王留美の別荘には屋外プールすらもある。
現在、プトレマイオスはソレスタルビーイングの秘密ドックに預けてある。『ガンダム鹵獲作戦』による戦闘や長期間の連続航行によって疲弊したプトレマイオスを全面的にメンテナンスするため、その間に休暇よろしく地上に降りてきたのである。
ただ、アレルヤとイアン、医者のJB・モレノは宇宙に残っていたが……。
プールサイドのパラソルの下、水着を着てくつろぐスメラギと王留美をリヒティがビデオカメラのファインダー越しに眺めている。無論、録画中である。
「何話してるんだろ、あの二人」
「キミ、それセクハラ」
と言ったのは、リヒティの後ろで呆れ顔のクリスティナ。二人ももちろん水着着用であったが、リヒティの水着は半袖半ズボンの全身タイツのようで、何ともコメントに困るものであった。とりあえず確実にイケてない。
「セ、セク……!? そ、そっすかねぇ?」
「そうよ」
にべもなく断言するクリスティナであるが、そういえばリヒティが薄着しているのを見たことが無いと思う。だらしなさそうなのに、下着姿で出歩いたりはしないのだ。
そんなことを考えつつ、クリスは反対側のプールサイドに目を向け―――ラッセがビキニパンツで猛烈に腕立て伏せをしているのを見て無言で目を逸らした。
逆に、プールではセレネが自分の手で水を飛ばすGN水鉄砲(自称)でフェルトの市販水鉄砲と激戦を繰り広げていた。アイシスを彷彿させる凄まじい動きのセレネと容赦なく大きな水鉄砲を乱射するフェルトは恐ろしい事に互角である。
ちなみに先程クリスも参加したのだが、セレネに水が当たらないわフェルトが容赦ないわで先程撤退を決意したのである。
「――――ねらい撃つぜぇー! なのです…っ!」
「……給水完了。迎撃射撃に入ります…!」
「……あっちはあっちで自分の世界に入ってるし」
二人ともまだ子どもなんだなーと深く感じさせられる光景である。ちなみにセレネの水着は薄ピンク色のワンピースタイプに変わっている(子供用だがセレネは知らない)。
なんだかんだで先程はクリスもムキになって参加していたのは気にしない。
クリスはやれやれと首を振り、それから尋ねる。
「ねぇ、他のマイスターズは?」
「刹那は隠れ家に戻って、ロックオンはどこかに行っちゃったっす。ティエリアは地下にいるみたいだけど」
「なんつーか、連帯感ゼロね……」
「四六時中ベタベタしてたら気持ち悪いっすよ」
約一名、逆に一人でいると心配せざるを得ないマイスターがプールではしゃいでいるが。
と、苦笑気味に呟いてからリヒティは己の失言に気づいた。
(し、しまったぁぁぁーーっ!?)
もちろんフェルトも可愛いと思っているし、スメラギも美人だと認めている。セレネも年齢を考えなければ相当に可愛いだろう。だがリヒティは21歳。ロリコンではないのでセレネは対象外であり、やはり一番はクリスティナだった。
だから休暇を利用して仲良くなりたかったのに!
むしろ自分でその可能性を潰しにかかってしまったのである。自分がベタベタする口実を失ったともいう。
考えすぎかもしれないが、これまで何度もアプローチを粉砕されているリヒティとしては死活問題であった。そういうわけで真剣に悩んでいると……。
「ねえ、なに?」
とクリスティナが訊いてきた。
「へ……? な、なにって……?」
「さっき、私のこと呼んだじゃない。『あのさ、クリスティナ』って」
無意識に呼んでしまったらしい。
狼狽するリヒティ。これはチャンスでもあるが、何を話せばいいのか―――。
「用、ないわけ?」
無言の時間が長いためか、彼女の眉根が不機嫌そうであった。
「……ひ、暇つぶしに、ロックオンのところに連絡してみません?」
リヒティは笑顔だったが、それは悲しい笑顔だった。
そして、クリスも不思議そうにしつつそれに従う。
「……フェルト、リヒティさんは何をしてるのです…?」
「……セレネ、見ちゃダメ」
わけがわからない。とばかりに小首を傾げるセレネに、フェルトは首を横に振った。
なんだかんだで、みんな自分の恋には鈍感であった。
……………
「なんだ、リヒティか……」
ロックオンは通信端末の画面を見て言った。ロックオンの周りには賑やかな音楽と若い女性たちの笑い声が入り混じっている。こちらからは音声のみの通信だが、向こうからは通常通信であるために青空をバックに水着のリヒティとクリスが映し出されている。
「なんの用だ? 定時連絡はしてるだろ」
『いや、なんとなく……』
その時、ロックオンの横から若い女性たちの笑い声があがる。それを耳ざとく聞きつけたリヒティが目を輝かせる。
『うわ、もしかして女の子っすか!? ていうか、何人ハベらせてるんですか?』
ロックオンはふっと笑う。完全な苦笑なのだが、リヒティには気障な笑いに見えた。
「バーカ、ヤボなこと訊くなよ」
『フェルト、ハベらせるって何するのです…?』
『……目標を殲滅します』
『マジすか、マジすか!? いいな――――ぶわっぷ!?』
セレネの訳が分かってなさそうな声に続き、フェルトの水鉄砲が八つ当たり気味にリヒティの顔面を襲う。最新式の高圧縮水鉄砲の全力射撃はその威力を遺憾なく発揮し、リヒティは鼻に水が入って猛烈に咽る。
『うぇおっほおっほ!?』
『……サイテー……』
というクリスティナの呟きが聞え、ロックオンはまた苦笑する。
「用が無いなら切るぞ、じゃあな」
『あ、ちょっ……げほ、げほっ!?』
リヒティの声を無視してロックオンは通話を切って携帯端末を横のシートに投げ、それからカーステレオのスイッチを切る。スピーカーから流れていた音楽や女性たちの笑い声が消え、ロックオンは愛車のシートに体を預けた。
それから一呼吸置き、車を降りて助手席側のボンネットに腰掛けた。
「まったくよぉ……」
目の前の景色を見て、呟く。
「……こんなに綺麗になっちまって……」
そこには、深夜でひっそりと静まり返る公園があった。
公園の中央には十字架を立てたようなオブジェ。それは、この地で起きた自爆テロの被害者に贈る慰霊碑だった。十字架の台座には、ロックオンの家族の名も刻まれている。
あれから、十年。
瓦解したビルの跡は整地され、公園へと姿を変えていた。
時の流れを感じさせられずにはいられない。
しかし、ロックオンの記憶にあるのは瓦礫の山であり、どれほど綺麗になろうともそれは見慣れない景色以外の何物ではない。……まだ、忘れてはいないのだから。
「……まったく……感傷に浸る気分じゃねぇな、こりゃ………」
――――――――――――――――――――――
スメラギは別荘の地下にある情報収集機器の前に座り、ユニオン、AEU、人革連の各軍の動きとそれに付随するデータなどが表示される大型ディスプレイを苦い表情で見詰めていた。
ついに三国家軍による合同軍事演習が翌日に迫っていた。それと同時に、演習場であるタクラマカン砂漠の濃縮ウラン埋設地にテロが仕掛けられるということも……。ソレスタルビーイングは、これを見逃すわけにはいかなかった。罠だと分かっていても…。
今回の軍事演習は以前にモラリアとAEUがおこなったものとは比べ物にならないほど大規模なものだ。……彼女の誓いは、到底守られそうも無い。
最小の犠牲で、最大の戦果を。
こちら側に損害を与えず、仲間の誰をも失わない。敵の被害を最小で抑えることなど、とてもできそうにない相談だ。ガンダムマイスターたちを危険な目に遭わせることも分かりきっている。
「……スメラギさん」
背後から声が掛けられた。
スメラギは驚いて振り返り、そしてもう一度驚いた。
暗い部屋の中でセレネが瞳を黄金色に輝かせ、寂しそうに微笑んでいた。
「……セレネ? そ、れは……?」
「こういう、体質なのです。普段はこれで隠しているのですが……」
そう言ってセレネは黒いカラーコンタクトをつけ、小さく呟く。
「……スメラギさん、わたしは脳量子波によるGNパックの遠隔操作が可能です。ある程度のGN粒子さえあれば一斉に複数個所への攻撃も可能ですから、それもミッションプランに―――」
「ちょ、ちょっと待って! ……それは、貴女もアレルヤと同じように脳量子波の干渉を受けるということなの…?」
無感情に、淡々と話すセレネを止めなくてはいけないと、このままでは何かがいけないと咄嗟に判断していた。セレネは僅かに顔を顰めると、言う。
「半分、正解です。細かい理屈はわからないのですが、波長がちがう……のです? 超兵の影響だけ特別強く受けたりはしないのですが、意識を集中させれば相手の感情がなんとなくわかります。攻撃も、回避もそれを利用すれば格段に有利です。……ですから、一番危険な場所は私に任せてください」
頭が混乱していた。
淡々と語るセレネの瞳にはいつものような明るさがなく、冷たい光が宿るだけ。
しかし、スメラギはそんな状況でもセレネのその能力の危険性を察していた。これまでのセレネをしっかりと見てきたからでもあるのだろう。
「……それは、相手の苦しみも分かる……ということなの?」
「…………なんとかなります」
ぴくり、と一瞬だけ動いた口元がセレネの内心を表していた。
スメラギは一瞬だけ考え、言う。
「……ダメよ。貴女はそもそも長期戦には向いていない。私のミッションプランに従ってちょうだい」
「いざとなれば、アイシスは自爆させます…っ」
スメラギは目を見開いた。
何かに追い立てられるようなセレネの必死さと、焦りのようなものを感じた。ここ数日、何か様子がおかしいと思ってはいたけれど―――。
スメラギは唇を引き結んで立ち上がり、セレネの頬を平手で打った。
「……っ!? ……ぅ、ぅぅ……っ」
途端に涙を滲ませるセレネに罪悪感を覚えつつも、意を決し、冷たく言い放つ。
「貴女は、刹那やロックオンが、アレルヤやティエリアが自爆すると聞いたらどう思うの!? もっと意味を良く考えて言いなさい…!」
「……それが、嫌だから言っているのです…っ! 今度のミッションは、無理です…! スメラギさんだって……スメラギさんが、一番よく分かっているはずです…っ!」
そうだ。今回の戦いは絶望的なものになるだろう……。
確かにアイシスを敵陣に突っ込ませて敵の砲火を集中させることができれば、多少なりとも他のガンダムの離脱は楽になるかもしれない。けれど、それは―――。
「……ですから、私が囮になります。ウィングアイシスなら緊急脱出の可能性は最も高いです。むしろ、私一人でも―――」
もう一度、引っ叩かなければいけないのだろうか。
ハイパーブーストは行き帰り両方にチャージ無しで使えるような燃費ではないのだ。確実に敵の砲撃に捕まって、永遠に続くかというほどの砲撃を受け続けることになる。そして、万一のときは自爆するというのだろう。
スメラギだけではなく、ロックオンもアレルヤも、そして刹那もそんな作戦とも言えないようなものを認めるはずが無い。スメラギが唇を噛み締めて腕を振り上げようとしたその時――――底冷えするような声が地下に響いた。
「………セレネ」
びくっ、とセレネが震え上がる。
壊れた人形のようにゆっくりと振り返るセレネは、入り口に立つ少年の――――刹那・F・セイエイの、無表情なのに明らかに激怒していると分かる異様な空気に完全に呑まれて硬直する。
「……せ、つな……どう、して……」
「スメラギ・李・ノリエガ、コレを借りる」
刹那はセレネが何か行動する暇も与えずに接近してセレネの腕を掴むと、スメラギの返事を聞くことなくそのまま連れ去った。
「……お酒でも飲もうかな」
スメラギは小さく呟き、なんとなく持っていたワインを開けた。
―――――――――――――――――――――――――
――――お、怒ってます。ものすごく怒ってるのです…っ!?
部屋を出て、思い出したように足を突っ張って抵抗を試みたものの、刹那はどこにそんな力があるのかというほどの力で抵抗など無いかのように私を引き摺ります。
地上に上がるための階段があり、これで何とかなるかと思ったのも一瞬、容赦なく抱えあげられてしまいました。
「……は、はなしてください…っ!」
咄嗟に四肢をばたばたさせて抵抗を試みますが、刹那はそれを意に介さないばかりか、ギラリと剣呑な光の宿った瞳で見据えてきます。
「……大人しくしていろ」
「………っ」
こ、怖いです…っ!
思わずこくこくと頷き、泣きそうになりながら運ばれた先は――――刹那に割り当てられた部屋。そのままスタスタと部屋に入ったかと思うと、ベッドに投げ捨てられました。
「――――きゃぁっ!? せ、刹那……危ない―――…と、思うのです…?」
む、無理です! こわいのです…っ!
刹那の怒りのオーラに抗議の声は尻すぼみに小さくなり、じりじりと必死にベッドの上で後退すると刹那は顔を顰め、ベッドの前から私を見下ろしつつ言う。
「なぜ、あんなことを言った」
「……ど、どれの――――ぁぅ…っ!?」
目を逸らしつつ思わずとぼけてしまうと、それが気に食わなかったのか、あるいは埒が明かないと判断したのか、ベッドの上に乗った刹那に肩を掴まれ、壁に押さえ込まれて至近距離で瞳を合わせられる。
「なぜ、軽々しく死ぬようなことを言った…!」
「……そ、れは…っ」
目が逸らせないほどの距離。そして、混乱した意識が勝手に刹那の感情を読み取っていた。………怒って、いる。けれど、これは………。
「なぜ、何も言ってくれない…! 俺も……俺たちもガンダムマイスターだ…!」
「……せ、つな…?」
かつて刹那がモラリアの軍事演習でコクピットから出たとき、理由を言ってくれなくて、険悪な空気になって、咄嗟に叫んだ言葉。あの時のわたしは、何を思ってこの言葉を言ったのだろう。
混乱していた。
けれど、刹那の真剣な……必死な瞳に、気がつけば口が動いていた。
「……だ、って……わたしは……ばけもの、なんです……」
知っている。ほんとうのわたしを見た人たちがどう思ったか。戦場でわたしの戦いを見た人が恐怖を覚えたことも。そうだ、だから……わたしは……。
「……だから、わたしは……みんなに、生きてほしくて―――っ!?」
強く、抱きしめられていた。
刹那の身体の温かさと、刹那の感情が……哀しみが伝わってくる。
「………俺は、お前に生きていて欲しい」
たったそれだけの言葉なのに、伝わってくる。
刹那が、今まで一緒にいたときのことを、大切に思っていてくれたことが。
ほんとうに、わたしなんかのこと心配してくれていることが。
「……せ…つな、わたし、心が読めるんですよ…?」
「話す手間が省ける」
勝手に、涙が溢れてくる。
「わ、たし……ほん…とうは、白髪…なんですよ…?」
「嫌なら染めればいい」
どうして、刹那に反論したいのかわからなかった。
けれど、もしかしたら――――…。
そっと、カラーコンタクトを外す。刹那をそっと押し返して、瞳を合わせた。
「だ、って……こんな、目なのに……!」
「………綺麗、だ」
それだけ言って、もう一度抱きしめられる。
「ぅ、く……っ、ぐすっ……にあわ、ないです……せつな……っ」
刹那の顔は見えない。けれど、僅かに拗ねたように顔を顰める刹那が見えたような気がして。胸の奥から込み上げる、温かな感情に身を任せて。刹那の身体を強く、抱きしめ返して――――そのまま、溢れてくる涙を堪えずに泣いた。
抱きしめてくれている刹那の温もりを感じながら、そのまま眠りに落ちていった。
次回予告
圧倒的な物量。絶え間なく続く攻撃。
これが世界の答え。ガンダムマイスターたちの終焉……。
次回、『折れた翼(前編)』。その死地を、剣が駆ける。
Cパート
三国合同軍事演習の準備段階が終了しようとしていた頃。
フランスの外人部隊基地で指揮官である小太りの大佐が極秘任務の指令書を赤毛の少尉に手渡していた。
「我が隊に極秘任務ですか?」
指令書を受け取った赤毛の少尉は黒いスーツを纏い、背がスラリと高く全身から精悍な雰囲気を漂わせていた。
「詳しくは指令書を読んでくれ。この私ですら内容は知らされていない。私に与えられた任務は、キミにこの指令書を渡す事と――――アグリッサを預けることだ」
「アグリッサ?」
指令書に目を落としていた少尉が顔を上げる。
「第五次太陽光紛争で使用したあの機体ですか」
「機体の受け渡し場所も指令書に明記されている」
少尉は顎に手を当て、それから頷いて立ち上がった。襟元で結ばれた赤毛が揺れた。
「了解しました。第四独立外人機兵連隊、ゲーリー・ビアッジ少尉、ただいまをもって極秘任務の遂行に着手します」
そういって、アリー・アル・サーシェスは仮初めの上官に敬礼した。
基地から出たサーシェスは、コンクリートの上を歩きながら髪を束ねていた紐を解く。
クク……ククク……と、狂笑がもれる。
「楽しくなってきたじゃねぇか……!」
戦場だ。ようやくだ。
あのクーデターを止めやがったクルジスのガキも、ナメたお嬢ちゃんも、借りは返させてもらう。
たまらねぇ。たまらねえな。
俺は戦場でなけりゃ生きていけねぇ。
待ち遠しい。血が滾る。心が躍る。
「こりゃぁ戦争だぜ! そりゃもう、とんでもねぇ規模のなァ――――!」