人中最強の初登場ですが、彼女の内面って微妙に掴みづらいです
蒼天已死
黃天當立
歲在甲子
天下大吉
などと号した張角率いる黄巾党の勢いは、風を得た焔の如く中原に広がっていった。焔の勢いは留まることを知らず、幾つもの邑や城郭が呑み込まれてゆく。漢王朝はこの焔に対して為すすべを知らず、ただ自らの身を守り、諸将に黄巾党撃滅の詔を下すだけであった。
――――――――――――
――兗州、東郡――
兗州の地は、黄巾族の出現に乗じて雲霞の如く湧き出した黒山賊十万の勢力によって制圧されかけていた。虎牢関を挟んでこそいるものの洛陽に近い兗州の地にも、精鋭として名高い官軍直属の部隊が派遣されてきている。
黒山賊討伐に差し向けられた部隊は僅かに一万。その指揮官を務める武将は、
「ちんきゅ、下がってて」
「呂布殿!陳宮は下がりませんぞ!」
「危ない……」
「呂布殿のお傍の方が安全なのです!だから離れませんぞ!」
「呂布ちん、こら諦めた方が早いで?さっさと終わらせたらな、おちおちおしゃべりも出来ん」
「全くだな。――では、私は先に行くとしよう。」
「おぉ、宜しく頼むで」
「ふっ、任せておけ」
呂布、張遼、高順、臧覇、陳宮。丁原配下の武官にして、執金吾に相応しからぬ勇名を持つ武将達として名を知られていた。
「黒山賊共、原野の王者気取りも今日までだな。貴様らには惨めな死が似合いだ。――行けるな?臧覇」
「はい。そのつもりです」
「ふっ、それは良かった。……じゃ、行こうか」
高順は不敵な笑みを浮かべ、臧覇と共に馬首を巡らせる。一気に敵前まで距離を詰め、敵の目前で左右両翼に散開する。
「横から敵を攪乱するぞ。深入りは避け、敵を誘い出せ!」
「お任せを。任務は忠実に遂行して見せましょう」
臧覇は左翼に攻めかかり、高順は右翼に攻めかかる。互いに翻弄するような動きで敵を攪乱し、方陣を組んだ黒山賊を次第に崩してゆく。
「よっしゃ、
「…………ん」
呂布と張遼は、それぞれの麾下二千五百を率いて乱れ始めた方陣に突っ込んでゆく。武器を構え、喚声を上げる。目の前の敵を蹴散らしながら進む兵達は無人の境を往くが如く、血風のみを巻き上げた。
すさまじいまでの圧に押された黒山賊の陣が、次第に崩れてゆく。其処に追い縋った呂布軍が巻き上げるのは首級、腕、武器、この戦場に存在する全てのものだ。凄惨な殺戮の只中にあって、呂布軍という一箇の戦闘単位は一切の無駄なく戦闘を続けていた。
「弱すぎんで!何ぼなんでも、十倍の大差ぁ付けてこのザマぁ無いやろが!」
「…………弱い奴は、死ね」
呂布の振り回す画戟に触れた者は、例外無く命を散らしてゆく。雑兵だろうと将だろうと関係無い。呂布という死の象徴の前には、誰であれ平等なのだから。
「この位の戦力差ならば、或いは戦力評価の良い材料かとも思いましたが。存外、呆気の無いものですね」
臧覇の部隊も、攪乱を停止してじわじわと敵陣を締め上げ始める。ほぼ同時に高順隊も締め上げを強め始め、一気に攻囲の輪を狭めてゆく。黒山賊の恐慌はいよいよもって深刻さを増してゆき、最早頭領格と思しき者達がいくら叫ぼうとも命令が届かない有様となっていた。
「呂布殿。一カ所は攻囲を解いておかないと、黒山賊の雑兵達は死兵と化しますぞ?」
「構わない。敵も味方も、弱い兵は死ぬだけ……」
弱肉強食、たったそれだけの話だ。呂布はそういう世界の中で生きて来たし、これからもそういう世界で生きていくのだろうと直感的に信じ込んでいる。自らに手向かうものを斃して俸禄を得る事にしても、その程度にしか考えていなかった。
「…………」
上官である丁原に対する忠誠心も無い。皇室に対する忠誠心など言わずもがなだ。それでも戦い続けてきたのは、ひとえに自分の食い扶持を稼ぐためだった。其処に矜持も誇りも無く、周囲の兵や高順、張遼といった武官達、自分を盛り立てようと必死に策を巡らせる陳宮が放つ熱量を肌で感じながらも、彼女自身は到って冷淡な心情を保っている。
数刻の後、東郡の原野には十万を号した黒山賊の屍骸の山と、百程度の兵を損失しただけで帰還の準備を整えている呂布軍の姿があった。
「勝ったは勝ったんやけど、なんやパッとせえへん戦やったなぁ」
「数は多かったが、所詮は賊の討伐でしかないからな。一度崩れれば脆いものさ」
「この程度では、我らの実力を測るのに不十分だった訳ですね。――それにしても、まさか死兵と化した賊徒まで纏めて葬るなどという発想は有りませんでした」
「それを平然と実行するのが我らが奉先将軍の非凡さというか、無思慮故の蛮勇というべきか。ともかく魅力の一端を担っている訳だ」
「あんだけ派手に立ち回っといて、結局損害は軽微なんやからな。やっぱり大将は戦の天才なんやって、嫌でも思い知らされるわ」
「お前だって、十分に天才の範疇だとは思うがね」
「憎まれ口ばっかりで、しかも男口調の雷に言われたって嬉しゅうないわ」
「んな……!?男口調は関係ないだろ!」
「関係あります~」
やいのやいのと騒ぐ張遼達には目もくれず、呂布はぼうっと屍骸の山を見つめていた。今日葬った十万の命が自分の俸禄になるのだと分かっていても、やはり彼女には何の感慨も沸いては来なかった。
「屍骸を焼く準備は、整いましたですよ」
「…………ん」
疫病を防ぐために屍骸を焼かなければならないと言ったのは陳宮だった。特に反対する理由も無いので許可したが、この量だと焼ききるのが面倒だろう。
「進発は、何時にするのですか?」
「直ぐに、洛陽に戻る」
「――霞達には、そう伝えておくです」
陳宮が立ち去った後も、呂布は屍骸の山を眺めつづけていた。やはり、何の感慨も沸きはしなかったが。