これが中々難しい話だったりするのだから侮れない
「現状官軍は二万六千、我々を併せて四万六千の軍勢です」
「一方の叛乱軍は、韓遂直属の部隊が合計二万四千、宋揚・北宮玉・李文侯・王国の率いる部隊が合計二万で併せて四万四千。数だけでみれば、我々の方が優勢となりますね……ふふ」
「地勢は叛乱軍にある、その上あっちの大将は中々の切れ者と来たもんだ。面倒な話だぜこいつは」
口先ではうんざりした風を装いながらも、徐盛の顔には笑みが浮かんでいた。何しろ久方ぶりに千以上の軍勢同士がぶつかる戦闘を指揮出来るのだ。楽しからざる筈も無し、と言わんばかりの表情である。一方、同じく前衛を指揮する予定の孫皎はと言うと、
「ふ、ふふ……」
不気味な程くぐもった笑い声を漏らしながら、卓に並べられた駒を睨み付けていた。それが緊張から来るものなのか、何か重大な発見をしたが故のものなのか、周囲にはにわかに分かりかねた。
「我々で、韓遂隊を受け持ちましょう。それで、彼女の思惑は外せる筈ですから」
「……どういう事かしら?珠蓮」
不意に孫皎が発した言葉に、場の全員が首を捻る。言わんとする事の真意を掴みかねる、といった風である。
「彼らの真意が那辺にあるのか、ずっと考えていたんです。そこで、今迄集まった情報と、緒戦の戦闘の結果を勘案したら……」
「さっきの発言に行きついた訳ね。良いわ、続けてちょうだい」
孫皎はこくりと頷き、居並ぶ諸将を見渡した。そして一呼吸おき、発言を続ける。
「叛乱軍は、緒戦で大勝を収めました。しかし、殲滅できるだけの勢いを得ていたのにも関わらず、それをしようとはしなかった」
「張温の軍団がほぼ無傷で残っていたからでしょ?」
「張温の軍団は、残っていたのではなく、残されていたのだとしたら?――翠里さん、ひょっとして張温軍の中に涼州近辺出身の武将とかいませんでした?」
水を向けられた諸葛瑾は顎に手を添えて暫く考え込んでいたが、心当たりが有ったのか、口を開いた。
「董卓っていう武将が、確か
「まあ、そうなんですけど……。ともかく、叛乱軍全体の意思はともかく、韓遂自身の意思はこの戦いを引き分けに持ち込むことにあるんだと思います。なぜそう思うのかまでは、説明できないんですけど」
「直感って訳ね。――中々面白い見立てだし、それに乗っかるのも悪くはないわね。……皇甫崇将軍に具申してくるわ。ちょっと待っててね」
こういう時、孫策の行動は素早い。諸葛瑾達が止める間もなく、陣屋から出て行ってしまう。宿将の韓当や黄蓋などは果断だと言って褒めそやしているのだが、諸葛瑾や周瑜達文官からすれば、危なっかしい上に計画を内側からひっくり返されるのだから、堪ったものでは無いのだろう。翠里は深い溜息を吐き、
「ま、しゃーないか。あの人にゃあ逆らえんしね。……策に乗せられた振りだけでも、してあげようかな?」
軽薄な笑みを浮かべ、新たな作戦案の構築に取り掛かった。臨涇は、乱の渦中とは思えないほどに静まり返っていた。
――――――――――――
韓遂は一通りの軍議を終えると、陣屋の外に出て星を眺め始めた。茫洋と時を過ごしている訳ではない。頭の中では常に思考が巡り、次に何をすべきか、打った手に失策は無かったか、考え過ぎるほどに考え抜いている。
「――さてと、彼奴らは乗ってくるかな……?」
韓遂率いる主力部隊が官軍本隊を叩き、連合した部隊が新手の孫策軍を叩く。そういう手筈になっている。恐らく、敵の間諜がその情報を持ち帰っている事だろう。順当に行けば、当初の予定通りに事が進むはずだ。
「……鼻の利く奴が一人でも居れば、こちらがやりたい事に気付くのだろうが」
「気付いて貰わないと困る。――そうでしょう?」
「――飯綱か。準備は終わったのか?」
「ええ。すぐにでも進発出来るよう、兵達には下知を下しております。間諜も、近付けてはおりません」
「ならば結構。……気付いて貰う事も含めて、我々の策の内さ」
「綺麗に嵌ってくれると、尚好いのですけれども……」
不安げな表情を覗かせる成公英に対し、韓遂は平素の厳しい顔付からは想像も出来ないほどに人好きのする笑顔を浮かべた。
「決まらなければ、その時はその時さ。我々が負け、奴らが勝つ。それだけの事だ」
「それでは駄目なのです!」
成公英の口から飛び出した彼女の物とは思えないような大声に、韓遂は思わず目を見開いた。
「……それでは、駄目なのです、絢様。私は、本当は絢様に勝って頂きたいのです。絢様が最高でも引き分けに持ち込むとお決めになったからこそ今回は引きましたが、まかり間違っても、負けるなどとは仰らないでください。どうか、お願いします……」
「いや、しかしな。負ける時は負けるのが戦の常ではないか。それを否定されては、こっちとしてもどうしようも――」
「絢、さま……」
「――お前、泣いているのか?まさかとは思うが……」
「私は、貴女の治める王国が見たいのです……!その為なら、私は三皇五帝だって欺いてみせましょう」
それは、韓遂が今迄考えた事も無いほどに遠大な展望であった。余りの事に、星が落ちてくるかのような錯覚さえも感じたほどだった。
「よもや、そのような大望を他人に話したことなどあるまいな……?」
「無論です。こうならなければ、今この場で絢様に明かすことも無かったでしょう」
「ならば、良い」
自らの王国、なんと甘美な響きだろうか。――しかし、そこには耐えがたい腐臭も同時に存在していた。その捕虫草が如き闇に身を投じる決心は、今の韓遂から最も遠い位置に存すると言っても過言ではない。
「――いずれ、そのような天命が巡ってくるのか。其の時考えても、遅くはないだろう……」
いずれにせよ、これは今考えるべき問題では無い。韓遂は強引に思考を打ち切り、目の前に転がる巨岩を捌き切る方策に思いを巡らせ始めた。
次話から本格的な戦闘状態に入ります。
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