正義が輝くのは命を燃やすとき。
悪が輝くのは命『を』燃やすとき。
命を燃やし尽くせ。
黒死病、と呼ばれる病気がかつてこの星で猛威を振るった。
リンパ腺が小さく腫れてから翌日には身体中のあちこちが青黒く腫れ上がり、三日後には健康だったはずの人間は黒く斑な模様のある死体と成り果てていた。
現在でも致死率60%を超えるこの病気に、医学の発展していない時代の人間が対抗できるはずもなかった。
鳥のくちばしを模したかのような不吉なマスクをつけた黒い医師が無言でうろつく月のない夜、誰ともなくもう世界は終わりだと信じた。
特に人間の密集していたヨーロッパでは二人に一人の人間が死亡し、世界人口がまだ五億人に満たない時代に黒死病は一億以上の命を奪い去っていった。
だがそれでも、人間はそんな暗黒すらをも乗り越えて繁栄した。
そして世界総人口が70億を超えたある時。
その病気は突如として人類に襲いかかった。
黒死病を遥かに上回る数の命を奪い、人類を滅ぼしかけた原因となったその病は後に、
『主人公病』
と名付けられた。
その病は黒死病のように暗く陰惨とした病とは似ても似つかない、神の与えたもうた微笑みのような病だった。
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【一人目】
およそ15歳位から人は『身の程』を知る。
自分は大統領や宇宙飛行士、あるいはノーベル賞を受賞する学者のような輝かしい人生を送る存在ではないと――――『自分は主人公ではない』と気がつく。
そして、現世に絶望しているかのように俯いてスマホを見つめる人達が詰め込まれた帰りの電車の中で、ふとした瞬間に顔を上げてこう感じる瞬間が誰にでもある。
これが自分という主人公の物語なのか?
こんな日々を繰り返して最後には死ぬのか?
自分で作り出せる物語がこんなにもつまらなくなっているのは、自分のせいなのか?
と、誰もが感じる。生きているはずなのに生きていない、と。
『一人目の彼』もそう感じていた。
誰もがそう感じるのならば、この病はあるいは――――福音だったのかもしれない。
「あっ」
遅くまで部活動をしていたためすっかり日が暮れてしまい、シャッターが閉じられた店のほうが多くなった商店街で彼は自転車を止めた。
彼の視線の先には五人の少年がいた。
「…………」
リーダー格と思われる金髪で背の高い少年が、痩せぎすで背が低いメガネをかけた少年に馴れ馴れしく肩を回して裏路地に連れていくのを取り巻きの三人がニヤニヤしながら着いていく。
何をどう見てもあの小柄な少年と彼らが友達には思えない。ほぼ間違いなくカツアゲか、憂さ晴らしのリンチか。
「だ……誰かっ、!!」
助けを求めるべきだと周囲を見ようとした瞬間。
プチン、と。彼の頭の中で何かが弾けた。主人公病が発症する瞬間だった。
少しここで彼自身のことを書いておくべきだろう。
割と裕福な家庭に生まれた彼は、小学生の頃から野球にのめり込んだ。
放課後は日が暮れるまで野球をして、日が暮れてからは親に行かされていた塾で勉強をした。
彼はそこでも躓くこともなく勉学にものびのびと才能を発揮した。
そんな彼が県内有数の進学校であり、また部活動の強豪校でもある白泉高校に合格したのが17ヶ月前だ。
高校でも順調に勉学部活共に優秀な成績を残していた彼は一昨日の三者面談で『父の通っていた晩稲大学に推薦で行きたい』とはっきり、教師に告げた。
そして昨日の夜、自室のベッドの上で考えていたのだ。
《何もかも順調に見えるけど》
《自分は親の敷いてくれたレールの上をぬくぬく歩いているだけのような気がする》
《なにかを自分で心から決めたことってあっただろうか》
《俺は俺の人生の主人公だったことがあるのだろうか》
命が燃え弾け勇気を振り絞って魂が色とりどりに咲く瞬間が、自分の人生にはなかったのではないかと、ぼんやりと考えていた。
「…………」
目の前で小柄な少年が路地裏の闇に連れ去られていく。
自転車のカゴの中のところどころややへこんだバットが街灯の光を浴びて光っていた。
ここが運命の分かれ目だと、自分が生きるべき瞬間だと、『分かってしまった』。
ここで目を逸らして家に帰り、晩飯のコロッケを食べればそれで最後だ。
もう二度と、自分が人間として勇気を振り絞り命を燃やす瞬間など人生に訪れないと『分かってしまった』。
主人公病は、その瞬間を教えて勇気を与える。
人生の主人公にしてくれる。
ただそれだけの病気だった。
額いっぱいにかいていた汗を拭った彼はバットを持って路地裏へと駆け出した。
小柄な少年はすでにいくらかのトラウマを植え付けられてしまっていたようだった。
噴き出た鼻血はYシャツまで赤く染めており、ベルトは刃物で切られ、ずり落ちたズボンからのぞく下着は小便で濡れていた。
いきなり襲い掛かってきた不幸に対して、少年は亀のようにただただ縮こまってやり過ごすしか無かったのだろう。彼が来なければ。
「なんだよこのバカ。こういう何も考えないバカが一番むかつくんだよ」
手の甲を血で濡らした金髪は苛立ちを隠そうともしなかった。
「うっ、うるさい! その子を、かっ、解放しろ!!」
今までのどんな打席よりも緊張しながらバットを握った彼がカチカチと震える口から声を紡ぐ。
身体は鍛えられているが本質的に優等生の彼は今までケンカなど全くしたことがなく、この状況に尋常ではない恐怖を覚えていた。
だがそれでも。馬鹿げた勇気を燃料に命は輝く。
「カイホー、だってよ」
取り巻きの一人が彼の言葉を馬鹿にすると同時に四人は声を出して笑った。
路地裏はビルに囲まれて明かりも殆どない行き止まりに通じていた。地上げ屋が変な土地の売り方をしたこの地区では割とよくある。
つまり、助けはまず来ないということだ。警察に通報もしていなかった。
「こいつ白泉高校だ」
取り巻きの一人が彼の学ランについた校章を見て呟いた。
その声は小柄な少年をいじめ倒していたときよりも遥かに楽しそうだった。
「あーもう、あーもうカッコイイなあ優等生は! オラ、やってみろよ!」
唇に下品についたピアスを弄りながら、金髪は彼の前に立ちふさがり挑発した。
彼らドロップアウト確定組が一番キライなのは、実はクラスの端っこでゲームをやっているようなオタク学生ではなかった。
部活も勉強もしっかりやって評価され、常にキラキラ輝いているような――――まさしく彼のような人間だった。
自分の人生の主人公は自分ではない、と彼自身はそう感じていたのに社会の疎まれものである彼らにとっての輝かしい主人公は、彼のような人間だった。
「う、わぁあああああああ!!」
彼は金髪に向かって駆け出した。
このバットで人を怪我させないようにと、バントよりも短く持ちながら。
「なにそれ」
バットを振り上げなかったことからも殺意なんてほとんどないことが見て取れた。
そんな彼の顔面に向かって金髪は手に握っていた砂を投げた。
「シッ!!」
次の瞬間、ゴツゴツと趣味の悪い指輪のついた拳が彼の顔面に突き刺さり鼻骨が砕ける嫌な音が響いた。
「ぶぶっ!? ゔっ!?」
「ははっ、ははっは! モロだモロ!!」
取り巻きも金髪も、これからの人生で常に社会で自分達よりも上に立ち続けていたであろう彼が、血を噴き出して転げ回る姿を見て今までにない高揚を感じていた。
「ああ~……危ないなぁ、こんなもん振り回してさあ」
彼が取り落としたバットを握って金髪は倒れた彼の元に歩み寄った。
「危ないって、危ない。こんなふうに、さ!!」
まったく一切の躊躇なく金髪は彼の右足にバットを振り下ろした。
今度の骨が折れる音は特大だった。
「ああっ、いっ!? うわぁあ……!!」
秋の大会にはもう出れないだろう。
彼のズボンの下では脛の部分が紫色に膨れ上がり骨が飛び出て出血していた。
「やりすぎじゃね」
「大丈夫、凶器振り回しているヤツに反撃しただけだから。……?」
自己防衛しただけだから、と続けてバットをもう一度脅すように振り上げたとき、金髪は違和感に口を止めた。
「ううっ、うっ、うっ」
悲鳴を上げながら頭を抱えるかと思ったのに。
彼は涙に歯を食いしばりながら金髪の足を力強く握っていた。
まともな反撃にもなりやしないその行動が、金髪のシンナーで縮んだ脳の中で何かをプチンと弾けさせた。
ベキャッ、という湿った音がなった。
金髪が手加減をせずにそのバットを彼の坊主頭に振り下ろした音だった。
「スゲっ、フルスイング!」
「死んだ? 死んだ?」
「大丈夫だろ、瓦とか頭で割るやついるんだし……ほら生きている」
金髪が真っ赤になってしまった彼の顔をバットで小突くと彼はピクリと動いた。
秋の大会どころか、これから先に彼にまともな人生は待っているのだろうか。
上からの衝撃で額の骨は砕け頭皮はずる剥けてしまい、歯が顎ごとひん曲がり眼球がやや飛び出ていた。
腹部は殴っていないはずなのに血あぶくがガタガタの歯の隙間からぶくぶくと出てくる。
「お、元気出せ元気出せ野球部。ほらっ、激励のいっぱぁつ!!」
まだ生きているという事実が金髪から手加減を奪った。
今度は横薙ぎのフルスイングが彼の顔面を砕き殴っていない方向の耳から血が流れ出す。
それでもだらりと垂れた右腕をバットで全力で殴ると彼は痛みから逃れようとしてか、びくびくと痙攣した。
「もうバット振り回したりしたらダメだぞぅ。こうなるから」
たった二発で元の倍以上に膨れ上がった彼の顔に唾を吐きかけた金髪がバットを投げ捨てようとしたとき。
「…………――――」
よろよろと上がった彼の手が拳を作り。
「あ?」
ぽかり、と金髪の足を殴った。 痛みは無かった。
ただただ、彼の見せた最後の勇気が。
――――金髪をこれ以上ないほど激昂させた。
三度、全力のバットが彼の頭部に襲いかかった。
そして四度、五度六度――――
「おいっ! おいって!!」
「死んだろこれぇ!!」
取り巻きが止めたときにはもう、いずれ社会に出て優秀な人材になったであろう彼はただの肉の塊になっていた。
剥けた頭皮がへばりついたバットはどれだけの力で殴ったというのか、もう使うことは出来ないほどにひん曲がっており、彼の頭部からは衝撃でかき回された脳がのぞいている。
血管付きの眼球は地面に落ちて昏い空を見ていた。
「うわっ、キモ……」
どこのなんの部位だかもよくわからない手に付いた肉を取り巻きのシャツで拭いながら、金髪はぼそりと呟いた。
「おい、なぁって……」
「分かっているよ。お前んち土建屋だろ。しょうがねえからほら、適当にバラして埋めちまおう」
「違う! あいつは?」
「あ……?」
そこには金髪たちがカツアゲついでにサンドバックにして遊んでいた小柄な少年の姿はなかった。
燃え尽きた彼の命は――――
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【一万五千二十八人目】
一人の未来ある若者の勇気ある行動は、しかし死へと繋がった。
不良少年にカツアゲされていた中学生を助けようとした高校生が、何度も何度もバットで殴られて外傷性のショックで死亡したという。
それはあらゆるメディアで取り上げられ連日放送された。
(…………なんだよこれ……)
『彼』は数日ぶりに新聞なんてものを読んでいた。
気分を落ち着けるためだ。連日連夜バイトして、その合間にスタジオに入って。
30歳手前にしてようやく自分たちのバンドは1000人を収容できるライブハウスで単独で演奏できることになったのだ。
今は開演45分前だった。他のメンバーは雑誌にむかってスティックを振ったり、アンプに繋がずにギターを弾いたりと忙しい。
「なぁ、おい、これ……」
『ありったけの勇気を振り絞って行動したんだね、俺には分かるよ。君はとてもすごいんだ』と。
今はもういないこの少年に言いたかった。その思いは溢れて止まらず、ついメンバーに声をかける。
「あん? ああ、痛ましい事件だったな。や、そうじゃなくて、お前ノドの準備できてんのか? 呑気に新聞なんか読んで」
「い、いや……大丈夫……」
なにか理由は分からないが震えは止まらない。
普段から懐に入れて持ち歩いている酒瓶をあおってみるが止まらない。
どうもアルコールが原因ではないようだ。
「また酒かよ。別にいいけどさ」
一番長い付き合いでメンバーの中で一番落ち着いているベースの男が声をかけてきた。
「お、俺たち大丈夫かな? これからとかさ……」
「? ちゃんと全部チケット売れたじゃねえか。ギリギリだったけどさ。ようやくここまで来たって感じだな。成功させなくちゃな」
そう言って彼の胸を小突いたベースの男は楽器とエフェクターを持ってステージの方へと消えた。
「ちがう……」
ようやく、と聞いて本能的に『分かってしまった』。
ここがゴールだと。最後の大きなハコだと。
(武道館は、むりか。そりゃそうか)
いったいこれまでいくつのバンドが、自分らよりずっと年下のバンドたちが、自分たちを追い抜いて売れていくのを見た?
才能のある彼らはどんな形であれ早々に日の目を見た。バンドというものに、音楽というものに関しては日進月歩というものは限りなく少ない。
ほとんどのアーティストは遅くとも二十代前半までに頭角を現す。
(ハマスタもZeppもむりなのか)
これでもやれるだけやったつもりだ。もう若くはない身体に鞭打って、自分よりも年下の店長に頭を下げてバカな学生相手に敬語を使ってレジを打ち、くたくたになりながらも曲を作ったというのに。
ここが限界、ゴールなのだ。何故か唐突に理屈や理論を遥かに超えて悟ってしまった。
そう悟ってしまったのならば。
浮かぶのは悲しみだと思っていた。
だが、それとは真逆に常に酒気を帯びた彼の身体から気怠げな雰囲気が消えて頭が冴え渡っていく。
それならば。ここが最後ならば、と。
プチン、と頭に響く音とともに彼は自分が今日すべきことが完全に分かった。
(今日のライブで……俺の魂を)
主人公病は、自分が主人公になるべき瞬間を教えて勇気を与えてくれる病気。
(半分腐った安い俺の魂を――――)
そしてこの病の感染経路は空気感染でも飛沫感染でも接触感染でもなかった。
(ここに全部吐き出すんだ)
発症した者が主人公になった瞬間を知った者に、次々と感染していくのだった。
この前出したアルバムのラストの曲を最初に演奏した。
すでに会場に来ている客たちのテンションはひとつになっており、確かにこれまでで一番の――――最高の入り方だった。
そしてMCに入る。いつも通りの流れだった。そして、メンバー全員が『これを最高のライブにしたいのならばいつも通りではダメだ』と感じていたとき。
彼は話し始めた。
「ああ……。ずっと前から何度も見た顔がいるよな。ありがとう。何度だって言いたい。ありがとう」
その言葉を聞いて、チューニングをしていたギターの男が一瞬何かを言おうと口を開いてすぐに閉じた。
最前列にいる彼にとっては見慣れた顔の客たちもぽかんとしている。『ありがとう』は今までのMCからしてあり得ない言葉だったからだ。
彼がボーカルを務めるこのバンドはありきたりに言えば、反社会的・反体制的なパンクバンドだった。ありがとうの代わりに汚い言葉とともに中指を立てるべきなのだ。
だがそれでも、そうだとしても。これが最後ならば、何年も前から応援してくれていた彼らにありがとうと伝えたかった。
「む、昔から、……世の中と折り合いがつかなくて……言いたいことがあるつもりなのに、それが自分でもよく分からないから、それでもなんとかして言いたいから、バンドなんか…………始めたんだ」
マイクを握る手が震えて収まらず、懐から取り出した酒瓶を勢い良くあおったらベースがすごい目で見てきた。
分かっている。とんでもないことをしているなんてことは。
ただ今は、もう少しだけ。ここに魂を置いていく勇気が欲しかった。
「売れないのは分かっていた。だってそうだろう? いまどき、こんなダサいパンクバンドなんて」
そんなことないよー、と後ろの方から声が上がった。そうだった。
バンドをしていて好きだったことの一つが、MCのときに恥も外聞もなく叫んでくる客だった。
「いいや、そうさ。子供の頃、誰かと一緒に帰っても、話が合わなくて。三人とかで歩いていたらいつの間にか自分だけ後ろで歩いていて」
自分は彼らのようになってみたかった。
歩けばついてきて立ち止まれば一緒に立ち止まってくれる存在がいるような彼らに。
でもそうはなれず、なってみたくて、気がつけば遠回りを重ねてこんなことをしていた。
「何か、いつも言いたいことがあるのに、うまく伝えられなくて」
イジメられている訳でも、イジメている訳でもなかった。ただただ周りと自分の歯車が合わなかった。
異性にも同性にも、『ダメ』と『イイ』の間にいる自分は触れてはいけないもののように無視されて、理解を求めて行動すればますます相手を遠ざけた。
「そんな、どういうことかいっつもいっつも『間』にいる俺がなんとか言いたいことを伝えたいから、やり始めたバンドなんだ……だから、『間』にいない人間には響かないし売れないけど……」
そう、『間』だ。最前列にいる客たちはまさしく『間』にいて主役になれない者達といった感じだった。
今更そんな髪をしてどこへ何をしに行く、と言いたくなるほど派手な髪色髪型にした地味な顔立ちの女性はもう若くはないだろう。
それでも自分のような人間がすべき格好というものごとすらもまだ分かっていないのだ。
最初に見たときに比べて随分と額の面積が増えた男性はいつもスーツだ。働いて働いて、なんとか時間を作って毎回見に来てくれている。
平凡な顔立ち、平凡な見た目だと言うのに左手の薬指に指輪はない。きっとこの男性の中身も同じだ。どこか、どうしてかいつも周囲に馴染めない何かが魂に入ってしまっているのだろう。
「周りを見てみろ……何度も会ったことがあるヤツがいるだろう? そういう人たちばかりなんだろ? このライブが終わったら……何度も見たそいつらに声をかけてみてくれ。きっと一番共感できる相手なんだ。俺も……ようやく、この歳になってたったこれだけだけど、それでも見つけられたんだ」
最初は彼のMCに驚いていたメンバーたちも気付けば彼の言葉に真剣に耳を傾けていた。
何かが、彼の言葉に魂を込めていた。
「テレビで見る涙とかが、安っぽく感じてしまって、本当に安っぽいかどうかなんてのはもう関係ないんだ。俺がそう感じてしまっているんだ!! 他の誰がどうやって言ってももう変えられないだろう、そうしたら!?」
流行っていることに何一つハマれなかった。だから話も合わなかった。
同級生が大流行している映画の主題歌を歌っているバンドの話をしているとき、自分はイヤホンの音を最大にしてセックス・ピストルズを聴きながら机に突っ伏して寝たふりをしていた。
「理解されないってことは、だから生きている感じが、薄くて……」
自分にとってのカッコイイが他人にとって全然カッコよくないと気がついたのはいつだったか。
それに気がつくと同時に自分はどうしたって彼らの中心には立てないと理解できてしまった――――のに。諦めきれなかった。
「い、いじめられたり……病気で苦しんだり、……わかりやすい何かをしょっているわけじゃないから……誰も歩み寄って理解しようともしてくれなくて……でも、そんな誰にもわからない俺だけの苦しみを集めてきたのが……」
もう一度酒瓶をあおると今度は飲み干してしまった。
アルコール度数90を超えた液体が体内の器官を攻撃していく。
命を燃やしていく。
「この日のためだったのならば、息苦しくても」
外国の酒だから頑丈な瓶に入っているはずなのに、取り落とした瓶はいともたやすく砕けて散った。
まるでこれから何が起こるかを示唆しているかのようだった。
「これまで生きてきてよかった」
その瞬間のことを死んでも忘れないと、彼は鳥肌と共に感じた。
強烈なライトに照らされた埃が静かに舞うのは客が一人として瞬きもせずにMCを聞いているからだった。
「ここに俺の、ずっと『間』にしかいれなかった俺の!! いのちを、置いていくから」
近いうちに死ぬのならば。
「受け取ってくれ」
それはむしろ満足だった。
「今までの全部を燃やしていくから」
全てをここに置いて、鮮明なこの記憶とともに死ねるのならば。
「歌うよ――――」
『間の存在』などではなく、まさしく主人公となっていたボーカルの表情を見てメンバーの眼にも火が灯った。
そしてその場にいる全ての人間が、言葉も無く理解した。
彼はここで燃え尽きると。
後日、殺された少年の元に汚い文字ながらも丁寧な言葉で死を悼み礼を述べる手紙が届いたという。
その一週間後彼は急性アルコール中毒で亡くなった。
もうそのバンドがステージに立つことはなかった。だが。
命を燃やし尽くした彼の歌は爆発的に広まっていき――――
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【八百万二千十八人目 八百万二千十九人目】
某大陸国の闇企業が日本から盗んできた車に搭載されたカーステレオから、異国の歌がガリガリと鳴り響く。
一音下げのギターの音はハウリング混じりで、聞いているものを吐かせたいのかと思うほど音圧の強いベースはやたらジャリジャリとした粒の揃わない音を出すドラムと複雑に絡む。
ダミ声で叫ぶように歌うボーカルは何を言っているのか黒人の『彼』には何一つ分からなかった。
「……ッ」
壊れた車のシートに深く腰を沈めると撃たれた腹が痛んだ。
脇腹の方を貫通していっただけだからそんなに重傷ではないのかもしれない。
だが、この国にはもう医者はいない。医者がいたとしても通貨もない。
夜明け前が一番暗い、と言うが今のこの国は夜明け前だというのに昼と間違えるほどに明るい。
あちこちから黒煙伴う火の手が上がっているからだ。
革命の日、最初の夜だった。
幾人もの犠牲を出しながらも、ようやくこの場所を国軍から解放した。
「…………」
隣のシートではまだ年端もいかない少女が死んだように眠っている。
この腹の傷は『国が運営する娼館』にいた彼女を背負って逃げ出すときに後ろから撃たれたものだった。
ストレスで傷んでいる彼女の髪を黒い手でそっとかきわけると痛々しく腫れ上がったまぶたから膿が出ていた。
殴りながら犯す趣味のある下衆がいたのだろう。
「……」
ハンカチなど持っていなかったから、服の比較的キレイな部分を引きちぎり、ペットボトルの水をふりかけて彼女の目の周りに巻いた。
何を歌っているのか、一つも分からないがカセットの向こうで魂を絞り出すように歌う異国の男の声が何故か彼の心に刺さる。
人間は動物の中で唯一芸術を生み出すから素晴らしいのだと、彼は理解していた。この国――――いや、国の形をしたこのナニカには芸術などない。
あるのは搾取と弾圧、そしてプロパガンダ。
(…………)
そういったことを理解していて、この国の異常にも気が付いていた。それを、その思いを残す術もない。
学もなければ文字も読めないし書けなかったからだ。一日中働いてもただの1ドルも稼げやしない。
世界中の人間と比べてもなお特別賢い人物だったというのにこんな国に生まれてしまったから――――壊れた車の中、銃で撃たれた傷を押さえて歯を食いしばっている。
もしも、俺が白い肌に生まれていたのなら、食いつぶされるだけの道具になんてされなかったのか。
もしも、俺が文字を書けたのならば、この思いをこの方法以外で残すことが出来たのか。
それともこんな思いはそもそもせずに済んだのか。
言いたいことなど沢山ある。
それでも人は、文句を言っても仕方がないから生まれ持ったカードで勝負をするしかないということすらも理解していた。
彼に出来たのは仲間と共に必死にこの国はおかしいと伝えること。そして国の監視の目から逃げることだった。
やれるだけやるしかないんだ、と。
ここで俺たちが血の涙を流しても、地球の裏側で核ミサイルにもたれ掛かった豚たちが、正義の名の元にと騒ぎ立てて利益を啜るだけ。
ちっぽけな自分の世界を変えるために、『自由』を手に取るための『銃』をその手に取った。
そしてようやくこの革命初日に漕ぎ着けたのだ。この国はこれからだ。そう思った瞬間だった。
長い夜が明けた。
「…………!」
砕けたミラーに映るのは東から昇り始めた太陽だった。
その光に照らされて輝く少女の顔を見て、彼は『分かってしまった』。
自分はこの国の未来を見れない。
この革命の途中で死んでしまうのか。
あるいはこの腹の傷が元になって破傷風にでもなって死ぬのか。
とにかく、自分はもう長くはない。
明日か、今日か、それとも今から1時間以内か。
だとしたら、だからこそ。
その間の時間にこそ自分は命を燃やして何かを残すべきなのだ。
ただ死ぬのではなく。
それこそ――――このカーステレオの向こうで歌う異国の男のように。
「…………」
陽が昇り始めると同時にまだ煙が上がる建物や、銃痕で穴だらけの車から次々と人が出てくる。そこには屈強で健康な人間など一人もいない。
どこかしらに血の滲んだ包帯を巻いており、やせ細った身体に似合わない銃はこの戦争で更に利益をあげられるどこかの資本主義の国から提供されたいわば先行投資だ。
銃を手にした人々には老いも若いも、男も女も無く、その目には固い決心と悲しみだけが映っていた。
今日でこの国の西側も取り返すのだ。たとえ何人の犠牲が出ようとも。
十分虐げられてきたからこそ、集まる人々にはもう死への恐れなどなかった。
もともと無かったフロントガラスの枠に手をかけたその時。
銃を手に取り、ガラスのあった部分から出て車の屋根に出ようとしたまさにそのときだった。
「…………、……!」
プチン、と脳の中で何かが弾けた。
今日だけで、何人もの人間の命を奪ってきた銃を見る。国軍は悪だと決めつけて戦った。中にはまだ何も分かっていないような少年兵もいた。
彼の命までも奪ってここまで来た。これは、ほんの少し何かが違えば自分と共に戦っていたかもしれない少年兵を悪と決めつけて殺した銃なのだ。
いま手にするべきは銃ではない。
彼は銃をシートに放り投げ、未だに目を覚まさない少女の身体を抱えて車の屋根に登った。
「……Ire ja suuz unei?」
最前線で銃を持って戦っていた彼が、少女を抱えて出てきたのを見て最初は誰もが目を見開いた。
「Me sole saja nui,und ima suie dakyru」
だが彼が痛みに顔を歪めながらも低く重い声で話し始めると、誰もが即座に理解した。
その少女がなんの象徴で、どんな意味を込めて彼に抱えられているかを。
「Ire ja gun wuyni en!?」
静かに彼の話を聞く人々の耳に、カーステレオから流れる異国の歌が届く。
ここで話を始めると分かっていたのに、彼はその音楽を止める気にはなれなかった。
「Le que sew yui qume im bael」
彼の言葉に合わせて周囲の人達――――煤けた建物の窓から覗く人々も入れればおよそ3000人はいるだろうか。
その全ての人々が銃を宙に掲げる。
「Ja zyisch'noin!!!」
――――Ja zyisch'noin!!!――――
「――――…………」
彼の言葉が大火となり、そこにいる全ての人を巻き込んだその瞬間を、彼に抱えられていた少女は目を覚まして薄い意識の中、腫れたまぶた越しに見ていた。
その時。
人の声では出すことの出来ない、やたらと軽く高い音が響いた。
数百m先から放たれた裏切り者の凶弾が彼の頭を貫いたのだ。
革命の次の日に起こった、血で血を洗う地獄の内乱の始まりだった。
だが、その地獄を少女は生き延びたのだった。
彼女はその後、国のために立ち上がった彼の話をありとあらゆる場所で何度も繰り返し話し、その話の持つ熱は世界中に伝搬していった。
彼女もまた感染者だった。
そして地獄の内乱を生き延びたまさしく主人公である彼女は、マザー・テレサやあるいはガンジーのように長きにわたりその魂を燃やし伝え続けた。
主人公病とともに。
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主人公病は、自分が主人公になるべき瞬間を教えて勇気を与えてくれる病気。
あるいは死ぬべき瞬間を、命を燃やすべき瞬間を教えてくれる病気。
素晴らしいことではないか。
人間ならば誰だって願う。
だらだらと腐ったように生きるくらいならば、生きるべき瞬間を知り死ぬべき瞬間に死にたいと。
すなわち『主人公』になりたい、と。
内乱を生き延びた彼女のように、主人公になることがなにも命を失うことに直結するとは限らない。
ただ彼女はその後の人生を彼の偉業を語るために使うと『勇気を出して選んだ』、それだけだ。
その決断が、間違いなく主人公になるということに繋がった。
最高の異性を手に入れるために叫ぶときも、全てを捨てて旅に出ようと決めたときも、その時は間違いなく人生の主人公になっているはずだ。
ではなぜ、主人公病は『病』と呼ばれたのか。
なぜ、人類を滅ぼしかけるほど凶悪な病だったのか――――
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【二人目】
『彼』は16歳だった。
その事件がキッカケとなり、日本政府は後に改悪案と呼ばれる改正少年法の施行を決定した。
『頭のなかで何かが弾けてじんわりと熱くなり、気が付いたら彼の脳みそは僕の靴底に張り付くクソ肉になっていた』
後に出版した自叙伝で彼はそう述懐している。
その地方で日常的に恐喝・傷害事件を繰り返していた彼はその日も塾帰りの中学生を捕まえ、金を巻き上げてから仲間とともに殴り遊んでていた。
そしてそれを助けに来た高校生の男子生徒に対し、彼は逆上し殺害した。
それは異様な風貌だった。
常習的に利用している薬物によりフラッシュライトの元でも一向に大きさの変わらない瞳孔。
シンナーでボロボロに溶けた歯を薄ぼんやりと開いた口から見せつけて彼はテレビカメラの前で笑った。
まだ未成年の彼を生放送で映してしまったテレビ局に世間は賛否両論だった。
余罪がゴロゴロと出てきた彼はまさしく人の皮を被った獣。
ある雑誌の出版社は『野獣に人権なし』という断固たる決意とともに彼の住所氏名余罪の全てを公開した。
少年法に守られた少年が世間に戻り、とある一軒家に押し入って強盗殺人と強姦致傷で死刑判決となったのはその九年後のことだった。
なぜ、そんな人間だと分かっていたのに日本はそれを解き放ってしまったのか――――その疑問と怒りはやがていくつもの本や映画となった。
彼は間違いなく――――言うなれば、『悪の主人公』だった。
集団ヒステリーみたいなアレですかね。