「はぁー、えらい目に負うたでほんまに!」
龍驤のため息が浴場に反響する。夜戦での海域離脱を完遂した艦隊は無事母港へと帰還し、すぐさま入渠に入っていた。入渠とは、すなわち入浴を指すというわけではなく、基本的には戦闘で損傷を受けた艤装の修復の時間が入渠となる。その時間は基本的に各々が自由に使うことができるが、戦闘直後は当然ながら真っ先に入浴へ向かう艦娘が多いために、そうした共通認識があるのである。
「皆さん、お疲れ様でしたネー!特に龍驤は損傷を負いながらの奮闘、Niceな活躍デース!」
「まあ航空機の発艦ができんようになってからは何もしてへんけどなー」
どっかりと洗い場に座り込む龍驤に金剛が飛びつく。
「ご褒美に私が背中を洗ってあげるヨー!」
「おっ気が利くやん・・・ってそっちは胸や!自分わかってやってるやろ!」
「こ、金剛お姉さまにお体を洗っていただくなんて・・・!羨ましすぎます!」
霧島がその様子をみて生唾を飲み込んだ。
「お姉さま!私も敵戦艦との衝角戦において戦果を上げました!是非!是非私にもご褒美を!」
「自分間違えようがないやろ!あてつけかいな!」
龍驤が叫んだ。霧島は龍驤の言葉の意味がわからず困惑しているようだ。蛇足ではあるが、霧島のバストは金剛型でも一番大きい。
「龍驤、よかったら、僕が体を洗おうか?」
龍驤たちのやり取りを見ていた時雨が怖ず怖ずと名乗り出た。龍驤は一瞬だけ物珍しいものを見るような目で時雨を見たが、すぐに笑顔で「じゃ、頼むわ」といってタオルを時雨に差し出した。
「洗うのは背中やで、ええか、背中や!」
「そんなに言わなくてもわかってるよ!僕はそんな変態じゃないよ!」
時雨はタオルを受取り、龍驤の背中を洗っていく。龍驤の背中は小さく、ともすれば駆逐艦とも見間違えてしまうような体躯だ。しかしその背中はとても頼もしい。
「龍驤、本当にごめんね。僕が初めからしっかりしていれば攻撃を防げていたかもしれないのに」
「もうええって。初めからしっかりしてるやつなんておらん。これからいろんな経験を積んで、成長していけばええ」
「・・・僕、提督に、提督のこと好きになれないって言っちゃったんだ。提督、怒ってるかな」
少し悲しげな声色で不安をこぼした時雨に、龍驤ははあ?という素っ頓狂な声で返した。
「あの提督の初めての出撃のメンバーに選ばれてる時点でそんなんありえへんやろ?」
「でも、それは僕が覚悟を持ててなかったからで、それを直させるために編成に入れたのかも・・・」
あくまで時雨は龍驤の言葉に懐疑的な様子で、うつむいている。そんな時雨を見かねたか、龍驤は洗う手を止めさせ、時雨に向き直った。
「あんなあ、あの提督がそんなこと言ったくらいでへそ曲げるような玉にみえるか?少なくともうちにはみえへん。気にするだけムダや」
「そうかな・・・」
ネガティブな時雨の発言に、龍驤はじれったそうに唸った後、真っ直ぐに時雨の瞳を覗き込んで、言った。
「ちょっとは自信を持たんかい!あんたが思ってるほど物事は悪いように回ってるわけやないよ!それに自分の中だけで完結させようとすんのもやめや!そんなに気になるんやったら直接聞きに行ったらええやろ?」
そう言われた時雨はまた少し萎縮して、言葉を返す。
「でも、本当に怒ってたら、提督に嫌われてたら」
「そんときは」
明るく、そして優しい笑顔で。
「うちも一緒に謝りにいったる」
その時時雨は、涙を落としていた。悲しくないのに。辛くないのに。
「うわわ!?自分何泣いてんねん!?うちなんかおかしなこと言うたか!?」
人が時雨れる時は、悲しい時だけではない。辛い時だけではない。嬉しくて、安心して、流れる涙もある。
「ほら、うちの胸を貸したるから泣き止みい!」
泣き続ける時雨を、龍驤は抱き寄せてなだめる。時雨の心中を知らぬ龍驤は、おかしなことになってもうた、と混乱気味だ。
「えーと・・・そのやな・・・あー」
「ちょっ!霧島、くすぐったいデース!」
二人の間の空気をぶち壊すように、賑やかな騒ぎ声が響いてきた。
「お姉さまのバストの成長、この霧島には誤魔化せませんからね!ほら、もっと触らせてください!」
龍驤の頭の中で様々な情報が行き交い、混乱し、そして処理落ちした。
「人が真面目な話しとるときに何乳繰り合っとんねん!!当てつけはやめろゆうとるやろ!!あほーっ!!」
龍驤の絶叫が、浴室に木霊した。
夜の鎮守府に一際賑やかな一角がある。多くの艦娘が集うその店ののれんには、「鳳翔」という字が見て取れる。
「艦娘の運営する居酒屋か。艦娘とはなかなか多彩なことをしているのだな」
少佐は軽空母である鳳翔の開いている居酒屋「鳳翔」へ足を運んでいた。その大食漢ぶりは変わらずである。
「いいお店だよ。皆一日の疲れを癒やすためにやってくる。何よりご飯がおいしいからね!」
少佐の対面に座るのは、最上だ。ウイスキーを煽りながら少佐と雑談している。
「で、そろそろ教えてよ。時雨、なんだか表情が明るくなってたじゃないか。何をしてあげたのさ?」
「戦場に出してやった」
少佐の返答に最上はなんとも言い難い表情で、
「それだけ?」
と聞き返した。
「それだけだ。闘争に身を投じたものは必ず何かをそこに見出してくる。愉悦、悲哀、畏怖、軽蔑、興奮、恐怖、希望、絶望。その他無限の感情が入り乱れ、何かが残る。そこではもはや傍観者ではいられないのだ。思い悩む間などない。それ故に彼女も決断した。見出したものが何であれ戦うことを選んだのだ」
「提督が何を言ってるのかはわかんないけど、つまりそれって荒療治ってことだよね?ボク、提督に、あの子の心の扉を開けてあげてっていったはずなんだけど。もっと優しく諭すとか、相談相手になってあげるとか、そういうつもりで言ったんだけどなあ」
最上の言葉に、少佐は悪びれる様子もなく言った。
「その代わりに大切なものを与えてやった。闘争の中に生きる意味だ。何かを殺すことであれ、何かを守ることであれ、それがあれば戦い続けられる。それは素敵なことだ。とてもとても、素敵なことだ」
最上は虚空を仰ぎ、思考して、やがてそれを投げ捨てた。
「あーもういいや、結局時雨は少し明るくなったことだし!今日はお祝いだね!朝まで飲もう!」
「うむ、とりあえずメニューの初めから片端から持ってきて貰おうか」
こうして鎮守府の夜は更けてゆく。少佐の提督生活は、まだ始まったばかりである。
今回で「しぐれてゆくか。」は終わりです。前回から少し日が空いてしまい、申し訳ありません。
次回以降はまた違う艦娘にフォーカスを当てて書いていくつもりです。ただ今回までのように結構キャラが崩壊することがありますので、その点はご了承いただけますと幸いです。