狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第73話

 ラシアスの王城アルギールでは、臨時の緊急御前会議が開かれていた。

 現王ロベリア=グランデュローサの崩御に伴う摂政ニムファ・ミクランサ・ミリオフィラム・ネツォフ・グランデュローサ第一王女の女王即位と、ロベリア王の大葬礼に関する打ち合わせが、主な検討項目だった。

 非公式に各国には即位式と、大葬礼の日程は伝えられている。

 既に各王都からは現王たちが、ベルテロイからは駐在王族武官たちが、二つの儀式に出席するため出発している。

 あと五、六日もすればアルギールに各国の王族が到着するはずだった。

 

 

 内々にラシアスの駐在武官である第三王子へテランテラから、南大陸共同統治機構構想を聞かされていたニムファ女王は、既にその第一人者の地位に収まることを夢見ていた。

 老醜に冒された各国の王にその大役が務まるとは、ニムファの中では考えられないことだった。

 次世代を担う若き女王こそが適役であり、南大陸を率いて北の大地を討ち果たし、両大陸を統一した史上初の覇者の称号を得るために用意された天の采配だと信じている。

 

 しかし、共同統治機構の発案者であるインダミト王バイアブランカは、パシュースの進言で構想の大転換を図っていた。

 一人の人間に権力を集中させることは、五百年前に滅んだ大帝国の再来に他ならず、必ず第一人者の地位を巡って戦乱を引き起こすだけのものと気付かされていた。各国の内政はあくまでもその国の専任事項とし、共同統治機構は各国の利害調整や、目に余る専制があった場合の是正に努めるものと改めていた。

 内政不干渉が原則だが、マイノリティへの差別や虐待、北の大地を含む他国への侵略については、最低二カ国の賛成で武力行使を含む懲罰が認められるとしていた。

 

 改訂された構想は、パシュースを通じてベルテロイ駐在武官のみに披瀝され、各国の為政者たちにはまだその案は届いていない。

 もちろん、それはバイアブランカの差し金だ。

 ニムファ女王の即位式典とロベリア王の大葬礼の後に控える王たちの懇談の場で明かされる予定だった。

 

 当然、ニムファは旧構想を知っており、その第一人者の席が回ってくることを心待ちにしていた。

 最初は控え目に他国の王にそれを譲り、いずれ自分にそれが回ってきたときには二度と手放さないつもりでいる。

 決め事など、第一人者の権限を以ってすればどうとでもできるものだと、ニムファは思い込んでいた。

 

 実際には、王たちの懇談の場で、旧構想は叩き台にされるだけだ。

 バイアブランカは思わせ振りに第一人者の権限を大袈裟に話しておいて、ニムファの自爆を誘ったうえで、新構想を切り出すつもりでいることを、へテランテラはパシュースを通じて聞かされていた。当然フィランサスもアルテルナンテもそれは承知している。南大陸を戦乱の渦に巻き込みかねない事件を引き起こした両国に、バイアブランカの新構想を否定するだけの発言力があるはずもない。

 へテランテラは、世間知らずの姉が恥を掻き、国内に引き篭もることを望んでいた。

 

 既にベルテロイ駐在武官の会合が、統治機構の新構想と同じ働きをしていることに、バイアブランカは気付いていた。

 いずれ北の民から代表者が出されたときには、統治機構はベルテロイからウジェチ・スグタ要塞に場所を移し、新たな駐在武官がベルテロイに送り込まれることになるだろう。

 

 

「何故、我が国の派遣軍のみが、ウジェチ・スグタ要塞に残されているのか、納得のいく説明をしなさい」

 緊急御前会議の後、ニムファ女王は、宰相マクランド・シアメンス・コリンボーサを執務室に呼びつけていた。

 至高の地位を手にした瞬間から、ニムファから慎ましさは消え失せていた。

 

「はい、前線からの報告によりますと、北の民への度重なる暴言やサボタージュが原因とのこと。我が国の国民感情を考慮いたしますと、致し方のないことかと存じます」

 冷や汗を流しつつコリンボーサは答える。

 適当に言い繕ったところで、一朝一夕に改善できるようなことではない。

 であれば、正直に報告するしかなかった。

 

「何故、それがいけないのです?」

 理解できないという表情で、ニムファは問い返す。

 勇猛かつ忠勇なるラシアス軍が前線に出られないなど、恥以外の何物でもない。

 

「派遣軍は、四カ国から一個大隊ずつを組ませた連隊を基幹としておりました。他国からも厳重な抗議があったとなれば、総指揮官も対処せねばならなかったのでしょう」

 北の民からの抗議など歯牙にも掛けないが、他の三ヶ国からの抗議とあっては致仕方ない。

 

「北の民どもに下手に出る必要など、どこにもありません。つけあがらないように、力で統治すべきではないのですか? 総指揮官はラルンクルスでしたね。解任しなさい。そもそも、何故派遣軍がインダミトの一侯爵の指揮下に入っているのです?そんなものに振り回される必要など、ラシアスは認めません。すぐ、ウジェチ・スグタ要塞に残る我が軍に進撃命令を出しなさい。最北の蛮族を討ち果たし、帰路に他の北の民を討てばよろしい。それまでは補給の役にでも立たせて上げましょう」

 それだけ言い捨てると、ニムファはコリンボーサを下がるように命じる。

 

「何を仰います。厳冬期に最北の地まで攻め込もうなど、自殺行為以外の何物でもございません。あのアーガストルの惨劇を、繰り返すだけにございます。それに独断専行などは、他国が許容するはずもございません。」

 コリンボーサは反論を試みた。

 

「我が国の精鋭と、軟弱なインダミト兵を同列視するというのですか? もともと我が国の兵は雪に慣れています。どこに心配などする必要がありますか。私が摂政でいる間、宰相が精一杯私を補佐してくれたことには感謝しています。ですが、女王になった以上、補佐など恥を晒すだけです。私に従うのが、臣下の努めではないのですか。それが解らないのであれば、私にも考えがあります」

 ニムファは拒絶し、解任をちらつかせるだけだった。

 

 

「宰相、浮かぬ顔だが?」

 第一王子エウステラリット・ロトンディフォリス・ネツォフ・グランデュローサが声を掛けた。

 

「殿下、姉上様にはほとほと手を焼かされますな。いや、女王陛下でしたな」

 コリンボーサは、今しがた呼び付けられ、命じられた内容をエウステラリットに話した。

 

「どうしようもないな、姉上は。それほど称号などくだらないものが欲しいのか。ラシアス国民だけで両大陸を支配できるとでも考えているのか。どれほど国民に負担をかける気でいるのやら」

 顎に指をあて、エウステラリットが答える。

 ニムファの弟に当たる第一王子は、もともと政治に興味が薄く、覇権欲もないためか、王位継承権では第二位だったが、早々にそれを放棄していた。

 姉の即位に伴い、近く臣籍降下の予定であり、公爵への叙爵と非常勤の政務参議官への就任が決定している。

 もちろん、当人に政治に関ろうという意志は欠片もなく、労働などとは無縁の王族に収入を確保するための方便であった。

 

「はい。陛下は両大陸の統治を甘くお考えです。力で従わせれば良いとお考えのようですが、それではいたる所で反乱が起きましょう。それを武力で鎮圧すれば、さらに恨みが渦巻きます。摂政でおられる間に、多少なりとも政のご経験をお積みになったはずなのですが」

 コリンボーサは、憤懣やるかたないという表情だ。

 彼は権力欲に塗れてはいるが、かろうじて最低限の良識は備え、統治に掛かる収支のバランスには気を遣う政治家だった。

 宮廷内の権力闘争には手段を選ばず、国民に貧困を強いることもあったが、それはこの時代の貴族としては当たり前の範疇に収まってはいる。

 しかし、大陸に戦乱を呼び起こしてまで、己が欲望を満たそうとする非道さは持ち合わせていなかった。

 

「以前、ベルテロイのヘテランテラ殿下より四国家共同統治機構のお話をいただきましたが、陛下はこれに色気をお持ちです。ですが、先達て殿下から、新しい構想をお聞かせいただきました。以前のような統一国家を意識した統治機構とは違う形になっておりまして、随分と様変わりしております。どちらもバイアブランカ王の構想のようですが、新構想はあくまでも国家間の利害調整や、国家による非道行為に対する是正勧告や懲罰が主です。ヘテランテラ殿下からは、まだ陛下のお耳に入れぬよう釘を刺されておりますが、陛下はこれで南大陸を統一できると思い込んでおられるご様子。いったい、ヘテランテラ殿下がどのようなお考えでいらっしゃるのか、私には解りかねます」

 コリンボーサは話題を替えた。

 ニムファの暴走について、愚痴を溢したところでどうなるものではないと、諦めが入っている。

 

「ヘテランテラは、姉上に恥でもかかす気か。バイアブランカ王は姉上の即位式の後に、統治機構の話をするのだろう。姉上は以前の話ししか知らぬ。大いに色気を出し、第一人者の権限を強めようとするはず。バイアブランカ王は、それを引き出すだけ引き出して、第一人者を置く危険性を各国に周知させたうえで、新構想の話を切り出す気なのだろうな。権力を伴わない第一人者など、姉上が欲しがるわけがないからな」

 エウステラリットは、ヘテランテラの考えが手に取るようにわかる。

 南大陸を円滑に運営させ、北の大地と共同歩調を取るためには、ニムファを排除する必要がある。

 言い換えれば、旧来の考え方をしたままのラシアスは、いらないということだ。

 

「その八つ当たりの後始末は、私の仕事になるのでしょうね。今から気が重くなります。北の民に八つ当たりが飛ばないように、せいぜい私が受け止めると致しましょう」

 諦め顔でコリンボーサが答えた。

 彼が北の民に対して持つ意識は、一般的なラシアス国民と大差ない。

 一体、何故北の民に良い思いをさせてやらなければならないのか、他の三ヶ国の思惑が理解できない部分も大きい。

 だが、北の民とこれ以上事構え、国庫を疲弊させるつもりもなかった。

 

「それはよろしく頼む、としか言いようがないな。大帝国の愚を二度と繰り返さぬよう、南大陸は四国家がそれぞれの地域を統治する。それが今のところ正しい姿だろう。思うに、いずれは北の民の代表も、その統治機構に入るのであろう? 一人が両大陸を公平に統治するなど、過去数百年の歴史を振り返れば無理なことだ。両者の利害や主張を調整する場、といったところが限界だろうし、それで正しい。既に駐在武官たちの集まりが、その役を果たしているのだろう。私的な集まりを公式のものと認定し、その権限を強めるだけでよいのだから、新しい組織を一から作るより遥かに手間は掛からないな」

 エウステラリットは、自らの考え方を言った。

 エウステラリットとヘテランテラの間の第二王子はニムファとの仲に嫌気が差し、早々に臣籍降下し直轄領の一つを巻き上げてそこに引き篭もっている。

 第二王女は早々に嫁いでおり、第三王女も先王の喪が明け次第、ストラーの公爵家に嫁ぐことになっていた。

 

 長兄の責任感から王宮に残っていたが、それもこれで解放される。

 王座に付く者の兄弟姉妹が王宮に残っては、後々の権力闘争の引き金になることを警戒され、自身の命が危なくなるだけだ。

 それを差し引いても、ニムファの相手をしなくて済むなら、権力など要らないとまでエウステラリットは思っていた。

 

 コリンボーサは、この無欲な王族にこそ王位を継いで欲しかった。

 政治センスに優れ、民を思う気持ちも強い。無欲さは裏返せば責任感のなさでもあり、コリンボーサの権力を脅かすこともなく、思い通りの政治をすることができる。

 もっとも、自分を無欲ではなく無責任と自覚しているからこそ、エウステラリットは臣籍降下の道を選んでいたのだが。

 

 対して同様に政治センスに優れ、民を思う気持ちも強いヘテランテラは、責任感の塊のような人物であり、コリンボーサの専横を許すとは思えなかった。

 そうであるからこそ、世間知らずで操りやすいニムファを担いだのだが、ここへきて急に自我に目覚めてしまった。

 却って操れなくなったニムファを、コリンボーサは持て余していたといっていい。

 

「ラシアスの国権を侵されないのであれば、私としては何も文句はございません。国家間の利害調整は、主張すべきことは主張し、引き時を心得ていれば済むことです。ですが、国家による非道行為に対する是正勧告や懲罰という点は、明らかに我が国における北の民の扱いを念頭に置いてのことでしょう。国が直接国内に住む北の民を迫害することはございませんが、民がしていることには目を瞑っている状態にございますれば、これは国が迫害に手を貸しているといわれた場合に申し開きはできませぬ。統治機構は、我が国には不利になることが多いかと」

 コリンボーサは統治機構に対する不満と危惧を述べた。

 

「そうは言っても時代の流れは両大陸の融和であろう? マ教も原理主義のスキルウェテリー卿や、教化主義のデナリー卿の力が削がれていると聞く。統治機構の決定を尊重し、国を作り変えていくしかないだろう。他の三ヶ国は北の民との交易で莫大な利益を上げられるが、我が国に交易に資するような資源や産業がない。彼らの交易に伴って発生する関税や通行税で、国を富ませるしかないのだ。かと言って目先の利に惑わされて高率な税を掛けては、交易の行程が海に逃げる。宰相、これからの舵取りは難しいぞ」

 コリンボーサの不満は、エウステラリットはよく解っていた。

 腹の底では、彼も北の民に対して良い感情は抱いていない。

 それは、北の民と千年以上も対峙して来たラシアスの国民性として、当然の考え方であった。

 融和を目指す勢力としても、責められることではないと理解している。

 

「インダミトが北の民などと融和を考えているのは、商業国であるからですしな。南大陸にこれ以上大きな市場を形成する場がない以上、新天地を求める気持ちは理解できます。そして、それが戦で勝ち取るものではなく、平和の裡に行われるべきことであることも。お言葉、よく胸に刻み込んでおきましょう」

 そう言ってコリンボーサはエウステラリットとの突発の会談を切り上げた。

 

「もう、一年以上経ったか、姉上が勇者殿に袖にされてからは。あれ以来、何かに取り付かれてしまったかのようだ。まだ民には知られていないが、怪しい像を祀り始めたのもあの頃だったかな。あくまで装飾品と言い張ってはいるが、あの禍々しさは尋常ではない」

 去り行くコリンボーサの背に視線を送りながら一人ごちたエウステラリットは、王室の未来に不安を感じていた。 

 

 

 北の大地からハイスティに連れられてきたヌミフとオンポックは、この時点でベルテロイに滞在していた。

 当初はインダミトで様々な商業を見て回っていたが、バイアブランカ王がラシアス先王の大葬礼に出席するに当たり、ベルテロイまで随行してきていた。

 ベルテロイは南大陸の中央に位置するため、物流の中心でもあった。インダミト国内を巡るより、物流の最先端を見るにはベルテロイの方が適していると、財務卿ハイグロフィラ公爵が進言していたのだった。

 

 それを受けたバイアブランカは、二人をレヴァイストル伯爵に預けていた。

 パシュースに預けても良かったが、彼もニムファの即位式典と先王の大葬礼出席のため、ベルテロイを空けている。

 レヴァイストルであれば世事にも長けており、二人の面倒を見させるには適任だった。

 

「ヌミフ様、オンポック様、いかがですかな、ベルテロイは。マ教の教都でありますが、南大陸の商都でもあります。欲しい物があればベルテロイに行け、南大陸ではそう言われているほどでございます」

 クリプトが二人を案内しながら言った。

 レイがランケオラータに嫁ぎ、彼女の専属だった彼はその任を解かれ、今はセラスの専属執事になっていた。

 レヴァイストル伯爵から二人の面倒を見るように命じられ、ラガロシフォン領からセラスを連れてベルテロイまで出てきていたのだった。

 

「はい、以前は通過するだけでしたが、滞在するのは初めてで、すっかりと圧倒されるばかりです。人々がこんなに楽しそうに。買い物というものが、こんなに楽しいとは、私は思ってもおりませんでした」

 素直にヌミフが答える。

 食料や衣類を中心とした物々交換が主だった北の大地では、これほど多種多様な商品を並べた商店はなかった。

 

「悔しいです。僕は、北の大地では感じることがなかった楽しさを知りました。北の大地に、この楽しさがないことが悔しいです」

 オンポックは北の大地が貧しいのは、自然環境だけが原因ではないことを感じ取っていた。

 

 道を行きかう人々の目に、死への恐怖は薄い。

 もちろん、日常的な餓死や凍死の心配がないこともあるが、町ぐるみで略奪に合う危険性がほぼ皆無であることが、その原因だと解っていた。

 野盗や人攫いがいないわけではないが、どの町にも公的な治安維持部隊が常駐し、人々の安全に目を光らせていた。

 集落や部族という単位ではなく、人々の安全を保障する国家というシステムに、二人は瞠目していた。

 

「お姉さまが行っているんですもの、あなたたちの土地も直にこうなると思いますよ」

 相手が国賓クラスの客であることをレヴァイストル伯爵からきつく言い渡されていたため、セラスの口調はぎりぎりのところで丁寧さを保っていた。

 

 ラガロシフォン領の経営を任されて以来、セラスの考え方も少しずつ変わって来ている。

 当然、領地経営のノウハウを持っていたわけではないので、クリプトが補佐のために付き従っている。当初は以前のような我儘を言っては叱られていたため、クリプトを煙たがっていた。しかし、領民から施政について感謝の言葉を聞くたびに、クリプトの言葉が正しかったことを思い知らされている。そして、人から感謝されることの快感に気付いた今では、以前の我儘さはすっかり鳴りを潜め、より良い施政に心を砕くようになっていた。

 レイと比べられ、前が良かったと言われたくないというライバル心もあったが、民を富ませることが自らを富ませることだと気付いてもいた。

 

「僕と同じくらいの年齢で領地経営なんて、セラス様も大変ですね。僕には到底務まるとは思えません」

 オンポックにしてみれば、正直な感想だった。

 補佐に大人が付いているとはいえ、カネ勘定から領民に諍いがあったときの仲裁、他の領地との折衝や領民保護。時には自ら剣を取って野盗や魔獣に立ち向う。ほとんどを力で解決していた北の大地での経験しか持たないオンポックには、それをやっているセラスは眩しい存在だった。

 もちろん、折衝に当たっての政治力や交渉力といった力が、純粋な力と置き換わっているだけで、そういった力を持たない者が生きてはいけないことは北の大地と同じことだと、オンポックは気付いていた。

 

「あら、あなたもいつかはやらなければいけないことですよ」

 セラスは、少しだけ得意気に言った。

 年齢が近い気安さからか、オンポックとセラスの仲は良い。

 クリプトは父親の気持ちで、ヌミフは姉の気持ちで二人を眺めていた。

 

 

「ターバに祝福法儀式済みの武器まで送り込んでおけば、このような事態は避けられたのに、な」

 ターバ陥落の対策を話し合う席で、ついランケオラータが呟いた。

 ターバが陥落する以前の状況であれば、平野に展開する部隊に祝福された武具は必要なかった。補給を担当する部隊の武具を、ターバに送り込むこともできたはずだった。敵の全能力が判明していない以上、補給部隊を丸腰にするわけにはいかないことも事実だ。だが、結果論でしかないが、ターバを見殺しにしたことと、大した違いはなかった。

 ランケオラータは、口の中に苦いものを感じていた。

 

「いや、それでは精霊神殿の許容量を越えてしまうだろう。ただでさえ、それぞれの神殿が一万人分の武具に、儀式を施すのに全力なのだろう? いた仕方のないことだ」

 プラボックはそう言って、ランケオラータに不要な後悔をさせないように気遣った。

 実際、プラボックも同じように祝福された武具がターバにあればと考えていたが、それを口にすればランケオラータを責めることになってしまう。

 

「それに、同化能力を持つ魔獣だか不死者がいるとは、想像の埒外だ。まさか、日中に灰化することを躊躇わずに、行動範囲を広げてくるものがいるとは思いもしなかった」

 ルムがプラボックに同調する。

 

「当面の対処はどうされますか? 日光を浴びて灰化するという情報がありますが、これは既知の不死者とも共通しており、この点から吸血魔獣は不死者と見て良いかと思われます。その線から個体への対処は可能と考えますが、群れで襲いかかられた場合はかなりの被害が予想されます」

 連合軍司令部を代表して、作戦参謀が発言する。

 

 総司令官はラシアス騎士団長ラルンクルスだが、遅れて到着した分状況把握は参謀たちのほうが的確だったことと、ラシアス兵の不祥事が頻発したこともあり、軍議に出席していてもほとんど発言することはなかった。

 全員がそれは承知しており、プラボックやルムも気遣い無用と言ってはいたが、ラルンクルスにしてみれば倣岸不遜な国民の振る舞いに恥じ入るばかりだった。

 司令部も総司令官の意志を汲み、極力参謀が発言するよう努めていた。

 もちろん、長年の付き合いからラルンクルスの考えは承知しての発言であり、司令部の意志統一に齟齬が見られることはなかった。

 

「この天候であれば、日中に灰化してしまえば吹雪で灰は飛ばされてしまうだろうから、無闇に前進することはないだろう。だが、日光が弱まれば灰化しないかもしれん。これからの時期、吹雪が酷くなれば日中ですら暗くなるからな」

 プラボックが不利を指摘する。

 

「確かに、プラボック様の仰る通りであります。真闇とまではいきませんが、影ができるほどの陽射しは期待できません。さらに、吹雪いてしまえば闇に等しく、その中では篝火を焚くこともできません。つまり、こちらは闇の中で、手探りで戦わなければならない状態です。吹雪に紛れて接近急襲された場合、灯りもない状況で戦うことは、不可能と言わざるを得ません。天候の回復を待ち、威力偵察を試みたいと考えますが、その前に山脈を抜かれるような事態がないとは保証できません」

 必要以上に悲観的になることはないが、決して楽観できる状況ではないことを、作戦参謀が説明する。

 

「打つ手、無しか。山脈は放棄せざるを得ないか? 拠点間の相互支援が吹雪で困難である以上、やむを得ないことだろうな。ここは戦線を縮小し、反撃密度を高めるしかないか。意見のある者は、遠慮は要らん。忌憚のない意見を述べられたい」

 プラボックが悔しさを噛みしめつつ言った。

 イーバを含め、いくつかの哨戒拠点は結界処理が完成していたが、大半の拠点はまだだった。

 バードンや精霊神官たちが奔走していたが、吹雪に遮られ思ったよりひとつひとつに手間が掛かってしまっていた。

 

 イーバだけ残して撤収しても、取り残された拠点がどのような運命を辿るかは、ターバを見れば子供にでも解る。

 結界が中の人間を守ったとしても、そのまま補給線を切られてしまえば遠からず自滅するしかない。

 自滅しないまでも、遊兵化してしまえば、それは戦力としては計算に入れることはできなくなり、全滅したと同義だった。

 

「山脈に敵拠点を築かれてしまっては、春以降の反攻が著しく困難になります。高地は攻めるに難く、守るには適しています。高地を押さえておけば、敵の動きを観察する上でも有利は計り知れません。逆に、敵がこれを押えれば、我が方の動きは丸見えになってしまいます。以上の点から、なんとしても、山脈の放棄はするべきではないと考えます」

 戦務参謀から意見が出されるが、それが希望でしかないことは全員が理解している。

 それに対してはランケオラータやルムから、みすみす殺されることが分かり切っているのに、拠点死守の命令は出せないと反論が出た。

 戦務参謀の言わんとするところは、充分すぎるほど理解している。

 だが、あらゆる意見が必要で、安易に一方に傾くわけにもいかない。

 

 

「僕がいた世界に、ヴァンパイアという血を吸う不死者の伝承があります。想像上の話でしかないのですが、血を吸った相手を同族に転生させることや、日光を浴びると灰化するなど、いくつかの点で共通する部分があります。ひょっとしたら、他にも共通点があるかもしれません。ヴァンパイアの弱点の一つに、流れる水を渡れないということがあります。これが共通点であれば、有効な防衛手段になるのではないでしょうか」

 もちろん、大外れということもありますと、アービィは付け加える。

 

 石炭の産出量が上がり、それまでの燃料として普及していた薪や炭と合わせ、かなりの燃料が各拠点には備蓄されていた。

 山脈地帯には豊富な森林資源もあり、備蓄以外にも燃料を求めることは、平野部に比べ容易だ。

 この燃料で降り積もった雪を溶かし、拠点にしている集落の周りに水を流せば、少なくとも拠点内への進入は防ぐことはできるかもしれなかった。

 

 橋や船があれば渡ってしまえるが、それがなければひと跨ぎできるような流れでさえ越えることができない。

 知性の高い、高位のヴァンパイアであれば対処法を考えついてしまうが、それは自ら望んでヴァンパイアに転生した真祖に限られる。

 低位のヴァンパイアは、破壊衝動のみに支配されていると考えて良く、細い水路さえ確保できれば、確実に前進を止めることが可能だった

 

「それは試してみる価値はありそうだな。ルム、伝令は雪に慣れている我ら北の民がいくべきだろう。人選を頼む」

 プラボックは、最北の蛮族を撃退するためであれば、どんなことでも試してみるつもりだった。

 もちろん、アービィのいた世界の伝承と、食い違っている可能性があることは否定できない。

 だが、もしそうだったとしても、プラボックはアービィを恨むつもりなど毛頭ない。

 当面有効な手段がこれしか思い付かないのであれば、賭けてみるしかないことも事実だった。

 

 すぐさま伝令が選ばれ、吹雪を衝いて山脈へと向かう。

 南大陸の住人には到底無理だが、幼い頃から無理矢理雪に慣れさせられてしまった北の民の真骨頂だ。

 間もなく、家から出ることすら適わなくなる厳冬期が訪れる。

 そうなってしまえば、いかな不死者といえど雪が物理的な障壁となり、それを越えることは無理ではないにしろ、多大な時間を要するだろう。

 

 逆にこちらの行動も大幅に阻害されることになるが、厳冬期には自然休戦になるのが北の大地のならいだった。

 拠点の周囲に水を流すための工事ができる期間も、僅かしかない。

 間に合ってくれ。プラボックは常日頃から崇める神狼に、そう祈らずにはいられなかった。

 

 

「ねぇ、ルティ、この前ティアが言ってたことだけどさ」

 深夜、日付が変わる時間に、アービィは水を飲みに起きたところでルティと行き合った。

 

「あの人狼の血を引いた子供たちのこと? 良い考えだと思うけど、どこに作るか、どうやってそういう子供たちを集めるのか、問題は多いわよね。上手くいけばいいんだけど」

 ルティが水を飲みながら答えた。

 

「フォーミットに作れないかな。僕のこと知ってる人も多いから、他の町や村より受け入れてもらいやすいんじゃない?」

 アービィは考えていたことを話し始めた。

 

 魔獣を引き連れた魔術師を撃退していたことで、アービィの正体は村人すべてに知られていた。

 だが、村を救ったうえに普段から人に危害を与えたことがなかったことも手伝って、アービィ個人に対する嫌悪感を持つ者はほとんどいない。

 ベルテロイから派遣されていた神父ですら、村を出る際には引き留めてくれたものだった。

 別れに際して、村での友人たちは涙で見送ってくれていたし、ほとぼりが冷めたらいつでも戻って来いとも言ってくれていた。

 

 南大陸から北の大地まで旅した中で、腰を落ち着けても良いかと思う場所は、ボルビデュス領を始めとしていくつもある。

 しかし、やはり育った村への郷愁は捨てがたいものがある。

 ルティにしてみれば、そろそろ老境にさしかかる両親を残したままだ。

 

 人狼の里がどうなっているかも、アービィは気掛かりだった。

 血縁関係などなかったが、インディビジュアリストであり、エゴイストな人狼たちにしては珍しく、群れで生活している集団だった。

 特段何かを協力するとか、個体間の繋がりが濃厚というわけでもなく、何となく集まっていただけなのだが、それが居心地の良い空間を作りだしていた。

 

 家を建てるわけではなく、獣化したままの狼の姿でいる本当の群れだった。

 彼らのテリトリーに人が迷い込み、そのときに空腹の個体がいれば人を喰らうこともあったが、積極的に村を襲ったり、街道で旅人を待ち伏せたり、町や村に人化して入り込み人を喰うような個体はいなかった。この点でも珍しい個体群だといえる。

 彼らであれば、積極的ではないにしろ、何かしらの協力を得られるかもしれない。アービィは漠然と考えている。

 

 アービィは、いずれルティと結婚するつもりだし、それはルティも同様だ。

 二人で食い物屋か酒場を開きたいというのが、アービィたちの夢だった。

 しかし、ティアの言う施設は、一人で運営できるものではない。

 

 相手が子供たちであれば、面倒を見る者が必要だ。

 ミルクなどないこの時代、おそらくは乳母も必要になるだろう。

 狼として育てるだけで良いのなら、乳母代わりに野生の狼の雌や、飼い犬の雌を連れてくれば済む。

 だが、人間として育てるというのであれば、狼や犬の乳で育てるというわけにはいかない。

 

 寄付だけで経営することは当然厳しいだろうし、公的な補助が受けられるとも限らない。

 当然のことながら、運営するためには、収入の手だても考えなければならない。

 いつまでも危険と隣り合わせの冒険者稼業を続けられるわけではないので、別の収入を得る手段は今から考えておくべきだろう。

 

 一定の年齢まで育てて、後は放り出してしまうのでは無責任に過ぎる。

 一人で生きていけるだけの、手に職を付けさせる必要もある。

 アービィたち三人だけでは、到底手が足りない。

 少しでも人狼に理解のある、フォーミットが最も適しているとアービィは考えていた。

 

 アービィとルティがいずれ結ばれた後、二人の間に産まれてくる子供は人狼と人間のハーフであり、子孫には人狼の血が引き継がれていく。

 アービィはティアの考えついた事業を、自分こそが主体になって進めなければと考え始めていた。

 

「僕たちの子供がさ、人狼の血を引いていることを恥じなくて済む世の中になって欲しいよね? 僕は、そうするための努力は惜しまないし、そうする義務があると思う」

 アービィは、意を決して言う。

 今までは、二人で一緒に暮らせたらいいね、安心して二人が暮らせる地を探そうね、だった。

 今、アービィは初めて『僕たちの子供』と、明確に言い切った。

 

 突然ルティの目から涙が溢れ、口は動いているが、言葉が出てこない。

 待っていた。

 待ち焦がれていた言葉だった。

 

 ルティは、アービィとの間に子供を作ることに、躊躇いはなかった。

 人狼の血を引いていようが、充分な愛情を注がれて育てられたなら、決して歪まない。

 目の前にいる伴侶が、それを証明している。

 

「あのさ……」

 ルティは、アービィが何か言おうとした口を、無理矢理塞ぐ。

 

「それが、誕生日の贈り物?」

 ルティはそう聞いてから、アービィにキスした。

 フォーミットを旅立ってから、二年の月日が流れていた。

 この夜、少年と少女だった二人は、大人の階段を昇った。


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