狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第64話

 ラシアスの王都アルギールの手前で、小隊単位の別行動になった特編中隊は、一泊の行程後にヤツークの宿場に集結していた。

 アルギールさえ迂回してしまえば、この後には障害はないはずだった。将兵の表情には安堵の色が浮かび、全体の雰囲気も弛緩したものになっている。だが、副官はここで気を抜くことの危険性を理解している。いつニムファが干渉してきてもおかしくない。できるかぎり迅速に、アルギールから離れる必要があった。

 アービィと闘いたがっていたウェンディロフとは違い、ニムファが高圧的な態度で接してくることはないのだろうが、それはアービィたちに対してということであり、中隊に対してはその保証がない。

 

 ニムファが強引に特編中隊の足を止めようとしないとも限らない。

 その場合、王都を守る近衛第一師団と、ベルテロイ駐在の近衛第二師団が相討つ危険性を孕んでいた。

 両師団ともそれぞれが育て上げたプライドがあり、他方を見下してそれを満足させる風潮もあった。

 

 片や王都の守護者。片や大陸均衡の守護者。

 師団の名称に入る数字が若いということも、第一師団が第二師団を見下す理由の一つだった。

 それに対して第二師団は、第一師団を国内奥深くに篭もったまま礼典ばかりに気を使う軟弱者の集団と見下していた。

 もっとも、第一師団が働かなくてはならないという事態は、王都が陥落するかどうかの瀬戸際ということを意味し、第二師団が働かなければならない事態とは、南大陸が動乱の渦中にあることを意味する。

 両師団が無聊を託ちつつ罵り合いをしていることは、大陸が平和であることの証明でもあった。

 

 

 幸いなことに特編中隊がグラザナイに到着するまで、第一師団と鉢合わせすることもなく、平穏だが退屈な行程が続いた。

 だが、アービィもルティも、ティアだけでなく中隊副官も、ニムファがこのまま大人しくしていてくれれば良いと思っている。

 北の大地へ着く前に、出国に手間取るような悶着は起こしたくはなかった。

 

 グラザナイに到着するなり、アービィたちは手持ちの武器防具を全てに祝福法儀式を施すため、火の精霊神殿に行った。

 何故か神殿では火の最高神祇官で待ち構えており、訝しげにするアービィたちを見て笑みを湛えている。

 

「エンドラーズから聞いておるぞ、そなたたちの活躍は」

 火の最高神祇官は歳相応の好々爺という雰囲気を湛え、笑みを消すことなくアービィに言う。

 そして半ば呆れ顔で、あの洟垂れ相手に風の神祇官たちも大変じゃろうと溜息混じりに付け加えた。

 

「エンドラーズ様をご存知で?」

 思いもよらない名前を聞いたため、アービィは間抜けな問いをしてしまった。

 

 精霊神殿の神祇官同士が知らぬ仲のはずはない。

 それに、アマニュークの一件では風の神祇官だけでは手が足りず、土水火の神殿にも応援を依頼している。

 その点を指摘され、アービィは自分の発言の間抜けさに気付き、思わず赤面してしまった。

 

 洟垂れという言葉が気になったようなアービィに、エンドラーズが七十歳になろうとしているのに対し、自分は既に九十歳を超えていると説明した。

 そして、ルティに目をやった最高神祇官は、そのまま表情を驚愕の形に変え、暫くの間言葉が出なかった。

 

「あの、あたしの顔に何か?」

 訝しげにルティが訪ねた。

 

「あ、いやいや、なんでもない。失礼をした。いや、何でもないということはないな。そなた、意識を呪文に集中させてみるがいい」

 まじまじとルティの顔を見ながら、最高神祇官が言う。

 

「呪文に、ですか? はい……えっ!?」

 ルティは言われるままに呪文に意識を集中させ、驚愕の声を上げてしまった。

 集中させた意識の底から、地水火風のレベル4呪文が浮かび上がっている。

 

 ルティが使用可能な回数は、レベル1と2は10回に達しているが、レベル3はまだ4回しか使うことができないはずだった。

 通常であれば、レベル3までの使用回数が10回に達しない限り、レベル4の呪文が意識の底から浮かび上がることはない。火の最高神祇官が驚くのも無理はない。歴代の最高神祇官の中でも特に呪文の熟達に才を示した者に限って、ルティのようなことが起きたことがあったが、過去においても数えるほどしかいない。

 それも南大陸の四国家に精霊神殿が分祀された四百五十年前以降には例がなく、まだベルテロイに精霊神殿があった頃の話だ。

 

「よほど精霊に気に入られたようじゃの、そなたは。いかがかな、旅の後でも構わんから、いずれかの神殿に仕えぬか?」

 なんとか平静を取り戻した最高神祇官は、ルティをスカウトし始めていた。

 

「はい、自分でもびっくりしてます……せっかくですが、あたしに巫女仕えは無理です。旅がいつ終わるか判りませんし、そのあとは……」

 ルティはそう言ってアービィを見る。

 

「さようか。気が変わったらいつでも来るが良い。いずれの神殿でも、間違いなく歓迎、いや、最高神祇官への道が待っておろうぞ」

 ルティの才を愛しむように言った最高神祇官は、諦め切れぬという表情だ。

 だが、ルティの視線の先を見て全てを悟った彼は、それ以上ルティを説得することを諦めていた。

 

 それから二、三祝福法儀式に関する打ち合わせののち、三日後に武器防具を引き取りに来るということに決した。

 世間を騒がせたアマニュークでのレイス騒ぎ、ビースマックでのクーデター紛いの騒乱について互いの意見を交換し、火の神殿を後にした。

 

 

 グラザナイに到着した特編中隊は、アービィたちの武器防具に火の神殿で精霊の祝福方儀式を施す間、三日の休暇が与えられた。

 思い思いに町に出て束の間の休日を満喫する将兵を見ながら、アービィはこれから先のことを考えていた。

 どこでランケオラータ一行と合流できるか、まるで見当が付かない。途中で手紙を出そうにも、半ば隠密行動だったアービィたちは手紙を出すことも、返事を受け取ることができなかった。

 ウェンディロフやニムファの出方次第では、グラザナイへの到着がいつになるかも判らないということもあったからだ。

 

 だが、ようやく、この先の行程ならある程度の見通しを立てることができるようになった。

 とは言っても、グラザナイ以北で大きな町はラシアス街道を西へそれたカルーガと、ウジェチ・スグタ要塞の後方支援基地になっている南大陸最北端の町リジェストしかない。

 ここから先の行程では、アービィたちは日数を稼ぐためカルーガを回る平坦な街道ではなく、グラザナイからリジェストまで最短の山岳地帯を踏破する予定だ。リジェストで合流できるタイミングでなければ、ルムの本拠地であるパーカホまでの間で追いつくしかなかった。

 ランケオラータたちの動向が判らない以上、出立が遅れたアービィたちの方が北の大地までは遠いと判断すべきだろう。

 アービィはルティとティアを宿に残し、グラザナイのギルドに手紙を預け、リジェストのギルドでランケオラータが手紙を受け取れるように手配し、自分たちの動向を報せることにした。

 

 

 ギルドに手紙を預け、町を歩きながらアービィは火の最高神祇官が言ったことを思い出していた。

 北の大地に禍々しい気配が渦巻いている。地の神殿から寄せられた情報にあった邪法と同じ気配で、アマニュークに充満していたものとも似ている。火の最高神祇官はそう言った。

 彼には最高神祇官が精霊の加護によって身に付ける特殊技能のうち、遠見の術が身に備わっていた。

 

 アマニュークの一件は偶然と思われるが、ビースマックに短期間吹いた気配と、今現在北の大地に渦巻く気配は同じものと彼には見ている。

 アービィがこれから行く先に、彼は漠然とした不安を抱いていた。遠見の術を以てしても、未来までを見通すことはできない。最高神祇官といえど、予言者や預言者ではなかった。精霊は過去の知見を現在にもたらすことはできても、未来を知らしめるような能力は持っていない。彼は、ここまではアービィに話していた。

 とにかく、充分すぎるほど気を付けよと。

 今更いっても詮方ないことだが、できれば全神殿で祝福法儀式を施すべきだとも。

 

 現実問題として、今からビースマックとインダミトに戻っていては、北の大地に渡る時期が秋にずれ込んでしまう。

 それではランケオラータたちの役に立つどころではない。最高神祇官の危惧は重々承知のうえではあるが、ここは急ぐべきだとアービィは考えていたが、一つ策を講じてみる気になっていた。一発勝負の短期決戦のような仕事ではないので、その策でも充分事足りるのだろうと思うが、問題は材料の調達と依頼する相手の都合だな、とアービィは思っている。

 再度ギルドへ足を運び三通の手紙を書き終えると、それを早馬に託してアービィは宿へと戻って行った。

 

 

 中隊司令部と一緒に泊まる宿に戻ると、裏庭がなにやら騒がしい。

 嫌な予感がしたアービィが裏庭に出ると、ルティと中隊一の剣の使い手である騎士が立ち会っている。

 試合は始まったばかりらしく、両者とも十歩ほどの距離を取って動いていない。ルティは居合いに近い技を身につけており、全身の力を抜いてリラックスした状態で両手を下げている。騎士は、全身から闘気を立ち上らせ、両刃のバスタードソードを正眼に構えていた。

 

 ルティは完全に受けの姿勢で待っているが、騎士は打ち込めない。

 騎士には自分が剣を振り下ろすより先に、ルティの刃が騎士の胴に食い込むのが見えてしまっている。ルティはルティで瞬間的な爆発力では騎士に一歩引けを取ることが判っている以上、自分から切り込んで行っては踏み込む前に騎士の剣が打ち下ろされることが見えてしまっていた。

 剣筋ではルティに鋭さで軍配が上がるが、総合力で騎士が互角以上に持っていっていた。

 

「その辺で終わりにしときなよ」

 両者の緊張が極限に達したところで、アービィが止めに入る。

 

 このままでは、どちらにも余裕がなくなり、打ち合いではなく斬り合いになってしまいそうだった。

 既にルティは汗ぐっしょりになっている。如何に緊張した状態だったかが、手に取るように判った。

 一方の騎士も、よく見れば構えた剣が僅かに震えており、こちらも正確な太刀筋は望めそうにもなかった。

 

 盛大な吐息と共に、両者の緊張がほぐれる。

 ルティが汗を拭い、騎士は腕を軽く揉みながら、互いに次こそは決着をと言い合っていた。

 

「アービィ様、是非、私と立ち会っていただきたい。ウェンディロフ様を瞬殺したという技の冴えを、この目で、この身体で受けてみたいのです。もちろん、敵わぬまでも、私も精一杯戦わせていただきます。よろしいでしょうか?」

 別の騎士が二人に労いの言葉を掛けてから、アービィに向き直り片膝を付いて話しかける。

 

「う~ん、いいですけど……怪我しないでくださいね」

 万が一にも怪我でもさせたら、護衛として付けてくれたヘテランテラに申し訳が立たないし、この騎士も任務が全うできなくなってしまう。

 

「ええ、そこは。少なくとも、ウェンディロフ様より体術では私の方に分があると思っております」

 騎士には自信があるようだった。

 敵わぬまでも、とは、礼を失しない程度の社交辞令で、本心はそうは思っていないことが見て取れる。

 勝てないまでもそれなりの勝負になる、その程度の自信を持てるくらいには鍛えているようだった。

 

「じゃあ、恨みっこナシですよ。始めましょうか? 不意打ちとか言われても、あとあとめんど――」

 他の騎士に審判と開始の合図を頼もうと、アービィが視線を外した隙をついて騎士が左の拳を打ち込んできた。

 

 アービィは軽く右手の甲で騎士の拳を弾き、続いて打ち出されてきた右の拳を左の掌底で受け止める。

 肩まで響く痛みに騎士が顔をゆがめた瞬間に、右の掌底が騎士の頬を打ち抜いた。脳震盪を起こさない程度に手加減された掌底というよりは平手打ちだが、それでも騎士の意識は飛びかけて棒立ちになる。そのまま、後ろに回って羽交い絞めに捕らえ、一気に反り投げに移行する。

 振り解こうとした騎士の身体から重力の感覚が消えうせ、次に重力を感じた瞬間、騎士の身体は池の中に叩き込まれた。

 

 両腕を固めた状態で、そのまま地面に叩き付けては受身が取れず、騎士の首が折れかねない。

 騎士が振り解こうともがく間に立ち位置を変えて、池の側まで引き摺ってきていたのだった。

 

「まだ、やります?」

 騎士が池の中で身を起こすのを待って、アービィは訊ねた。

 

「いえ、もう……参りました」

 池から上がった騎士が深々と頭を垂れる。

 

 拳を受け止められた瞬間で、騎士は負けを悟っていた。

 下手に動けば手首が折られる、その恐怖に身が竦んだときには左の頬に衝撃を感じ、次に腕と首が決められたと思ったら水の中にいた。

 

 

 ティアは二人を眺めつつティアラを磨いていた。

 もちろん、宿の部屋に篭り、他人からは見えないようにだ。ティアはこのティアラを買ってきたときの二人を思い出すと、自然と笑みが漏れてくる。あのときは、まさか二人がティアラを買いに行っているとも知らず、随分拗ねていたものだった。

 それまで、ごく一時を除き一匹で生きてきた魔獣が、人から離れることができなくなっていると自覚したときでもあった。そしてアービィという個体だからであるということは理解しているが、人狼に対する考え方が代わってきたことも自覚していた。

 そうでなければ、人狼の子供を人の社会に自然と溶け込ませるための仕事をしようなどとは思うはずはない。

 

 

 平穏な午後のひとときが流れていく中で、ティアは自分たちの行く末に思いを馳せる。

 アービィとルティが二人でどこかに落ち着く傍にいたいという気持ちと、人狼の社会参加支援の事業を興したいという、およそ魔獣らしからぬ気持ちがある。

 前者は場所を選ばないし、ルティは子々孫々までと言ってくれているが、後者はどこでもよいというわけにはいかないだろう。

 

 人里離れた山奥で、ティアと人狼の子供たちだけで暮らしていても、何の解決にもならない。

 協力者がいて、地域が受け入れなければ、唯の自己満足の自活コミュニティでしかない。

 その協力者や地域も名もない市井の善人だけでは、コミュニティの規模が少々大きくなる程度だ。

 

 いきおい、国や権威の協力を取り付け、王都なり神殿の町に、拠点を築き上げなければならない。

 その協力を取り付けることや、忌み嫌われる人狼を地域に受け入れさせる労力は、生半可なことでは済まないだろう。

 なによりも、人狼すべてが恐怖の対象ではないことと、人狼が人と共存できること、人狼が人の役に立てる存在であることを証明しなければならない。

 およそ人々が人狼に抱くイメージとは、真逆の幻想と一蹴されかねない。

 

 だから、ティアにとってアービィの存在は、今掌中にあるラミアのティアラより、はるかに重要なものだった。

 彼が人狼であることを隠さずに済む世の中になれば、彼の種族への風当たりも少しは弱まるかもしれない。だが、人狼が何らかのトラブルを起こす度に、アービィが非難の矢面に立たされるだけになってしまうかもしれない。

 つまり、人々にアービィという攻撃対象を与えるだけになってしまうかも知れない危険性をはらんでいることを、ティアは理解していた。

 

 今回、北の大地へ渡る理由は、ランケオラータとルムへの純粋な友誼と、レイへの純粋な好意からだ。

 ティアの場合、そこへランケオラータやボルビデュス家、捕虜にされた人々や北の大地で無為に命を散らした人々への罪滅ぼしだ。

 そして、レイを支援することによる、レヴァイストル伯爵への恩返しも含まれる。

 だが、人狼の社会参加支援を考え始めた今は、最北の蛮族をアービィが平定するれば、人狼の社会的な立場を引き上げることができるという目論見も生まれていた。

 アービィを利用するようで気が引けなくもないが、きっと理解してくれる。ティアはそう思っていた。

 

 

「今夜さぁ、バーベキューなんてどうかなぁっ!?」

 ティアが眺めているのに気付いたアービィが、裏庭から大声で言った。

 

「何よ、バーベキューって?」

 ルティが聞く。

 

「あ、たいしたことじゃないんだ。焚き火で肉とか野菜とか焼くだけなんだけどね。野営の時は時間との勝負で慌ただしいから、たまにはゆっくりやるのもいいかと思ってさ。宿も材料仕入れてくるだけだから。ちょっと都合聞いてくるね~」

 つい日本での言葉で言ってしまったアービィが説明した。

 

 確かに焚き火を使っての料理はあるが、たいていの野営は手早さが求められる。

 そこに、皆が寄り集まってわいわい楽しんでいる余裕はなかった。また、日常の調理でも薪で火を熾すため、わざわざ野外でレジャーとして焚き火料理をする習慣もない。

 アービィは咄嗟にバーベキューの訳語を考えたのだが、そのような環境では訳語があるはずもなかった。

 

 

 宿からは了承され、この日の宿泊費は宿から材料を買うという形になった。

 宿の従業員と連れ立って、アービィが仕入れにいくことになり、ルティとティアが同行しようとしたが、副官から紙を用いた鍛錬方法を聞かれたルティは半分憮然としながら居残ることを了解した。

 以前もあったわよね、あたしが居残るの。

 

 従業員を含めて三人の買出し部隊は、宿から少し離れたところにある市場にやってきた。

 大通りにも市場はあるのだが、こちらは業務用市場になっていて、宿屋や食堂、酒場といった事業者が仕入れに来るところだ。当然、小売店を通さない分単価も安く、流通に時間が掛かっていない分鮮度も良かった。

 宿の仕入れも兼ねるということで、肉は宿で用途に合わせて切り分けてもらえるため、塊のまま買い込むことにした。牛と豚の肩とロース、バラ肉を各10kg相当、鶏は十羽買い込む。

 野菜の市場では、トウモロコシやタマネギ、ニラとキャベツ、きのこ類を大量に買い込んだ。

 

「ね、アービィ、今回はなんか新作あるの?」

 ティアはアービィが市場をくまなく見回って、あれやこれやと材料を選んでいるのを見て、何か考えながら買い込んでいると思っていた。

 

「うん、宿に硬い粒の小麦粉があるって聞いたからね」

 そう言いながら、アービィはレモンのような柑橘類を、いくつか籠に入れていた。

 

 

 宿に戻ったアービィは、厨房の職人に頼んで焼肉に適した厚さに肉を切ってもらう。

 そして、バーベキューに使う全体の半分ほどを酒と塩、幾つか見つけた辛味のある調味料に漬け込んだ。それからリンゴやタマネギ、ニンニク、ショウガを摩り下ろして煮切った酒と混ぜ合わせ、塩をメインにしたタレを大量に作る。

 豚のバラ肉を粘りが出るまで徹底的に叩き、キャベツとニラ、シイタケをみじん切りにして、キャベツには軽く塩を当てた。

 硬い粒の小麦粉に少量の塩を入れ、熱湯を少しずつ入れ練り上げる。パンにするわけではないので、イーストは入れていない。

 3cm程に小分けにし、打ち粉を打った台の上で直径8cm程になるように薄く伸ばし皮を作っていく。

 

 日が傾き、食事の時間が近付くと、裏庭にレンガで組み上げた竈に火を熾し、熾き火を大量に作り上げた。

 野営の焚き火は、照明であり、危険回避の防御用でもあるため、ある程度大きく炎が上がっていないと都合が悪い。鍋やフライパンを使った調理はできるものの、調理に使っていては炎が小さくなってしまうし、バーベキューには向いていない。

 各自が好みの肉や野菜を熾き火の上の金網に放り投げ、焼けるそばから食べ始める。

 日頃から身体を鍛えているだけあって、全員が素晴らしい健啖ぶりを示していた。

 

 アービィは、バーベキューが始まる直前から用意していた挽肉とキャベツ、ニラ、シイタケを合わせ、酒と塩を振ってから全体が纏まるように練り合わせてタネを作った。

 薄く延ばした皮に少量のタネを取り、皮の半円分に水を付け、二つに折り合わせた後片側にひだを付けながら閉じこんでいく。

 宿から巨大なフライパンを借りると、竈をもう一つ作り盛大に火を熾した。

 

 フライパンから煙が上がり始めたときに油を多めに敷き、タネを小麦粉の皮で包んだものをフライパンに並べ始めた。

 暫くそのままにして、いくつかを取り上げ裏の焼き色を確認してから、フライパンに湯を注ぎ込み、手早く蓋をする。

 それでも蓋をするまでの短い間に盛大な水がはぜる音が響き、油が飛び散った。

 油が飛ぶことは予め言ってあったのだが、何をしているか覗きに来たルティとティアが、油爆弾をまともに喰らって悲鳴をあげ、井戸へと走って逃げていく。

 

 水分が飛ぶまでの間は火の勢いを少し殺し、水が沸騰する音がしなくなったことを確認して蓋を開ける。

 薄い皮を通してニラの緑が鮮やかに透けて見え、この世界初の焼き餃子が完成した。

 宿の従業員に濡れ雑巾を用意してもらい、フライパンをその上に載せて油の沸騰を抑えてから餃子を取り上げ、焼き目を上にして皿に盛った。

 

 醤油がないため、塩と旨み成分を含んだ調味料で下味を付けてある。

 餃子そのもののできに不満はないのだが、アービィはラー油に相当する物があっても醤油がないこの世界を、生まれて初めて呪っていた。

 アービィは、どこかに落ち着いたら醤油と味噌の醸造も始めようと、固く心に誓っていた。

 

 厨房から鶏を捌いた後のガラをもらい、軽く茹でて骨に残った肉を毟り取る。

 再度煮出して作ったガラストックを酒と塩、胡椒で味を調え、灰汁を取りながら沸騰させた。

 そこに適当な野菜と少々厚めの皮で作った餃子を放り込み、水餃子も作った。

 

 さらに、深い寸胴鍋に浅く湯を沸かし、調理する物が湯に浸らないように小鍋を入れた。

 その上にキャベツを敷いたザルに餃子を並べて蒸し上げ、蒸し餃子も作る。

 アービィは揚げ餃子まで作って餃子四種コンプリートしたかったが、蒸し餃子ができたところでタネが尽きた。

 またルティとティアが呼びに来たため、餃子作りは中断せざるを得なかった。

 

 裏庭では、中隊司令部が緊張がほぐれた反動からか、手の付けられない大騒ぎとなっていた。

 普段は謹厳実直を受肉化したような副官が、率先して場を盛り上げ将兵から喝采を浴びつつもからかわれている。

 若い指揮官は既に酔い潰されて、部屋に片付けられていた。

 もちろん、それは嫌がらせなどではなく、そうでもしないと責任感の塊のような指揮官が、任務中に息を抜くことなどしないからだった。

 

 ただでさえ敵襲に備えて睡眠は浅く、細切れにしか取っていない。

 見張りに立つ不寝番を気遣い、ちょっとした差し入れや息抜きのために短時間代わるといったことも、毎晩欠かすことはなかった。もっと手の抜き方を教えないと、この指揮官は戦場に出る前に過労死するのではと、中隊全体が心配するほどだった。

 そんな指揮官に、ひと時の安眠を贈りたいという中隊司令部の好意は、指揮官にとってかなり手荒な形で具現化された。

 ここまで来ていれば、王都のニムファが追ってこようが要塞まで逃げ切れると判断してのことだった。

 

 

 アービィも酒のグラスを片手に、召喚以来初めてのバーベキューを楽しむことにした。

 が、既に肉類は食い尽くされており、タマネギ少々が残されているだけだった。

 もっとも餃子の味見等で、まったくの空腹というわけではなかったが。

 

「ねぇ、僕は何を食べればいいの?」

 しょげたアービィが涙ながらにルティに聞く。

 

「え~、またなんか作ってよ~」

 だめだ、できあがってる……

 とりあえずグラスを干したアービィは、酒瓶片手に厨房へと戻って行った。

 

 厨房に戻ったアービィは、残った材料を前に考え込んでいる。

 鶏の手羽先を別口で仕入れていたらしく、かなり大量に残っている。基本的な香味野菜も、ニラを含めてまだ残っていた。かなり大量に作った挽肉も、まだ餃子を中隊司令部の分を含めて一回作るくらいはありそうだった。タネは尽きていたが、材料は充分ある。

 その他に豚肉のスライスとガラから毟り取った肉が、そのままとってある。

 

 アービィは油を熱している間に、唐辛子と長ネギを刻み、ネギには塩を強めに当てておく。

 充分熱した油に刻んだ唐辛子を入れ、簡単なラー油を作った。辛味が充分出た頃合いを見て『凍結』で油を一気に冷やし、刻んだ塩ネギをラー油に漬け込んだ。

 それから手羽先を煮込み始め、酒と塩で少々強めに味を入れる。

 ガラから毟り取った肉とラー油ネギを混ぜ合わせ、適当なつまみを作ると、アービィは本格的に飲み始めた。

 

 まだ空腹感が残るアービィは、手羽先を煮込んでいる間に豚のスライスに塩胡椒し、フライパンで焼き始める。

 季節外れのカブを厨房の隅から見つけ出し、皮を剥いて四つ切りにして豚のスライスに乗せ、酒を振ってからフライパンに蓋をする。

 暫く待ってからカブの葉をざく切りにしてフライパンの隙間を埋め尽くし、ふと思いついてレモンをスライスして焼いている肉に挟み込んだ。

 

 火から遠ざけ、カブが蒸し焼きになるようにしてから、手羽先を煮汁から取り上げ皿に盛った。

 煮汁はそのまま『凍結』で一気に冷やし、ゼラチン質を固まらせて煮凝りにしておく。

 手羽先とラー油ネギ、そして豚とカブの蒸し焼きレモン風味を持って、裏庭に戻った。

 

「ルティ、ティア、新作~」

 アービィが二人に声を掛けた。

 

「遅い~。何してたのよ~」

 でき上がりかけのルティがフォークを持って近寄ってきた。

 

「細かいと食べにくいわよね」

 ティアがフォークでラー油ネギと格闘し始めた。

 いや、細かいからじゃなくて酔っ払ってるからじゃないの?

 

 ふと思いついたアービィが、庭の木の枝を二本折り、皮を削って箸を作った。

 何の違和感もなく、箸が手に馴染む。

 やっぱり、日本人なんだと、アービィが感慨に耽りつつ、ラー油ネギをつまみ始めると、ティアが興味津々という視線を送ってきた。

 

「使ってみる?」

 アービィがさらに一膳の箸を作ってティアに渡す。

 

「アービィの世界の食器?」

 やはり、日本人でもまともに使えない人がいるような食器だ。

 初めて持ったティアは、さらに悪戦苦闘していた。

 

「うん、慣れると小麦の粒だって持てるようになるよ」

 

「信じられないわよ」

 そうは言いつつも、ティアは生来の器用さからか、ぎこちなさが残っているが、なんとかネギをつまめるようになっていた。

 

「場合によってはフォークより便利かもね」

 ティアが言った。

 

「でしょでしょ?」

 アービィは自分が開発したわけでもないのに、日本のものが褒められて嬉しそうだった。

 ふと、ルティが静かなので見てみると、喉を押えて言葉が出なくなっているようで、恨みがましい目でアービィを睨んでいた。

 

「どうしたの、ルティ?」

 背筋が凍るように殺気を感じたアービィが声を掛け、ティアは無意識にアービィから離れた。

 

「……どうしたのじゃないわよっ!! 何、これは!? 食べてみなさいよ!! ティアもねっ!!」

 ルティが漸くといった感じで喉から声を絞り出した。

 アービィは、大体の味の想像は付いていたし、それなりに上手くいったと思っていた。

 カブの火の通り具合など、絶品だと密かに自負していたのだ。

 

「なんか、おかしかった? どれどれ……カブはいい感じじゃない……ねぇ、ティア?」

 アービィはカブの味見を済ませ、ティアを見た。

 そこにはルティ同様に言葉が出てこない状態で、苦悶に表情を歪ませたティアが涙目になっていた。

 ティアは黙ってアービィに肉を差し出す。

 

「ん~? レモンの風味が効いてていいでしょ、これ……ん? ……苦ぁっ!?」

 アービィは思いもよらない味に、思い切りむせ込んでしまった。

 

 爽やかな酸味とレモンの香りを付けようとして、肉にレモンを挟んだのだが、火を通したことが災いした。

 火を通さなければ、アービィの思い通りになったはずだ。

 しかし、レモンに火が通り、さらには火を通す時間も長過ぎた。

 レモンの皮が持つ苦味だけが抽出され、すっかり豚肉がそれを吸ってしまっていた。

 カブは肉の上にあったため、レモン汁に触れることはなかったため無事だったのだが、肉とカブの葉はしっかりと苦味を吸い込み、その苦味は全ての味を覆い尽くしていた。

 

「そうよ、何、この苦さ!! とても食べられないわよっ!!」

 ルティがアービィを力一杯叩く。

 

「ごめんよ~。こっちで口直しして~。これは……僕が責任持って食べるから……」

 いくらなんでも食材を捨てるのは忍びなかった。

 苦味を堪えつつ肉を口に入れるが、とても飲み込める代物ではなかった。

 

「よしなさい。勿体無いけど、捨ててきなさい。それは既に食べ物じゃないわよ。毒よ、毒」

 ルティが咳き込みながら言った。

 

「ごめんなさぁ~い」

 半泣きのアービィが、厨房に謝りながら肉を捨てに行った。

 

 

 翌日の夕食時、アービィは汚名返上とばかりに昨晩仕込み直した煮凝りを使って、大量の小龍包を作っていた。

 朝から町の材木屋に行き、板を買い込んで来る。夕方まで掛かって木枠を組み、大きなザルと合わせて簡易の蒸篭を幾つも作った。

 昨日作った裏庭の竈全てを使い、一気に蒸し上げたものを司令部要員や宿の従業員にも振る舞う。

 もちろん宿へは厨房の使用料代わりだ。

 

 後に、グラザナイがこの世界における餃子発祥の地として有名になり、中隊司令部から退官した者がそれぞれの故郷で餃子と小龍包を広めていくのは、また別の時代の物語である。

 

 こうしてグラザナイでの短い安息の日々は終わりを告げ、火の神殿から祝福法儀式済みの武器防具を受け取り、特編中隊はウジェチ・スグタ要塞を目指し山道を早駆けで北上を始めた。

 街道を行く人々は、中隊の緊迫感溢れた行動と将兵の表情に、一体これから何が起きるのかと、好奇心と不安がない交ぜになった眼差しを送っている。

 夏の日差しが強くなり始めた日の出来事だった。


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