真・恋姫†三國伝~群雄飛翔~   作:椛颪

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参ったねこりゃ


十九話

 徐州にあって、曹操は珍しく陣頭に立って人を殺めた。人――徐州進入の名目である黄巾賊だけでなく、邑に住む老若男女全てが、曹操軍の手に掛かってゆく。

 殺し、奪い、蹂躙し、焼き、犯す。地獄が徐州に顕現したかのような有様は、見る者をして狂気の沙汰と言わしめるに十分だった。

 民衆の悲鳴や叫喚の声を聞き流しながら、満身に返り血を浴びた曹操は眉間に深い皺を刻み込んだままで立ち尽くしていた。徐州の民を殺しに殺し、浴びるような血で化粧をしても、頭の奥底で産声をあげた頭痛は消えなかった。いや、むしろ怨嗟を喰らって成長したかのような気すらする程に、痛みとその範囲は増大していた。のたうちまわって叫び声をあげたくなる程の衝動を奥歯を砕けんばかりに噛み締めて耐えながら、曹操は言葉にならない怨嗟を吐き出し続けていた。

 

 今は様々な壁に阻まれて成し得ないが、その時が来たならば、この身に溜めた全ての怨嗟を原動力として陶謙を殺してやる。

 

 曹操が全軍を撤収させたのは、一週間後の早朝だった。この日の虐殺劇は東郡で呂布が行った殺戮と並び語られる事となり、曹操の凶暴な側面を諸侯や民草に刻み付ける結果となった。徐州の中で最も被害が大きかったのは彭城(ほうじょう)県と沛県で、徐州全体での被害は約八万とも数十万とも言われることとなる。いずれにしても、余りにも膨大に過ぎて実数が把握出来ない程の被害だった。

 

――――――――――――

 

 王凌は、曹操の元を離れて上党で軍の指揮を行っていた。董卓軍との共同作戦で、(ぎょう)から上党方面にかけて黄巾賊を追い立て、撃破することに成功したばかりであった。

 実としては曹操の幕僚として扱われている彼女だったが、名目上は王允の姪として、最年少で破虜将軍に就任した英才としての勤めを全うしていた。

 

「ご苦労様♪アンタ達が救援してくれたお陰で、随分楽になったよ♪」

 

「私は、私の責務を全うしただけの事。感謝される謂れはない」

 

 お硬いねぇ。そう言って笑う徐栄に愛想笑いを返し、王凌は自身の幕舎へと引き返した。

 

 

 

「ふん、この程度は私の敵じゃ無いさね。もう少し骨のある輩とやり合いたいモンだが……」

 

「世の中っていうのは平和が一番なのよ?それで社稷は保たれるし、民の心も安んじられるんだから。――強い敵なんて、ご寛恕願いたい所ね」

 

「私よか強い癖に、良く言うねぇ。皮肉か嫌味にしか聞こえんよ」

 

 幕舎の中で雑談しているのは王凌の友人である文欽と毌丘倹(かんきゅうけん)。二人とも王凌の援護と称し、手勢を率いて参陣しているのだ。

 

「随分と元気だな、二人とも。この程度は余裕と言うものか?」

 

「無論だよ。聞くまでもないだろう?」

 

「同じく。――正直、もうやりたくないけど」

 

 まだまだ戦い足りないと言わんばかりの文欽に対し、毌丘倹の表情からは一切のやる気も感じられない。ただの掃討戦でしかなかった今回の戦闘など、大局にはなんの影響も及ぼさない事をはっきりと悟っているからだろう。

 とにかく戦をして戦功を挙げたい文欽と違い、毌丘倹が考えているのは天下の事、民草の事だった。

 首魁である張三姉妹以外との戦いは意味が無い。元々食うに困って賊徒に身をやつした農民が主力となっている黄巾賊だ。大将首を取って然るべき救済策を施行すれば、農民は帰るべきところへ帰るというのが毌丘倹の持論だった。それを文欽に話したら、甘っちょろいと一蹴されたのは彼女の記憶に新しい出来事だ。

 

「まぁた、こないだ言ってた事考えてたんじゃないだろうね?」

 

「悪い?私の信念なんですもの、そう簡単に変える気も無いわ」

 

「ふん。功績のタネをみすみす野に放つなんて、馬鹿のする事さね。翔舞(しょうぶ)の信念とやらを、殊更に否定はしないけど。それじゃあ損をする事もあるって、覚えといて損は無いだろうよ」

 

涼風(すずか)の言い分も分かるけど、こればっかりは譲れないわ」

 

「――これからの事を話したいんだが、構わんか?」

 

「……っと、問題ないさね。時雨(しぐれ)は呼んだ方が良いか?」

 

「一応、武将だからな。涼風の好きにしてくれ」

 

 文欽が幕舎の外で調練を行っていた文鴦――時雨を連れてくるのを待ち、王凌は話を始めた。

 

「この戦場が一先ずの決着をみた為、我々は一旦洛陽へと本拠を移す。そこから許昌方面の黄巾賊本隊を叩く予定となっている。この戦線には我々の他に孫策率いる揚州軍、袁紹軍、曹操軍、董卓軍、公孫賛軍が参陣する事になっているらしい」

 

「面子が随分と豪華だな。いよいよ黄巾賊の叛乱も佳境という訳か」

 

「全くだ。正直、場違いという気すらしてくるな」

 

「――私の出番、あるかな?」

 

「恐らくな。何しろ敵は二十五万と号する大軍だ。存分に暴れまわっても、お釣りが来るだろう」

 

「……なら、いい」

 

 王凌は毌丘倹と文欽に明日以降の行軍予定を伝え、場を散会した。文欽は娘を連れてすぐに幕舎を出たが、毌丘倹は幕舎に残り、王凌が取りまとめた報告書の点検を始めた。毌丘倹は無位無官の身であったが、父の下に就いて文官としての職務を叩き込まれた経験もあり、王凌の副官としての職務を忠実に果たしていた。

 

「――この乱が収まったら、愁は家族を任地に呼ぶ予定なの?」

 

「あぁ。母上と父上には随分と貧しい思いをさせてしまったからな。少し遅いような気もするが、親孝行をしたいものさ」

 

 両親の事を話す時の王凌の表情は、平素の彼女からは考えられないほどに穏やかだった。幼少より伯父の王允の下で働きづめだった王凌にとって、親孝行という言葉自体がずっと遠いところに存するものだった。両親と離れて十五年、自身の立場が安定に向かっていることも、後押しとなったのだろう。

 

「そうだとすれば、王允様にも感謝しないといけないね。大きな妬みも生まず、上手く愁を引き上げてくれたんだから」

 

「――そうだな。いずれ、礼をせねばな」

 

 いずれ。……それは、世が今よりも安定した時のことになるだろう。いつの日か、この乱のことを懐かしんで話せる日が来るのだろうか。そしてその時、自分や伯父、両親は壮健で居られるのだろうか。その答えに至る確証など何処にも無いと知っていながら、王凌は祈るような心境を捨てきれずにいた。何か胸の内に蟠るような不安感が、段々と大きくなっていたからだ。

 漠然とした不安ほど、人を不安定な情動に押し進めるものもそうは無いだろう。王凌のように理性が感情をほぼ完全に統御しているような人種にとっても、それは例外では無かった。

 

「洛陽に帰ったら、一度母上と父上の顔を見に行ってくる。何か、嫌な予感がするんだ」

 

「嫌な予感?徐州黄巾賊の動向は、それほど激しくないって聞いているけど」

 

「それは知っているんだ。だが、どうにも不安でしようがなくてな」

 

 毌丘倹はしばらく顎に手を添えて物思いに耽っていたが、やがて顔を上げると、王凌に着いて行くと言い出した。

 

「軍権は官位持ちの涼風に任せておけば大丈夫。私は洛陽に帰っても特にやる事は無いし、武勇に優れた武将とはいえ、愁一人で徐州まで行かせるのは忍びないし」

 

「……その辺りは任せる。正直、今の状態でまともに指示を出せる気がしないんだ」

 

 傍から見れば情緒不安定に見えたやもしれない。王凌は茫洋とした思考回路の中で、ふとそんな事を考えていた。


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