15:冴えないやり方
ピピッ、ピピッ、ピピッ、とアラームが三回鳴った時点で、ようやく意識が覚醒した。
その覚醒した事に愕然として、一気に眼が覚める。半ばパニックを起こしているような手探りをして、携帯のアラームを止めて時間を確認すると、なんと6:15と示していた。
「……はぁ……」
溜息を吐いて、ゴロリと寝返りを1つ打つ。
日記を書き、歯を磨いていない事に気付いて一度洗面台に戻り、その後寝床につき、結局そこから日を跨ぐまで眠れず。
気付いたらアラームで叩き起こされていた。一人暮らしをして、久しぶりの経験だ。
原因は、判っている。
昨日の事を思い返すと、どうしたって意識してしまう。意識してはいけないのに、アレは反則だ。
「……ご飯、作らないとな」
うだうだやっている時間は、あんまり無い。
起き上がり、スリッパを履いて部屋から出て、階段を静かに降りて洗面所に行き、顔を冷水で叩いて無理矢理眼を醒まさせ、タオルで顔を拭って溜息2回目。睡眠不足とアラームで叩き起こされた気怠さの中、歯をシャコシャコと磨きながらぼんやりと窓を見た。
春先のこの時間帯はようやく明るくなり始めた頃だ、漏れている光がやや弱い。
2分程で歯を磨き終わり、口を濯いで頭を振って溜息3度目。スタスタと歩いてリビングまで行き、リビングの明かりをつけてキッチンへ。冷蔵庫からミニトマトやレタス、水菜等の野菜を取り出し、適当な大きさに切ってサラダ用に使っているボウルに放り込む。
昼は、まぁ、多少重たいのでも大丈夫だろうと信じるとして、作り置きしていた鶏肉の唐揚げと手製のミートボールにしよう。
朝っぱらから揚げ物を作るのもたまには良いだろうさ。
「しっかし、参ったな……」
小さい頃、あんだけ見事なチンチクリンが、とんでもない美人になって好意を寄せてくる。
その原因は、確か人種ネタで散々な目にあっていたクーラを、あの時は……そう、無駄な義務感で守り続けたんだっけな、多分。大して覚えてもいないけども、そんなんだった筈だ。
「けどまぁ、自分にとっては大した事ではなくても、人によっては大切な事だ、という例なんだろうさ」
適当に材料をザックザク切りつつ、夜のメニューはどうしたものかと考えながら、愚痴は続く。
確かに全方位から切り離されるのは精神的にキツイ。そこで手を差し伸べられたら陥落するのも判る。
それは、身をもって体験している。
癒奈さん然り、夏海さん然り。
けど、どうにも釈然としないのは、何でだろうか。
「なぁんか、引っかかるんだよなぁ……」
辛い時に優しくされれば、誰だって落ちるのかもしれない。
万が一の可能性なら、日本語を巧く扱えていないのかもしれない。
そう思っていたいけど、どうにも引っかかる。
再会してのっけから言われた言葉が、強く心に残っている。
『私は圭吾に身も心も捧げるべく此処に来たのだぞ』
……あの体で、あの言葉を言われるとなぁ。
こう、アレだよアレ。挟むとか、揉むとか、色々出てくるよな。
「――っと、あっぶな」
危うく朝っぱらからピンクと紫が混じった世界に突入するところだった。
そういうのは海斗の役目であって俺じゃなかった筈だ。
「そう、何故なら俺は……枯れたがりの高校生だからだッ」
無駄かつ無意味で言っていてやたらめったらに哀しくなってくる言葉を吐き出しつつ、俺は失敗しかけた料理のリカバリーを始めた。
結局、この時点で俺は疑念やら何やらを棚上げした。というか素で忘れた。
ガッシガッシザックザックと料理を作り終えたのはそれから40分後。
朝食は既に並べ終え、弁当箱におかずを詰め込み終わり、最後に炊飯器からご飯を出そうとして、ふと時計を見ると、7時前。そろそろ起きてこないと余裕をもって登校できない時間だ。
夏海さん曰く、女の子は色々と準備する為の時間が必要らしいしな。
「あー起こさないと駄目な系かコレ……」
昨日あんな事があったのに?俺が起こしにいくの?え、いや意味がわかんないだろ。
いやいや待て待て、アレだ、自室で準備しているんだろ、コレで俺が心配して起こしに行ってドアを不用意に開けたら着替えてましたーとかのパターンとか有り得そうだしな。
「けどご飯冷めてしまうし……あーそっか、何時に起床とか話さなかったんだっけか」
参った。何か凡ミスが多いぞ俺。
そうなると、やはり待つよりは行くしかないわけだ。
溜息を吐いて、炊飯器からご飯を取り出して弁当箱に詰め込み、蓋をずらして乗せた。ご飯有る程度冷ましてからじゃないと蓋開き難くなるし。
重い足取りで、静かに階段を上り、クーラが眠っている部屋の前まで来て一つ深呼吸。
無駄に緊張しているのは自覚している。
ノックを4回し、
「……クー、ぉ起きろお」
変に裏返りかけた声を出したのは誰だ。
俺だ。
と一人寂しいツッコミを入れていても、返事が無く。
強めのノックを4度。
「――え。マジで?」
鍵かかっていたら、いいなぁ、と呟きながらドアノブに手をかけ、ゆっくりと回してみる。ちなみに鍵がかかっていなかったらノックではなく扉を破壊する勢いで4回殴って起こしていたんだけどなぁ。
ガチャリ、という鍵かかってますよーという音は響かず。
キィィ、と蝶番が軋む音が耳朶に飛び込んできて、俺は思わず「いや鍵かけろよ」とツッコミを入れつつ、取り合えず、深呼吸をした。
ふんわりと良い香りが部屋に籠っている事に気付き、とことん落ち着かなくなってくるが、もうどうしようもないと溜息をついて、部屋に入った。
昨日と同じ状態の部屋。
違うのは、クイーンサイズのベッドに寝ている幼馴染が居る事と、暖房がついている事だけだ。
「うわぁ……」
そう、暖房がついているので、なのかは知らないが。
確かにクーラは眠っている。いるのだが。
その状態が問題だった。
まず、布団を抱きかかえて、丸まって眠っていた。
タオルケットがお腹に巻きついているのを見ると、グルングルン回転していたんじゃないだろうか。それともそれが落ち着くのか。
ハニーブロンドの海から露出している横向きの寝顔は穏やかで、ぽってりとした唇は小さく開いているし、第2ボタンまで外れているパジャマから僅かに見える白い肌と胸は凶悪だ。
横顔だけ見ればあどけなさやら何やらで良い感じに見えるし、胸元はアレだしと、パーツパーツで見れば相当なんだけど、引いて全体を見るともうね。
「なんつーか、色々残念な……いや腹チラとかになってない分マシっちゃマシかもしれないけどさ……腹巻に見えんぞアレ」
起こすべきだろうけど、コレは何と言うか、本当に起こして良いのだろうか、むしろ気を遣ってドアドンドン叩いた方が良いんじゃないだろうか、と思わせる程の破壊力を秘めていた。色気とかそういう類のものではなく、主に残念という意味で。
取り合えず迷いに迷ったので、何と無くエアコンのリモコンは何処だと探してみる。タイマーでなかったら注意しないといけないし。
「あったあった。あぁ、タイマー設定だ……良かった、電気代がガン上がりしないで済む」
所帯染みた事を言っているが、本当に切実だ。一人暮らしさせて貰っている身で浪費なんて駄目だし。
リモコンを操作してエアコンのスイッチを切り、結局俺は覚悟を決めてクーラの肩に手を伸ばした。
ぬくい体温に何と無く落ち着きが無くなる事を自覚しつつも、ゆすり続けた。
「クー。朝だよ」
「hmm...dad,what time...」
「いやオトン違うし。俺だし」
思わず突っ込んでしまったけど、そういえばコレは前にもあったな、アーサーおじさんに頼まれて、初めて起こしに行った時だ。
あの時は、こう、90年代後半あたりで大ヒットした映画……そう、確かアレは泥棒を撃退する少年ばりの「ahhhhhhhhhhhhhhhhhhhhh!!」的な絶叫付きビンタ喰らったっけ。
その後、アニメや漫画みたいに紅葉腫れしたんだよなぁ……となると、俺、これは、結構痛くて不味いパターンじゃないだろう、か。
「...well......why?」
「……やぁ、お目覚めか、な?」
長くて多い睫毛に縁取られている、亡羊とした碧眼が徐々に徐々に覚醒していくにつれて大きく見開かれていくのを見て、引き攣った笑顔で反射的に一言呟いた。
取り合えずグーはやめて欲しいなぁ、と色々諦めながら、俺は審判の時を待った。
5秒程の沈黙の後、
「――gosh!!」
「――おぉ!?」
ドンッという音がする程、凄い勢いで俺から離れるように、手足をフルに使って反対側へと吹っ飛ぶようにして離れたクーラ。
明らかに体が浮くほどの強い力でベッドを蹴り、手でも押し出したのを見て、俺は思わず体を仰け反らせた。
一瞬、バトルアニメで腹に強い一撃を貰って吹っ飛ぶような姿だなぁ、と場違いな感想をもった瞬間に気付く。
あぁ、アレ多分、落ちるなと。
「oh!?」
「あ」
掛け布団で絡まっていたのもあり、全力で離れたのもあって、ベッドの淵ギリギリよりもやや外側へとクーラの体が移動し、手足をワタワタさせて耐えようとして。
結局、1秒も持たずにドンガラドッサンとベッドから転落した。
「――おぉ……」
背中からいったぞアレ。自爆強打コースか。こいつはクレイジーだ。
というか、無事か?行き過ぎて首からいってないだろうな。
恐る恐る反対側まで歩き、ひょいと覗き込むと。
寝起きに変な行動を採ったからか、左手で左足の脹脛を抑え、右手で背中を抑えて蹲っているクーラが居た。
「ッ痛い。とっても、痛い……」
「一体何をしてんだ、お前さんは……」
弱々しくそう呟くクーラに、呆れ混じりの妙な笑いが込み上げて来たのもあり、引き攣った半笑いを浮かべている事を自覚しながら手を差し伸べる。
クール系の美人がシュールな行動を採った結果、お笑いのワンシーンを髣髴させるような行動を採ったんだ、俺は鉄面皮じゃないので笑ってしまうのは仕方ないだろう。
何気に日本語に切り替えている辺り、覚醒はしたようだ。
あぐらをかいて左足の脹脛をマッサージしながら、眉根を寄せて痛みを耐え忍んでいるクーラが、思い出したようにこちらを向いた。
「圭吾、今何時だ?」
「7時だよ。ご飯出来たから起こしに来たんだけど」
「もうそんな時間か……すまない、寝坊したようだ」
「え。いや、寝坊て。お前、何時に起きるつもりだったんだよ」
「6時に起きて手伝いをしようと思ってい――」
手伝い?朝食のか。いや、必要無いだろう。と言いかけたのだが、ピタリと止まったクーラを見て、何と無く口を閉ざした。
というかいい加減、この差し出した手の行き場が無くなってくるから、とっとと取ってくれないかな。
「今のは無しで」
「いや、手伝わなくても問題ない……あー、小さなサプライズをやるつもりだったのか」
「今のは無しで」
「あ、あぁ、判った。判ったから早く手を取ってくれ」
言い知れぬ迫力というかポロっと言ってしまって私凄い後悔してます的なオーラに負けて、俺は表向きは無かった事にした。
しっかし、寝起き時の頭の回転が極端に鈍るのは変わってないのな。
手で引っ張り上げ、俺は踵を返して振り向かずに、
「着替えたら降りてきてくれ」
「判った」
開きっぱなしだったドアを後ろ手で閉め、たった2日目でもう家族入りとなりつつある溜息を吐き出しながら、俺は階段を降りてキッチンへと戻り、ご飯を茶碗に装い始めた。
さておかずは温めるべきかどうか、と考えたものの、時計を見てみれば10分も経過していない事に気付く。
まだそこまで時間が経ってなかった事に驚きながら、俺は配膳を終え、席に座った。
まぁ、まだ降りてきて5分も経っていないから、あと10分は待つかなぁ、と思った途端。
一段、いや二段飛ばしで階段を降りる音が聞こえ、明らかに廊下を駆け抜けたとしか思えない音がした。
「……いやオイ、急かしてなかっただろ俺……」
呆れながら、椅子を少し後ろに下げて頬杖をつき、テレビをニュースチャンネルを映してぼんやりと眺めた。
流石に歯磨き他諸々の時間は取ったようで、天気と占いのショートコーナーが終わる頃に、ドアをそっと開ける音が聞こえた。
「改めておはよう」
「……あぁ、おはよう」
キリッとした、或いは涼やかな風貌で入ってきたクーラ。化粧を一切しない、日本人とは違うスタイルでいるクーラがセーラー服を着ている事に、どうにも違和感や落ち着きの無さを与えてくるなぁ、と思いながら、俺は挨拶を返した。
引いて全体像を見ると、やはり足が長い。多分普通の女子が並んで歩いたら腰の位置と脚の長さとかがハッキリする位、違う。
それに凛々しさ、と言えば良いのか、それとも僅かな緊張感、と言えば良いのか。その雰囲気が独特の冷たさを放っている。この雰囲気と外見の良さが組み合わさっているのだ、モテるだろうさ。
ただまぁ、視線が微妙に合っていないので、色々全体的に無かったことにしているつもりなのだろう。
「クー」
「何だ?」
「俺別に急げなんて言ってなかったから、そんなに全力ダッシュせんでも良かったと思うんだけど?」
「全力ではないし、待たせるのは悪いと判断しただけだ。流石に全力で走ったら転ぶしな」
「階段でか?」
「勿論だ。転がり落ちてみれば判るがな圭吾、実際アレは痛い」
色々ズレている事をその雰囲気を纏ったまま表情を変えないで淡々と、かつしみじみと語られても、そのなんだ、困る。
というか実際痛いってやらかした事あったのかよ。俺が居ない間のお前はどういう生活だったのか聞いてみたい。聞いてみたいが、何か妙に長くなりそうだと思ったのと、時間が僅かながらに押してきているのもあって、そーかい、とだけ返して会話を切り上げた。
クーラが席についたのを確認してから手を合わせ、頂きますと呟いて食事を始めると、意外な事にクーラの食べる速度が結構速い。昨日と殆ど変わらない速さで食べている。
俺も早めに採り終えるタイプだが、女子ってこんな早いものだっけ。イメージでは遅いっていうのがあったので何だか新鮮だ。
「圭吾、手が止まっているがどうした?」
「え。あ、いや、食べる速度が速いんだなって」
「のんびり食べる事も出来るが、時間が無いだろう。負担にならない程度の速さで食べるさ」
「……まだのんびり食べる事が出来る時間なんだが。昨日はかなり早く出ただけだし」
と呟き終えた瞬間。
ピタリ、とクーラの箸が止まり、眼力が強い碧眼がこちらを射抜くようにして見詰めてきた。
地味に威圧されている気がするのは、多分気のせいじゃないな。
「それは、本当か?」
「いやおいクー、昨日はイレギュラーだったからな? 何も用も無しに早めに学校行くわけないだろ。アレはお前が日時指定無しに来たからテンパっていたのと、経験上、転入する際は早めに登校しないといけないのを知っていたから早めに出ただけで、いつもはそうだな……もう後30分位は遅く出るよ」
「そう、か」
微妙にショックを受けているような言い方に疑問を感じたけど、すぐに氷解した。アレだ、もう少し寝たかったんだなと。
「ん? あぁ、何だ、もう少し起こすの後にした方が良かったか?」
「いやそれだと手伝、ではなく……ええっと……」
「……日本語変換できなくて詰まったのなら英語で話してくれても良いんだけど、というかな? ぶっちゃけいい加減に誤魔化すの諦めろよ」
「嫌だ。もう少し待ってくれ。巧い言い訳を思いつく筈だ」
「お前は一体何を言っているんだ」
こっちに右手の掌を向けつつ、左手で額に手を当てて考えながら言っているクーラ。
こいつまだ頭寝てんじゃないだろうか。アメリカンホームコメディでもあるまいし、何だその言い訳とポーズは。
8割呆れな視線を飛ばしていると、流石にその視線に気付いたのか、ポーズを解いた後、わざとらしい咳払いをした。
「食事中の私語はマナー違反と聞いた」
「今更お前は何を言っているんだ」
「違反と聞いている」
「……違反でも何でも無いんだけどな」
呆れ混じりにそう呟くも、綺麗な箸使いで黙々と食事を再開し始めたクーラ。
どうしても黙殺したいわけだな。というか食事中の私語がマナー違反て何処の国だよ。今の日本ではお前が住んでいたトコと同じで口に食べ物入っている時以外は会話していて良いんだぞ。要は咀嚼音が響くと駄目なだけで。実際はもうちょっと理由があるけどさ。
けど、こうなったら梃子でも動かないという風に譲らないのがクーラなので、諦めて俺も食事を再開する。
ただ、気まずさは殆ど無い。というか気まずさよりも可笑しさが勝っている。
表面はあくまでクールだろう、外見も含めて。だが内面は殆ど変わっていない。
だからこそ、この後の展開が読める。
「圭吾、さっきから口許が緩んでいるが、私の顔に何かついているのか?」
「本当に予想通りだな、そこら辺」
「ん?」
「何でもない、気にするな」
ほら来た。
さっきからチラチラと此方を見てきていたのだ、気になったら聞いてくるという、どうしようもなく判りやすい点が変わっていない。内面に関しては本当にあの頃のまま。
それが、何と無く微笑ましい。
「……気になるのだが」
「機嫌が良いと思っとけ」
むぅ、と不満が口から零れているが、俺はそれをスルーして今度こそ食事に勤しむことにした。のんべんだらりな感じになりすぎている。もうちょっとスピードを速めないと、クーラが先に食い終るだろう。
個人的には殆ど同時が良いのだ、待つのも待たれるのも余り好きじゃないし。