狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第41話

 「今回は、大変申し訳なかった」

 アービィたちの前で、レヴァイストル伯爵が頭を下げる。

 実際お互い様なのでアービィたちに含むところはないのだが、いざ目の前で頭を下げられてしまうと却って申し訳ない気分に囚われてしまう。

 

 ことさらティアは自分の進言でこの事態を招いてしまったと考えているだけに、まだ罵られた方が気分的に楽とも思えてしまう。

 どうやら伯爵もそこに気を使ったようで、謝罪は敢えてあっさりと済ませていた。

 

「こちらこそ、いえ、あたしがあんなことを伯爵に申し上げたばかりに……」

 前回会った際にはきちんと謝罪できなかったティアが、改めて頭を下げる。

 

「ティア、気にしないでくれたまえ。いずれは同じことになっていた。大陸内に戦争を起こさなかっただけ、まだましと考えよう」

 アーガスの話はもう終わり、と伯爵が話題を変える。

 

「今はジタバタしても始まらん。陛下も、天候や雪にはどうにも対処は無理とのご判断だ。つらいが、春までランケオラータ殿が命を長らえることを、祈るしかない」

 伯爵も、無理に行かせたところで死ぬだけと判っているような、自己満足の救出作戦を強行する気はない。

 

「マ教の神父様がウジェチ・スグタ要塞を通り、北の大地に渡っていると聞き及びます。僕たちも、例えば神父様の随行として、行くことはできませんか?」

 アービィは、今すぐの救出が無理でも、多少なりとも情報収集や、協力してくれそうな北の民を捜せないかと考えていた。

 

「残念だがな、独りで行くことに、彼らは価値を見出しているのだよ」

 マ教がこの世に誕生して以来、布教に護衛を伴わないことが、彼らの誇りだった。

 武力を背景とした布教では教化ではなく征服だと考え、神父は独りで行くものと厳しく規定されている。

 

 それはスキルウェテリー卿にしても同じ考えであり、布教と邪教の覆滅は別の次元と捉えていた。

 第一に布教を行い、妨害する邪教には断固武を以て対処するが、その膝下にある民衆に刃を向けることや、布教を担当する神父が武具を携えて行くことはない。

 もっとも、土着宗教が強固な信仰を集めている地域では、僧兵のすぐ後ろに神父が控えているという矛盾を、無理矢理飲み込んではいるのだが。

 

 

 つまり、アービィたち四人が神父の護衛として随行することや、アービィが神父に化けることは、事実上できないということだった。

 ルティたちをシスターに化けさせるには髪を剃る必要もあり、いくらなんでもこれを強要する気はない。

 

「現状においては、八方塞がりと言うわけだ。今日はこれくらいにして、休んでいただこう。晩餐会もできずに、済まなんだな。明日は昼過ぎまで休みたまえ。朝食が必要なら、遠慮なく家の者に声を掛けてもらえれば、すぐに用意させよう」

 伯爵は苦しい胸の内を明かしつつ、再会の会談を切り上げた。

 

 

 ベルテロイでレイとアービィたちが再会した日の朝、クリプトはインダミト駐在武官パシュース=バイアブランカ第二王子に呼び出されていた。

 王族が一貴族の執事を呼び出すことなど前代未聞だが、ことがことだけに因習などに囚われている場合ではない。

 

 本来であればレイがその役を担うべきなのだが、未だ15歳の少女に対し、無縁となっているとはいえ兄の不始末で肩身が狭くなっているところに、婚約者と実姉の危機、国家的な謀略を一気に押し被せるのは忍びないというパシュースの配慮で、クリプトが呼び出されていた。

 パシュースからの密命を受けたクリプトは、当然のことながら主人は承知の上かどうかを訊ねた。

 

 いかに第二王子とはいえ、他家の従者に主人を飛び越して命令して良いという道理はない。

 しかし、パシュースからレヴァイストルに対する命令であると言われ、ならばとクリプトは納得することにした。

 

 パシュースはクリプトの目の前で、彼にできる最上級の命令書、駐在武官としてではなく、インダミト王国第二王子としてのそれを書き上げ、蝋封してクリプトに手交した。

 何人たりとも宛名の人物以外に開封まかり成らぬとの言葉に、明朝ベルテロイを発ち、可及的速やかに宛名の人物に命令書を届けよと続けた。

 

 

 フロローにアービィたちが到着した時点で、パシュースは彼等の足取りを掴み、今回の救出作戦の不首尾を察知した。

 ならば、ランケオラータの命についてはスキルウェテリーが送りこんだ神父と、父王が送り込んだ密偵に任せておけばいい。

 

 春までの間、勇者殿にはストラーに行ってもらい、少々派手に動いていただく。

 彼の国の王はもちろんだが、今回のビースマッククーデターを企む一派が必ず接触してくるはずだ。

 

 おそらく、プライドの固まりのような王の誘いを蹴れば、王の一派は手を出すことはないだろうが、彼らを目の敵にするだろう。

 そして間違いなく、クーデター一派がその後に出てくる。

 

 奴らは勇者を目立つ兵器としては、使おうとはしないだろう。

 ラシアスのニムファが勇者の取り込みを目論み、しくじったことは、どの国でも国政に関わる一定の地位以上の者は承知している。

 

 あからさまな勇者取り込みは、大陸覇権に意欲有りと宣言するようなものだ。

 王族がそうするならば誰もが納得するだろうが、主権を持たない者がそうすることは、叛意有りと見られてしまうだけだ。

 

 陰険な覇権欲に塗れた奴らは、秘密裏に事を運び、無言の圧力として勇者を使うために接触してくるだろう。

 おそらくそれは、事が露見しても公爵家に類を及ぼさないように、その意を受けた中級貴族共だ。

 

 未だ全容がはっきりしないクーデター一派の洗い出しに、勇者殿には働いてもらう。

 その後のアルテルナンテの仕事がし易いように。

 

 聞けば勇者殿の望みは、安住の地らしい。

 それくらい、インダミトで用意してやろう。

 

 勇者殿に気付かれないように、四方をぐるりと手の者で囲い込み、他国が手出しできないようにするくらい造作もないことだ。

 重要なことは、勇者を臣下に引き入れることではなく、自国に勇者が住んでいるということに、ニムファを始めとした覇権欲に塗れた連中は気付いていない。

 

 商業国家であるインダミトにとって、戦など一時の経済刺激にしかならず、その後の後始末に掛かる膨大なカネやヒトの浪費は望むものではない。

 敗戦国を襲う莫大な戦時賠償金はインフレを呼び、国内に不満の荒らしを引き起こし、必ずや次の戦乱の火種になる。

 

 インダミトの繁栄は、大陸の安定あってこそだ。

 一国の経済を破綻させるほどの戦費や人的浪費を飲み込んでまで、戦による覇権は利のあるものではないとパシュースは考えている。

 

 まあ、勇者殿、末永く仲良くやっていこうじゃないか。

 クリプトを送り出したパシュースは、明るい顔の下に国家の意志を隠すように、笑みを浮かべていた。

 

 

 パシュースの元を辞したクリプトは、レイが滞在する宿に戻ると、すぐに行動を起こした。

 レイにパシュースからの命令について話した後、通常であれば二泊の行程を縮めるため、野営に必要な物資を集めに掛かる。

 携行食糧はいうに及ばず、今回は必要なしとして用意してこなかった携行の夜具や、宿泊可能な馬車を調達に回った。

 

 ボルビデュス領から乗ってきた馬車を下取りに出し、適切なサイズの中古馬車を購入し、レイが就寝できるベッドなどの設備を取り付ける。

 本来の主客であるアービィたちのベッドも必要なので、室内を区切り男女の別を付けられるようにも依頼した。

 

 翌朝までの納期なのでかなり無理を言ったが、物資調達の合間にはクリプト自ら作業を手伝ったため、深夜になって馬車は完成した。

 職人たちを休ませたあと、クリプトは寝る間を惜しんで物資の積み込みを続け、翌朝一番にレイたちを迎えに行ったのだった。

 

 ベルテロイからボルビデュスまでの行程は、以前に比べ魔獣の脅威が増大していた。

 日中は大差ないのだが、夜間は以前には見られなかった、凶悪な魔獣が出没するようになっていた。

 

 キマイラやマンティコア等が、単体でだが、襲ってくる。

 その分ゴブリンやコボルト、リザードマンのような雑魚は減ったが、却って危険度は上がっているようだった。

 

 ラシアスが駅馬車の護衛に力を入れることへのありがたみを、アービィたちは痛感していたが、暫く振りの戦闘は呪文の修練には役立ったようだ。

 アービィとクリプトが交代で見張りに立ったのだが、絶え間ない魔獣の襲撃のせいで、戦闘行為を行える五人はほとんど徹夜になってしまっていた。

 

 一泊の強行軍は、馬車の中での仮眠を含めても、レイ以外の睡眠時間が三時間にも満たないものだった。

 そして、ベルテロイを立った翌日の深夜、ようやくボルビデュス城に到着することができた。

 

 さすがにレヴァイストル伯爵は就寝済みと思っていたが、城門には篝火が焚かれ、伯爵自ら槍を携えて一行を待っていた。

 挨拶もそこそこに、伯爵は一行を食堂に案内した。

 

 そこには晩餐会と言うには質素だが、一般庶民の夜食と言うには豪勢すぎる料理が湯気を立てていた。

 六食を冷えたままのレーションで済ませ、身体の芯まで冷え切っていた一行には、何よりのもてなしだっただろう。

 

 充分に腹を満たし、伯爵の心遣いに満ち足りた気分にさせてもらった一行は、迷わず昼まで眠らせてもらうことにした。

 もっとも、剣の腕がどれほど上達したか、伯爵が手合わせを楽しみにしていたルティは、翌朝叩き起こされたうえでの二度寝になっていたが。

 

 

 レヴァイストルはルティと剣の鍛錬を済ませた後、クリプトのみを呼び出しパシュースからの命令書を開封した。

 そこには、以下のことが書かれている。

 

 一、アービィたちをストラーに派遣すること。理由は適宜考慮すること。

 一、北の大地の気候改善を期し、ランケオラータ救出に向かわせること。現在スキルウェテリー配下の者が潜入しているため、これに遅れを取らないこと。

 

 さらには、それを牽制するために密偵が神父に化けて潜入していることや、未だランケオラータの生死は不明だが、確定情報があるまでは生存を前提として行動することなど、事細かな指示が記されている。

 

「殿下はどこまでお話になられたかね?」

 伯爵はクリプトに確かめたい点があった。

 

「はい、ストラーへ行って欲しいという点が一つ。そして、春を待ってランケオラータ様の救出に行け、とだけでございます」

 クリプトは、命令書の内容は知らない。

 クリプトに言った以上のことが記されているということは、その部分は国家機密であり、言葉にした部分は他国にリークさせるためである。

 

 防諜に無神経なわけではないが、駐在武官の発言など例え町外れに穴を掘り、その中に囁いた後穴を埋めたところで、翌朝には他の駐在武官の耳に届いている。

 アービィたちをストラーに派遣することは、駐在武官全員の合意のうえと判断して良い。

 

 同様にランケオラータ救出に再度赴かせることもだが、クリプトに言ってない部分はどこまで漏れているから知らないが、他国には聞かれたくないことなのであろう。

 スキルウェテリーの手の者に後れを取るな、ということは、彼に恩を売られるなということで、言われずとも承知している。

 伯爵は一頻り肯くと命令書に火を点け、クリプトに燃え滓の始末は命ずることなく、下がらせていた。

 

 

 泥のように眠った後、さわやかというにはあまりにも高い陽の下で、アービィたちは朝食の分と一緒に昼食をとっていた。

 彼らの疲労を気遣ったのか、傍には侍女が一人控えるのみで、伯爵やレイは姿を見せない。

 

 ファティインディとセラス母子が連れ立って庭を散策しているが、こちらも挨拶を交わしただけで通り過ぎていった。

 穏やかな午後の日差しは、既に木枯らしの季節であるにも拘わらず、彼らを優しく照らしている。

 

 こんなに暖かい日は、いくら大陸の南半分に位置するボルビデュス領とはいえ、この時期としては珍しい。

 昼食が終わって食器が下げられても、彼らはそこから動かず、気だるい午後の日差しを楽しんでいた。

 

 彼らの食事中には大人しく通り過ぎていったセラスが、ファティインディの手を曳き戻ってきた。

 そこには先程まであった遠慮など欠片も残っておらず、ファティインディを苦笑させている。

 

「アービィ、またあれ作ってよっ!! 黄色い、ふわふわしたあれっ!! 他に新作はないの!?」

 すっかりカステラがお気に召していたようだが、微妙な作り方の癖が違うのか、厨房の料理人が作るカステラは、アービィのそれとは違うものになっていたらしい。

 

「ごめんなさいね。厨房の者が作るものも充分に美味しいんだけど、微妙に舌触りが違うのよ」

 ファティインディが言うには、アービィのものより食感が軽いらしい。

 スポンジケーキとして考えるなら、そちらの方ができは良いと言えるのだが、クリームを伴わないカステラとしては物足りないらしい。

 

 多分、下手くそさの怪我の功名なのだろうが、こればかりは言葉で説明の仕様がない。

 アービィは、新作のアイディアを夢の記憶から手繰りつつ、カステラ作りに取り掛かった。

 

 カステラを焼いている間、厨房を見せてもらったところ、小振りな豆が水に漬けられていた。

 フォーミットの村ではあまり見ないものだったが、なんとなく閃くものがある。

 

 料理人に聞くところによると、乾燥させたものを昨夜から水で戻しているらしく、今夜の賄いのシチューに入れるとのことだった。

 使い道も下拵えも同じなので、多分大丈夫だろうと踏んで、半分ほど分けてもらう。

 料理人もアービィのやることが楽しみなので、特に不満はない。

 

 パン生地の準備をしてもらう間に、豆を水から煮る

 時間が掛かる工程の間にカステラを持ってセラスたちのところへ戻り、新作は夕食時に発表と告げた。

 

 いますぐよこせ、と喚くセラスをティアとファティインディが締め上げている間に、厨房に退避する。

 幾つかの行程を経て、潰して漉した豆を砂糖で甘く仕上げ、漉し餡を作り上げた。

 

 料理人たちに味見をしてもらうが、砂糖が高価なため甘さ控え目にしたにも拘わらず、絶賛されてしまった。

 豆を甘く煮ると言う発想はこの世界にはなかったらしく、どこで思い付いたのか質問責めにあってしまったが、まさか日本でとも言えず適当に誤魔化すことにした。

 

 パン生地で餡子を包み、オーブンで焼き上げる。

 残った餡はお湯で溶き、白玉粉はさすがにないため小麦粉で白玉もどきを作って、白玉汁粉として、厨房の使用料代わりに料理人たちに振る舞った。

 

 夕食時、外見は何の変哲もないパンをかじった直後のみんなの反応に、アービィはなんとも言えない嬉しさを噛みしめていた。

 その後、料理人たちから汁粉の話を聞きつけたファティインディによって、翌日のお茶の時間に合わせ、再度餡子を大量生産する羽目になってしまった。

 

 

 夕食後、ルティはレイに、ティアはセラスに捕まっている。

 アービィとメディは、伯爵の居室で今後のことを話し合っていた。

 

 当面は北の大陸には、行くことができない。

 暫くここに滞在してもいいし、旅に出るのも構わない。

 伯爵はそう言って、どうやってストラー行きを依頼するか頭を悩ませていた。

 

 パシュースからの命令書には、ストラーへの派遣とだけ記されていた。

 おそらく目的はあるはずだが、記されていないところを見ると、伯爵には知らせたくないことなのだろう。

 

 かといって問い合わせたところで、答えが返ってくるはずもない。

 理由もなく行けとも言えず、どうしたものか思案に暮れていると、アービィから言い出した。

 

「春まで時間があるなら、ストラーの風の神殿に行きたいのですが」

 アービィは、最後に残った風の神殿に行き、全ての呪文の準備を整えてから、北の大陸へ渡るつもりだった。

 メディも、ここまできたら、全ての呪文を修めたいと考えていた。

 

 北の大陸では、精霊呪文の他にメディが掛けられたような妖術も使われている。

 風の呪文に直接妖術を封じるものはないが、少しでも戦いの幅は広げておいて損はない。

 

 メディにしてみても、精霊と契約すれば即全ての呪文が使えるわけではないのだから、修練のために魔獣との戦闘は不可欠だ。

 白魔法は日常生活の中だけでも習熟度を上げることは可能だが、戦闘の方が遙かに上達は早い。

 

 魔獣討伐自体が人の役に立つことであるならば、これを躊躇うことはない。

 風の白魔法は、治癒師に直接役立つものはないが、戦闘には役立つものばかりだ。

 

 従って、無為に百日近い日々を過ごすより、ストラーへ行くべきというのがアービィたちの結論だった。

 それをいつ伯爵に伝えるか、アービィたちも迷っていたのだ。

 

「そうかね。では、引き続きランケオラータ殿の救出の依頼はするとして、何かあってそれが遅れるようなことがあっては困る。そこで、だ」

 伯爵にしてみれば渡りに船だが、そのようなことはおくびにも出さずに提案する。

 

「風の神殿までは、ここからだと往復でほぼ百日だ。あちらからウジェチ・スグタ要塞まで直接行ったとしても、百日は掛かる。時間だけ見ればちょうどかも知れんが、途中何があるか解らん。馬車を提供しよう。扱いは、明日からクリプトに聞いてもらう。五日も練習すれば充分だろう」

 依頼の一部だから断ってくれるなよ、と安堵の表情で付け加えた。

 

 

 翌日から、クリプトによる馬扱いの特訓が始まり、旅を共にする馬の選定も同時に進められた。

 アービィの気配を察知すれば、まさか逆らうようなことはないと思われるが、逆に恐怖で動けなくなる方が心配された。

 

 クリプトに気付かれない程度に狼の気配を漂わせつつ、馬たちと顔合わせがてらの訓練を続けた。

 その結果、最も気性の激しい牝馬と、対照的な牡馬の二頭が候補に残り、なんとなく男独りに肩身の狭さを感じていたアービィの強固な意見で、牡馬を連れて行くことに決定した。

 

 出立の前夜、壮行会を兼ねた晩餐の後、伯爵はアービィを居室に訪ねた。

 

「特許や登録商標について、レイから君に教えてもらったと聞いたぞ。あの小娘にしては上出来すぎだと思っていたが、やはり、というところか」

 伯爵はレイから特許や登録商標について聞くなり、考えを纏めて王宛てに上奏文を送っていた。

 

 国内産業の保護育成に心を砕いていたバイアブランカ王は、直ちにこの案を検討するよう内務卿に命じていた。

 もちろん他国からの侵害があっては元も子もないので、四カ国が共同歩調を取るにはどうすべきか、外務卿とも意見交換するようにと付け加えた。

 

 同時に各国との間に根回しのため、パシュースに叩き台の案を送り、駐在武官同士でも検討するように命じている。

 さらに王家が富の独占をしては民が富まないと考えた王は、王権を持ってしても特許や商標は侵害してはならないとの条項をいれるようにと、内務卿に指示している。

 

 これにより、領内で開発された特許技術を、一部貴族が独占することを防ごうとしていた。

 無論、まだ叩き台故に穴だらけだが、それはこれから詰めていけばよい。

 

 そういった書簡が王から返され、発案者に会ってみたいと結ばれていた。

 伯爵は、アービィを王に会わせるつもりでいたが、その前に確かめておきたいことがあった。

 

「君の、以前聞いた税のことも、そうだが、料理や菓子、社会制度の知識は、召喚される前の、世界の知識かね?」

 伯爵は一言ずつ区切りながら、言いにくそうに訊ねた。

 

「……ご存知でしたか……」

 アービィは思わず息を飲み、やっと一言を絞り出した。

 

「ああ。ニムファ殿があそこまで派手にやったのだ。どの国でも、一定以上の地位の者は知っている。豊かな、文明が発達した世界のようだね」

 伯爵は答えた。

 

 アービィは、もし伯爵が臣下にと言うようなら、すぐさまここを辞し二度と戻らないつもりになっていた。

 また、王がそう言うのであれば、ラシアスと同じことだ。

 

「私は、君を臣下になどとは考えていない。もし、私がそう言って聞くくらいなら、ラシアスに留まっているだろう? 王は君の知識を欲しがるかも知れないがね。それでも我が王も、ラシアスでの一件はご存知故、君を留め置けるとはお考えにはならないだろう」

 伯爵はアービィの心配を打ち消すように、言葉を続けた。

 

「そう仰っていただけるなら、僕はありがたいです。僕は、勇者などという器ではありません。いつかお見せしたように……人でもありませんし。今望むことは、平穏に暮らしたい、唯それだけのことなんです」

 アービィは、自分が人の役に立つならばともかく、特定の欲望のための道具になるのは真っ平だ。

 

「私は、君がこの世界に呼ばれたことには、意味があると考えている。それが、私が君を留め置こうとは思わない理由だ。もし、単にニムファ殿の欲望、いや、あの時点では国を思う純粋な気持ちだったのだろうがね、それだけだったら、君は十年前の召喚失敗の際に消えうせていたはずだ。それが、何故、行方不明になったうえ、十年もの長い間覚醒しなかったのか。そして、その力。前の世界でも人狼だったわけではなかろう? 不思議に思わないかね?」

 アービィは伯爵の言葉を聴いているが、自分からは言葉が出てこない。

 

「おそらく、だ。君がこの世界に来ては困る者がいて、それが妨害したのだろう」

 そうだ。

 『俺』が言っていた。

 

「召喚されたとき、既に今の歳くらいだったのだろう? それを子供に戻し、且つ人狼に君の魂を封じ込めた」

 う~ん、もっと歳上だったんだけどな。

 

「子供であれば、この世界で庇護者なしで生き残るのは困難だ。もし、生き残っても、人狼が人のために動くなどとは考えまい」

 拾ってもらえたなぁ……

 

「その者はそう考えたのに、今君はここにいる。これは、もっと別の大きな意志が、君に何かを成せ、ということではないかね?」

 僕はそんな大層な者じゃないんですよ……

 

「その成すべきことが何かは、私には分らない。だが、それが私が君をここに留め置くべきではないと、考えた理由だ」

 伯爵はそう言って、アービィの言葉を待つ。

 

「僕がこの世界に来ることを邪魔した者、つまり魔王を倒す、とかそういうものなのかもしれないし、もっと別のことかもしれないですね」

 アービィはあり得ないと思いつつ、苦笑いしながら言った。

 

「君は、もっと世界を見てきて欲しい。その中で、自ずと成すべきことは見えてくる。それは、君だけに限らないことだ。この世に生を受けたもの全てが、それぞれに成すべきことがあるはずだ。それに気付けず人の道を外れる者も多いがね」

 伯爵はアービィを力付けるように言う。

 

「確実に、ひとつ判っていることがあります。僕は、ルティと二人で穏やかに暮らせる場所を探す。これだけは間違いがありません。他に何があろうと」

 アービィはそう答え、伯爵の目を見詰めた。

 

「成すべきことが済めば、それもいい。ボルビデュス領は、君たちを歓迎するぞ。もちろん、税を払ってくれるなら、だがね」

 伯爵はそう言って、豪快に笑った。

 

「伯爵、僕はあなたが、僕を欲望の道具に使わないと信じられる限り、協力できることは何でもします。北へ行けと仰るなら行きましょう」

 そう言ってアービィは、差し出された伯爵の右手を強く握った。

 

 そうだ、今まで僕は安住の地を探すと言っていたけど、逃げてばかりじゃないか。

 何を成せと言われているのかは分らないけど、それも探してみよう。

 

 それは、アービィが召喚されたことの意義について、初めて自ら向き合い、考えた瞬間だった。


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