狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第66話

 パーカホの村は、指導者の帰還に沸いていた。

 北の民はルムの、南大陸の住人たちは新婦を連れたランケオラータの姿を見た途端、村中に歓声が湧き上がる。

 何よりも若き指導者たちの無事と、結婚を祝う声がそこここから上がっていた。

 

 ルムは村の周辺を見て驚きの表情を隠せない。

 まず、作物が整然と並ぶ畑。

 さすがに南大陸のストラーに広がる畑に比べるべくもないのだが、北の大地では初めてとなる管理された畑の名の恥じないものに仕上がっている。

 そして、それを囲む馬防柵を応用した防壁と濠。

 魔獣の大軍相手では多少心許ないが、それでも突破にはかなりの苦労を強いることができそうだった。

 堀にはまだ水は張られていないが、近くの川から運河を掘削しつつあり、これができれば平時の飲料水確保も楽になりそうだ。

 

 もちろん、運河の水は灌漑にも利用され、作物の収穫量向上にも貢献できるだろう。

 わずか百日程度では全てを完成させることは無理だが、独立混成大隊が土木作業に加われば、来年の秋までにはかなりものが作れそうだった。

 南大陸の住人たちは、周囲の村落にも畑の整備や防護柵の工事指導に行き、そこでもそれなりの成果を上げていた。

 

 畑の収穫量向上には、堆肥と共に人の排泄物を無駄なく肥料として使うようになったことも、大きく影響していた。

 それまで北の大地では焼畑が農業の主流であり、施肥という発想はあまりない。当然排泄物は無為に捨てられるだけで、南大陸のような人為的な窒素循環ができあがっているわけではなかった。冬の間南大陸の住人たちは自らの排泄物を捨てることなく、雪を避けられるように建てた小屋の中に掘った穴に集め、適宜藁などで保温してその発酵に勤めていた。

 当初は周囲に臭いも立ちこめ、北の民に眉を顰めさせていたものだったが、この春からの作物の育成状況や収穫量の向上を見て北の民も積極的に下肥の作成に加わるようになっていた。

 

 私兵としてボルビデュス家やハイグロフィラ家に仕えてはいるが、もともと農家の次男三男といった立場の者や、農業に従事していた義勇兵が多くいたことが幸いしていた。

 農業の改善はそれまでの南大陸のやり方を少々修正するだけでよく、ほとんど苦労というものはしていない。

 苦労といえば、経験的な技術を説明する際、それをイメージできない北の民に理解させることくらいのものだった。

 基礎的なことは既にできかけていたので、農業技術指導としてこの地に来た神官たちは、作物別の育成のコツを指導するだけでよくなっている。

 さっそく持ち込んだ苗を植え、タネをまく作業の準備に取り掛かっていた。

 

 一方、馬防柵や堀の作成は、間諜を専門としてはるものの、軍事の専門家でもあるハイスティがその実力を遺憾なく発揮していた。

 地形を十全に利用し、それまでは簡単な柵で村を取り囲むだけだったものを、城壁と呼ぶに充分すぎるほどものに作り変えていた。

 もちろん、南大陸の王城や貴族の城のような石造りの防壁を作るには、材料も技術も、材料を運ぶための道も不充分であったため、村の周囲で手に入る針葉樹を主な材料としたものだった。

 

 

 ルムは、村の状況を見て満足すると共に、南大陸の文化技術に対して畏怖を抱いていた。

 これは北の民が劣っているということではなく、文化を醸成する余裕がなかったということであり、それだけ厳しい環境におかれていたということだった。

 だが、ルムは南大陸に対して、民が劣等感を持たなければいいのだがと感じていた。

 

「ルムさん、この短期間にこれだけのものを作り上げたってことは、もう北の民と南大陸の住人の差はないってことですよ」

 ルムが抱く南大陸への劣等感を敏感に感じたアービィが、ルムに近寄り囁いた。

 

「そうなのか? 俺には、北の民は南の住人に教わらなければ何もできないものにしか思えなかったんだが」

 まだ北の民の潜在能力を認められないルムが半信半疑で聞いた。

 

「そうですよ、ルムさん。知らなかっただけ。やってる余裕がなかっただけ。それだけです。南大陸にはそれがあった。でも、北の民には、この苛酷な環境を生き抜いてきた強靭さがあるじゃないですか」

 ティアが横から口を挟む。

 技術に圧倒されている若き指導者に、自信を持たせることが今は大事だ。

 南大陸に依存するのではなく、したたかに利用するくらいでなければ、この先海千山千の南大陸の商人たちに手玉に取られるだけだ。

 

「そうです、な。俺たちは、今まで生き残ることだけに精一杯で、戦の技術だけしか磨いてこなかった。だが、それができたってことは、これから学べばいくらでも文化を発展させることができるということですな」

 ルムは、忙しく立ち働く北の民と、同じように動き回る南大陸の住人に希望に満ちた視線を送っていた。

 

 今ここにいる南大陸の住人たちは、捕虜という形でこの地に留まっているが、何分の一かは北の民の女性を配偶者に選び、この地に骨を埋めることを選択している。

 既に同胞と呼んでいい人々だ。独り身の者も、南大陸への帰還を望む者がいる反面、この地に残ることを選ぶ者も多くいた。今すぐ戻るより暫くはここにいたいと思っている者や、将来配偶者を見つけてから戻ろうと思っている者、そのようなことに関係なく北の大地に新天地を求める気になっている者と様々だった。

 いずれにせよ、捕虜という扱いは既になく、同胞として、同じ村の者としての付き合いになっていた。

 

 南大陸へ帰還する人々には、北の民への偏見を多少でも解消するという副次的な働きも期待されている。

 付き合ってみれば解ることだが、文化の違いは差別や偏見の原因とはならない。他を見下すことでしか自らの優位を確保できない愚かな者がいる限り、差別も偏見もそう簡単にはなくならないだろうが、他を認めなければ自らも認めてもらえるはずもない。まがりなりにも北の民と協力して生きてこなければならなかった捕虜たちには、そのような偏見を抱く余裕も差別などしている余裕もなかった。

 このことが良い方向に作用すれば、南大陸へ帰還する彼らは、強力な北の大地のサポーターとなることが期待されていた。

 

 

 ルムは、旅の後始末がひと段落すると側近を呼び、最も気掛かりだったこと、ヌミフの消息を訊ねた。

 兄としての立場もあったが、ここはそれを堪え、指導者としての立場で聞いている。

 

「バードン様が山脈地帯の集落イーバでヌミフ様と合流され、同行の者たちは無事帰っております。バードン様とヌミフ様がイーバに留まり、ルム様のお帰りをお待ちしているようです。中央部の民が、どのようにして山脈地帯の民を支配したかは不明ですが、現状は両部族が共同で過ごしている模様。中央部は、最北の蛮族が席巻し、山脈地帯への食料の供給はほとんどありません。彼の部族を率いるプラボック殿からは、いずれ平野部と合同したいとの意向を伝えられましたが、ルム様との話し合いを求めています。ただ、既に山脈地帯の食糧事情が逼迫しているため、非公式ではありますが食料の援助を行っております。我等としても、戦を仕掛けてくるのであれば別ですが、無為に命が失われることは見過ごせず、私の独断でこれを許可しました。ルム様のご裁可なしに事を進めましたこと、お詫び申し上げます」

 側近は、かいつまんでこれまでの状況を説明した。

 

「そうか……あちらも苦しいのだな。解った。いろいろと苦労をかけたようで済まなかったな。お前を責める要素など、何もない。俺は、明日、イーバへ行こう。プラボック殿と会わねばなるまい」

 過去を考えれば『殿』付けなどできない間柄ではあったが、今はそんなことに拘っているときではない。

 

 最北の蛮族の脅威はこの春以降ないということだが、それが永遠に続くとは思えない。

 平野部を襲った魔獣の群れは一度きりだったが、中央部はついにその住処を追われているのだった。昨年の春以降どれほどの戦があったのか、想像も付かなかった。

 そこまでした最北の蛮族が、南下の欲望を満足させたとも思えない。なんらかの理由で、さらなる侵略のための力を蓄えているものと見て間違いないだろう。

 最北の蛮族が南下を始める前に、平野部と中央部の民の大同団結を現実のものとする必要があり、それは焦眉の急と言えた。

 

 幸い、村の防備にはハイスティがいれば、独立混成大隊が到着するまで何とかなるだろう。

 農業については、神官たちに任せておけば良い。統率についてもこの側近がいれば問題ないだろう。それにいずれは南北大陸の共同統治機構にルムは出て行く予定だ。そのためにも次の指導者を育てておく必要があった。

 自分の目が届きやすくなった今、彼を次代の指導者として認知させ、その力を育てるチャンスでもあった。

 

「アービィ殿を呼べ。ティア様とルティ殿もな。お三方に同行していただき、俺はプラボック殿に面会を求める」

 ルムは側近にそう言って、いつくかの指示を出してから報告の面談を切り上げた。

 

 

「また、旅に同行していただきたい。俺は、これから山脈地帯のイーバという集落へ行き、中央部の長と話をするのだが、彼の地には狼を神とする部族が多い。アービィ殿にはご苦労を駆けて申し訳ないのだが、一肌脱いでいただけまいか」

 ルムが平野部の長としての立場で、口調も改めて依頼した。

 

「構いませんが、一応、形だけでもランケオラータ様の許可を取っていただきますよ」

 アービィが答えた。

 

 ランケオラータ救出は、レヴァイストル伯爵から依頼されてのことだ。

 そしてその次のアマニュークでの一件は、ニリピニ辺境伯から依頼を受けている。ビースマックでの反乱への対処は、パシュース第二王子の依頼で動き、それぞれ報酬を得ていた。今回北の大地へ来たのはランケオラータに頼まれたからであり、アービィたちの意志であるのだが、正式な仕事の依頼ではない。つまり、アービィたちには収入がないということだ。

 それまでの仕事で多少の蓄えがあるとはいえ、一生を安泰に暮らせるほど稼いでいたわけではなく、いつまでも持ち出しで喰っていけるはずもなかった。

 

 アービィたちがどこにも属したくないという意向を知っているレイとランケオラータが相談し、カトスタイラス領には属さない形で改めて個人の護衛の仕事として依頼をしていた。

 それを受けた以上、アービィの雇い主はランケオラータであり、ルムが個人的にどこかへ連れて行くことは許されない。

 

「解っている。だが、面倒なものなのだな、南大陸の習慣というものは。ランキーには後で言っておくから、一応出る準備だけはしておいてもらえるか?三、四日もあれば着くだろうから、たいした荷物にはなるまい。帰りは他の村落の様子を見たいから、少々回り道になるが、食料はそこで手に入るはずだ」

 ルムは少々やりにくさを感じつつも砕けた口調に戻して了承し、ランケオラータに話を通しに行く。

 

 もともとランケオラータの戦略の中に入っていることであり、アービィに自殺攻撃でもさせるというのであれば別だが、ルムが連れて行くことに対して否を言うはずはなかった。

 わざわざ面倒なことを言い出したのは、今後南大陸の住人と付き合って行くうえで必要なしがらみでもあるため、今のうちに慣れてもらおうというアービィの思惑もあったからだった。

 翌朝、数日分の食料と護身と狩り用の武器を携えて、アービィ、ルティ、ティア、そしてルムの四人は山脈地帯に向かった。

 

 

 ルムの帰着にパーカホが沸き返っている頃、バードンとヌミフが形式上捕らわれの身ということになっているイーバの村は、死者の集落と化したかのようだった。

 非公式ながら平野部からの食料援助で、餓死という最悪の結末は避けられていた。だが、人心地ついた中央部の民は、祖父の地を離れることを良しとせず、魔獣が席巻した山脈の向こう側に残る同胞を放っておくことに罪悪感を覚えていた。いくつかのパーティが山脈を越え中央部へと進入し、同胞たちに避難するよう説得に向かっていた。

 しかし、彼らを待っていたものは、人の気配が途絶えた集落と、不死者と化したかつての同胞たちだった。

 

 日中に集落へと到着した彼らは、人気のない集落をいくつも回っているうちに夜を迎え、そこで不死者の襲撃を受けた。

 生者に比べ不死者は動きが鈍く、走って逃げれば振り切ることは難しくはなかった。だが、探索に来たパーティを襲った不死者の群れは膨大な数で、どこへ逃げても別の不死者たちが待ちかまえている状態だった。襲撃を受けた瞬間に、何もかも捨て、何も考えずに逃げ出せば、あるいは助かった者も多かったかも知れない。

 しかし、かつての同胞が、救いを求めて集まってきたものと思いこんでしまったパーティは、初動の対処が決定的に遅れてしまった。

 

 不死者は動きこそ鈍いが、その膂力は生者のそれを遙かに凌駕していた。

 ある者は首を絞められ、瞬時に意識を失い生きたまま喰われ、ある者は首を引きちぎられ、またある者は胴を切断された。いくつものパーティが痕跡さえ残さず食い尽くされたが、かろうじて三人の生還者があった。

 それとて最も年若い者たちを、無為に喰わせてなるものかと決死の思いで不死者の群れに突入し、我が身と引き替えに血路を開いた英雄的行為があってのことだった。

 

 やっとのことで不死者の群れを脱した三人が、中央部では数少ない街と呼べるターバの集落にたどり着いたのは、陽が昇り始めた頃だった。

 そこで三人はターバの人々から彼らを襲った災厄について聞かされた。

 

 

 中央部にある集落のうち、小規模にものがいくつか白い光の柱に包まれた。

 いつかバードンとプラボックが、山脈地帯から遠望した邪悪な気配を纏った光柱だった。それから数日ごとに小規模な集落を光の柱が包むことが三回続き、光に包まれた集落からの便りがなくなった。魔獣が席巻した昨秋を乗り切った同胞たちだ。心配しないわけがない。

 それまで食料を巡って諍いをしたことがあったとしてもだ。放っておくわけにもいかず、三つの集落の様子を見に三つのパーティを派遣することになった。

 

 魔獣の襲撃で遺棄された集落を中継地点にして、それぞれの集落にパーティが辿り着いたのは夕暮れ時を過ぎ、夜の帳が降りる頃だった。

 そこで同胞の姿をした不死者たちに襲われ、ようやく数人が脱出に成功し、中央部を新たに襲った災厄の正体をターバにもたらした。

 そして、消えた同胞の捜索隊を出すかどうか悩んでいるところへ、不死者の群れからかろうじて逃れ切った三人が転がり込んで来たのだった。

 

 大量の不死者は、グレシオフィが転生邪法の魔法陣で集落を囲み、そこに住む人全てを一気に転生させていた人々の成れの果てだった。

 だが、一度に囲み切れる面積には限りがあり、あまり広すぎると邪法はまるで効力を発揮しないか、発揮してもビースマックでハラたちが転生したような、寿命の短い不死者しか作ることができなかった。

 一定の面積内であれば、完全な不死者へと転生させることも可能ではあったが、自身と同等の不死者に転生させてしまうと力が拮抗し、支配に支障を来すと考えたグレシオフィは、何度かの実験失敗の後に不完全な不死者への邪法を完成させていた。この邪法で転生させられた不死者たちは、当初の目論見通り夜しか活動できない中途半端なものでしかなかった。日光の下では活動できないどころか、身体が崩れ去ってしまうのだった。

 グレシオフィは、不死者たちにいずれ日光の下で活動する能力を授けることエサに、忠誠を誓わせていた。

 

 邪法を受けた三つの集落から夜のうちに往復できる集落がないため、今のところ二次的な人的被害は捜索隊だけだった。

 だが、邪法や不死者たちの特性をターバの民が知る由もなく、いつ、かつての同胞に襲われるかと人々は戦々恐々と日々を過ごすしかなかった。

 決死の思いでターバの街を後にした三人が山脈地帯に戻ったのは、ルムが北の大地戻る十日前のことだった。

 

 

「プラボックさんって、どんな人?」

 イーバへ続く坂道を上りつつ、アービィがルムに訊ねた。

 

「う~ん、直接会って話したことはないんだがな。愛しき怨敵。と言ったところか」

 自身の言葉に納得できないという顔で、ルムは答えた。

 

 プラボック率いる中央部の民は少しでも南へ、ルム率いる平野部の民は自らの生活圏を維持し続けるため、互いの血を流し合う仲だった。

 これまで同じ戦場で相対することはあっても、直接剣を交えることはなかった。生起した戦のほとんどは、配下同士による生存圏の奪い合いだ。それでも互いに戦運びから性格を知り抜いている。

 退き時を心得え、闘いの機微を知り抜いた手強い相手と互いを認識していた。

 

 今、中央部の民は背に腹は代えられないという思いがあるからこそ、手を結ぶという選択肢が生まれている。

 だが、これで最北の蛮族を討ち果たした後、荒れ果てた中央部を捨て、平野を奪取しに来ないという保証はない。間違いなく蛮族との戦線は中央部に形成され、その地は焦土と化す可能性が高い。戦の後に復興させる労力よりも、もう一戦行って平野部を占領する方が圧倒的に手っ取り早い。

 そのような北の大地の内紛が続けば、南大陸がどう出るか、だいたい予測がつく。

 

 今回最北の蛮族を討つために、初めて南大陸の軍が北の大地に駐留する。

 決して中央部や平野部の民を救うための奉仕活動などではなく、地峡から押し出してくる北の民を止めるための一方策であることは、ルムにも解っていた。中央部の民が最北の蛮族の立場になれば、南大陸の四国家は再度軍を編成しこれを討つだろう。そうなっては平野部の民も、南大陸から見ればいつ押し寄せてくるか分からない蛮族同等に看做されてしまう。

 果たして恩讐を超え、永続的に手を結ぶことはできるのか、ルムはそれが気掛かりだった。

 

「話が拗れなかったら、僕もティアも獣化しなくていいんですよね?」

 先日レイを脅かした際の騒動を思い出し、アービィが聞いた。

 

「そうだな。無理に騒動を起こすことはないだろう。ティア様のお手を煩わすのも最後の手段だ」

 やはり同じことを考えたか、ルムが答える。

 ラミアの妖術に頼る気は、元よりない。

 誑かして手を結べたとしても、プラボックが正気に戻るまでの僅かな間でしかないし、そうと判れば二度と話すらできなくなるだろう。いざという時、ルムがティアに望むことは、大蛇の姿であり、ラミアの容姿だけだった。

 

「そうですよね。僕が普通の大きさの狼だったらいいんですけど、あからさま過ぎですから」

 アービィは苦笑いしつつ言った。

 野生の狼は、せいぜいアービィが獣化したときの半分程度の大きさだ。

 それにアービィが獣化した姿は、神と言うにはあまりにも禍々しすぎる。

 

 

 イーバの村の入り口で警備に立つ中央部の民に、ルムは来意を告げプラボックへ取り次ぎを頼んだ。

 以前であれば顔を合わせただけで、血を見ずには済まされない間柄の二つの部族が、ぎこちない動作ではあるが礼儀正しく振る舞っていた。ルムは何とも言えない滑稽さを自分に感じ、警備兵がいなくなってから苦笑いを浮かべた。

 やがて、待つほどもなくプラボックがヌミフとバードンを伴って、村の入り口までルムたちを出迎えに来た。

 

「直々のお出迎え、痛み入ります。私が平野部を統べるルム。こちらは、南大陸の住人たちで、アービィ、ルティ、ティア……です。以後お見知り置きを」

 再度ぎこちなさを漂わせながらルムが挨拶する。

 

「本来なら我等から出向かねばならぬところをご足労いただくことになり、まことに申し訳ない。私が中央部を統べるプラボックだ。此度の食糧援助には、言葉もないほど感謝してい……これは言ってもよろしかったかな?」

 丁寧な物言いの中に、わざと笑いを含ませようとしたプラボックには、多少の余裕があった。

 プラボックは、今回の非公式な食糧援助はルムの許可がないことを承知している。

 

「いや、構いません。私がいても同じように判断していました。独断専行と言ってしまえばそれまでですが、無為に命が消えることを見過ごせなかったことは当たり前のことでしょう」

 もちろん、剣を交えていたらそうは行きませんが、とルムは付け加えた。

 

 まだ指導者というには若すぎるルムに対して、プラボックは既に四十を超えている。

 幾多の戦乱を勝ち抜き、今回こそ一敗地に塗れこそしているが、それまで最北の蛮族に対し一歩も退かなかった男に対して、ルムはそれなりの敬意を抱いている。言葉遣いにも、それは表れていた。

 対してプラボックは、まだ二十代半ばで広大な平野部を統一したこの男に対し、味方であればどれほど頼もしいかと畏敬の念を抱いていた。

 

「さようか。それは良かった。私の不用意な発言で、あなたの側近が罰せられては寝覚めが悪いというもの。その件はこれくらいにして。ヌミフ殿、今まで不自由な思いをさせて申し訳なかった。兄上にお越しになっていただいたのだ。話が済んだ後は、共にお帰りいただこう。バードン殿……?」

 プラボックはヌミフに頭を下げ、次いでバードンに頭を下げようとして、彼の姿が見えないことに気付いた。

 

「あの二人、積もる話があるみたいで」

 ティアが、バードンとアービィが連れ立って村の囲いを出たことを告げた。

 横ではルティが落ち着きをなくしているが、ティアはバードンが丸腰だったことに気付いていたため、ほとんど心配などしていない。

 ルムとプラボックは二人が何故いなくなったか訝しんだが、それでも一刻も惜しい両雄は、プラボックが仮の住まいと定めた小屋へと肩を並べて歩いていった。

 

 

「よく戻ってきたな。俺に殺されるために。褒めてやる、狼」

 暫く振りに顔を合わせたアービィとバードンの間では視線が交錯し、まるで火花を散らしているかのようだった。

 

 次の瞬間、ものも言わずにバードンが拳を繰り出し、アービィの頬を的確に捉えた。

 脳がシェイクされるような感覚に、唐突に怒りが湧き上がったアービィが拳を握り、バードンの頬を殴り飛ばした。アービィは、自分が初めて人に対して拳を握ったことに驚き、そのまま立ち尽くして自分の手を見詰めていた。

 後ろに一歩下がったが、かろうじて倒れることだけは堪えたバードンが再度拳を固め、アービィに殴りかかる。

 バードンの拳と、咄嗟に繰り出したアービィの拳が交錯し、ほぼ同時にお互いの顔面に炸裂する。

 反動で両者が後ろに仰け反るが、どちらも倒れることだけは頑なに拒んでいた。

 

「気が済んだ。戻る。また、今度だ。蛮族を討ち果たしたら、今度こそ獣化しろ」

 数回拳を叩き込み合ってから、さっぱりした顔つきでバードンは言い、さっさと村へと戻って行った。

 

 取り残されたアービィは、何故怒りが湧き上がったのか、今まで固く戒めていたのに何故人に対して拳を打ち込んでしまったのか、バードンが何故あの程度のことで気が済んだのか、呆然と考え込んでいた。

 おそらく、バードンであればアービィの拳がクリーンヒットしても死ぬことはないだろうという甘えがあったということは、なんとなくだが理解できていた。

 だが、何故、怒りが湧いたのか、何故バードンがあれで満足できたのか、その答えはいくら考えても解らなかった。

 

 

「援助していただく側からの申し出としては、これ以上不遜なことはないと承知の上で言わせていただく。決して中央の民は平野の民の膝下に敷かれるのではない。これだけは譲るわけには参らん」

 プラボックが言った。

 

 中央の民の中には、未だに平野に侵攻し、これを占領してそこの民を奴隷として使役しろと公言する者も少なくない。

 今まではそうして食料や生活圏を確保していたので、当然といえば当然の発言だ。プラボックとしては、そのような者たちを慰撫しつつ、有耶無耶のうちに同盟関係を作り上げてしまいたいと考えていた。

 ルムにしてみてもそれは同様で、中央の民の中にそのような意見を持つ者がいて当然と思っている。

 

「それはこちらも望むところです。援助とは申し上げたが、ただでくれるというわけには行かないことは、ご承知おきいただきたい。当面、余剰というほどではないが、そちらに回す分の食糧はあります。ですが、いずれ底を突くことは自明の理。我々に隷属しろというのではなく、共に汗を流す。食い扶持は自分たちで作り出していただきたい」

 ルムは中央部を併呑しようなどという野望は持っていない。

 

 もし、中央部の民を食糧援助を盾に支配下に置くなどということになれば、最後まで彼等を食わせる義務が生じてしまう。

 それよりも平等に土地を分かち合い、中央部の民には自活してもらうようにことを運ばなければ、共倒れするしかないことをルムは理解している。

 

「そう言っていただけるなら、私は民を説得できる。万が一にも、我らが使役されるということであったなら、私は民の尊厳を守らねばならなかっただろう。心遣いに深謝する」

 プラボックは、ヌミフやバードンから聞かされてはいたが、平野を統べる指導者直々の言葉で安心したようだった。

 

「間もなく南大陸のカトスタイラス、ハイグロフィラ領の軍が到着します。彼らは、報告にあった不死者どもに対抗する武具を携えてきます。アービィ殿の話では、奴等に対抗するには、精霊の祝福を受けた武具が必要とのこと。通常の剣や槍では、切る側から傷口が塞がってしまうらしいのです。軍が到着すれば、中央部にのさばる最北の蛮族どもを討ち払い、あなた方の父祖の土地を取り戻すことも可能かと」

 中央部から命辛々生還した者からの報告に話題が移り、アービィから耳打ちされたことをルムが言った。

 

「そうか。それではいくら精鋭を送り込んでも無駄だったわけだ。精霊の祝福というが、我らが崇める神々の祝福ではいかんのか?」

 プラボックは自力で対抗できないことが残念でならない。

 

「それは、残念ながら困難と言わざるを得ません」

 バードンが話に割り込んだ。

 

「何故かね?」

 プラボックが問う。

 

「何故なら、神の力で対抗し得る相手は悪魔だからです。こちらの方の言われるように、悪霊相手では多少部が悪い。我等を守護してくださる神の力では、悪霊を滅し去ることはできません。そもそも神の力は慈愛の力。悪魔に対しても折伏を旨とします。悪霊に相対した者が神と比肩し得るほどの力持っているのであれば、これも可能とできるかもしれませんが、そこまでの者は残念ながらおりません。北の大地に渡って以来見て参りましたが、いくつかの部族では地水火風とは違う精霊を崇めているご様子。その精霊たちであれば、あるいは」

 プラボックの疑問にバードンは答えた。

 

 ルティはバードンとアービィの顔が腫れ上がっていることに気付き、二人の間で何が起こったか理解した。

 だが、その割には二人ともさっぱりとして表情で、いがみ合う姿勢を見せていないことが何故なのか解らなかった。

 お互いに目を合わせることはないが、相手の意見を否定のために否定するようなことはせず、それぞれの主張が食い違うときだけ、はっきり己の言うべきことを主張するだけだった。

 

「そうか。ならば、その部族のシャーマンに手を貸してもらう。ただ、それが可能かどうかは、やってみなければ判らんな」

 プラボックは中央の民の中から、樹木や自然物に宿る精霊を崇める部族を思い出そうとしていた。

 精霊を信仰の対象とする部族も山脈地帯に避難していた。その中には部族を統べる立場のシャーマンがいたはずだ。協力を取り付けることは容易いが、祝福法儀式があるかどうかが判らない。

 バードンからマ教の祝福法儀式の次第を教わって、見よう見まねでやってみてもそれが効力を発揮するか怪しかった。

 

「一気に大量にはできませんが、農業の指導に来ている風の神官様に祝福法儀式を施していただくことならできるのではないですか? いずれ、地水火風全ての神官様が北の大地にいらっしゃるはずですし」

 ルティが対案を出した。

 現在独立混成大隊の到着をウジェチ・スグタ要塞で家畜たちと共に待つ神官たちは、風の神官の他に地火の神官がいる。

 水の神官は、独立混成大隊に同行して、今頃ラシアス街道を北上しているはずだ。

 

「ルティ殿、といったな。大変ありがたいことだが、それは最後の手段とさせていただこう。まずは、我々の手ですべきことをする。それでできないようならば、素直を神官殿にお願いするとしよう」

 プラボックが答える。

 祝福法儀式ができるかどうか極めて怪しいところだったが、最初から投げてしまっては中央部の民は自立するための拠り所がなくなってしまう。

 

 ただでさえ、食料の援助を受け、居住地や農地までも提供してもらい、農耕の技術まで伝授してもらうというところだ。

 そのうえ父祖の地奪回の兵まで供出してもらう。これ以上甘えてしまっては、事実上平野部と南大陸に征服されてしまうようなものだった。

 プラボックの心情を察したルティは、それ以上風の神官による祝福法儀式を強く勧めることはなかった。

 

「バードン殿、アービィ殿、一つお聞かせいただきたい。不死者へと転生された者を、元に戻すことは可能か?」

 プラボックはその点に苦慮していた。

 なんと言ってもかつての同胞だ。苦楽を共にしてきた同胞だ。

 既に理性を奪われているとはいえ、自らの手で斬り捨てることには躊躇いを感じてしまうだろう。かといって南大陸の軍に討ち果たされては、今後にしこりを残しかねない。

 もし、戻せないのであれば、自らの手で葬ってやることが、せめてもの手向けとも思える。

 

「はい、残念ですが」

 バードンが口の中苦いものを感じつつ答えた。

 

「そうか。ならば、尚のこと我らの手で精霊の祝福を得、彼等に安息の眠りを捧げる必要があるな」

 それが同胞への義務だ、とプラボックは続けた。

 

 

「大まかな取り決めはこのくらいでよろしいかと思います。提案なのですが、私はヌミフを南大陸へ出すつもりでいます。見聞を広めてもらい、蛮族を討ち果たした後に北の大地を経営するための知恵をつけてきてもらおうと思っています。プラボック殿も、どなたかお出しになりませんか?」

 ルムが言った。

 

 ヌミフは唐突な言葉に戸惑っている。

 今の今まで北の大地を出て南大陸へ行くことなど、夢にも思っていなかった。

 冬に凍らない土地に憧れはあったが、使命を帯びて行くことなどあるはずがないと思っていた。

 

「ヌミフ、せっかく再会できたのだが、また暫くの間お別れだ。お前には、広く世界というものを見てきて欲しい。南大陸の真似をすればいいというわけではないぞ。そこは履き違えるな。南大陸と競い合って、北の大地を発展させるにはどうすればいいか、それを考えてこい。既に、インダミトのバイアブランカ王には話が通っている」

 戸惑いのあまり挙動不振に陥ったヌミフに、ルムが平野部の指導者としての立場から命じた。

 ヌミフは、ただ頷くだけだった。

 

「そうか。了解した。明日までに人を選んでおこう。さて、今日はもう遅い。今夜はイーバで歓待させていただこう。もっとも、その食料はそちらのものだがな」

 そう言って、北の大地初となる指導者同士の会談を切り上げたプラボックは、豪快に笑った。

 そこには卑屈さなどまるでなく、民を食わせていくためにはどんなことでもしてやろうという、強かな指導者としての顔があった。

 

 民族の滅亡という危機を前にしてのことではあったが、千年に及んだ血で血を洗う歴史の終わりが始まる。その瞬間だった。


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