ヒュー、ヒューと荒い呼吸をする俺、
「ここが成繁達の町だ、なかなか行き届いてるだろう?」
馬を寄せて来ながら、
周囲に見えるのは、主に田畑と農家。そこらじゅうで農民達が牛の散歩や畑いじりをしている。その中で一方向に賑やかな大通りがあり、そこでは十数の店が居を構えている。商店街の様だ。
「ここの近くには大きな池が二つあり、そのお陰で水には不足しない。また、雨もあまり降らないから、農作物がいっぱい育つのだ」
妙印の説明を見ながら、商店街を歩く。八百屋には確かに、水々しいきゅうりなどの夏野菜が置かれていた。
と、ここで俺は周りの人を横目で見る。
周りの人々はこちら……成繁を見て、感嘆と尊敬の目を向けている。
「……御館様が人喰い熊を退治してくれたみてぇだ」「これであの森を通る時に、怯えなくても良いだな」「あそこは良い木の実がたくさん採れるし、嬉しいなぁ」「ありがたやありがたや」
成繁に目を向けていた農民達は、やがて俺を視界に入れる。
「なんだぁ、あいつ?」「褌一丁で御館様達に連れられて」「犯罪者だか?」
違うわ!と心の中で反論する。流石に大きな声は出さなかった。いきなり敵を造るのはまずいし。
商店街を抜けると、また田畑と農家。そして少し歩いたところに、山の入り口があった。
「この上だ。我らの城はここにある」
言われて上を向く。山の頂上には、確かに立派な城があった。天守閣は無いが縦横共に大きく、豪華では無いがどっしりとした迫力が感じられる。
「あの城は、かの有名な室町幕府創設の要の一人、
妙印が説明してくれる。あの城のてっぺんからは先ほど言っていた二つの池や関東平野全土が見渡せる、絶景ポイントらしい。
その城への入り口である緩やかな階段を、成繁と従者達の馬がゆっくりと登っていく。俺もそれに続いて階段に一歩足を進めたところで、妙印に声をかけられた。
「おいおい、新入りが入城をいきなり許されるわけないだろー。お前はこっちだよ」
というわけで、成繁や熊とお別れして、俺は妙印について行く。二分ほど歩いた先に、長屋が五軒並んでいるのが見えた。近くには真っ赤な屋根の大きな屋敷もある。
「あの大きな屋敷が、我が屋敷よ!なかなか豪華であろう?」
妙印がふふん、と鼻を鳴らす。確かに立派な家だ。……はっ!?もしかして!
『この家に一人で住むのは寂しい……一緒に住んでくれないか?』みたいなイベントなのか!?
などと俺は妄想するが、特にそんな事はなかった。妙印は長屋の方に近づくと、一番右、妙印の屋敷の近くの小綺麗な長屋の前で馬を止めてヒラリと降りる。
「ここが、下級武士達の暮らす長屋だ。大体の足軽が、ここか自分の家に住んでる。まぁもっとも、ほとんどの者は農民の出故に自分の家があるから、ここに来るのはあまりいないが」
言いながら妙印はずんずん奥へと進んでいく。俺も慌ててそれに従う。
やがて、一つの部屋の前についた。部屋の中には木でできた古箪笥と囲炉裏、畳まれた布団があるのみのシンプルな部屋。
「ここがお前の部屋だ。必要最低限の物は置いてある。娯楽品なんかは稼いで自分で手に入れい」
それだけ説明すると、妙印はこれくらいかな?と言う。俺は好待遇に改めて感謝の意を示し、礼を言って彼女を見送ると、改めて家に入った。床に大の字で寝転び、天井を見つめる。
「おー、結構広ーい」「それはそれは、良かったですな」
……
手足を使ってザッと飛び退く。先ほどまで頭を置いていた場所のすぐ後ろに、一人の爺さんが座っている。細い目のついた皺の多い顔に立派な白い顎髭をつけ、白髪が少し目立つ黒髪をゆい、ピンと背筋を伸ばして正座している。しかしその腕に老いてなお、といえるくらいの引き締まった筋肉がついている。もし首を絞められていたら、すぐにでも落とされていただろう。
「おうおう、なかなかの筋力」「誰だあんた!?」
ニコニコと笑みを絶やさない爺さんに尋ねると、爺さんは座ったまま口を開く。
「儂は
いわば大家さんみたいな人らしい。とりあえず不審者では無さそうなので、俺は警戒を解く。
「あーたが新しい住民ですかな?」
言われて頷き軽く名前を告げると、そうですかと言いながら野内の爺さんは何かを差し出してきた。
「これは……?」「美味しそうでしょう?新居祝いに畑から採ってきたのですよ」
出てきたのは、きゅうりやとうもろこしなどの夏野菜。それらは外から入ってくる日光を浴びて、キラリと光っている。
「もともとは隣さんに渡すつもりだったんですが、今はいらっしゃらないようでね。この季節は物が腐る事も多いですよって、そこであーたがいるのが見えたから、あーたに渡しておこうと」
「じゃあ新居祝いじゃねぇじゃん!」
そうツッコむと、爺さんはホホホと笑う。
「隣のお方も、一昨日この長屋に入ってきたばかりなのです。なんせ、横瀬の姫様がこの長屋を建てなさったのは五日前、下級武士達に与えたのが三日前の事」
「そんな新しいの!?……じゃ、じゃあ、俺って何人目の入居者なんだ!?」
爺さんはそれを聞いて指を一つ折り、二つ折り……
「二番目、ですかな?」「そんなに少ないの!?」
妙印さんよ、ほとんどの者が家があるって言われても、あの言い方なら十や二十は人が住んでると思うじゃない。俺以外に一人しか住んでる人いないって、どういう事よ!?
俺は妙印の大雑把さに驚いたが、それは今度直接言おう、と心の中にしまう。まだ聞きたい事はいくつかあった。
「ふ、風呂とトイ……厠は、あるのか?」
「厠は長屋の端に一つ、共用の物が。風呂は、井戸があります故、そこから水を汲んで適当な物に入れて沸かせば良いでしょう」
「ああ、五右衛門風呂」「ん?何ですかな、それは?」
ドラム缶風呂を思い浮かべた所、爺さんに首を捻られてしまった。そこで思い出す。五右衛門風呂って石川五右衛門が釜茹でにされたのに似てるからつけられてるんだから、この時代に五右衛門風呂ってないのか!
「あ、ああ、何でもない。俺の元いた所ではそう呼んでただけだ」
そう言うと爺さんはほう、と言って尋ねてくる。
「あーたはこの国の者ではないんですかな?どこの国から?」
早計な事を言ったかな?と思ったが、聞かれた以上答えなければ仕方がない。ここで言い淀んでいたら、もしかすると間者だ斥候だと言われるかもしれない。そうしたら士官の話がパーどころか、最悪首を切られて終わっちまう。
えーーーっと、前世で生きてた頃住んでたのは山梨だから、確か……そう!
「甲斐だ。俺は甲斐の出身だ」
山梨県といえば大国の甲斐。
「ほう、それはそれは。儂は何度か戦で行ったのみですが、あそこは山中に健康に良い秘湯があるとか」
「あー……確かにある」
原作でも信玄が入ってたもんな。そこで
「甲斐からここ
ほっほっほと笑う爺さん。それを聞いて俺は疑問に思う。
「あれ?信玄は下級武士だろうが農民だろうが、優秀な者は取り立てるんじゃ?」
すると、「誰ですかな、それは?」と逆に質問で返された。
「今、甲斐をまとめておるのは、武田
武田信虎……信玄のお父さんか!俺は思い出す。確か、信玄との仲が最悪で、信玄が家督を継ぐ際に他国に追放されたんだっけ?
慌てて誤魔化す。勘違いだったと訂正するのも忘れない。俺はこれから起こる事を(大雑把に)知ってる未来人といえば未来人だけど、そんな事言ったら良晴君のアドバンテージが下がっちゃうもんな。未来の事を言い当てた、なんて言われて予知能力者にされるのは御免だ。俺は甲斐から来て横瀬家に仕官した元農民、秀影。今はそれで良い。まぁ、もっと出世してやる予定だけどな!それこそ秀吉みたいに!
その後もたわいない話を爺さんと交わす。時々ボロが出そうになったが、どうにか未来人とはバレずに済んだ……と思う。
その間にも天井に昇った太陽はだんだんと落ち始め、気づいた頃には夕焼けが長屋を照らしていた。
「ほっほっほ、この夕焼けから見て、明日も快晴ですな」
爺さんがそう言った直後、長屋の入り口の方から音がした。草鞋を擦る様な音。人が来たらしい。妙印が忘れ物でもしたのかな?と思った俺は、入り口の方に首を回す。
「帰りましたー。野内の爺様、今日は鴨が六羽に鹿が二頭、そして何と!猪を捕まえたのです!まぁ、賭けで負けたので私は鹿だけしか貰えませんでしたが……」
凛とした高い声が、長屋の廊下が軋む音と共に近づいてくる。その声の主は自分の部屋の隣に人の気配を感じたのか、俺の部屋の戸をガラガラっと開ける。獣臭い臭いが部屋に入ってくる。俺は朝俺を襲った熊を思い出してしまった。
「ん?見ない顔だな?爺様、そちらはどなたで?」
入ってきたのは、一人の女の子。身長がなかなか高く、現代で言うところの百七十センチくらいはある。えっと、この時代だとなんて言うんだっけ?何尺何寸みたいに言うんだよな。……まあいいや。
茶色がかったまっすぐな髪を腰上まで伸ばし、少し汚れた軽装の鎧を着た女の子は、その肩に獲物の鹿を抱えている。思ったより大きな鹿で、それを見て俺は驚いた。鹿の大きさよりも、それを抱えられる彼女の力に。
「あ、少々お待ちあれ」
と、彼女は一度部屋の前から姿を消す。隣からどさりどさりと物を置く音がうっすら聞こえる。一分程して、シンプルな紫色一色の着物を着て、さっきの女の子が部屋に入ってきた。おおっ!?さっきは鎧に隠れてわからなかったけど、思った以上に胸がある!
「やぁやぁ、少し遅くなったな。で、お前はだれだ?」
いきなり単刀直入に聞いてくる女の子。とりあえず俺は答える。
「俺は秀影。今日づてで横瀬様に仕える事になって、この長屋を屋敷としてあてがわれた。君とはお隣さんみたいだな。よろしく!」
俺が手を伸ばすと、女の子も握り返してきた。握る力が強い。
「そうか、新しい住人か!嬉しいなぁ。聞いたかもしれないがこの屋敷は爺様と私しか住んでいなくてね。それも、爺様は私が一人ではかわいそうだからと自分の家があるのにわざわざ泊まってくれている始末。このままでは申し訳ないやら寂しいやらでこの長屋を出て行かなくてはならなかったかもしれないからな。
私は、
握手する俺達。と、ここで彼女のお腹がキュウと鳴った。
「ふむ、腹が減ったな。爺様、鹿の肉で何か作って!」「はいはい」
爺さんは立ち上がり、部屋を出ていく。
「え、善久さんが作らないのか?」
聞くと善久さんは『善久さんなんて呼ばなくていいよ、善久で良い』と言った後、
「私は獲物調達と、食事専門なんだよ」
と言った。それと同時に、廊下の方から露骨なため息が聞こえた。
主人公、住処と同僚ゲット!
次回、『横瀬家臣大集合!』