狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第51話

 漆黒の闇の中をアービィは駆けた。

 赤外線暗視装置でも覗いているかのように、魔獣の目は闇の中に点在する障害物を捉え、的確に避けていく。

 ルティたちは三台の犬橇に分乗し、ワラゴの先導でアービィの後を追っていた。

 

 駆け始めてすぐに犬と巨狼の速度差からルティたちは取り残されたが、もし、犬たちの速度が巨狼に拮抗できたとしても身を切るような寒風がそうはさせなかった。

 ほとんど無風の夜だったが、犬橇の進行に伴って必然的に発生する強風は、露出した顔面から容赦なく熱を奪い、あっというまに全員に震えを取り付かせていた。

 それでも歩くよりは数倍早い速度で、問題の避難小屋まで急行する。

 防寒着を身体に巻き直し、フードを顔に巻きつけて目だけを出した状態で、犬橇に身を委ね、漆黒の闇を切り裂いて進んでいた。

 

 もっともアービィ単騎で魔獣の群れに踊り込んでも、全く問題ないとルティは考えていたので、その点について焦ってはいなかった。

 だが、魔獣に襲われ恐慌状態に陥った者たちが、アービィにも刃を向けないとも限らない。通常の武器でアービィを傷付けられるとも思えないし、アービィが反撃するとも考えられないが、誤解は少ないに越したことはない。万が一にも彼等が銀製の武器を持っていたら、アービィとて無事にはすまないだろう。

 それを思うとルティには、犬橇の速度がもどかしいものに感じられている。

 

 ルティの焦りを感じ取ったか、ワラゴがそれを紛らわせるかのように話しかけてくる。

 寒風の中では口を開くだけで体温を奪われてしまうため、必要以外のことは喋らないほうがいいのだが、ワラゴはルティの焦りが見ていられなかった。このまま犬橇を飛び降りて、走り出してしまうのではないかと不安に狩られるほどの焦りようだった。もちろん、犬橇のほうが早いに決まっているのだが、自力ではどうしようもないことからくる気の焦りだ。

 ルティはワラゴの気遣いを感じつつ、アービィと出会ってからのことをティアやメディの正体以外を掻い摘んで話した。

 

 長い物語を語り終えたルティに、ワラゴは何故悪魔の化身が人と行動を共にしているか、理解できた気がした。

 この娘なら、悪魔に心を持たせることができたというのも納得できる。共にいる女二人も何かしらの訳有りなのだろうが、自分から言い出さない以上無理に聞く気はなかった。

 

 

 アービィは全力疾走に近い速度で、一日の行程を三時間で駆け抜ける。

 やがて、闇の中に三体の魔獣が小屋を取り囲み、入り口を広げようと窓や扉に牙を叩きつけているところに行き着いた。

 一瞬の間さえ置かず、唸り声を上げて魔獣たちの意識をこちらに引き付け、手近にいたサイクロプスに飛び掛った。

 

 サイクロプスの持つ棍棒の一撃をまともに受けるが、巨狼の毛皮なんなく弾き、サイクロプスの両腕を痺れさせた。

 跳躍した勢いのまま、サイクロプスの喉元に牙を打ち込む。仰向けに倒れたサイクロプスに覆い被さった巨狼に、マンティコアの毒針が襲い掛かるが、突き刺さるだけで毒は瞬時に中和されていった。

 まるで蚊にでも刺されたかのようにマンティコアの尾を跳ね飛ばし、サイクロプスの喉元に牙を立てたまま首を一振りする。

 盛大な血飛沫と共にサイクロプスの肺から空気が噴出し、瞬く間に巨鬼の命が消えていく。

 

 全身を返り血に染め上げた巨狼が、残る魔獣と対峙した。

 マンティコアが三列に並んだ牙を巨狼の前肢に、キマイラがライオンの首を巨狼の首元に噛み付かせ、山羊の角を脇腹に突き立てる。

 残る蛇の首で毒を注入せんとところ構わず噛み付くが、どの攻撃も巨狼をたじろがせることすらできなかった。

 

 前肢で大地を蹴り、上体を跳ね上げ魔獣を振り払うと、マンティコアもキマイラもいとも簡単に跳ね飛ばされた。

 怯んだ隙を突いてマンティコアの喉を噛み裂き、返す刀でキマイラのライオンの首を噛み千切る。

 即死したマンティコアを省みることなく、キマイラの山羊の首を自らの頭を叩きつけた一撃でへし折ると、最後に残った蛇の頭を噛み砕き仕上げとした。

 

 魔獣たちに突入する前に感じていた邪悪な気配が、魔獣の劣勢を悟り援護の攻撃呪文を放ってくるが、生身の人間の身体であればともかく、獣化したアービィの毛皮にダメージを与えられるものではなかった。

 『爆炎』と『雷電』、『海嘯』が立て続けに襲い掛かるが、既に息絶えた魔獣の身体を焼き、叩くだけでアービィには僅かに痛痒も与えられない。

 

 邪悪な気配にアービィが対峙したとき、気配からは動揺が伝わってきた。

 幽かに残る記憶。アービィにもほんの少し動揺が走る。フォーミットの村を襲った魔獣使いの魔術師と同じ気配。

 言葉も解らなかったアービィに、優しく生きる術を教えてくれた騎士たちを殺した魔術師と同じ気配。

 

 アービィの目に狂気が宿った。

 一足飛びに邪悪な気配の元に駆け寄るが、その気配も同距離を飛び退っている。かなり狼狽している気配も混ざっており、以前のように『移転』を使う余裕がないようだ。

 幾度か同じことを繰り返し、徐々に距離を詰めるが、突然両者の間に邪悪な気配から呼び込まれた魔獣が雪崩れ込んでくる。

 

 それは先日パーカホの狩猟部隊を壊滅に追い込んだものと同じ、熊が変化した魔獣の群れだった。

 アービィへの恐怖と、自らを作り出した者の命令に逆らった後に襲い来る恐怖が拮抗し、僅かに後者への恐怖が勝った結果、熊たちはアービィに突進する。魔獣になったことで野生の本能は失われ、遺伝子に溶け込んだ人狼に対する恐怖の記憶を薄めさせ、到底敵わぬ相手だということを忘れさせていた。

 狂気に染まったアービィが哀れな熊たちに手加減するはずもなく、人間相手なら致死性の膂力を発揮する暇を与えられることもないまま、熊たちは片端から喉を、四肢を、身体を噛み裂かれ、藁のように倒れていった。

 

 アービィの跳躍を封じたと判断して、邪悪な気配は『移転』の詠唱を開始する。

 熊を殲滅したアービィが邪悪な気配に飛び掛った瞬間、『移転』が発動し、間一髪で気配が消えた。狂気の根源が失せたことでアービィの目に正気が戻り、全身を返り血で染めた巨狼は呆然とその場に立ち尽くしていた。

 周囲には元は魔獣だったことすら伺わせない肉塊が、まだ残る体温で湯気を立て、雪の上に流れた血が凍りつき始めていた。

 

 

 ランケオラータが小屋の中で外の異変に気付いたとき、既に全ては終わっていた。

 魔獣の咆哮が響き、次いで悲鳴が響き渡り、数多くの断末魔の絶叫が響き続けた。突然静寂が訪れたと同時に邪悪な気配が消え失せ、一つだけ残された巨大な殺気が急速に萎んでいくのが解った。

 窓を塞ぐバリケードをどかして恐る恐る外を覗くと、月明かりに照らされたそこは凄惨を極めた地獄の光景が広がっていた。

 

 魔獣だった肉塊と夥しい流血の跡に、一頭の巨狼が全身を血に染め上げ悄然と立ち尽くしている。

 やがて救援と思われる一団が近付く気配があり、ランケオラータは危険を省みず大声で叫ぶ。

 同時に後ろから覗いていたバードンが純銀の剣を抜き放ち、巨狼に向かっていった。

 

「だめだ、近寄っては!! 狼が、人狼がっ!!」

 その声を無視した救援の一団が姿を現したとき、ランケオラータは絶望に囚われた。

 例えバードンがどんな超人的な技量を持っているとはいえ、あれほどの魔獣を瞬時に片付けた巨狼を止められるとは思えなかった。

 次の瞬間にはバードンと、救援の一団が血に塗れることを覚悟し、ランケオラータは思わず目を閉じた。

 

 ハイスティは、走り寄る救援の一団にルティやティアの姿を認め、窓から飛び出していた。

 アービィの姿がないことを訝しむが、今はそれどころではない。

 人狼から引き離さねば、あの少女たちは瞬時に殺されてしまう。

 バードンが巨狼に走り寄ることを確認し、自らは走り寄るルティたちを庇う位置に跳躍した。

 

 裂帛の気合が夜気を切り裂いた。

 バードンが横一閃、純銀の剣を巨狼の顔面に振り抜く。

 

 

 アービィはバードンの姿を認め、悲しげな目で眺めると、その剣を両顎で受け止める。

 純銀製の武器は脅威だが、刃を立てられなければどうということはない。金属と岩が噛み合う衝撃音が響き、アービィの牙が純銀の刃を噛み止めた。

 そのままじわりと両顎に力を入れると、硬度に劣る銀の刃はいとも簡単に変形し、武器としての用を成さなくなる。

 

 人狼から庇うように割って入ったハイスティの横をルティがすり抜け、驚愕の表情で剣を放したバードンの腕に縋りついた。

 これ以上アービィに対して攻撃させないように、必死に腕に縋りつく。

 人狼に戦いを挑むような男だ。ルティが全力で止めたところで簡単に引き剥がされてしまうだろうが、それでも縋りつかずにはいられなかった。

 

――バードンさん、あとで――

 アービィから念話がバードンに届く。

 

――ルティ、大丈夫だよ。ここではやらない。それより、着る物頂戴――

 安心させるように血染めの巨狼から念話が届いた。

 

 

 避難小屋の中は一触即発の空気が漂っていた。

 ランケオラータとルム、ハイスティにバードンと生き残った四人の兵士が、アービィとルティ、ティアにメディ、そして案内してきたワラゴと向き合っている。

 

「どういうことだ、人狼。貸しでも作ったつもりか?」

 バードンが低い声で問いかけた。

 

「そうじゃありませんよ。レヴァイストル伯爵に頼まれて来ただけ。ランケオラータ様を助けるためです」

 アービィが答える。

 

 ランケオラータを掌中に収めたい三者が、期せずして揃っている。

 それぞれの思惑はあるが、当面ハイスティとアービィたちは共闘できよう。だが、スキルウェテリー卿の意を受けたバードンは、なんとかしてランケオラータを自分で連れ帰りたい。

 それに、目の前で獣化していた人狼を、そのままにできようはずもなかった。

 

「人狼が人のために? とんだお笑い草だな。それを信じるとでも?」

 使い物にならなくなった純銀製の剣は捨てているが、この状態なら縊り殺すことは可能だ。

 それに獣化を解いているならば鉄の剣でも刺し通すこともできる。だが、『人』を斬ることは、殺すことは彼の信条に反していた。

 どうしようもないジレンマに、バードンは普段の言葉遣いや物腰を忘れていた。

 

 

 ハイスティは、混乱の極にある。アービィが人狼だった。その情報は得ていない。まさかのまさかだった。

 だが、これでランケオラータ救出は成ったも同然だった。囚われているだろう集落を探す手間は、ランケオータ自ら出てくることでなくなり、今後魔獣の襲撃があろうとも人狼がいれば撃退は容易だ。

 目の前にいるバードンが何故人狼を目の敵にしているかだが、利用できるものは全て利用する主義のハイスティには、その頭の固さが理解できない。

 そんな諍いは南大陸に帰ってからやればいいことだ、と彼は考えていた。

 

 渦中のランケオラータにしても、混乱していることには変わりがない。

 王が救出のためにハイスティを遣してくれたことは解る。アービィたちの話を聞くに、許婚の親であるレヴァイストル伯爵が冒険者に依頼したことも解る。

 だが、バードンの行動原理がわからなかった。神父が義憤に駆られてきたのとは、少々雰囲気が違っていた。

 そのうえ、窮地を救ってくれた者に対して、とてつもない殺気を隠そうともしていない。

 

 現実主義者のランケオラータは、人狼に対する恐怖心は人並みに持っている。

 今でもアービイに対する恐怖感は消えていないが、助けてくれた上に食い殺そうともしていない態度に、安心感と信頼感を持ち始めていることも確かだった。

 ルムに至っては、現状をまるで把握できず、目を白黒させるのが精一杯だ。

 

「とりあえず、状況を整理しましょう。バードンさん、命の恩人に殺意を向けるなど、感心できることではないと思いますが」

 ランケオラータが言った。

 

 ランケオラータは、ここまでのことを詳しく話す。

 捕虜になってからのこと。北の大地の苦しさ。何時果てるともない土地の奪い合い。そこへ押し寄せた今までにない魔獣の群れ。

 最北の蛮族からの侵略圧について、長い時間を掛けて語った。

 

 南大陸の住人のほとんどは、十把一絡げに北の民を見ていた。

 北の大地の中で殺しあう蛮族、というのが一般的な南大陸の住人の認識だ。一部には山岳地帯、平野部、中央部とさらに北の部族に分かれていることを把握しているものもいたが、その程度だった。

 だが、南大陸に対して友好的かどうかは別にして、北の民の南下することへの欲求を理解できないわけではなかった。

 ウジェチ・スグタ要塞も、北の民の南下を防ぐ意味合いだけで、こちらから侵攻する意志は南大陸にはない。

 精々征服欲に塗れたラシアスの摂政ニムファが、両大陸を統一した女王という称号を欲しがっているくらいだ。

 

 ランケオラータは北の民の窮状を説明し、それが北の大地だけの問題でないことを理路整然と解いた。

 北の民を以って最北の蛮族の障壁と成せばいいというのではなく、共に手を携え、それに当たる。

 そうすれば、その脅威が去った後には、交易により両者が平和の中で繁栄を謳歌できるはずだと、彼は熱っぽく解き続けた。

 

 ハイスティにしてみれば、それは夢物語だと思えてしまう。

 誰が、北の民の誰が南大陸の住人を信頼し、南大陸の住人の誰が北の民を迎え入れるというか。余程の物好き以外、そんな者がいるとは思えなかった。

 ハイスティは、この際だからと無遠慮にその点に付いて問いかけてみた。

 だが、ランケオータの答えは明確だった。

 

 共に血を流す。それだけだ。

 おそらく、現在のところ、最北の蛮族は北の大地の中央部を席巻している。突然南大陸の派遣軍が進軍すれば、北への侵略と取られるだろうが、最北の蛮族を南の派遣軍が討てば、それは信頼に変わるはずだ。ましてや南大陸の四国家は、北の大地への領土的野心は微塵も持ち合わせていない。

 一度最北の蛮族を討ち、この後は交易によって南で生産される武具や食料を北に売り、北で生産される資源を南が買えば、互いに利益が上がるうえ、南の派遣軍が常駐する必要もなくなる。

 その間、南の派遣軍は領土的野心を持っていないことを証明しつつ、北のインフラ整備にも当たり、両大陸の融和に努める。

 誤解を受けることもあるだろうが、それを解き信頼関係を打ち立てることも派遣軍の重要な仕事となるだろう。

 

 これから長い時間を掛けて両者の心を解きほぐす必要はあるだろうが、最北の蛮族という共通の敵ができた今は、南北融和の最大のチャンスでもある。

 対等の関係でそれに当たり、余計な功名心やこれを期に優位に立とうなどとは考えないことだ。

 恩を売るチャンスではなく、対等の立場に立つチャンスだとの認識が必要だった。

 

 ランケオラータはそのためにインダミトに戻る。

 そして北の窮状を知らせると共に、対等な立場になれることを証明するためにルムを伴っている。現状において、ランケオラータとルムの立場は、どちらが主でどちらが従ということはなかった。平野部を統べる長として、ルムはインダミトに赴く。

 その立場であればランケオラータよりは上位になり、いうなればバイアブランカ王と対等の人物だが、それを以って北の民が上位だという気は、ルムにはない。

 ランケオラータの説明が終わり、長い、長い沈黙の後、バードンが口を開いた。

 

 

「人狼、面を貸せ」

 そう言って、バードンは避難小屋を出て行った。

 面倒くさそうな表情のアービィが後を追うが、ルティが止めに入る。

 

「大丈夫だよ、獣化はしないから。それに、話せば解るさ」

 ルティを振りほどき、アービィも小屋を出た。

 

 

「当面、信じてやる。ありがたく思え。純銀の剣もなしに人狼に掛かっていくほど、おれは莫迦じゃない」

 小屋の外で待っていたバードンが、悔しそうに吐き出す。

 

「いずれ、遣り合わなきゃいけないの? さっきので解ったでしょ、あなたでは僕に勝てない。僕は人を喰らう気なんかないから、放っておいてください。お互い、無駄なことは止めましょうよ」

 アービィにはバードンの気持ちが解らないではない。

 親の仇として生かしておけない。自分と同じような子供を増やしたくない。この気持ちは理解できた。

 

 だが、だからといって自分が殺されることは容認できるはずもない。

 身勝手と言われようと、他に人を喰らっている人狼がいることに心は痛むが良心の呵責はないし、そのような人狼が狩り尽くされてもそれは自業自得だと思っている。

 バードンが自分に突っ掛かってくることは、言い掛かりでしかない。

 共に手を携え人狼狩りをしようとまでは言わないが、バードンのすることを邪魔するつもりも、自分を殺しに来ること以外では、まるでなかった。

 だから、アービィには今のこの時間が無駄なものにしか思えない。

 

「勝てるかどうかはやってみなきゃ解らんだろうが。それは次に会ったときまで預けておいてやる。俺は帰る。犬橇を一台よこせ」

 それだけ言うとバードンは小屋に入ろうとする。

 

「一緒に帰ればいいじゃないですか。どうせ方向は同じなんだし。それに、犬橇は僕のものじゃないから、ワラゴさんに聞かなきゃ判りません」

 当面傷付け合うことがなさそうだと判断して、アービィはそう言いながら後を追った。

 いつかは命の遣り取りがあることを覚悟して。

 同時に、もし誤解が解けるなら、孤児院構想に一枚噛んで欲しい相手でもあるとアービィは思っていた。

 

 

 小屋の中ではルティとティアとメディが心配そうな顔で、ランケオラータとルム、そしてハイスティが難しそうな顔で待っていた。

 傷一つなく戻ってきたアービィとバードンを見て、ルティたちはほっとした表情になるが、ランケオラータたちの表情は変わらない。

 アービィが不審に思っていると、ハイスティが口を開いた。

 

「実は、私の使命はランケオラータ様をご無事にインダミトまでお連れすることなのですが、どうやらアービィさんたちがいれば充分なようですね」

 ここで初めてハイスティはアービィたちに正体を明かした。

 もちろん、ラシアスの密偵を始末したことや、ラシアス国内でアービィたちを監視していたことは伏せている。

 

 ルティたちから驚愕の声が上がった。

 ここで会ったときに、何故商人であるハイスティが神父の格好をしているか、ずっと訝しんでいたのだった。

 だが、インダミトの密偵ということであれば、その理由も理解できた。

 

 そして、ここからが核心です、と前置きしてハイスティはルムに発言を促す。

 ルムは、ここで魔獣の襲撃を受けたことで、ひとつの危惧を抱き始めていた。

 ヌミフのことも心配だが、パーカホを始めとした集落がどうなっているか、魔獣の群れに襲われていないか心配になってきたのだった。

 戦力としては捕虜となっている兵士たちがいるので、今日明日に壊滅することはないだろうが、無尽蔵に魔獣が生産できるとしたら、いつかはジリ貧になる。

 一刻も早く南から派遣軍を呼び込む必要は感じているが、行軍には数ヶ月を要するだろう。

 その間、指揮官不在の集落の戦力を、ハイスティとバードンに纏めて欲しいということだった。

 

 本音を言ってしまえばアービィに行って欲しいのだが、ここから南大陸までどのような危険があるか判らない。

 安全にランケオラータをインダミトに送るには、ハイスティとバードンよりもアービィたちに任せるほうが確実だった。

 集落は防御柵もあるし、なにより人数は揃っている。

 核となる人物がいれば、その戦力の向上は計り知れず、軍務の経験のないアービィよりも組織に身をおくハイスティに分があることは確かだった。

 

 ハイスティは、今後の北の大地におけるインダミトの地位向上、ひいては交易が有利になると判断し、ランケオラータとルムをアービィに委ねることに決めていた。

 だが問題は、バードンだった。

 ハイスティはスキルウェテリー卿がどのような人物か知り抜いている。その直属の部下ということであれば、これもマ教原理主義者である可能性が高いと考えるのが普通だ。そのような人物が北の民を守るために集落に留まるわけがなく、それどころか異教徒である北の民の集落は殲滅するべき対象だ。

 バードンを集落に引き入れることは、魔獣を集落に引き入れると同義になってしまうかもしれなかった。

 

 アービィと一時的に和解していることで毒気が抜けたバードンは、周囲の空気が自分の正体に付いて話すことを望んでいると理解できた。

 別段それを隠すつもりは元からないし、山岳地帯の集落で神父を演じていたことは、一部において真実だ。人狼狩りに特化しているとはいえ、マ教の悪魔狩りとしての仕事は人に恥じるものではない。

 それに事ここに至っては、インダミトに恩を売ろうというスキルウェテリーの思惑も、どうでもいいことだった。

 

「私は、マ教のスキルウェテリー卿の下で悪魔狩りに従事しております。インダミトに恩を売るため、ランケオラータ様をお救いすることが、私に課せられた使命でした」

 アービィを除く全員の表情が凍りついた。

 

「ご安心ください。私は異教徒を悪魔とは同列視しておりません。悪魔に誑かされた哀れな人々に振るう剣を、私は持ち合わせておりません」

 ルムは酷く莫迦にされたような気がして、表情をさらに固くする。

 それに気付いたバードンは、取り繕うにように言葉を続ける。

 

「これはお気に触りましたか。申し訳ございません。建前というものもございまして。本音で申せば、先程のことをご覧いただいたとおり、私の仕事は悪魔狩りの中でも人狼狩りに特化したものです。ですが、魔獣が人に仇成さんとすることを見過ごすほど、独善に溺れてもおりません。喜んで集落の守りに就きましょう。そこの人狼とは、いずれ雌雄を決することにしておきます」

 バードンはマ教に恩は感じているが、他人にその教えを強要しようとまでは思っていなかった。

 どちらかといえばスキルウェテリーよりカーナミン卿の考え方に近い。

 何より、魔獣が我が物顔で人を襲おうとしている方が我慢ならなかった。

 さらに先程の邪悪な気配も気になる。

 

 バードンはランケオラータにスキルウェテリー卿宛ての伝言を依頼する。

 ランケオラータを掻っ攫われて合わせる顔がないというもの本音だった。派遣軍が来るまで魔獣相手に技を磨き、その後アービィと雌雄を決する。

 派遣軍と共に戻るならよし、もし戻らなくてもどこに隠れていようと探し出してやると、バードンは表情とは裏腹に心の中で叫んでいた。

 

 

 翌朝、ハイスティとバードンは、そこまでランケオラータとルムを警護していた兵士たちと共にパーカホへ向かった。

 アービィたちは、ひとつの依頼を完遂できた安堵と共に彼等を見送る。だが、まだ北の大地を脱したわけではなく、ここからも昨日のように魔獣の襲撃があるかもしれない。気を抜くには早かった。

 ルムは一晩をアービィたちと語り明かし、人狼に対する警戒心を解いている。

 もちろん、それはアービィという個体に対してだけで、人狼全てに対することではないし、恐怖感が全て払拭されているわけではない。

 

 ワラゴを先頭に、ランケオラータを橇に乗せて進み始めた。

 ルムも橇に乗るように勧められたが、北の民の意地からか、歩くことを選んでいる。当初ランケオラータも歩くといっていたが、やはりここまでの疲労が溜まっており、すぐに息が上がってしまう。

 その都度休憩するよりは橇に乗っていてもらった方が早いので、全員で説得した結果渋々ながら承諾したのだった。

 

「ランケオラータ様がご無事で、あたしは何よりです。ようやく肩の荷が下りたというか……」

 ティアは、ランケオラータが生きて横にいることで感無量になっていた。

 これでレイやレヴァイストルにやっと顔向けできる。

 

「何故、ティア殿が?」

 素朴な疑問をランケオラータが口にする。

 ティアは、ラガロシフォン領でのアーガスとの一件から、彼を王都に出すようにレヴァイストルに進言したこと、その結果が今の状況であることを話した。

 

「私は生きている。そればかりではなく、南大陸と北の大地が一つになれるかもしれないきっかけを持って、ね。そう思えば、そのきっかけはアーガスのスケベ心でもあり、あなたの進言なのかもしれない。感謝するべきことで、あなたが謝ることではないよ」

 ランケオラータは、ティアに対して全く含むところはない。

 アーガスには未だ収まらぬ怒りはあるが、ティアに言ったように考えれば少しは治まる。

 

「そう言っていただければ、少しは気が楽になります。ありがとうございました。ランケオラータ様」

 ティアは、心から礼を言った。

 

「礼を言うのはこちらの方だ。しかし、北の大地まで来るなど……幸い、ルムたちのお陰で平和裏に事が進んでいたからいいようなものの。どうしてそこまで?」

 

「実は、あたしはラミアなんです。魔獣として二百年近く生きてきました。レヴァイストル伯爵は、初めてあたしを認めてくれた方なんです。魔獣ではなく、女の性をでもなく。人として」

 意を決したティアが獣化する。さすがに寒さには懲りていたので、上半身に防寒着を纏ったままだったが。

 

「なるほど、そういうことか。それでもあなたへの感謝の念は変わらないよ。でも、そういうことなら私が無事でよかったね。礼はルムに言ってもらった方が良いかもね」

 ランケオラータは、なんとか驚きを隠し通した。あまり驚いては「恩人」に対して失礼だと考えたからだ。

 だが、ふと横を見るとルムが平伏していた。

 

「ちょっ……ルムさん、どうしたんです?」

 予想外の展開に慌てたティアが、ルムの手を取った。

 

「畏れ多くも御自らわたくしのような者の手をお取りになるなど……お礼など勿体のうございますっ!! 女神様のお役に立てただけで光栄でございます!!」

 畏まり、地面に額を打ち付けるかのような勢いで、ルムは平伏していた。

 

「えっと、メディ、どういうこと?」

 戸惑うティアが獣化を解き、メディに聞く。

 

「ルムさんの部族は、蛇を神としてるようね。そういう方の前で、いきなりあなたが正体明かしたらこうなるわ。先に言っておけばよかった。ごめんなさいね、ルムさん」

 しまったという顔でメディが説明する。 

 

「えっと、ルムさん、あたしは神なんかじゃなくて、ラミア。魔獣ですから。そんなに畏まらないでっていうか、今までどおりにしてください」

 困り顔のティアがルムに言うが、ルムは顔を上げることができない。

 精神の髄まで染み込んだ、神を敬う信仰心がそうさせていた。

 

 ティアが頼み込み、ようやく顔を上げたルムだが、納得しがたいという顔のままだ。

 ルムには、ティアは大蛇の女神にしか見えない。

 ティアは確かに正体を利用できるときは獣化を躊躇うつもりはなかったが、このような形で具現化してしまうのは不本意だった。

 敬って欲しくて正体を明かしたわけではない。ましてや、ルムの部族がそうであることを見越していたわけでもなかった。

 

「やっぱり、アービィ殿たちに残ってもらったほうが良かったかもしれんな、ルム」

 中央部の民で蛇を神と崇める部族に対しても、ティアの威光は効くだろう。

 さらに狼を神とする部族に対して、アービィの獣化も効くはずだ。

 こちらは獣化の瞬間を見せなければ、だが。

 

「そうだな。ティア様がいらっしゃれば、少なくとも中央部の五分の一はひれ伏す。それに中央部には、狼を神としている部族が多い。アービィ殿が行けば、かなりの効果が見込めるな。いかがだろう、インダミトへ行った後、私と一緒に戻ってくれないか?」

 中央部との大同団結に、ティアとアービィは欠かせないとルムは考えている。

 

「必要であれば行きますよ」

 ティアとアービィの答えは簡潔だった。

 戦うことを躊躇いはしないが、戦わずに済ませるためなら喜んで往く。

 

 ウジェチ・スグタ要塞までの一本道を照らす太陽は、北の大地に遅い春を運んできていた。

 ティアは、またここへ来ると、百日ほど前のリジェストでは失意の中で誓ったことを、今は希望の中で誓っていた。

 

 

 人狼に襲撃され、手持ちの魔獣を全て失った邪悪な気配の根源は、数度の『移転』を繰り返し、やっとの思いで最北の根拠地に逃げ戻っていた。

 あの人狼には一度ならず二度までも、魔獣の実験を邪魔された。ラシアスの小娘が召喚した『勇者』とやらの魂を人狼に封じたが、消滅させることができなかったのが痛かったかもしれない。

 まあ、良い。多少の障害は、救世主たる自分の英雄譚には不可欠だ。

 

 北の大地を我が物に、そして両大陸を我が物に。魔を統べ、人を統べ、全てを我が前に平伏させる。

 最北の蛮族と蔑まれた、我等が恨みを思い知らせてやる。

 我が神の名において、両大陸の愚か者共に思い知らせてくれよう。


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