博麗育成計画   作:伽花かをる

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夜鴉と溶けた雪跡③

 博麗霊夢が目指している鈴奈庵。そこは、新聞から稀覯本まで幅広い書籍の貸し借りを扱っている店である――つまり、貸本屋だ。

 博麗霊夢はその鈴奈庵に、目的の妖怪の射命丸文が居ると予想していた。いつもような勘ではなく、この時間のその場所に居るという確証があるのだ。

 

「今日は、(あや)が発行している『文々。新聞』の発行日。いつもなら、早朝に鈴奈庵に新聞を渡しているけど、今日は突然の初雪だから至急にその記事の内容を変更して、鈴奈庵を訪問する時間が大幅に遅れているはず」

 

 そして文は鈴奈庵に入荷分の新聞を渡す際に毎回新刊の本の確認をしているから、まだ店に滞在しているはずだ。

 人里の一件で時間を浪費してしまったため、すでに妖怪の山に帰っている可能性もある。だが、それならそれでも良い。あくまで時間短縮のために文に頼りたいと思っているので、駄目なら別の方法で天魔に会うつもりだ。

 まだ鈴奈庵に居たら、助かるのだが――

 

「あ、居た」

「あやや? 霊夢さんではないですか」

 

 鈴奈庵の暖簾の先には、小鈴と歓談しながら本を読む射命丸文の姿があった。

 今日も私は運は良い、と博麗霊夢は安堵する。

 

「こんにちは、霊夢さん。久し振りですね」

 

 そう挨拶したのは、先程まで文と会話をしていた小鈴である。

 

「こんにちわ、小鈴ちゃん」

「今日はどのような本をお探しでしょうか?」

「いや、今日は本を借りに来たわけじゃないのよ。ちょっと、そこのパパラッチに用があってね」

「パパラッチとは、失礼ですねぇ」

 

 特に失礼だと思ってなさそうな表情で文は言った。

 

「何も間違ったことは言ってないわよ」

 

 博麗霊夢が文をパパラッチだと貶していることには理由がある。

 文は以前に、『文々。新聞』にて博麗霊夢のプライベートな写真を載せたという罪を犯したのだ。

 だらだらと仕事をせず、真っ昼間から一人酒盛りをしている写真を一面記事で載せられた。『博麗霊夢、今日も仕事せず』とか、『博麗霊夢、親友を使いパシリにする』とか――微妙に間違えてないから否定しづらい記事を、これまでに何度も『文々。新聞』で掲載された。

 そんな経験があるからこそ、博麗霊夢は射命丸文のことをパパラッチと呼んでいるのだ。

 

「私も間違ったことを載せた記憶はありませんよ、霊夢さん」

「だとしても、みんなを不安にさせるような記事書くんじゃないわよ」

「確かに見出しだけ見たら、今代の博麗の巫女は如何なものなのかと、幻想郷の行く末に不安を抱く人間はいるかもしれません。だけど、その不安は記事の全文を読めば解消されるはずですよ?」

 

 文は、今日発行されたばかりの『文々。新聞』を博麗霊夢に見せた。

 そしてその見出しを声に出して読む。

 

「『初冬から厳寒。まさかまた異変か?』ですってぇ。あんた、またこんなデタラメな記事を――」

「いやいや、よく読んでくださいよ」

 

 文が言うので仕方なく、博麗霊夢はじっくりと本文を読み込んでみた。

 最初のほうに、この厳寒が妖怪により異変である可能性を提示して、それを主題に話を進めていた。

 どういう種族の妖怪ならば寒気を発生させることかま可能か、またその目的の考察など――だけども、本文の後半からは、全く違う可能性について論じられていた。

 

「アンタ、この幻想郷のどこで、こんな知識を――」

「このご時世で珍しいでしょう? 科学的な見解を述べている新聞は」

 

 文は自慢げに笑った。

 本文の後半からは、妖怪の仕業という根拠のない可能性の一切を排斥し、科学的な視点に基づいた考察をされていた。

 その具体的な文章は――

 

 『今年の偏西風の蛇行と北極振動が負となったせいで、寒気が流れ込みやすくなり今年は本格的な寒冬になる可能性が高い』

 『また、偏西風とは西向きに吹く風のことである。』

 『北極振動とは、つまるところ大気が振動すること。振動の幅が大きくなることで、寒波が起き大雪が降ることがある。』

 『よって、今年の冬は防寒対策を念入りに行う必要がある。炬燵は勿論、火鉢を二つか長火鉢を用意するのが良いだろう』

 『本記事に興味を持った方は、鈴奈庵でこの記事の情報元となった本について尋ねるのが良い。可憐な店員さんが笑顔の接客でその本を紹介してくれるだろう(※稀覯本ゆえ店内読書のみ)』

 

 ――といった感じである。  

 

「正直、最後まで読んだけどところどころ理解できない部分があったわ」

「そりゃあ、そうでしょうね。一応、見慣れない用語の補足は簡単に書きましたけど、情報元の本は外の世界からの流れ物ですから。この記事の意味を完全に理解している人間なんて、情報元の本を読み込んでいる小鈴さんくらいだと思いますね」

「いや、私も理解してませんからね? 専門用語が多いので、すべてを読み解けていないんです」

 

 小鈴は眉をしかめて言った。

 

「これを完全に理解しているのは、射命丸さんくらいでは?」

「いえいえ。こんな記事を書いておいて何ですが、実のところ私も十全の理解はしていませんよー。もしや、うっかり間違った内容を広めてしまったのかもしれませんね」

 

 それでも、と文は続けて言った。

 

「――この記事を読んだなら、悪いことは何もかも妖怪による仕業だと思い込む人は減るでしょうねぇ。完全な理解は難しくても、ニュアンスで『異変沙汰ではない』ということはわかるはずですから」

「……確かに、その通りね」

「まぁ、キチンと最後まで読めば、の話なんですけどねぇ」

「うっ」

 

 ニヤけた笑みを浮かべて、文は博麗霊夢を見た。  

 おそらく、文に全文を読めと言われなければ、博麗霊夢は新聞の内容を誤認していた。見出しを読んだだけで、その新聞が何を主張したいのか理解した気になっていた。

 それについては、正しい新聞の読み方をしていなかった博麗霊夢に非があった。悔しく思いつつも、博麗霊夢はその点については反省した。

 

「……わかったわ。確かに、アンタは間違ったことは書いていない――けど、読者の不安を煽るような書き方をしていることは確かでしょう?」

 

 人里の人々の全員が、丁寧に新聞を読むとは思えない。

 博麗霊夢のように見出しだけ読んで内容をわかったつもりになる人は、決して少なくない数は存在するはずである。

 そこのところはやはり直すべきだと、博麗霊夢は思った。

 

「いや、だからですね霊夢さん。何度も言いますが、見出しのみ読んで理解を得た気になっている輩にこそ非があるのですよ。私の新聞はこれっぽっちも悪くありません」

「だから、そういう読み方をする人のことも考えて書きなさいって言ってるの!」

「嫌です。なぜ、私が新聞の質を落とすような愚行をしなくてはいけないのですか」

「質が落ちる? 見出しが少し変わるくらいで、何を言ってるのやら」

「…………」

 

 新聞記者の心得を何も存ぜぬ博麗霊夢が軽々しくそう言い放ったから文はカチンときたのか、常に張り付いている飄々とした笑顔が解かれて、真顔になった。

 だが、それは一瞬のことだ。

 文は、嘲笑うかのような表情で博麗霊夢を見た。そして大きな溜息を吐いた。

 

「……ハァァァ。これだから、産まれたばかりの新生児は困る」 

「あ"?」

 

 文の馬鹿にするような言動に、カチンときた博麗霊夢。

 思慮の浅い子供を相手するかのような言動で、文は博麗霊夢に説明する。

 

「いいですかぁ霊夢さん。新聞の見出しはですね、その新聞の第一印象を決める、とぉっても大事な役割があるんですよー。興味がそそられる見出しだと、本文のほうも気になって読みたくなることは、流石に霊夢さんもわかりますよね? それは当然として、もう一つ、見出しにはとっても重要な効果があるのですよー」

「……だから何よ」

「あややぁー? まだわかんないんですかぁ。えー、うっそだー!」

 

 この鴉天狗、ここぞとばかりにおちょくっている。

 ――こ、このクソ鴉天狗、いずれ魔理沙をけしかけて退治してやる。

 博麗霊夢は珍しく殺気立っていた。

 

「分からないならしょうがないですねぇ。最後までこのしがない新聞記者が、懇切丁寧に説明して上げますよぉ。えーとですね、良い見出しには、第一印象だけではなく本文の印象すら良くする力があるのですよ」

「………」

「あやや、まだわかんないんですかぁ? 例えばですが、霊夢さんはこの記事を読んでどういう印象を抱きましたか?」

「どういうって、『あー、なるほど。じゃあ妖怪は関係ないんだ』って感じかしら」

「そう、まさにそれです!」

 

 文は親指を立てた。

 

「最初の見出しで読者に『まさか異変なのか』という印象を与えることで、読者の興味関心を引きます。だけども本文の後半は、その可能性を一刀両断して否定する内容です。いわゆる、起承転結の『転』ですね、後半の最初は。しかも科学という、幻想郷の古めかしい文明からかけ離れたことを題材にした内容です。その意味を理解することは、おそらく難しいでしょうが――『妖怪の仕業ではない』という一点は、文章のニュアンスでわかりますね? そして思い出してほしいのですが、見出しの文章はその逆で、『妖怪による仕業』だということが暗喩できる内容です。つまり――見出しと本文の結論が、全く逆になっているのです。すごくないですか?」

「……いや、だからそれがどうしたの?」

「わからないのですか? つまり『私の新聞は面白い』ということですよ」

「ハァ」

 

 黙って聞いていた博麗霊夢だったが、何がつまりなのか、まったくわからない。

 なぜなら、まず前提として新聞を面白く読む必要がないからである。新聞は、情報伝達の手段の一つでしかない。面白い内容よりも、分かりやすい内容なほうが好ましい。少なくとも、博麗霊夢はそうあるべきと思っている。

 

「やっぱりアンタの新聞ってゴミなんじゃない?」

「――まだ抜かすか猿人ふぜいが」

 

 新聞を罵倒されて、顔面に貼り付けていた文の愛想笑いが解かれた。

 文の妖怪らしい本性を見た小鈴はビクリと震えていた。そして何かを誤魔化すかのように、本棚の整理を始めた。

 数秒が経ち、ハッと我に返った文は、人間に本性を見せたことに羞恥を感じたのか赤面をして、誤魔化すように嘆息した。

 

「はぁ。もういいですよ、面倒臭い。どうやら私の新聞は、怠けすぎて脳が衰えた人類様には、理解できない領域にいるようですからね。これ以上の討論は無駄です」

「あ、怠けたで思い出したけど、そういえば結局、私に関するデタラメを書いた件についての謝罪がまだじゃない!」

「あー、はいはい。申し訳ございませんでしたぁ」

 

 完全に博麗霊夢に呆れた様子の文は、適当な態度を取っている。

 別に博麗霊夢は、文の『面白い新聞を書く』という信条をまったく理解できなかったわけではない。ただ、やはり博麗霊夢は、じっくりと細かなところまで読まなければ主張が伝わらない新聞よりも、簡潔に情報が纏められる新聞を読みたいのだ。

 実際、文の書き方では内容を誤解する人が、確実に多数出てくるだろう。だがそれでは、新聞の意味が無いと博麗霊夢は思うのだ。新聞はあくまで、情報伝達手段の一つである――小説のような娯楽の為の物ではないのだから、面白さを重視するのではなく、あくまで正しい情報を読者に伝えるという信条で新聞制作に取り組んだほうが新聞としての質が向上するはずだ。

 伝えたい事わかってくれないなぁ、と博麗霊夢は溜息を吐いた。

 

「あ、そうだ。霊夢さん、突然ですが少し取材をさせてもらってもいいですかね」

 

 ふと思いついたように文は言った。

 こちらもそういえば文に頼みたいことがあったことを博麗霊夢は思い出した。会って早々に無駄話をしてしまったせいで、すっかり忘れていた。

 

「いいけど、その代わりに私のお願いを聞いてくれる?」

「あやや、なんでしょうか」

「その取材とやらが終わったら話すわ」

「おや、怖いですねぇ。まぁ、私に叶えられることなら、いいですけどね」

 

 ゴホンと嘆息して、文は取材モードに切り換える。

 

「お聞きしたいことは一つです。ズバリ――霊夢さんって、なんでいつも神社で怠けているのですか?」

「な、なによそれ。それが聞きたいこと?」

「イエス。まぁ、理由は察してるんですけどね。念のため、確認したいと思いまして」

「そうねぇ、簡潔に言うなら――」

 

 おそらく、文の考えていることで正解だ。

 ただ単純に、博麗霊夢が働きたくないから――ではない。 

 

「働く働かない以前に、まず依頼が来ないのよ。平和だから」

「あぁ、やはりですか。じゃあ、以前に霊夢さん関係の記事に書いた『博麗の巫女が呑気にお茶を啜れるということは、今が平和だという証明なのだ』というフォローの文章は、正しいものだったのですね。おかげで安心できました」

 

 自分の記事の正確性が証明されて、文は安堵していた。

 

 ――以前にも語った話ではあるが、博麗霊夢の代の幻想郷は、今までの代に比べてもかなり平和なほうなのだ。

 夏に紅霧異変こそあったが、それ以外に大きな事件は起きていない――博麗霊夢が歴代で最強の巫女という荒唐無稽な噂が抑止力になって、悪事を目論むような小物妖怪が、怯えて派手なことを行わなくなったからだ。

 基本的に、博麗の巫女というものは、妖怪が起こす些事程度のものにはあまり関与しない。あくまで中立の存在なので、ところ構わずに妖怪を退治するわけではないのだ。

 

「そういえば、人里の人達は博麗の巫女をまるで妖怪退治屋みたいに思っているわよね」

「あや、違うのですか? 前任の巫女はともかく妖怪をしばき回っていたので、すっかりとそのような業務なのだと勘違いしていましたが」

「博麗の巫女はね、喧しい犬を蹴って黙らすことが仕事なのよ。その犬の役になるやつが、基本的に妖怪ってだけで――必要があれば、人間でも容赦なくシめるのよ?」

「ヒッ」

 

 なぜか、本棚の整理をしていた小鈴が博麗霊夢の言葉に反応していた。

 確かに人によっては背筋が凍るようなことを、博麗霊夢はそれらしい雰囲気で言ってみたが――人の道を踏み外すようなことをした心当たりがない限り、そこまで怯えなくてもいいはずだ。

 

「どうしたの小鈴ちゃん? そんなに怯えて……」

「いいいいいえ、ととと特になにも! 妖怪が書いた妖魔本なんて一冊も所持してないですからね!?」

 

 ひどく吃っていたし、わけのわからぬことを言っていた。

 そういえば、と博麗霊夢は言う。

 

「いつも思うんだけど、この店って妙に空気が変なのよね。まるで、何かが取り憑いてるみたいな」

「ギクッ」

「あー、ごめんね。変とか言って」

「……ハハ、ハハ」

 

 疲れたように小鈴はただただ笑っていた。

 思ったことをそのまま言ってしまったのだが、もしや店内の空気が変と言ったことに傷ついてしまったのだろうか――反省する博麗霊夢。

 

「本当にごめんね、小鈴ちゃん。心配にさせちゃったようなら、今度お詫びにお祓いしてあげるから」

「えっ、私ごとお祓い(殺戮)ですか!?」

「うん。念のためね」

 

 巫女の術を全く習得してない博麗霊夢であるが、それでも簡単なお清めの方法くらいは知っている。

 塩をばら撒くのだ。今度食塩を大量を抱えて鈴奈庵に行こう。小鈴を含めた店内にあるものの全てに、塩をぶちまけて清めるのだ。

 

「――そうですか、わかりました」

「えぇ。だから覚悟してね」

「はい、覚悟は決めました――『お父さんお母さん、この遺書を読んでいるとき私はもうこの世には』」

 

 急に小鈴は、何かを諦観したような表情でぶつぶつと独り言を呟きながら、文章を書き始めた。

 何を書いているのか博麗霊夢はわからないが、ときおり涙で紙を濡らしている様子を見るに、相当悲しいことを書いているのだろう。相談に乗ってあげたいと博麗霊夢は思って小鈴に近づこうとしたが、文に肩を掴まれて止められた。

 

「霊夢さん、邪魔をしてはいけませんよ。せっかく面白いんですから……くくくっ」

 

 性悪天狗は笑いを堪えていた。

 

「でも、あんなに思い詰めた顔をしているわ」

「霊夢さん。人にはね、一人で居たいときがあるのですよ。私たちは外に出ましょう。このままじゃあ、小鈴が落ち着けません」

「そうね、その通りね……」

 

 小鈴を苦しめている原因が何かはわからないが、文の言う通り一人にしたあげたほうがいいかもしれない。  

 博麗霊夢はと文は、踵を返して店から出ようとした。

 

「じゃあね、小鈴ちゃん……。三日後に、絶対にまた来るからね」

「『死神は三日前、私に死の宣告を――』」

「じゃあ、今月の新聞もよろしくお願いしますねー!」

 

 別れの挨拶を済ませて、博麗霊夢と文は暖簾をくぐって外を出た。

 

 

 

   ★

 

 

 

「そういえば、取材のお礼で私に頼みたいことってなんですか?」

「えっとね、アンタんところの大将に会わせてほしいのよ」

  

 鈴奈庵から出て人里の道をのんびりと歩いていたところで、博麗霊夢は要件を簡単に言った。

 文は首を傾げながら、「あやや?」と口癖を言う。

 

「なぜ天魔様に?」

「ちょっと、紫におつかいを頼まれてね。これを渡さないといけないのよ」

 

 博麗霊夢は文に無地の封筒を見せた。

 

「ふむ。これを渡すだけですか? それだけなら、私に預けて頂けるならひとっ飛びで天魔様に届けますよ」

「いや、よく分かんないけど私が手渡ししないと駄目なんだって。何度も紫に念押しされたのよ」

「あやや、それはそれは」

 

 文はしばらく唸って、どうすることが一番良いか考えていた。

 

「そうですね。なら、私が仲介人の役を担いましょう。私がいれば、面倒な手続きもせずに済みますしね」

「うん。私もそのつもりでお願いした。じゃあ、頼むわね」

「あやや、了解いたしました!」

  

 文は姿勢正しく敬礼した。

 ここまで辿り着くのに思った以上に時間を浪費したが、無駄にならなくてよかった。博麗霊夢はひとまずの安堵をした。

 

「さて――ならば、今すぐ行きましょう。妖怪の山に」

「待って。少なくとも人里を抜けるまでは歩かなきゃ。……こんなところでアンタが翼を出したら、ほら、色々とマズイじゃない」

 

 妖怪の文が当たり前のように人里の道を歩いているので忘れそうになるが、そもそも人里は妖怪不可侵区域である。

 人様に迷惑をかけるような無法者ではないので黙認しているが、本来は彼女がここにいるということは重罪だ。処刑とまでいかないでも、博麗の巫女の手によって死ぬギリギリの苦痛を与えられるほどの事なのだ――博麗霊夢にそれをできるかはともかくとして。

 

「確かに、翼を見られたらマズイですねぇ」

「そうでしょ? だから、せめて人里の外れまでは歩きましょ」

「いやぁ、でも()()()()()()()()()()()()()()()()のは、結構不愉快なものですから。実は霊夢さんも早くこの場から去りたいと思っているんでしょ?」

「……ん? 何の話かしら」

「あやや、気づいていなかったのですか? ……ストーカーですよ、ストーカー」

 

 耳元で囁くように、文は博麗霊夢に伝えた。

 ――すとーかー? 

 その言葉を聞いた数秒間は、博麗霊夢はそれが何を意味する言葉なのか思い出せなかった。

 だが、言葉の意味を認識できるようになった途端、ぞっと血の気が引く感覚を鮮明に抱いた。

 

「すすす、スト――」

「振り向かずにそのまま何事もないように歩き続けてください」

 

 博麗霊夢の動揺のしようを楽しげに観察しながらも、文は的確に助言をした。

 文の言うことに従って、博麗霊夢は自然体を装った。

 博麗霊夢と文は、声を小さくして会話する。

 

「……呼吸の仕方、忍び寄り方から判断して、相手は相当な手練です。そして何か、姿を隠す術を使っているようですね――あやや、モテモテですねぇ霊夢さん」

「……モテモテって。ていうかアンタ、なんでそんな詳しいことがわかるのよ」

「……私の趣味、ストーキングですから」

「……今はツッコまないでおく。ねぇ、どうしたらいいと思う?」

「……さっき言ったでしょ? 飛んで逃げるのです」

「……だから、それじゃあ人里のみんなに怪しまれるわ」

 

 飛行して逃げればひとまずは安心できるが、人里の者に飛んでいるところを見られたら大変だ。

 霊夢は人間なのでともかく、飛行する際に黒い翼を羽ばたかせなければならない文は、正直かなり危うい。

 妖怪が人里に紛れていたという噂でも流れてしまえば、人里の人々にいらぬ不安を抱かせることになる。博麗の巫女として、それは避けたいのだ。

 

「……大丈夫ですよ霊夢さん。私にお任せください」

「……でも」

「あー、もう面倒ですね」

 

 文は突如として、博麗霊夢を抱擁した。

 

「なっ、何を!?」

「霊夢さんが懸念なさっていることは絶対に起きませんから。安心して私に身を委ねてください」

 

 膝を曲げ、勢い良く飛行する準備を文は始めていた。

 やめてと抵抗する博麗霊夢だが、文の腕の力は強く抱擁から脱出することはできない。

 

「動くな。少しでも動けばその美しい五体、無残に引き裂かれますよ」

「―――っ!?」

 

 文がそう忠告をした後、突如として内蔵に負荷がかかるような不快感を抱いた。

 理由はわからない。だけど、いまこの瞬間に、意識が遠のいていることは本能でわかった。

 謎の不快感に包まれたまま――博麗霊夢の意識は、深い場所へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


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