真・恋姫†三國伝~群雄飛翔~   作:椛颪

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新章スタート。久々の日常編からです


第三章 暗躍編
二十八話


「さってと。春華、この先どうするつもりだい?」

 

 軽薄そのものな司馬懿の問いかけに、蒋済は被りつくように凝視していた資料から顔を上げる。 

 

「どうする……ったってねぇ。別に、このままで良いんじゃあないかな、今のところ」

 

 なんとも気のない返事ではあったが、それよりも今は目の前の雑務を片付けてしまいたいのが今の蒋済であった。兎に角処理すべき案件が非常に多く、彼女の狭い仕事部屋は書類で溢れ返っているのだ。

 

「もうちっと楽な仕事があれば、そっちに行きたいかなぁ」

 

 そんなぼやきが漏れるのも仕方がない、そんな仕事量に顔を歪める蒋済。出来ることならこの書類の山を燃やし尽くしてしまいたい。そんな考えがちらりと頭の隅をよぎる。

 

「そんな君にお誂え向きの仕事があるんだ。鬱陶しくも不穏な中央からも離れられて、しかも仕事量は(たぶん)減るときた」

 

 あまりにも胡散臭い物言いに、蒋済は胡乱な目つきで司馬懿を睨む。相手を萎縮させるような視線を受けてもケロリとした様子の彼は、懐から何枚かの竹簡を取り出して蒋済にもよく見えるように広げてみせた。

 

「ンだこりゃ……揚州牧付きの別駕だと?そら誰も行きたがらんわなぁ」

 

 揚州といえば辺境も辺境。交州や益州などよりは大分マシだが、それでも揚州南郡の辺鄙さは言うに及ばずという程の認識を、中央の官僚達は持っていた。

 それに、揚州牧――刺史からの昇格は確定のようだ――は、勇将の誉れ高く、苛烈な性格で知られる孫策だ。そんな人間の下につきたいと思うものが居るだろうか……蒋済はしばらく考え、そんな物好きもいるまいという結論に達した。となれば、取るべき手は一つ。

 

(ひょう)、とっととこの書類を片付けてこの役職をかっさらうよ。ぼやぼやしてたら、何処かの物好きが横入りしちまうかもしれんからな」

 

 そんな物好きもそう居ないだろうに。苦笑いを浮かべながらぼやく司馬懿の言葉を無視し、蒋済は猛然と書類の山を片付け始めた。

 

――――――――――

 

 ある晴れた日のこと。建業の政庁の中を、バタバタと慌ただしく走る音が響き渡っていた。その音を聞き咎めた文官は眉を顰めるが、音の主が分かると諦めたように溜息を吐く。言うだけ無駄と悟ったのだ。

 走り回っているのは孫皎。彼女は今、自らの主君を探し回っていた。というのも、聞き捨てならぬ噂を耳にしたからである。

 

「雪蓮様ぁーーーーッ!!!何処に居るんですかーーーー!!!」

 

 大声で叫びながら駆け回る孫皎の尋常ならざる様子に、何時もは拳骨を振り下ろす徐盛すら引き気味だ。それほどまでに、異様な光景であったとも言えるが。

 

「やーっと見つけましたよ、雪蓮様!」

 

「げっ、珠蓮」

 

 樹上で酒盛りをしていた孫策は、孫皎の咎めるような声にビクリとし、バツが悪そうに彼女の方を見下ろした。何かをやらかしたのだろうが、何しろ心当たりが多すぎてどの件でここまで探し回られたのかが分からないのだ。

 必定黙り込まざるを得ない孫策だったが、対する孫皎も中々口を開こうとしない。もじもじと落ち着きがなく、心なしか頬を染めているようにも見えた。

 

「あっ、あいつと……北郷とっ」

 

 漸く口を開いたと思えば、要領を得ない言葉を必死に言い募る孫皎。だが、孫策はその口から飛び出した名前に、猛烈に嫌な予感を抱いていた。

 

「雪蓮様がっ、北郷なんぞと目交(まぐわ)ったというのは本当なのですかッ‼」

 

 顔中を茹で蛸のように真っ赤に染めた孫皎の叫びに、思わず体勢を崩した孫策は木から転げ落ちた。初心な従妹からそんな言葉が飛び出すなどとは夢にも思っていなかったし、そもそも何故それが知れ渡っているのかが全く検討もつかなかった。つまるところ、完全に不意を打たれた訳である。

 

「ちょ、何でそのことを……と言うか、誰からそれを……!」

 

 痛む腰を押さえながら立ち上がった孫策は、前後不覚と言ってもいいほどに混乱している孫皎から情報を引き出そうとする。だが、冷静さを欠いた彼女には全うな質問すらままならず。

 

「答えてください雪蓮様!ことと次第によっては、アタシは今度こそあのボンクラをぶっ殺しに行かなきゃ……」

 

 いや増す過激さに辟易した結果、短絡的な解決法に頼らざるを得なくなったのは皮肉なりや。渾身の拳骨を脳天に食らった孫皎は、呆気なくその場に昏倒したのだった。

 

 

 

 覚えのない頭痛と共に目を覚ました孫皎が目にしたのは鬼の形相で説教をする周瑜と、目に涙を浮かべながらそれを聞く孫策、黄蓋、一刀の姿。状況が飲み込めずに首を捻っていた孫皎だったが、自分の醜態を思い返すに段々と顔が赤くなってゆく。

 

「あ、あの……」

 

「おや、起きたか珠蓮。怪我の調子はどうだ?」

 

「大丈夫……だと思いますけど。冥琳さん、これは?」

 

「見ての通りだよ。不健全な性交渉に及んだ主君とその従者、後は無用な噂をばら撒いた宿老への制裁さ」

 

 そう言って笑う周瑜であったが、その瞳が一切笑っていないことに気付いた孫皎は身震いする。普段理知的な人が怒った時ほど恐ろしい。その意味を体感したような気分だった。

 その怒りを直接浴びせられている三人の様子は見るも無残で、さながら敗軍の将とでもいった様子だ。

 

「で、だ。雪蓮は賊の討伐で昂った心のままに、不用心にも野外で北郷と数度の交合に及んだ。間違いはないな?」

 

「そ、そんなあけすけに言わなくても……」

 

「間違いはないな?」

 

「はい……」

 

「そんな無防備なことをして、危険だとは思わなかったのか?賊の残党が居るかもしれない。そうでなくても、この揚州には我らに反抗する勢力が幾らでもいるというのに」

 

「それはそうだけど……」

 

「別に、してはいけないと言ってる訳じゃあないんだ。ちゃんと時と場所を弁えろと言っているだけだ。北郷も、立場上断るのが難しいとはいえもっと毅然とした態度をだな……」

 

「ご、御免なさい……」

 

 正論を吐きまくる機械と化したかのような周瑜の剣幕に、孫策も一刀も終始押されっぱなしだ。矛先が逸れている黄蓋は露骨にほっとしているが、直ぐに自分が巻き込まれるということに気付いていないのだろうか。

 

「祭殿、貴女も貴女です。雪蓮がそういう危険な目に合わないよう目付として置いているのが貴女だというのに、それを看過するばかりか、余計な噂を広げるだなんて」

 

「ぐぬ、いやしかしだな……」

 

「しかしも何もありません。どうせ『戦場で気が昂るのは仕方のないことなのだから、それを発散するのは見逃すべきだ』とか、『孫家の血が繋がるのは祝福すべきことなのだから、多少の無茶は大目に見るべきだ』などと仰るお積りなのでしょうけれど。ことはそういった次元の話ではないことを理解して頂きたい。君主がその立場にあるまじき真似をしたことと、その部下、しかも宿将ともあろうお方がそれに諫言すらしなかったという至極低次元な話なのですからね」

 

 叩きのめした上に死体を蹴るような言いぶりに、いい年をした黄蓋の目に涙が浮かぶ。余程悔しいのだろうが、それならば最初からするなというのが孫皎の偽らざる内心であった。それに巻き込まれて大騒ぎしたことが、今更ながら恥ずかしくて堪らない。後で徐盛や賀斉辺りには盛大に揶揄われる覚悟をしておかなければ……。

 

「とにかく、今後は貴女だけでは監視に不十分だということはよぅく分かりました。そこで、珠蓮を直属の部隊長とし、北郷と雪蓮の行動を掣肘する枷としたいのだが。……如何に?」

 

 孫策の本能が叫んでいる。拒否すれば死ぬと。となれば、答えは否も応もなく。

 

「分かりました。そうしますよーだ」

 

「えっ」

 

 そして、孫皎にとっては正に寝耳に水の話だった。誰が好き好んでそんな恐ろしい役回りを引き受けたいというのだろうか。慌てて拒否しようとした彼女だったが、

 

「そういうことだから、宜しく頼むぞ珠蓮。何しろ今手すきの武官がお前しか居ないんだ。つまり、これはお前だけにしか出来ない大役ということだな」

 

「全ッ然嬉しくないんスけど……」

 

「そう言うな。何しろ主君直属の護衛官だぞ?そうそうなれるものでもあるまいよ」

 

 護衛官というのは名ばかりで、主君が外で危険な行為に及ばぬように目付をするだけと来た。正直、このじゃじゃ馬主君を自分に抑えられるとも思えない。

 

「えー……」

 

「雪蓮も殴ってまで黙らせた負い目がある。そうそう下手も打てまいて」

 

 結局断り切れずに拝命することとなった孫皎は、恨みの籠った目で主君と一刀を睨むことしか出来ないのであった。

 


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