八雲家に来て早三日。僕は今、藍さんと一緒に朝食を作っている。
「藍さん、焼き鮭の焼き具合ってこれぐらいでいいですか?」
お味噌汁を作りながら、こちらを覗いてくる藍さん。
「ふむ、大丈夫だよ。もう焼き魚は碧に任せてしまっても良さそうだね」
「いえ、まだまだですよ。一人暮らししてた頃は、いつもパンとコーヒーだけでしたし…。朝食を作るのって、大変ですけど楽しいですね」
自分の為だけじゃなく、家族の為に作る料理。少しでも美味しく食べて貰いたいという、料理人の気持ちが分かった気がする。
「ふふっ…良い傾向だ。よし、味噌汁も出来たし、私は紫様と橙を起こしに行ってくるから、碧はご飯を用意しておいてくれ」
「了解です」
そう、僕の仕事、その一つが八雲家の家事手伝い。
とは言え、今まで最低限の家事しかしたことが無かった僕は、藍さんの助手という形で、家事を覚えて行ってる。
幸いな事に、八雲家には家電製品もあるので、今までと同じような感じで家事はできる。
でも、料理はいつもレトルト食品や外食で済ませていたので、これには少し苦戦した。
包丁で、野菜の皮を剥いたり、魚を捌いたりした事は無かったので覚えるのが大変だった…何度指を切った事か…。
ただ、藍さんの教え方が上手で、初心者の僕でも練習していくことで何とか基本的な事はできるようになった。
さて、ご飯と味噌汁と、焼き鮭と漬物。四人分用意をして…。そろそろかな?
「紫様、ちゃんと歩いて下さい」
「ん~…まだ眠り足りないのに~…」
「ふわぁ…藍しゃま…眠たいですぅ…」
眠そうな二人を引っ張りながら藍さんが席に着かせる。
「二人ともおはようございます。朝食できてますよ?」
「ん~…おはよ~碧君…いい匂いね~」
「お兄ちゃん、おはようです。お魚が美味しそう…」
「さぁ、じゃあ手を合わせて…」
「「「「いただきます」」」」
そうして八雲家の一日が始まる。
「相変わらず藍の作るご飯は美味しいわね~。この焼き鮭の焼き具合も丁度いいわよ」
「紫様、それは碧が作ったんですよ?」
「お兄ちゃんが?すごーい!橙、このお魚大好き!」
「ありがとう、橙ちゃん。そう言って貰えると嬉しいよ」
そうして朝食と片づけを済ませ、暫く雑談をしていると。
「碧君がうちに来て、もう三日…此処には慣れたかしら?」
「えぇ、最初は少し不安もありましたけど。藍さんが色んな事を教えてくれて、色んな事を覚えられて…とても充実してます」
藍さんは少し照れくさそうにしながら…。
「碧の覚えが早いからだよ。こっちも、色々と覚えてくれて助かるし、何より教え甲斐があるよ」
「そう、なら良かったわ…。でも、引っ張ってきた私が言うのもあれだけど…、こっちに来て…外の世界に未練は無いのかしら?」
それは…
「正直、自分の事を覚えている人は友人だけだったので…その二人の事が、少しだけ気がかりですけど…まぁあの二人なら、僕が居なくてもしっかりやってるでしょう」
「あら、そんなに自分の事を卑下するのは良くないわよ?……そうね、あの二人の事を見てみましょうか?」
「え?!そんな事できるんですか?」
「えぇ、私の境界を操作する程度の能力なら、結界の干渉は受けないから、問題なくできるわ。それで、見てみる?」
「……はい。お願いします」
正直、気にならないと言ったら嘘になる。自分の唯一の友人…その二人からも忘れられていたら、と思うと…。
「なら、まずは男の子の方からね…」
すると、スキマに茜ちゃんが写される…でもその姿は…。
「え…?茜ちゃん…?なんで、そんな姿をしてるの?それにタバコなんて前は吸って無かったのに…」
そう、写しだされた茜ちゃんは、前のようなスポーツマンのような姿では無く、髪を染めタバコを咥えながら歩く、不良のような姿に…。
「幻想郷と外の世界は時間の流れが違うの…そうね、外の世界だと、あなたが居なくなって二か月と言った所かしら?次はこっちの女の子ね…」
茜ちゃんの写されたスキマとは別のスキマが開かれる…。そこに居たのは…。
「祥華…さん…?」
あのしっかり者だった祥華さんが、自慢の金髪も黒髪混じりのぼさぼさになり…。自分の部屋に引き籠り、酒瓶の山に埋もれてる…、そして今もまた、強そうなお酒をラッパ飲みして泣いている…。
何これ…。この二か月で二人に何があったの…?
「この二か月で何があったのか…二人の声…思い…聞いてみる?」
「はい、お願いします…聞かせて下さい何があったのかを…」
紫さんは少しずつ…何があったのかを聞かせてくれた。それは僕を驚愕させるには十分な内容だった。
「まず、茜ヶ久保君…。あなたが大学に来ないのを心配して、真っ先にあなたのアパートに向かったの。でも、あなたの荷物は幻想入りすると同時にこちらに運び込まれた。つまりもぬけの殻…。ここまではいいわね?」
僕は頷いて答えた。
「幻想入りすることで、あなたの部屋に何もなく。そして、あなた自身の在学自体が無かったことにされた。本来なら友人の二人も忘れる筈だった。でも違った、あの二人はあなたの存在を覚えていた。自分の知り合いや職員にあなたの事を聞いた茜ヶ久保君は絶望した…自分の友達…いえ、親友がある日突然、世界から消えたのだから…」
そして、映し出される茜ちゃんの姿…。
「なんで……なんで誰も覚えていないんだ!碧は俺達と一緒に居た!確かに此処に居たのに!俺達の時間は…全部まやかしだったのかよ!?」
そこにいつもの元気な姿は無く…世界に絶望した彼の姿があった。
「そうして、彼は絶望し、大学を辞め、約束されていた将来を棒に振り…今の姿になったの…。さて、次は彼女の事についてね…」
また別のスキマが開かれる。
「井上さん…彼女もまた、あなたの事を覚えていた。茜ヶ久保君から連絡を貰った彼女は、すぐさまあなたの家に行ったの。そして何も無くなったあなたの部屋を見て、悲しみに暮れたわ…」
別のスキマに写される祥華さん
「嘘やろ…?なんで居なくなったん?…なんで誰も碧の事、覚えてないの…。碧が居ない世界なんて嫌や…。まだ、うちの気持ちも伝えてないのに…なんで消えてしまったん…。碧と一緒に勉強できるから、一緒に食べるご飯が美味しいから…うちは頑張ったんよ?…なのに…なんで…」
祥華さん…そんな風に想ってくれてたんだ……。彼女の想いにも気が付かないで…僕は…。
「彼女も同様に、大学を、アルバイトを辞め、自宅に引き籠り…毎日お酒に溺れる日々を過ごす様になったの…。もしかしたら…外の世界でのあなたの運命の人だったのかもしれないわね…。これが外で起きた…あなたが居なくなったことで起こった出来事よ?」
何も言えなかった…確かに二人はいつの間にか仲良くなっていた。
でも、だからこそ、いつも輝いている二人は卒業と同時に…いや、それよりも前に自分の事を忘れるんだろうと思っていた。
それがどうだ?実際は、二人は幻想という壁を越え、自分の事を覚えている所か、悲しみと絶望の淵に居る…。
「紫さん…。僕は…間違った事を願ったんでしょうか…」
「いいえ、あなたが願わなくても…近いうちにあなたは幻想になっていた。ただ、それ以上にあの二人との絆が強すぎたの…これは私にも予想できなかったから…」
「あの二人に…大切な友人…いえ、親友に、何かしてあげられないんでしょうか?」
「…そうねぇ…幻想となったあなたを、今更外に戻しても世界がそれを拒絶するでしょう。そうするとあなたの存在は完全に消えてしまう。それは私としても本意ではないわ」
これ以上誰かを悲しませたくない…どうすれば…。すると隣から藍さんが…。
「碧、向こうに行けないのなら、せめて手紙を送ったりするのはどうだろうか?紫様ならそれも可能だし。今、碧の心にあることを全て書いて、二人に送ってあげればいい」
「藍さん…そうですね、そうします。紫さん…頼めますか?」
「えぇ…もちろんよ。ただ、さっきも言った通り、幻想郷と外の世界では時間の流れが違う。だから、なるべくなら早く…そうね、今日中に書くことを進めるわ」
「ありがとうございます!では今から早速書きます…あ、でも仕事は「今日はいいわよ」…すみません…」
そう言って僕は部屋へと向かった。
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「紫様…」
「分かってるわよ…。でもこれは必要な事なの…碧が自分自身の大切さに気が付く為には…ね」
数千年単位で生きてきた自分にも、こういったやるせない感情が湧きあがる…。
ホント…恨むわよ、外の世界の神様を…。
「だからこそ、彼には…いえ、彼等には幸せになって欲しいの…たとえ世界の壁があっても、時間の壁があっても…その絆は失われないという事を覚えておいて欲しいのよ…」
幻想入りするって事はこんな感じなのかな?と自分なりに解釈しています。
手紙の内容などは次回で書きます。