今でもたまに夢に見る、幼い日の記憶。
父と母はいつも喧嘩ばかりしていて、私達姉妹は怯えながら、しかし目を離す事すら出来ずにその光景を見つめていた。何故仲が悪くなったのかは分からないが、孫堅文台――真名を水蓮という母の姉にして当主の言う事すら聞き入れなかったと言うのだから相応の理由が有ったのだろう。或いは無かったのかも知れないが、それは今となっては知る由も無い話だ。
両親がそんな調子であったから当然私達姉妹も家に居辛く、特に最年少の私は暇さえあれば脱走を図るという有様だった。
或る日私は、親の言いつけに背いて湖に遊びに行った。丁度その時期は蓮の花が綺麗に咲く頃で、私は湖一面が蓮の花で埋め尽くされるその光景が大好きだったのだ。この湖はまだ両親の仲が良かった頃に見に来た事があって、ひょっとしたら私は、あの楽しかった日々の残滓を捜しに行ったのかもしれない。
一頻り湖で遊んだ私が帰途に付く頃には、既に日も落ちていた。普段なら家人が来て連れ戻されている所だったが、それが無かったのもあって、その時の私は上機嫌だった。
しかし、その上機嫌も街に入った途端に雲散霧消する事になる。
空が赤い、まるで夕方であるかのように。方角は私の家がある方だ。
何か嫌な予感がした私はひたすらに走った。石に蹴躓いて転んだ。擦り剥けた膝や腕に砂利が食い込んで痛かったが、とてもそれどころでは無かった。息が苦しい、胃が七転八倒し、吐き気まで込み上げてくる。
幾度も転び、誰かにぶつかりながら辿り着いた我が家は、紅蓮の業火に包まれて盛大に燃えていた。茫然自失のまま家に入ろうとし、誰かに抱きとめられてしまった。何事か声を掛けられ、肩を揺すぶられる。顔を見れば、
あれからすぐに葬儀が執り行われ、私は8歳にして両親姉妹の全てを喪うという悲劇に見舞われた少女として巷間の同情を一身に受ける事となった。葬儀に際して一切の涙を見せなかった事も、幼いなりの健気さと捉えられたようだ。
原因は不明。失火とも言われているし、或いは父か母の何方かが無理心中を図ったとも、或いは政敵が水蓮様の心に動揺を呼び起こすために仕掛けた奸計であるとも言われている。結局原因不詳のままに噂は雲散霧消し、結局考えても詮無き事として、人々の記憶から忘れられてしまった。
私は水蓮様に引き取られる事となり、成人と共に母の家督と配下の兵達を引き継ぐという処置が為された。来るべき時に備えて学業修練に励めと云うのが、私に下された当面の使命という訳だ。
現在私は14歳。来るべき時は、すぐそこまで近付いていた。