱暴に雨の中を進むと、かつての友に銃を向けた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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