狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第68話

 「ねぇ、絶対プラボックさん、誤解してるわよね?」

 ティアが参った、という表情でルティに言った。

 夜、北の民と南大陸の住人たちの話し合いが持たれた後、アービィたちは男性陣と女性陣に分かれ、それぞれは寝るまで雑談に興じていた。

 

「そうよね、あのときの顔。

 今頃ルムさんを問い詰めてるか、からかってるか、どっちかよ」

 ルティも同じ様な表情だ。

 

「どうしたの? 何か不都合でもあったの?」

 状況を飲み込めないレイが訊ねる。

 その横ではヌミフが首を傾げていた。

 

「うん、ちょっとね。ルムさんの一言が、ね」

 ルティが迷いながら言葉を選ぶ。

 

 

 ティアがラミアであることを明かすことは簡単だ。

 だが、それにプラボックがどう反応するか、全く予想がつかなかった。

 いきなり斬られるようなことはないとは思うが、ようやく打ち解けかけた平野と中央の民の間に亀裂を生みかねない。

 

 平時であれば時間を掛けて話をすればどうにかなるかも知れなかった。

 だが、数多の同胞を魔獣に殺されてから間もない中央の民にとって、ティアとアービィの正体は不倶戴天の敵と見なされる危険性が高すぎた。

 だからといってティアを放逐する気など、ルティは欠片も持ち合わせていないし、なによりレイが許さない。

 ティア自身も必要とあらば正体を見せることに躊躇いはないが、無用の混乱を招きたいとも思わない。

 

「参ったわね」

 溜息とともにルティが呟く。

 

「参ったわよ」

 ティアも溜息しか出ない。

 

「ちょっと、二人で悩んでないで、私にも聞かせてよ」

 レイが頬を膨らませながら言った。

 

「うん……やっぱり隠し事はよくないよね。プラボックさんにも正体見せておいたほうがいいかなって」

 意を決したティアが、ラミアのティアラを取り出した。

 

 

「おい、ティア殿とはどういう間柄なんだ? ルム殿、言ってみろ」

 蒸留酒による酩酊感も手伝ってプラボックは上機嫌だ。

 

「いや、そのように言われるような間柄などでは、断じてない。なぁ、そうであろう、アービィ殿?」

 助けを求めるような目で、ルムがアービィを見た。

 

「ええ、決して」

 アービィは短く答えるが、決して歯切れ良くはない。

 

「良いじゃないですか、正直に仰れば」

 ようやく事情を察したバードンが、無責任に意味深な言い方をする。

 

「そなたの想い人というわけではないのなら、俺がいただくぞ」

 プラボックが絡んだ。

 

「そんなことは、断じて認められませんな、プラボック殿」

 ルムは思わず気色ばむが、弱り切った表情だ。

 もちろん、プラボックが本気でティアを口説くなどと、ルムは思ってはいない。

 からかわれているということくらい理解している。

 

 ランケオラータも困り顔になっている。

 ティアやアービィが魔獣であろうがなかろうが、そんなことはランケオラータにとっては些細なことですらない。

だが、同時にルティとティア同様の危惧をランケオラータもアービィも抱いていた。

 

 それ以上に北の大地にいる南大陸の住人や、まもなく到着する独立混成大隊の反応が怖かった。

 北の民のラミアへの反応は、ルムを見ていればだいたい予想がつく。ラミアは寒さに弱い性質があり、北の大地では魔獣として認識されるほどの被害を出していなかった。

 だが、南大陸では、ある程度恐れられる魔獣として認識されており、存在が確認されれば討伐の対象にもなっている。

 さらに問題になりそうなのは、アービィの存在だ。

 

 人狼への恐怖は北の大地であっても、南大陸と大差ない。

 狼を神として崇める部族からは、神を剽窃する悪魔として憎悪の対象になっている場合すらあった。

 ルムの話によれば、プラボックの部族はそこまでではないらしいが、アービィが獣化した場合どのような反応を示すか、同胞を魔獣に殺された今では予想がつかなかった。

 戦場で切羽詰まったときに、それを打開するためにアービィやティアが急遽獣化した際、それまでに知らなければ大混乱に陥る危険性をはらんでいる。

 

 命を救われたり、親しく話していれば、アービィやティアという個体には危険がないことは理解できる。

 だが、数千万といる人々全てと話し合うことなど不可能だ。

 人伝に聞くとしても途中でバイアスが掛かった人を介すれば、悪意の有無に拘わらずどのようにねじ曲げられてしまうか、やってみないことには解らなかった。

 

 

「ねぇ、ルムさん。やっぱり隠し事はいけないと思うんだ。特に今みたいな時なら、なおさら。オンポック君、ティアにティアラ持って、ここへ来るように伝えてくれないかな。あと、ルティに僕の着替えを持ってきてって」

 アービィはオンポックに言ってから、ランケオラータとルム、そしてプラボックに向き直った。

 

「ランケオラータ様。こちらで初めてお会いした際に護衛に付いていた方々は大丈夫でしたよね。噂で広まると後で面倒なことが起きかねませんから、事実として皆さんにお話しください。軍にも周知徹底してください。ルムさん、プラボックさん、これから見ることを、それぞれの民の皆さんに伝えてください」

 アービィが言った。

 その意図を悟り、バードンは部屋を出る。

 

「バードン殿、どこへ行かれる?」

 バードンの表情が豹変していた。

 それを訝しんだプラボックが問う。

 

「私は……今ここにいる……べきでは……ございません」

 歯を噛みしめる音が聞こえそうなくらい奥歯を食いしばり、なんとか平静を保ったバードンは、それだけを言い残すと部屋を出た。

 

「どうしたというんだ?」

 プラボックは状況が理解できていない。

 

「今から僕がやることをいきなり見ると、ああなる人がいるかも知れません。戦場でそれが原因で、恐慌を起こす人がいるかも知れません。だから、今のうちに見ておいて欲しいんです。僕と……ティアを」

 アービィは心の中でバードンに感謝の意を表す形で手を合わせ、ひと呼吸置いて獣化した。

 

 

 部屋の中を静寂が支配し、プラボックの表情が凍り付く。

 次の瞬間、裂帛の気合いが空気を裂き、アービィの脳天にプラボックの剣が叩きつけられた。

 

――……――

 巨狼は避ける素振りも見せず、プラボックの剣を額で受ける。

 人狼の不死性は銀制の武器以外では冒すことは能わない。プラボックの剣は、祝福法儀式を施していないあたりまえにある鉄製の鍛造品だ。アービィの毛皮を切り裂くことはできず、血の一滴すら落とさせることはできなかった。

 その場にいた全員の表情が凍り付く中、プラボックの手が剣から離れ、床に落ちた。

 

「あなたは……神……? 神狼……?」

 ようやく手の痺れが引いたプラボックから言葉が漏れた。

 巨狼が首を横に振り、アービィの声が脳裏に響いてくる。

 

――違います。僕は、人から忌み嫌われる人狼です。神なんかじゃないです――

 そう伝え、アービィは、長い、長い物語を語り始めた。召喚される前からの話だ。

 異世界のこと、鏡に吸い込まれたこと、気付いたら狼になっていたこと、ルティとの出会い、旅立ち、ティアとの出会い、旅から旅。

 

 

 そこへ眦を決し、ラミアのティアラを髪に飾ったティアと、血相を変えたルティが飛び込んできた。

 ティアはレイだけの前ではなく、主要な面子が集まっている前で獣化しようと考えここに来た。

 ルティはアービィとティアの獣化を止めるつもりで、ティアを追いかけてきていた。

 

 巨狼とプラボックの立ち位置。

 床に落ちた剣。それを見た瞬間にルティは何が起きたかを理解し、プラボックに向き直り、腰に佩いた剣に手を添えた。

 その両目には、ヒドラや奴隷狩りと相対したときのアービィと同じ、冷たい炎が宿っている。

 

――ルティ、大丈夫だからっ!! 落ち着いてっ!!――

 アービィが慌ててルティを止め、巨狼がルティとプラボックの間に割って入る。

 

「なんで……人の気も知らないで……どうして、あんたは人を心配させることしかしないのよっ!!」

 そのまま剣を抜き、峰打ちに持ち替えたルティが、泣きながら巨狼を打ち据える

 

――ごめんなさぁい!! いやぁっ!! 痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!!――

 傍目には、巨狼がぎゃんぎゃん鳴きながら逃げ回るだけだが、駄々漏れの念話は情けないの一言だった。

 

 

「えっと……あんなもんですから、あれは」

 額に手を当て、渋い表情で首を横に振りつつティアは俯く。

 決意と毒気を抜かれ、ティアはどうしたものか迷っている。

 

「よろしいのですか? 止めなくて」

 ルムがティアに聞く。

 

「あれ、楽しんでますから。放っておきましょう。それより……」

 

 一瞬の間を置き、ティアが獣化する。

 ラミア本来の姿、全裸になってはルティの癇癪に油を注ぐようなものなので、上半身には衣服を纏ったままだ。

 

「なるほどな。ルム殿がティア殿を崇めるわけだ」

 合点がいったようにプラボックが頷く。

 

 

「離反する人が出るかも知れません。ですが、話によると相手は不死者とのこと。あたしの能力がどこまで通じるかは判りませんが、アービィの力は絶対必要です。万が一、戦場でアービィの獣化を見て恐慌に陥ったり、新手の敵と思われては一気に戦線が崩壊します」

 ティアの説明に、プラボックが赤面した。

 

「しかし、アービィ殿も人が悪い。先に言ってくれてからなら剣など抜きはしなかったものを」

 プラボックが深々と頭を下げる。

 

――すみません、配慮が足りませ――あぁっ! ルティ、もうぶたないでぇっ!!――

 臥せの態勢で謝りながらアービィは前肢で頭を庇おうとする。

 だが、狼の体の構造上前肢を頭の上に上げることはできず、ほぼ無防備のままルティの一撃を受けていた。

 

「しかし、人狼を従えるとは、ルティ殿こそ神か?」

 腹を見せ、降参のポーズを取る巨狼を横目に漏らしたルムの呟きは、喧噪にかき消されていた。

 

 

「改めて見ると、アービィの毛皮ってきれいよねぇ」

 後から入ってきたレイが、そう言いながら巨狼の腹に顔を埋める。

 

「あぁっ、なんてことをっ! ダメっ! これはあたしのっ!」

 ルティがレイを引き剥がしにかかる。

 

「いいじゃない、ちょっとくらい。減るもんじゃなし」

 毛皮の感触を楽しむようにレイがアービィにすがりつく。

 

「減るのっ! あたしの分がっ!」

 ルティが強引にレイを引き剥がし、巨狼の腹に顔を押しつけた。

 レイに少し遅れて入ってきたヌミフは、獣化したティアに硬直し、口を聞くことすらできなくなっていた。

 

 

「やはり、伏せておいた方が得策かと思うのだが、どうかね、ランケオラータ殿」

 思案顔でプラボックが言った。

 アービィに対して自分が取った行動が、おそらく先入観なしの北の民が見せる反応だとプラボックは考えている。

 

 もしかしたらアービィに対しての恐怖心から、ルティに手を出す者が出ないとも限らない。

 もし、ルティの命に関わることでも起きたら、そのときはアービィが狂気に染まる。

 話に聞いたヒドラや奴隷狩りに対して以上の、殺戮の嵐が吹き荒れることは間違いない。

 

 ランケオラータとルムが南大陸に向かった際、魔獣に追い詰められたところを獣化したアービィに救われた。

 そのときに護衛として同行していた南大陸の住人からは、今のところアービィの噂は広まっていない。

 バードンとハイスティが固く口止めしているからでもあったが、それでも護衛の兵たちがアービィに感謝なり好意がなければ、あっという間に悪意の噂は広まったはずだ。

 

 アービィが巨狼の姿で戦功を挙げるまでは、このことは伏せておくべきだ。プラボックはそう考えている。

 だが、そのためだけに配下の民たちを死地に追いやるような戦術は取れない。

 それもまたプラボックの考えでもあった。

 

「そうですね。私は少し安易に考えすぎていたようだ」

 熟慮したランケオラータが答えた。

 

 命を救われたなら当然見方も変わるが、一般的な人狼に対する考え方はそうそう払拭できるものではない。

 プラボック同様に、そのためだけに部下の命を危険に曝すことはできないと、ランケオラータは思い至っていた。

 

 

 アービィを恐れるくらいならまだ良い。

 人狼に与するとして、ルムやプラボックに対して反乱でも起こされたら、それこそ一大事だ。今は中央の民が山脈の民を支配下に入れているが、これは魔獣襲撃の混乱に乗じた結果であり、平和的な同盟などではなかった。

 茫然自失だったからこそ無条件降伏に近い形で事が治まったが、今後いつ何時怨みが再燃しないとも限らない。

 アービィの存在は、中央の民が魔獣を操っていたと誤解させるには充分だった。

 

 これで反乱が起き、鎮圧に武力を行使などしてしまったら、山脈の民との間には埋めがたい溝を再度掘ることになる。

 当然平野の民も中央の民も一枚岩なわけではなく、当面差し迫った危機に対処するために手を結んでいるに過ぎない。

 人狼に対する拒絶は、北の大地全体を再び戦乱の状態に叩き込む危険性を孕んでいた。

 

「アービィ殿、ティア殿。あなたたちががその姿を見せてくれた勇気には、心から敬意を表する。だが、私は北の大地の安定を優先させなければならない立場だ」

 悪役は引き受けるとランケオラータとルムに目配せしたプラボックが、ルティとレイとじゃれ合う巨狼とラミアに向き直った。

 

 プラボックの表情から雰囲気を察した巨狼が座り直し、ラミアがとぐろを巻く。

 プラボックは、たった今三人が話し合った内容を、魔獣二頭の心を傷つけないように気遣いながら話し始めた。

 

――気にしないでください、プラボックさん。僕たちも北の大地へ来てから、少し危機感が薄れていたかも知れません――

 巨狼から念話が届いた。

 もちろん、アービィたちが浮かれていたわけではない。

 生命への危険性という点において、北の大地は南大陸とは比べものにならない。それは承知で乗り込んできている。その点では南大陸にいるときよりも、遙かに危機感を持っている。そう簡単には殺される心配のないアービィでさえ、あの邪法の本拠地に近付いていることで、相当な警戒心を持って神経を張りつめていた。

 そのためにも、獣化には躊躇いを持つべきではないと考えてもいる。

 だが、南大陸のような組織立った治安維持組織がなく、法治国家の呈を成していない北の大地では、獣化を見られたところで官憲に追われるようなことはないだろうと思い込んでいた。

 だが、確かに官憲に追われることはないだろうが、それより始末が悪いことが起こるかもしれないとアービィは気付いていた。

 

「あたしたちにお気遣いは無用です。獣化する必要がなければ、それに越したことはありませんから」

 同様にラミアが答える。

 

 自由に獣化できる環境に、憧れることは当然ある。

 しかし、獣化が混乱を招くというのであれば、それを控えることは人間との付き合いに必要なことくらい弁えている。そして、この二頭の魔獣は、人間と共に生きることを選んだ。であれば獣化を今まで通りに控えて生きるか、自由に獣化できる環境と理解を勝ち取るかだ。

 北の大地を安定させる闘いであると同時に、二頭の魔獣たちにとっては自由への闘いでもあった。

 

「申し訳ない」

 ルムとランケオラータが頭を下げた。

 

 

 二日後、独立混成大隊が到着し、カトスタイラス軍から選任された総指揮官と、ランケオラータとは顔見知りのハイグロフィラ軍の指揮官を含む司令部要員が着任の挨拶に訪れた。

 ここで独立混成大隊は第一大隊と名称を変更し、捕虜の立場から解放されたボルビデュス軍と義勇兵たちで再編した部隊が第二大隊となり、北大陸連隊を編成することとなった。そして、連隊司令部は第一大隊司令部が兼務することが伝えられた。

 その場で第二大隊司令部から第一大隊司令部へ現状報告が行われ、逆に第一大隊司令部からはランケオラータに物資の輸送状況が説明された。

 

 石畳の舗装などない北の大地の街道は、行き来する人が南大陸の街道に比べて圧倒的に少ない。

 牛馬での通行に問題はないものの、物資を満載した荷馬車の通行には向いていない。

 道幅も細く、充分に踏みしめられているわけではないので、車輪が土にめり込むことが多々あると見られていた。

 

 また、北の大地では馬はほぼ指導者たち特権階級の乗り物として、ごく一部で利用されているだけだった。

 大量に運用しようにも、飼料を確保すること自体が難しく、牧場が成立するような環境ではなかった。

 牛にしても荷駄の運搬に使役されるだけであり、組織だった牧畜が行われているわけではない。

 

 南大陸から連れてきた軍馬や、エンドラーズが用意した家畜や家禽の飼料は、当面これも南大陸から運ぶことで話は纏まる。

 できる限り現地で調達したいところだが、現状では持ち込んだ苗や種も育っておらず、それしか手がなかった。

 飼料の運搬と同時に、伝令に使用する馬も追加で南大陸から持ち込むように、ランケオラータは命じていた。

 

 その夜、ルムの家に、プラボックとルムをはじめとした北の民の主立った指導者たち、連隊司令部、第二大隊司令部、ランケオラータとアービィたちが集まった。

 アービィ、ルティ、ティア、バードン、ハイスティは公的な立場ではないが、ランケオラータの幕僚に相当するとして、この場へ同席を求められていた。

 

 北の民を代表してプラボックが、独立混成大隊の到着に歓迎と感謝の言葉を述べる。

 それに対して総指揮官から答辞が述べられ、両者の間に固い握手が交わされた。

 それまでは互いに剣を交える相手としてしか認識していなかった両者の間に、それぞれの考えは別としても正式な共闘関係が成立した初めての瞬間だった。

 

 次いで、山脈以南の防衛体制、ウジェチ・スグタ要塞とパーカホ間の街道を石畳での舗装や食料を始めとした戦略物資輸送等の兵站計画の概要が説明された。

 第一大隊は、現状認識のために二度手間になることは承知で、全員がパーカホに入っていたが、当然食料が追いつかない。そのため、最北の蛮族に相対する最前線の防衛任務と、舗装工事や戦略物資輸送等の兵站任務を、第一大隊と第二大隊が交代で行い、各中隊には北の民が数名ずつ随伴し、風土気候風習に不慣れな南大陸の住人を補佐することになった。

 アービィ、ルティ、ティアは当面ランケオラータの補佐任務に就くが、中央部の偵察結果によっては独立遊撃隊として中央に残された人々の救援や救出、敵中深く進入する任務が与えられることになっている。

 

 

 軍の統一指揮は連隊長に一任するが、戦略はランケオラータが指揮官たちの補佐を受けて、ルム、プラボックと協議のうえ決定する。

 軍はあくまでも戦術面の決定権に留め、独走などを起こさないような歯止めが必要だった。

 この世界でもシビリアンコントロールが原則ではあったが、各国の軍務卿自ら先頭に立って剣を振るうことも建前としての原則でもあった。

 

 それが貴族の義務と考えられており、必ずしも完全なシビリアンコントロールとなっているわけではない。

 ましてや北の民においては、指揮官先頭こそが部下を死地に向かわせるためには必要不可欠な条件であり、勇気の証明であった。

 だが、電信などの通信技術が発達していないこの世界で、指揮官先頭は良いとして、軍の独走は何があっても防がなければならなかった。

 

 アービィは異世界で旧日本軍が犯した失敗を説き、前線指揮官の裁量権を大幅に狭めることを勧めていた。

 本来であれば前線指揮官にこそある程度自由な裁量権を与えてこそ然るべきだが、守勢防御が基本戦略となっている以上、独断専行は厳に戒めねばならない。

 

「山脈地帯を防壁として、これより先へは防衛線を進めるべきではありません」

 アービィが言った。

 

「なぜ、ですかな、アービィ様?」

 連隊戦務参謀が問い詰めるように聞いた。

 敵本拠地を一気に衝くことが不可能なことくらい、状況説明を受けた今は理解していた。

 だが、敵拠点が中央部の比較的山脈寄りにあるというのであれば、緒戦でこれを落とし、前線を勧めるべきだと戦務参謀は考えていた。

 

「相手に空間移動の方法がある以上、絶対防衛戦は事実上意味を成しません」

 アービィはそこで言葉を区切り、こちらが山脈以南全てを守らなければならないことに対し、敵は任意の一点をある程度自由に設定し、何の前触れもなく攻め入ることができるということを、改めて全員に認知させる。

 

 例えば、食糧や武器のような戦略物資の貯蔵施設や、軍の司令部、そして今全員が集っているここなどに、移転呪文で魔獣や不死者を放り込むことも可能と見なければならない。

 防衛の方法としては、敵軍の侵攻を食い止めるというよりは、ゲリラ戦を仕掛けてくる敵を包囲殲滅することが優先されるのではないかとアービィは考えていた。

 

 不死者の多くは夜しか活動できず、日光を完全に遮ることのできる拠点がない限り、勢力圏を広げることはできない。

 山脈の中央側に広がる裾野には、一日の行程内に集落は存在せず、大軍が昼をやり過ごせるような大規模な洞窟もない。この状態で不死者が列を成して攻め入ることは、事実上不可能と見て間違いないだろう。以前の報告にあったように、いつくかの拠点を持っているだけだと思われた。

 おそらくは、不死者転生の邪法を大規模運用できるかどうかの実験が行われ、その成果が今現在中央で確認されている不使者の群れなのだろうとアービィは予想している。

 

 このまま放置すれば未だに中央で抵抗している集落が、不死者の原料にされてしまう可能性が高い。

 食糧事情は南大陸からの兵站が確立できれば一気に好転することが期待できるので、なるべく早いうちに中央に残る人々を避難させ、補給ルートを確立することが必要だった。

 

 中央を緩衝地帯として、最北の蛮族と和戦両面から対峙し、機を見て和平交渉を持ちかける。

 平野の民や中央の民がそうであるように、最北の蛮族も一枚岩ではないという可能性は残されている。

 この騒乱の首魁が和平に応じるとは考えられないが、考えを異にする最北の部族があってもおかしくはない。そのためにも敵領地への大軍による直接侵攻は避けるべきであったし、中央を完全に平定するには現在の戦力ではあまりにも不足している。拠点を築きつつ敵領土へ迫ろうにも、途中の敵拠点全てを潰さなければ補給線が寸断され、攻勢限界を超えた瞬間に戦線が崩壊することは、素人でも理解できることだった。

 和平への足掛かりとして、この騒乱の首魁を討つというのであれば、自分たちのような軍律に縛られない自由な立場の者が潜入したほうが良いとアービィは考えていた。

 

「戦線を北上させるべきでないという論拠ですが、なによりもその補給線が弱点になるからです。敵の主力は食料や生活物資を必要としない不死者です。もしくは食料の現地調達に何の問題もない魔獣です。不死者はそもそも物を食べることはないし、日光が弱点で昼の行動できないだけで、休息を必要としません。魔獣については、食料は人でいいわけです。戦闘行動と摂餌行動は同じということですから、戦いに勝てばその時点で腹も満ち足りてしまいますし、暫く絶食しようとすぐ死ぬわけではありません。却って、食欲が最大の戦意高揚になると見て良いでしょう。それに対し、こちらは食料も休息も必要とする生身の人間です」

 言葉を区切り、暫く沈黙した後、アービィは再度話し始める。

 軍事に関する知識がそれほど豊富でないことは、アービィは自覚していた。

 ましてやちょっとした趣味にしていた艦船模型の延長で齧った程度の太平洋戦争、それもほぼ海軍に偏った表面上の知識だけだ。

 古代ローマや中世ヨーロッパの戦争に関しては、ほとんど知識がない。

 ありがちな現代の知識を以って負け戦をひっくり返すようなif戦記ではなく、リアルな自分の体験を通しての知識でこの戦いを潜り抜けなければならなかった。

 

 アービィはこの戦を、太平洋戦争の島嶼戦に準えて考えることにした。

 それもアメリカ側が採用した飛び石作戦を手本にしてだ。

 もちろん、戦史を専門に研究したわけではなく、聞きかじり程度の知識でしかないが、日本の失敗とアメリカの成功例を連隊の参謀たちに教えれば、あとは専門家たちが仕事をすると考えていた。

 

 あの戦いで日本はアメリカとオーストラリアを分断するために、南太平洋の島嶼を万里の長城にしようとして失敗している。

 ラバウルからガダルカナルまで足を延ばし、補給線が伸び切ったところで日干しにされた。

 主要な島を占領し、飛行場を建設して要塞化しようとしたが、当時の日本が持つ資源と技術では無理な話だった。

 

 それに対してアメリカは、絶対に占領することなど不可能なオーストラリア大陸を、フィリピン奪回に執念を燃やすダグラス・マッカーサー率いる南太平洋方面軍の反撃策源地とした。

 ここから島伝いに北上し、日本の生命線ともいえる南方資源地帯と日本本土を結ぶ航路を抑えることができるフィリピンを奪回する戦略だ。

 そして、ラバウル等の強力な拠点は正面から潰すのではなく、背後に回り補給線を絶って無力化する作戦を採用した。

 航空機と潜水艦による通商破壊だ。

 

 脅威となる基地を構築できた島は、日本にとってもアメリカにとっても都合の良い地形だが、アメリカはその工業力に物を言わせ、多少の不都合も強引に地形を変えてまで利用することができた。

 ブルドーザーやパワーショベルといった、直接戦闘には使用しなくとも重要な補助機材としての重機を、この時期から既に充分に保持していたからだった。

 基地の構築を人力に頼り、そのような補助機材の開発など省みることはなく、華々しい艦隊決戦しか頭にない日本海軍の参謀たちには、考えつくはずのない戦略だった。

 

 本来艦隊決戦は、漸減作戦の最終段階だったはずだ。

 中部太平洋を押し渡ってくるアメリカ艦隊を、潜水艦と機動部隊による航空攻撃で減らしたうえで、数で劣るが性能に勝る連合艦隊が撃滅するという構想だった。

 だが、いつしか決戦兵力こそ艦隊の華という思想が蔓延し、手段が目的にすり替わっていった。

 

 決戦兵力たる戦艦部隊を動かすためには不可欠な補給部隊や輸送船の護衛部隊を、軽視どころか蔑視する風潮が生まれてしまった。

 これは陸軍にしても同じことで、『輜重輸卒が兵隊ならば、チョウチョトンボも鳥のうち』という戯れ歌に代表されるような輸送部隊に対する蔑視や輸送そのものに対する軽視の例は、中国戦線やインパール作戦を筆頭に枚挙に暇がない。

 

 その陸軍は、敵拠点を無力化するためには、現地を占領するということしか考えていなかった。

 占領してしまえば現地の統治も必要になり、さらに人と物資を食い潰される。そして、一度占領した地を手放すなど英霊に申し訳が立たないという、まるで理論的ではない理由で占領地にしがみつき、最後は玉砕というお定まりのコースを辿ることばかりだった。

 もっとも、これは軍部ばかりに責任があるのではなく、敗退ということの責任を極度に論う新聞や、煽られやすい国民性にも問題があったと言わざるを得ないが。

 

 食料は現地調達という、戦国時代から少しも進歩していない戦略が、結果的には全てを破綻させた。

 日本に残り、陸軍省や海軍省の建物の中だけで作戦を考えていた参謀本部や軍令部の構成員たちには、現地情報というものが根本から抜け落ちていた。

 地図とイメージの上だけで練られた作戦。彼らの作り出す戦略は、現地の状況とは乖離した理想でしかなかった。

 

 南方資源地帯という言葉に、当時の人々は騙された。ジャングルに入れば果実がたわわに実り、手を伸ばせばそこに食べ物がある世界。そう信じ込んでいた。

 だが、何故、現地の人口が少ないか。それは、その地域はそれだけの人口しか養うことができないからだった。

 補給が途絶え、たわわな果実が実るジャングルを期待して逃げ込んだ日本兵たちが見たものは、高温多湿であっても水の確保すら難しい、ましてや何が食べられて何が毒なのかすら分からない緑の地獄だった。

 

 

 既にアービィが異世界から召喚されたことは、連隊上層部には周知されていた。

 隠すまでもなく、ラシアスでニムファと起こした悶着や、ストラーのアマニューク砦を解放したこと、ビースマックでの顛末を知らない軍関係者はいない。

 当然、未知の知識を得られるということも判っており、アービィが薄れかけた記憶を頼りに話す太平洋戦争の話を、連体司令部の面々は黙って聞いていた。

 

「つまりですね、相手は攻撃できる範囲が狭いという弱点がありますが、神出鬼没に遊撃戦を展開できるという強みも持っているということです。拠点は避けることはできますが、神出鬼没に出てくる魔獣は避けられない。補給線を寸断させるには充分すぎる戦力です」

 アービィが言う。

 

 夜間しか行動できない不死者は航続距離の短い戦闘機で、移転呪文で任意の地点に移動させられる合成魔獣は潜水艦に見立てることができた。

 もちろん、この世界、この時代に人々に、飛行機や潜水艦を説明しても理解は得られない。

 アービィはそこを誤魔化しながら、必死に説明していた。

 

 四百五十年の間本格的な戦争がなかった南大陸では、戦の教本はそれ以前に起きた戦を題材にしている。

 それらは研究し尽くされ、アービィが住んでいた異世界の中世ヨーロッパと大差ない戦術が編み出されていた。

 もっとも、それを現実に試す機会はなかったのだが。

 

 アービィは太平洋戦争の知識が、そのままこの世界に通用するとは思っていない。

 国民性の違いや、地形、技術、資源等々、条件が違いすぎる。

 だが、共通する点もあるだろうと話してみただけだ。

 

「では、こういうことでいかがでしようか」 

 若い参謀が挙手し、発言の許可を求める。

 

「小官は、移転呪文による魔獣の攻撃も、それほど脅威ではないと考えます。理由としては、今から申し上げるとおりであります。移転呪文は精霊呪文にしかないということで、移動できる限界の距離を先ほど風の神官殿に伺ってまいりました。その結果は、どれほど優れた術者であっても一日の行程を飛ぶことが限度で、最北の蛮族の勢力圏からここを一気に突くことは不可能と判断されました。敵はどこに出没するか判らないという優位を保ってはいますが、山脈地帯を越えて拠点を作られない限り、こちらの本拠地が危険に晒されるということはないと考えます。従って、不死者同様、山脈地帯に移転してきたところを包囲殲滅できるのであれば、これもまた脅威とはなりません」

 ランケオラータに促され、若い参謀が発現した内容はこうだった。

 

「つまり、山脈地帯を死守し、中央側への偵察を密にして敵拠点の構築を許さない、ということだな?」

 ルムが聞いた。

 

「その通りであります。小官といたしましては、山脈地帯の集落に南大陸の人員を小隊単位で配置し、土地に明るい北の民の皆さんに常時哨戒をお願いしたいと考えます」

 若い参謀は、そう述べて発言を終えた。

 

 ランケオラータは、この参謀の発言を聞き、心強い思いがしていた。

 北の民を見下すことなく、対等な立場でその能力を活かそうとしている。

 さらに、中央の民に無条件降伏に近い服従を強いられている、山脈の民たちの自尊心を取り戻す方策さえ考えてあった。

 

 それとは別に、北の大地の経営には明るい材料でもあった。

 最北の蛮族の脅威が去らないうちは、南大陸から観光客を呼び込むことは躊躇われていた。

 だが、最北の蛮族に対して平野部が巨大な障壁として立ちはだかるのであれば、山岳地帯とパーカホまでと限定して南大陸から人を呼び込める。

 

 兵站のための舗装工事は、そのまま観光客の脚にも利用できる。

 馬車が一般的ではない北の大地に、ラシアスに倣った駅馬車路線を敷くことも必要だった。

 当然資本を呼び込むだけではなく、危急時に戦力の迅速な移動にも有効だ。

 

 北の大地は短い夏を終えると、急ぎ足で冬がやってくる。

 雪に閉ざされる前にどこまで工事が進められるか、最北の蛮族との交渉チャンネルを開くことはできるのか、課題は山積されているが、誰もが瞳を輝かせて未来を語り始めていた。


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