狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第70話

 北の大地の短い夏が終わり、季節は急速に秋から冬へと移行する頃、最北の蛮族を統べるグレシオフィは、焦燥感にも似た想いに包まれていた。

 戦略にいくつかの齟齬が見られている。こんなはずではなかったとの思いが強い。

 

 中央の民が山脈の民を蹂躙しかけたところまでは、グレシオフィの敷いた路線通りだった。

 その期に乗じて山脈地帯に不死者の群れを送り込み、一気に中央と山脈を我が物とするはずだった。

 だが、中央の制圧が不完全で不死者の拠点が足りず、山脈まで不死者を送り込むことができなかった。

 

 そのうえ、ターバを拠点とする中央の民に阻害され、それ以上の拠点構築が進んでいない。

 確かに不死者たちは通常の武器で傷付けることは適わないが、不完全であるために火に対する抗堪性が低かった。

 幾度かの戦闘でそれに気付いたターバの民は、新たに構築された不死者の拠点を日中に魔法陣を崩したうえで焼き払うという手段で抵抗を続けている。

 

 そして、合成魔獣の生産が遅々として進んでいない。

 人間を原料としたサイクロプスのような魔獣は、それほど時間も掛からず生産できていたが、それ以上に強力で操りやすいキマイラやマンティコアのような魔獣は、それぞれ材料となる生物に不足をきたし、まだ数十体しか生産できていなかった。コッカトリスやバジリスクといった合成魔獣もいるにはいたが、知性が低すぎて充分な調教ができず前線に投入するには危険が伴う。

 何故なら、術者から離れすぎると操縦が難しくなり、戦場のような混沌の中で一旦術者の支配下を離れてしまったものは制御不能になり、敵味方関係なく襲い掛かるという重大な欠点を持っていたからだった。

 そのうえ、コッカトリスとバジリスクの持つ石化能力は確かに強力だが、生物としての強靭さはそれほど高くない。

 

 当初は不死者の拠点を徐々に山脈近くに構築し、移転呪文で山脈に送り込むはずだった。

 そして尺取虫が進むように、一足飛びに平野部に雪崩込み、ここを占領した後は南大陸を責め滅ぼすだけの戦力を蓄える。

 それが、グレシオフィが描いた戦略だった。

 

 だが、合成魔獣を人狼に一度殺し尽くされたのが響いている。

 現状では不死者の拠点三ヶ所の防備で精一杯だった。

 以前であれば移転呪文で南大陸まで跳び、魔獣の材料となる動物を南方から集めることもできていたが、平野部の警戒が厳しくなって以来ここを抜くことは困難になっていた。

 

 移転呪文は、跳ぶ先の明確なイメージを脳裏に描くことが必要で、中途半端なイメージではどこに跳ぶか分からない。

 下手をすれば時限の狭間に弾き飛ばされ、二度とこの世界に戻れなくなってしまうかもしれなかった。

 そのためイメージしやすい地形や集落を目標に跳んでいたため、途中いくつかの集落周辺に出現してしまうので、平野の民の目に触れる可能性が高かった。

 

 さらには最北の蛮族の中にも、不死者への転生を拒んだ部族もある。

 全てを不死者に転生させてしまっては、日中グレシオフィを守る盾がなくなってしまう。

 日光を恐れる必要のない、グレシオフィと同等の力を持つ完全な不死者ばかりにしては、これを従わせることも多大な労力を必要とする。

 従って、完全な不死者は自分一人で良いとグレシオフィは考えている。

 そして、自らに従順な部族からは望む者たちを、服従を拒む部族はほぼ強制的に、不完全な不死者へと転生させていた。

 

 不死者と生者を比較した際、動きの素早さを除いて不死者が全ての身体能力において勝っている。

 服従を拒む部族に対しては、この圧倒的な力を以って反乱を抑えていたが、日中に不死者の拠点を襲われては簡単に殲滅されてしまう。

 このため従順な部族から不死者の拠点守備に、生者を残しておく必要もあった。

 

 問題は、グレシオフィに服従せず、不死者への転生も拒み続けている部族だった。

 その人数や集落の数は少ないとはいえ、一気にこれらを不死者に転生させることは不可能だ。転生邪法の魔法陣で集落を囲もうにも、既に不服従の集落を魔法陣で転生させていたことが知られていた。彼らも必死に防戦に勤め、未だ全てを陥落させていたわけではない。

 もちろん、不死者の拠点を突かせることもグレシオフィは防いでおり、お互いに一進一退の攻防が続いていた。

 

 これらの問題を孕みつつも、中央の集落を一つずつ落してはいたが、ターバを中心にした集落群を落とし切るまでには至っていない。

 グレシオフィの軍勢は緒戦こそ連戦連勝だったが、不死者の弱点に気付かれてからは苦戦が続いている。

 だが、食料の補給を必要とせず、日光こそ弱点となってはいたが身体を休め疲れを取るための休息を必要としない不死者と、食料も休息も必要とする生者とでは、戦が恒膠着状態に陥ればどちらが有利か考えるまでもなかった。

 

 山脈地帯を通して食料の補給は細々と続けられていたが、平野の民たちに中央に残った民の腹を完全に満たすほどの食料の余裕はまだなかった。

 輸送手段に馬車を持ち込んでいるとはいえ、多くの戦略物資を抱えて動きの鈍い補給部隊は、不死者たちや合成魔獣の群れにとって格好の標的となっていた。

 補給作戦に従事する北大陸連隊の苦闘は無駄ではなかったが、最北の蛮族と中央の民の境界線は、じわじわと南下している。

 

 厳冬期になり、完全に雪に閉ざされる時期になってしまえば、補給は困難だ。

 しかし、いかに不死者や合成魔獣といえど、雪という物理的な障害を無視できるものではなかった。

 互いに雪が全てを覆い尽くす前に、少しでも前線を推し進めようと、躍起になって苦しい戦いを繰り広げていた。

 

 

「まずいな。いよいよ中央に残ったあなたの同胞たちを救い出さなければならない」

 ルムが苦渋に顔をしかめて言った。

 山脈に哨戒部隊が展開を終え、補給部隊も南大陸との往復を始めてから三十日ほどが過ぎていた。

 

「だが、彼らがいなくなれば、中央は不死者で溢れ返る。まだ、彼らには踏ん張ってもらわなければ困る」

 ルム以上に顔を歪めたプラボックが、言葉を絞り出した。

 

「それは承知のうえだ。だが、彼らを見捨てた指導者に、民が付いてくると思うか?」

 ルムはプラボックに決断を求める。

 

 ターバを中心とした集落は、最北の蛮族の喉下に突きつけられた剣にも例えられる。

 これを放棄することは、中央を完全に不死者の庭にすることに他ならなかった。だが、ルムにしてみれば、彼らを捨て駒として使い潰すなど、思いもよらないことだった。そんなことをしてしまっては、ようやく信頼関係を築きつつある中央の民との間に、再度亀裂を生じかねさせない。

 プラボックにしても同胞を見捨てたとあっては、他の中央の民から指導者として見限られてしまうかもしれないという危惧がある。

 

 南大陸に尻尾を振り、自分は安全圏に篭って仲間を見捨てたなど、指揮官にあるまじき振る舞いだと断じられても仕方なかった。

 戦略上、大の虫を活かすために小の虫を殺さねばならないときは確かにあるが、それは今ではないとルムは考えていた。

 もちろん、非情に徹しきれない自分たちがいることを、理解したうえのことだ。

 

「解っている。解っているが。何故、我らが山脈を聖域化できていると思う? もし、ターバを失うことになれば、容易に山脈の麓に不死者の拠点ができる。そうなれば、山脈は脆い。退かせるわけには、いかん」

 プラボックは血を吐くような思いで言った。

 今のところ、山脈に築いた拠点から一日の行程に、不死者の拠点は作らせていない。

 もし、一日の圏内に拠点を築かれてしまえば、合成魔獣と不死者が同時に山脈に雪崩れ込む。

 

 

「この戦乱が我らの勝利で終わったなら、俺は喜んで裁きを受けよう。ターバを中心とした民たちの、な」

 プラボックの気迫に圧倒され、ルムは返す言葉がなかった。

 

「ルム、ほんの少し前のことだが、お前と争っていた頃は幸せだったな。いや、中央の民同士が争っていた頃と、言い直そう。あの頃は、身内のことだけ考えていれば、それだけで良かった。今は、家族の仇の身すら案じねばならん。民を治めるということが、こんなに恐ろしいものとは、思いもよらなかった」

 プラボックが苦しい胸の内を開かす。

 

「全員が、集落を枕に討ち死にしたいと、思っているわけではなかろう? 子供たちや女たち、年老いた者たちだけでも逃せんか?」

 ルムは指導者の面子など気にしていない。

 それではいけないことも承知で、彼らを見捨てることに抵抗を感じていた。

 

「ルム、お前の思いはよく解るし、昨日まで敵だった我らが同胞を思い計ってくれる気持ちはありがたく思う。だが、何故彼らがあの地に留まっているかも、考えて欲しい。渡したくないのだ。互いに力の限りを尽くし、力及ばず地を追われるならば、それも運命と受け入れよう。しかしだ、最北の蛮族どもは、奴らの同胞どころか、我らが同胞の命すら弄んだ。そして、同胞相討つ。これでは引き下がれん」

 退かせられるものなら退かせたい。

 これかプラボックの本心だ。

 だが、中央に残ろうとする彼らの気持ちも痛いほど解っていた。

 ルムは我が身に翻って考えれば、それはその通りだと納得できる部分がある。

 

「しかし、このまま手を拱いていても、被害ばかりが増えるだけだ。俺たちだけで話し合っていても埒が明かん。ランキーやアービィ殿にも意見を聞こう」

 ルムはそれでも救出可能な人間だけでも救うべきと思っている。

 

 彼らなら、一も二もなく救出するというだろう。

 それはルムもプラボックも分かっていた。

 

「そうだな。全体の戦略に関ることだ。彼らの意見も入れねばなるまい」

 プラボックは同意した。

 仮に、中央に残った民を切り捨てることを認めさせるにせよ、その後の戦略に影響がないわけではない。

 それを踏まえて以後の戦略を練らなければならないからだ。

 

 

 ランケオラータとアービィが呼ばれ、再度中央の民救出に付いて意見が交わされた。

 

「降伏を認められる状況であれば、中央に残しておいても良いと思うんです。でも、あの敵に降伏することは、皆殺しと同義。いえ、それ以上に敵に兵力を、不死者の軍を作らせるだけです。これでは、降伏などできるはずもないというのが、残っている方々の考えでもあるのではないでしょうか」

 アービィは決めかねている。

 救い出すにも、援助を続けるにも、今のままでは兵力が足りなすぎる。

 

「俺は、残すべきだと考える。非情と取られるかもしれんが、中央に打ち込まれた楔として、最大限利用せねばならない。後でいかなる誹りを受けようと、ターバを失うわけにはいかん。その代わり、これを全力で支える。幸い、春からの畑の改良や、神官殿たちの労のお陰でもあり、食料の生産能力はかなり上がっている。それに、街道の舗装は途上とはいえ、南大陸からの輸送も今のところ順調だ」

 ランケオラータは北大隊連隊長や幕僚から、時間がある限り軍事についてのレクチャーを受けている。

 そのせいか、最近考え方が軍人に近くなってはいるが、素人の思い付きでもなくなってきた。

 

 南大陸からの物資輸送も軌道に乗り始め、冬が訪れる前にかなりの物資を備蓄することはできそうだった。

 それを必要量中央に振り向ける。多少平野の食料が不足気味となるが、それでも前の冬よりは遥かにマシな越冬ができそうな見積りだった。

 

「確かに、今ここで退くことは、山脈の防衛体制に大きな不安が出ることは解っている。それに、プラボック殿が言うように、父祖の地を離れ難いということも。だが、非戦闘員まで残しておく道理はあるまい?」

 ルムは、せめて戦闘に携らない、無力な民だけでも救出できないかと言い募った。

 

「それも解るんだが、ルム。戦闘は戦士の仕事だが、戦とは総力戦なのだよ。戦士のみで行うことはできない。後方の備えが全くなくなっては、戦士は戦えんぞ」

 プラボックが言った。

 

 補給を含め、傷ついた戦士の治療や回復のための施設や人員、武具の補修や増産、数え上げれば切りがないほど、直戦闘以外にも戦争遂行のためには人員が必要だった。

 それこそささくれ立った戦士の心を癒すための家庭や、恋人、それらを持たない者たちのための慰安施設としての娼館まで。

 形はどうあれ、非戦闘員だからといって戦争に参加していないわけではない。

 そして、そのための人員はモノを飲み食いしないというわけではない。

 

「じゃあ、こういうのではいかがですか? 戦闘行為に耐えられない年配者や子供たちは、半強制的に平野部へ移住。後方支援に就く女性や年配者、若輩者は希望者だけ移住する。少なくとも、確固たる意志を持って戦闘に参加する者、支援する者は残っていただきましょう。言い方は悪いのですが、ターバや中央で取り残された集落にいると、足手纏いになるような無力な方々には、残る人たちに安心していただくためにも平野に避難していただく。これでどうでしょうか?」

 アービィが折衷案を出した。

 

「アービィ、素晴らしい案だ。と言いたいが、ターバだけでも無力な者たちが数百人はいるんだ。中には自力で歩けない者だっている。北大陸連隊の総力が千二百。山脈の哨戒部隊と補給部隊全てを投入して、千二百だぞ。とてもではないが守り切れん。そして、何度もやれるほど余裕もない」

 ランケオラータが残念そうな面持ちで言った。

 

「ですが、ランケオラータ様。冬になれば補給が滞ることは判り切ったことです。対して、敵は補給など必要なく、厳冬期でも多少雪に阻まれるとはいえ、自由に動くことができます。そのうえ、冬は夜が長い。今までより攻撃圏が広がり、攻撃できる時間も長くなります。雪に閉ざされる前に全員を避難させないと、この冬が開けたときにはターバが不死者の集落になっていたなんてことになりかねません」

 アービィが最も不安な点を突いた。

 

 誰もが解っていた。

 それ故に、石畳の舗装を後回しにしてでも、ターバへの補給を強行していた。補給自体は兵たちの努力により滞ることはなかったが、舗装作業は遅々として進んでいない。だが、ターバが自力での食料調達が難しくなっている以上、最優先はターバへの補給だった。数が少ないとはいえ合成魔獣がうろつき始めた中央は、不死者が夜しか行動できないとはいっても安全な地ではなかった。

 しかし、それを承知のうえでターバには踏ん張って欲しかった。

 紛糾した話し合いは結局妥協点の擦り合わせに終始し、ターバへの補給部隊が少数の無力な人々を、希望者のみ連れ戻るということで落ち着いていた。

 

 

 この時点で、パシュースがウジェチ・スグタ要塞の兵力を北の大地に送る提案は、駐在武官だけではなく各国からも賛意を得ている。

 だが、出師準備を急ピッチで整えていることを、アービィを始めとした北の大地にいる者たちは、まだ知らされていない。

 

 現在、ウジェチ・スグタ要塞には、南大陸四ヶ国からそれぞれ一個師団規模の軍勢が常駐している。

 近衛師団が二個大隊を基幹とした二個連隊で構成されていることに比べ、それぞれ四個大隊を基幹とする四個連隊を擁し、総兵力は四万に近い。当初は国民感情を考慮して、ラシアスの軍だけはウジェチ・スグタに残る予定だった。

 しかし、要塞司令官ラルンクルスはこれを北の民への見方を変える好機と捉え、ラシアス軍の派遣も決定した。

 

 各国師団四個連隊を一つは北の大地最前線へ、一つは補給部隊として、一つは万が一に備えた要塞防備、残りの一つは休養とローテーションを組んで対応することに決していた。

 国単位でローテーションを組んだ方が連携は取りやすいかと思われたが、現在北の軍に展開している軍はインダミト貴族の私兵だ。どのグループにもインダミト国軍が入っていた方が、なにかと都合が良いと判断されていた。

 また、ラシアス国軍が万が一突出やサボタージュしないとも限らない。その抑えとなるように連合軍である方が安心できるという点もあった。

 

 既に常時臨戦態勢にある要塞では、内示を受けてから数日で軍の出師準備そのものは完了していた。

 だが、約四万名分の武具に精霊の祝福法儀式を施すという作業は、それなりの日数が必要であり、先発する師団から火の神殿へ行くことになった。

 その先発師団が火の神殿からウジェチ・スグタ要塞に戻るまでには、出師準備完了から四十日を必要としていた。

 

 この後も急ぎ残りの師団の武具に祝福法儀式を施す必要があったので、地水風の神殿から神官を呼び集め、それぞれの出身国の精霊から祝福を受けることで、火の神殿に一極集中していた負担を減らす手筈も整っていた。

 第三陣が火の神殿を発つ頃、先発師団は要塞総指揮官ラルンクルスの見送りで、地峡を越えようとしている。

 南大陸軍出陣を知らせる早馬が、軍の行進に先立ちパーカホへと駆け始めた。

 

 

 秋は足早に過ぎ去ろうとしている。

 それに伴い、朝晩の冷え込みが厳しくなってきた。

 

 冬の到来を目前に控えた今も中央の民の避難を進められず、アービィたちは全身をとろ火で炙られるような焦燥感に包まれている。

 補給部隊が何度も非戦闘員の避難を勧めていたが、ターバの民たちの意志は固く、誰一人として集落を捨てようとはしなかった。それでも乳飲み子や年端も行かない子供たちを抱えた母親や、怪我や病魔に冒され戦闘に参加できない者たちは、半強制的に補給部隊に委ねられ、平野部へと移り住んでいる。

 当初、怨敵に背を見せるなど卑怯者の振る舞いと、嬰児の避難にすら難色を示す者が見られたターバの民も、食料の消費を抑え冬季における長期持久態勢を築くためと言われ、徐々にではあるが理解を得られるようになっていた。

 

 季節の移ろいに伴って夜が長くなるに従い、足の遅い者を連れた行軍は危険度を増していた。

 夏であれば日没前に余裕を持って防護結界を施した宿営地に辿り着くことができていたが、最近では日没からしばらくしないと到達できなくなっている。補給部隊の兵たちだけならば、強行軍で日中に帰り着くことも可能だが、自力で歩けない者を連れていては無理な相談だ。

 宿営地を増やそうにもその維持管理には人手が必要になり、ランケオラータやプラボックが掌握している兵力では、現状維持が精一杯の状況だった。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞から南大陸連合軍が出陣した日も、アービィ、ランケオラータ、プラボック、そしてルムの四人によるターバ救援の軍議が行われていた。

 

「僕が行きます」

 アービィが短く宣言した。

 

「一人でか? それは危険過ぎる。今さっき、プラボック殿とも相談したのだが、南大陸に増援を求めようということになった。新たな軍が到着すれば、一気に劣性を挽回できると思うが」

 ランケオラータが止める。

 

「いえ、独りではなく、一頭で。ターバより手前にある、不死者の拠点を潰してきます。獣化していれば、僕は二、三十日くらい食べなくても平気です。水さえあれば。増援が来るなら、なおさら先に地均ししておくべきです。もし、大規模な派兵があるなら、少なくともターバまでを聖域化して、ターバを最前線にする。今いる程度の派兵であっても、敵拠点の排除は結果的に一時的なものであっても、宿営地の増設時に妨害を排除できます」

 アービィもこれが場当たり的な対応で、南大陸の国家が動くことを前提の希望的観測であることは、充分すぎるほど理解している。

 それに、前線を広げることは、自分でも否定していた戦略だ。補給線が伸び、そこが弱点になる。

 だが、合成魔獣に守られた不死者たちの拠点が、ターバより山脈寄りにあることは都合が悪い。

 アービィが自ら戒めていた旧日本海軍の島嶼戦と、同じ様相を呈してしまっていた。

 

 敵が新たに築こうとした不死者の拠点は、ターバの民がことごとく潰していたが、合成魔獣が守っている初期からの三拠点は手付かずのままになっている。

 新たな拠点を作らせていない以上、一度潰せば二度と作らせずに済みそうなことは予想できた。

 前線は伸ばさず、ターバまでを聖域化することは可能かもしれなかった。

 

 

「冗談じゃないわ! アービィ、あんた独りで行かせられるわけないじゃないのっ!」

 鬼神すら脅えさせそうな表情のルティが乱入してきた。

 たまたまランケオラータに用があって来たのだが、そこでアービィが言い出したことを聞き咎めたのだった。

 

「いや、だって、ほら……ね?」

 アービィがしどろもどろになるが、ルティの剣幕は収まらない。

 

「朝から何か考え込んでいるかと思ったら、あんたはっ! どういうことよ、一頭ってっ! あたしも、一緒に行く。あんただけ危ない目――」

 

「ルティ、落ち着いて。この話の要目は、僕なら暫くは食料が要らないってことなんだよ。ルティの気持ちは嬉しいし、一緒に行きたい。でも、どこまで行くか解らないし、食べ物があるかも解らない。だから――」

 

「あたしが邪魔なのっ!?」

 ルティがアービィの言葉を遮り叫ぶ。

 

「うん」

 少し考え、アービィが答えた。

 アービィはルティの身を案じての発言だったが、ルティにしてみればアービィと出会って初めての拒絶だった。

 

「どこか屋根のあるところを、拠点にできるわけじゃないんだ。ターバにも立ち寄れない。途中の宿営地に着替えを置いたら、そのままだよ。ルティが来てくれても、何もしてもらえないし。それよりルティはレイのお手伝いがあるでしょ?」

 言葉を失うルティにアービィが畳みかける。

 

 獣化した状態でターバを拠点とすることはできない。

 遊撃戦になる以上、拠点自体築いているわけには行かなかった。

 確かにルティはレイの補佐として、重要な位置にいた。そうそう長期間、ここを空けるわけにはいかない立場だ。

 さらに、秋も深まり行くこの時期、管理された畑以外から安定して食料を求めることは、既に困難になっている。

 

「解ったわよ。待ってる。その代わり、行きっぱなしじゃなく、時々帰ってきなさい。行くときは、『移転』で送って上げるから」

 長い沈黙の後、ルティは不承不承認めた。

 

「えっと、それはターバの手前までは、着いてくるってこと?」

 『移転』には、移動先の明確なイメージがなくては、どこへ跳んでいくか解らない。

 見たこともないところへ、自在に跳べるわけでも、モノを送り込めるわけでもなかった。

 

「そうよ、それくらい、いいでしょうよ。ね、ランケオラータ様?」

 ルティが雇い主に確認する。

 

「仕方なかろう。前線視察という名目で、護衛を付けよう。まさか帰りはルティ一人、というわけにもいくまい。以前バードン殿が山脈地帯にもかなりの食料が見込めると言っていたので、雪に閉ざされる前にそれも見てきて欲しい。アービィ、君一人に負担を掛けるのは心苦しいが、頼む」

 ランケオラータはしばし考えた後、断を下した。

 

「ありがとうございます、ランケオラータ様。護衛のことなんですが、今回は任務の性格上、僕のことを知っている人じゃないと拙いかと。神官様と、バードンさんにお願いできませんか?」

 アービィがバードンを護衛に指名した。

 好意的な感情を持つハイスティが南大陸へ去った今、アービィに匹敵する戦闘力を個人で持つものはバードンしかいなかった。

 

「大丈夫、よね?」

 ルティはバードンがアービィに対して、良くない感情を持っていることは知っている。

 

「うん。人間に対して剣を振るうような人じゃないよ、あの人は。だから、僕が人間の姿をしている間は大丈夫。じゃあ、あとはティアにも話しておこうね」

 そう言ってアービィは、ルティを促してルムの家を出た。

 

 バーカホの中心に位置するルムの家の隣に、プラボックの住居とアービィたちの住居が並び、その反対側にランケオラータたちの住居とバードンの住居が並んでいた。

 アービィとルティがバードンの住居を訪ねたとき、バードンは笹茶を焙じていた。

 

「何の用だ、狼。殺されに来たか?」

 そっけなくバードンが言う。

 

「いや、そうじゃなくて。護衛をお願いしたいんです」

 苦笑いしながらアービィが答えた。

 

「気は確かか? 何で俺が貴様なんぞの護衛などしなきゃならんのだ? そちらのお嬢さんの護衛ならともかく」

 心底呆れ返ったようにバードンが言い捨てた。

 

「そうなんですよ。僕じゃなく、ルティの護衛をお願いしたいんです」

 そうしてアービィは長い説明を始めた。

 

「貴様の発案というのが癪だが、ターバの苦境を救えるなら協力してやる。その代わり、事が済んだら俺に殺されろ。このまま逃げようったって、そうはいかんからな。ま、逃げる心配もなさそうだしな」

 バードンは、ルティをちらりと見て答えた。

 

「お願いできますか?」

 ルティが恐る恐る聞く。

 

「ご安心召されよ。不死者どもは排除して見せましょう。ルティ殿には指一本、触れさせませんぞ」

 アービィに対する口調とは打って変わって、バードンはルティに答える。

 バードン自身、ターバより手前にある不死者の拠点に乗り込む気でいた。

 彼が信奉する神の定めにまつろわぬ者を、彼は許してはおけなかった。

 対人狼の純銀製の剣も、ここ最近で生産量が上がった銀山から材料を分けてもらって鍛えなおしてある。

 そして、南大陸から派遣されてきた軍に依頼して、精霊の祝福法儀式済みの剣も入手していた。

 

「ありがとうございます、バードンさん。これで僕も安心して征くことができます」

 アービィが笑顔でバードンに右手を差し出す。

 バードンは少し躊躇ってから、勢いよくアービィの右手を張り飛ばした。

 

 

 アービィが日本での記憶を取り戻してから作り上げた、日本の叡智。

 少ない燃料で冬を乗り切るための、至高の暖房装置。

 

 

 炬燵。

 

 

 ティアは、この日本が誇る発明を、心行くまで楽しんでいた。

 安定して生産できるようになった木炭を利用して、アービィは三人にあてがわれた家に掘り炬燵を作っていた。炭の粉をジャガイモから取った澱粉で固め、持続時間の長い炭団に加工していた。炭団は火力こそ弱いが、普通の炭に比べ爆跳することもなく炬燵には適しているため、炭箱に残った炭の粉末を炭団用に大量にストックしていた。

 アービィとしては、蜜柑も必需品だと思っていたのだが、生憎とこの世界に蜜柑と同じ果実はなく、似た物も北の大地まで運ぶ方法がなかった。

 しかし、そこは知らない者の強みで、蜜柑がないくらいではティアの満足度は下がることはない。

 

 炬燵布団代わりの毛布に首までくるまり、炭団が発する熱を全身で受け止めていたティアは、ふと思いついて獣化した。

 蛇の下半身で炭団を入れた鉢に巻き付くようにとぐろを巻いてみると、これがなかなか心地よい。

 いつしかティアはまどろみ始め、夢うつつの状態になっていった。

 無意識に動く尻尾の先は、時折痙攣したかのような大きく跳ねる動きも見せていた。

 

 

 アービィとルティが家に入ろうとした瞬間、絹を裂くような悲鳴が中から響いてきた。

 慌てたアービィが家に駆け込み、ルティが後を追う。

 

 必死の形相のティアがラミアの姿のまま這い出してきて、風を捲きながらアービィとルティとすれ違う。

 そして、呆気に取られる二人に目もくれず、ティアは土間に置いた水瓶に尻尾を突き刺した。

 暫く肩で息をしていたが、徐々に落ち着きを取り戻し、尻尾を抱えて『快癒』を唱えた。

 我に返って振り返り、涙目のままアービィとルティを見たティアは、きまり悪そうに獣化を解いて言った。

 

「びっくりさせてごめんなちゃい……炬燵で獣化したまま居眠りして、尻尾焦がしちゃった」

 

「アホ蛇……」

 ルティが額に指を当て、俯いたまま呟いた。


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