織斑一夏対凰鈴音。
開始から数分、二人の試合はやや凰の方が優勢となっているようだった。
当然と言えば当然だろう。確かに二人はお互いに専用機持ちであると言えども、経験という面においては明らかに凰に軍配が上がる。つい一ヶ月程前からISに乗り始めた織斑と、一年以上前からISに乗っていた凰、その経験値の違いは最早比べるまでもない。
更にもう一つ、織斑を苦しませているものがあるとすれば、それは凰の専用機である甲龍に搭載された衝撃砲と呼ばれる兵器に他ならない。弾数無限、射角無制限、おまけに弾丸そのものが見えないという、こうして特徴を述べてみれば少々卑怯にも思えてくるような代物だ。欠点を強いて挙げるとすれば連射性能に難があるくらいか。しかしそれとて、決して低い訳ではない。
因みに未来の鈴の専用機『
閑話休題
甲龍と凰の力は強大だ。しかし、織斑とてただやられている訳ではない。見えない衝撃砲にも段々と対処し始めているように思えるし、時折覗く表情からはまだまだ諦観の情は伺えない。むしろ、何か逆転の切り札を持っているようにすら見えた。
いや、実際にあるのだろう。
凄まじい速度で一直線に移動する、言ってしまえばそれだけの技術。だがしかし、単純であるが故に汎用性は高く、ISバトルにおいては使いどころを誤らなければ一発逆転の切り札となる。織斑の専用機、白式の機動性能は現存するISの中でもトップクラスだ。その白式が瞬時加速を用いればどうなるか、いくら凰が優秀なIS操縦者でも彼の刃をかわすことは簡単なことではないだろう。
そしてちょうど今、織斑が瞬時加速で凰へと迫り──
アリーナのシールドが砕けて消えた。
△▽△▽
「……来たか」
ポツリと、俺は目の前のアリーナに突如発生した土煙を見て呟く。招かれざる客の到着だ。すぐさま
「更識、状況は?」
『今、生徒達の誘導を始めたわ。でもこれだけの人数じゃ少し時間が掛かるかも。使えるルートが全然ないのが悔やまれるわね……』
そうは言っても使えるものがあるだけましと考えるべきだ。他のルートも同じようにするには時間も足りなかったし、何より襲撃が別の手口だった場合に対処出来なくなるかもしれなかったのだから。
俺は呆然としている放送部の生徒達をノブの付いたタイプの扉から連れ出し、すぐさま出口に直行出来る通路へと送り届けた。中継室を訪れるであろう篠ノ之の為に用意した道だ、ここを行けばあの子達は問題なくアリーナから脱出出来るだろう。一先ず己の仕事を終えて安堵する。が、すぐに通信端末へ着信が入った。相手は案の定、織斑先生達のいる管制室からだ。
『アイン先生、今中継室か?』
「はい。放送部の生徒はなんとか避難させましたが、どうにも障壁が多すぎて手の出し用がないって感じですね。そっちはどうですか?」
本当は専用機という
『残念ながら此方もまるで動けん。今は織斑と凰があのISを足止めしているが……ともかく、現場にいる精鋭達が遮断シールドを解除するのを待つしかないだろう』
落ち着いた調子で話す織斑先生。しかし内心ではかなり苛立っているに違いない。大切な弟を、紛れもない戦場に立たせているのだから。
中継室に戻ってきた俺は空いていた椅子に腰掛け、おもむろに左手を目線の高さまで上げた。キラリと光る七色の指輪──俺の専用機、白式・零の待機形態だ。これを使って飛び立てば、今もあの場所で勇敢に戦っている織斑と凰を助けられるだろう。白式・零は最強のISだ、この時代では勝てるISなぞ存在しない程に。
「(……違うよなぁ)」
今俺が動けば、それは二人を助けることにはならない。むしろマイナスに働くことだろう。織斑や凰にとってこの戦いは強くなるための糧だ。それを俺が奪えばどうなるか、こんな簡単なことは猿でも分かる。
「織斑先生、大丈夫です」
『……何?』
「織斑は負けませんよ。あいつは──先生の弟ですから」
根拠のない自信は
織斑先生は何も言わなかった。通信は未だに続いているが静寂しか聞こえず、俺の耳にもアリーナで起こる激しい戦闘の音だけが届いている。やがてふっと一息する声が耳に飛び込み──それはやがて微笑へと変わった。
『そうだな、あいつは負けない。私の生徒が、自慢の弟が、あのような輩にやられるものか。こんな当たり前のことに気付いていなかったとは……私もまだまだ未熟だ』
「落ち着きましたか、織斑先生?」
『あぁ。すまなかったな、アイン先生。いらん心配をさせた』
気にしないでください、そう言おうとした俺の言葉は突如現れた一人の少女によって遮られた。漸くお出でなすったか、まぁ俺としては来てほしくなかったんだけど。息を切らしながら黒髪のポニーテールを揺らす篠ノ之を見ながら、俺は一言断りを入れてから通信を終えた。俺が視界に入った瞬間、彼女の目が見開かれる。
「アイン……先生……」
「何しに来た?俺が言える義理じゃないがここは危険だぞ」
少しだけ目を細めて睨んでやれば、篠ノ之は面白いくらいにその体を震わせた。彼女には知る由もないがこの身は人を手に掛けたこともある鬼のそれだ、まだ乾いた血の色も知らない無垢な少女を脅かすくらいなら、紅茶を淹れることよりも容易い。
しかし彼女は引かない。引く訳にはいかないのだ。今も皆を守るべく戦っている想い人の元へ、その胸に燻る激情を伝える為に。例え、それが自分の身を危険に曝す行為だと分かっていても。
「お願いします、先生……!私は……あいつに、一夏に、言ってやらねばならないことがあるんです!」
「それが己を危険に曝すことだとしてもか?あのISの砲撃は見ただろう、撃たれれば跡形も残らず蒸発するぞ。教師としてそんな真似を許す訳にはいかん」
「それでも!私は……!?」
ビクンと、篠ノ之の体が大きく跳ねた。血の気がその顔から失せていき、目には涙が溜まっていく。ガクガクと脚が震え、整ってきた呼吸も思い出したように荒くなる。
彼女に俺が何をしたのか。ただ少し殺気を当ててやったに過ぎない。危険だ、それでいて何にもならない可能性が高い。彼女がやろうとしていることはそんなものなのである。教師として、見逃せない。
「篠ノ之、最後にもう一度言おう──ここは危険だ、今すぐ避難しろ」
「わ……わた、し……は……」
「わたし、は……私は、それでも!逃げません!!」
「そうか」
……引かない、か。そうかそうか、なるほどなるほど。
じゃあ──
「……分かった」
俺はアリーナに声を届けられるよう、中継室の機材を手早くテキパキと操作する。確かこれが音量で、これが反響具合で……うん、こんなもんかな。マイクチェック出来ないから微調整は出来ないけど、さっきの放送部の子達はこれくらいでやってた筈だ。いやぁ、こういった類いの機材の動かし方を覚えといて良かった。こういうのって意外な場面で役立つもんだよなぁ。
「あ、あの……先生?」
「ん?何してるんだ篠ノ之。そんなとこに立ってたら声が届かないぞ。もっと前に来い」
「え……?いや、だって先生は危険だから避難しろと……」
当てていた気を引っ込めたことでだんだんと落ち着き始めた篠ノ之。青ざめていた顔色はすっかり元に戻り、体の震えも既に止まっていた。そんな彼女が訳が分からないといった様子で尋ねてくる。
「いやまぁ、そりゃ言ったけど。でも篠ノ之も言っただろ?『私は逃げません』って」
「あっ……」
教師として考えればここで篠ノ之をなんとしてでも止めるべきなんだろう。ただ、やっぱり
それに、危険に曝されるというのは別に大した問題ではない。
俺が彼女を守れば、それで解決する。
「大丈夫だ篠ノ之」
──大丈夫だ一夏、
「お前は俺が守ってみせる」
──お前は私が守ってみせる。
「だからお前は、」
──だからお前は、
「存分にやってやれ」
──生きてくれ。
「……は、はいっ!」
今度こそしっかり頷いた篠ノ之が早足で移動し、アリーナを一望出来る位置に辿り着いた。俺もまた彼女の左側で待機し、いつでもISを展開出来るように身構えておく。
チラリとアリーナの方へ目をやると織斑と凰の姿が見えた。無人機から少し距離をとって話し合っているのか、肉眼では詳細までは確認出来ない。そしてそこに──篠ノ之の声が響き渡った。
『一夏ぁ!!男なら……男なら、その程度の敵に勝てなくてなんとする!!』
キーン……と、ハウリングがアリーナ中に尾を引く程の音量。それは織斑や凰だけでなく、無人機の注意すらこの剥き出しの中継室へと集めた。俺は素早く篠ノ之の手を引いて自分の後ろに彼女を下がらせる。
無人機は既に砲撃のチャージを終えていた。一方、織斑達は戸惑いの余りその動きを完全に止めてしまっている。これでは無人機の砲撃がここを撃ち抜く方が早い。咄嗟に判断した俺は左目の眼帯を外し、露になった義眼で以て、無人機の腕部から此方を狙う砲口をギンと睨み付けた。
──この目なら、
無人機から放たれた命を呑み込む光線を、俺の左手に握られたかつての夢の残光が寸分違わず捉え、そして一閃の下にかき消した。
アイン 旧名織斑一夏。専用機は『白式・零』。左目は義眼となっており、そこには様々な機能が搭載されている。そのせいか色が大変なことになっており、火傷の痕もあって普段は眼帯で隠されている。因みに眼帯はラウラの形見
鈴(未来) 専用機は『神龍』。衝撃砲『龍咆・