狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第71話

 冬が目前に迫り、遠くの山が白く染まり始めた頃、アービィは大荷物を荷馬車に積み込んで、ルティ、ティア、バードンとともにパーカホを出た。

 

 当初、風の神官も同行する予定だったが、冬に備えた畑の準備や家畜小屋の補強、家畜の飼料の保管作業等、すべきことが山積していたためパーカホに残ることになっていた。

 どの作業も重要だが、特に神官たちが重要視していたのが秋口に収穫したキャベツ、ハクサイ、ダイコン、ニンジン、ゴボウ、ジャガイモ、ナガイモ、タマネギといった野菜類を土に埋め、冬を通して利用できるようにすることだった。

 神官たちの指導で、個人宅では地面に掘った約1㎡、深さ50cm程度の穴に板を敷き、そこに野菜を並べて板を置いて土を被せている。その他に集落の其処此処に、小山のような即席の野菜貯蔵庫が作られていた。それは地面に麦幹を敷き詰め、その上に大量の野菜を積み上げて、周囲を傘のように麦幹で覆い、さらに30cm程の土を被せたものだった。

 生鮮野菜が極度に不足する厳冬期の北の大地では、ビタミンC不足から来る壊血病が脅威となっていた。

 この時代ではビタミンの存在や、その不足が壊血病を引き起こすことなどは当然知られてはおらず、生野菜の不足が原因という程度の経験的な知識しかなかった。

 南大陸の寒冷地では普通に行われている野菜の貯蔵技術が、北の大地に初めての安定した越冬をもたらしてくれそうだった。

 

 厳しい冬を越すために、南大陸からは急ピッチで食料を始めとした戦略物資が運び込まれ、パーカホを始めとする平野の集落や、山脈に築いた哨戒拠点に備蓄が進められている。

 これと平行して山岳地帯から続く街道の舗装と共に、雪避けの工事も進んでいた。もっとも、この時代の土木技術で完全な雪避けを造れるはずもなく、せいぜい道標になれば良いといった程度のものだったが。それでも厳冬期を除き、雪原を進まねばならない補給部隊にとっては、確実に避難小屋や集落への道を標してくれる心強い目印になるはずだ。

 工事に勤しむ兵を横目に、増援を求める伝令は、戻る頃には道標が役に立つようになっているかもしれないという思いを胸に、馬を駆けさせて行った。

 

 

「おい、狼。貴様、まさか俺の前で獣化する気じゃないだろうな?」

 バードンが御者台のアービィに声を掛けた。

 当面の目的が一致していたため協力はしているが、バードンは目の前で人狼が獣化した際に理性を抑える自信はなかった。

 

「大丈夫ですよ。みんなが出て行った後にしますって」

 アービィがのんびりとした口調で答えた。

 それが、さらにバードンの神経を苛立たせているが、アービィは気付いていなかった。

 

「蛇、貴様もだ。万が一にでも、俺の前で獣化してみろ。狼共々切り刻んでやる」

 ティアに対しても睨みつけるような視線しか向けていない。

 

「はいはい、解ってるわよ。どうせ、アービィに剣を潰されちゃうくせに」

 少々苛立っていたティアが混ぜっ返す。

 

 ティアにしてみれば、人狼の子供たちを救済する機関の設立について、バードンにも話をしてみようと思っていた。

 しかし、きっかけを作ろうにも取り付く島もないバードンの態度に、苛立ちを感じていた。

 もちろん、バードンの頑なさは理解していたので、その場の雰囲気を和らげることのできない自分に対する苛立ちも含んでいる。

 

「口の減らねぇ蛇だな。何で貴様が付いて来るんだ? そんなに狼が心配か? もう喰ったのか?」

 バードンがやり返す。

 

「喰うって……そんなことしたらルティに殺されるわっ! なんだったら、あなたを喰ってもいいのよ」

 ティアも負けじとやり返す。解ってはいるが、言われたままで黙っている気はない。

 それと、今まではなんとなくバードンを避けていたが、今後のことを考えると言いたいとは言ってしまった方が良いとティアは思っていた。

 

「ふん。てめぇなんぞに喰い尽くせるもんか。あんまり、お安く見るんじゃねぇ」

 バードンは魔獣如きに口ですら負けたくはなかった。

 

「じゃあ、試してあげましょうか? 今夜にで――ぴぃっ」

 言い返そうとしたティアにルティの拳が飛んだ。

 

「ぐーで殴ることないでしょ、ぐーでっ!!」

 涙目でティアが抗議する。

 

「黙って聞いてりゃ、あんたは。何が、試してあげましょうか、よ。どこでするつもりなの? 今夜は、野営です、野営。馬車の中でなんかおっ始めたら、叩き出すからね」

 拳を震わせてルティが言った。

 

「バードンさんも。聖職者じゃないんですか、仮にも。普段はもっと折り目正しいじゃないですか。どうしたんです、パーカホ出てからおかしいですよ。アービィとティアが原因だっていうことは解りますけど」

 返す刀でバードンも斬り捨てる。

 

「いや、申し訳ございません。狼や蛇を前にして、多少取り乱しておりました」

 バードンはルティに対しては素直に謝るが、射殺すような視線をティアとアービイに向けていた。

 

 ルティは、バードンはアービィを始めとした人狼に対して異常なまでの敵愾心を抱いているが、人狼と人の間にできた子供のことを悲劇と言っていたとアービィから聞いている。

 忌まわしい子供と憎まれ、嫌われた結果が、人間に対する憎しみや恨みを生んでいると、バードンは言っていたという。その悲劇の子供が成長し、同じ悲劇を繰り返す。それを断ち切るというバードンの決意も聞かされていた。当然、そこに両親の仇を討つという怨念が篭っていることも。

 この敵情視察の間に、じっくりバードンと話し合っておこう。ルティはそう思っていた。

 

 

 夕刻に山脈地帯の拠点、イーバに入ったアービィたちは、哨戒任務に就く兵から不死者の集落の位置とその集落から一日行程にある宿営地の位置を確認した。

 まさか一騎で不死者の集落を討つとは言えないので、緊急の医療品を運ぶという名目にしている。

 そこではバードンの神父という身分が、目晦ましに役に立った。

 

 夜半までイーバで過ごし、深夜山脈を降りて不死者の集落を目指す。

 馬車に取り付けられたカンテラは、内面に磨いた鉄板を貼り付けてあり、多少なりとも前方を照らす工夫がなされていた。

 もちろん、アービィの目には闇の中でもしっかりと障害物が映し出されており、手綱を通して馬に的確に指示を送っている。

 

 不死者は既に集落に戻らなければ結界の外で日光を浴びる時間帯なので、その襲撃を恐れる必要はない。

 同時に集落の防備に就けられている合成魔獣も、陽が昇るまでには集落に戻っている必要があるため、こちらの襲撃も心配することはなかった。

 やがて陽が昇り、アービィが拠点に考えている宿営地が見えてきた。

 

 

 ちょうどその頃、地峡に続く山岳地帯の麓で増援を求める早馬に行き合った増援を知らせる早馬は、パーカホに到着していた。

 到着後すぐランケオラータに面会し、あと数日で一個師団がパーカホに到着することを報告した。

 その報告を受け、ランケオラータはルムとプラボックを呼び、北大陸連隊司令部を召集した。

 

 

「パシュース殿下の発案で、ウジェチ・スグタ要塞が開放された。今までそこに配備されていた兵力全てが、北の大地の守りに就くそうだ。兵力は、四個大隊を基幹とする四個連隊が一個師団で、計四個師団、約四万だ。まもなく到着する一個師団は山脈の哨戒、後発の一個師団が補給と舗装を含む兵站担当、万が一に備えてウジェチ・スグタにも一個師団が置かれる。残りの一個師団は休養を兼ねて予備兵力だ。懸案だった舗装工事はある程度進められよう。来春の泥濘の時期にも、通行が可能になるかもしれない。そして何より、これで、ターバを見殺しにすることもない」

 ランケオラータが状況を説明し、いちいち伝令将校が補足をする。

 

「それでは、我々は前線での哨戒を当面の任務といたしましょう。引継ぎが完了次第、連合軍の指揮下に入ります」

 北大陸連隊司令部を代表し、戦務参謀が答える。

 一領主の私兵ではあるが、インダミト国民である以上、連合軍の中に入りインダミト部隊の指揮下に入るべきと、戦務参謀は考えていた。

 同時に捕虜として長期間北の大地に留まっていたボルビデュス領の兵や義勇兵を、南大陸に戻す良いチャンスだとも考えている。

 

 もちろん、北の大地で伴侶を得た者は残れば良い。

 そして残留を希望する者も、それは自由だ。

 どれほどの兵が残留を希望するかは実際募ってみなければ判らないが、一個師団相当の兵が補充される以上、一個大隊程度が帰還しても当面問題にはならないだろうと戦務参謀は考えていた。

 

 

「話が美味すぎるな。南大陸は、一体何を考えているんだ?」

 プラボックには信じられない思いだった。

 他人のために血を流すなど、余程の見返りがなければできるものではない。

 

「まあ、そう疑心暗鬼になるな。別に南大陸が、北の大地を征服しようなどと考えているわけでもなかろう。せいぜい、北の大地を南大陸の市場とする、といったところだろう?」

 ルムがプラボックに言い、ランケオラータに同意を求める。

 

「その通りだ。だが、ルム、甘く見ないほうが良い。バイアブランカ王は、北の大地を市場とする気だ。うかうかしていれば、経済を南大陸に握られてしまうぞ」

 ランケオラータが注意を促す。

 

 言うまでもなく、ランケオラータも北の大地を南大陸の市場とすることに反対していない。

 だが、急速な市場化は貧富の差を生み出し、政情不安の火種となりかねない。

 平和の内でしか繁栄できないインダミトにとって、北の大地が再度荒れ、南大陸が巻き込まれるようなことがあってはならなかった。

 決してお人好しでも、戦争を怖がるだけの平和主義でもなかった。

 

「解っているさ。そのためにヌミフとオンポックを南大陸に出したんだ。戦が一段落したら、俺ももう一度行く。そのときには、商売に明るい者を連れて行くぞ。せいぜい南大陸を利用させてもらうさ」

 ルムは短期間の間に、レイに付いて必死に経済を勉強していた。

 経済は、善意だけではどうしようもない魔物のようなものだが、上手く手懐ければ北の大地は間違いなく富む。

 詳細な打ち合わせは軍人同士でしてもらうとして、伝令将校と北大陸連隊司令部を下がらせ、プラボックはアービィたちに思いを馳せた。

 

「大丈夫かな……よし、アービィを呼び戻そう。連合軍と彼が鉢合わせすると拙い」

 プラボックが言った。

 人狼に対する恐怖は、南大陸の住人の骨の髄まで染み込んでいる。

 下手にアービィと連合軍が鉢合わせでもしたら、どちらかの血を見ずにはすまないだろう。

 通常の武器しか持たないのであれば、健脚にものを言わせてアービィが逃げ切るだろうが、祝福法儀式済みの武器を携えているとあってはそうもいかない。

 

 遠距離から矢を射掛けることも可能だからだ。

 おそらく、アービィが反撃することはないと考えられるが、万が一、その場にルティが居合わせて彼女に傷を負わせるようなことでもあれば、巨狼が牙を剥くことは確実だった。

 未だにハイグロフィラとカトスタイラス領の軍に、アービィの正体を明かしていない理由もそこにある。

 折を見て司令部通達で知らせるつもりでいたが、安易に噂を広めるような真似は却って危険と判断し、棚上げのままになっていた。

 

「伝令を出そう」

 ランケオラータが即答する。

 

 ルムと共に南大陸へ戻る際、魔獣の襲撃を受けたときの護衛であれば、アービィの正体を知っている。

 現在その者たちは山脈で哨戒任務に当たっているため、彼等に書簡を渡せば間に入る伝令兵に余計なことを言わずに済む。

 司令部付きの当番兵を呼び、早馬の準備を命じ、人選は司令部に一任した。

 

 ルムの家に来た伝令兵に、ランケオラータはアービィ宛の撤収命令の書簡を書き上げ、厳重な封をして渡す。

 兵は命令を復唱したが、書簡の内容を聞くこともせず、早馬を駆って山脈を目指し去っていった。

 

 

「ねぇ、アービィ、これ、何に使うの? こんなところに炬燵でも置くつもり?」

 ルティが粉末炭の詰まった大袋を指して言った。

 陽が高いうちに無人の宿営地に荷を置いたアービィは、食料の他に持ってきた物を確認している。

 30リットルは入ろうかという大袋に詰められた粉末炭は、湿気を吸わないように厳重に油紙で包まれていた。

 その袋が六つ、営舎の床に並べられている。

 

「うん、バードンさんにも来てもらえることになったから。急いで詰めてきたんだ。炬燵用の炭団は別に持ってきたよ。さすがに、今来てすぐ帰るんじゃ辛いでしょ。一晩、ゆっくりして行ってよ。明日、みんなが帰る前に一度戻ってくるから、その時に手伝って欲しいことがあるんだ」

 荷物を整理しながらアービィが言った。

 

 一度獣化したら撤収までそのままのつもりでいたが、念のためにレーション数日分を持ってきている。

 その他にも獣化したまま食えるようにと、干し肉も一樽持ち込んでいた。

 その他、気休め程度に蒸留酒も二本持ってきている。

 

 ランケオラータが考えた麦芽の乾燥に泥炭を利用したものだった。 アービィは、その話を聞いたときに、異世界でのスコッチを思い出していた。

 当然熟成が必要だが、若い酒でも飲んでみようと思ったのだった。

 

 ランケオラータの前では食料がなくても平気とは言っていたが、やはりあるに越したことはない。

 いざとなれば大型の角を持つ草食獣、カリブーに似た獣を狩れば良いとアービィは考えている。

 そのまま腸ごと食ってしまえば、完全栄養食に近い。

 

 馬車から分解した炬燵を降ろし、営舎の食堂に使えそうな部屋の中心に火鉢と共に設置する。

 炭団に着火し、火鉢に入れてから炬燵布団代わりに毛布を被せ、天板を置いた。

 

「いい、ティア、もう炬燵で獣化しちゃだめだからね。バードンさん、蛇が隠れて獣化していたら、構わず刺してやって下さい。じゃ、ちょっと行ってくるから。炬燵で待っててね」

 アービィは瞬時に獣化し、ティアとバードンが咎める暇もなく営舎を飛び出して行った。

 

「あの狼、何考えてやがる。今なら俺が剣を抜く前に噛み殺せただろうに」

 呆気に取られたバードンが毒づいた。

 

「ま、ああいう人ですから、あの狼は。ところで、炬燵に当たりませんか?」

 ルティがアービィの荷物から酒瓶を抜き出して声を掛ける。

 ルティにしてみれば、バードンの戦闘力ではアービィを傷付けるなど適わないことは解っている。

 アービィに対して異常なまでの敵愾心を剥き出しにしているが、人の姿のときに剣を向けていないことも知っていた。

 

 そして、自分に対しては敵意を持っていないことも。

 一度、じっくりと話し合ってみる必要があると、ルティは常々考えていた。

 今回は、その良い機会と思ったのだった。

 

「そういうことよ。いいじゃない、一度じっくりと話してみたかったんだ、あなたと」

 ティアもアービィの荷物から、もう一本の酒瓶を抜き出し、営舎の中からグラスを探し出してきて炬燵に潜り込んだ。

 

 ティアと向き合った位置にバードンのグラスを置き、蒸留酒を注ぐ。

 不貞腐れたような表情のバードンが炬燵に入り、黙ってグラスを掴み、中の液体を一気に喉に流し込む。それを見たルティが、長い、長い物語を語り始めた。

 アービィがフォーミット村の入り口に立っていたこと。八歳から十八歳までの毎日のこと。魔獣と野盗の襲撃。そして旅立ち。

 

 ティアとの出会いからは、ティアも語り始めた。

 レイやレヴァイストル伯爵との出会い。魔獣が人に初めて認められた喜び。アーガスの独走とランケオラータ救出。

 メディとの出会い。わずか二年足らずの出来事なのに、話すことは山ほどあった。

 そして、アービィの本当の正体。

 

「それは、真の……」

 アービィが異世界から連れ去られたという話を、バードンはこのとき初めて聞いた。

 言いかけてバードンは言葉を飲み込む。

 ルティの目は嘘を言っている目ではない。

 

 頭の中が荒れ狂っていた。

 何たる悲劇。何たる理不尽。

 言葉では言い表せない怒りが渦巻いている。

 

 バードンにとって人狼は、不倶戴天の敵だ。

 忌むべき怨敵だ。

 アービィ個人を憎んでいるのではない。

 人狼という生物種を憎んでいる。

 

 ルティから伝え聞く話では、アービィがいたという異世界は、この世界より遥かに発達した文明を持ち、空すら人間の行動範囲に収めているという。

 そして、アービィが暮らしていた国は、戦争どころか人殺しの犯罪すら珍しい、平和な国だという。

 夜道は明るく、一人歩きに不安もない。

 そんな世界から、何の前触れもなく、当然承諾もなく連れ去られ、人狼に封じ込められた。

 これ以上、許しがたい暴挙を、バードンは知らない。

 

 もし、ルティと出会わなかったら、アービィという個人がこの世界でどのような人生を送っているか、想像に難くない。

 忌み嫌われ、憎まれ、憎み返し、人を恨んで喰らい尽くす、狂気に染まった人生になっているはずだ。

 

 

「どうです、これでアービィが危険な人狼ではないということは、お解りいただけたと思います。育つ過程で充分な愛情があれば、人狼といえど、普通の人生を送ることができるんです。人を喰らおうなどという発想すら抱かず」

 まだ語りつくしてはいないが、ルティはそこで物語を終えた。

 バードンは言葉が出てこない。

 己の価値観が、崩れはしないが変わってしまいそうな、恐怖にも似た感情に囚われていた。

 

「あなたはアービィに言ったらしいわね。『親も不幸なら、そんな生まれ方をした子供も不幸だ。迫害され、呪われ、醜く歪み、人を呪う。呪われれば呪い返すだろ。それが次を生み出す。そんなもの断ち切らなきゃならない』って」

 ティアが言った。

 バードンは無言で頷く。

 

「迫害されず、呪われずにいれば、アービィみたいにまっすぐに育つわ。彼は人を呪っていない。呪われていなければ、呪い返すこともない。もっとも、彼が呪うとしたら、この世界に攫った相手か人狼に封じ込めた相手だけど、彼はそれすら呪っていないわ。だから、あたしは気付いたの。疎まれて生まれ、捨てられた子供たちも充分な愛情を注げば、歪まない。それでも断ち切れるのよ」

 ティアは、人間と人狼の間に不幸にしてできた子供の受け皿を作りたいという構想を語った。

 

「あなたの方法が間違っているとは言わない。人を喰らうことを覚えてしまった人狼は、狩るしかないものね。でも、その不幸な子供たちがあなたに狩られるまでに、どれほどの不幸の連鎖を作ると思う? 生まれてすぐ引き取って、疎まれたり、憎まれたりせずに育てれば、不幸の芽を生むこともないわ」

 黙ったままのバードンにティアは畳み掛けた。

 

「そんなことを、俺が、この俺が、許すと、思うか?」

 一言ずつ、区切りながら、己の信条を確認するかのように、バードンは言葉を絞り出す。

 理性ではティアの言うことも理解できていたが、感情が許さなかった。

 

「人狼が俺の前を歩く。俺の両親を食い尽くした相手が、俺の目の前を歩くことなど、許せると思うか? 貴様は、人狼の子供を集めて、人に対して軍を起こす気か?」

 そんなことになれば、人は滅ぶ。

 バードンがいくら奮戦しても、一頭狩る間にどれほどの人間が喰らい尽くされるか、考えるだけでも恐ろしいことだった。

 そんなことは許せるはずもない。だが、ティアの言うことも理解できたし、アービィという個人が証明している。

 

「いいわ、どう思おうと。あたしは、人に認められたことが嬉しかった。いらない、いてはいけない存在だと思っていたけど、そんなあたしが認められた。人狼だって――」

 

「黙れ。黙れ、ラミア。それ以上、言うなら、斬る」

 叫ぶでもなく、だが、有無を言わせぬ口調でバードンがティアの言葉を遮った。

 

「いいえ、黙らない。斬りたければ斬れば良い。でも、斬り裂かれる前にこれだけは言わせてもらうわ。人狼だって、真っ当に生きていれば認められる世界であって欲しいのっ!!」

 その瞬間、バードンの剣が奔り、ティアに打ち下ろされた。

 あまりの早業にルティは動けずに、息を呑んで見ていることしかできなかった。

 ティアは目を閉じることなく、バードンの剣を避けようともしない。

 

 

 ティアの額に髪一筋ほどの距離で止められた剣は、そのまま振り切られることなくバードンの鞘に収められた。

 剣を抜いた際に跳ね上げられた炬燵を直し、散らかったグラスと酒瓶を拾い、三つのグラスになみなみと蒸留酒を注いでそれぞれの前に置いた。

 

 そのままバードンは無言で飲み始め、それ以降何度話しかけても言葉を発することはなかった。

 だが、ルティとティアのグラスが空きかけると、無言で蒸留酒を注ぎ足している。

 ほどなくして二本の酒瓶は空になったが、バードンは自分の荷物から隠してあった酒瓶を抜き出し、それを三つのグラスに注いだ。

 ルティとティアは、バードンが聞いていること気配で感じ取り、これまでの旅のことをまた話し始めた。

 やがて、ティアの呂律が怪しくなり、いつの間にか寝息を立て始める。

 

「バードンひゃん、手伝っへ。このまま寝ちゃら風邪引く」

 充分呂律が怪しくなったルティがよろめきながら立ち上がった。

 バードンは無言で立ちあがり、ティアを抱えて寝室へ運び、作り付けのベッドに横たえて毛布を被せた。

 終始、丁寧な振る舞いで、魔獣に対する荒々しさなど感じさせはしなかった。

 

「ルティ殿、あなたも、もうお休みになったほうがよろしいのでは? 明日は、狼が戻って来るのでしょう?あの口振りでは、何か私たちにもすることがある様子」

 それだけ言うとバードンは別室へ下がり、内側から鍵を閉めた。

 

 

 翌朝、頭痛に悩まされる二人と、寝不足からか真っ赤な目をした一人は炬燵で朝食を摂っている。

 三人とも終始無言で、レーションを温めただけの簡素な朝食を終えた。

 決して重苦しくない静かな朝が流れている。

 やがて、扉の外に巨獣の気配が感じられ、やや遅れてアービィからの念話が届く。

 

――みんな、起きてる? 手伝って欲しいことがあるんだ。あと、一緒に来て欲しいんだけど――

 ほとんど疲れを感じさせない脳天気な念話だった。

 三人が扉を開けると、全身血塗れの巨狼が立っていた。

 

「どうしたの!?」

 ルティが心配そうに訊ねる。

 もちろん、その血は合成魔獣の返り血で、巨狼には傷一つ付いていない。

 

――うん、ちょっと邪魔な魔獣を片付けてきた。不死者もある程度は片付けたんだけど、時間がなくてね――

 事も無げに巨狼が答える。

 

 昨晩、日没と同時に不死者の集落に踊り込んだアービィは、侵入者に気付いたキマイラを瞬時に噛み殺していた。

 群がる不死者を噛み裂き、飛び掛ってくるマンティコアやサイクロプスの喉笛や腹を牙で食い千切った。巨狼に恐れをなした不死者たちが、日中眠るための堅牢な社に逃げ込むのを確認した巨狼は、集落を逃げ惑う合成魔獣を片っ端から噛み殺していった。一つの集落での殺戮劇が終わると、巨狼は不死者たちが立て篭もる社には目もくれず、次の集落へと駆け去っていった。

 同じようにもう一つの集落を叩きのめした巨狼が、もう一つ残された集落へ向かおうとしたときに朝が訪れ、巨狼はルティたちが待つ宿営地へと戻ってきたのだった。

 

「まぁ、よくも軽々と。あんた一頭いれば軍なんか要らないんじゃないの?」

 ルティが呆れながら言う。

 

――でもさぁ、ドキドキだったんだよ。いつあの白い光が出るか。それで集落の周りの魔法陣壊すのに時間掛かっちゃってさ。本当は三つとも潰す気だったんだけどね――

 グレシオフィが魔法陣の異常に気づいたときは、既に一つ目は壊されていた。

 いつ二つ目に来るか、残されたどちらに来るかと構えてはいたが、魔法陣の外周から丁寧に削り取っていった巨狼に手を出すことはできなかった。

 魔法陣の中に入っていれば、何が来たかも分かるし、転生呪法を発動させることもできたが、外側からやられてしまってはどうしようもなかった。

 

「それで、手伝いって何をすればいいの?」

 ティアが頭を抱えつつ聞いた。

 

――うん、粉末炭の袋を、四つ僕に背負わせて。で、また降ろして欲しいんだ。あと、ちょっと試してみたいことがあるんで、僕は獣化したままね――

 バードンがいることは承知でアービィは姿を見せていた。

 剣を抜くようであれば、前回同様噛み潰すだけだと思っていたが、今日はバードンの様子がおかしい。

 

 思いつめたような表情のまま、粉末炭の袋を担ぎ出し、それをアービィに背負わせた。

 剣を抜くことはなかったが、袋を叩き付けるようにアービィの背に乗せ、ロープで括るときには必要以上に締め上げている。

 アービィは、痛いやら苦しいやらだったが、とりあえず文句は言わずバードンのするがままに任せていた。

 

――じゃあ、行こうか。今日は二つ潰しておこう。乗って。時間が勿体無いから――

 アービィはそう言って身体を低くし、三人が乗るのを待つ。

 暫く考え込んでいたバードンが乗ったところで歩き出し、数歩進んだところから一気に駆け始めた。

 

 

 巨狼と共に三つの影が動いている。

 既に陽は高く登り、初冬の穏やかな日差しが差していた。

 集落の中に音はなく、動くものの影もない。そこには凄惨な光景が広がっていた。

 喉を食い千切られ、皮一枚でかろうじて首が繋がっているキマイラやマンティコア、腸を撒き散らし苦悶の表情で絶命しているサイクロプスの死体が転がり、胴を真っ二つに切断された不死者がふた握りの灰になって、其処此処に固まっている。

 地面には合成魔獣のものと思われる血溜まりが点在し、初冬の乾燥した空気に水分を奪われ粘ついた表面にしわが寄っていた。

 

「よくも、これだけ派手にやったわね。人を連れてくるんなら、もうちょっと綺麗にしておきなさいよ」

 またルティが呆れ顔で言った。

 

「それで、これをどうすればいいの?」

 ティアが炭袋を叩きながら言う。

 

――あそこに社があるでしょ。あの中に不死者が隠れてるんだ。扉を叩き壊すから、そしたら炭袋を二つ放り込んで――

 アービィが指示を出す。

 30リットルの粉末炭は、それなりの重さになる。

 ルティとティアで一つ、バードンが一つ投げ入れることになった。

 

――いい? 投げ込んだら、すぐ逃げてね。扉の近くだけじゃなく、窓の前も危ないから。となりの建物まで逃げてよ――

 アービィは、そう言うや否や、社の扉に頭から突っ込む。

 盛大な破壊音と共に扉が内側に弾け飛び、裏側にいた数体の不死者たちが巻き添えで身体を打ち砕かれた。

 

 間髪を入れず、粉末炭の袋が放り込まれ、バードンが、ルティが、ティアが入り口や窓を避けて身を隠す。

 その間にアービィが『風刃』の詠唱を完了させ、袋を切り裂き粉末炭を宙に舞わせる。続いて『強風』を唱え、宙に舞った粉末炭が社の隅々まで送り込まれ、空間を満たした。アービィが『大炎』を社の中に叩き込んだ瞬間、大爆発が起こり、扉と窓から爆風に煽られた炎が噴出した。

 日光を避けて社に身を隠していた不死者たちは、爆発に巻き込まれ灰すら残さず消滅した。

 

「何だ、何が起きたんだ!?」

 『大炎』程度で社の中に潜む不死者全てを、痕跡すら残さず消し去るほどの爆発は起きないはずだ。

 いかにマ教の神父が黒の呪文と無縁とはいえ、バードンにもその程度の呪文の知識はある。 

 今の爆発は『爆炎』の炎すら、遥かに上回っていた。

 

――粉塵爆発といいます。細かい粉末の可燃物が空間に充満した状態で火を着けると、一粒ずつが燃え上がるんですけど、それが瞬間的に連鎖で全部に火が着いちゃうんですよ。粉末の濃度が薄くても、濃過ぎても爆発しないんですけどね。一瞬で燃えちゃいますから、不死者たちは苦しむこともないと思います――

 扉から吹き出した爆風をまともに浴び、煤だらけになった巨狼から念話が届いた。

 

「恐ろしい威力ね」

 呆然としたまま、ティアが呟く。

 

――爆風の逃げ道がないと、建物全体が吹っ飛んじゃうんだ。だから扉を壊して爆圧の逃げ道を作っておいたんだよ。窓からも抜けるからね。危ないって言ったのはそういうわけ。さ、もう一つ行こうか――

 説明しているアービィに、ルティが剣を抜いて近寄った。

 

「あんたは、なんで、いつも、危ない、真似、ばかり、するのっ!!」

 一言ずつ、峰打ちに持ち替えた剣をアービィに打ち下ろす。

 

――爆発は男のロマンなんだよぉっ!! ああっ、ごめんなさいっ!! いやぁっ!! 痛いっ!!――

 必死に逃げ惑いながら、アービィが謝り、ルティがそれを追い回す。

 

 傍目にはじゃれ合うようにしか見えない巨狼と人間の女を眺めながら、バードンは獣化した人狼を前にして剣を抜いていない自分が信じられなかった。

 理性では目の前の巨狼に危険がないことは理解している。しかし、人狼に対する骨身に染み付いた感情が納得していない。同時に、この人狼に対しては、剣を振りかざしてはいけないということも、直感が告げている。

 バードンは、自分の感情を持て余していた。


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