「誰かが私を呼ん――」
「「呼んでない。帰って、どうぞ」」
「な、何よもー!」
と、博麗霊夢と小悪魔の頭上で、悪魔然とした翼を羽ばたかせている少女――紅魔館の当主レミリアは、小悪魔の蛮行を止めようと顕現した。
助かった――が、正直に言うと、嬉しい登場とは思えなかった。
てっきり、博麗霊夢の危機に駆け付けることの実績がある魔理沙が助けに来てくれたのではないかと期待していたので、レミリアの姿を視認したときはつい落胆してしまった――別に来なくても良かったとか、そんなことは思っていない。レミリアの登場に驚きを隠せなかったのか、小悪魔の博麗霊夢を抱擁(拘束)をする力は緩み、その一瞬の隙で小悪魔の抱擁を解くことができた。結果的には助かったし、レミリアには感謝している。
博麗霊夢は小悪魔から大きく距離を取った。
「あっ、もう少しで霊夢さんをエロ同人みたいに出来たのに……レミリア様、お邪魔は駄目ですよぉ」
「……ほんとにその展開に持ち込むつもりだったのか……」
なんやかんや言ってそっち路線の展開にはならないはずと心の奥底で楽観していた博麗霊夢だったが、どうやらあのまま事が進んでいたら、本当にそっち路線の話になっていたらしい。
予想に反して、今回は魔理沙ではなくレミリアが霊夢を救済しに来たのでつい拍子抜けしてしまったが、すんでのところで現れてくれたレミリアには感謝してもしきれない。
そのレミリアは現在――
「ねぇ霊夢。エロ同人ってなに? ねぇねぇエロ同人って?」
と、お茶の間を凍り付かせるような疑問を飛ばしているのだが、当然いくら感謝していようと答えるつもりはさらさらない。
「なんかレミリアの声が聞こえたけど――って、なんだ。妙にここだけ人口密度高いな」
「貴方たち、本棚の影に隠れて何してたのよ……」
レミリアが救済に入るときの大声が聞こえたのか、先程まで雑談を交わしていた魔理沙とパチュリーがやってきた。
翼を羽ばたかせて空中に浮かぶレミリアは地に足を付け、怒り心頭と言った感じでパチュリーに食って掛かる。
「パチェッ! あんたの秘書、私の霊夢に手ぇ出そうとしたんだけどっ!」
「……こぁ、貴女またやったのね……」
「てへっ☆ 霊夢さん可愛いから!」
と、可愛い子ぶって舌を出す小悪魔。
何でも許したくなるような茶目っ気を装っているが、更に小悪魔に対する嫌悪感が増した博麗霊夢なので、もはや吐き気しか催さない。
そんな小悪魔は、ある質問をレミリアに問う。
「そういえばレミリア様。あなた、なんで助けに入ったんですか?」
「霊夢が困ってるから」
「いえ、そういうことを聞きたいのではなくてですね……私、霊夢さんの口を塞いでたので、助けを求める声が聞こえるはずないのですが」
それは、博麗霊夢も気になっていた。
心の中では絶叫していたが、あのとき博麗霊夢は口を塞がれており、頼みの綱の運でも流石にこれは無理なんじゃないかって言う状況に置かれていた。
絶体絶命、万事休すという状況だった。
「……それ、私も気になるんだけど。教えてくれないかしらレミリア」
「霊夢が私にお願いを……っ。
ふっふっふっ、ならば仕方があるまい、教えてやろう……っ!
我が最狂最悪の『運命』を垣間見る権能――世界を観測し奏する我が能力が、ふと私に未来の一滴を告げたのよっ!」
「つまり、予知夢を見たってこと」
レミリアの厨二極まり無い説明を、パチュリーは要約して言った。
「……パチェ、予知夢じゃなくて、世界が告げたと言いなさい」
「あーはいそうだったわね。前言撤回するわ。つまり、神から啓示をお受けになったってことよ」
「神じゃない! あんなゴミ屑共の啓示なんか来ても信じないわよ!」
「……えーと、つまりアンタの能力のお陰で私は助かったということね」
レミリアの能力、『運命を操る程度の能力』――あんまりよく分からないレミリアの能力だが、今回はその力に助けられたということだろう。
流石は運命に愛されている博麗霊夢。
真の意味で運命に助けられた。
「まぁ、ありがとうとだけ言っておくわ。お礼の品はないけど」
「――っ!
ぱ、パチェ。いま聞いた!? 霊夢が、私にありがとうって……っ!」
「はいはい聞いたわよ。よかったわねレミィ」
「……私は初めて言葉を喋った赤子か」
礼くらいで大袈裟すぎるだろう。
一時の感情だと思い、あの異変から一週間が経った今、流石にもうレミリアの博麗霊夢に対する謎の好感度は薄れたのではないかと期待していたが……この様子を見る限り、下がるどころか上昇している。
いつになったら冷めてくれるのだろうか――レミリアの、博麗霊夢に対する熱狂は。
「……霊夢さん霊夢さん。外の世界では、レミリア様みたいな人のことを『ドルオタ』って言うんですって」
「…………」
博識霊夢に寄り耳打ちしようとした小悪魔。
が、小悪魔が接近したのに危機感を覚えた博麗霊夢はその囁きを聞かずに反射的に離れて、魔理沙の側に移動した。
「ん? 霊夢、どうしたんだ」
「……ごめん魔理沙。それ、寄せ付けないで」
「それ扱いって酷くないですかぁ」
それ扱いされても仕方が無い行為を博麗霊夢にしたのだ。
あるかも分からない金銀財宝なんてもう忘れて、とっとと家に帰りたい気分の博麗霊夢だった。
「……そういやお前ら。さっきまでここで何してたんだ?」
「やめて! 何も聞かないで!」
「ははっ、それはですね――」
「黙らないと消すわよ」
「こわいですねぇ」
そう言って小馬鹿にしたような笑みを溢し、そして流れるように小悪魔は場を去った――突然の離脱。
とはいえ大図書館から去ったわけではない。遠くにある机から書物を何冊か抱え、螺旋状の階段を上り2階へと行った。
おそらく秘書の仕事を再開したのだろう。
もしくは、開始した、か。
まぁ視界から消えてくれるならどちらでもいいが――可能ならもう金輪際関わりたくない。
切にそう思う博麗霊夢だった。
「――そういえば貴方たち。いえ、そこの泥棒はともかく博麗の巫女。貴方が紅魔館に来るのは珍しいけど、何か用事でもあったのかしら」
幸薄そうな魔女、パチュリーは博麗霊夢に問うた。
「パチェ、言わずとも分かるでしょ――私に会いにきたのよ」
「それは違うわよ」
「――えっ」
「いや、そんな驚愕しなくても」
さも当然のように言ったレミリアだけど、むしろ博麗霊夢は可能な限り会いたくないと思っていた。
無論、金銀財宝が無かった場合は口車に乗せて金をせびる所存だったが――金銭が関わった途端、心の無痛病になり痛む良心を見失い冷酷になれる博麗霊夢だが、逆にそれ以外のときは、(自称)心優しき少女なのだ。
レミリアの博麗霊夢を見る尊敬の眼差しは――正直、かなり辛いものがある。
慕われている理由は、おそらく異変の最終決戦で、博麗霊夢がレミリアを打ち倒したことが関わっているとは思うが――あの勝利はマグレの産物であり、博麗霊夢の実力で得たものではない。
完全なるマグレである。
――自分でもそれを自覚しているので、騙しているつもりはないのにこの幼い吸血鬼を騙しているようで、とても心が痛んでいる。
「うー……ま、まぁ、気まぐれな霊夢だし、たまたま遊びに来ただけよね! うん、わかっているわよ……」
しゅんと露骨に落ち込むレミリア。
……そんな泣きそうな顔するな。
すぐに泣くから子供は嫌いなんだ。
そう心内で吐き捨てた後、上っ面だけの不器用な笑顔を頑張って形成し、
「まぁ、アンタの顔を拝みに来た。って理由も無くはないわよ」
と言った。
「……れ、霊夢」
レミリアは感動に震え、目を潤ませた。
時には大人の真意を見抜く子供だが、大人の愛想笑いを本物だと思い込むのもまた子供。
騙そうと思えばあっさりと騙せるものだ。
――いや、騙すつもりがなくとも、時には騙してしまうものだ。
博麗霊夢の『史上最強の博麗』の噂を完全に信じ込んでしまっているレミリアのように――
「うんっ。やっぱりそうよね! 優しくて強くて、誠実で勤勉で、逞しくて強くて、誠実で勤勉で勤勉な、私のパーフェクト霊夢だもん! 霊夢のその力を更に引き出す者、優秀なカリスマを持つレミリアを求めるのはもはや必定! 大丈夫よ霊夢。すぐにあなたの手綱を締めているスキマ女をぶっ潰して、私が主人となってあげるんだから!」
「…………」
「あっはっはっはっ! すぐにぶっ潰してやるあのスキマ!」
……これ、騙されているほうも悪いんじゃないだろうか?
優しくて強くて逞しくて、誠実で勤勉。
どうやらレミリアの中の博麗霊夢はそんな人らしい。
同姓同名の別人か?
「ぷっ、くっくっくっ。せ、誠実で勤勉……!」
ツボにハマったらしく、隣の魔理沙は腹を抱えて笑いを堪えている。
「……なによ。優しくて強くて逞しくて、誠実で勤勉な博麗霊夢の何が可笑しいのよ」
「ぜ、全部ぅ」
「うん。否定はしない」
完全に別人である。
優しいは微妙に掠っているかもしれないが、それ以外は博麗霊夢には無縁の要素だ。
特に勤勉。レミリアは霊夢のどこを見て、勤勉だと言ったのだろうか。
「あー、やっぱ霊夢は良いなぁ。かっこいいなぁ」
ヒーローを見るような目で博麗霊夢を見るレミリア。
……やはり、どうにもレミリアは苦手だ。
純粋に慕ってくれるのは嬉しいが、レミリアが尊敬する博麗霊夢は『歴代最強の博麗』であって、『歴代最弱の博麗』の博麗霊夢ではない。無垢な子供も騙しているよう気がして罪悪感がのしかかるのだ。
――まぁいくら罪悪感に苦しもうと、博麗霊夢は修行をし己を磨こうと頑固しないのだが。
子供の期待に応えるために頑張ろうとか、そんなことを思う博麗霊夢ではない。
尊敬、期待されて奮い立つようなら、博麗霊夢はとうの昔に強くなろうと頑張っている。
いくら片身が狭い思いをし、「ちょっと頑張ろうかな」と思っても、最終的に軍配が上がるのは「やっぱいいや」という怠惰の感情だ。
おそらく――死ぬまでずっと、この性格は治らない。
「……ま、妖怪の前では強ぶるほうが色々都合良いし、別にいいか」
「うー? 霊夢、なにか言ったー?」
「いや、何も」
相も変わらず、博麗霊夢は妥協する――