「―――ごめんね。ムリさせちゃって」
自室でつくった特製ドリンクを三本のボトルに入れたものを持ち、スメラギはブリッジで作業をしていたクリスティナとフェルトにねぎらいの言葉をかけつつボトルを渡した。
「わ、助かります」
クリスティナが破顔して、ボトルを受け取る。
「フェルトもね」
「任務ですから」
スメラギは彼女の定位置である指揮官席に手を着いて振り返り、一口飲んでからクリスティナに尋ねた。
「システムの構築具合は?」
「八割といったところです」
スメラギは二人に、良くも悪くもヴェーダから影響を受けない独立したガンダムのシステム構築を依頼していたのだ。ヴェーダとリンクしている今のガンダムのシステムでは、もし裏切りものがヴェーダを通じてガンダムのシステムに障害を起こせばそれが致命傷になる。二人には急ピッチで作業してもらっていたのだが……この短時間で八割とは。
と、そこでフェルトが口を開く。
「スメラギさん、さっきセレネが端末経由でアイシスのシステムに組み込んでほしいとプログラムを送ってきたのですが……」
「どんなものなの?」
セレネがおかしなものを送り込んでくるとは思えないが一応聞いてみると、フェルトはやや首を捻りつつ言った。
「……バックアップ、らしいです。ただ、解読不能です」
「私もお手上げなんですよ。やたらと重いんですけど、意味のあるデータなのか全然分からないし。セレネに聞いても『備えがあると嬉しいのです』しか言わないですし」
セレネが何も言ってくれないのが不満なのか、ちょっと拗ね気味の二人だが、二人とも組み込むことに異議はなさそうだった。
「組み込んでも容量は平気そう?」
「……ギリギリです。けど、いけます」
容量ギリギリって……一体何をするつもりなんだと言いたくなったスメラギだが、セレネがプトレマイオスチームに不利益なことをするとは思えない。フェルトだって、一応スメラギに許可を取ることにしたとはいえ、セレネを疑っているわけではないだろう。
「……余裕があったら、組み込んでおいてあげて」
「分かりました。……完了です」
フェルトがカチっとエンターキーを押すと、データの重さを示すようにゆっくりと転送される。……どうやら組み込むといってもそう難しいものではなかったらしい。
と、そこでクリスティナがスメラギの持ってきたドリンクに口をつけ―――。
ブハッ、と息を吐き出してドリンクボトルを突き出しつつ抗議した。
「これ、お酒じゃないですか!」
「美味しいでしょう? 私の特製ドリンク」
「スメラギさん!」
「……ふふっ」
フェルトが控えめに笑い、スメラギとクリスティナは目を合わせて微笑んだ。
「最近、柔らかくなってきたわね、フェルト」
スメラギが妹の変化を喜ぶ姉のように言うと、フェルトは照れたように僅かに笑みを浮かべ、少し肩を竦めて言った。
「セレネほどじゃありません」
「フェルトも、素直になってみたら?」
クリスティナが面白そうに言うと、たちまちフェルトの顔が真っ赤になる。こういうところはセレネに似ているのかもしれない。
「……そ、そんなの……」
「そうだ、ロックオンのところに食事でも運んで貰おうかしら?」
スメラギもそれに便乗すると、フェルトは目線を逸らしつつ言う。
「……ま、まだ仕事が――――」
「ずっとコンテナで待機させちゃってるしね。お願いね、フェルト」
「頑張って、フェルト!」
クリスティナがフェルトをぐいぐいとブリッジの外に押しやり、スメラギが手を振る中、フェルトはブリッジの外に連れ出されていった。
「し、仕事――――」
「マイスターズのメンタルケアも大切なお仕事よ、フェルト!」
「そ、そんなの聞いたことが―――」
「現場の仕事には柔軟さが必要なのよ―――!」
一人ブリッジに残り、ほとんど完成したシステムを眺めながらスメラギは考える。
国連軍はガンダムに対抗しうる新型のモビルスーツを手に入れた。全世界に大々的に宣伝もしている。トリニティに勝利したことにも、世界の熱気にも後押しされて、彼らは遠からず攻勢にでる――――その予感は、1日と経たずして的中した。
――――――――――――――――――――――――――
『――――Eセンサーに反応、国連軍の新型モビルスーツ二十機が接近! ガンダム各機、緊急発進!』
「コンテナ、緊急解放! ―――セレネ・ヘイズ、ウィングソードアイシス、いきます!」
コクピットで機体状況を、そしてプログラムを確認しながらセレネは小さく息を吐く。もともとスメラギさんが相手の襲撃を読んで待機命令を出していたこと、そして擬似ドライヴのGN粒子をセレネが数分前に感知したこともあって、ガンダム各機は問題なく発進。既に、武装のないプトレマイオスを防衛するために前面に展開している。
セレネは刹那のところにいたので準備が遅れたが、脳量子波でアイシスを遠隔操作してソードパック、ウィングパックを装備させておいたので問題はない。
右腕はGNソード、左腕はビームライフル、各ブースター、ウィングスラスターに異常なし……!
(……機体性能に大きな差がないのなら、狙撃はロックオンに、砲撃はティエリアさんに任せて私は前に出る……!)
前衛は刹那とアレルヤさん、後衛はロックオンとティエリアさん。なら、私は遊撃しつつ敵を一機でも多くひきつける。宇宙なら空気抵抗を考えなくていいのでソード装備でもハイパーブーストを使えるし、ウィングアイシスの機動力なら敵陣の撹乱もできる。
そう判断して、セレネは間もなくデュナメスの有効射程距離に入る敵部隊を見据えた。
「アイシス、デュナメスの第一射に続いてハイパーブーストで敵陣を撹乱します…!」
『―――了解だ! ロックオン・ストラトス……狙い撃つぜ!』
セレネの瞳が黄金に煌き、ペダルを思い切り踏み込むと同時にパネルに圧縮粒子の充填率が表示される。
そしてデュナメスがその自慢の精密狙撃を放ち――――待っていたように散開する敵機の肩を掠めるようにして回避された。
『――――っ、掠っただけかよ!?』
「――――ハイパー……ブースト!」
散開するのなら、それはそれで構わない。アイシスが粒子の翼を広げると同時に爆発的に加速し、しかし即座に反応した敵部隊が、一斉にアイシスに弾幕を張る。自ら弾幕に突っ込む格好になったのを心配してか、刹那の声が聞こえるが―――。
『―――セレネ!』
「――――…その、程度…で!」
即座にセレネの思考に反応し、ウィングスラスターが方向を変える。急激に下方向に加速して弾幕を潜り抜けたアイシスが殺人的な急加速で上昇すると共に、ビームライフルを構える敵機の両腕を擦れ違いざまにGNソードで切り裂き、更にビームライフルの銃口からサーベルを出しつつ僅かに方向を変え、二機目の右腕をビームライフルごともぎ取り、両脚を切り裂き、更に三機目―――。
三機目がビームサーベルで迎撃しようとするが、どんなに機体性能が良くともパイロットが反応できない速度で攻撃すれば意味はない。三機目の右腕をビームライフルで撃ち抜き、ついでとばかりに両脚を切り飛ばす。
そして四機目は、アイシスのあまりの高機動に戸惑う部隊の中でも真っ直ぐに突進してくる機体に狙いを定め――――。
「――――ゃぁぁあああっ!」
二刀ビームサーベルを構える敵機の腕を武器ごと纏めて切り飛ばそうと、ハイパーブーストに加えて右腕部のブースターを作動。敵機を押し切るのに十二分な加速を加えた一撃が、敵機に襲い掛かり――――。
セレネは見た。
敵機のビームサーベルでGNソードの勢いを受け流し、更にその勢いを利用した蹴りを叩き込んでくるという離れ業を。
(――――この、パイロット!?)
咄嗟に蹴りの方向に合わせてブーストしたものの、ハイパーブーストの加速が相乗した強烈な衝撃がアイシスで最も脆い部分―――コクピットを、セレネを襲う。
「――――きゃぁっっ!?」
更に、衝撃で回転するアイシスに向かって加速する敵機がアイシスの両腕を狙って切り掛かってくる。咄嗟に、GNソードとビームサーベルで受け止め――――。
『――――逢いたかったぞ……アイシス!』
「……っ!?」
通信、を…っ!?
開かれた通信に、モニターに、やはりあの人の―――グラハム・エーカーの顔が映し出された。
―――――――――――――――――――――――――
グラハムは、緑の粒子の翼を広げてGN-X部隊を圧倒するアイシスを見て僅かに笑みを浮かべていた。
(……だから、気を抜くなと言ったのだ……)
GN-X部隊に配属された元オーバーフラッグスにはアイシスとの戦闘映像を見せて口を酸っぱくして指示したとおり、粒子の翼を展開したアイシスから蜘蛛の子を散らすように、しかし二人一組で迅速に距離を取っており、今攻撃を受けて無力化された三機はいずれもAEUの部隊だ。グラハムはAEUのエースパイロットとやらに説明と映像は渡しておいたのだが、どうやら行き届いてはいなかったようだ。
だが、そんなことは構わない。
今の私にとって大切なのは、正々堂々、真正面からの戦いでアイシスに勝利すること。そして、全ての借りを返すこと――――…!
初めての邂逅において完膚なきまでに敗れ、救われ。
二度目の出会いでは逃げられ。
三度目の出会いでは防衛対象であった太陽光受信アンテナを救ってもらい。勝負を挑み、追おうとしたところを撃ち落された。
四度目の出会いでは圧倒的な物量によってアイシスを一方的に蹂躙し、どれだけ後悔したか知れない。
そして、五度目。共に戦い、剣を託され、新型ガンダムを倒した。
……トドメはさしていない。だがあの時、そのつもりがあればコクピットを両断できていただろう。ただ、アイシスに託された剣で命を奪うつもりがなかったというだけのこと。命を奪う事が、全てではない。
私の、アイシスの行動で、アイリス社で助かった人間は一人なりともいるだろう。それで、十分だ。……ハワードにはいつか必ず謝罪しよう。だが、私はフラッグで確かにガンダムを倒して見せた。
恥を忍び、フラッグを降りたのも。この場所にいるのも。
全ては、アイシスに借りを返すため。
(………ああ、だが……)
――――だが、認めよう。それは建前だ。この感情はごまかしようもない。
私、グラハム・エーカーは……君と戦えることに、これ以上もなく―――悦びを感じているっ……!
武器ごと上半身を両断せんと、アイシスが突っ込んでくる。グラハムをして、ついていくのがやっとのその機動。だが――――!
(―――伊達に、君の戦いを見てきたわけではない!)
アイシスは高速戦闘において、剣での接近戦を好む。それは何故か? 無論、より確実に相手を殺さずに無力化するためだろう。そして今考えられるその剣筋は三通り。武器ごと腕を切り裂く、脚を切り裂く、回り込んで切りつける。
そしてこの戦い、どう取り繕おうともアイシスたちが不利だ。
残り17対5。アイシスの粒子の翼が出し続けられないものであることも予想がつく。ならば確実に、そして迅速に無力化するために、アイシスは腕を狙う!
武器が持てねば余計な手出しはできない。脚を切り裂いても射撃はできる。
予想通り、アイシスがビームサーベルごと腕を切り裂くのではないかという勢いで切り掛かってくる。そして、その剣筋はやはり。コクピットを避けて上半身を切り裂くもの――――。
(このような状況であろうと意志を貫く……その心意気やよし…!)
――――だが、甘く見てもらっては困るぞ!
「――――君の視線を釘付けにする…ッ!」
ビームサーベルで斬撃を受け流し、その凄まじい衝撃で流される上体を引きとめようとするのではなく、その力を下半身に伝える。狙い違わず、アイシスの腹部に蹴りが直撃する。瞬時にペダルを全力で踏み込み、加速してアイシスに切り掛かる。
狙うのは、両腕。
機体性能に差はない。互いにコクピットは狙わない。それならば、この戦いは―――!
――――正々堂々たる、真剣勝負だ!
即座に体勢を立て直し、グラハムの二刀の一撃を受け止めてみせたアイシスとグラハムのGN-Xの間で激しいスパークが散る。
ソレスタルビーイングから提供されたというだけあって、ガンダムにも送ることのできる通信回線を開き、叫ぶ。
「逢いたかったぞ……アイシス!」
両腕のブースターを作動させたアイシスがグラハムの二刀ビームサーベルを押し返して距離を取り、アイシスが翼につけていた燃料タンクのようなものをパージ。
グラハムは再びペダルを全力で踏みつけて機体を突進させる。
無茶な加速とともにビームサーベルを振り下ろす、それだけの動きに骨が軋み、筋肉が悲鳴をあげる。こんな操縦を続ければ、自分の肉体はどうなってしまうのか―――だが、それを望み、ここに来た! この戦いには―――それだけの価値がある!
命を棄てても構わないと思うほどの激情。
この感情――――。
「――――ようやく理解した!」
互いに蹴りを放ったGN-Xとアイシスの脚が交錯し、ブーストで押し切られる。しかしグラハムはそのまま機体を一回転させてアイシスに切り掛かり、アイシスの肩を僅かに切り裂く。
「私は、キミの圧倒的な性能に……その在りように、心奪われた!」
力を持って驕らず、世界を平和にする為に、ただ一人でも助けるために戦う。そして、その意志をこれまで貫いてきた。私は常にアイシスとの戦いを、清々しいまでの真剣勝負だけを常に切望してきた。そうだ――――!
「この気持ち――――まさしく愛だ…ッ!」
僅かにアイシスが動揺したような気がした瞬間、容赦なく乱射されたビームライフルをグラハムは辛うじて回避し、数発はシールドで防ぐ。
止め処なくビームライフルを撃ちながら、猛烈な勢いでアイシスが後退する。
「――――私はキミとの決着を望む! 正々堂々たる戦いを……!」
そのビームの雨をかいくぐり、グラハムは突進する。
何度目かの鍔迫り合いのスパークが、漆黒の宇宙に輝いた。
――――――――――――――――――――――――
アレルヤ・ハプティズムは苦戦していた。
トリガーを引いてGNサブマシンガンで弾幕を張り、しかし敵部隊はそれにほとんど当たることなく回避してみせ、あるいは左腕のバリア状のシールドで防いでみせる。そして、反撃する。
アイシスが瞬く間に三機も無力化してみせ、今も手強い一機と交戦しているので、残りは十六機。一人当たり四機の計算になるのだが、相手もビーム兵器を装備している以上は一撃が致命傷になる。しかも一撃が倍返し、倍々返しになって返ってくる。
GNシールドを構えて熱線の雨をなんとか堪えていはいたが、着弾の衝撃で機体が後方に押しやられ、粒子ビームがキュリオスの脇を掠めていく。
ずっとこの繰り返しだった。
こちらのロクに狙いもつけられない弾は掠る気配もなく、しかし無駄弾になると分かっていても撃たずにはいられない。撃たなければ、更に激しい攻撃にさらされるだろう。最早、反撃ではなく牽制の弾幕になっていた。
またGNシールドにビームが着弾し、閃光がアレルヤの顔を照らす。
「くっ……! ぼくらの滅びは、計画に入っているというのか……」
トリニティが現れてから、ずっと心の中にあった疑問。紛争根絶という理念の実現のために、世界をひとつにするために、そのために、僕らの敗北すらも計画の一部なのではないか?
ありえない、そう思いたくとも計画の全容を知らない。
「裏切り者」だと思っている者こそ、真の計画の実行者なのではないか……。そんな疑惑を、否定できる根拠が何一つなかった。
滅びる為に、戦ってきたのか?
世界中に憎しみを集めて、その滅びで世界を纏めるために?
何も知らない、捨て駒として……。
―――――――――――――――――――
「――――そんなことがっ!」
そんなことが、あってたまるものか!
ヴァーチェのコクピットで、ティエリアが声を張り上げる。
回線を通して聞えたアレルヤの呟きを、全力で否定した。
滅びるための存在など、戯言でしかない。
そのような計画を、ヴェーダが推奨するはずがない。
二百年だ。二百年もの間に、計画のために多くの人命が失われた。
ガンダムマイスターも、命を捨てる覚悟を抱いて戦っている。そこには「紛争根絶」という理念に賛同した人々の想いが、込められているのだ…!
それが、その結果が、哀れな子羊を作り出すためだったなど!
ヴェーダがそのような愚かしい計画を認めるものか……!
そんなことのために、僕たちが戦ってきたなど。
そんなことのために、僕が造られたなど――――認めるものか!
僕たちは死すべき存在などではない……国連軍に、情報を漏洩した者こそが裏切り者だ! そう、現に僕は今もヴェーダと繋がってるのだから―――!
GNキャノンを放ち、敵機が回避したところを狙ってGNバズーカを放つ。避け切れなかった2機のGN-Xが粒子ビームの奔流に飲み込まれ、一機が左腕を、一機が右足を失ってスパークを散らす。
「チィッ!」
破壊し切れなかった!
あれでは戦闘継続も可能だろう。追撃のためにGNキャノンを手負いの二機に向け―――そこで、一機のGN-Xが飛び出してきた。手にしたライフルからビームを連射し、着弾の衝撃がコクピットを揺らす。
GNフィールドの展開に使用する粒子をGNバズーカのチャージに回しているが、それでも発射のタイムラグはなくならない。大きすぎる機体に次々と敵の粒子ビームが命中していくが――――。
「まだまだ!」
揺れる機体の中で、しかしティエリアは迫る敵機にGNバズーカの照準を合わせ―――ティエリアがトリガーにかけた指を引こうとした瞬間。
「なっ……!?」
視界が暗く染まる。モニターに映っていたデータ類が一瞬にして全て消えていた。ヴェーダとのリンクが断ち切られた。何も見えず、感じられない。
「ヴェーダからの……バックアップが………!?」
ガンダムが、システムダウンを起こしていた。
――――――――――――――――――――――――
刹那は、暗く沈んだエクシアのコクピットで呆然としていた。
操縦桿をいくら動かしても、エクシアは何の反応も示してくれない。すべてのスイッチを試してみても、現状を打破できるわずかな兆候すらない。
モニターだけは生きていたが、それで何ができるというのか。
絶望に打ちのめされた心から、身体から、力が抜けていく。
(同じだ……)
あの頃。クルジスの戦地を駆けてきた頃と。
死の恐怖に怯えながら、マシンガンを抱えて駆け回っていた頃と。
(同じだ……あのときと………)
無力な少年兵でしかなかった、あの時と。
誰も助けられない。救えない。ただ仲間の死を眺め、恐怖していた頃と。
(……エクシアに、乗っていながら……)
天空から舞い降りるヒトならざるものに憧れた。
それと同じ、ガンダムを冠する機体に乗っていながら。マイスターを名乗っておきながら。それ、なのに―――…。
(……ガンダムにもなれず……俺は……!)
死ぬのか。
こんなところで死ぬのか。
(……ここまで、なのか………)
エクシアを国連軍が包囲している。死が、迫っている。
その時、声が聞こえた。
――――もういいのよ、ソラン。
刹那の脳裏に、夢で見たマリナ・イスマイールの姿がまざまざと浮かび上がる。かなしげな微笑みを浮かべた彼女が、刹那の耳元に優しく囁く。
『……もう、いいの……』
甘い囁きだった。
もう、いい―――もう戦わなくて、人を殺さなくていい。
心が誘われる。そうだ、もう何もしなくていい。
そうすれば、死とともに刹那は自由になるだろう。
もう戦うことも、抗うこともなく。………彼女の笑顔を、見る事もなく。
「―――…違う……」
俺は、戦う事しかできない。
けれど、それだけか? 生きる意味は、それだけなのか?
俺は本当に、戦うためだけに生きているのか……?
「―――――違う……違うぞ!」
脳裏にセレネの温もりが、笑顔が浮かぶ。
俺は何の為に今まで戦ってきた。何の為に抗ってきた。
世界の歪みを正す為に。かつて自分が救われたように、誰かを救う為に。
そのために戦って、抗って。世界を見つめてきた。
こんなところで死ぬためなどではない。
ガンダムに乗り、ガンダムになるために。
まだ何も成し得ていない。何も叶えてはいない。
セレネを本当に救えてなどいない。……平和な世界に。彼女の望む世界に…!
そうだ、まだ……!
「――――まだ俺は生きている! 生きているんだ…!」
操縦桿を握り締め、感情のままに動かす。
「……動け、エクシア!」
諦めるわけにはいかない。いや、諦めたくはない……!
まだ、生きていたいんだ……!
世界の歪みを正すために!
それを体現する存在に、ガンダムとなるために!
セレネと、生きるために……!
「動いてくれ…! ――――ガンダムッ!!」
――――瞬間、エクシアの胸部ジェネレーターが眩い輝きを放った。
――――――――――――――――――――
「ガンダムへの予備システムの転送、終了しました!」
「ありがとう」
クリスティナからの報告に、スメラギは頷き返す。
クリスティナとフェルトに頼んでいた予備システムは、戦闘が始まる直前に完成していた。……もし、もう数時間早く襲撃を受けていたら今頃ガンダムは身動ぎ一つできずに粒子ビームで嬲られるだけだっただろう。
だが、国連軍は突如動かなくなったガンダムを罠ではないかと警戒してくれ―――。
「スメラギさん、ヴァーチェのシステム変更にエラーが!」
…………………
「――――…っ!?」
システムダウンさせられたアイシスのコクピットで、セレネは操縦桿を強く握り締めていた。脳量子波を使って操縦できるアイシスといえど、それを処理するシステムがダウンしてしまえば機体を動かすことはできない。
―――まだ、なの…っ!?
フェルトとクリスさんが予備プログラムを作ってくれているのは知っていた。既に完成して、万一の時には転送してくれることも。けれどこんなことなら、出撃前に変えてもらえば良かったと思う。少しでも刹那のところにいたい。その我が儘が、この状況を生んでいた。
この人は、こんな致命的な隙を見逃してくれるほど甘くはないのに―――!
周囲に満ちたGN粒子が、驚く思念を伝えてくる。
『……まさか、機体が万全ではないというのか……?』
僅かな逡巡。
こんな形での決着は望んでいない。その想いが、伝わってくる。
敵機は僅かに距離を取り、サーベルを構えて静かに佇む。
………そして、アイシスのシステムが復旧した。
脳量子波に応え、アイシスがGNソードを構えなおす。
再び、通信が入った。
僅かに笑みを浮かべ、しかし真剣な光を瞳に宿した、あの人の顔が映る。
『……全力を望む』
言外に、不調ならば止めても構わないと言われていた。
………殺すつもりなら、殺せただろう。
そう考えると、『お互い様というものだ』と言われたような気がした。
「………」
静かに、コンソールを見つめる。
こちらからも通信を入れようか、僅かに逡巡する。しかし、そんなことをしても向こうがやりずらいだけだろう。
(………ほんとに、いやです)
こんなときまで、自分の見た目が恨めしい。
静かに高機動モードに入ったアイシスから粒子が迸り、再び激突のスパークが視界を染め上げて。
『――――ティエリア!』
セレネの脳裏に、声が響いた。
「……ぇ?」
嫌な、予感がした。
咄嗟に、感覚を広げて。
感じ取ったのは、激痛を受けるロックオンの姿だった。
―――――――――――――――――――――――――
「………僕は……ヴェーダに見捨てられたのか……」
そう呟いたきり、ティエリアの思考は先の見えない暗黒を漂っていた。
システムダウンしたコクピットで、情報の海から放り出され、ティエリアがティエリアである理由だった繋がりを絶たれて。
すべてを、失った。
存在する理由を。生まれた意味も。生きてきた意味も。
最早、体にも、思考にも力が入らない。
ふと、我に返った。
……目の前のモニターを、大きな影が覆っていた。
それは、ガンダムデュナメスの背面だった。
そして、デュナメスの背中から突き出しているのは。その赤い輝きは……。
「……どう、して……?」
どうして、デュナメスの背中から、ビームサーベルの切っ先が出ている…?
目を見開き、無意識に叫ぶ。
「……ロック、オン…っ!?」
傷ついたデュナメスが、片腕のGN-Xによって乱暴に振り払われる。
無抵抗に流されていくデュナメスがゆっくり回転し、その右胸に、コクピットの至近部分に、黒々とした穴が開けられているのが見えた。
「あ………ああ……」
思考が、追いつかない。目の前で片腕のGN-Xがビームサーベルを振り上げているのを、ただ呆然と見ていることしかできず――――。
『―――――…ぁぁぁああああぁぁっ!』
脳に直接響くような、突き刺すような絶叫が聞えた気がした。
瞬間、白色めいた粒子ビームが目の前を通過した。
敵の右腕が、ビームサーベルごと飲み込まれて融解し、爆発する。
瞬間、飛来したアイシスが敵機を蹴り飛ばし、両脚と頭を切り飛ばし、残った胴体を殴り飛ばす。
アイシスはビームライフルを四肢を全損して無残な姿になったGN-Xに向けて。泣き声交じりの少女の叫びが響いた。
『……ロック、オン……返事を、してください……っ! ロックオン…っ!』
けれど、ロックオンからの返答はない。
ただ、ハロの声だけが虚しく響く。
『デュナメス損傷、デュナメス損傷、ロックオン負傷、ロックオン負傷』
「……あ……あ………そんな……僕を、かばって……」
アイシスがビームライフルを、撃つ。
しかし何発撃っても、コクピットと太陽炉だけが残ったGN-Xを掠めるだけで漆黒の宇宙へと消えていく。
『………ぅ、ぁぁぁ……っ!』
国連軍の撤退信号が閃光を放ち、GN-X部隊が速やかに撤退していく。
残されたのは、少女の泣き声だけだった。
誠に申し訳ございませんが、色々と考え直したいこともあるので次回更新は未定です。
明日かもしれませんし、しばらく更新しないかもしれません。
同時に、感想の返信も少しお休みさせていただきます。
次回、『トランザム』。それは、パンドラの箱に眠るもの。