バナナな短編集   作:バナナ暴徒

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脱け殻になったある男の物語。


You and I,against the world

波の音が耳を撫でる。真夏だと涼しげな心地よい音なのだろうが、冬の寒い夜、しかも独りだと寒々とした感想しか浮かばない。

 

 だが、彼女はそんな夜にこそ、この砂浜に来るべきだと言って譲らなかった。彼女曰く、『こういう寒々とした砂浜だっていいところがあるんだよ。素敵なね。そんな素敵なことに気づかない人達だってたくさんいて、それに気づけてる私達って凄い幸せだと思わない?』

 

 多分僕たち程真冬の夜の海岸に来たカップルはいなかっただろう。僕は顔をあげて黒いビロードのようになった海を見る。空気が澄んでいるためか月がこの上なく綺麗に水面に溶けている。懐かしい記憶と共に、彼女の笑顔がフラッシュバックしてきて涙が出そうになるが、すんでのところで堪える。僕は泣いていい立場ではない。

 

 コーチジャケットをカサリと鳴らしながら立ち上がって、ズボンの尻についた砂を叩き落とす。僕は無言でその綺麗な景色に別れを告げ、砂浜の沿道に停めてある自分のバイクに向かって歩いた。バイクのエンジンをつけると、静謐な空間を壊すかの如く無骨な音が鳴り響く。彼女はこの無骨な音さえも綺麗だと言ってはしゃいでいた。正直僕にはどこが綺麗なのか全くわからなかったが、この音自体は嫌いではない。どこか心を奮い立たせてくれる。

 

 僕はフルフェイスのヘルメットをかぶり、バイクで走り出す。頭の中に声が響く。『世界が私達に置いていかれて流れていく!』これも彼女の言葉で、僕の後ろで言って楽しそうにしていた。そんな彼女にはもう会えない。楽しい思い出ばかりだったために、寂しさが計り知れないレベルで僕を襲い続ける。赤信号で止まると同時に軽く鼻をすすり、フッと息を吐き出す。次のそのまた次の信号のある交差点で彼女は死んだ。僕の手が届かなかったばっかりに。

 

 僕は無言でバイクから降り、交差点で立ち尽くす。夜も深まり車の通りも少なくなってきていて、かなり遠くまで見渡せる。ヘルメットを外して、右手で抱える。明日で彼女が死んでから丁度一年。僕は何も変われてない。ただただ毎日嘆いてルーティーンのように大学に通うだけ。今の僕はゴミ以下だ。笑うことだってできやしない。そんなことできる立場の人間ではないだろう。ビルの灯りが夜闇に輝き、僕を責め立てる。光が槍のように鋭利に尖り僕の体を串刺しにする。苦痛で表情が歪むのが感じる。このままでは死んでしまう。そもそも何故僕は生きているのだろうか。生憎中々車は通ってくれそうにない。溜め息をついてバイクに再び跨がり、エンジンをかけようとしたときだった。誰かが僕の後ろに乗った気がした。

 

「ねえ、良からぬこと考えてるでしょ。」

 

「えっ」

 

 そのどこか聞き覚えのある声に、僕は思わず声を出して振り返ろうとした。

 

「ほら前向いて?世界を置いてこうぜ?そうだなぁ。いつも行ってたあのラーメン屋に行きたいなー。この時間でも多分まだやってるでしょ。」

 

 僕は全く状況が飲み込めていなかったが、取り敢えず彼女の言うとおりにバイクをラーメン屋に向かって走らせた。

 

「ひゃっほおおぉぉ!久し振りだーこの感じ。さいこー!」

 

 背中に彼女の温もりを感じる。まだ顔を見てないからよくわからないが、恐らく『彼女』だろう。だとしたら幽霊?幽霊って体温あるのかな。

 

「相変わらず無口だなあ。お?そろそろ着くんじゃない?」

 

 確かに目当てのラーメン屋はすぐそこだ。僕はバイクを停め、バイクから降りて彼女と向き合った。息を飲む。何をどう言えばいいのかわからないが、それはやはり僕の彼女だった。彼女がお気に入りだとよく言っていた服装で、なにも変わらない笑みを浮かべている。僕は信じられなくて言葉が出てこなかった。

 

「えっと…」

 

「あれ?元カノの顔も忘れちゃった?」

 

 言葉が出てこない僕を見ると、そう悪戯っぽく言って彼女は少し前屈みになって再び口を開く。

 

「ほーらー早く行こーぜー」

 

 そのラーメン屋は彼女の生前よく来ていたラーメン屋で、濃厚な豚骨ベースのスープが魅力的なつけ麺が売りのラーメン屋だ。最も彼女がいなくなってしまってからは辛くて来ることは無かったのだが。久し振りに彼女と一緒に並んで前に立つと何とも言えない気分になる。

 

「おぉー何も変わってないねぇ。相変わらず人気が無さそうだ。」

 

「僕も一年ぶりかな。多分」

 

 彼女は少し驚いた様子でこちらを見たが、そのまま店の扉に手をかけた。

 

「やっぱり私はいつものつけ麺かなぁ」

 

「じゃあ僕も同じのにするか」

 

 店の中に入って二人で同じ食券を買い、見覚えのある店主に食券を渡して案内されたカウンター席に並んで座る。話したいことは山ほどあるはずなのに、自然と昔のように二人で黙ってラーメンを待つ。しばらくすると、ちらりと目線をよこした店主が突如として口を開いた。

 

「お前さん達随分久し振りだな」

 

 驚いたように彼女は声をあげる。

 

「え、覚えててくださったんですか?」

 

「そりゃ週に三回位来てりゃ覚えるだろ」

 

 そんで、と店主は話を続ける。

 

「そっちの兄ちゃん大丈夫か?」

 

「「え?」」

 

 僕達二人の声が被る。僕は自分の顔に手を当てた。すると生暖かい液体が手についたのを感じて驚く。彼女が呆れたような顔をする。

 

「なーに泣いてんだよ。情けないなあ」

 

「いや泣くつもりは」

 

「ほら取り敢えず食って落ち着けや」

 

 目の前に二人分のラーメンが置かれた。僕は無言で頷くとそれに手をつけ始めた。彼女は久し振りだなぁと呟きながら、麺をつけ始めていた。

 

「おぉ…何も変わってない。うめー」

 

「そうそう店の味は変えねえよ。」

 

 そこからは無言で二人とも麺をすすっていたのだが、唐突に彼女は顔をあげて口を開く。

 

「そういえばそのPizza of Deathのコーチジャケットまだ着てるんだね」

 

「ん、まぁそうだね」

 

 僕がそう言うと、彼女は少し嬉しそうに笑いラーメンに目線を戻した。

 

「ごちそうさまでした。」

 

 しばらくして僕達は立ち上がって店を後にする。

 

「また来いよ」

 

 店主の声を背中に受けて出た店の外は、四方八方から僕の肌を刺してくる。僕達はそのまま無言で少し歩く。その時間は不思議と心地よく、ずっとこのまま二人で歩いていたいと思った。しかし、得てしてそのような時間は長く続かないもので、彼女は立ち止まって僕に話しかける。

 

「ねぇいつまでしょげてんの?」

 

「え…」

 

「全く情けないったらありゃしない。そんなんじゃそのPizza of Deathの名が泣くぜ?」

 

「でも僕が…」

 

「何?自分のせいだと思ってるの?違うに決まってるだろ。」

 

「え?だって僕の手が…」

 

「もうそんなのいいからさ、前に進みなよ。そろそろさ。」

 

 その彼女の言葉を聞いた瞬間、僕は目の前が真っ暗になった気がした。見捨てられたのか。そう思った。死んだ彼女に捨てられるというのは、字面だけでも可笑しい話だが、僕はそれで全てを失ってしまった。何も考えられなくなったようだった。そんな時だった。彼女が唐突に歌いだした。

 

「You and I, against the world. No more bullshit, let's bring all the wrongs to right. Don't you cry, No useless words. Fight for the ones you love and are precious to you.」

 

 彼女は歌い終えるとこちらを見て微笑んだ。

 

「何の歌かわかるでしょ?」

 

「健さんの…」

 

「そう私が一番好きだった歌。You and I, against the world.この歌詞の意味わかる?」

 

「あんまり英語得意じゃないから曖昧にしか。」

 

「じゃあ教えてあげるよ。」

 

 彼女はウィンクすると真っ直ぐに僕を見て口を開いた。

 

「俺とお前で世界に立ち向かうんだ。ウソはいらない全てのものを正解に変えていく。もう泣くなよ。無駄な言葉はいらない。愛する人や大切な人のために闘え。」

 

 軽く息を吐き出すと、彼女は再び僕に言葉をぶつける。

 

「今君に一緒に世の中に立ち向かう人はいるかい?今君がその人のために闘えると思える大切な人はいるかい?」

 

「いやそんなのは…」

 

「いらないとかいう嘘っぱちはやめろよ?ったくもうメソメソしないでよ。今の君には君を愛してくれる人が必要だ。君を理解してくれる人がね。」

 

「僕にそんな人が存在するのかな?」

 

「その台詞は私に失礼じゃない?私が惚れたんだから君がモテないはずがないでしょ。」

 

「そ、そうかな?」

 

「あったり前じゃん!私は君の幸せを願ってるからウソはつかないぜ。」

 

「それは良かった。」

 

「君がこっちに来たらまたイチャつこう。」

 

 そこまで言うと彼女は何かを思い付いたように顔を輝かせた。

 

「ねぇねぇ。最後にさ、あの海岸走ってよ。思いっきり。一夜の奇跡なんだからいいだろー」

 

「ああ勿論」

 

 僕達はバイクに跨がってあの海岸へと向かっていた。月は少し南中から西に傾いた辺りだろうか。

 

「やっぱりいいなぁ君の後ろ!そろそろ海みえてくるかなあぁー?」

 

「そろそろじゃないかな?」

 

「あ、ほんとだー!やっぱり綺麗だあ!最後に見れて良かったあ」

 

「最後か…」

 

「何?名残惜しい?」

 

「そりゃ名残惜しいけどさ、君にあんなこと言われちゃったし。君の方に言ったら嫉妬されるくらいの惚気話をしてあげようか?」

 

「はは、それは楽しみだなあ…。いやしかし、この景色を最後に君と見れたの最高だったよ。」

 

「それは…良かった」

 

「クスッそれじゃあね。そうだな、最後に一言。君がこっちに来るまで、Stay gold!」

 

 美しい月光が僕らを照らす。僕の後ろから少しずつ重さが消えていくのを感じる。ちらりと後ろを見ると、バイクの後ろから金色の光が、風に乗って空気中に分散していっていた。その光は月光の光の下さらに輝いていて恐ろしく幻想的だった。思わず涙ではなく笑みがこぼれる。彼女は最後までこんなにも輝いていていた。じゃあ俺はどうする?彼女に『輝き続けろ』と言われてしまった。月光によってできた薄い自分の影を見て呟く。

 

「I won't forget when you said me "STAY GOLD".」

 

 輝き続けて消えていった彼女を想って呟く。

 

「I won't forget always in my heart "STAY GOLD"」

 

 僕は一緒に世界に立ち向かう人と出会って輝き続ける。僕はもうメソメソしない。笑顔で再び彼女に会うために。


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