ショートホームルームを含めた本日全ての授業が終わった事を告げる鐘が鳴り響き、全員がそれぞれのグループに分かれて下校していくか、部活に勤しむか、それとも教室に残って雑談やカードゲームで遊ぶ。
それが今までの日常であり、これからも続くもの。
俺だってその例外ではない。現時点で復習や予習が必要な教科の参考書とノートは鞄の中に、それ以外は机の中に入れたまま鍵をかけた。帰宅する時に全部持って帰るのは無駄だし。
余談だけど、うちの学校の机の教科書とかを置くスペース、そこには4桁のナンバー鍵付き扉が設置されている。悪戯とかパクられるのを防止する為にと、かなり前の代の生徒会長が提案して承認されたとか。無駄と考えるか、必要だったと考えるかはさておき、生徒会長の権限が結構な部分まで通るという例かもしれない。
とまぁ、いい加減、現実逃避の為に無駄知識を思い出すのもやめよう。
「……はぁ」
溜息を吐く。もう溜息とはたった二日間で唯一無二の親友だ。これ以上吐き続けると今度は兄弟関係になるんじゃないかな。尚、海斗は昼休みの騒動で悪友兼親友以下にランクダウン済。決して親友未満に落ちないのだろうさ、いやもう全く。
さっさと帰ったのが癒奈さんを初めとする極一部のグループだけ。
それ以外、というよりは大多数の同級生どもは雑談しながらこっちの様子を見ている。バカじゃないの、去年までは良くも悪くもお互いに風景扱いしてただろうよ。
昨日クーラと一緒に帰っていた男女混合グループも、チラチラと此方を見ながらクーラと雑談をしている有様。良いから一緒に帰れよ、別に気にしないから。それとも何か、これは自意識過剰って奴なのか。だとしたら改めないといけないけれども。
5分程度、無駄に机の中身を整頓したり、鞄の具合を検めたりして時間を潰しても殆どが何時もと同じ行動を採らない事を確認しただけだった。いや帰れよお前ら。帰らないなら俺が先に帰るぞ。むしろ先に帰れば良かった。
自分を含めてこの場に残っている全員が普段通りの行動を全く採れていない事に気付いて凹みながらも椅子から立ち上がり、振り向いて……顔を派手に引き攣らせてしまった。
海斗、何時からお前はこっち見てニヤニヤしていたんだよ。ナチュラルにウザい事この上ない。イケメンフェイスをキモいレベルまで落としてニヤつく事があったのか問いただしてやりたいが、したらしたで今度はドヤ顔で何か言ってくるのはこれまでの付き合いで知悉しているのでしてやらん。
「なぁ海斗。そろそろ帰ろうか」
「えっ? 悪い、もう一回言ってくんね?」
「――なぁ海斗、そろそろそのキモい笑顔引っ込めてサッサと帰ろうぜ」
「えっ? 悪い、もう一回言ってくんね?」
「そろそろレバーブン殴るよ?」
お前はRPGの村人Aか。あの流れからクーラと一緒に帰らないとかねーよとでも言いたいのは判るけど、お前流石にそれはない。昨日まではもうちょっと俺の事を考えて発言していただろうよ。
それとも何か、必要な事だからそうしてるとでも言いたいのか。
じっとりとした視線を向けていると、ジョークジョークと肩を軽く叩いて落ち着かせようとしてきた海斗に「誰のせいでこうなったんだと思っているんだ」と抗議の声をあげながら鞄を手に取る。
「俺だけじゃなくね?」
「お前だけじゃないだけだろ」
「まぁな。けどなぁ、言葉足りなかったり態度が面白かったりするのはどうかと思うぜ」
「面白いは余計過ぎる」
「事実だからしゃーない。ま、フォローとかそういうのはしてやっからお前もしとけよ」
肩を二度叩いてくるな。何に対してのフォローだよ。クーラの事だとは思うけど、何をフォローしろってんだよ。あとそれを今言うな。
周囲に眼を走らせてみれば、こちらの様子を伺いながら話している人が結構な数で居る事を自覚し、益々欝っ気が増していく。
昔も思ったけど俺達は見世物じゃないんだよ、見世物じゃ。
とは思ったものの、流石にそれを声に出す事はしない。色々溜め込んだものを溜息として流して、歩き出してみせる。
こちらを全く見ていないクーラの横を通り過ぎ切る直前に「マッカートニーさん、またな」と言い残して教室から出た。
コレで良いのか判らないけど、取り合えず言葉はかけたからな。と言う意味を込めた目線を横に並んで来た海斗に向けると、微かに首を縦に振った。当たっているようで何よりだ。
教室から出て階段を降り、下駄箱を開けて靴を交換し、校門に出る。
流石に石動さんも居ないようだ。居たらサボり疑惑を突きつけてやる、絶対に。と思っていたんだけど。
「いなくて何よりだ――」
「あん? 何がよ」
「あぁ、石動さん」
一言で理解したのか「風紀委員でもないんだ、流石にねーだろ……」と呟いて苦笑する海斗に、俺も同じ色の笑みを浮かべて「まぁほら、石動さんだからさ」と呟きながら海斗が何時もそうしているように肩を竦めて見せた。
すると海斗は「すーんげぇ説得力」と、コレは俺のオリジナリティだぜと言わんばかりに大袈裟に肩を竦める。やっぱりその仕草、妙に似合うよな、海斗。
余り日本人ぽくないからか?
「ま、石動の事はどうでも良い。この後どうすんのよ」
と早々に話題を切り捨て、本題に移る海斗。俺はさりげなく周囲を見渡して知り合いや他の生徒が余り近くにいない事を確認した。声を張らなければ聞かれない距離って大事だ。
「クーと買い物だな。昨日は必需品以外買わなかったし、今日は携帯とか買わないと」
「へぇえ……で、何時に何処へ行くのそれ?」
「え。そりゃクーが帰宅して少ししたら、飯田上砂通りの方に行くけ――」
そこで海斗が「は?」と声をあげたので、言葉を切って首を傾げる。今の流れに変なものはなかったと思うけど。
すると海斗は「はぁ」と溜息を吐いてみせた。しかも額に手を当てるジェスチャーも同時で。何だよ一体。
「……マジでチャレンジャーだなお前」
「何でだよ」
「上砂なんてうちの学校のテリトリーだろ。本当に隠そうとするなら帰宅部連中を避ける事を徹底するし、部活とかゲーセン帰りが多い17時まで、理想は主婦層に混じれる18時までは家に引き篭もって、そっからタクシーなり電車なり使って笹子町のショッピングモールにまで足を伸ばすね、俺なら。まぁ、逆に今の時間に笹子町まで足を伸ばしてもバレやしないとは思うけどな?」
ぐうの音も出ない。
独りで買い物に行く時と全く同じ要領でしか考えていなかった。
黙り込む俺に、多少の呆れを滲ませた海斗が、
「なぁ圭吾。そりゃテンパったりするのは判るぜ。今のお前の性格で置き換えてみりゃ俺だってそうなるとは思う。けどよ、もうちっと視野ッつーか、一回深呼吸して考えようぜ? 今までのお前ならこんなミスしなかったろ」
「……確かにそう、だな。もう少し冷静に、冷静に……冷静になれたら良いなぁ」
途中でほぼ諦めた俺に、判らんでもないとばかりに背中を軽く叩いてくる海斗。
多分、海斗は察している。家で何が起きているのかを。夏海さんの電話の一件では傍に居たのだ、多少なりともその会話を聞き取っていただろうし。
「ま、お前の選択だ。理不尽な理由と犯罪以外ならどんな事があってもフォローしてやんよ」
「……サンキュー」
「それに、結局のところお前はクーラさんの事が好きなんだから、今隠しても意味が無いっちゃ意味が無いんだよな。一週間だか一ヶ月だか知らねぇが、付き合う事に変わりは無いんだ――そうだろう?」
海斗が極自然に告げた言葉を聞いて、まぁ、そうかもな、と極自然に頷き。
しまったと顔を顰めるのと同時に、海斗が底意地の悪い笑顔を見せてきた。
「このツンデレめ」
「ツンデレ言うな。野郎のツンデレとか需要ないわド阿呆」
「好きな女子に素直になれない小学生って需要あるぜ?」
「お前ぶっ飛ばすよマジで」
「あー悪ぃ、流石に小学生じゃなかったわ」
ったく。そう悪態をついて前へと歩くスピードを上げようとして。
「心だけ小学生だった」
振り向きざまに鳩尾目掛けて腰の入った右での一撃を繰り出した。
バシっと快音が周囲に響き渡る。初めからこちらの狙いが判っていたのか、アッサリと受け止められる。ヘヘッと笑ってくる海斗に対し、無言で受け止められている拳をグリグリと回して抗議の意を放つ。
「判った判った。50歩だけ譲ってツンデレでOK?」
「……もうそれで良いよ」
やぁ兄弟。酸素と二酸化炭素の入れ替え御苦労さん。今日は何回目だい?
そんな挨拶が脳裏に浮かんだのは決して気のせいじゃないし、多分間違ってもいない。でも溜息に対してだけでそこまで言う程の回数が出るってまずいと思いたい。
ただ、そんな風に浮かんだ言葉と同じタイミングで、もしクーラの対象が海斗だったら、という、我ながらアホみたいな考えがドンと出てきていたので、
「なぁ海斗、お前ならどうする?」
何と無く。本当に何と無く、クーラへの対応を聞いてみると、海斗は難しい表情を浮かべて3秒程「あぁあぁあぁ――」と唸り声を上げた。
その後にポリポリと中指で頬を引っかくようにしてかいて、
「まずお前の心情抜きで、過去幼馴染だったという事実込で完全に俺だったらとするぜ?」
「あぁ」
「正直首から下はともかくとしてガチでタイプじゃねぇのでルームシェアのルールを決めたら後は普通に接する。告白されたとしても絶対に断るし、性格どころか性質も合わないので続かねぇから付き合わない。ヤるまでがお試しとなると少しだけ考えるぜ、流石に。けどよ、絶対に俺の方が参るから結局のところ変わりは無ぇな。ついでに言えば、過去に何かがあったんだろうが、その事態が余程のものじゃなきゃ俺はスルーしてるから縁は切れてんよ」
ビックリするほどバッサリだった。そして首から下って断言する辺り相変わらず下衆い。
思わず凝視してしまう俺に、いつものアメリカンなジェスチャーを交えて海斗は断じる。
風が荒ぶって整えていた髪が後ろへと流れる事に鬱陶しそうな顔をしながら、吐き捨てるように海斗は言い切った。
「正直重いんだよ、普通はな。んで、俺はあぁ言うタイプはもうお腹一杯だ」
「あー……まぁ、そうだよな」
確かに拒否感が出てもおかしくない。
けどそうなるとちょっとおかしい。俺に拒否感がまるで無い。
愛しているとか、身も心もとか言われてすんなり受け入れている……筈無いんだけどなぁ。もしかしたらクーラがぶっ飛んだ性格になっているから受け止めきれていないとか。でなければ俺の考えに一貫性が無いって事になるし……いや有ったのかすら解らないけども。
外見で言えば確かにピンポイントで狙い撃ちされた感があるし、性格もアレはアレで全然悪くない。
それで付き合わないのは――
「――意地、なんだろうなぁ」
溜息混じりに言葉を小さく畳んで帰宅路へと放り投げた。クーラはクーラで昔の俺に言われた事を意地でもやり遂げたんだろうし、俺は俺で外見から入っている事を自覚しているから手を出すならもう少し後にしたいと。我ながら下らないとは思うけど、コレを踏み外して付き合った場合、何か互いの気質的な意味で見れば、一気に青々とした爛れている生活になりそうだと思うと、やはり二の足を踏む。
それに恋人で止まるかどうかはお互いの視野次第だと思うけど、クーラの場合は結婚前提とか言い出しかねない。というか目に見えている。
再会して直ぐにそうアタリを付けられる位、彼女は真っ直ぐになってこちらに来た。
で、俺はご覧の通り螺旋階段と。これじゃまるで救いようがない。
「……はぁ」
「俺が溜息吐きたいんだけどな? さっきからスルーしやがって」
「うおッ?」
無意識の内に下げていた頭を引っぱたかれて、俺はようやく海斗との会話を放棄していた事を自覚した。眉間に若干の皺が寄っている事と、周囲の風景を見るに結構な時間、考え事をしていたようだ。短いと思っていたのに。
「あー……悪い。もっかい頼む」
「いや、もう良いや。一回しか言ってやんねぇ奴だったからな」
「何だそれ」
変な言い方に思わず横目で見ても、欠伸をして伸びをしだした海斗にはまるで通用していない。
俺が悪いんだけどさ、考え事してスルーしていたし。
周囲を何と無く見てみれば、桜の花びらが舞い散っている。あー、この光景もあとちょっとなんだよなぁ。もうちょっと桜の種類を増やしてくれれば時期が少しずつずれて長く見れるんだけどなぁ。
まぁ、だから花見をしよう、と言い出したんだろうけど。俺全く気付かなかったけども。
「……つーか、思い出した。首から下ってなんだよ」
「あぁ? そりゃお前、あんなムチムチボインちゃんだったら鼻の下伸び伸ーびだろうよ、常識的に考えて。顔は完っ璧俺の嗜好と外れてっからそう言っただけで」
「お前最低だな」
「ハッハー、此処にいるのは俺とお前だけだろ? 下がる人気も無いってな」
「もっかい言うがお前最低だな」
ジットリとした視線を送ってやってもハッハーと笑って切り捨てるあたり、コイツ本当に欲望に忠実過ぎる。
けどなぁ、圭吾が誰かと付き合っているという話を聞いた事ないんだよなぁ。モテる癖に。バレンタインデーでチョコガッツリの癖に。
やっぱり残念イケメン枠で通っているからかな。
「うるっせぇな、お前だっておっぱい好きだろうよ」
「う。いや、まぁ、そうだけどさ……そもそも道の往来でそんな事を言うな。それにお前程、俺は執着してない、と思う」
「お前と俺だけだろ、此処にいんの。良いか圭吾? おっぱいはでかければでかいほど良いし、無ければ無い方も良いし、中途半端は中途半端で良い。巨乳好きや貧乳好きがいても巨乳嫌いや貧乳嫌いって言葉は世間に浸透してないだろ? つまり、おっぱいってーのはそれ位偉大だって事だ。OK?」
「何だその雑な方程式」
「あーついでにアレだ、ケツもこう、丸いのも良いけど尖った感じの骨が出ている奴も良いよなぁ。それに太ももデブで上半身ガリとかもギャップがあって最高じゃね? あぁでも逆は普通か? きょぬー的な意味で」
「誰か助けてくれ……」
「此処にいるのは俺とお前だけだろ」
そうでしたね。
毎度毎度思うが、コイツの女子の体型に対する談義が無駄に語ってくるので正直メンドクサイ。しかも良く判らないし。上半身ガリで下半身デブとか逆とか、一体どういう運動とか食事をしたらなるんだよ。体質か?
まぁ、それを聞いたら喜々として教えてくるんだろうから言ってやらないが。
此方を見ずに空を眺めながら語っている海斗を全力で西日に向けて流し続けて早5分。
「とまぁ、やっぱり人間、最後はおっぱいに落ち着くって事だな」
「胸、くびれ、足、服装ときて最後にそれかよ」
「原点回帰原点回帰」
「左様で」
例えノリが悪いと言われようとも、あんまりそういう話をするのは好きじゃないというよりも、誰が聞いているか判らないので自室以外ではしたくない。
海斗はそれを判っていて振ってくるのでタチが悪い。
そうこうする内に、何時ものY字道路に差し掛かり、俺は右へ、海斗は左へと足を向けた。どちらからともなく、多分ほぼ同時に手を挙げて挨拶をし、
「なぁ圭吾」
「ん? 何だ?」
「重くねーの?」
「……俺からすれば、重くはない、かな。クーの普通はアレなんだろうし」
「ふぅん。ならま、良いけどさ。んじゃな圭吾」
「? あぁ、またな」
一人で納得したように頷きながら手をヒラヒラと振り、去り際に「俺は時々、お前を尊敬したくなるよ」と言葉を置き土産とした海斗に対して、俺は思わず「良く判んないけど納得すんな」と呟いた。
独りになって黙々と進み、数分もすれば自分の家だ。
帰宅して、いつものように手を洗って顔を洗顔料で洗い、自室へと戻って鞄からプリント一式を取り出し、要る物と要らない物にわける。要らない物は当然ゴミ箱行きだ。
「時たま自分をゴミ箱に放り込みたくなる衝動ってあるよなぁ」
アホな事をのたまいながら、俺はせっせと要る物を学習机の引き出しや教科書や課題をそれぞれしまう棚のどれかに丁寧に入れていく。こういう事には几帳面なのだ。少なくとも此処で適当にすると勉強する時のやる気が削がれてしまう。勿論経験済みだ。ついでに言えば、勉強中に机の整理とかをやりださない為の予防でもある。そこから良く判らない漫画とかエロ本とかを読むコンボになるのも勿論経験済みだし。
作業にもならない作業が終わり、あっという間に手持ち無沙汰になった。
まだ課題が出ていないのでやる事が無い。暇潰しに何かすれば良いんだけど、そういう気には到底なれなかった。
少し前までは学校内での自分の扱いや他人への扱いと自分のコンプレックスに嫌気が差していたり、石動さんが何で絡んでくるのかとかそういうマイナスな感情を働かせない為にもゲームや読書、マラソンや近くの公園でサッカーボールなりバスケットボールなりテニスラケットなりを持って知らない奴等と適当にやるなり独りで遊んだりしていたものだけど、昨日からはまるでそんな思考も、行動も起こそうとは思わなかった。
今や、暇になれば浮かんでくるのはクーラの事ばかりだ。
「ったく……ちょっと本気で良く判らないな」
好かれるような行動をしていたかもしれないが、アレは頼まれてやったものだったというのも知っていたなら、どう考えても転ばないと思うけど。
逆の立場になって考えると、俺だったら紐付きの優しさだと判った時点でキレる。
……まぁ、確かにあの時、クーラが絶大に嫌がっていたのはそれなんだろうな、とたった今気付いたので正直複雑な思いになったけど。
だから判らない、とも言えるだろう、うん。
大きく伸びをして、床に大の字になって寝転ぶ。
「本当に、判らないなぁ……」
そう呟いて、天井を見詰める。取り合えず、クーラの好意云々は脇に置こう。
クーラが帰宅したら、何処に行くのかを決めておかないとな。
明後日の放課後は花見で潰れる。その後は普通に家に帰る時間だろうしな。
となると今日明日でやれる事をやっておかないといけない、と。
必要なものというと先ずは携帯電話が思い浮かんだ。クーラが迷子になる可能性もあるし、友人が出来た時に携帯電話がないと不便だ。お金は貯金していた分もあるし、問題ないレベル。
それに、クーラ自身も早めにこちらに来ていたのなら口座位は持っているだろうから、そこからアーサーおじさんから支給されるお金を使うかもしれないし。
後は昨日言っていた洗濯物用のネットだな。
化粧一式はまだあるだろうからパス、服も多分あるだろうからパス。食材もまだあるけど、弁当用で考えるなら少し物足りない。まぁこれは明日に回せば良いな。
今日やれる事は明日に回せ、とは良い言葉だと思う。勿論逆も使うけど。
「となると、携帯電話と100円ショップ位か。後はクーに聞いてみないと判らない、と」
今日の行動はほぼ決定だな。
そう結論付けた時、遠くからパタンと扉が閉まる音がした。クーラが玄関に入ってきた音だ。
立ち上がりながら「行くか」と呟いて、ドアを開ける。
トントンと、音を立てて上って来るクーラが此方を見つけるのと同時に、手を軽く挙げる。
「おかえり、クー」
「――あぁ、ただいま、圭吾。この後、外出するのだろう?」
「うん。携帯電話と昨日言っていた洗濯用のネットを買いにさ。今日は笹子町に行こうと思う」
「笹子町……? 確か電車で3駅、だったか。近場で良いのではないのか?」
「あー、まぁ、そうなんだけどさ。デパート内の方じゃなくてちゃんとした携帯ショップの方が種類が多いからな。一応そっちで決めて貰おうかなって」
「そうか。判った」
真横を通り過ぎるクーラのふんわりとした柔らかで甘い匂いに、何処となく落ち着かなくなる。
ドアを開けて姿を消すクーラが、ピタリと止まってこちらを見た。何と無く視線を辿ってみれば、俺の服を見ているようで……服?
バッと視線を下げると、ブレザーのままだった。
しまった、着替えていなかった。
「……いや、俺も着替えるからね?」
「ふむ。私はてっきり、キミが着替えるのを忘れていたと推測したのだが」
「やかましい」
眼を少しだけ細め、唇の端を微かに持ち上げたクーラに、妙な気恥ずかしさと腹ただしさを覚えた俺は、精一杯の一言を返して自室へと戻る。
今日の気分として、暗い紫色のスキニーパンツをブラウンのツインベルトで締めて、上は割とキッチリとした白シャツと黒がかった灰色のウィンドブレーカーに裏地がモノクロ縦ストライプのリバーシブルタイプのブラックコートを羽織る。あとは出かけにレザースニーカーを履けば完璧だ。
全部色が違うので結構合わせるのが難しかったりする。特に上。上から薄めたり濃くしたりでも微妙になるケースが多いし。
ただ着替えの時間は女子よりも遥かに短い。何せ5分もかからない。早着替えは俺の特技だ。
それが理由でなのかドアを開けてみれば、壁に背を預けていたクーラが少しの間、体を硬直させていた。予想よりもかなり早かったからか。
そして、表情は変わらずとも思わずという風に聞いてきた。
「舞台ミュージカル経験でも?」
「いやないから……」