狼と少女の物語   作:くらいさおら

43 / 78
第43話

 「ランキー、今度は何を作る気だい?」

 兵たちを指揮するランケオラータに、声を掛ける者がいた。

 

「ああ、ルムか。いや、水くらい、自由に飲ませて欲しいもんだと思ってね」

 彼を捕虜にすることになった、見事な集団戦の運用を見せた男に答える。

 

「楽しみにしているよ。上手くいったら、集落用にも作ってもらうからな」

 

「俺たちで試すのかい?」

 

「何のための捕虜だよ」

 険悪な雰囲気など微塵も感じられない、古くからの友同士のように言葉の応酬を交わす。

 

 北の大陸で人が生きていくうえでの障害は多いが、飲料水の確保も重大な問題だった。

 河川は多いが、そのほとんどがコーヒー牛乳のように濁った泥混じりの水か、泥炭層を染み通ったpHが異様に低い、所謂ブラックウオーターと呼ばれる焦げ茶色の強酸性水かのどちらかだった。

 

 当然そのまま飲めば腹を下し、即、命に関わってくる。

 泥水であれば浮遊するシルトの沈殿を待ち、その後に煮沸すれば飲用にできるが、pHについては緩衝材を用いなければどうしようもない。

 

 それでもシルトが沈みきるまでには、一月近い時間を要していた。

 そして、沈殿させた後にはシルトが舞い上がらないように、水の取り扱いには細心の注意を要している。

 

 さらに冬季には、これらの水は凍結してしまうため、雪を溶かすしか飲み水を確保する方法がない。

 秋には、雪が降るまでの飲料水を確保するため、水を各戸にある貯水槽に運ぶことも、捕虜たちの重要な仕事だった。

 

 雪を解かした水は、雪の核になった埃が大量に含まれるが、泥水よりは遙かにマシだ。

 冬は、水を造らなければならず、このために燃料の消費も増えてしまうが、比較的清浄な水を飲める唯一の季節だった。

 

 それでも一冬の間には、雪を溶かし続けた瓶の中にそれなりの埃が溜まっている。

 雪解け近い時期からは、埃を舞い上がらせないように、水を掬わなくてはならなかった。

 

 ランケオラータは、まず泥水を処理する方法から着手した。

 水漏れしないようにがっちりと組んだ木箱の中を8:2の二槽に分け、仕切板の最下部にはスリットを設ける。

 広い方にはスリットより少し高い深さに多孔板の簀の子を入れ、その上にはガーゼのような布を敷いた。

 

 良く洗った小指の先程度の小石を敷き詰め、その上に粒径1~3mm程度の小砂利を厚く敷いた。

 水を投入する際に小砂利が舞い上がらないように、想定した水面より少し上げた位置に多孔板を蓋のように固定する。

 

 濾過された水が溢れ出すように狭い方の上部に穴を開け、樋を水受け槽に流れるように設置した。

 濾過槽の底には穴を開け、濾材を通過して沈殿した泥を排出できるようにして、栓を打ち込んでおく。

 

 わざと泥を混ぜた水で試してみるが、大量に流し込んでも泥を含む濁った水が出ることはなかった。

 排砂孔も正常に機能したため、試作品は捕虜用として、各戸用の濾過槽を量産することにする。

 

 ブラックウオーターは農業用水に利用することが多く、そのため農地はすぐ酸土化していた。

 作物の傾向からブラックウオーターの水質を推測したランケオラータは、土壌改良に灰や炭を使うことから緩衝材として炭が使えるのではないかと推測する。

 

 そしてブラックウオーターを飲料水化するための濾過槽には、針葉樹炭を濾過槽に合わせて整形した物をはめ込んでみた。

 こちらは現在水を運ぶことができないため、春になったら試用することにした。

 

 もし、これが上手く運用できれば、肥沃な泥を含んだ水を農業用水に、pHを調整したブラックウオーターを飲料水に転用することができる。

 

「俺たちは、今まで食料の奪い合いしかしてこなかったから、何も知らないんだな。お前たちは、無から有を作り出す妖術使いみたいだよ」

 ルムはそう言って笑った。

 

「俺はその分戦には役に立たないからな。お前、ウチの領にニ、三年くらい来ないか? いろいろ教えてやるぜ」

 ランケオラータも笑う。

 彼は、既に帰郷後の北との交易を考え始めていた。

 

 

 ささやかな誕生祝いをプレゼントしたあと、アービィたちは慌ただしくストラーへの旅の準備を始めた。

 雪解けを期して地峡を越えるためには、遅くても五十日以内にストラーからボルビデュスに戻らなければならない。

 

 ストラーから直接ラシアスを抜け、地峡を目指すルートもあるが、そうするとノタータスを連れて行かなければならなくなる。

 地峡を越えた後の旅がどうなるか分からないので、ノタータスを連れて行くのは気が引けていた。

 

 南大陸より魔獣が多いと言われている北の大地では、ノタータスの鋭い索敵能力は魅力だが、生きて帰れる保証がないためボルビデュスに置いていくつもりだった。

 ベルテロイからは駅馬車もあるし、ストラーとの往復の間に少しでも乗馬に慣れる機会があれば、アービィが獣化すれば行程を縮めることも可能だという判断だった。

 

 

 伯爵たちに見送られてボルビデュスを発ち、ベルテロイからストラー街道に入る。

 ベルテロイから半日の行程で、ストラーの玄関口キャスシュヴェルに到着した。

 

 アービィはこの国に来るに当たって、密かに楽しみにしていたことがある。

 農業大国であり、酪農も盛んで、ラシアスほどではないが漁業も発展しているストラーは、他の三ヶ国に比べ食文化も発達していると聞いていた。

 

 ボルビデュスに滞在中、自分の料理や菓子が喜んでもらえたことで、ルティとどこかに腰を据えた後は、料理を生業としてみたいと漠然と考えていた。

 ティアやメディも一緒にいられたら最高だが、彼女たちには彼女たちなりの生き方がある。

 

 無理に引き留めることはできないが、食堂なり酒場なりの経営が上手くいけば、彼女たちの職も用意できるのではないか。

 アービィはそんな考えを、ルティだけには話してあった。

 

 ルティは、二人で腰を落ち着けた後のことは漠然としか考えていなかった。

 ティアは楽しそうだからついて行くと言って今まで一緒に旅をしてきたが、いつ離れていくかは彼女次第だ、と思っている。

 

 以前ティアの心が不安定になったときに、自分たちが死んだ後も子孫が一緒にいると言ったが、無理矢理引き留めておくことはティアの生き方を縛ることになるだけだと気付いていた。

 メディはギーセンハイムに石化した状態で恋人が待っているから、ランケオラータを救出したらそこへ帰るのだろう。

 

 彼女を養子に迎えてくれるという夫妻も、その帰りを待っているはずだ。

 それを無理矢理引き留めることは、やはりできないとルティは考えていた。

 

 

 アービィは、この国で将来に役立つことがあれば、積極的に学ぶつもりでいる。

 そのためにも、ラシアスであったような厄介ごとがなければいいと、切に願っていた。

 

 そんなアービィの願いは、キャスシュヴェルでの最初の夜に、あっさりと崩されてしまう。

 この辺り一帯を治めるオトファ・パラキープ・ニリピニ辺境伯が、彼らの到着を関所から知らされるや否や、屋敷に招待したいと宿に馬車を差し回してきた。

 

 顔も見せずに招待を断ったとあっては、いくらなんでも無礼が過ぎる。

 相手の面子を潰して後々敵に回しても面倒なので、とりあえず行ってみるしかなかった。

 

「私はさ、なんか面倒なことになりそうだから、宿に残ってるよ。どうも貴族って性に合わない人が多くて、ね。みんなボルビデュス伯みたいならいいんだけど」

 メディが別行動を申し出る。

 

 エーンベアで登城した際、バイアブランカ王や主要閣僚といったそれなりの人物であればどうということはなかったのだが、中級以下の貴族たちから向けられる好奇の目や、偏見、蔑みの視線は、やはり気持ちのいいものではなかった。

 今回招待してきた辺境伯もそうだと決めつけているわけではないが、どうしても後込みしてしまう。

 

 彼らを送り出した後、メディは一人ごちた。

 これじゃ私を偏見の目で見てる連中と変わらないわね……

 

 

「よくぞ、我が招待に応じてくれましたな、勇者殿。ま、ごゆるりとお寛ぎになられるがいい。じきに食事の支度も整いましょう」

 肥満体の男がアービィたちを出迎えた。

 

 しかし、その表情には焦燥感が漂っている。

 それさえなければ、領民にさぞ愛されるであろう、人の良さが伺える風貌だ。

 

 ここまで馬車の中から見た整った町の風景は、彼が善くこの町を治めている証だろう。

 それでも人々の表情は冴えない。

 

 それは決して重税に喘ぐような、長期に亘って苦しめられた表情ではなかった。

 信じていた取引先に突然裏切られ、心ならずも家屋敷を手放さなければならなくなった商人のような顔だ。

 

「そういえば、お連れの方は、もう一方いらしたはずだか?」

 三人を見渡し、腑に落ちないという顔でニリピニ辺境伯が聞いた。

 

「はい、少々体調が優れないといって、宿で休んでいます」

 よく調べている、とアービィは思いつつ、答える。

 

「さようか。お体にはお気をつけられよ、とお伝えいただきたい。この領内で偏見や差別の目で見るような不埒な者は、私が許しませんからな。ご安心いただきたいものです」

 なんとなく理由に気付いたニリピニ辺境伯は、それでもこの領以外のことは保証できませんが、と付け加えた。

 

「お心遣い、ありがとうございます。ところで、僕たちをここへ呼んだ理由を伺いたいのですが?」

 既に勇者殿と呼ばれることには、アービィは諦めていた。

 いちいち違いますと言っても相手は聞いてくれないし、面倒になってきていたのだった。

 

「実は、この街から南に一日の行程に古い塔があり、観光の名所にもなっています。この町はストラーの玄関口ということで、通行税や関税で潤っていますが、それだけでは他国から来る方々に恥ずかしくない町並みを整備するには足りません。そこで、その塔を物見の塔として整備していましてな」

 ニリピニ辺境伯は説明を始めた。

 

 アマニュークと呼ばれるその塔は、今から500年前の戦乱の時代にその場所にあった砦の一部で、ストラーとインダミトの境界を決める戦いの最前線だった。

 現在の国境から一日の行程にあるこの塔は、ストラーがインダミトの外圧を跳ね返した証として、ストラー国民の自尊心を満たす役割を果たしていた。

 

 ニリピニ辺境伯領は、代々ベルテロイから来る旅人や商人の通行税、物流に掛ける関税でストラー国内でも有数の税収を上げていたが、見栄も手伝ってかより良い町並みを作るため、常に税金を投入してインフラの整備に努めていた。

 おかげで民の暮らしも便利さでは何不自由ないレベルまで到達していたが、不必要とも思える町の工事のため、税の重さが徐々に暮らしを圧迫するようになってくる。

 

 民の不満が高まってきたと感じた当代領主のオトファは、アマニュークの砦を物見の塔として整備し、そこを観光名所にすることにより、税の負担を減らすことに成功していた。

 これにより、新たな雇用も創生することに成功し、民の不満もそらせたと思っていた矢先、この塔に困った問題が起きてしまった。

 

 元はといえば戦乱の跡地であり、多数の戦死者が出た場所だった。

 そこを慰霊もせずに、多くの人々が物珍しさでやってきては、塔に落書きをしたり、壁を破壊しそれを来訪の記念に持ち帰るようになってきた。

 

 冥界の死者たちが静かに眠るための慰霊碑が、そうとは知らずに壊されたときに破局が訪れた。

 慰霊碑が抑えていた冥界との通り道が開放され、過去の英霊の怒りと、それに触発された悪霊が噴出してしまったのだ。

 

 塔の中は英霊と悪霊の戦いの場となり、見物客が巻き添えを食って殺される事件が頻発する。

 当初は、惨殺死体が発見され、破落戸の仕業とされ犯人の捜索が行われた。

 

 しかし、一向に犯人が捕まらないまま被害者が増えていくに従い、塔の見物客は潮が引くように減ってしまった。

 事態を憂慮したニリピニ辺境伯は、私兵を投入し塔内の捜索を行ったが、その最中に私兵が悪霊に英霊と間違われ襲われたことで原因が判明した。

 

 スキルウェテリー卿の協力を仰いで悪霊払いを行ったが、英霊のみが除霊されてしまい、塔は完全に悪霊の巣窟と化してしまったのだった。

 悪霊の霊力が強く数も多いため、マ教が送り込む除霊師や悪魔祓いは、ことごとく敗退していた。

 

 このままでは、キャスシュヴェルの町そのものが廃れてしまうという危機感に、町全体が暗い雰囲気に包まれるようになってしまっていた。

 ギルドには常に討伐依頼を出しているのだが、当初返り討ちに遭うパーティが続出し、今では誰も依頼を受けようとしなくなっていた。

 

 そこへ、アービィたちが現れたというわけだ。

 ニリピニ辺境伯も、アービィたちを取り込みたいという意思はあったが、それは権力のためにではなく、ひとえに悪霊を討伐したいという意志の現れであった。

 

 長い説明と食事が終わり、辺境伯は深い溜息をついた。

 勇者殿たちは招待の馬車が差し向けられたとき、ラシアスでの一件を思い出し、断るかもしれないとニリピニ辺境伯は危惧していた。

 

 それが、とりあえず屋敷に招待するまでは成功している。

 あとは、如何にしてこの依頼を受けてもらえるかだが、彼には王を接待するときと同じ方法と、あとひとつくらいしか思いつかなかった。

 

 彼が取った方法は、山海の珍味を取り揃え、ストラー自慢の美酒を並べ、そこに多額の報奨金を併せて依頼するというものだった。

 それで断られたら、彼は切り札を切るつもりでいる。

 

 

 アービィたちは、しばらく難しい顔をして考え込んでいた。

 できれば厄介事は背負い込みたくない。正直そう思う。

 

 とは言ったものの、このまま逃げ出すのも癪に障るし、見捨てるのは寝覚めが悪い。

 しかし、魔獣や人相手であればぶん殴れば済むのだが、悪霊相手で物理攻撃が効くのかが不安だ。

 

 とりあえず、考えさせて欲しいと言ったが、ニリピニ辺境伯にしてみれば最後の望みの綱だったので、首を縦に振るまでは解放しようとしない雰囲気だった。

 熱意に負けたアービィがついに依頼を承諾すると、ニリピニ辺境伯はようやく肩の荷が下りたという表情を見せた。

 

 ニリピニ辺境伯は、夜も遅いからと盛んに泊まっていくことを勧めたが、連れの様子も心配ですので、と辞退して宿に戻る。

 メディは退屈だったのだろう、部屋で既に飲み始め、できあがりかけていた。

 

「で~、あたしが行かなくて~、よかったかなぁ~?」

 特に嫌味というわけではなく、心配そうにメディが聞く。

 

「そんなことなかったわ。宿の人も、別になんか言ったりしてきたわけじゃないでしょ?そういうことは嫌いみたいよ、ニリピニ辺境伯は」

 ティアが心配を解すように答えた。

 

「あ~、そ~なんだ~。じゃ~、却って悪いこと~、しちゃったぁ~?」

 メディはほっとしたような、しょんぼりとしたような感じだった。

 

「ところでさ、討伐の依頼を受けることになっちゃったんだけど、いいかな?」

 アービィが、申し訳なさそうに切り出した。

 

「い~んじゃな~い?ぱぁ~っと片付けて~、早く神殿行こ~よ~」

 その点に付いては、メディはあまり気にしていない。

 呪文の修練にいいんじゃない、くらいに考えているようだ。

 

「じゃあ、正式に受ける、ということで。それでね……」

 アービィが事のあらましを説明する。

 

「う~ん、それって、今持ってる武器じゃ~難しいかもね~。教会で~、法儀式したくらいじゃ~、悪霊に傷は付けられないかも~」

 メディが指摘する。

 おそらく、悪魔祓いが敗退した理由はそこだ。

 

 マ教の法儀式では、人の心を害そうとする悪魔に効力は発揮しても、悪霊は力の根源が違うからか、あまり効果がないらしい。

 対悪魔であれば、マ教の祝福法儀式はもちろんのこと、アービィにも傷を付けられるような銀製の武器でも対抗が可能だが、悪霊には銀製の武器は効果がない。

 

 低位の悪霊や、悪霊と化してから時間が経っていなければ、まだ現世への執着心が強いため除霊により悪霊を解放することができる。

 しかし、高位の悪霊や時間を経た悪霊は、現世に留まりたいという執着より、相手は何でも構わないので傷付けたい、殺したいという悪意が力の根源であるため、除霊という行為では悪霊を解放できないということらしい。

 もちろん、通常の武器では全く効力がなく、例え切断しても元に戻ってしまうようだ。

 

 今までは、南大陸にはそれほど強力な悪霊が出なかったことや、悪霊が出ても時間が経つ前に対処できていたために問題になることはなかった。

 それが今回は悪霊の仕業と判明するまでに時間が掛かり、マ教では手に負えないレベルまでになってしまっていた。

 

 では、どうするか。

 メディが言うには、霊力の問題なので武器に精霊の加護があれば、悪霊は倒せるということだ。

 北の大地では南大陸と違う精霊の加護により、より強い霊力で悪霊の霊体を破壊することで倒している。

 悪魔には神、悪霊には精霊、ということらしい。

 

 南大陸の精霊にもその力は充分にあるということなので、風の神殿で精霊と契約する際に、手持ちの武器に法儀式を施してもらえば何とかなるのでは、とメディは呂律の回らない口調で説明した。

 地水火風全ての精霊による祝福法儀式済みの武器であれば、ほとんど全ての悪霊を簡単に破壊できるが、今から地水火の神殿に行っている時間はない。

 

 とにかく、風の祝福だけでも得られれば、それでも対抗可能だという。

 であるならば、明日にでも神殿のあるクシュナックへ出発する必要があるだろう。

 

 方針さえ決まれば、いまできることはひとつしかない。

 アービィは、既にできあがっていたルティを尻目に、ティアとグラスを合わせた。

 

 

 翌朝、宿を経ったアービィたちはニリピニ辺境伯の屋敷へと行き、メディが昨夜の非礼を詫びたうえでクシュナックで精霊と契約すると同時に、武器に祝福法儀式を施して貰うと説明した。

 手の施しようもないと絶望しかけていたニリピニ辺境伯は、たった一晩で解決策を提示して見せたアービィたちを感嘆の想いで見上げている。

 

「では、ニリピニ辺境伯、行ってまいります。できるだけ早く戻りますので、それまではやれる範囲で対策をお願いします」

 アービィはノタータスに一声掛け、馬車を走り出させた。

 

 ニリピニ辺境伯は、彼らの馬車を見送った後、私兵の中から精鋭を集めクシュナックへと送り出した。

 もちろん、彼らの武器に祝福法儀式を施してもらうためだ。

 

 さらに、度胸試しなどでやってくる莫迦者共を締め出すために、残した私兵の一部をアマニュークへ派遣し、無用の立ち入りを禁じた。

 彼は、決して無能な領主ではなかった。

 他の三ヶ国と国境を接する重要な地域を治めるだけあって、中央の高慢な貴族たちとは一線を画す人物だ。

 

 領民を守るためであれば、どんな手段でも取る。

 事の善悪は別にして、もし昨夜アービィが断る素振りを見せたなら、自らの娘であるイヴリーの身体ですら差し出す気でいた。

 

 イヴリーも、貴族の家の娘だ。

 当然その覚悟はあった。

 

 だが、アービィがその前に引き受けたことで、それも杞憂に終わった。

 もっとも、イヴリーが申し出たところで、アービィは自身の命がルティによって危機に晒されるため、全力で辞退しただろが。

 

 イヴリーは、執務室に篭り、領民のためにあらゆる策を講じる父に、心酔に近い感情を持っている。

 自分も父の、そして領民の役に立ちたい。

 

 今朝、父がアービィたちと交わした会話を、彼女は知らない。

 イヴリーは大広間に飾ってあった、純銀製の剣を手に取った。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。