狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第8話

 ルティとアービィが育ったフォーミット村は、大陸の南端にある。

 

 いびつなアラビア数字の8に似た形をした大陸は、狭い地峡により陸続きではあるが、南北に分かれていた。

 比較的温暖な気候の南の大陸には四つの国があり、それぞれが前述の地水火風の神殿を祀っている。

 

 東西南北にほぼ均等に大陸を分割した各国は、精霊が加護するかのように風土、産業に特色を持った。

 ルティたちの住む水の神殿を祀るインダミトは、南から北に向かってなだらかな傾斜を持つ国土で、幾筋もの河川が流れている。

 大河の中には他の三国を流域に納め大陸最北まで流れる大陸最大のグラース河もあり、水運を活かした商業や加工業が発達した。

 

 それなりの地下資源も持っているが、採掘に伴う国土の破壊や、鉱毒被害は無視できず、宝の持ち腐れになっている。

 中でも致命的なことは、鉱物資源のほとんどが、グラース河の支流に存在していることだ。

 もし、この地域で大規模な採掘事業を行えば、グラース河の流域に鉱毒による住民の健康被害だけではなく、一帯の第一次産業が壊滅し、二次被害は国の根幹をも揺るがしかねない。

 さらには、他国への被害もあるため、微妙なバランスの上に成り立っている南大陸の平和すらぶち壊しにしかねない。

 

 このためインダミト国では、他国の飲料水や農工に不可欠の『水』を握っているにもかかわらず、大陸内では少々立場の弱い交易を主とする商業国として生きるしかなかった。

 兵を集め、覇を唱えることも充分可能でありながら、戦乱の引き金を引いた国、と言われることによる不名誉を甘受したくないという、王の意向もあった。

 

 

 大陸の東に存在するビースマック国は、鉄鋼の国だ。

 

 峻険な山岳地帯が多く、人口はさほど多くないが、国そのものが要塞と化している。

 地の神殿を祀るこの国は、山岳地帯に降る雪に支えられた水資源や、そこに眠る地下資源も豊富だ。

 短く急流ばかりの川は、大陸の東に広がる海に注ぐものがほとんどで、採掘に伴う鉱毒被害や河川の氾濫が他国に影響を及ぼす心配がほとんど無い。

 

 が、平坦な地形が少なく、せっかくの資源を加工し製品として付加価値を付けるための場所を、それほど多くは持てなかった。

 もし、充分な平野がビースマック国にあるならば、南大陸の覇者となっただろう。

 

 しかし、他国の領土を侵食してまで国土を広げることに価値観を見い出すことのなかった歴代の王の意向もあり、他国へ資源を輸出し、見返りに製品を輸入することで、南大陸内での地位を確立していた。

 そこにはインダミト国同様、戦乱の引き金を引いた国という誹りを受けたくないという、王の意向もあった。

 

 

 西に位置するストラー国は、国土の大半が平野を占める、酪、農業を主とした国だ。

 穏やかな気候の下、優秀な生産技術で他国への食料供給により、南大陸内での地位を確立していた。

 人の食料のみならず、家畜家禽の餌料までを余裕を持って生産できる肥沃な国土を持っている。

 

 が、それはグラース河の恩恵によるもので、自国独りが孤立を守れるものではない。

 何れの国も、かつて南大陸に覇を唱えた帝國の末裔であると自認していたが、ストラーこそ正統なり、という誇りを持っている。

 それは他国の技術力や経済力に対し、尊大な態度でしか自らのプライドを守れないという劣等感の裏返しでしかなかったが。

 

 もちろん、食料を供給できるということは、何よりもの強みでもあるのだが、兵力でも他国を圧倒したいという欲求も、またあった。

 それ故、国力に不釣合いな兵を抱え、他国に比べ多くの国家予算が軍事に費やされている。

 それを感じ取っている各国は、ストラー国の重要性を認めているがために、煽てたり、下手に出たりで尊大な国王を手玉に取っていた。

 

 国王は、国の持つ力と自分の力が同等と思いこみ、他国に対する態度はあくまで尊大だった。

 特権意識の権化のような貴族や騎士階級が幅を利かせ、経済の要である庶民は虐げられている。

 風の神殿を祀るこの国は、様々な問題を孕んだまま、商人たちの懸命な努力で崩壊を免れていた。

 

 

 最も北にあるラシアスの国は、地峡を挟んで北の大陸と対峙している。

 

 起伏に富んだ国土は農業に適した地は少ないものの、海沿いには天然の良港を多数持ち、沿岸にはいくつもの好漁場が存在する。

 

 南の大陸の住民が蛮族と呼ぶ北の民は、ラシアスの国土だけではなく、温暖で暮らしやすい南大陸を狙っている。

 絶え間ない侵略に対し、南大陸の盾を自認するこの国は、大陸の防衛に多大な時間を取られ、産業も発達できずにいた。

 政情は安定しているが、それは敵があってこそだ。

 王を中心に民は纏まっているが、漁業以外の産業を育てる余裕がない。

 その漁業すら、遠洋漁業の技術が未発達のこの世界では、他国に比べてまだマシといった程度の規模でしかない。

 勢い、他国の製品を輸入することになり、それを以って蛮族に相対するが、自国には生産能力がほとんどない。蛮族の撃退に、手一杯の状態だ。

 当然一国で蛮族に対する軍事費をすべて捻出できるはずも無く、他国からの資金や物資の援助で辛うじて凌いでいる。

 金だけ出して血を流さない他国に対し不信感をもつラシアス国だが、国民の「大陸の盾」としてのプライドが、火を祀る国を崩壊の淵へと転落することを防いでいた。

 

 

 蛮族と呼ばれる北の民は、統率者となる王がいない。

 部族ごとに、欲求の赴くままに暮らしている。

 

 暗く、長く、家から出ることすら儘ならない冬。

 風は吹き荒れ、雪が叩きつける冬。

 人を養える土地は少なく、家に篭れば娯楽などセックス以外ほとんどない。

 子は増えるが、増えた子を食わせるには南方に進出するしかない。

 瞬きするかのような春から秋にかけて、あらゆる物を収奪しなければ次の冬は越せない。

 

 同じ北の民同士で繰り返される襲撃や収奪、殺戮の歴史は、彼らを最強の戦士に育てるための歴史でもあった。

 

 春から秋は、生まれた子を育て、長い冬ごもりに備えるための季節でしかない。

 彼らにとって、凍らない土地、河、海は、憧れ以外の何者でもない。

 地峡を通り抜け、温暖な大陸に移住することは、彼らの悲願でもあった。

 

 極北の地には、魔王の城があるともいわれ、季節を問わず集落を襲う魔獣もまた、彼らが南下する要因でもあった。

 

 南の大陸四国家では、北を征服し安全を確保するより、地峡を利用し、北の民の南下を防ぐ方が効率がよいと判断され、地峡にある要塞を築くことで対処している。

 

 

 娯楽をセックス以外に見いだせない彼らの地でも、近交劣化は経験的に知られていた。

 自らの生の痕跡を残すために、男も女もお互いを求め合う。その結果、数世代のうちに、集落は近親者ばかりになってしまう。

 打開するためには他の集落との交流しかないが、限られた生存の場を奪い合っていた彼らに平和的な交流などという発想はなかった。

 

 極めて希に友好的な血の交換もあったが、基本的には他の集落を襲い、子を産める女以外をは皆殺しにしてその集落を乗っ取る、の繰り返しだった。

 今現在で性成熟していない他部族の幼子を育てるなどという発想は皆無で、適齢期といわれる女以外は生かしておく余裕もなかった。

 

 ごく希に奴隷として南の大陸に幼児が売り払われることもあったが、殺されなかっただけマシと考えていいものか、判断に苦しむことでもあった。

 幼い頃から、家の中に限らず至る所でセックスを目の当たりにしていた民にとって、性的な禁忌もほとんどないうえ、羞恥心も薄いため、娼婦としての価値は高かった。

 北に住む民の特徴として、金髪碧眼であることも、異国情緒としての希少価値になっていた。

 そして、これが更に偏見と差別に拍車を掛けることになっていた。

 

 北と南の宗教も、偏見と差別を生み出す要因となっている。

 南の四国家は、それぞれの祀る精霊を信仰しているが、国家間に宗教上の対立は無い。

 

 唯一神マ・タヨーシが祝福した四大精霊という位置付けで、微妙な教義の解釈の違いはあるが、緩やかな一神教であるためか、互いに対立を生み出すほどではない。

 原理主義者は自らの奉信する精霊こそ、唯一絶対の神から祝福されし精霊と言い、他を排斥しようとするが、それはごく一部だけだ。

 

 対して北の民は、部族集落ごとに信仰する精霊や神が異なる多元的な多神教である。

 それぞれに対立は見られず、お互いを認め合うか無関心であり、マ・タヨーシすら数多の神の一柱として、信仰の対象になっている。

 

 しかし、南の四国家におけるマ教では、北の民が信仰する神は全て邪神か悪魔と位置付けられていた。

 長い歴史の中でマ・タヨーシを崇めるため、各地の民話を取り込み、都合良く解釈した結果ではあるが、自らに同化しない北の民を貶めるため、という意志も働いていた。

 

 マ教自体に他宗教排斥や教化の教義はないが、一部の為政者は北の脅威を必要以上に煽るため、原理主義者や純朴な信者を利用していた。

 

 さらに南の大陸で使用される呪文と、北の民が使用する呪文は異なる。

 四大精霊呪文のほとんどが現象を操るものであることに対し、北の民が使用する呪文は精神に作用するものが多い。

 系統立った研究はされていないが、どちらかと言えば悪魔や悪霊が操る妖術や、催眠術に近い。

 この点からも南の民は、北の民を魔獣同等に見做していた。

 

 同じ人同士、ましてや魔獣から逃れた民を、南の大陸国家が拒むとは思わず避難してきた北の民を待っていたものは、偏見と差別、そして迫害だった。

 

 

 この偏見や差別、迫害といったものは、南の大陸の北に行けば行くほど強くなる。

 ルティたちが育った南の地方では、お互い相容れない民、といった程度の認識で、移住や売られてきた北の民が石持て追われるほどではない。

 

 少々規模が大きな町には娼館があり、そこには数人の北の民がいた。

 貴族や騎士階級、大商人と呼ばれる家には使役される奴隷がおり、そのほとんどは北の民である。

 が、北の地方では、娼婦以外に南大陸で生きる術は無く、見かければ狩りの対象になる地方すらあった。

 

 魔獣の南大陸への直接侵攻を防ぐ盾として、北の民を支援するという発想は無く、両者の間には埋め難い深い溝が横たわっていた。


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