博麗育成計画   作:伽花かをる

17 / 19
夜鴉と溶けた雪跡②

 

「はぁ。寒いなぁ」

 

 そう独白したのは、もう何度目だろうか。

 博麗霊夢は、土に覆いかぶさる初雪に小さい踏み跡を残しつつ歩を進めていた。

 

「……寒いなぁ」

 

 再び、白い吐息と共に意味もなくその言葉を吐いた。

 寒いと言っても、この寒さから逃れられぬことは頭では理解している。だがどうしても無意識に言ってしまうのだ。

 よく『寒いと言うから寒いのだ』と、無根拠な論説で人を叱咤する輩がいるが――逆に、博麗霊夢は言いたい。『暑いと言えば暑くなるのか』と。

 確かに、人が寒いという言葉を言うことで、より強く寒いことを認識してしまうことはあるかもしれない。かすり傷も意識した途端、急激に痛みが増幅したように感じることもよくある。

 だが博麗霊夢が考えるに、そうして痛みを軽減できるのは無視することが可能な程度の痛みくらいだ――刺激という意味では痛みも寒さも同じ括りになるし、この持論に基づいて考えるなら、本当に皮膚感覚が強く寒さを感知しているなら精神論では問題を解決できない、という結論に至る。

 つまり博麗霊夢が何を言いたいのかと言うと――寒いのだから寒いのは仕方がない、ということである。

 それらしく適当に論じてみたが、博麗霊夢がいま言いたいことはとりあえず『寒い』ということなのだ。

 

「寒い、寒いなぁ」

 

 そんな、博麗神社に出てからその言葉しか知らないように『寒い』と連呼している博麗霊夢であるが――その足の向く方向は、ある場所一点に向いている。

 足の向く先は、大妖怪の一角たる天魔の居所、『妖怪の山』――ではない。

 妖怪が不可侵とされており、幻想郷の唯一の安全地帯とされている――そう、『人里』だ。

 

「寒いなぁ――あ、着いた」

 

 寒いとばかり言っていた博麗霊夢は、久し振りにそれ以外の言語を口に出した。

 氷点下に冷える外でも、確かな人の温度を感じる区域。

 人里に、霊夢は新たな足形の雪跡を作った。

 

 

 

    ★

 

 

「博麗の巫女さま、今日は一段と寒いですね。お風邪を引かないよう、うちの甘酒はいかがですか?」

「ありがとうございます。いただきます」

「博麗の巫女さま! 初冬だというのに妙に気温が低いっ! まさかまた異変沙汰なのでしょうか?」

「いやぁ……。多分、きっと、微妙に違うかな?」

 

 異変と言うには少し弱いので、博麗霊夢は濁すように言った。

 博麗霊夢の周りに、多くの人だかりができている――いつから自分はこんなに人気者になったのだ、と博麗霊夢は押し寄せる人々に困惑した。

 その理由を考えて、すぐに思い至った。

 ついこの間、『紅霧異変』を解決して、急な空の変化に恐怖する人々を助けたからである――そういえば、人里による機会があまり無かったから、異変解決後にここに訪れるのは今回が初だった。

 紅霧異変は、発生から解決までの時間こそ早かったが、昼時なのに空が紅く染まり月が浮かぶという、夜の支配者たる吸血鬼のレミリアらしい大胆な異変内容だった。  

 派手な内容で気づかない者はまずいないという異変だったので、きっと異変時の人里の人々は、まるで世界が滅びるかのような恐怖心を抱いていたのだろう。そして、その恐怖から救った者こそが、天下無双の博麗の巫女たる博麗霊夢(ということになっている)。

 そういえば、最近は賽銭箱も妙に重くなっていた。部屋に引きこもっていたせいで気付かなかったが、博麗霊夢はかなりの感謝を受けていたらしい。

 

「博麗の巫女さまー! 少ないですが、いつしかの大異変解決の私達からのお礼です。どうぞ」

「えっ、ほんとっ――い、いや、どうかお気遣いなく。仕事ですので」

「いえいえ、私達の気持ちですので」

 

 代表らしき一人の男性が、推しつけるように金銭の入った巾着袋を渡してきた。

 困りながらも、博麗霊夢は受け取った。

 

「……ありがとうございます」

「今後もぜひ宜しくお願い致します」

 

 男は会釈をして、一歩後退した。

 少し罪悪感を抱きつつも、博麗霊夢は巾着袋を懐にしまった。

 

「(しょうがない。今後魔理沙に会ったときに渡そう)」

 

 巾着袋の重量を惜しみながらも、博麗霊夢はそう心に決めた。

 先の異変は、博麗霊夢が解決したものではない。いくら守銭奴の博麗霊夢とはいえ、人里の人々の感謝がこもったこの金銭を受け取るべきなのは自分ではない。そのことは無論理解している。

 勿体無いと思う心はあるが、仕方がないのだ。

 

「すみません。私、用事があるので――」

「博麗の巫女さま!」

 

 そう言って場から去ろうとした刹那、三十路のように見える男性が人だかりを割って博麗霊夢に頭を下げた。

 ひどく疲弊してるようだった。

 

「お願いします! 私の、私の娘を……!」

「ど、どうしたんですか?」

 

 尋常ではない雰囲気に、博麗霊夢は内心慌てた。

 男性は、涙混じりで用を言う。

 

「うぅ……。今日の朝に起きたら、私の子供がどっかに消えていてぇ。八つくらいの娘なんです……巫女様のように、可憐な花のような女の子なんです。家出をするような子でもないし、私はそうさせる育てをしていないと自負しています。なのに、いったいどこに……」

「他に心当たりはありますか?」

「……あります。だから、巫女様に助けてほしいんです――娘はきっと、最近巷で有名な『神隠し』に遭ったのではと思うのです」

「――神隠し?」

 

 神隠しと聞いて、一瞬身近な妖怪の顔が浮かんだ。

 

「はい。最近、そういう事件が頻繁してるらしいのです」

「そうなんですか? 私、伝達役の者からそのような噂は聞いていないのですが」

 

 妖怪の仕業らしき噂なら、紫が博麗霊夢に伝えないはずがない。

 伝わってないということはもしかすると、その事件のことを博麗霊夢に認知されたくらないからか――もう既にこの時点で、博麗霊夢は一件の犯人のあてが付いていた。

 

「ちなみにですが、今までに神隠しに遭った子供には、神隠しに遭っていた最中の記憶があったのですか?」

「い、いえ。確か、被害に遭った子供は何事もなかったかのように戻ってくると聞いています」

「被害者の子供の特徴は? そして何時間ほどで神隠しから戻ってきますか?」

「特徴ですか……確かな情報ではないですが、長い黒髪の女の子が、主に狙われるらしいです。そしてこちらも定かな情報ではないですが、長ければ一時間、短くて三分ほどで何事もなかったかのように帰ってくるとの噂です」

「なるほど」

 

 やはり、事例のある事件だ。

 実は五年前にも、似たような事件が起こっているのだ――ちなみに、その事件の犯人の名前は八雲紫である。

 あまりにも嫌な事件だったので、すっかりと記憶から忘却していた。確かそのときに捕まった紫は「霊夢みたいな妹が欲しかった」という意味不明な供述をしていたか――いやだからと言って別に、今回も紫が犯人だとは思っていない。事例が存在するだけで、紫が犯人ということにはならない。同じ轍を踏むほど紫は阿呆な妖怪ではないと、博麗霊夢は思っている。

 

「あ、そういえば一人だけ神隠し中の記憶を持っている子がいます。その子に聞くと、『金髪の変なお姉さんに服を脱がされた』とか」

「犯人を特定しました」

 

 犯人は八雲紫である。

 

「ほ、本当ですか?」

「えぇ。犯人は、婚期を完全に逃したショックが原因で、同性愛とペドフィリアに目覚めてしまった大変変態な妖怪です。朝から今まで、ずっとお子さんの姿が無いとなると……お子さんは今、かなり危うい状態かと」

「そ、そんなぁ」

 

 博麗霊夢と一緒に居た時間の分を抜いても、すでに五時間以上はその少女と紫は共にいるはずだ。

 つまり、紫は相当その子供のことを気に入っているのだ。

 

「このままだと、お子さんが一生帰ってこない可能性すらあります」

「い、一生!?」

「大丈夫です。私におまかせください」

 

 博麗霊夢は、大きく息を吸った――

 

「――ゆーかーり! どうせどっかで覗き見してるんでしょ!? 拉致った子を早く返さなきゃ本格的に縁切りを考えるから!!」

 

 そう叫んだ瞬間、博麗霊夢の頭上に見覚えのある大きなスキマが空いた。

 そのスキマの中から、博麗霊夢に似た容貌の小さな女の子が落ちてきた。

 

「――おっと、危な」

 

 博麗霊夢は間一髪で、空から降ってきた女の子をキャッチした。

 女の子は、びっくりした様子で博麗霊夢を見た。

 

「あ、あれ? さっきまで金髪の変なお姉さんと、お医者さんごっこして遊んでいたのに……」

「霊華! 無事か!」

 

 霊華という名前らしい少女の父親は、子供が帰ってきたことの安堵感ゆえか、少女を抱擁してしばらく男泣きをしていた。

 その光景を見た博麗霊夢は、「家族っていいなぁ」と思った――そして、若干の妬みを覚えた。

 霊華の容貌が、恐ろしいほど博麗霊夢に酷似しているからである。両親を早くに失った自身と比較して、世の不公平さを感じてしまったのだ。

 とはいえ、その嫉妬心は刹那の時だけだ。

 あり得たかもしてない自分の可能性の一つを見た博麗霊夢は、向日葵のような笑顔が魅力的な少女の頭を撫でた。 

 

「あなたは表情が豊かなで可愛いわね」

「……? 巫女さんも素敵なのに」

「いやぁ、私は笑顔もマトモに作れない鉄仮面だから」

 

 自虐的にそう言って、博麗霊夢は手で追い払う仕草で人だかりを霧散させた。

 

「じゃあね、霊華ちゃん。あとであなたを誘拐した金髪の変なお姉さんを、私の大切な友人の『金髪の子』をけしかけてお仕置きするから。だから、安心してね?」

「……金髪の子?」

「あっ、ありがとうございました!」

 

 お礼を言う霊華の父親の姿を確認して、博麗霊夢は颯爽と人里の道を歩いて行った。

 

「あ、えっと、ありがとうございました!」

 

 父親の真似をするように、霊華は道を歩く博麗霊夢の背中に謝辞を述べた。

 博麗霊夢は振り向かずに、「んっ」とだけ言って左手を上げた。

 

 

     ★

 

 

 博麗霊夢は、隠れるように人気のない道まで歩いた。

 人の姿が全くないことを確認して、小声で呟いた。

 

「紫」

「……はい。いかがなされましたか?」

 

 突如として斬り開かれたスキマからは、しおらしい紫の上半身のみが現れた。

 ギロリと博麗霊夢は紫を睨みつける。 

 

「いかがなされましたか? じゃねーわよ! アンタ、いくら自分が管理する側の妖怪だからって、好き勝手やって……!」

「ち、違うのよ霊夢! これには訳が!」

「わけ? なら言ってみなさいよ」

「うっ、それは……」

 

 紫は一瞬押し黙り、苦渋に満ちた表情で絞り出すように声を出す。

 

「……それは、その。私、よく人里の様子をスキマの中から眺めるのが趣味なんだけど、たまーに霊夢みたいな黒髪の女の子を見つけてね。ちょっとだけ、攫ってみたいなぁってというスキマ妖怪の本能みたいなものが発揮しちゃうのよ」

「でも、最近は噂になるほど神隠しが頻発してるみたいじゃない」

「うっ。それは、最近霊夢が更に冷たいから……あ、そうだ! 霊夢がかまってくれないのが悪いんだし、私に全ての否があるとは言えないのでは? なんて――」

「あ"?」

「すみません私が悪いです」

 

 紫は上半身だけで土下座のような形を作った。多分、あまり反省していないと思う。

 

「……はぁ。アンタという妖怪の性質上、神隠しをするのはわかるけどさ。一応アンタ、妖怪の賢者ってやつなんだから自制しなさいよ」

「してるもん。いつもは」

「でもさっきの霊華って子は、長時間も親元から離れさせていたようじゃない。いつもは遅くても一時間なのに」

「はい。正直な話、霊夢が返せと言わなかったら一年くらい私の側に置いとくつもりでした」

「――はっ?」

 

 一年という発言に、博麗霊夢は驚きを隠せなかった。

  

「だってほら、あの子ってほんとに可愛かったじゃない? 霊夢に瓜二つで」

「確かに、そっくりすぎるほどそっくりだった」

「でしょ? だから、つい興奮して張り切っちゃったの。キャッ!」

「……キャッ、って。年齢考えなさいよ」

 

 兎にも角にも、これでひとまずは安心か。

 博麗霊夢に注意された以上、紫はしばらくの間は神隠しを起こさないはずだ。ただ、紫の様子を見るからに、今回の被害者の一名に限ってはいずれまた手を出す可能性がある。

 一応、今後は監視しておくべきだろう――あの花のような笑顔を浮かべる少女、霊華を。

 

「それにしても、本当に何者なのかしら? あの霊夢似の女の子は」

「何者って、なんでそんなこと思うの?」

「だってあの霊華という女の子、あまりにも霊夢に似てるんですもの。名前もそっくりだし、きっと何かあるはず」

「ふっ、まさか。ありえないわ」

「あら、なんでかしら。意外とあの霊華って女の子は、霊夢の生き別れの妹かもしれないわよ?」

 

 確かに、そういう設定の少女がいたら面白いかもしれない。

 だがそれはありえない、と博麗霊夢は一蹴する。

 

「ないわ、絶対に――だってあの子、私に似てるけど、私に似てないもの」

「どういうこと?」

「ほら、あれのことよ――表情」

 

 博麗霊夢は、自身の鉄仮面を指差した。

 よほど感情が揺れ動くことがなければ、全く緩んでくれない自身の頬。

 

「確かに霊華ちゃんと私の容姿はそっくりよ。だけど、心はまったく似てない。私、あんなに良い子じゃないもの」

「そうかしら。霊夢はとっても良い子よ」

「流石にそれは、親馬鹿ってやつじゃない? ――あ、今のは別に、アンタを親だと思って言ったわけじゃないから!」 

「あらぁ、それは残念ねぇ」

 

 照れ隠しだと思っているのか、紫はニヤけた笑いを浮かべていた。

 

「ともかく、アンタはしばらくおとなしくしてなさい! これで話は終わりよ」

「はいはい。もう手は出さないわよ、多分」

 

 かけらも信用できない言葉だが、どれほど叱ってもこのスキマ妖怪が反省することはないと理解しているので、博麗霊夢はそれ以上は何も言わずに再び歩き始める。

 天魔に会う時間短縮のため、ある者を三度探す。

 

「あ、霊夢」

「なによ」

()()()()()()()()()()()、鈴奈庵に向かいなさい」

「――えっ」

 

 博麗霊夢が誰を探しているか、紫には伝えていないはずだ。

 

「私、こう見えて頭がとーてもいいのよー」

 

 博麗霊夢が心中に思っていることを予想してか、紫はそのような言葉を残してスキマを閉じて姿を消した。

 博麗霊夢だけが残った。

 

「……ほんと、胡散臭いやつ」

「――ちょっと! 誰が胡散臭いよ」

 

 一人になったかと思えばまた現れた。

 

「いや、あのまま帰りなさいよ」

「だってぇ、霊夢が失礼なこと言うからなぁ」

「もう何も話さないからね。アンタの助言通りにするのは癪だけど、今から鈴奈庵に行くんだから」

「はーい、言ってらっしゃーい」

 

 手を降って見送りする紫。

 溜息を吐く博麗霊夢は、これ以上喋るのを面倒臭く思ったのか黙って踵を返して鈴奈庵の方面に向かう。

 

 射命丸文。

 紫が言い当てた通り、博麗霊夢は彼女を捜していたのだ。

 

 彼女――射命丸文は、妖怪の山を仕切る天狗の一人である。

 縦社会の妖怪の山でもそこそこ地位の高い部類の妖怪で、博麗霊夢との仲も悪くはない。山の長である天魔との対面に至るには、まず彼女に頼るのが一番だと思ったのだ。

 まぁ、天狗らしく合理的な妖怪なので、断られる可能性もまた高いが――その場合は、その場合だ。

 

 さて、ともかく博麗霊夢は鈴奈庵に向かう。

 十五の時分を逃せば、射命丸文はそこから立ち去ってしまうだろう。  

 博麗霊夢は、歩く速度を早めた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。