真・恋姫†三國伝~群雄飛翔~   作:椛颪

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なんだか冗長になってしまったような、そんな気分


三十一話

「やあ嬢ちゃん、久しぶりだな」

 

「あ、仲達さんに子通さんじゃあないっすか。どもども」

 

「昨日はゆっくり挨拶する暇もなかったからねぇ。どうしてるかと思って様子を見に来たんだけど……」

 

 蒋済はじっと、孫皎の姿を観察する。改めて見ると、とても華奢な少女だ。涼州で大暴れし、黄巾党の叛乱でもかなりの武名を上げたという噂を信じられぬ程に。

 聞くところによれば幼い頃に家族を火事で失って以来、ずっと家を継ぐ為の教育を受け続けて来たらしい。『両親が健在だった頃ですら、全うな家族らしい愛情を受けてはいなかったでしょうね、あの子は。鳳蓮(ふぁんれん)叔母様と、旦那さんの仲は当時最悪だったから……』という孫策の言葉を信じるのであれば、その身の上は太守の妹という家系の出とは思えぬ程に悲惨だったろう。

 

『だが、いや、だからこそか……。この子は孫策に、孫家に依存しきっている。母の代わりに愛情を注いでくれた孫策に、父に代わり身を立てる術を教えてくれた孫家の面々に。だから、急に現れた御使いに耽溺することが許せなかったんだろう』

 

『さながら、両親が怪しげな宗教に嵌ってしまったように見えたんだろうな、嬢ちゃんには。そりゃ必死になって止めようとするわな。……だが、肝心の御使いは教祖の器ですらなく、只の気のいい坊主ときたら、調子も狂わされるだろうなぁ』

 

 蒋済と司馬懿の意見は、ほぼ完全な一致をしていた。目の前の華奢な少女が背負う、余りにも身の丈に合わぬ重荷を見て、憐憫の情を覚えたのだ。

 急に黙り込んだ二人の様子を怪訝な表情で伺う孫皎が、司馬懿には酷く危うげに見えた。この時期に自分達が此処を訪れたのは、気に食わぬ話だが天佑であるようにすら思える程に。

 

『このまま放っておけば、この子は自分がどうなろうと今の立場を堅持し続けるだろう。それは、流石に哀れだ……』

 

『となれば、やはり俺達のやることは決まってるな』

 

 決意は固まった。司馬懿と蒋済は目を見合わせるとお互いの意志を確認するかのように小さく頷いた。

 

「嬢ちゃん、君は御使いのことをどう思ってる?」

 

「はっ?えっ……?」

 

「あぁ、俺が北郷少年の出自について知っている理由は気にしないでいい。雪蓮様との取引で手に入れた情報だからな」

 

「は、はぁ……」

 

 孫家の最高機密が昨日やって来たばかりの司馬懿の口から飛び出すとは思わず、硬直する孫皎。直後に彼の口から孫策の真名が出たことで一応の得心はいったものの、それでも質問の意図を計りかねていた。

 

「かず……アイツのことをどう思うか、ッスか?」

 

「そうそう。俺としても、御使い君が孫家においてどういう立ち位置に居るのかってのに興味があってね。大まかなところは本人と雪蓮様に聞いたんだけどさ、やっぱり細かいところも気になっちゃって。個々人の意見ってのを聞きたいのさ。さしあたっては武官代表ってことで嬢ちゃんにね」

 

 彼の言葉は一面で事実ではあったが、実像の全てという訳では無かった。いや寧ろ、小さな実像を大きな虚像で以て覆い隠した……と言う方が正確か。実際は司馬懿と蒋済で手分けをし、既に主立った文武官からの聴き取りは済んでいたのだ。

 兎に角、それに気付く様子もない孫皎はなるほどと納得した。これならば話しても構わないだろうと。

 

「武官代表として……ってことなら、御使いのことは認めてるよ。黄巾党討伐の時も吐きこそしたけど結局最前線でアタシらの殲滅戦を見届けてたしな」

 

  少しの思案の後に発した答えは、複雑な感情を孕んでいた。意外にも考え抜かれた回答に驚いた司馬懿は、しかしそれを表に出すことはなかった。話を聞くにあたっては内心の動向を表に出さない。その程度は、彼にとって意識するまでもないことであった。

 

「質問の切り口を変えよう。孫家家臣団の一人である、孫淑朗としてはどうだい?」

 

「……アイツの存在を、認める訳にはいかない。全員が同じ方向を向いていたら、必ずその背後を衝く者が現れるから。だからアタシは、天の御使いを認めない」

 

 強い決意に満ちた、それだけに悲壮な言葉であった。聞きながら、司馬懿と蒋済は嘆息する。これほどまでに孫家を思う少女のことを、本質的な意味で見てやっていた者が殆どいなかったということに気付いて。魯粛、周瑜、張昭、張絋、徐盛。優秀な者がこれだけ居て、皆が彼女の決意に、苦悩に気付いていなかったのだ。それ程までに孫策が、そして御使いが放つ光とは眩いものだったのだろうか。彼らにとってはどうにも理解しがたい感情の動きであった。

 光が強ければそれだけ影は濃くなる。だがその光が余りにも眩ければ、果たしてそれに目が眩んだ者に影の存在を認識できるだろうか。結局はそういうことなのだろう。優秀たればたるほどに自分の耳目で以てそれを推し測ろうとし、結果、光に眼を灼かれて盲目となる。司馬懿と蒋済はたまさか遮蔽物越しにそれを見たからこそ、孫皎という影の中で必死に足掻く者の姿を捉えられたに過ぎないのだ。

 

 光輝を収めようとは、考えなかった。光輝はそうあるからこそ誘蛾の役割を果たし、人を惹き付けて止まないからだ。それは必ずやこれから孫家が雄飛の時を迎えるに当たって必要なものであったし、その庇護を受ける民草にとっても無くてはならぬものだろう。

 故に、今すべきことは少しでもその光輝に(めしい)だ孫家家臣団を啓蒙してやること。そうしなければ、万一孫策を失った時に彼らは二度と立ち直れないほどの打撃を受けるだろうからだ。

 そして、目の前の少女を影の中から掬い上げることをこそすべきだと、司馬懿は考えた。

 

「なるほどね。……それじゃあ最後の質問だ。孫淑朗という個人は、御使いを……いや、北郷一刀のことをどのように思っている?答えにくければ答えなくてもいいけど、答えてくれるのであれば絶対に嘘はつかないで欲しいんだ」

 

「嘘を……?」

 

「そう、嘘をつかない。自覚してないことについて話せないのは仕方がないとしても、自分の気持ちを偽らないこと。それを言葉に出すってのは、思いのほか重要なんだよ」

 

「成程、分かった。ちょっと待って」

 

 暫くの沈黙の末、孫皎は司馬懿に視線を合わせる。その瞳は僅かに揺れていたが、その真意ははっきりと汲み取れない。彼女の中ではまだはっきりと形になっていない思いなのだろう。

 

「アタシ個人としては……多分、そこまでアイツの事は嫌いじゃ、ない。と、思う。……アイツは真っすぐだし、御使いとかそういうのを抜きに出来るんだったら、友達になれるかもしれない……」

 

 言葉にして初めて自分の内心に気付いたのだろう、孫皎の表情が驚愕に染まる。本来彼女の性分からして、他人と壁を作るということは余りしない。一刀に対する一連の対応が如何に普段の彼女らしからぬ態度であったかということを、改めて自覚したのだ。

 

「ふむ。……孫家の家臣としての君は少年と距離を置くことを選択した。だが、君個人としてはそうではない」

 

「む……」

 

「友達になりたいと、そうは思うかな?」

 

 今度こそ、孫皎は沈黙する。自分の心に正直に。司馬懿に言われた言葉の意味をじっと考え、答えを出そうというのだ。一刀とは許昌攻囲戦の間も孫策からの命で何度か話す機会を設けさせられていた。その時に彼の内面についてはおおよその事を掴んでいた。善性の人間であり、敵であれ味方であれ、その死をできうる限り回避したいと願う、戦場においてはある種致命的な甘さを持っている。かと言って現実が全く見えていない訳ではなく、一度決めたらその道を貫き通すだけの意志の強さも持ち合わせていた。

 武官として、文官としては取り立てて優秀ではないが、それでも人間として最も尊敬すべきものを持ち合わせている。一刀という少年はそういう人間性の持ち主だった。

 少なくとも、孫皎にとって好ましからざる人間ではない。もしも御使いと孫家の武官という立場での初対面でなければ、きっと彼女から友人になろうとしていただろうことは想像に難くない。

 

『あぁ、そうか。私は……』

 

「心は決まったかい?」

 

「――その前に、一つ聞きたいんスけど。それを言った所で、どうするお積りで?」

 

「特には、何も。一つだけ言うことがあるとするなら、君がもしも自分の気持ちに素直になりたいっていうのならば、俺達は全力で応援するよ」

 

「なりたいと、思います。――でも、アタシが反対の立場にいないと」

 

「そのことなら平気さ。言っただろう?俺達は全力で応援するってさ。御使いと主君への諫言は任せといて、嬢ちゃんは青春しときなって」

 

 最初の決意から早くも半年、その言葉をどれだけ待ち侘びていたことだろう。気鋭の若手が多い孫家において、遍く周囲に気を配ることの出来る人物は殆どいない。だからこそ、孫皎は内心でも殆ど諦めきっていた。だからこそ、その言葉を掛けられた感激は筆舌に尽くしがたかった。自然に零れる涙を堪えることもせず、孫皎は久方ぶりに心からの笑顔を浮かべた。

 




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