狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第57話

 フォーライ・ブラキソマ第二大隊長は、プルケール男爵邸で息を潜めていた。

 こんなはずではなかったとの思いが強いが、今更やり直しなど無理な相談だった。

 

 同じ思いはここにいるプルケール男爵もキリンドリクス男爵も、ハラも抱いている。

 計画通りに事を進めていれば、今頃からガーゴイルと反乱軍が同時に閣僚や政務参議官の屋敷を襲撃するはずだった。

 各屋敷を襲う事は戦力の分散を招き、アディポサリ公爵の始末も後回しになってしまうため、宰相邸に殺害対象が集まるチャンスを狙って前倒しで決起した結果が、この体たらくだった。

 

 唯一成功したと思われたアディポサリ公爵の始末も、邸宅を焼いて無関係の使用人たちと公爵の家族、といっても夫人と同居していたまだ子供のいない嫡男夫婦だけを焼き殺しただけに終わり、公爵は救助されたうえに近衛第一師団に身柄を確保されてしまっている。

 公爵の口から自分たちの存在が知らされることは明白であり、同時に自分たちの輝くはずだった未来が失われたことは考えるまでもなかった。

 

 逃亡しようにも、武装解除された反乱軍に身を投じた小隊長が指揮する部隊以外が既に街の要所を固めており、騎馬大隊が捜索を開始している。

 今できることいえば、捜索の手が伸びてくるのを座して待つか、潔く自決の道を選ぶか、自首するかの三者択一だ。

 

 

「良い夢を見させていただいた。皆様には申し上げたいことは山ほどあるが、事ここに至ってはお覚悟を固められることをお勧めいたします。では、一足先に失礼仕ります。お庭を拝借してもよろしいでしょうか?」

 ブラキソマは、同僚に捕縛されるなどという屈辱に甘んじる気は、全くない。

 

 家族郎党に類を及ぼさないことだけを考え、自決する決意を固めていた。

 さすがに神前を血で汚すことははばかられたので、庭で自らの首に刃を立てることにした。せめて最期くらい武人らしくありたい。もし捕縛されてしまったら、これまで築き上げた名誉を眼前で全否定されたうえでの縛り首、つまり異教徒の罪人としての処刑が待っている。

 反乱を起こしておいて虫がよすぎるとは思うが、汚辱にまみれる前に武人として死にたかった。

 

 止める者が誰もいない中、ブラキソマは庭に出た。

 手入れの行き届いた庭は星明かりに照らされ、平和そのものの佇まいを見せている。

 いったい、どこで間違えたのか、ブラキソマは想いを巡らせた。計画通りに事を運ぶべきところを焦ったからか、戦力の集中という欲を出したからか、いやそもそもクーデターなどという大それたことを考えたからなのか。

 だが、答えが出るはずもなく、もし出たとしてもブラキソマには、もうどうでもいいことだった。

 

 剣を喉に当て、そのまま前に倒れ込む。

 一瞬だけ喉に痛みを感じたが、次の瞬間ブラキソマの意識は暗転した。

 

 

 窓の外から人が倒れる音が聞こえたとき、 ディアートゥス公爵家の使用人が息急ききってプルケール邸に飛び込んできた。

 彼もまた未来を失っていたが、武人の如き潔さなど欠片も持ち合わせていなかった。

 殺害対象がまだ宰相邸に全員残り、反乱の鎮圧に祝杯を上げている。起死回生のチャンス到来とばかりに注進に駆けつけたのだった。

 プルケールとハラが色めき立つが、キリンドリクスは覇気をすっかり失ってしまっていた。

 事後に明確なビジョンも持たず、地位とカネだけを求めた下級貴族は、今はもう保身しか頭にない。

 

「もう逃げよう。ブラキソマが死んでくれたのだ。奴に全て押し付ければ、我々は安泰じゃないか?」

 キリンドリクスが言う。

 

「あの卑怯者が近衛師団の手にあるんだぞ、言い逃れなどできるものか。それより我らが決起を潰せたと信じ切っている者共を一気に討ち払い、そのまま王に謁見してしまえば、近衛師団といえど我らが配下だ。行くぞ」

 ハラが応え、剣を手に取り立ち上がる。

 

「そうだ。予定では今からだったはずじゃないか。まだこの屋敷の警護用にとってあるガーゴイルが残っている。十もあれば油断しきった者共など、問題にならん。それに、秘術もあるしな」

 

「冗談じゃない。三人でどうしようというのだ? 今は落ち延びることが先決。ストラーに逃れ、次の機会を創るべきだ」

 キリンドリクスは同意せず、二対一に分かれての押し問答が始まった。

 

 

「では、後始末は如何致しましょうかな、お歴々」

 ディアートゥス公爵が言った。

 邸内の後始末を放り出して、外へ飛び出した使用人の行き先を特定し、邸内の様子を探ったパーピャが戻り、公爵に報告する。

 

「待っていれば、あちらから来てくれるのではないかね?」

 内務卿が言う。

 

「これ以上壊されてはかなわぬがの。仕方ないか。己が何をやらかしたか、その身にたっぷりと教えてやらねばの。国を乱すということが、どういうことか思い知らせてやろうぞ」

 顔には出さないが、公爵は激怒している。

 

「では、近衛第一師団の第一大隊を動かすことはないと?」

 師団に名誉回復の機会を与えたい軍務卿が嘆息する。

 この騒乱をアナーキストによるテロとして、貴族に犯罪者などいないと言い張るには、第二大隊が起こした騒ぎが大きすぎ、既に庶民の耳に入っている。

 

「そうしてやりたいのは山々だがの。ブレフェリー家を潰すわけにはいかんぞよ」

 公爵が苦い物を飲み込むように言った。

 

 ブレフェリー家の次男ハラが、この騒乱に一枚噛んでいるどころか、首謀者に名を連ねていることは掴んでいた。

 それを真っ正直に捕縛してしまえば、一族郎党皆殺しにしなければ治まりがつかなかった。

 国家反逆罪とは、そういった犯罪だ。

 

「ひとつ、ここはヒドラ殺しの英雄殿に、正式に依頼をばしようかの」

 公爵がアービィを見た。

 

「宰相、それはなりませぬぞ。英雄殿の手を犯罪者の血で汚すおつもりか?」

 外務卿が気色ばんだ。

 そのような非道が許されるはずもない。

 ビースマックのお家騒動の後始末を、他国の若者に押し付けたとあっては国の名折れだ。

 

「いやいや、英雄殿にはき奴らがここへ踊り込んだときに捕縛を手伝っていだくだけじゃ。後始末は我らで付ける」

 そう言って公爵は説明を始めた。

 

 

 被害者と思われたアディポサリ公爵が黒幕ということが、近衛師団での事情徴収で発覚し、アディポサリ公爵はそのまま拘禁している。

 既に公爵一家は皆殺しになっているため、あとは公爵を縛り首にするだけで済む。

 残る三人の首謀者たちは、どうせ起死回生を夢見てここに来る。

 それを捕らえ、暴動に巻き込まれたことにして、あの世とやらに避難していただく。

 

 好都合なことに、パービャの報告ではガーゴイルも連れてくるのかということだ。

 首謀者三人は、パーティに招待していたことにして、ガーゴイルの手に掛かったことにすればいい。

 しかし、戦闘の相手が人間だけなら、ディアートゥス公爵たちだけでも充分に対処できるが、ガーゴイル相手では少々分が悪いことは先程の戦闘が証明していた。

 ここまで死人を出すことなくきているが、最後の最後に出していては画竜点睛を欠くというものだ。

 

 屋敷の警護に就く近衛師団は、反乱者たちを油断させるためもあり、いったん撤収させている。

 ここまできてカーゴイル相手の市街戦などやらかして、周囲に被害が出てることは甘受できない。

 そうこうしているうちに、パーピャが客の到来を告げた。

 

「どうやら、おいでのようだ。どれ、もう一汗かくとしますかな。英雄殿、これは正式な依頼じゃ。今から邸内に侵入するガーゴイルを、無力化していただきたい。人間には指一本触れる必要はありませんぞ。方法はお任せいたす。報酬の相場が分からんのでな、金貨五枚で如何かな?」

 ディアートゥス公爵が、その場にいる全員を見渡しながら言った。

 

「どれ、明日は身動きが取れなくなりそうですな」

 翌日襲ってくることが確実な筋肉痛に、既に表情を歪めた外務卿が剣を取る。

 

「卿はお若い。私は明後日辺りかと。我が家の不始末は、我々に」

 苦笑いと共にブレフェリー公爵が槍を取る。

 

「公爵様、一枚で充分です」

 ルティが三人を代表して答え、大扉の左右に進みティアと構える。

 アービィは、正面で素手のまま客が現れるのを待っていた。

 そのアービィにパーピャが近付き、何かを渡した。

 

「アービィ様、これをお使いになって下さい。指に填めて握り込めば、拳を痛めることはございません。アービィ様ほどの拳であれば、岩を砕くくらい造作もないかと」

 パーピャが渡した物は、暗器の一種で所謂メリケンサックのような物だった。

 

 アービィは礼を言って、暗器を指に填め、拳を握り込む。

 それはわざわざアービィのために誂えた思うほど、手に馴染んでいた。

 

 

「よいか、始めるぞ」

 部屋の明かりを落し、真っ暗になった中にハラの声が低く響いた。

 明るいうちに確かめたから間違いはないが、今三人が立っている場所は部屋の床一面に描かれた魔法陣の中心だ。

 

 北の大地に伝わる不死者への転生の秘術。

 一度行えば二度と生身の人へ戻ることは適わない、不退転の意志を必要とする外道の邪術。

 メディを蛇の髪を持つ化け物にした妖呪と同系統だが、これは術が自らに向くものだ。

 

「もう後戻りはできないぞ。腹を括れ、キリンドリクス」

 プルケールが叱咤する。

 

「分っている……もう後戻りはできないということだな……」

 キリンドリクスは怯え切っている。

 

 キリンドリクスの胸中など推し量ることなく、ハラが複雑な呪文を唱え始める。

 謡うような節回しにプルケールの呪文詠唱が重なった。

 少しの間を置いてキリンドリクスの詠唱も重なり合うが、彼の声はどこか震えを帯びている。

 

 まだ、ここにいる三人は、誰もこの呪術の成果というものを見たことがない。

 ただ伝え聞く話では、通常の武器が通用しなくなり、精霊による祝福法儀式済みの武器のみがその身を傷付けることができるという。マ教の法儀式で祝福された武器や、一般に魔性の生物を滅することのできる銀の武器では、この呪術で生まれる不死者を傷つけ滅し去ることは不可能といわれている。

 精霊の祝福法儀式は、その手間と費用から手持ちの武器にそれを施す物好きなど、ほとんどいない。

 これがハラたちの目の付け所だった。

 

 所謂ヴァンパイア等とは違い、陽の光を恐れる必要もなく、にんにくや十字架等の聖印といった弱点もない。

 流れる水を渡れないという欠点もない。心臓にホワイトアッシュの杭を打たれようと、既に停止している心臓を傷付けられたところで、なんの痛痒もない。

 せいぜい、物理的な衝撃を受ける程度のものだ。

 

 やがて、低く力強い二人の詠唱と、細く震えがちな一人の詠唱がユニゾンの旋律を重ね合わせ、呪法の祈りが完成する。

 突然魔法陣が鈍い光を放ち、心臓の鼓動のように光が明滅した。

 その明滅に三人の心臓の鼓動が同期する。徐々に明滅の間隔が長くなり、ついには鈍い光が部屋に充満した。

 

 その瞬間、三人の心臓は動きを停止し、全身の細胞から酸素を求める声無き悲鳴が体中を駆け巡る。

 痛みとも苦しみとも付かない感覚が消えうせたとき、三人の瞳から光が消えるが、その足はしっかりと床を踏みしめていた。

 

「成功のようだ」

 心底嬉しそうな笑みを浮かべたハラが、二人を当分に見て言う。

 

「ついに、神の力を手に入れた、ということだな」

 プルケールは笑いを止められない。

 

「なんだ、恐れるほどのことでもないじゃないか。誰だ、いい加減なことを言いやがったのは」

 もっと恐ろしい苦痛を伴うと思い込んでいたキリンドリクスが、拍子抜けしたような表情で笑い始めた。

 

「行こうか。まずは、祝杯だ」

 ハラが用意してあった杯に強い蒸留酒を注ぎ、二人に渡す。

 一気に飲み干した三人は、床に杯を叩き付け、狂ったような高笑いを上げた。

 壁に映るはずの三人の影は全く見えず、不死者であることを証明している。

 だが、三人は気付いていなかった。

 砕けた杯の破片に映りこむ姿が、既に腐敗した人の形に変化していたことを。

 

 

 馬車に積んだ十体のガーゴイルをディアートゥス公爵邸の前で解放すると、ハラを先頭に三人は屋敷に進入する。

 逃げ惑う使用人たちを蹴散らし、広間へ突入した。

 

「ようこそ、我が屋敷に」

 ディアートゥス公爵が剣で指しながら言う。

 

「莫迦息子よ、最早語ることもなし」

 ブレフェリー公爵が続く。

 

「愚弟よ、是非もなし。兄の手で送ってやる」

 リンドリク・ブレフェリー子爵が、怒りを抑えつつ静かに言い放った。

 

「雁首揃えてご苦労なことだ。我らがこの国を統べてやる。安心して逝くが良い」

 ハラの言葉が合図になり、全員が戦闘に突入した。

 

 

 ルティが気合と共に振り下ろす剣が、ガーゴイルの関節部を正確に捉え、腕を、脚を切り落としていく。

 ティアの小太刀は腕や脚を切り落とすことはないが、これも関節部を的確に捉えて突き立てる。魔力の流れを切断されたガーゴイルは、その動きを止められていく。

 アービィは暗器を填めた拳で、当たるを幸いガーゴイルの身体を打ち砕いていた。

 

 時折ガーゴイルの反撃を受けて体のあちこちに打撃を喰らうが、ティアとルティが素早く『治癒』を唱え、ダメージを打ち消していく。

 戦闘開始から十分と経たないうちに、稼動可能なガーゴイルは一体も残っていなかった。

 

 

 アービィたちがハラの捕縛に手を貸そうとしたとき、ディアートゥス公爵たちは苦戦していた。

 相手の動きはそれほど早くない。だが、剣が当たり身体を切り裂いても、槍が身体を貫いても、三人の動きが止まることはなかった。

 それどころか、傷は見る間に塞がり、何もなかったかのように反撃してくる。

 

 加齢から来る衰えに、軍務卿と外務卿の息が上がり、内務卿と財務卿は剣を杖に片膝を付いている。

 ブレフェリー公爵親子はなんとか攻撃を凌ぎ、ダメージを受けることはないが疲労の蓄積は馬鹿にならなくなっていた。

 ディアートゥス公爵ひとりが、相変わらず年齢を感じさせない動きで三人と剣を撃ち合わせている。

 

 傷を受ける心配のないハラたち三人は、防御というものを一切考慮する必要がない。

 それ故に持てる力の全てを、攻撃に注ぎ込むことができる。日頃の鍛錬とは無縁なハラを始め、三人とも剣技は全く無いに等しいが、防御することなく力任せに叩き込んでくる剣は、それだけでも充分脅威だ。そのうえ心臓が停止している今、全身が酸素の供給を求めて脈拍が上がることも、酸素を送り込むために呼吸が荒くなることもない。

 淡々と続く剣の嵐は、徐々に生身の人間たちを追い詰めていた。

 

「貴様、邪法を使ったな!?」

 三人に影がないことに気付き、リンドリクが叫んだ。

 

「もはや、我らは神の域。無力な人間どもは死ぬがいい。王もじきに後を追わせてやる」

 感情というものを感じさせない、背筋が凍るような声が響いた。

 妖呪のせいか、ハラたちの身体は既に人間のそれではなく、声すら変わり始めている。

 

 ディアートゥス公爵も不死者への転生の秘術のことは、話には聞いたことがある。

 それには気付いたが、傷を付ける手段が無いことにも同時に気付いてしまった。精霊の祝福法儀式を受けた武器など、所有していない。対魔獣ようとしては装飾用の銀の武器があるくらいだが、それでは不死者に傷を付けることなど適わない。

 完全に手詰まりになってしまい、ハラたちの剣を防ぐことで精一杯だった。

 

 

 ガーゴイルを片付けたアービィは、ブレフェリー公爵の槍が次男の心臓を一突きするのを見た。

 だが、ハラは何事もなかったかのように、手にした剣で槍を叩き折ると、無造作に穂先を引き抜いた。傷口から血が噴き出すこともなく、穂先が引き抜かれた傷口は見る間に塞がっていく。

 それは、アマニュークで目の当たりにした、レイスと同じだった。

 

「公爵様、僕たちにお任せをっ!! 手は人間じゃありません。その剣じゃ無理ですっ!!」

 キリンドリクスの剣をアービィは暗器を填めた拳で弾き、ディアートゥス公爵の前に出た。

 ルティがハラと、ティアがプルケールと対峙する。

 

 アービィは、風の神殿で祝福法儀式を受けた剣を、キリンドリクスに一閃する。

 キリンドリクスの腕が身体から離れ、水っぽい音と共に床に落ちた。瞬く間に腐敗し、鼻を突く刺激臭があたりに充満する。傷口からは腐臭を放つ粘液が流れ出し、キリンドリクスの表情が驚愕に染め上げられ、絶叫の形に口が開かれた。

 が、その口から言葉の態を成した声が出ることはなく、人間とは思えない魔獣の咆哮と同じ音が漏れただけだった。

 

 妖呪の完成直前、恐怖から声を震わせたキリンドリクスの詠唱が微妙に効果を狂わせていた。

 不死者にはなってはいたが、人としての理性を徐々に失わせていた。

 不完全な妖呪は、確かに通常の武器では傷つかない身体をもたらしたが、完全な不死者になることは適わず、死に損ないの魔獣を作り出しただけだった。

 

 既にハラもプルケールも言葉を発することはなく、魔獣の咆哮を放っている。

 その目には理性の光はなく、ただひたすら破壊衝動に突き動かされルティとティアに剣を撃ち下ろしていた。

 

 アービィが再度剣を一閃し、もう片方の腕を切り落とす。

 アービィに魔獣をいたぶる趣味は無いが、キリンドリクスの予測不可能な動きに狙いを外してしまった。僅かに残る本能が傷を受ける恐怖を感じさせ、キリンドリクスは屋敷を這い出した。

 ルティとハラ、ティアとプルケールの戦いもほぼ同じ過程を辿り、ハラたちは三人ともディアートゥス公爵邸の庭の一角に追い詰められていた。

 

 アービィはレイスのと戦いで得た戦訓から、最後は体内に『猛炎』を叩き込むつもりでいる。

 さすがに邸内で炎の呪文を発動させるわけにはいかず、この状況はかえって好都合だった。

 アービィたちを追って、ディアートゥス公爵たちも庭に出た。公爵は、国の恥辱を自らの手で雪ぐことができない無力感に苛まれていたが、だからといって全てを投げ出す気にはなっていない。

 攻撃の手段が無くとも、ことの全責任を取ることでアービィたちの心理的負担を減らそうとしていた。

 

「英雄殿、全ては我々の不始末。何があろうと、全責任はこの私じゃ。一切の慈悲は無用にて、お頼み申す」

 ディアートゥス公爵がアービィに伝えた。

 

「私からも。ひと思いにお願い致す。せめてもの親心と思ってくだされ……」

 血を吐くような思いでブレフェリー公爵が叫んだ。

 

「解りました。お心遣いありがとうございます。では、決着を」

 アービィが答え、剣を構えつつ『猛炎』を発動させる。

 

「はい、公爵様。そのお心、しかと」

 ルティが答え、剣を鞘に戻し、居合いの呼吸を取る。

 

 キリンドリクスがアービィに突進する。

 両腕を失ったが、追い詰められた魔獣の本能が、最後の攻撃に転じさせていた。

 突っ込んできたキリンドリクスの肩から腹へ剣を叩き付け、開いた傷口に発現させた『猛炎』を叩き込む。身体の内側から焼かれる苦痛にキリンドリクスがのた打ち回る。

 やがて動きは止まり、身体が焼き尽くされ一握りの灰と化した。

 

 ルティが剣を戻すのを見て、攻撃を諦めたと取ったハラが、ここを先途と突っ込んでくる。

 ハラの切っ先がルティに届く間合いに入ると見るや、ルティが気合と共に一歩踏み出し、鞘から抜き放った剣を袈裟懸けに振り下ろす。自ら剣に吸い込まれるように突進したハラの身体が、肩から腰にかけて切断された。

 切り口からは腐臭を放つ粘液が流れ、腰から下の身体が見る間に腐敗する。

 上半身が腐敗することはなく、ハラは苦痛に動くことすらできない。

 キリンドリクスを焼き尽くしたアービィが、ハラの上半身に『猛炎』を叩き付けた。

 

 ほぼ同時にティアとプルケールの戦いも、同じような終焉を迎えた。

 刃渡りの短い小太刀故、一刀両断というわけにはいかなかったが、それが却って嬲り殺しの結末を招くことになってしまった。全身を切り刻まれたプルケールは、その傷口から腐臭を放つ粘液を流しのた打ち回る。

 アービィが止めの『猛炎』を傷口から体内に叩き込み、プルケールも一握りの灰と化した。

 

 

 瘴気漂う邸内で、ディアートゥス公爵を始めとした閣僚と政務参議官は、悄然と立ち尽くしていた。

 誰もが無力感に苛まれ、クーデターを未然に封じた勝利の喜びは感じることはできなかった。

 全ての民に幸せをと思い国政に携ってきたが、やはり政は難しい。どうしたって不満を抱える者は出るのだ。

 

「英雄殿、まったくもって申し訳のないことじゃ。犯罪者の血で英雄殿の手を汚すことになろうとは。どうか、この無能な年寄りが、身を引くことで許していただきたい。これからは若い者が国を見なければ、昔のようなやり方しか知らん我々では、また同じことになるじゃろうて」

 ディアートゥス公爵が閣僚を代表してアービィたちに謝罪した。

 そして、今の言葉は政界からの引退宣言だった。

 

「許すも何も、僕たちが口を出すべきことではございません、宰相閣下。ですが、閣下が引退などしては、困る方々が多いのではありませんか?」

 アービィは、この宰相が無能ではないことを肌で感じていた。

 そして、責任は別の形でとるべきではないかと考えている。

 それ故か、言葉遣いが政治家に対するものになっていた。

 

「ここで引退とは、お逃げになるおつもりですか、閣下」

 リンドリク・ブレフェリー子爵が言う。

 

「いや、逃げようなどとは考えてはおらぬ。だがな、誰かが責任を取らねばならんのじゃ。それに、私のような政のやり方では、またこのようなことを引き起こしかねん。やり方を変えねばならんのじゃよ。それには、君たちのような若い世代でなくては無理だ。私たちのような頭の固い世代は、もうお役御免じゃろうて、な」

 閣僚たちを見ながら公爵が答える。

 

「それを逃げと申し上げております。責任を放り出して、悠々自適といく気でございましょうか? は後始末を付けることこそ、責任を取るということでは? のあとで、いくらでも引退なさればよろしいかと存じます」

 切り返すリンドリク。

 

「屁理屈じゃのう。だがな、実際に反乱が起きてしまっておる。どの面下げて陛下に会えというかね?」

 公爵も責任逃れで宰相を辞そうというのではない。

 考え付く責任の取り方が、これしか思い浮かばないのだ。

 地位やカネに恋々として、晩節を汚す気はない。

 いや、既に汚れた晩節をさらに酷いものにする気はなかった。

 

「フィランサス殿下からは、反乱を起こさせるよう命じられていたのではないですか? あれば、起きたことは必然。これに責任をお感じになる必要はないと愚考いたします」

 リンドリクも重責を押し付けられるのが嫌なのではない。

 この国を立て直すためには、まだ宰相の力が必要だと考えていた。

 こに反乱の芽が残っているか、まだ予断を許さない。

 気に国内の掃除をするための豪腕は、若いリンドリクたちにはまだない。

 

「まさに愚考じゃな。しかし、こうして不満を持った者たちが、ささやかに文句を言ってくるだけならばともかく、国をひっくり返そうとしてきたということはじゃな。我らの政が不適切ということの証じゃないかね?」

 クーデターが起きてしまった事実は変えられない。

 公爵は、その時に在任していた者たちに、国の柱石たる資格はないと思っていた。

 

「不満なら、私たちも抱いております。当然ではないですか。現状に満足などしてしまったら、国を良くすることなど到底できませぬ。あの者たちとて、いえ、庇い立てなどする気は全くございませんが、あの者たちにとってはそれが良いと判断してのこと。ならば、我らも我らの信じるように、国を良くする努力は放棄してはならないのではございませぬか? 相閣下、我ら若い世代も精一杯の努力はいたします。ですが、若さ故に暴走しないとも限りませぬ。理想に走る余り、周囲が見えなくなりかねませぬ。どうか、我らが充分な経験を積み、舵取りを誤らぬようになるまでは、閣下たちに厳しくご指導いただけますよう、伏してお願いいたします」

 リンドリクは決して自分を無能だと思ってはいなかったが、誰一人として不満を抱かせることなく国を治められるなどと思うほど自惚れてはいない。

 

 二人の言い合いに軍務卿と内務教が口を挟む。

 反乱を起こした軍の総責任者である自分と、国内の治安を預かる自分が責を負えば全て丸く収まろうと言うのだ。

 二人とも、宰相を政の中枢から外すわけにはいかないと考えていた。

 

 誰かが責任を取らなければならないということは、リンドリクも承知している。

 これだけのことを引き起こしておいて、罪人たちを罰するだけでは済まされない。だが、そのせいで宰相の首が飛ぶことは、今は困る。

 かと言って軍務卿と内務卿に全てを押し付け、宰相には何の咎めのもないということでは、宰相が地位に恋々としていると取られかねない。

 

 ディアートゥス公爵の嫡男も論戦に参入し、若い世代と現リーダーたちの言葉の応酬は、激化の一途を辿り止む気配を見せることはなかった。


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