真・恋姫†三國伝~群雄飛翔~   作:椛颪

33 / 37
二十九話

 孫皎の任務は、とにかくも主君孫策に付き従うことから始まる。政務や軍務、巡察に賊の討伐。それら全てに付き従い、監視するのだ。正直彼女自身からしてもうんざりするほどに詰まらない仕事だったが、意外にもそれをされる側の孫策は従容として監視を受け入れていた。最初はこっそり抜け出そうとしたりもしたのだが、仕事熱心な従妹の態度に根負けしたのだ。その分屋敷での行為には積極的になったのだが、それを掣肘する権利は当然の如く孫皎にはない。

 

「ぬうううううううう……!」

 

 閨房の守備は、孫皎が一人で行っている。他の兵士達は屋敷外縁を監視するように配置し、出来る限り従姉の情事が外に漏れないようにという彼女なりの配慮であった。必定二人の嬌声を聞くのは彼女のみということになる訳で。今日も今日とて、孫皎は悶々とした夜を過ごしていた。

 

「やあやあ、珠蓮ちゃん。すごい顔してるよ?大丈夫?」

 

 情事の最中、この場所に近づくことが許されている人物は孫家家臣団の中でもごく一部。当然、朱然もその一人であった。差し入れの安酒を持って現れた彼女は孫皎の隣に腰を下ろし、持ってきた二人分の盃に酒を注いだ。

 

「大丈夫に見えます?」

 

「いんや、全然。……にしても凄い声だねぇ。種馬くん、よっぽど上手いのかね」

 

「しっ、知らないっすよンなこと……」

 

 顔を赤くしてそっぽを向いた孫皎を興味深げに観察していた朱然は、僅かに残った酒を干して新たに注ぎ直す。

 

「そんなに上手なんだったら、私も相手してもらおうかな」

 

「ちょっ、風露さん、いきなり何言い出すんすか!」

 

「いやさ、あの孫伯符をしてここまでの嬌声をあげさしめる程の手練手管だよ?逆に気になってこない?」

 

 水を向けられた孫皎の喉が、我知らずごくりと生唾を呑み込む。その先を想像しかけた彼女であったが、浮かんだ顔が憎き一刀のものであったことが幸いした。嫌な妄想を振り払うと、盃の中に八割ほど残っていた酒を一気に飲み干した。

 

「なりません!邪魔しに来たんならどっか行ってくださいよ。気が散るじゃないですかっ」

 

「おぉ、怖い怖い。……別に邪魔しに来たって訳じゃないよ。公謹様に言われて、珠蓮ちゃんの様子を見に来たのさ」

 

「アタシの様子を?そりゃまた何でです?」

 

「政庁の中を大声上げながら駆け回ってた咎に対する罰とはいえ、年頃の女の子には酷な任務を押し付けちゃったことを気にしてるみたいでね。報告にかこつけて様子見してくれって仰ってたよ」

 

 ホントは内緒だけどね。そう言って悪戯っぽく笑う朱然の表情はいつにも増して蠱惑的で、同性だと判っていても孫皎の頬は朱に染まってしまう。

 

「そう思うんなら、さっさとこの任を解いて欲しいもんですけどね」

 

「それはそれって話よ。――雪蓮様は、珠蓮ちゃんの言う事ならそこそこ素直に聞いてくれるからね。公謹様が怒らなくても済むっていうのは、それはそれでとても大事だと思うんだけど?」

 

「そりゃまあ、軍務政務の両方を前線で指揮してる冥琳さんの負担が減るのは良い事……なんだろうけど。でもなぁ……」

 

 それとこれとはまた別の問題だ。元服からまだ一年も経っていないような彼女にとって、実姉のように慕っている女性が夜毎響かせるこの声は毒気が強過ぎた。赤の他人であれば怒鳴り込んで黙らせることも出来ただろうが、相手は身内で、しかも主君である。くどいようだが周瑜(ふうきいいん)のお墨付きまで貰っている以上、どうにもならないのであった。

 

「祭様もちょっかい出してるらしいし、四季ちゃんもいい雰囲気なんだってさ。こないだうちに来たばっかの伯言ちゃんも良い人だーとか言ってたし、結構浮名を流してるよねぇ種馬くん」

 

 頭痛がしてくるような話だ。確かに一刀は性根が真っ直ぐで好感が持てる相手だというのは、距離を置いている孫皎でも分かる。だが、それにしても誰も彼も絆され易過ぎるのではないだろうか。

 

「ところで、なんすけど」

 

「何だい?珠蓮ちゃん」

 

「もしかして、蓮華様も……」

 

「あー……そこ聞く?聞いちゃう?」

 

 口に出してから、聞かなければという激しい後悔が孫皎を襲った。吐いた唾は飲めぬという言葉もある通り、今更引っ込めるわけにもいかなかった。

 

「実は蓮華様もね、もう……」

 

 緊張からか、生唾を呑み込む音がやけに大きく聞こえた気がした。それは自分が思い描く限りでも最悪の展開だ。孫皎は絶望から目の前が真っ白になるほどだった。

 

「なーんて、冗談冗談。あの方はまだそこまでいってないみたい」

 

「もーっ!おっかない言い方しないでくださいよー!凄く心配して……ん?今まだって言いませんでした?」

 

 追う孫皎に、ひらりひらりとそれを躱す朱然。二人の少女が織りなす姦しくも美しい演武と共に、建業の夜は更けてゆく。

 

「伯符様~!明日は朝廷からの使者が到着する筈ですから、ちゃんと早起きしてくださいよ~!」

 

――――――――――

 

 朱然の宣言通り、翌日の明朝には洛陽からの使者の先触れが建業へと現れた。彼は既に準備万端整っている孫家の面々を見て呆気に取られていたが、直ぐに勅使が到着する故歓待するようにとの旨を伝えて取って返した。

 

「慌ただしいわねー。ああいう仕事だけはしたくないわ」

 

「雪蓮には無理そうだよな、ああいう小間使いみたいな仕事」

 

「あによー、一刀の癖に生意気だぞー!」

 

 珍しく軽口を叩いた一刀だったが、案の定雪蓮にしばき回されて悲鳴を上げる。その様子を見る黄蓋たちの視線は微笑ましいものであった。孫皎の知らぬうちに、一刀を中心とした人の輪は着実に広がっていたのだ。その様子に一抹の寂しさを覚える孫皎であったが、それも自分から求めたところであった。

 意地と自分なりの想いでここまでやってきた。天の御使いなどという胡散臭い存在に孫家が浮かれ、取り返しのつかない事態にならないように孤独な戦いを繰り広げてきた。だが、それも自分の思い過ごしに過ぎなかったのか。彼女が煩悶するうちにも時間は過ぎ、気付けばすぐ近くまで勅使たちがやってきていた。

 下馬して彼らを迎え入れた孫策達であったが、勅使であろう宦官はその姿を一瞥するとつまらなそうに鼻を鳴らす。

 

「矢張り、随分と辺鄙な場所だな此処は」

 

 あまりの言い草に思わず鼻白みかけた孫皎であったが、何とか自制することに成功した。相手が相手なのだ、余計なことはしないに限る。宦官はそれに気づかなかったのか孫策に政庁への案内を促し、彼女のあとに続いて城門を潜った。

 

 

 

 政庁に辿りついた宦官は挨拶もそこそこに勅令の読み上げを始める。余程建業の地に留まっていたくないのだろう。

 

「先の黄巾党討伐に際しての功績を鑑み、貴公を揚州牧に任ずる。益々忠謹に励むよう」

 

「ははっ、御意に」

 

「また、豫章太守として劉繇が赴任、会稽太守として王朗が、最後に貴公付きの別駕として蒋済、督郵として許貢が赴任する手筈となっておる。彼らと良く諮り、より揚州を反映させることを、陛下はお望みである」

 

 督郵という言葉に一瞬反応した孫策だったが、直ぐに深々と礼をする。それを表に出せばどうなるか、それが分からない彼女ではなかったからだ。

 督郵というのはいうなれば査察官だ。本来的には太守の耳目として県令の不正を監視を行う役職を指すが、この場合のそれは意味合いを異にする。州牧付きの督郵、それは即ち中央からつけられた監視の目に他ならない。不興を買うという相当な重荷を背負う覚悟をすれば断ることもできたであろうこの人事を、孫策はあっさりと受け入れた。それはなによりも、太守として赴任する二人の実力を知っていたからだ。

 

 劉繇は青州出身で、その祖は遡れば高祖劉邦の孫である斉孝王劉将閭。つまりまごう事無き漢の宗族である。彼自身もその出自や清廉潔白で知られた伯父の劉寵に恥じぬほどの実力を備えていた。

 一方の王朗もまた、その人柄と学識の深さを知られた人物である。劉繇に勝るとも劣らぬ程の内政手腕を持ち、民を慈しむ姿勢は統治下にある民草からも高く評価されていたという噂は巷間に広まっていた。

 

 この二人を自らの領地経営に参画させられるというのは、取るに足りぬ鼠を飼うことを考えても十分に釣りが帰ってくる程の買い物なのだ。

 あっさりと督郵を置くことを呑んだ孫策に面食らった宦官は、しかし直ぐに表情を取り繕うと歓待すらも辞去して帰途に就いた。その背中には、一刻も早くこのような田舎から出ていきたいという感情がありありと浮かび上がっていた。

 

「何よアイツ、感じ悪ぅ」

 

「まるで『こんな田舎に居られるか!俺は

洛陽に帰る!』とか思ってそぐえっ」

 

 性懲りもなく軽口を叩いて孫策の拳骨を貰いかける一刀。しかし、衛兵が宦官と入れ替わるように入ってきたことで、当座を逃れることには成功した。

 

「孫策様、新たに赴任してきた方々が目通りを願っておりますが」

 

「あ、そりゃそうよね。通してあげてちょうだい。直に話したいこともあるし」

 

 衛兵は一礼すると素早く退出し、直ぐに四人を連れて戻って来た。

 

「お久しぶりでございますな、揚州牧殿。以前あったときは琅耶の太守でしたか。随分と出世なさいましたな。……改めて、私姓を蒋、名を済字を子通と申します。筆働きには自身が御座いますゆえ、上手く活用していただきたい」

 

 最初に口を開いたのは蒋済。韓遂の叛乱の際に会っているだけあって、比較的気易い挨拶だった。

 

「初めて御意を得まする。某は王景興と申す。会稽の統治に関しては万事某にお任せくだされ。上手く取り仕切って見せましょうぞ」

 

 続いたのは最年長の王朗。威圧的な見た目に違わぬ重々しい声音ではあったが、不思議と威圧感は感じさせない。そんな不思議な魅力があった。

 

「吾輩が貴公付きの督郵を務める許貢である。以後、宜しく頼むぞ」

 

 更に許貢が続く。小役人のような見た目に反して威厳のある声であったが、どことなく軽薄な雰囲気の漂う男だ。

 

「――っと、トリを僕にくれるなんて皆さん優しいねえ。では改めまして揚州牧さま、初めまして。僕は劉繇、字は正礼だよ。豫章の太守として頑張らせて貰うから、これから宜しくね」

 

 劉繇は、品の好い美青年だった。穏やかそうな顔立ちに綺麗に整えられた長髪、すらりとして背の高い彼の体つきは一振りの剣の如く引き締まっていて、武芸者としてもそれなりに腕が立つことを物語っていた。

 

「うん、皆宜しく頼むわね。さしあたっての通達は後でするから、今日は用意した部屋で休んで頂戴」

 

 こうして、孫家の下に新たな戦力が加わった。彼らは各々の部屋へと向かい、明日から始まるであろう激務の日々に備えるのであった。

 




感想、批評等お待ちしております

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。