「ハハハッ!! こんなに楽しいのは久し振りよっ! たまには身体を動かすのも悪くないわね!!」
止まぬ高笑い。
部屋を紅色に染める勢いの怒涛の弾幕。
そして蚊のようにすばっしこく部屋を駆け巡る白黒の魔法使い――霧雨魔理沙は、己が出せる最高速度でフランドールの弾幕を避ける。
「チッ、これじゃあ埒が明かないな……」
無意識に舌打ちをした魔理沙。
その表情には若干の曇りが見える――しかし苦虫を噛み潰したような厳しい表情をしている魔理沙だったが、その心内にはまだ余裕があった。
予想していたより、吸血鬼フランドールは強くない妖怪だった。
無論、大妖怪の吸血鬼なだけあってそこらの木っ端妖怪とは比べ物にならないほどの強者であることは疑いの余地もないが――それでも姉のレミリアよりは圧倒的に弱い。
(とはいえ実力差は無いに等しいんだ。もし霊夢に火が飛んだら……流石の私でも守り切れるか微妙な線だな……)
霊夢を口車に乗せ、フランドールが居る地下に連れてきたのは失敗だったか――否、愚策ではあったかもしれないが、決して失策ではなかったはずである。
まず前提の話をすれば霊夢がいなければ魔理沙の目論見は決行する前に失敗していた訳だし、そしてなにより、霊夢には不思議な力が備わっている。
その不思議な力とは、人並外れた生存に特化した運――霊夢の巫女としての才能と云えるそれ。
足元に火が付いても難なく苦境を一転させるチート的な強運。
その驚異的な運こそが、博麗霊夢の真骨頂――霊夢が望まぬ悲劇を絶対的に回避できる力。
(もし私という人間の死亡が、霊夢にとって望まぬ未来なのだとしたら――私の身の安全は、その時点で保障されているようなものだ)
魔理沙が頼りにしているのは霊夢の運。
恐らくそんな不確定要素を確定的なモノとして扱っている魔理沙は愚者と言えるのだろう。
先輩魔法使いのパチュリーが知れば呆れ果てられるはずだ。
(でも――ほんとに霊夢の運は規格外だしなぁ。
魔理沙はこれまで何度か霊夢の運に助けられてきた。
記憶に新しいのは、一週間前の異変の首謀レミリアとの最終決戦だ。
魔理沙を地に伏せた吸血鬼レミリアを降参させた技――恐らくマグレで発動できたのだろう博麗の奥義の一つ、『夢想天生』。
あらゆる概念から浮き無敵状態になれる攻略不可能のその技は、決して戦闘前に秘伝の書を一読するだけで行使できるような秘技ではない。
だが霊夢は、夢想天生を難なく発動した。
……当人は自分がそんな偉業を成せていたと理解してはいないだろうが、夢想天生はそう容易く行使できるモノではない。アレは初代博麗の巫女が一生を掛けて修得した絶技である。
霊夢のような才無き人間が使える技ではないし、テスト前に試験範囲を軽く確認するような気安さで使えて良いような代物では決して無いのだ。
だからあのとき霊夢が夢想天生を発動できたのはただのマグレによるもの――奇跡のようなものなのだ。
少なくとも霧雨魔理沙はそう理解していた。
「あらステファニー! 気が散漫してるわよー!」
「――っと、危ねっ」
すんでのところで魔理沙はフランドールの弾幕を
灼熱の弾幕が右腕を掠り、皮膚が溶けたかのような感覚が走った。
もちろんそれは錯覚だ。
弾幕に殺傷能力はない。
だが――幻痛は生じるのだ。
(実力は同等だろうがそれでも相手は吸血鬼。気を緩めたら一気に追い詰められるか……)
魔理沙は精神を研ぎ澄ます。
感覚を鋭くさせ回避に徹する。
……弾幕ごっこでは火力を優先し相手を押しまくる魔理沙ではあるが、この度の弾幕ごっこに限っては違った。
あまりフランドールを刺激したくない。それと可能な限り敵対したくない。
あくまで魔理沙は遊びに付き合うだけだ。全力を尽くす所存であるが本気では挑まない。
そう、魔理沙とフランドールが興じているのはあくまで弾幕ごっこという遊戯であり――決してスペルカードルールに基づいた決闘ではない。
(さて、大変だろうがあのお嬢様が疲弊するまで踊っていなきゃな……存分に暴れた後なら、ちゃんとした会話もできるはずだろう)
魔理沙の目的を果たすのなら、フランドールとの会話は必要不可欠だ。
一言で良い。
一言だけで良いのだ。
フランドールの口から直接言質を取れたら――
「……私の手で、このカゴの中のお嬢様を救い出すことができる――困っている奴は救わなきゃ……」
そう。
その偽善的な想いこそが、魔理沙を突き動かす原動力なのだ――――
★
「――――プッ、くっはっはっ! 魔理沙さんってホント人間的で馬鹿ですよねぇー」
「…………この、生粋の黒幕が」
腹をか抱えて笑い転げる小悪魔に、パチュリーは軽蔑に満ちた視線を刺した。
――ほんの一分前の話である。
大図書館の本を整理していた小悪魔は話があるとパチュリーに言った――笑いを堪えながら小悪魔が語ったのは『なぜ魔理沙が地下に行きたがっていたか』の理由だった。
「くっ、くくくっ……いやー、まさか
あの方、まさか神にでもなるつもりなのですかね? 『困っている奴は救わなきゃ』なんて、そんな優越感に浸りたいだけの偽善的な想いを、恥ずかしがることなく語って……クッ、だ、ダメだ! あんな背中が痒くなることを言う魔理沙さんを想像するだけで、腹がよじれそうになっちゃいますぅ〜」
「……この悪魔」
「失礼な、小悪魔です! 可愛い可愛い小悪魔ちゃんの可愛いイタズラじゃないですかぁ〜。そう睨まないでくださいよぉ」
テヘッと舌を出す小悪魔であるが、やっていることは決してイタズラレベルのものではない。
あろうことが小悪魔は、凶悪的な吸血鬼のフランドールの元に人間二人を送ったのだ。しかもその二人の人間死んでいい有象無象の類の者ではない。
「お前、レミィに殺されても知らないわよ」
「ハッハッハっ。何の冗談ですかそれ。
――
「…………チッ、アスモデウスの半身風情が」
「今はただの、しがない小悪魔ですがねー」
ニコニコと愛嬌を振りまく小悪魔であるがパチュリーは殺意しか覚えない。
……今更だが私はとんでもない奴と契約してしまったと、パチュリーは後悔していた。
まさか低級の悪魔を召喚するつもりが、七つの大罪の色欲を司る魔王の一つの半身を顕現させてしまうだなんて――力の大部分を失った半身とはいえ、私は何て厄介な者を引いてしまったのだろうか。パチュリーは自身の不運を心底から呪った。しかも魔界への返還は不可だし、何なのだこの使い魔は。
……まぁ一応、使い魔として役目は果たしてくれはするのだが――性格的な意味でこの小悪魔を名乗る悪魔は最悪である。人をおちょくるようなことしかしないのだから。
「別にいいじゃないですかー。博麗の巫女が付いているんだしぃ、パチュリー様がラブしてる魔理沙が冥界に逝くようなことには多分なりませんよー」
「……別に、魔理沙はどうでもいいわ。でも、もし博麗霊夢の肌に傷の一つでも付いたら――」
「――レミリア様が、黙っていないと?」
「そうよ」
「いや、その場合は霊夢さんがその程度の人間だったってことでしょう。レミリア様の熱も冷めますよ」
「……もしもがあるかもでしょ。それにレミィは予想に反する吸血鬼だし」
「ま、確かにあの方は常に我々の予想の斜め上を行きますからねぇ。いやー、それ考えていなかった! 流石でっすパチュリーさま。
よっ! 発想豊かな大魔道士ッ!」
「…………」
コイツ絶対煽っているだろ。
見下しているようなニヤケ顔が鼻に付く。
これだから小悪魔のことを本心から好きにならないのだ――いや、正直に言ってしまうと大嫌いだ。解雇できるなら今すぐ解雇してやりたいとパチュリーは思っていた。
「あ、パチュリー様。脳みそにピンク色の汚れが――あ、ピンクじゃなくて百合色でしたね」
「コイツ絶対煽っているだろ」
「やだなー。この主に従順な小悪魔。パチュリーを馬鹿にするわけないじゃないですかやだー。大丈夫。パチュリー様はちょこっと脳に百合の花が咲いているだけでそれ以外は賢い頭ですから! 百合の花が咲いてるだけで!」
「お前口臭いから黙ってくれないかなぁ!」
「ハッハッハっ! パチュリーさまは酷しい方ですねぇ」
半ギレのパチュリーをニタニタとした表情で見ながら小悪魔はお口にチャックを掛ける動作をした。
「全く……ほんとコイツは……」
パチュリーは大きな溜息を吐いた。
――その後、パチュリーの言いつけを守って口を閉じていた小悪魔が一枚のメモ用紙にペンを走らせた。
ペン先に蓋をし、小悪魔はパチュリーが座っている場所の方向にメモ用紙を滑らせた。
ちょうど目の前の所でピタリと紙は停止する。
パチュリーは――その紙に書かれた文字を読んだ。
「……なにを言いたいの」
「…………」
「喋っていいわよ」
「――さぁ、なんのでしょうかね?」
「やっぱ一生黙ってて」
「…………」
パチュリーはもう一度、その紙に書かれた文字を読んだ。
『 霧雨魔理沙の存在証明。
博麗霊夢の正体とは? 』
……小悪魔は、何を伝えたいのだ。
パチュリーにはまったく分からなかった。
★
「――――な、何だよ、これ」
霧雨魔理沙はあり得ないこの現状を見て呆然としていた。
下を見れば――
もはや原型は留めていない。誰がどう見ても、焼け死んだことは明らかだ――
――そして魔理沙は、
「――――」
彼女は――笑っていた。
狂気的な笑みではなく、稚児が浮かべるような純粋な笑み。まるで新たな玩具を与えられ歓喜しているような笑顔――表情筋が固く些細な慶事では感情が表にでない博麗霊夢が、心底からそれを愉しんでいる証拠。
「ねぇ魔理沙――」
博麗霊夢は嬉しげな声で魔理沙に語りかけた。
恐怖で、ビクリと魔理沙の身体が震える。
「――妖怪退治って、ほんっとうに面白いのね」