狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第36話

 「あんた、一体、何考えてんのよぉっ!!」

 王宮の一室にルティの怒号と罵声が響いている。

 

「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いっ!! やぁめてぇ~」

 情けないアービィの声が、遅れて漏れ聞こえてくる。

 

 手持ちの剣を鞘に入れたまま床に並べ、その上に正座させられたまま、太腿を踏み躙られている。

 後ろでは、ティアとメディが額に指を当て俯いていた。

 

「そんなに怒らないでよ。姫様は、極めて……ぎゃん!! ……淑女的に送り出してく……れるって……言って……るってば」

 呻き混じりにアービィが言う。

 

「その結果が、決闘ですってぇ!? なんで、そんな、余計な、厄介を、背負い、こ、む、のっ!!」

 一言ずつ、踏みつける足に力を入れる。

 既にアービィは声も出なくなっていた。

 

「まあ、その辺で……メディ、止めるの手伝って」

 そろそろ頃合と感じたティアが、ルティを止めに掛かる。

 メディもそろそろ慣れてきたのか、笑いを噛み殺しながらルティを宥めた?

 

「昨夜、もうちょっとあの子が積極的だったら危なかった?」

 苦笑しながらアービィに聞く。

 

「火、に、……、ぶらっ、…、そ、そ、……、……、い、……ぇっ……」

 アービィの身体から力が抜け始めてきた。

 

 言葉も途切れ途切れだ。

 さすがにやりすぎと感じたか、ルティの力が、少しだけ、緩んだ。

 

「いや、もうさ、面倒だから、適当に負けちゃえばさ、勇者ってのも、諦めてくれないかな、と」

 アービィが、最高の解決策を思いついたとばかりに言う。

 

「ダメ。勝ちなさい」

 ルティが即却下する。

 あんたが負けるなんて許せるわけないじゃないの。

 

 

 やがて指定された時刻になり、迎えの遣いが来る。

 アービィは、すっかり元通りに回復し、自分の剣をルティに預けた。

 メディには、気付かないうちに『治癒』を掛けたことにしている。

 

「素手でやる気?」

 ティアが驚いたように聞いた。

 

「うん、そのほうが怪我も少ないし、負けたって気になるでしょ。剣持ってて丸腰に負けたなんて、恥ずかしくて言えないよ、家には。で、勝負が終わったドサクサで城を出ちゃおうね」

 あっさりと言って、アービィは中庭に向かった。

 

 

 中庭には、先程謁見の間にいた貴族たちの、ほとんど全てが集まっている。

 ウェンディロフ子爵は、軽甲冑を纏い、両刃のロングソードを腰に佩いていた。

 アービィより15cm以上の偉丈夫。

 体の厚みも、アービィ以上だ。

 

 アービィは普通の服装に手ぶら。

 どう見ても街中の喧嘩、といった風情で中庭に出てきた。

 

 10mの間隔を置いて、両者が対峙する。

 

「貴様、素手とは、この私を愚弄する気か?」

 

「いえ、とんでもない。僕はこれが一番得意なものですか」

 怒りを目に湛えたウェンディロフに、アービィは笑顔で掌を見せた。

 

 奴隷狩りの一件以来、アービィは獣化をある程度抑えつつ、狼の力を取り出すことができるようになっていた。

 獣化した状態を100とするならば、人間の状態で30~40の力を出すことができる。

 

 それでも普通の人間の数倍に当たる能力だ。

 当たり前の鍛錬しか積んでいない人間相手なら、充分おつりがくる。

 

 ニムファが決闘の開始を宣言した。

 

「どちらも、何があっても恨みごとはなしです。よろしいですね?」

 両者から承諾の返事があり、それが開始の合図だった。

 

 ウェンディロフが顔の右横に剣を構え、じりじりと間合いを詰めようとした瞬間。

 一気に間合いを詰めたアービィの掌底が、ウェンディロフの左こめかみを打ち抜いた。

 

 前に崩れ落ちるウェンディロフの顎を、下から打ち上げる掌底が捉え、一撃目ニ撃目とウェンディロフの脳を盛大に揺らす。

 上体を起こされたウェンディロフの首に、アービィの腕が巻き付いたと思った瞬間、ウェンディロフの体が宙を舞い、後頭部から地面に叩きつけられた。

 裏投げがきれいな弧を描いた後、背後に回り腕を固めつつ、頬骨に腕を擦りつけ、締め上げる。

 

「そろそろ、参ったかどうか、誰か聞いていただけませんか~」

 アービィが暢気な口調で周囲に言った。

 

 既にウェンディロフの意識はない。

 間違いなく、一撃目で勝負は着いていただろう。

 彼の記憶は開始の合図の後、剣を構えたところで途切れていた。

 

「聞くには及びません。その辺で許してあげてください」

 ニムファが、顔を青褪めさせて言った。

 

 アービィがウェンディロフを締め上げるまで、開始から10秒ほどしか掛かっていない。

 もし、アービィが剣を持っていたら、ウェンディロフの命は紙くずより簡単に飛び散っていたに違いない。

 中庭は静まり返り、誰も声を上げられるものはいなかった。

 

「これは……ぜひ、またラシアスにお戻りいただけますよう。あなたには……私を……国を差し上げても……」

 ようやく言葉を発したニムファに、アービィは笑顔だけ向けて中庭を出た。

 

 

 人ごみが引いた後の中庭に、二人の人影が残っている。

 コリンボーサとドーンレッドだ。

 

「とんだ失態だな、宮廷魔術師。十年がふいだ。例え、あのときに召喚に成功していても、同じ結果だったのではないかね?いや、捜索に掛かる費用や人的損害を考えると、まだマシだったのではないか。追って沙汰を申渡す故、暫く謹慎するがよかろう」

 コリンボーサはそれだけを言い残し、ニムファの後を追う。

 

 ドーンレッドは、返す言葉がない。

 悔しげに唇をかみ締め、両の手を強く握り締めている。

 あまりに強く噛みすぎたため、口の中に塩気のある鉄の味が広がった。

 やがて、ドーンレッドは無言でその場を去り、城内の居室に入った後、身辺の整理を始めた。

 

 

 ニムファの後を追いながら、コリンボーサは考えている。

 これで邪魔な者は、謹厳実直の塊のような騎士団長ラルンクルスだけだ。

 

 ニムファは、あの宮廷魔術師をもう一人の父のように慕っていたが、この一件で彼の排除は成功したといえるだろう。

 幸い、ウジェチ・スグタ要塞に放り込んだディティプリス子爵は、あの無能な父に輪をかけた底抜けの無能者だ。

 このままではウジェチ・スグタ要塞の主導権がビースマックか、ストラーに移ってしまいかねない。

 それを理由に摂政の信任厚い騎士団長を送り込めば、王都でニムファを操るのを止める者はいない。

 

 一気に自らの権勢を増大できるようにしてくれた勇者とやらには、感謝してやっても良いくらいだ。

 子爵くらいなら、このままくれておいてもいいかもしれん、とコリンボーサは卑近な笑みの下で考えていた。

 

 

 ようやく開放されたアービィたちは、荷物を担いでアルギール城を出ようとしていた。

 広い前庭を過ぎ、城門に掛かったとき、頭上に殺気が走る。

 

 次の瞬間、ルティの背後にリムノが降り立ち、右腕を後ろ手に極めながら、喉元にナイフを突き付け――

 既にそのときには、アービィが右側からリムノの喉元に、ティアが左側からリムノのこめかみにそれぞれの短刀と小太刀を突き付けていた。

 

 二本の切っ先が、リムノの皮膚に触れる寸前で静止している。

 リムノの左手は、ナイフを振りかざしたまま、動きを止められた。

 そればかりではなく、左手で剣を抜き放ったルティは、刀身を脇に抱え込むように後ろに向け、リムノの心臓の位置に切っ先を当てている。

 

 リムノが左手に握ったナイフに力を入れようとした瞬間、それぞれの切っ先が皮膚を切らない程度にめり込んでくる。

 ここでリムノは、ぴくりとも動くことができなくなってしまった。

 

 ルティを殺したいわけではない。

 アービィに服従を誓わせるため、喉にナイフを当て脅すだけのつもりだった。

 万が一にもルティを傷つけたら、ウェンディロフの惨劇以上の恐怖がリムノを蹂躙する。

 

 今、左腕を動かそうとしても、ルティの喉元にナイフが届く前に、気配だけでこめかみ、喉、心臓が貫かれるだけだ。

 アービィもティアも、昨日までの友人のような目ではない。

 心底凍りつくような冷たい目に、まるで狼と蛇のような目に変貌している。

 おそらく、ルティも。

 

 筋肉から力が抜け、ナイフが落ちる。

 同時に三本の剣が鞘に収められた。

 

 ドーンレッドの起死回生のため、独断でアービィの確保に走ったリムノだが、それは完全な失敗だった。

 ラシアスは、アービィたちを完全に敵に回してしまった。

 

 アービィたちが立ち去った後、リムノはその場に蹲り、長い間声を殺して泣いていた。

 やがて、リムノは立ち上がり、そのまま城から出ると、アービィたちの後を追い始めた。

 

 

「アービィ、ねぇ……アービィっ」

 さっきからメディが声を掛けるが、アービィは答えない。

 こんな彼は初めてだった。

 

「ねぇ、ティア、どうしちゃったのかしら? さっきから何度呼んでも、返事もしてくれないの……」

 

 アルギールの町外れにある安宿に併設された酒場で、四人は酒を飲んでいる。

 リムノの襲撃の後、すぐ駅馬車のチケットを取りに行ったが都合のよい便がなく、明日まで足止めされていた。

 

 アービィが機嫌悪いなど、そうそうない。

 落ち込んでいたりで話もしないことはティアも何度か見ているが、機嫌が悪くて返事もしないなど初めてのことだった。

 

 今まで幸いなことに、彼は手酷い裏切りに遭ったことがなかった。

 この世界で生きていくには致命的なことであるにもかかわらず、人に対してあまり疑いというものを持たないというのに、だ。

 

 それで少々酷い目に遭ったことが何度もあるのだが、アービィは相手の立場を好意的に解釈し続けていた。

 無理矢理の場合もあったが、ほとんどは自分の落ち度として片を付けてきた。

 

 そんな彼が怒っている。

 単純にルティに刃を向けたことだけに怒っていた。

 

 リムノの立場や思考は、充分理解している。

 あの状況で、リムノが取った行動は、根本的な部分を間違っているが、方法としては正しい。

 

 アービィを手元に留めるには、ルティが必要だ。

 そのためにルティを確保しようとしたに過ぎないのだが、その方法がアービィの怒りに火を点けてしまった。

 

 リムノに殺意がないことは、充分承知している。

 それ故に彼もリムノに対して、殺意は抱かなかった。

 だが、もしルティに髪の毛一筋分の傷でもつけたなら、彼はリムノに刃を突き立てることに躊躇はしなかっただろう。

 

 彼女がドーンレッドを守りたかった、ということも解る。

 おそらく、ドーンレッドは、今回のことで宮廷内での発言力が低下しているだろう。

 

 もしかしたら、失脚しているかもしれない。

 彼が元の地位を保つには、なんとしてもアービィが欲しかった筈だ。

 

 リムノが自分の生活のためにドーンレッドを守るとは思えず、純粋にドーンレッドの立場や命を案じてのことだろう。

 それも解るだけに、アービィは自分の感情を持て余していた。

 

 ルティも沈鬱な表情で、安酒を呷り続けている。

 既に明日の二日酔いが、約束されている量だ。

 

 ルティもリムノのしたことは、理解できていた。

 だが、友達にもなれると思っていた人に対して、剣を突きつけてしまったことに嫌悪感が沸き上がっている。

 

 いくら信頼したい人であっても、刃を向けられたなら刃で返すしかない。

 アービィと二人静かに暮らすことを乱すなら、その相手に刃を立てることを躊躇いはしないが、まさかリムノがとの思いが強い。

 

 ティアは、二人の感情がわかるだけに、今回は放っておくことにしている。

 何を言ったところで、自分で決着をつけなければ、いつまでも感情の中に蟠りを抱えたままになる。

 

 今後、リムノと再び見えたときに、蟠りを抱えたまま戦うことになったら、命を落すことになりかねない。

 おそらく、リムノはドーンレッドを想い、アービィの確保に動くことは想像に難くない。

 

 純粋な戦闘力でアービィを抑えることができないことは、リムノ程の腕の持ち主であれば判っている筈だ。

 そう遠くない将来、彼女と命の遣り取りをしなければならないことに、ティアは暗澹たる面持ちになってしまっていた。

 

「そうねぇ、アービィは、ちょっと照れてるのよ。よく殺さなかったと思うわ」

 ティアの答えにメディはなんとなく納得する。

 

 アービィは、おそらく照れていることに、自分では気付いていない。

 ヒドラと戦ったときも、奴隷狩りを叩きのめしたときも、ルティが危機に陥ったとき、彼の獣性が解放されている。

 ヒドラにしろ、奴隷狩りにしろ、ああまでしなくても何とかなっていた筈だ。あたしの入る隙なんて全然無いじゃない。

 

「放っておいてあげてね、メディ。二、三日もすれば、けろっとしてるから。さ、明日は宿で寝てることになるわ、きっと。こっちも飲んじゃいましょ」

 今のルティの状態で、明日馬車に乗ることは、周囲に迷惑しか掛からない。

 ならば、明日は宿で休眠状態だ。

 

 ランケオラータ救出のためにも、早く北の大陸に行くべきなのだが、今は荒んだ精神を落ち着けなければ、致命的な失敗を呼び込みそうだった。

 ティアも自分の感情を一時誤魔化すため、酒の力を借りることにした。

 

 

 

 ベルテロイにある派遣軍宿舎の一室は、今にも破裂しそうな険悪な雰囲気に包まれていた。

 ストラーの駐在武官アルテルナンテ=サウルルスの執務室に、首から上が灼熱した鉄球と化したような男が乗り込んでいる。

 

 ビースマックの駐在武官フィランサス=ブルグンデロットは、本国から送られてきた報告書に激怒していた。

 報告書を呼んだ勢いで、アルテルナンテの執務室に飛び込んできたのだ。

 

 本来であれば、駐在武官同士の公式な会談は、副官を通じ相手の予定を確認した上で面会の約束を取り付けるものなのだが、今の彼にそのような余裕は無かった。

 アルテルナンテはフィランサスの勢いに飲まれ、当初何が起こったのか理解できなかった。

 お互いの副官がなんとかその場を取り成し、やっと落ち着きを取り戻したフィランサスの発言は、その場の雰囲気を元に戻すだけではなく、南大陸を一気に戦乱の渦に叩き込みかねない内容だった。

 

 ビースマックからの報告書には、マグシュテット周辺でガーゴイルが確認され、その討伐に出向いた部隊が壊滅したことと、生き残りの証言からストラーの関与が疑われていることが記されていた。

 生き残りの兵は、破壊したガーゴイルの一部を持ち帰っていた。

 それは、ビースマックでは産出しない石材で、主にストラーの西部で建材や彫刻の材料として発掘されているものだった。

 

 財務卿は、ここ数年の貿易関係を洗いなおしたが、ストラーからの石材輸入はほとんど無い。

 ビースマックで充分必要量の石材は確保できるし、ストラーの石材は耐久性に難ありとビースマックの職人たちは判定していたので、輸入する理由も需要も少なかった。

 

 ごく一部に彫刻材としての需要もあるが、質素剛健を旨とする国民性から、精々小さな装飾に使われる程度で、ガーゴイルを作るほどの大きさのものは必要とされていない。

 つまり、このガーゴイルは国内ではなく、他国、おそらくはストラーで生産されたと見て間違いない、と報告書は締め括っていた。

 

「つまり、貴官は我が国が貴国に対し戦を仕掛けていると仰るわけですか?」

 ようやく事態を飲み込んだアルテルナンテが発言した。

 

「然様です。サウルルス殿。我が国としては、このガーゴイルの活動は、貴国のものと断じております。納得のいくご説明をいただかない限り、このままでは通商活動の停止、いや場合によっては国交の断絶もあり得ると考えます」

 副官の取り成しで、ようやく落ち着きを取り戻したフィランサスが言う。

 

 普段、執務時間以外での付き合いのある武官たちは、お互いを愛称で呼び、砕けた話し方をしているが、今は公式の場だ。

 呼び方も、話し方も、公式のそれになっている。

 

 フィランサスは、それにもどかしさを感じていた。

 より突っ込んだ話をするには、プライベートでのそれの方が早いと感じていた。

 

 アルテルナンテにしても同様だが、事が事だけにそうもいかない。

 対応を一つ間違えれば、この場で宣戦布告があってもおかしくない話だ。

 

「しかし、貴国の調査だけで我が国の仕業とお考えになるのは、早計ではないでしょうか。第三者の思惑で、貴国と我が国をいがみ合わせようとするものでは?第一、我が国が貴国と争って、何の利があると言うのでしょうか?」

 しかし、彼女の思考は別の方向も向いていた。

 

 確かに、伝統的に農業国のストラーと工業国のビースマックは、互いにないものを補い合って経済を発展させてきた。

 貿易の主な相手は互いであって、ラシアスやインダミトの割合は相対的に低い。

 

 両国が戦争状態にならなくとも、通商活動の停止だけで充分に国内が沈滞する。

 片方だけに利があるというわけではないのだ。

 

「しかしながら、サウルルス殿。その第三者とはいずこの者なのでしょうな?ラシアスやインダミトにその利があるとは思えませぬ。まさか、北の大陸の者と?」

 そう言いながらも、それは無いとフィランサスは考えている。

 ラシアスは国力の疲弊したこの時期に、戦乱は望んでいない。

 

 ニムファの野望が尽きることは無いだろうが、他国の戦力を国内に抱えた現状は、戦を仕掛けられる状態とはいえない。

 せめて自国の体力が回復し、ウジェチ・スグタ要塞を独力で維持できるようにならなければ、他国を侵略する前に本丸を落とされてしまう。

 

 インダミトのバイアブランカ王は、そもそも戦乱など望まない。

 四ヶ国のバランスが、南大陸の平和の要と考えている。

 商業国であるインダミトは、戦乱による経済活動の沈滞は自国の沈滞に繋がるだけに、却ってこの諍いを鎮める側に回るはずだ。

 

 北に至っては、組織的な戦争を仕掛けてくる発想すらないはずだ。

 防衛戦にこそ、今まで考えられもしなかった見事な組織的戦闘を見せたが、いくら弱体化しているとはいえウジェチ・スグタ要塞を簡単に抜けるとは思えない。

 

 仮に抜いたとしても、地峡という地形は大量の軍勢を一気に通すことはできない。

 従って、大陸内部に浸透される前に、出てくるところを片端から叩けば、それで済んでしまう。

 それは南大陸側から見ても同じことで、北への侵攻はやはり難しいのだ。

 

 長い沈黙がアルテルナンテの執務室を支配した。

 その中で、彼女は一つの認めたくない推論を、纏めつつあった。

 

 

 ストラーの王、つまり彼女の父は、プライドの高さだけが取柄の覇権欲のない男だった。

 ストラーこそ、大帝国の末裔というプライドは高いのだが、それをもって他国を従えようという欲望はない。

 

 だが、貴族の一部、特に王家傍流の公爵家や、その取り巻きの中には、そのプライドが肥大しすぎたため、他国はストラーの前に傅くべきと考える者が多い。

 特に彼らは、ビースマックを職人集団と見ており、ストラーとの対等な貿易相手というより、食料を恵んでやる代わりに技術力を提供させてやっていると、見下している。

 

 戦を起こすような度胸はないが、謀を好み、他を自らのために動かすことを好んでいる連中だ。

 他国の反王家勢力に手を貸し、王家の力を削ぎ、自らの影響力の強い一派に国を牛耳らせれば、自然ストラーの他国への影響力も上がってくる。

 

 他国を併呑するのではなく、国として存続させたままストラーの膝下に敷こうとしている。

 彼らは、ニムファとは別の形で、大陸を支配し、自らの欲求を満たそうとしていた。

 

 ビースマック王家は、もともと領土の拡張の意欲が薄い。

 ビースマックの貴族の中には、それを不満とする勢力が少数ながら存在していた。

 

 もし、その二つが結びついたとしたら。

 クーデター、その文字がアルテルナンテの脳裏に浮かんだ。

 

 フィランサスも、ほぼ同時に同じ結論に達していた。

 しかし、お互いにそれを口にすることはできない。

 他国への侮辱とも取れるからだ。

 

「本官は、本国に事の詳細を問い合わせます。貴官におかれましても、貴国のご様子を」

 フィランサスに言えることは、それが精一杯だった。

 

「承りました。ところでブルグンデロット殿、今日この後お時間は取れますか?」

 公式の場でこれ以上突っ込んだ話は無理と判断したアルテルナンテは、終業後の酒の席にフィランサスを誘う。

 お互いを愛称で呼べる席に移り、今後の対応を話し合うことにした。

 

「もちろん、可能です。せっかくですから、バイアブランカ殿とグランデュローサ殿もお呼びしませんか?」

 フィランサスは、インダミトとラシアスの駐在武官の名を挙げた。

 

「そうしますか。では、それは本官からお知らせすることにしましょう」

 アルテルナンテはそう言って、会談は終了、との意を示す。

 

 南大陸では、国家間の同盟や提携と言ったことは、大陸協定と呼ばれる申し合わせで固く禁じられている。

 微妙なバランスで保たれている国家間の力関係が、一気に崩壊するからだ。

 

 既に二国間だけの話ではなくなっていると、駐在武官であり王家の人間である二人は、そう考えた。


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