「こんばんわー。おっ邪魔しまーす」
「……ちょっと。勝手に入らないでよ」
小悪魔のような容貌をした小悪魔は、ずけずけと、家主の許可を貰わないでそこに入る。
――小悪魔は、博麗霊夢が住まう博麗神社に入室した。
「いま何時だと思ってるのよ。9時よ。夜の9時よ」
「紅魔館的には、夜の9時はむしろ朝ですよー」
紅魔館の主であるレミリアは、夜の住人の吸血鬼である。だから、人間である咲夜を含めた紅魔館の住人の昼夜は逆転しているのだ。
それはともかく、一般的な常識は弁えてほしい、と非常識人である博麗霊夢は思う。
靴を脱ぎ揃える小悪魔は、思い出したかのように唐突に言った。
「ところで有名な話ですが、吸血鬼が人の家に入るとき、家の者の許可が下りないと入れないようですね。でも、あくまで小悪魔な私は違います――いやぁ、便利な身体ですねぇ」
「厄介な身体ね。虫のように、許可無く人様の家に入り込めるんだからね。――でも知ってるかしら? 虫は、家の者に見つかったらデリートされるのよ」
「ははっ。天下の博麗の巫女様にそんな虫を見るような目されたら、この矮小な小悪魔なんて、瞬く間に虫の息になってしまうそうですぅ」
「…………」
博麗霊夢の正体を知っている小悪魔だ。当然、そんなこと微塵も思っていない。
博麗霊夢自身も、先程のフランドールとの戦闘で起こったような奇跡が再び起こらない限り、自分では小悪魔程度の妖怪すらも退治できないと理解している。
怒りの沸点が人並みより低いゆえ、小悪魔の煽りで脳に血が登り上がっているが、戦闘要員である魔理沙が近くにいない状況なので、歯を食いしばって感情が出るのを我慢する。
「で、私に何か用かしら。まさか、そんな雑学を披露しに来たわけではないんでしょ?」
「いえいえ。実はそんな雑学を披露するために訪ねたのですよー。この小悪魔、どんなに無駄なことでも、面白そうなことなら何でもかんでも実行いたしますからねぇ」
ヘラヘラとした笑顔の小悪魔は、またしても博麗霊夢の許可を得ずに、座布団の上に腰を下ろし湯呑みの茶を啜った。
ちなみに、湯呑みの茶はすでに博麗霊夢が口を付けているものである。
「……げぇ、何このお茶。出涸らしどころか、ただのお湯じゃないですか」
「勝手に飲んで勝手に文句言うな」
「悪魔的な飲み物です! だって、一応茶葉を使っているのにお湯なんですよ? 実に無意味、実に無価値! お湯だと言われて飲むよりも、残念感が増し増しです!」
「勝手に喜んでんじゃないわよ。ていうか馬鹿にしてるでしょ」
本当にこの小悪魔、何をしに来たのだろうか。
ただでさえ今日は疲れたから早く寝ようと思ったのに――珍しく霊力を使ったせいか、身体が風邪っぽいから、遅くまで起きていたくないのに。
「あらあら。血色が悪いですね。フランドール様に血でも吸われましたか?」
弱い博麗霊夢が更に弱まっているという状況が、愉快なのだろうか。小悪魔は、クスクスと笑う。
「……うるさいな。あぁクソ。ここに魔理沙がいれば……」
「『魔理沙がいれば、こいつを払えたのに』、ですか? やれやれ。主人公なら普通は、『私に力があれば』、でしょ。霊夢さんってほんと、人間の怠惰性を極めたお方ですよねぇ。非人間的で、実に人間らしい人間ですよ」
「それはどうも。アンタに褒められても嬉しくないわ」
「――でも、そんなんだから貴方達はバッチリと噛み合っているんですよぇ」
「……貴方達?」
小悪魔は嗤った。
「霊夢さんと魔理沙さんのことですよ。ほら、貴方達って、ぶっちゃけ共依存してるでしょ?」
「共依存? 何言ってるのかしら。私が魔理沙に依存していることは、事実だけど」
その人間から逸脱した魔理沙の魔法力に、博麗霊夢は依存している。それを否定するほど博麗霊夢は愚かではない。
「だけど――魔理沙は、私に依存してなんかいないわ」
そもそも、依存されるような要素を博麗霊夢は持っていない。
そのことを恥じたことはないし、一方的に魔理沙に依存していることを、申し訳なく思ったことは――無いとは言わないが、だからといって魔理沙への依存を止めるわけにはいかない。博麗霊夢が弱い博麗の巫女である以上、それは無理なことなのだ。
「ははっ、この兎さんは何をおっしゃるのやら」
「ありえないわよ、魔理沙が私に依存してるだなんて。魔理沙とは10年くらいの仲だけど、今日までにそんな素振りを見せたことは一度もないわ」
「ははっ。本当に、貴方は何をおっしゃるのやら」
「いや、だからそれはありえないって」
「――それこそありえないですよ。そんな歪んだ関係を10年も続けられるなんて、普通ありえるわけがない」
小悪魔は、今日一番愉快そうな笑顔を出した。
「貴方みたいな非人間に、
「……ありえないってことはないでしょ。だって、そんな人間がここにいるもの」
「えぇ、居ますね。ほんと、貴方という人間は、奇跡のような
「ふーん。よくわからないわね。つまりは、『人間はいま生きていることが最大の奇跡』ってことでしょ」
「そうかもしれませんね。極論を言うならそうかもですね」
会話をそこで打ち切らせて、小悪魔は懐から袋を一つ取り出して、ちゃぶ台の上に置く。
茶を飲み干し、立ち上がる。
「じゃ、さようなら霊夢さん。その袋に入ってるの、霊力活性剤ですから、寝る前に飲めば体調良くなるですよ」
「えっ。えっと、あ、ありがとう。まさかこれを届けに来てくれたの?」
「か、勘違いしないでくださいね。ふらふらとした足取りで紅魔館から去った霊夢さんの身を案じて、頑張って慣れない薬の調合をしたわけではないんですからー」
「……棒読みやめなさいよ」
ふざけるものだから、せっかく素直にありがたく感じていたのにすっかりとその気持ちは霧散してしまった。
玄関で靴を履く小悪魔は、ふと思い出したかのように言った。
「そういえば、貴方達の関係を共依存だと言い放った理由を、私はまだキチンと述べてませんね。私、あくまで小悪魔なので、親切にすべてを教えるつもりはありませんが――一応、ヒントくらいはお伝えしましょう」
ある意味答えそのものだけど、と小悪魔は小さく言う。
「霧雨魔理沙はね、博麗霊夢を使ってその存在を証明しているのですよ――陰陽を逆転するが如く、光を闇で塗り潰すが如く。
はははっ、楽しみですねぇ。どっちの『博麗育成計画』が成功するのでしょうか」
博麗霊夢は、その言葉の意味がわからなかった。
☆
同時刻、霧雨魔理沙は家の屋根の上で寝転がり、星を眺めていた。
「……今日の空は、少し暗いな」
最近はずっと満天の星空が綺麗だったのに、今日はいつもより雲が多くて星が隠れていた。
「こんな日は、気持ちが沈むな。ほんと、ドンヨリだよ。……あぁ、そういえば、今日の霊夢のあれは、いったい何だったんだろうか」
なぜか突然、先程のフランドール戦の博麗霊夢を思い出した。
あのときフランドールを倒したのは博麗霊夢だ。魔理沙は、お膳立てでしかなかった。
「あんなまぐれって、起こるんだなぁ……ハハハ」
魔理沙は笑った。空笑いだった。
そうだ、魔理沙だって、もうわかっているんだ――
「――クソ。情けない。なんて情けないんだ、わたしは……」
涙が、溢れて止まらなかった。
魔理沙は、自責するように舌を強く噛む。弱い自分がここに存在していることが、許せないのだ。
「嫌いだっ、みんな嫌いだっ――霊夢も、私も、みんな、みんなっ――大嫌いだッ! うっ、うぅ……」
まるで幼子のように、魔理沙は嗚咽を漏らす。
嫌い、嫌いと、何度も呪言を吐き出す。
そう、魔理沙は最初から全てをわかっていたのだ。
博麗霊夢には、神様からの寵愛を受けているが如き、天才と言い表すのも生ぬるいほどの才能があるという事実を。
「あぁそうだよ。紅霧異変のときも、フランドール戦のときも、まぐれなんかじゃないよ。あいつは、霊夢は、実力でレミリアとフランに勝ったんだ。しかも、何の努力もせずに、簡単に――」
博麗霊夢がやったことを言い例えるなら、川に一つの小石を投じて川を二つに裂いたようなものだ。
魔理沙がそこまでに至るには、どれほどの小石を川に投じれば良いのだろうか――想像もしたくない。想像して、両者の才能の圧倒的な差を知りたくない。
「クソ。私がこんなに頑張っているのに、どうして、なんで、アイツだけ――アイツだけ、ヒーローみたいに強くなれるんだよ」
魔理沙は九年前に、己と博麗霊夢の才能の差は、努力では埋められないほど大きいと気づいていた。
魔理沙が魔力による飛行の術を修練していたときである。幼い頃の魔理沙の飛行の術は、まだ最速には至っていなかった。そのときはまだ半年しか練習してなかったから、浮くことはできても前進することはできなかった。
だけど、魔理沙は半年の修練で空を浮くところまでいけたのだ。一生かかっても浮くことすらできない人間は多くいる。魔理沙は間違いなく、才能がある部類の人間だったのだ。
魔理沙は、それを誇りに思っていた。
自分にはきっと、物語の主人公のような壮絶な人生が待っていて、数々の苦境をこの才能で乗り越えるのだ。魔理沙は、幼くして自分にはヒーローの資格があるのだと、正しくない自覚をした。
だから、数少ないの友人である博麗霊夢に自分の才能を自慢したのは、幼さゆえの傲慢があったからなのだろう。
いま思えば、魔理沙は博麗霊夢だけにはそれを自慢するべきではなかった。
――博麗霊夢は、一発目で飛行に成功した。
しかも、魔理沙のように浮くだけではなく、空中を自由自在に飛び回ることができた。速度も、最速には至らないが、平均の速さはあった。
魔理沙は、それを見て絶望したのだ。己の才能に、ではない。この世の不条理についてだ。
神様は、一人の人間を贔屓する。二物どころか、万物を与えるのだ。多分、博麗霊夢の才能に限界はなく、人並み以下の努力をするだけで、軽く天下を取れるのだろう――それこそまるで、物語のヒーローのように。
魔理沙が心の底から最も欲しているものを、同年代の友人は持っているのだ――そんな凄いやつが同年代、しかも自分の友人だということが、特に腹立たしかった。
そうだ。だから。
だから霧雨魔理沙は、
「……あぁ、そうだ。霊夢には、弱いままであってもらわなきゃ困るんだよ」
もし博麗霊夢が魔理沙よりも強くなってしまえば。
「私は――霊夢のヒーローになれなくなるじゃないか」
だから魔理沙は、この計画を続けようと思う。
絶大な才能を秘めている博麗霊夢を、巧く操って弱く在り続けるように調整し、育成する計画。
その計画の名は――
「――『博麗育成計画』」