狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第46話

 アービィが一閃した刃は、的確にレイスの喉元を捉えている。

 確かな手応えをアービィは感じるが、レイスは怯む様子もない。

 

 ならばと袈裟懸けに斬り下ろすが、これもレイスの身体を捉えるものの、ダメージは微塵も与えられない。

 レイスの身体は斬れているのだが、刃が通り抜ける側から再度くっついてしまう。

 

 まるで水を斬るかのようだ。

 エンドラーズがアービィに指示を飛ばす。

 

「アービィ殿、眉間です!! それ以外は無駄っ!!」

 そう言って、エンドラーズはレイスの正中線を狙って、剣を振り下ろす。

 

 レイスの動きは、他の低位の悪霊と比べると、遙かに遅い。

 だが、減速せずに方向転換できたり、数cmであれば瞬間移動かと思うほどの速度だったりと、急所を捉えるのは困難を極めている。

 

 防御呪文のお陰でレイスが放つレベル4の攻撃呪文は効果が減殺されているが、防御呪文の効果は永続ではない。

 切れる前に重ね掛けを心掛けてはいるが、それでも間に合わないときがあり、その際に受けてしまったダメージは、徐々にだが蓄積されている。

 

 闇の衣の中には腐った人体が収まっており、激しい腐臭をまき散らしている。

 両目は力なく濁っているが、的確にこちらを捉え呪文を放っていた。

 

 低位の悪霊たちも寄り集まっているため、レイスに攻撃を絞ることもできず、これも斬撃の正確性を狂わせていた。

 メディはイヴリーのエスコートで手一杯になっていて、レイスへの攻撃には加われないことも、責めきれない要因の一つだった。

 

 それどころか、低位の悪霊共は防御力の低いイヴリーを狙い始めており、メディ一人では完全に防ぐことは難しくなってきていた。

 ルティかティアが手を貸さなければ、破局が近いことは火を見るより明らかだ。

 

 エンドラーズがイヴリーとメディめがけて、レベル4の火の呪文『爆炎』を放つ。

 二人に掛けてある防御呪文の効果に期待しての援護だ。

 

 辛くも『爆炎』を耐えた二人が周囲を見ると、蝟集していた低位の悪霊は全て身体から炎を上げて燃えていた。

 ひと心地ついたメディが、疲労度が高そうなティアに『回復』を掛け、すぐに剣を構え直す。

 

 アービィは『大炎』をレイスに叩きつけるが、こちらは全く効果がなく、周囲の木材に小さな飛び火を作っただけだった。

 ここまで互いの攻防は一進一退だったが、ルティとティアの防御呪文が尽きてからは、防御が固いレイスが徐々に押し始めている。

 

――人の身でありながら、よくぞそこまで練り上げたものよ……――

 レイスから言葉が伝わる。

 音声としてではなく、アービィやティアがするのと同じ念話とも違う、心に直接侵入してくるような「声」だった。

 

――だが、我を倒すには術が足りない……――

 そう言うとレイスは両手にそれぞれ『爆炎』を発生させる。

 

――まずは、そこな女……――

 ゆっくりとした動作で投げつけられた巨大な炎は、至近距離故に退避が間に合わなかったルティを直撃し、周囲の悪霊を巻き添えに盛大な火飛沫を弾けさせる。

 

「きゃああっ!!」

 ルティは悲鳴を上げて倒れると小さく痙攣し、動かなくなった。

 

「ルティっ!!」

 アービィとティアが駆け寄ろうとするが、レイスの片手に残されていた『爆炎』が、再度炸裂する。

 

 アービィの目の前を通り過ぎた炎は、これも悪霊を薙払いつつ、ティアを包み込んだ。

 盛大な爆発が起き、ティアがはね飛ばされ壁に激突して崩れ落ちる。

 

 爆発の影響は倒れ込んだルティにも及び、その身体を跳ね上げ、肺の空気を絞り出させた。

 ルティとティアが細かく身体を痙攣させるが、間隔が少しずつ長くなり、やがて完全に動きが止まる。

 

 怒りに相貌を歪ませ突っ込んでくるアービィにレイスが『爆炎』を叩きつけるが、人狼の呪文への抗堪性が辛うじて吹き飛ばされることを防いだ。

 

「貴様ぁっ!!」

 突進力を『爆炎』で減じられたが、それでもアービィは全力を脚に込め、レイスに頭から突っ込む。

 

 剣がレイスの身体を透過するのと同じように、アービィの身体が闇の衣を透過し、レイスの身体にめり込んだ。

 急所である眉間を瞬間移動で数cmずらし、致命傷を受けることを防いだレイスがあざ笑う。

 

 向こう側に突き抜けたアービィが、再度レイスに突っ込む。

 ダメージは与えられないが、次の呪文を妨害する効果はあった。

 

 通り抜けざまに眉間を狙い剣を突き立てるが、レイスは間一髪の差で避けきっている。

 何度繰り返したか、さすがにアービィも息が上がり始めていた。

 

 息を整えたほんの一瞬の遅れが、レイスの呪文を完成させていた。

 風のレベル4の呪文『雷電』、急減な突風を幾つも起こし、空気の摩擦で小型の雷を起こすものだ。

 

 レイスの視線がイヴリーとメディを捉えている。

 狙いは明らかだ。

 

 既に戦力とはいえないルティとティアを後回しにして、小賢しくも回復薬を使ってくる二人を仕留めようというのだ。

 アービィは、レイスの腕の動きを目で追い、『雷電』が発現する瞬間に自らの身体を電光に被せた。

 

 剣が避雷針の代わりになり、アービィの身体を電撃が走り抜ける。

 人狼の抗堪性を以ってしても、至近距離で炸裂した『雷電』には、アービィの身体は確かなダメージを受けている。

 

 アービィは片膝を付き、剣を杖になんとか床に崩れ落ちることを拒んでいるが、後一発喰らえば意識を飛ばされるかどうかの危ないところまで追い詰められていた。

 再度、レイスの掌に『爆炎』が発現し始めている。

 

 再現フィルムを見るかのように、アービィが突っ込むと同時に『爆炎』が叩きつけられる。

 目の前で炸裂した『爆炎』を掻い潜ったアービィが、レイスの身体に自らの身体をめり込ませる。

 

――よくぞ『爆炎』を耐え――

 唐突にレイスの「声」が途切れる。

 

 闇の衣を透過し、レイスの身体に自分の身体がめり込んだ瞬間に、アービィは『大炎』を発動させていた。

 

 体内を焼く炎が腐肉を焦がし、異臭を辺りに振り撒く。

 初めて感じる苦痛にレイスがよろめいて溝の前から退いた隙に、エンドラーズは『猛炎』に持続の効果を付与して溝の中に押し込んだ。

 

 レイスの『爆炎』三発にほとんどの悪霊が巻き添えを喰い焼き尽くされていたため、一時的にでも溝から悪霊が出られなくすれば状況は打開できる。

 エンドラーズの一手により、戦力の均衡が一気に崩れた。

 

 ルティとティアは、炎と爆発のダメージで動けない。

 特にルティは『爆炎』を二発喰ったと同じ状況で、正に生死の境をさまよっている状態だ。

 

 メディがルティを引きずり戦場から引き離し、ティアにはイヴリーが駆け寄って回復役を使用するが、あまりのダメージに焼け石に水を掛けるかのようだ。

 悪霊の噴出をひとまず止めたエンドラーズが駆け寄り、それぞれに傷を全快させる『快癒』を掛けて回る。

 

 傷や火傷は瞬時に消え去るが、それでも二人は失神状態から覚めなかった。

 しかし、呼吸が安定したことにエンドラーズは安堵し、大声でアービィに知らせた。

 

 アービィは、ルティを自力で救えない無力感を怒りに転化し、レイスの身体を焼き尽くそうとしている。

 呪文を発動させた状態でレイスに拳を打ち込み、レイスを内側から破壊していた。

 

 闇の衣は呪文の火に焼かれることはないが、内側の腐った人体はほとんどか炭化している。

 『大炎』を使い果たした後は、『火球』を使用限界の10発叩き込んでいた。

 

 既にレイスは動くことも『声』を発することもできず、なすがままの状態だった。

 早い段階で眉間に一発打ち込めば、そこで戦闘は終わっていただろうが、ルティを殺されかけたアービィは、あっさりと苦痛から開放してやる気など、ひとかけらも持ち合わせていない。

 

 完全に動きの止まった、しかし急所を的確に外されていたため、苦痛の中でも意識は鮮明なレイスの前で、アービィは剣を構える。

 レイスの双眸が絶望の色に染め上げられた直後、アービィの剣はゆっくり、一秒に1mmずつ、レイスの眉間に吸い込まれていった。

 

 エンドラーズとメディが、再度集まり始めた悪霊共を斬り伏せる間、5分以上もかけてアービィは剣の柄までレイスの眉間を突き通していた。

 レイスの後頭部に剣先が突き通り、とっくに絶命していたレイスの身体をぼろ雑巾のように、溝の中でまだ燃えている『猛炎』の炎の中に叩きつけた。

 

 『猛炎』が作り出す上昇気流にレイスの死体が浮き上がると、アービィは狼の気を剣に込め闇の衣を斬り裂き始める。

 レイスが生きていたときには魔力の相乗効果で剣を透過していた闇の衣も、本体が死んだ今、その能力の過半を失っていた。

 

 切れ目から炎が侵入し、レイスの僅かに残った肉体を焼き尽くす。

 『猛炎』の効果が切れると同時に、主を失った闇の衣は細かい切れ端となり果て、冥界へと還っていった。

 

 

 呆然と立ち尽くすアービィの目の前に、炎が消えた溝から新たな悪霊が湧き上がる。一刀の元にアービィが斬り捨てると同時に、エンドラーズが聖水を流し込む。

 

 銀箔で溝を塞ぎ、自ら手首を切り裂いて迸る鮮血で周囲に魔法陣を描き、祝福法義式を行う準備を開始した。

 息を吹き返したティアが、済まなそうにアービィを見た後、弓に矢をつがえ、近寄る悪霊を片端から射抜いていく。

 

 未だ意識が戻らないルティの側で、アービィは剣を振るい続けていた。

 メディはティアの援護に回り、イヴリーが適わぬまでもアービィの援護に死力を振り絞る。

 

 どれほどの悪霊を斬り捨てたか、誰もが解らなくなった頃、慰霊碑の間に悪霊が姿を現すことはなくなり、エンドラーズによる祝福法義式も完了した。

 即座に回復用の魔法陣をエンドラーズが僅かに残った聖水で描き、倒れたままのルティを中心にして全員が回復の作業を行う。

 

 一時間ほどの休息の後、ルティは漸く意識を取り戻した。

 直に床の上に寝かせるのはつらいだろうと、アービィがルティを膝に乗せ、上体を抱えている。

 

 徐々に視界が鮮明になり、皆の心配そうな顔が輪郭を成してきた。

 安堵の表情で見下ろすエンドラーズとイヴリーに、涙を浮かべたティアとメディの顔が判別できた。

 

 一番近いところからアービィの気配を察して首を傾けると、人目を憚ることなく涙を流すアービィの顔が目に入る。

 そして、自分が今どのような状態に置かれているかを漸く理解し、爆発するかのような恥ずかしさに顔が真っ赤に染まった。

 

「恥ずかしい……よ」

 ルティがやっとそれだけ言葉にすると、アービィはそのまま強く抱きしめて、ルティの頬に自分の頬を擦り寄せ、声を殺して泣いている。

 

「きゃっ……みんな、なんか、いろいろゴメンね……」

 身動きの取れないルティは、嬉しいような困ったような表情で全員に謝り、唯一動かせた右手でアービィの髪を撫で始めた。

 結局アービィが落ち着きを取り戻すまでに、さらに一時間を要したため、残った悪霊討伐は明日に回してこの日は一度撤退することにした。

 

「アービィ、もう下ろしてっ!! 恥ずかしいからっ!! 歩けるっ!! いやぁっ!! 自分で歩くぅっ!! ぎゃぃあぁっ!?」

 東門の中からルティの怒鳴り声が聞こえたかと思ったその時、内側から門が開き、ルティの怒鳴り声は悲鳴に変わった。

 

 砦から出ると、冬の太陽は既に地平線下に姿を没し、警備隊が篝火を焚いて待っていた。

 その夜、アマニューク砦の周囲では、篝火が途切れることなく焚かれ続け、人々の歓喜の声も絶えることがなかった。

 もっとも、歓喜の主人公たちは翌日の討伐に備え、早々に寝袋に潜り込んでしまったが。

 

 

 ルティが回復の兆しを見せていても、アービィは魔法陣を解いた後ずっとルティを抱えたままだった。

 慰霊碑の間から回廊への通路を抜け、大扉を開ける際に、生き残りの悪霊やグールがいると危ないからと言って、ルティはなんとかこの羞恥プレイから逃れようとした。

 しかし、大扉の前に立ったエンドラーズが、ものも言わずに大扉を開け、『爆炎』を回廊に叩き込み、ルティの抵抗の術を奪ってしまった。

 

 回廊に出た後も、東門を中心にして左右を『爆炎』で薙払い、ルティの抵抗を未然に防ぐ。

 それでもルティは自分で歩けると最後のか細い抵抗を試みるが、アービィがそれに対しての反応を見せる前に、イヴリーによって無慈悲にも開け放たれた門から見える篝火に、羞恥の悲鳴を上げてしまった。

 

 

「よくぞ、ご無事にお戻り下さった、英雄殿」

 警備隊の面々と、娘を心配して駆けつけたニリピニ辺境伯が安堵の表情で出迎える。

 ニリピニ辺境伯が感嘆の面持ちで労いの言葉を紡ごうとするが、イヴリーの姿を見てそれ以上の言葉は出てこなかった。

 

 アービィたちが無傷に近いのは、まだ理解できるが、イヴリーまでもがほぼ無傷で帰還したことに、辺境伯は感謝の念しか浮かばない。

 イヴリーの不在と広間に飾ってあった純銀の装飾剣がなくなっていることで、娘の暴挙に気付いた辺境伯は、警備兵から連絡を受けるまでもなく、アマニュークに急行していた。

 

 昔取った杵柄とやらで馬を駆けさせ、途中の集落で新たな馬を徴発し、半日でここまでたどり着いていた。

 対策のために設えた本部を空けたり、全体を見渡し判断を下すべき立場を擲って娘の安否を気遣うなど、指揮官にあるまじき行為だ。

 

 しかし、これを責めようという者は、誰一人いなかった。

 それどころか、幕僚として辺境伯を補佐する者全てが、辺境伯の行動を是認し、指揮官に向後の憂いを少しでも感じさせないために、自発的に行動を起こしていた。

 

 ある者は冒険者たちが怪我を負って戻ることを考慮し、治癒師を馬車に詰め込みアマニュークへと急行させる。

 またある者は辺境伯の執務室に陣取り、次々に入る報告に対し、自らの職責で判断できるものには即座に指示を出し、辺境伯の判断が必要なもので急を要さない件は引き下がらせ、急を要する案件ならば辺境伯の元へ伝令を走らせた。

 

 キャスシュヴェルの町が、ひとつになった瞬間だった。

 領民たちは、領主の苦衷を知っていた。

 

 多くの領民は、徴収された税が辺境伯の贅に費やされるだけではないことを知っている。

 国外から来る賓客に嘲られることがあれば、それは伯の恥というだけでなく、自分たち領民の恥ということも、ストラーの玄関口を自認する国際感覚を身につけた領民には解りすぎるほど解っていた。

 

 辺境伯が無様な肥満体になってしまったのも、ひとえに領民たちを想えばこそだ。

 まさか、賓客に出す食事を見ているだけでは済まされない。

 

 自らを以て毒味と成し、賓客たちをもてなすことも、キャスシュヴェル領主として逃れることのできない仕事だった。

 キャスシュヴェルの民は、領主の体型が自らの欲望の結果ではないことを知っている。

 

 アービィたちのアマニュークでの戦いが領民たちに伝わると、ある者はアマニュークへ駆けつけようと家を出た。

 またある者は辺境伯の屋敷に行き、伝令を買って出る。

 

 誰もが、アマニュークの災厄を、我がものと思っての行動だった。

 それは辺境伯領を狙う周囲の貴族連を、落胆させるに充分なことだった。

 

 玄関口の町を持つという栄誉は、ストラーのほとんどの中級貴族にしてみれば、喉から手が出るほど欲しいものだ。

 見ているだけで入ってくる通行税と関税は、ニリピニ辺境伯の体型を誤解するような俗物にとって、己が贅を確約する以外の何物でもなかった。

 

 社交界や王宮では、隙あらば辺境伯を蹴落とし、その座を奪おうと権謀術数が入り交じっていた。

 そこには民を思う気持ちなど欠片もなく、己が栄達と豪奢な暮らしへの羨望しかない。

 

 彼らはニリピニ辺境伯の失政を待つだけでなく、民を離反させるために間諜を送り込んでもいる。

 アマニュークの災厄は、彼らにとって辺境伯と領民を離反させる千載一遇のチャンスだったが、却ってニリピニ領を一つに纏める効果しか見られず、敢えて離反工作など起こそうものなら、長年掛けて民に紛れ込ませた間諜を炙り出させてしまうだけだ。

 

 結局彼らはニリピニ辺境伯が、以前より利用民からの信頼を集めることを、切歯扼腕しながら見ているしかなく、辺境伯領との間の関税を微妙に値上げする程度のささやかな嫌がらせしかできることはなかった。

 それでも何人かの中級貴族は、辺境伯がアービィたちを逗留させたことを王に対する叛意ありと、嫌がらせの一環としてそれぞれの派閥の長に報告している。

 

 

 砦内の残敵掃討を完璧に済ませたアービィたちは、エンドラーズを見送った後は戦いの疲れを癒すためもあって、辺境伯の勧めに従い数日間屋敷に逗留することにしていた。

 風の精霊と契約を済ませたことで、全ての呪文を使うための準備ができた四人は、あとはランケオラータ救出のため北の大地を目指すだけだ。

 

 辺境伯は、アマニュークの一件を早馬でオキプス・アクス・ミリオ・サウルルス王に報告している。

 臣下として当然の行いだった。

 

 アマニュークの災厄の原因、経過、対応、そして結果を詳細な報告書に纏め提出している。

 その中で、もちろんアービィたちについても言及し、北の大地へ旅立つまで暫く当地に逗留させる旨も記載していた。

 

 他の中級貴族たちから叛意ありと報告されていたことを辺境伯は知らなかったが、結果的にこの報告書が叛意はでっち上げだと証明するようなものだった。

 そして、アービィたちを臣下に加える意志がないこと、辺境伯からも充分な報酬を支払うが、ストラー王国としても褒賞を出すべきだと結んでいた。

 

 サウルルス王は、ニリピニ辺境伯からの報告書を読み、アービィたちを取り込む余地ありと見て胸をなでおろす。

 そして、褒賞を渡すことを名目に、王都に来ること要請するようにニリピニ辺境伯に命じた。

 

 

 王都ストラストブールは、ニリピニ辺境伯領キャスシュヴェルから、馬車で8日の行程だ。

 往復と王と滞在の日数を考えると、ボルビデュス伯爵との約束まであまり余裕がない。

 万が一の場合は、ストラーから直接ラシアスへ行き、国境の町でノタータスをクリプトに引き取りに来てもらうことも考えている。

 

 当初はキャスシュヴェルからクシュナック、そしてストラストブールと回ってくる予定だったが、アマニュークの災厄で、思わぬ時間を取られてしまった。

 ニリピニ辺境伯の勧めで、既に十日近くキャスシュヴェルに滞在している。

 

 ルティの体調は既に元に戻っていたが、アービィが大事を取るといって聞かなかったことと、辺境伯だけではなく領民たちからの歓待を無下に断るわけにも行かなかったのだ。

 あからさまに取り入ろうとする者や取り込もうとする者もいなくはなかったが、ほとんどは町の危機を救ってくれた英雄への素直な感謝の気持ちで接してきていた。

 

 それにしても、そろそろ出立しなければ、北の大地への旅立ちが遅れてしまう。

 名残惜しい気持ちを抱えつつ、アービィたちはキャスシュヴェルを発つことにした。

 

 日の出から日没まで走るため、途中は宿を取らずに行くことをニリピニ辺境伯に伝え、アービィたちはキャスシュヴェルを出た。

 町の人たちからの餞別を馬車に山と積み、町の門が見えなくなるまでアービィたちは手を振っていた。

 

 ニリピニ辺境伯は、アービィたちが町を出るとすぐに早馬を仕立て、王都へと彼らの予定を知らせる。

 打ち合わせ済みのことであり、無駄な日数を費やさずに済ませるためだ。

 

 

 アマニュークの戦いで、アービィたちは呪文の習熟度を上げていた。

 アービィは、レベル1が10回、レベル2が9回、そしてレベル3が2回使えるようになっていた。

 ルティは、レベル1と2が10回、レベル3が4回だ。

 ティアは、レベル1と2が10回、レベル3は7回。

 メディが進境著しく、レベル1が10回、レベル2が8回、レベル3も1回使えるようになった。

 

 地の白魔法は、防御力を上げる『防壁』、魔法防御力を上げる『魔壁』、呪いに掛かり難くなる『呪壁』が使える。

 地の黒魔法は、相手の動きを封じる『地縛』、攻撃力を倍加する『倍力』、相手の立っている場所に局所的な地震を発生させる『地震』が使えるようになっている。

 

 水の白魔法は、疲労を取る『回復』、軽微な傷を治す『治癒』、傷を全快させる『快癒』が使用可能だ。

 水の黒魔法は、水流を敵にぶつける『水流』、体内の水分を凍らせる『凍結』、氷の刃が敵を襲う『氷刃』が使える。

 

 火の白魔法は、体内に入った毒を中和する『解毒』、麻痺を無効化する『解痺』、呪いを解く『解呪』が使える。

 火の黒魔法は、小さな火球を敵に叩きつける『火球』、オーガ程度なら包み込む炎を生み出す『大炎』、数倍の大きさ、温度の『猛炎』が使用可能になっている。

 

 そして、今回契約した風の呪文は、白魔法が周囲の敵を探知できる『探知』、相手の呪文を封じる『封魔』、味方一人なら動きを倍速にできる『加速』が使用可能だ。

 黒魔法は、風の刃が相手を切り裂く『風刃』、小規模な竜巻を起こす『強風』、ワイバーンさえ叩き落とす『暴風』が使えるようになり、戦術の幅が広がった。

 

 防御呪文や攻撃の補助呪文は基本的に一人用だが、パーティ全体にかけることもできる。

 その場合は、効果が出ないものが出るか、全体に薄い効果になってしまう。

 攻撃魔法も同様だ。

 

 レベル4の呪文の習得は、低位のレベルとは少々事情が異なる。

 レベル3までは、精神力が耐えられるほどに強化されていれば、下位レベルの使用限界が10回に達していなくても習得できるようになるが、レベル4は精神の消耗が激しいため、レベル3までの使用回数が10回に達していなければ習得できない。

 

 残る呪文は、地の白魔法は全ての物理攻撃、魔法、呪いへの耐性を上げる『全壁』、黒魔法が相手を大地から弾き飛ばす『跳発』だ。

 水の白魔法は戦いで落とした命を呼び戻す『蘇生』、黒魔法が津波の物理エネルギーを叩きつける『海嘯』が残っている。

 『蘇生』は、病死や事故死に効果はなく、また時間が経てば経つほど失敗する確率が上がる。

 チャンスは一度だけで、『蘇生』に失敗すると、二度と命を呼び戻すことはできない。

 

 火の白魔法は、全ての状態異常を解消できる『全解』、レイスが多用した『猛炎』の数倍に達する『爆炎』が残っている。

 風の白魔法は、的確に場所をイメージできれば瞬時に移動できる『移転』、空気の摩擦で雷を呼び起こす『雷電』が残されている。

 

 これら全ての呪文を自在に使いこなせるようになれば、アービィの獣化も自在に操ることもできるようになるだろう。

 しかし、レベル4の使用限界を10回に達せられるのは、いつになるか、まだ予想も付かなかった。

 

 

 ストラストブールまでの途中、立ち寄る集落全てで彼らはアマニュークの英雄として迎えられていた。

 どこの集落も、ぜひ泊まっていって欲しい、アマニュークの話を聞かせて欲しいと懇願してきたが、先を急ぐため心苦しくも断り続けている。

 

 当然反発もあったが、北の大地へ行かなければならないことを説明すると、ではその後ぜひ、とようやく解放してくれるのだった。

 そして、どの集落でも、その地の領主へアービィたちの到着と通過は、早馬で知らされている。

 

 野営地にその地の領主である貴族の使いが来たこともあったが、王からの召喚で急ぐという理由で招待を辞退し続けている。

 それでも自派にアービィたちを引き込みたい貴族からの接触は、昼夜を問わず続いていた。

 

 ある貴族は領内を荒らす魔獣の脅威を訴え、ある貴族は対立する領主の悪行をことさら過剰に訴える。

 またある貴族はストラーを発展させるためという建前の聞こえの良い言葉を並べ立て、ある貴族はあからさまに天下取りを訴えた。

 

 どれもこれも裏に野望や欲望が透けて見えるため、アービィたちは事を荒立てないように気をつけながらもニムファに言ったことを繰り返すのだった。

 それでも、しつこく食い下がる貴族には、貴国の王からの召喚を無下にしてまで招待に応じる理由をお聞かせ願いたい、と強く出ることもあった。

 

 ノタータスには少々負担だったかもしれないが、8日の行程を5日に縮め王都ストラストブールに到着したのは、既に日も暮れ辺りを闇が包む頃だった。

 アービィたちが町を囲う城壁を潜る際には、衛兵が貴族を迎えるかのような態度で迎え入れた。

 

 あまりの仰々しさに驚きを隠せない彼らに、衛兵はアマニュークの英雄を迎えるに当たって礼を失するようなことがあっては、ストラー王国の沽券に関ります、と背中に鉄棒でも入れたかのような姿勢で答える。

 アービィたちは安宿の場所を聞くつもりでいたが、この様子では肩が凝ってしまいそうな宿しか紹介してくれそうもなく、試しに聞くとやはりその通りだった。

 

「う~ん、できれば酒場併設のような、気楽なところがいいんですけど……」

 アービィが困り顔で聞いた。

 

「いえっ。皆様にそのような宿を紹介したなどと、後で知れたら懲戒モノです。ぜひ、今紹介した宿を取っていただきたいのですが」

 あくまで職務に忠実な衛兵も、困り顔になっている。

 

「じゃあ、今夜は野営してきますから、まだ着てないことにしていただくというわけには?」

 打開策を提案してみたが、衛兵の答えは逃げ場を塞ぐようなものだった。

 

「それが、皆様方の馬車を確認した時点で、王宮へ報告しておりまして……実は、宿には宰相であります、ステルバイ・コンディス・デュ・デバリ公爵がお待ちになっております」

 逃げ道はないようだった。

 

 アービィは、よそ行きの料理より庶民が普段食べているものに興味があり、それもあって安宿が良かったのだがそう言ってもいられないようだ。

 宰相までが出てきてしまっているなら、顔を潰すようなことはできない。

 

 王からの召喚のために急いでいると言う言い訳も、通用するわけがない。

 ここは宰相の顔を立てて、待っているという宿に行かなければなるまい。

 ここまでに見てきた貴族たちの行いに、暗澹たる思いになるアービィたちだった。

 

 衛兵から宿の場所を聞き、馬車を街の中へ乗り入れる。

 衛兵の一人が馬で先導し、目立ちたくないというアービィたちの希望を粉微塵に打ち砕いた。

 

 おそらくストラストブール一であろう格式の宿の前で、先導の馬が止まり、宿の中から従業員たちが弾かれたように飛び出してきた。

 他国の王侯貴族の到着時でさえ、ここまでの出迎えは無かろうという大仰さに、周囲の人々の視線が集まる。

 

 馬車の扉がドアマンではなく、コンシェルジュによって引き開けられ、人々はどのような人物が降りてくるのか、扉の中を見詰めている。

 その中を、腰が引けまくりのアービィが降り立ち、続いて申し訳なさそうな表情のルティ、なぜか泣きそうになっているティア、目が泳いでいるメディと続いて降りてきた。

 

 周囲の人々は、どこの王侯貴族かと思って見ていたが、降りてきたのがまた少年少女の面影を残す、どうみても明らかに平民であることを見て取り、落胆の空気が馬車を中心に広がっていく。

 その空気を、コンシェルジュの一言が一気に変えた。

 

「ようこそ、アマニュークの英雄殿」

 ざわめきが広がり、そこここから感嘆と疑いの入り混じった声が上がる。

 

「さあ、どうぞお入り下さいませ。中ではデバリ公爵様がお待ちでございます」

 今度は感嘆一色の声が上がった。

 まさか一国の宰相が、相手を間違えるはずはないからだ。

 

 消え入るような小さな声で、お世話になります、とコンシェルジュに告げ、人々の視線から逃げるように四人は宿の玄関を潜った。

 荷物を担ごうとしたが、ポーターが毟り取るように全てを運び始めてしまう。

 

 中に入ると、そこは自分たちが住む世界とは絶対に違う空間が広がっていた。

 全ての従業員が礼儀正しく、控えめな笑みをもって接してくる。

 

 それぞれに用意された一部屋で四人が充分に泊まれそうな豪華な部屋に通され、宰相様との会食の準備が整いましたらお知らせに上がります、と客室係が告げて扉が閉まる。

 ベルテロイの宿でも感じたこそばゆさに、四人ともすぐアービィの部屋に集まってしまった。

 

 サイドボードに用意されているお茶を飲みながら何を話すでもなく時間を潰していると、ご用意が整いました、と客室係が扉の外から声を掛けてくる。

 ラシアスでも摂政に会う前の晩に宰相に会ったことを思い出し、気が重くなるアービィだった。


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