博麗育成計画   作:伽花かをる

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夜鴉と溶けた雪跡④

「――い、おーい霊夢さーん」

「ん、うぅ……」

 

 文の呼び声のおかげか、突然失った意識を取り戻した博麗霊夢は、重りが乗りかかったのように怠い身体をゆっくりと持ち上げる。

 意識を失った直前の記憶がない。

 思い出そうと、博麗霊夢は頭の中を探った――ストーカーに追われていたことが判明して、文に飛行して逃げようと言われたことは覚えている。だが、それからの記憶がない。

 いったい、何が起こったのか。

 なぜ、記憶を失っていたのか。

 博麗霊夢は、文に問おうとする。

 

「文、私は……」

「すみません霊夢さん」

 

 文に頭を下げられた。

 突然のことに、博麗霊夢は困惑した。

 

「えっ。なんのこと?」

「初速が大事だったとはいえ、流石に飛ばしすぎでした。霊夢さんが人間だってこと、すっかり忘れていた……私のような妖怪に、まったく警戒心を抱かない人間だったから、つい」

 

 本気で落ち込んでいる様子の文は、下げた頭を上げずに謝罪の言葉を言った。

 

「待ってよ。謝られても、何が何だか……」

「覚えていないんですか? 私、霊夢さんを抱きしめて飛行したんです。ほら、ここ人里じゃないでしょ?」

 

 そう言われて、博麗霊夢は周囲を見渡した。

 

「……妖怪の山か」

 

 博麗霊夢が足を付けているその大地は、間違いなく妖怪の山のものだった――妖怪が住居しやすいようと、技術力が発達した河童たちが勝手に行った山道の舗装と、それでもまだ主張している自然という名の日本の原風景。雪化粧が施されており、いつもよりも幻想的な景色になっているが――やはりそこは、妖怪の住処たる妖怪の山で間違いなかった。

 

「流石は文ね。人里からはそこそこ離れているのに、もう着いちゃったのか」

 

 とはいえ、ずっと気絶していた博麗霊夢なので、案外そこそこ時間がかかっていたのかもしれないが。

 文はようやく顔を上げて返事をした。

 

「はい。そりゃあ私は、幻想郷最速の異名を欲しいがままにしていますから。あなたのパートナーの、あの金髪の子が付いていける速さではありませんよ」

 

 脈絡もなく魔理沙の名前が上がったが、おそらく文は対抗して言ったのだろう。

 幻想郷最速――その栄誉ある異名を堂々と自称できるのは、無論飛行の速度に自信を持つ者。そして、それを名乗るのが自然に見える者は、この幻想郷ではおそらく文のみか――それか強いて言うなら、魔理沙くらいのものだろう。

 

「魔理沙も速いもんねー」

「まぁ、あの人も確かに見どころはあると思いますよ。多分、あと5000年くらい生きたら私と並べるかも」

 

 ならばその機会は永遠に訪れないだろう。

 ――まぁ、魔理沙には絶対に言わないけど正直な話、博麗霊夢も文と同じ感想を持っている。

 5000年とは言わないが、人間の寿命の間に文の超常的なスピードを越えることはまず不可能だろう。たかが人間の小娘程度の観察眼しかないと思っている博麗霊夢でも、それくらいはたやすく理解できる。

 魔理沙は速い。それは事実だ。

 されど――文は、その100倍の速さを最速にしている。

 実際にその人間の視覚処理能力を軽く超越したスピードを、目にしたというわけではない。魔理沙の100倍のスピードが最高速度という言葉は、あくまで文の自己申告である。

 だが――普段の超速度からして、その言葉には真実味がある。

 だから、文が幻想郷最速ということは、もはや間違いないのである。実のところ、魔理沙もそれは暗に認めている。「魔法使いにでも変生しなきゃ、あの超加速は真似できない」、と。

 

「うむ……。つまり私は、文の超加速のせいで気絶したのか」

「はい。その通りです。これでも、充分に配慮したつもりだったのですが……。ほんと、申し訳ありません。配慮が不充分でした」

「いや、それはもういいわよ」

 

 博麗霊夢の脆弱さにも問題があるのだ。一応文は、「博麗の巫女ならこの程度でも大事にならないだろう」と思って初速を上げたのだろうし、むしろ博麗霊夢が全面的に悪いと言える。

 それに、そのことよりも気になることが博麗霊夢にはあるのだ。

 

「……ねぇ、文。一応、聞きたいんだけどさ」

「なんですか?」

「人里の人に、飛んでるところ見られてないわよね」

 

 大丈夫そうなことを飛ぶ事前に言っていた覚えがあるので、博麗霊夢が恐れていることは起きてないとは思っている。

 一応の確認だった。

 

「えぇ、それはついてはもちろん。人に視認できない初速で飛行したからこそ、急激的に多大なGがかかって霊夢さんは気絶したんですよ?」 

「ならよかったわ。私は良くないけど」

 

 実はまだ具合が悪い。胃の中の炒飯をぶち撒けそうである。

 

「まぁ、いきなり人が消えたので、驚いてる人はいるかもしれませんけどね!」

「それくらいなら大丈夫よ。大抵の人は見間違いだと思うでしょうし、最悪噂として広がってもすぐに鎮火されるでしょうし」

 

 そういえば、博麗霊夢の『歴代最強の博麗』の噂はまったく鎮火される様子がない。何故だろうか。

 一瞬だけ博麗霊夢は疑問に思ったが、すぐに理解できた。元々は信憑性の薄い噂にすぎなかったが、最近の異変解決のおかげで噂が事実として変化したからである。まぁ、どちらにせよ虚偽なのだが。

 

「うん。いま思えば確かに、さっきの判断は文が正しかったわね。文が幻想郷で一番速いってこと、忘れていたわ」

「ハハハっ! いやだなぁそんな当たり前のことで褒めなくても」

 

 文は発音にネイティブさを混ぜてエセ外国人風に笑った。やはり時々この鴉天狗はウザい。ふと、博麗霊夢は殴りたい衝動に駆られた。

 

「さて、霊夢さんも起きたことだし行きましょうか」

「そうね、行きましょうか。天魔のところに」

 

 博麗霊夢は、まだ胸に残る不快感を誤魔化すように深くかつ大きく深呼吸した。

 山の清浄な空気を吸うと、少し元気になった。雪が降っているので雪も一緒に吸い込んでしまったが、山の雪は綺麗だと聞いたので良しとする。

 

「――さて、さっさと依頼を達成しますか」

 

 博麗霊夢は、山の平らな雪を踏んで一歩進んだ。  

 新たな雪跡が、山にまた作られた。

 

 

 

 

 

    ☆

 

 

 

「そういえば、私ってどれくらい気絶してたの?」

「十分くらいですかね。その間、凍死しないよう全力で霊夢さんを暖めてました。全裸で、直で肌と肌を合わせて」

「……キモっ。私、よく誤解されるけどそういう性癖ないから」

「ははっ、冗談ですよ。服は脱いでません。服は」

「……その綺麗な羽毛に埋もれて寝たかったなぁ」

「霊夢さん、子供の頃から好きですもんねぇ――あやや?」

 

 山の雪道を雑談しながら歩いていた博麗霊夢と文だったが、突然目前に人影が現れた。

 背中で大剣を背負い、紅葉の紋様がついた丸型の盾を持つ白色の人影――ていうか、白色の犬だった。

 

「これはこれは……。えーと、どちらさまでしたっけ?」

「……椛です。犬走椛」

「あー、そうです。確か、下っ端の白狼天狗。いやー、ごめんなさいね。あなたがた、仮面ライダー物のザコ戦闘員みたいにわらわらいらっしゃるから、いちいち一匹一匹の名前を覚えてないんですよー」

「……チッ、左様ですか」

 

 見せつけるように舌打ちをして、犬走椛は丁寧な口調とは裏腹に鋭い眼光で文を睨みつけていた。

 その反抗的な態度を見て、文は機嫌良さそうにニコニコしていた。おそらく、人が嫌がることをするのが好きなのだろう。

 性格の悪い鴉天狗だ、と博麗霊夢はボソリと呟いた。

 

「えーと、椛って言ったっけ」

「はい。博麗の巫女さま」

 

 文に見せる態度とは打って変わって、冷たい雪の地面に片膝を付ける犬走椛。

 初対面でいきなりの敬礼されたものだから、博麗霊夢は驚いて目を見開いた。

 

「いや、そんなに畏まることないのよ?」

「ですが、貴女は博麗の巫女の立場にいる人間です。妖怪を仕切り、そして正す者。つまりは、我らが主と同じ役目を担っている御方です――礼節を尽くさない理由が、どこにあられるのでしょうか」

「え、えーと……」

 

 博麗霊夢は困惑した。この初めて会う類の妖怪に、どう言ってやるべきか分からない。

 例の噂からして、博麗霊夢を恐れる妖怪はこれまでに何度も会ってきた。噂を確かめようと、博麗霊夢に挑戦してくる血気盛んな妖怪にも何度も会ったし、文みたいに博麗霊夢を少なからず好意を持って接してくれる妖怪も、一応何人かはいた。

 だけど、このように尊敬の眼差しを向けてくる妖怪は初めてだった――強いていうならレミリアもその類の者だが、初対面でこのような反応をされるのは初めてだ。

 いったい博麗霊夢は、この妖怪とどう接したらいいのか。しばらく唸って悩んだが、答えは浮かんでくれなかった。

 目配せして、文に助け舟を出すよう頼んでみたが。

 

「……ニヤニヤ」

「…………」

 

 だが、やはり性悪天狗は常に性悪。助けなどするわけもなく、ニヤついた笑顔でこの状況を楽しんでいた。

 仕方がない。こうなったら、もう妥協するしかない。

 

「わかった。折れてあげるから、あなたはそのままでいいわ」

「……折れる? もしや、ご迷惑でしたか?」

 

 うるうるとした瞳と不安そうな表情で、椛は博麗霊夢を上目遣いで確認するように見た。

 まるで、飼い主に嫌われていないか心配している忠犬のようで――その仕草に、博麗霊夢はどうしようもないほどの愛らしさを覚えた。

 正直に言おう。

 可愛くて死にそうだった。

 

「――ぐっ、ぐぁア」

 

 そして博麗霊夢は死んだ。

 

「どどどどうしたのですか? 急に胸を押さえて!」

 

 目をカッと見開いて片膝を地に付け、脂汗をかいている博麗霊夢の姿を見て、椛を慌てて駆け寄ろうとした。

 

「く、来るなっ!」

「霊夢さま……?」

 

 博麗霊夢は大声でそう言って、近寄る椛の動きを制止させた。

 いきなり博麗霊夢が怒鳴ったので、椛は怯えてビクリと震えた。

 その姿を見て、博麗霊夢はハっと我に返った。

 

「ご、ごめん! その、近づいてもいい! むしろ肌と肌がくっつくほど近づいて!」

「ねぇねぇ霊夢さん。さっきそれ、キモいって言ってましたよね?」

「近うよれ近うよれ!」

 

 どこかから流れる雑音を無視して、全力でこちらに来るよう要求する博麗霊夢。

 椛も困惑しながらも、ゆっくりと近づく。

 

「えっと……はい」

 

 羞恥で頬をほんのりと朱色で染めながらも、椛は博麗霊夢に接近した。

 

「もっと! もっと深く抉るように!」

「えっ!? え、えぐるって……」

「そんな気持ちで私の懐に! さぁドンと来なさい!」

「は、はい。……えいっ」

 

 博麗霊夢の異常な熱意に動揺しながらも、要求に従って椛は博麗霊夢の懐に飛び込んだ。

 手で触るのは不敬だと思っているのか、拳をグーの形にして自身の胸の辺りに置いていた。

 そうする結果、なんということか――まるで博麗霊夢に甘えがってくれと言っているような、あざとくも可愛い姿勢になっていた。

 

「霊夢さま。その……次は、どうしたらいいのでしょうか?」

 

 不安そうに、椛は瞳を潤わせて博麗霊夢に上目遣いで尋ねた。しかも、今度は目と鼻の先で、椛の顔が間近にある。

 ――博麗霊夢の、何かが崩壊する音がした。

 

「――うあぁァァァああ。がわいずぎるわよォォォォ!!!!」

「れ、霊夢さま!? ゃ、そこはぁ……」

 

 博麗霊夢は暴挙に出た。

 つまりことセクハラである。

 椛の耳と尻尾を重点に、博麗霊夢は椛を手淫する(モフる)――ときたま、服のせいで控えめに見えてしまう決して貧相ではない乳房を、痛めないように工夫して掌の中で歪ませる。

 誰がどう見ても、立派なセクハラ行為である。 

 博麗の巫女が『文々。新聞』の一面を再度飾る日はそう遠くない。

  

「やめるんです、霊夢さん!」

「――くっ。このパパラッチがァァァ!!」

 

 流石の文も見過ごせなくなったのか、博麗霊夢を羽交い締めにして椛との距離を離した。

 

「ハァ、ハァ……」

 

 椛も疲弊して、白い吐息を何度も吐いていた。脱力して立っていられなくなったのか、冷たい地面の上にしばらく座っていた。

 まだ興奮が止まなくて闘牛のように鼻息を荒くしている博麗霊夢を、文は必死になって落ち着かせようとする。

 

「霊夢さん止めるんです! 犬なんて所詮はただの畜生。やつらに構う暇があるなら霊夢さんは鳥を可愛がるべきなのです!」

「嫌だぁぁ!! もっとモフモフしたいぃぃぃ!!」

「あんな毛むくじゃらのどこがいいんですか? あんまり近づくと狂犬病が感染りますよ!」

「良いのぉぉぉ!!! モフモフぅぅぅぅ!!!」

「私の羽毛を触っていいですから! ほら、さっき触りたいってワガママ言っていたでしょ? 満足するまで触っていいですから、以前の鳥派の霊夢さんに戻ってください」

「いや私、元から犬派だから」

「そこで冷静にならないでください!」

 

 それはともかく、文の綺麗な黒い羽に手を伸ばす博麗霊夢。

 触りはじめると、文は「おうっ、これはなかなか」と悶えた。正直なところ、椛をモフった快感をまだ忘れられなくて、気持ちいいはずの文の羽毛に若干安っぽさを感じているが――まぁ、これはこれでとても良いものだと、ようやく落ち着きを取り戻した博麗霊夢はコメントした。

 

「ふぅー……あー、満足した。えっと、ごめんね椛ちゃん」

「い、いえ。満足していただけたなら……」

 

 まだ若干怯えている様子は残っているが、椛は笑顔を浮かべて言った。

 

「ははは! この射命丸、霊夢さんのためなら多少卑猥なことでもドンと来いですよ!」

「アンタはおまけ。でもまぁそこそこ良かった。ありがとう」

「こ、この私がおまけ、ですと……っ!? くっ、白狼天狗ごときに負けるとは、無念……っ!」

「…………っ!」

 

 文は悔しそうに唸りながら、椛を敵視していた。

 対して椛は、嫌いな奴に勝てたと、嬉しそうに笑顔を浮かべていた。かわいい。

 

「はぁ、今日は良い日だなぁ」

 

 ストーカー被害に遭ったことと、気絶したこと、八雲紫に会ったことなどの災難を、すでに博麗霊夢は忘れていた。

 人は、嬉しいことを早くに忘れ、嫌なことは引きずるように覚えていくと云うが――それでも嬉しいことがあれば一時は嫌なことを忘れることができるのだ。

 色々と、良い教訓になった。

 博麗霊夢は、満足なって鼻歌を歌う。

 

「今日は、本当に良い日だなぁ」

 

 何度も何度も、噛みしめるかのように博麗霊夢は呟いた――色んなことを忘れて、一つのことに現を抜かしていた。

 ――博麗霊夢は、色んなことを忘れた。

 色んなことを、忘れた。

 

「さぁ、とりあえず先に進みましょう!」

「はい、霊夢さん! ところで、天魔さまの居所ですが――」

「あの、霊夢さま。実は私、博麗の巫女さまに妖怪の山全体を案内するように言われてきたのですが……」

「なら妖怪の山を観光しましょう!」

「はい! では上の命令通り、私が案内役を務めされていただきます」

「えっ、あの、霊夢さ――」

「文も行きましょう!」

 

 博麗霊夢は文と椛の手を掴み、駆け足で山道を進んでいった。

 そう、色んなことを忘れたまま――文とのいざこざの際に、()()()()()()()()()()()()()()()のことすら忘れて、博麗霊夢は更なる雪跡を作っていく。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 




 私、実は椛のことはそこまで好きでもなかったのです。
 無論、嫌いというわけではなく、好きな部類なキャラではありました。ただ、東方のキャラ達はみんな魅力的で、みんな僕の中での好きなキャラだったので……その中なら、椛は中堅くらいに好きなキャラだったのです。
 ですが、なんといいますかね――書いてるうちに、僕自身が博麗霊夢になりましたね!
 
 椛を抱きしめたい欲に襲われている。
 犬、本当はかなり大嫌いなはずなのに……不思議なことも起こるんですねぇ。

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