この話は最後まで三人称で進みます。端から見たアインを書きたかったからなんですが……文字数が増えましたね。当たり前ですが
「三回目だ」
アインの放った神速の一閃により、暮桜の刃がズバッと音を立てて斬り飛ばされた。唯一の武器である雪片の刀身を根元から失った暮桜だが、そんなことは関係ないとばかりに
しかし、目の前の男はその『並み』には収まらない。
「遅い」
半歩。たった半歩右に体を動かしたそれだけで、アインは暮桜の斬撃をかわす。無駄を極限まで排除したその動きはいくら世界最強のデータとはいえ、プログラム程度では到底捉えることは出来なかった。
アインはまるで能面のように一切の感情を消し去った表情のまま、近接ブレードの葵をアサルトライフルの焔備に
しかしアインは動じない。彼の狙いはこの黒い暮桜を倒すことではなく、あくまで時間稼ぎなのだ。先程から何度も本体を狙わずに雪片ばかりを斬っていた理由がここにある。彼は仕切り直しとばかりに焔備を撃ちながら後退し、ふぅと一度大きく息を吐いた。
「……凄い」
そう呟いたのは誰だったか。アインと黒い暮桜が戦い始めてまだ僅かに一分程しか経過していないにも関わらず、それを見ていた一夏、シャルル、箒の三人はまるで一分よりも遥かに長い時間が流れたように思えていた。それほどまでに二機が繰り広げる攻防は激しい。
「何者だよ……あの人……」
一夏が思わず溢すのも無理はない。彼自身認めたくはないことだが、あの暮桜の動きは紛れもない
それをアインは涼しい顔でやってのける。ISスーツを使わず、
そしてこれは一夏が知る由もないことだが、未来においてアインは数えるのも億劫になる程のVTシステム搭載型無人機を撃墜しており、プログラムの特徴を初めとするありとあらゆる動作を
加えて視界から入ってきた情報を高速で処理することが可能な義眼、そして未来の箒や千冬本人といった刀を扱う者との訓練で積み重なり、マドカとの決戦で真価を発揮した対刀の戦闘経験に技術、これらの要素が全て合わさった結果、今の状況が生まれているのである。時間稼ぎという狙いから過度に攻め立てることこそないものの、仮に彼が専用機を駆って全力を出していたならば、目前の暮桜などほんの数秒で倒されていたに違いない。それほど力の差は歴然だった。
「一夏、終わったよ。これで白式にエネルギーは全部行き渡った筈」
「……あぁ。サンキューな、シャルル」
エネルギーを全て白式に譲渡したことでシャルルの纏っていたラファールが光の粒子となって消滅する。逆にエネルギーを得た白式は再構成を開始し、数秒の後には右腕に純白の装甲と雪片弐型が現れた。それ以外の部分は展開されていない、つまりこれが今の限界ということだった。
「……やはりこれだけしか無理か」
「剣さえあれば大丈夫だ」
不安そうに呟く箒に一夏はニッと笑って見せる。その不意討ちに彼女は思わず頬を赤らめるが、すぐにぶんぶんと顔を横に振って正気に戻った。今は惚けている場合ではない、自分を厳しく律した箒は真剣な面持ちで一夏を見つめる。
「一夏……死ぬなよ」
「あぁ、心配なんていらない。信じて待っててくれ。あんな偽者なんかに負けるもんかよ」
攻撃が当たれば即死、そんな状態にも関わらず一夏の表情には曇りの一片もなかった。チラリと視線をシャルルに向ければこくりと頷く姿が映る。言葉はない。けれどそれだけで一夏には十分だった。すぅと大きく息を吸い込で昂る気持ちを落ち着かせる。
──俺ならいける。
──俺ならやれる。
暗示を掛けるように内心で唱える一夏。そして覚悟を決めた彼の元へ、見計らったかのように暮桜を蹴っ飛ばしたアインが戻ってきた。その左目は閉じられており、特徴的な灰の長髪がゆらりと揺れる。
「準備は整ったのか?織斑」
「はい、いけます!」
その言葉に呼応するように一夏の握る雪片弐型が刀身を開く。そこから形成されるのはあらゆるエネルギー系を消滅させる必殺の刃──零落白夜。元の大きさの二倍近くまで伸びた蒼白の光だが、一夏はそれを抑えるようにそっと柄に手を添え、目を閉じた。
──一撃、それで全てを終わらせる。
──もっと小さく、もっと速く、もっと鋭く、
──極限まで研ぎ澄ませ。
頭の中に思い浮かべるのはかつて握った本物の真剣。鈍色に煌めき、確かな重さを孕んだ存在だ。徐々に高まる集中が頂きに達した瞬間、雪片弐型がヴンと音を立てて刀身を変えていく。今までのような力を垂れ流していただけのものではない。ただ
「さぁいくぜ、偽者野郎」
思い描いた通りの──日本刀の形となった雪片弐型を腰の辺りに添え、所謂居合いの構えをとった一夏。その先にはアインの攻撃を受けてあちこちから紫電を散らしながらも、偽りの雪片を手にした黒い暮桜が存在する。負けるものかと強い意志をその目に宿した一夏は一歩ずつ、ゆっくりと暮桜へと近付いていき──
「■■■■■■■■!!!!」
「っ!」
先に動いたのは暮桜の方だ。獣のごとき咆哮と共に雪片が一夏目掛けて振り下ろされた。速く、そして鋭い袈裟斬りが装甲のない剥き出しの左肩へと迫る。
「そう来ると思ってた」
予想通りの一撃にニヤリと笑う一夏。腰から蒼白の光で形成された刃を抜き放ち、完璧なタイミングで雪片を斬り裂いた。ISのエネルギーによって生まれた泥で構成されているそれは、エネルギーを消滅させるという零落白夜の力によって跡形もなく消え失せる。
得物を失い、晒された圧倒的な隙。彼はそこを当然見逃さない。
「はぁああああああああああ!!」
雪片弐型を頭上に構え、そして一閃。煌めく刀身が脳天から股下にかけて暮桜を断ち斬った。バチバチと裂かれた後に火花が走り、そこから暮桜が真っ二つに割れる──寸前、
「あ……」
避けられない。一夏はすぐに悟った。同時に当たれば即死だということも。箒が、シャルルが、真耶が彼の名前を叫ぶ。しかし動けない。彼はたった今最後の一振りを繰り出したばかりで、そして白式のエネルギーも底をついてしまったのだから。
──ごめん、千冬姉。
最後の最後で気を抜いたことを後悔しながら。そして自分を信じてくれていたであろう姉に謝りながら、一夏はゆっくりと目を閉じ──
「……危機一髪ってところか」
ガキィンと耳障りな金属音に目を開ければ、暮桜の右腕を左手で受け止める打鉄の姿があった。衝撃で生まれた風に色素の抜けかけた灰の長髪が靡き、また左手の装甲が軋む。その様子に一夏は地面に座り込んだまま、現れた男の名を震える声で呼ぶ。
「アイン、先生……」
その男は──アインはふっと不敵な笑みを浮かべ、左手にまとわりついた黒い泥を払った。最後の一撃を彼によって防がれた暮桜はとうとう人の形を維持することが出来なくなり、ドロドロと溶けるようにして虚空へと消えていく。その内側から少女、ラウラ・ボーデヴィッヒを吐き出しながら。
「あっ……」
「……」
囚われていた泥から解放され、力なく倒れ込もうとしていた彼女を一夏は優しく抱き止めた。左目を隠していた眼帯はいつの間にか外れており、そこからは黄金色の輝きを放つ瞳が覗いている。酷く弱々しい眼差しだ。が、それが見えたのもほんの一瞬、ラウラはすぐに目を閉じて眠るように意識をなくした。
「……ま、ぶっ飛ばすのは勘弁してやるよ」
「そうしてやれ。悪気があった訳じゃなさそうだしな」
自身の腕に抱かれて眠るラウラに一夏はポツリと呟く。そんな彼の姿にアインは苦笑し、馴れた手付きで眼帯を結んだ。
△▽△▽
どこまでも続く、終わりのない闇の中、
彼女は──ラウラ・ボーデヴィッヒはそこでふわふわと漂っていた。
敗北した。憧れていた恩師の力が、世界最強の力があった筈なのに。
──何故だ?
ラウラは思う。虚ろな瞳でぼんやりと闇を眺めながら。
──何故、あの男はああも強い?
いや、そもそも『強さ』とはなんなのだろうか?
『強さ』とは即ち『力』。相手よりも力を持つ者が勝者であり、また絶対である。力なき者に価値などなく、故に弱者や敗者も同じ。これまで彼女の中にあった認識がこれである。
しかし彼女は出会った。そして理解した。
数多にある『強さ』というものに対する答え、その中の一つを。
──『強さ』ってのは心の在処。己の拠り所。自分がどう在りたいかを常に思うことなんじゃないかと、俺は思ってる。
不意に一筋の光が差した。同時に一人の少年の声が響く。それはラウラにとって聞き覚えがあり、そして忘れられない男の声だ。
憧れていた恩師の弟であり、
憎悪し、嫉妬した男。
──そう……なのか……?
──そうさ。自分がどうしたいかも分からないような奴は、強いとか弱いとかそういう以前に歩き方を……どこへ向かうか、どうやって向かうかを知らないもんだ。
ラウラの問いに少年は得意気に答えた。その言葉は空っぽだった彼女の心へ次々と染み込んでいく。その胸に暖かな何かが灯ろうとする。
──つまり、やりたいことはやったもん勝ちってことだな。つまらない遠慮とか我慢とかそういうのは置いといて、自分がやりたいことをやりたいようにやる。人生ってのは、そういうものなんじゃないのか?
──ではお前は……何故強い?何故強くあろうとするのだ……?
──……強くなんかねえよ。俺は、全く強くなんかない。
少年は断言した。しかしラウラには分からない。己を倒すだけの力がありながら、何故この男は強くないと言えるのだろうか。そんな疑問が頭を過る。
──でも、もし俺が強いっていうなら。きっとそれは……
──それは……?
──強くなりたい、強く在りたいと願うから強いんだ。
真剣な口調で語られたその言葉をラウラは反芻した。少年の台詞は終わらない。
──俺はさ、本当に強くなれたらやってみたいことがあるんだ。
──やってみたいこと……?
──誰かを守ってみたい。今まで守られてばかりだった俺が、俺の全部を使って、ただ誰かのためだけに戦いたいんだ。
あぁ、まるでそれはあの人のようではないか。誰よりも強く、気高く、あのようになれたらと切望した人の背中がラウラの脳裏に浮かぶ。
──それがお前の……
──あぁ。だから、お前も俺が守ってやるよ。ラウラ・ボーデヴィッヒ。
再び少年は──織斑一夏は断言する。その言葉にラウラはいつの日にか交わした恩師との会話を思い出した。その時の恩師は嬉しそうで、それでいて照れくさそうで、いつもの彼女とは随分と違っていたことからよく覚えていたのだ。
『もしあいつに会うようなことがあれば心を強く持つことだ。どうしてか、あいつは妙に女心というものを刺激する。気を抜けばすぐに惚れてしまうかもしれんな』
当時は分からなかったその意味、しかしラウラはたった今はっきりと理解した。そして胸の奥で心臓が早鐘を打つ感覚を覚えながら、思う。
なるほど、確かにこれは──惚れてしまうかもしれない。
△▽△▽
「ん……ぁ……」
「お目覚めか、ボーデヴィッヒ?」
天井から降り注ぐ淡い光にラウラは目を開けた。彼女が横たわるベッドの隣で椅子に腰掛けていたスーツ姿の男──アインはそれに気付くと、右手に握られていた果物ナイフの動きを止めて優しく微笑む。反対の手には途中まで皮の剥かれたリンゴがあり、彼は一旦それらを用意してあった皿の上に置く。
「ここは……?」
「学園の医療室だ。あ、あんまり無理に動くなよ。命に別状はないが掛かった負担で体が悲鳴を上げてる。今日くらいは大人しくしとかないとな」
その言葉に体を起こそうとしていたラウラは動きを止め、そしてゆっくりとベッドに再び背を預けた。それでも顔だけはと首を動かしてアインの方を向く。眼帯が外されていることで露になった左目が彼へと向けられる。
「一体……何があったんですか……?」
「VTシステム、あれが君のISに搭載されていた。本来なら搭載どころか研究、開発すら禁止されてる筈のものなんだが……今頃、学園側からドイツ側に問い合わせでも入れてるくらいだろう。何せ、最悪の場合死人が出てたかもしれない事態だったからな」
まぁどうせ向こうも知らぬ存ぜぬの一点張りなんだろうけど、と。アインは果物ナイフとリンゴを手に取りながら苦笑する。皮を剥き、実をカットしていく動作にはまるで淀みがなく、随分と手慣れている様子であることが伺える。ラウラは思わずそれに見蕩れ、ついじっと彼を見つめた。
「……あんまり見られると恥ずかしいかな?」
「あっ……す、すみません」
「はは……まぁいいさ。ほら、食堂から分けてもらったリンゴだから味はお墨付きだ。良かったら召し上がれ」
そう言ってアインが差し出したリンゴは、全て可愛らしく兎の形に切られていた。今朝の朝食以降、何も口にしていなかったラウラはゆっくりとそれに手を伸ばし、小さな口でパクリと頬張った。シャリシャリとした食感と共に蜜の甘みが口に広がる。
美味しい、と。
彼女はほぼ無意識の内に呟いていた。その一言にアインは表情を綻ばせ、すっと椅子から立ち上がった。
「じゃ、目も覚ましたことだし俺は行くよ。じきに織斑先生も来るだろうし、俺も現場に居合わせた人間として上から呼ばれてたからな」
ポケットから取り出したハンカチで軽く手を拭きながら出口へと歩を進めるアイン。しかしその足はすぐに止まることとなった。彼のことをラウラが呼び止めたからである。紅と金のオッドアイがその背中を捉える。
「先生……あなたはどうして強いのですか?」
彼女は見ていたのだ。VTシステムに呑み込まれ朧気となっていた意識の中、目の前の男が暮桜となった己と対等に渡り合い、あまつさえ圧倒していたあの場面を。
VTシステムを倒した一夏からは答えを得た。ならばこの男はどうなのか?そんなラウラの視線を一身に受けるアインは「難しい質問だな……」とぼやき、静かに溜め息をつく。そして──
「守りたいものがあるから。それだけだよ」
短く、しかしそれは確かな想いの込められた言葉だった。呆然となるラウラにアインはふっと笑い、少しだけ気恥ずかしそうな顔を作る。
「しかしまぁ、そもそも『強さ』っていうのがかなり曖昧なものだからな、何を以て強いと言えるのかも必然的に曖昧になる。俺の知る限り、『強さ』のことを『己の矜持を守ること』と言った人もいれば『決めたことを曲げないこと』と言った人もいたよ」
そう話す彼の様子は
それは、アインにとって『強さ』とは何かということ。ラウラはすぐさまそれを問うた。ボロボロの体を起こし、聞き逃してなるものかと耳を傾ける。そんな彼女に驚き無理をするなと諭すアインだが、話すまで横にならないという確固たる意志を受けた彼はやがて口を開き、そして言った。
『強さ』とは自分がどう在りたいか、どうなりたいかを常に考え、そこへ向かって進むこと。
即ち、心の在処。己の拠り所であると。
「俺は皆を守りたいと思った。自分の全部を使って、ただ誰かを守って、そして救いたいと。だからそうなれるように必死で足掻いて、自分が自分じゃなくなるくらいにもがき続けて……結果が今の俺だ。力なんてのは途中でくっついてきた副産物みたいなもんだよ」
参考になったかな?そう言ってニヤリと笑みを浮かべるアインの姿が、何故かラウラには一夏と重なって見えていた。容姿も、年齢も、何もかもが全く違う筈なのに。戸惑うラウラだが、しかし彼女は直感的に心のどこかで確信に近い何かを見つけていた。
「さて、もういいか?満足してくれたなら俺は行くけど」
「……では、最後にもう一つだけ」
ベッドに背を預けながらラウラはすぅと息を吸う。高鳴る鼓動をゆっくりと落ち着かせ、そして顔を上げた。
「
彼女が見間違える訳がない。多少造型に違いこそあれど、あの眼帯はドイツ軍の特殊部隊、
アインはその瞳に一瞬面食らったような顔をしたが、すぐさまそれを緩めて左目を隠す黒の眼帯を優しくなぞった。それはまるで割れ物を扱うかのような手つきであり、如何に彼がこの眼帯を大切にしているかが分かるだろう。そして、その口から溢れた一言はラウラを驚愕させるに十分な衝撃を持っていた。
「形見なんだ、大切な人の」
「……は?」
形見。つまり、これは故人の遺した物であるとアインは言うが、ラウラは有り得ないと断言出来た。これまで黒兎隊において殉職者がいたなどという話を、彼女は聞いたことがなかったのだから。しかし同様に、彼が嘘をついているようにも思えなかった。懐かしむような、慈しむようなその姿にラウラはますます混乱する。
「一体……誰が……」
「さてな。悪いが今は俺から教える気はないよ。もしかしたらいつか分かる日が来るかもしれないが」
最後にそう言い残し、アインはそれじゃあと軽く手を振って部屋を出ていった。扉の閉まる音と共に静寂が訪れる。
結局、あの男は何者なのだろうか。ラウラはそれとなく思考を張り巡らせるが、ろくな考えが全く出なかったためにすぐに止めた。謎こそ多いが彼も一夏と同じ答えを持つ者、即ち今の空っぽのラウラにとって見習うべき対象だ。知らないことに分からないことはこれから知っていけばいい。
「心の在処……己の拠り所……か」
ポツリと独り言を呟くとラウラは僅かに表情を和らげ、まだ残っている兎のリンゴへと手を伸ばした。
一つ心残りがあるとすれば、眼帯の辺りをもっと掘り下げたかった
初期の案じゃ一夏とラウラの
相互意識干渉のところを原作から引っ張ってきたのは後にあるアインの『強さ』と比較して、一夏とアインは結局あんまり変わってないんだよってことが書きたかったんです。難しくてだいぶ時間掛かりましたけど……
とりあえずこれでこの16話はおしまいです、ありがとうございました。次回もお楽しみに