狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第60話

 「如何でしょう、プラボック殿、ヌミフ殿だけでもパーカホに戻されては。南大陸の謀略であるかどうかの人質なら、私で充分ではございませぬかな?」

 イーバの村の集会所で、バードンは対峙したプラボックに言った。

 

「そうは、いかん。南大陸に対してなら貴様だけで充分だが、ルムが何を企んでいるのか解らぬ以上、この女を解放することはできん」

 プラボックはそう答えるが、実際のところヌミフの提案を受け入れる他はないと思っている。

 

 既に春が来たとはいえ、本格的に狩猟や農耕を始められるのは、もう暫く先の話だ。

 彼らが現在占拠している山脈から流れ出した雪解け水が、平野の大半を泥濘の荒野と化している。

 この水が退き、痩せた大地に僅かばかりとはいえ肥沃な土を被せなければ、焼き畑を実施したところでたいした収穫は上げられないし、そもそも人が活動することもできなかった。

 

 もともと山脈の民しか養えない食糧の備蓄が、そろそろ底を尽き掛けている。

 いきなり居座った中央部の民を養いきれるほど、山脈には食料の生産能力はなかった。

 それが、今までなんとか食い繋いで来られたのは、中央部から避難する前に、魔獣に襲われ命を落とした者が多過ぎたという皮肉な前提があったからだ。

 

 それは山脈の民にしても同じことで、中央部の民を一蹴した魔獣の群が山脈地帯を席巻した際に、数多くの命を食い散らかされていた。

 そうでなければ彼らが一戦も交えずに、中央部の民の膝下に敷かれるはずはない。

 地の利を得た防衛戦術は、過去に中央部からも平野部からも敵対勢力の侵入を許すことはなかった。

 

 だが、魔獣の攻撃により先頭に立っていた指導者を討ち取られ、さらに数多の戦士を討ち減らされた挙句、構築した防御柵のほとんどが破壊され、半ば茫然自失の状態では、いきなり雪崩込んできた中央部の民に抗する気力は残されていなかった。

 そのうえ、帰るところを失い、およそ十日分の食料だけを抱えて中央部から避難してきた民には、後がないという必死さがあった。

 今までであれば少人数で襲来し、食料の略奪程度で引き上げていただけのことが、一気に大規模な侵攻へと拡大された。

 

 過去類を見ない大攻勢に、抗する術を失っていた山脈の民は、食住を提供することを条件に降伏を申し出た。

 事実上の無条件降伏に近いが、命だけは残して欲しいということだ。

 口減らしか、奴隷として活かすか央部の民は迷ったが、平野部へ侵攻した部族が多数の戦死者を出して撃退されたことで、口減らしの必要がなくなるという皮肉な結果に降伏を受け入れ、最も大きなイーバの村を占領したのだった。魔獣が席巻した村の惨状に、憐憫の情が湧いたことも否定できない事実ではあった。

 中央部の民に、同病相哀れむの気分が蔓延したといってもよかったかもしれない。

 

 いずれにせよ、いくら人が減ったといっても、元々の人口より増えてしまった状態では、どう頑張っても春の本格的な到来前に食料が尽きることは確実だった。

 山脈地帯で泥濘を避けてきた動物たちを狩ろうにも、魔獣の驚異が完全に去ったという保証はない以上、迂闊に出歩くことも危険だったため、食料の補充が思うに任せなかったことも響いていた。

 

 

 そこへ持ってきてのヌミフの提案だった。

 平野部が食住の援助をするという。そればかりか、南大陸から兵だけでなく、武器防具の提供を引き出し、中央部に盤踞する最北の蛮族に逆侵攻を掛けるといった。

 撃退が成った暁には、中央部の民には元の勢力範囲での居住権が保障され、中央部の民が求めるなら平野部の民の兵はもとより、南大陸の兵も退くという。もちろん、最北の蛮族の驚異があるうちは、中央部の民が求める限り、南大陸の兵が最前線に駐屯するという至れり尽くせりな申し出だ。

 あまりにも話が旨すぎて、プラボックでなくとも疑心暗鬼に陥り、簡単には信じることなどできなかったことだろう。

 

 そのうえ、平野部を統べるルムが国賓扱いで南大陸のインダミトに行った。

 ここでなんらかの取り決めをしてくることは、間違いない。いずれ北の大地の分割統治であろうことは、想像に難くない。

 寧ろ、ルムとインダミトによる、統治という名の侵略と考える方が自然だろう。

 

 だが、プラボックたちが追いつめられていることも、また確かなことだった。

 民は統治者が誰であろうと食わせてくれる限りは、多少の不満は腹に飲んではいても付いてくる。食わせられなくなったときは、躊躇うことなく反乱の牙を剥いてくるだろう。

 山脈の民も、魔獣襲撃の混乱で茫然自失だったからこそ、たいした抵抗もなく膝下に敷くことができたのだ。

 それ以降プラボックは、山脈の民を襲った魔獣の襲撃は、自らの故郷を蹂躙したものと同じであるという同情心も手伝って、食料の分配は厳しく公平を期していた。

 

 事ここに至り、プラボックはヌミフの提案を受け入れる決意はしたものの、ルムと直接話し合うまではヌミフを解放することはできないと考えている。

 だが、バードンには強気の態度で臨んでいるが、内心は助けを求めて縋り付きたい気持ちがあることを否定できなかった。

 

 

 バードンはプラボックの内心の、半分程度は読みとれている。

 だが、ここで強気に出たり、高圧的な態度は禁物だ。もっとも、対人狼以外ではバードンが何よりも嫌うことではあったので、あり得ないことではあった。

 言うまでもなく、プラボックの危惧は理解している。人心の機敏には敏感でなければ、神父など務まるわけがない。

 対人狼対悪魔の殺戮兵器である前に、バードンは人を救うことを目的とした神父の端くれであることは自覚している。

 説法より荒事が好きなだけで、しなければならないときには粘り強く話し合うくらいのことは造作もないことだった。

 

「仰ることはごもっともでございます。ですが、ヌミフ殿の身を案じる者が多いこともご理解頂きたい。では、こうしては如何でございましょう?」

 バードンは妥協案を提示する。

 

 つまり、自分とヌミフは人質として残る代わり、ヌミフに付き従ってきた側近たちをパーカホに返す。

 そして、二人の安否を知らせると共に跳ねっ返りたちがいた場合それの抑えとし、ルムに現状を伝える役を担わせる。

 これが最も現実的な現状打破ではありますまいか、とバードンは締めくくった。

 プラボックは、暫く考えさせて欲しいと言ってバードンを拘束させた。バードンは大人しく後ろ手に縛らせたが、引っ立てられようとした瞬間に、関節を自ら外し、事も無げに拘束を解いた。

 

「貴様……」

 プラボックが呻くが、バードンは何もなかったかのように言う。

 

「無駄でございます。いかなる拘束も私は抜けましょう。もとより、こちらに留まる所存。必要ありますまい?」

 バードンには事を荒立てようという気は、全くない。

 だが、拘禁される謂われもない、それだけのことだ。

 

「そうだな。我らとて……」

 危うく限界、救いを求めていると言いそうになり、プラボックは慌てて口を噤む。

 

 マ教神殿で政争と権謀術数の中で育ったバードンにしてみれば、北の民は直情径行に過ぎるとしかいいようのない素直すぎる人々だった。

 純粋な力を見せることも必要なときがあることは、直感で解っていた。

 

「いかがです、また縛り上げますか?」

 止めだろうとの思いを込め、バードンは言った。

 

「いや……必要あるまい。好きに振る舞え」

 蒼ざめた顔でプラボックはバードンを解放するように、側近の者たちに言った。

 

 

 バードンは、妥協を悪いことだとは思っていない。

 それぞれに思惑がある以上、全てが自分の思うままにできるはずがない。それを押し通そうとするから、戦が起きるのだ。神父の端くれとしては、戦など望むものではない。

 人狼との闘争は、全く別の次元のものだ。

 

 であれば、他と共存するためには、己が要求を引っ込めなければならないときもある。

 当然、全てを引っ込めるわけにはいかないから、そこには駆け引きが必要で、それを妥協というのだ。バードンが考える妥協とは、楽をしたいがための手抜きの結果ではなく、意見を異にする両者が共存するための知恵を絞った結果のことを指していた。

 プラボックの言葉に感謝の意を伝え、バードンはヌミフが軟禁されている家屋へと向かった。

 

 

「ヌミフ殿を解放するには能わず、申し訳ございません。私もここに留まることになりました」

 バードンはヌミフが軟禁されている家屋に行くなり、頭を下げた。

 

「あの……そんな気を使わないで下さい。大丈夫です。兄が帰るまで、私の役目はここにいることですから」

 ヌミフにしてみれば、ひとまわり近く年上の男に頭を下げられるなど、経験がないため戸惑うだけだ。

 何より、侵攻を止められるだけでも充分なことだけに、それ以上のことが不可能だったからといって、謝られてもそれを否定するほど傲慢ではない。

 

 だからと言ってそれに甘えるわけにはいかなかった。ヌミフは顔を合わせる毎に、平野部と中央部の団結を訴えてはいた。

 だが、謀略の疑念を捨てきれないプラボックには、顧みられることはなかった。ヌミフは自らの無力さに打ちひしがれてはいたが、力がない以上はどうしようもないと諦めかけていた。

 いっそ抱いてくれたなら、睦言の中で言いくるめられるものをとも思うこともあったが、プラボックを始めとした中央部の民は、自分に指一本触れようとはしなかった。

 

 だが、この男が来てから、急に空気が変わったことをヌミフは感じていた。

 それも良い方に。それは、兄が自分に付けていた側近が、解放されたことで確信できた。

 

 

「ヌミフ殿、今暫くのご辛抱にございます。必ずや、事態は好転しましょう」

 バードンは、何故かは解らないが、あの人狼が助けに来ることを、心の底から信じていた。

 

 

 プラボックはどのタイミングで、配下に平野部の民に世話になることを告げるか悩んでいる。

 下手に言えば、反乱を引き起こすだけだ。

 ある意味食住を保障されるということは、征服されるということと同義だからだ。

 

 理屈では理解している。

 だが、中央部を追われたとはいえ、今まで平野部の民にも、山脈の民にも侵略させることはなかった過去の栄光をプラボックは思い返していた。

 だが、栄光や、ましてや見栄で生きていけるほど、北の大地は甘い所ではない。

 駆け引きより力が優先される所だった。

 

 

「バードン……殿、話がある。よろしいか?」

 ヌミフの側近を解放してから三日後、プラボックが突然ヌミフとバードンが軟禁されている家屋に訪ねてきた。

 

 好きに振る舞えとは言われたが、人質の身で好き勝手にするわけにはいかないと、わけの分からない理由を言って、バードンはヌミフと起居を共にし、自主的な軟禁状態に身を置いていた。

 もちろん、護衛のためであるが、寝室は別に取っている。

 

「如何されましたかな?」

 ゆったりとした所作で、茶を喫しながらバードンか応じる。

 軟禁される前とプラボックの言葉遣いが変わっているが、敢えてその点を指摘することはしなかった。

 

「この茶は南大陸にはございません。リジェストやウジェチ・スグタでもお目に掛かりませんでした。実に味わい深い。良い値で売れますな」

 バードンが飲んでいる茶は、所謂熊笹茶のようなものだ。

 一般的な茶を栽培するには、北の大地は寒すぎる。麦茶に利用できる大麦は栽培されていたが、食料としての利用が最優先だ。

 次いでエールや蒸留酒の原料とされているため、嗜好品としての茶までは回ってこなかった。

 

 熊笹のような笹であればそこら中に自生しており、いくらでも採り放題だった。

 いよいよ食糧が不足すれば、種子を食用として利用することもある。

 この葉を陰干しして焙煎したものに熱湯を注ぐと、ちょうど良い茶として喫することができた。

 南大陸にはない味であり、これは売れるのではないかとバードンは思っていた。

 

「売る? 金や銀と交換するということか? こんなものが売れるというのか? 俄には信じられんな」

 プラボックにとって茶とは、ごく希に南大陸から入ってくる紅茶や煎茶のようなものを指している。

 北の大地ではありふれた植物から作られる、貧しさの象徴だと思っていた代用品のようなものが、売り物になるなど信じられなかった。

 

「はい、パーカホにいる南大陸の住人たちにも、愛好家が多くいます。ありふれたもので大量生産できるのであれば、たちどころに財を成すことができますな。まずは新し物好きの貴族に広め、高値で売りさばき、充分に広まったところで安く庶民に。やり方次第で、いくらでも。神父など辞めて、これで生計を立ててみるのも一興ですかな。ところで、何か御用がおありだったのでは?」

 話が脱線したままだったので、バードンはプラボックに話を振る。

 

「うむ、茶の話は後でゆっくり聞かせてもらうとして。我らは平野の民と手を結ぼうと思う。だが、庇護下に入るとか、膝を折るなどということではなく、あくまで対等の関係でなくてはいかん。そうでなければ、民を説得するなど無理だ」

 プラボックは三日間悩み続けていた。

 

 食住の援助は喉から手が出るほど欲しいが、それで平野の民に膝を折れというのなら、中央の民の誇りが許さない。

 闘いもせず、服従するわけにはいかないのだ。

 あくまでも対等の関係。援助を受けなければならない状態に陥った時点で、既に対等ではないのは自覚しているのだが、それだけは譲れない一点だった。

 

「こちらとしても、それを望みます。あくまで対等な関係です。では、話は付いたということで、私たちは帰ってもよろしいですかな?」

 バードンにしてみても、平野の民に北の大地を制覇する力まではないと解っている。

 南大陸の四国家が、大陸全土を制覇しきれないのと同じことだ。

 

「悪いが、それはできん。ルム殿が戻り私と話し合うまでは、不自由をさせて申し訳ないが、ここに留まっていただきたい」

 掌を返されては堪らない。

 それがプラボックの心情だった。それに、まだ腹心にすら話していないのだ。

 いきなりヌミフとバードンが消えては、脱走を疑われかねない。

 

「しかと、承知。今暫く囚われを演じましょうぞ。ヌミフ殿、構いませぬな?」

 その程度のことが解らぬバードンではない。

 訝しげなヌミフを余所に、プラボックと笑い合っている。

 

「では、パーカホに報せを」

 おそらくヌミフもバードンもそれを心配するのではと思い、プラボックは使いを出すことを申し出た。

 

「いや、それは今暫くお待ちいただきましょう。既に我らの安否は知らされております。まだ、プラボック殿の腹の中だけのことでございましょう? 今の時点で、このことを知るのは、ここにいる三人……だけで充分かと」

 バードンは少しだけ迷ったが、天井裏をちらりと見て、そこに潜むプラボックの影の護衛も言外に数え入れた。

 完全に気配を消していたと思っていた影が息を飲む気配が伝わり、プラボックのこめかみに汗が一筋流れた。

 

「そうだな……ところで、さきほどの茶の話だが」

 プラボックは話題を変えた。

 

「はい。ですが、神父ごときの浅知恵など、多寡が知れております。いずれルム殿が、ランケオラータ様をお連れしてお戻りになりましょう。その折りに、よくご相談なさると良い。ランケオラータ様はインダミトで財務卿をお勤めになる方のご子息故、商売には明るい方でございます。それまでに、この茶をできる限り大量にお作りなされよ」

 バードンは、半ば本気で商売替えをしようかと思っていた。

 

「そうか、そうだな。我らも変わらねばならんな。如何かな、バードン殿。貴公の目で構わんので、茶の材料が生えているところを見ていただけまいか?」

 プラボックの腹は決まっている。

 

 民を食わせると同時に、生かさなければならない。

 戦ばかりでは、民の命すら消耗品と化してしまっていた。

 もし、茶で交易ができ、食料の入手が可能になるのであれば、自衛以外での剣を置くことも吝かではなかった。

 いや、それを望んでいたと言ってもいい。

 

「喜んで」

 バードンは短く承諾の言葉を返し、ヌミフを伴い、プラボックについて村を出た。

 

 北の大地は、短い春を謳歌していた。木々は一斉に芽を吹き、まだ残る雪の切れ目からは双葉が顔を覗かせている。

 動物たちの気配も濃厚で、これから訪れる繁殖期に向けて旺盛な食欲の跡を残していた。

 

「これはこれは……山菜の宝庫ですな」

 サバイバルテクニックに長けたバードンには、村の周辺は食料庫にも見えた。

 もちろん、副菜としての利用しかできない物ばかりで、主食の不足を補えるような物はない。

 だが、南大陸ではあまり採れない物が多く、ストラー北部やラシアスの特産品や珍品扱いで、高値で取り引きされる物ばかりだった。

 その他にもアービィやレイが見れば、大喜びするであろう竹林も広がっている。

 

「こんな物も金や銀と交換できるのか……」

 プラボックは、己の価値観が変わっていくのを感じていた。

 

「高値が付きますぞ。もちろん、採りすぎては値が崩れますし、翌年に採れなくなってしまいますので、管理は厳しくする必要はありますがな」

 バードンとプラボックは、山脈地帯や中央部で採れる農産物について語り合いながら、中央部を臨む高台に出た。

 

 広大な大地が果てしなく広がっている。

 なだらかな丘陵地帯に続く、きちんと管理さえすれば豊穣を約束してくれそうな平原。コーヒー牛乳のような色の水を湛えた大河が、おおきく蛇行し幾つもの支流を従えている。おそらく春の洪水期が、山脈地帯から肥沃な土壌を運んでくれているだろう。丘陵地帯の奥には峻険な山岳地帯が続き、幾つか煙を上げている山もあった。

 その吹き上がる煙は、そこに温泉があることを窺わせている。

 

「どうかね、われらが故郷の大地は? 何も、ない。何も、採れない。南大陸の住人には、何故我らがあれほどに南に行きたがるか解るまい」

 プラボックは、嘆息しながらバードンに言った。

 

「とんでもない……素晴らしい土地です。これは……宝の大地だ」

 バードンは呻いてしまった。

 

 素人目に見ても、作物さえ選べば両大陸の穀倉地帯となる可能性が見て取れた。

 それだけではない。

 地下資源も豊富だと聞いた。

 ビースマックで僅かに生産されている燃える石や、利用方法が確立していない燃える水が大量に眠っているとしたら、薪にほとんどの燃料を頼っているこの世界に、燃料革命が起きるかもしれなかった。

 燃料の革新があれば、それに伴って工業の躍進があるだろう。もちろん、それは農業や漁業にも応用できる。南大陸は、全ての土地の有効活用ができているとは言い難い。北の大地は言うに及ばずだ。

 今の倍や三倍くらいに人口が増えようと、この大地は全てを養い切って、なお余力がありそうだった。

 バードンは、興奮気味にプラボックに語っていた。

 人狼狩りのときに見せる熱意と同等か、それ以上の熱意を以ってプラボックに北の大地の可能性について語っていた。

 

 プラボックとヌミフは、なかば呆気に取られてバードンの豹変を見、そして聞き入っていた。

 北の大地が人を養える。それどころか、南大陸を養って尚余力があると言う。俄かには信じられないが、南大陸で生きてきた人間が言うのだから、それなりの裏付けがあってのことだろう。

 千年以上に亘って続けられた、殺し合いの歴史が終わろうとしている。二人はそんな予感に包まれていた。

 

 

 そのとき、バードンはふいに邪悪な波動を感じていた。

 遥か彼方の平原から、天に向かって一条の光が伸びる。近くで見れば荘厳な光景なのかもしれないが、この距離では串のような太さの光にしか見えなかった。

 だが、そのようなか細い光であるにも拘らず、そこからは巨大で邪悪な波動が伝わってきた。

 

 

 その頃、インダミト王都エーンベアを発った、ルムとランケオラータ、レイの三人は、ベルテロイでアービィたちの帰りを待っていた。

 だが、そこへシュットガルドから早馬が到着し、反乱の鎮圧とアービィの体調不良を伝えてきたのだった。

 

「ランキー、どうするかね?」

 ルムとしては、護衛のことを考えるとアービィたちを待ってから、北の大地へ戻りたいと考えていた。

 自分ひとりならどうということはないが、武の才が全くないランケオラータとレイを連れて北の大地を無事に抜けるには、アービィたちがいたほうが良い。

 

「先に行こう。ヌミフ殿を王都に送るのは早いほうが良い。それに、北の大地の春は短いんだろ? やるべきことは多いぞ」

 ランケオラータとレイにしても、アービィの具合が心配で仕方ないのだが、詳細が分らずいつまで待つかの見通しが立たない以上、ここでいつまでも待つわけには行かないと判断していた。

 

 春のうちに田畑ですることは多い。

 そのためにエンドラーズを通して、ストラー北部の農家から北の大地に合う作物の苗を買い付ける手筈も整えていた。ストラー北部を経由すると、北の大地への到着がかなり遅くなるので、風の神殿の町クシュナックに苗を用意しておいてくれているはずだ。作付け時期は、十日もずれると収穫に大きく影響が出るため、あまりゆっくりもしていられないのだ。

 後日改めて、ヌミフがストラー北部の視察に行けば良い。

 

 ベルテロイからクシュナック経由でラシアスに入り、ウジェチ・スグタ要塞を通ってパーカホまでは、およそ四十五日の行程だ。途中急いだとしても四十日は掛かってしまう。

 短い北の大地の春は、待ってはくれない。一刻も早くパーカホまで戻る必要があった。

 おそらく、今頃はパーカホに残してきた人々が、作付けのための土壌の改良に奔走しているはずだ。

 

「そうですね、アービィのことは心配ですけど、今は行きましょう。早馬を帰しておけば、パーカホの村で合流できますわ。うまく行けば、リジェストかウジェチ・スグタ要塞で会えるかもしれませんね」

 後ろ髪を引かれつつ、レイも決断した。

 

「よし、では行こう。長い付き合いになると思うが、よろしくお願いする。ご夫妻」

 正式な式は挙げていないが、二人の結婚は王にも報告されている。

 北の大地での生活が安定したら、レイは両家の両親や家族、アービィたちを呼んで北の大地のお披露目を兼ねて、盛大に式を挙行するつもりでいた。

 

 

 シュットガルドは、夏に向かって気温が上がりつつあった。

 寝ているだけでも汗ばむような気候で、それだけで体調を悪化させてしまいそうだが、アービィは一気に回復していた。

 食欲も戻り、この数日分を取り戻すかのように、普通の人の倍ほども喰っている。

 

「急がないとさぁ……ランケオラータ様と……ルムさんに……んぐ。置いて……行かれちゃうから……」

 周囲が心配するほどの勢いで、食べ物を片っ端から消滅させていく。

 

「喋るか、食べるかどっちかにしなさいっ!!」

 呆れたルティが叱り付けるが、アービィは意に介さず旺盛な食欲を見せる。

 

 目の前の食べ物と格闘しながらも、アービィは今回の異変に付いて考えを巡らせていた。

 邪悪な光を浴びてから狼の気配が消え、立ち上がることも儘ならなくなった。それが数日で、急に回復した。

 まるで何事もなかったかのようにだ。

 

 結局原因は分らないのだが、不死者へと転生させる力と、もともと狼が持っていた不死性が打ち消し合い、極度に損耗したのだろうと思うことにしている。

 呪文への抗堪製がなければ危なかったかもしれないと、アービィは思っている。

 残存魔力であれだったのだから、充分な準備を施された魔法陣からの一撃を喰らえば、かなり危険であろうことは想像に難くない。

 

 不死者とは、かつては生命があったものが、既に命を失っているにも拘らず活動しているモノである。

 つまり、生物としては死ななければ不死者へとは転生できない。

 その強制的な死と、狼の不死性が拮抗し、狼自体が大きなダメージを受けている状態だった。

 

「どこ行っちゃったのかしらね、アービィの中の狼」

 ルティが何とはなしに呟く。

 

 アービィとしてはルティには黙っているつもりだったが、ティアからきちんと状態を言うようにと諭され、今朝になってルティにも狼の気配を感じなくなったことを伝えていた。

 

「う~ん、よく分らないんだよ、それが。消えた感覚もないんだ。こう、なんて言うのかなぁ……もし、僕の中からいなくなったのなら、抜けていく感覚があってもよさそうなのに、そういうのはなかった。光に包まれたとき、弾き飛ばされたにしても、そういう感覚はなかったんだよね」

 アービィは、狼はダメージが回復するまでは、野生動物がそうするように気配を消してどこかで蹲っているのではないかと思っている。

 ただ、それを言葉で説明するのが難しそうなので、二人には言わずにいるだけだった。

 

「なんとか封じ込められるようにって思っていたのに、実際にいなくなっちゃうと寂しいものね。アービィがいらないって言うなら、それでも良いんだけどさ」

 ルティが言った。

 

「まぁ、いいよ。暮らしていくうえでは、なくても良いもんだから」

 とりあえず、ルティとティアに気遣わせないように、気のない振りをしておく。

 アービィにしてみても、実際消えてしまうとなると寂しいものはあった。

 この世界で物心ついたときから、ずっと感じてきたものであったし、それなりの愛着はあったのだ。

 

 テーブルにあった全ての食べ物を消滅させた後、茶を飲みながらアービィは今後の予定を二人と相談した。

 自分の変調を知ったランケオラータたちは、おそらく先行するはずだ。

 であれば、リジェストかウジェチ・スグタ要塞で合流できればいいし、間に合わないか追い抜いてしまえば、パーカまで行ってしまえば良い。

 

 そのためには、ベルテロイに戻ることなく、ラシアスとの国境の町エッシンフェルゲンに向かい、ラシアスの王都アルギールを経て火の神殿の町グラザナイから一気に北上し、リジェストを目指す。

 これが一番早く北の大地へ向かう道だ。

 三人は、このルートで行くことに決め、アービィの体調が一時的ではなく完全に回復したという確信ができ次第、シュットガルドを発つことをディアートゥス公爵に告げた。

 

 ベルテロイのパシュースにその旨伝えることを依頼し、翌日からアービィは精力的に街の周辺を走り始めた。

 パーピャとも立ち合い、身体の切れが戻ったことを確認できた三日後、アービィは北の大地へ発つことをルティとティアに告げた。

 

 

「公爵閣下、長い間お世話になり、ありがとうございました。 おかげさまで、すっかり良くなりました。それでは、行ってきます。どうぞ、これからもお体にはお気をつけになってください」

 アービィはそう言って、差し出された公爵の手を握り締めた。

 

「もう行くのか、と言っても仕方ないようじゃの。せめてフィランサス殿下がお戻りになるまでは、いて欲しかったんじゃが」

 公爵は、いかにも残念そうに言う。

 

 救国の英雄に、あと数日でシュットガルドに到着するフィランサスに会って欲しかったのだ。

 フィランサスの知己を得ていれば、今後ビースマック内で何事かをすべきときには不自由はしない。もし、この国を終の棲家としてくれるのであれば、なおさらだった。

 もちろん、それを以ってこの若者たちを国に縛り付ける意志はなかったが、もし、という希望は捨てきれずにいた。

 

「ええ、僕たちを待ってくれている人たちがいますので。では、また来ます。閣下、御機嫌よう」

 

 アービィたちの乗る馬車は、ベルテロイから同行してきた御者が手綱を握り、ビースマック街道を西に向かって走り出した。

 ツェレンドルフを経由し、ベルテロイへ向かう途中からエッシンフェルゲンへと北上する。

 アービィの体調を気遣ってか、シュットガルドへ向かうときとは違い町々に泊まりながらの行程だ。

 

 途中、ギーセンハイムでは、メディと再会できた。

 たった十日ほど前に分かれたばかりなのに、随分と久し振りのような気がした。

 既にメディはクーデターの失敗を知っており、依頼達成を心底喜んでくれた。

 

 新しい家族を得たメディは、以前とは見違えるような明るい表情をしている。

 アービィたちといるときずっと暗い顔をしていたわけではないのだが、それでもどこかに憂いや翳りを持った表情をしていた。

 旅に合わせた服装ではなく、十数年分を取り戻すかのように、いや、北の大地ではお洒落などとは無縁の生活だったメディは、初めて着飾る事の楽しさを満喫していた。

 

 まだ両親が買って与えているばかりだったが、メディは早く自分で稼ぎたいと目を輝かせる。

 アービィたちとは依頼の報酬は山分けしていたのだが、両親はそれを自宅を治癒院へと改装する費用に使うように言っていた。

 瞳を輝かせて夢を語るメディに、アービィたちは心の底から嬉しくなり、元気を分け与えられたような気分だった。

 

 メディと両親に見送られ、エッシンフェルゲンへとビースマック街道からはずれ北上する。

 二本の街道が離れ始めた辺りで、北へ行く街道は山道になっていく。

 小高い場所からビースマック街道を眺めると、ビースマックの近衛師団旗を掲げた軍勢が視界の中を通り過ぎていった。


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