狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第34話

 「ルティ殿を呼んできてくれ。あ、お前は部屋に入るでないぞ」

 レヴァイストル伯爵は、部屋の外に控える侍女に命じた。

 

 

 眠い目を擦りながら、ルティは伯爵の部屋のドアを叩いた。

 入室を許可する声がしたので、失礼します、と言ってから、伯爵の部屋に入りドアを閉める。

 

「――!!」

 ルティは、何度も目を擦り、状況把握に努める。

 

「……そういうことだったのね……いえ、それは個人の自由だもの……認めなくちゃいけないのよね。……だから、あたしに……手を出さなかった……の?」

 ルティは、この世の全てが崩れ去ったというような表情で俯きながら、うわ言のように言葉を紡ぐ。

 ルティが見たものは、椅子に腰掛け悠然と葉巻を燻らす伯爵と、シーツに包まって向かい合うアービィだった。

 

「いや、何か盛大に誤解しているようだが」

 

「だから言ったじゃないですか、絶対誤解されるって。とりあえずさ、着替えがほしいんだけど」

 

「それでは、私が男色家だと、妻やレイに誤解されても良いと言うかね?」

 

 なんとなく状況を察したルティは、無言でアービィの部屋に行き、着替えを取って戻ってきた。レイも連れてきちゃおうかしら。

 

 

「で、説得力を増すために獣化したってこと? 莫迦じゃないの!? ちょっと見ないでって言って、脱いでからすればいいのに」

 しこたま叱られ、正座のまま説教されているアービィを、伯爵は微笑ましい目で見ている。

 

「まあ、ルティ、そのくらいにしてやってくれんかね。妻やレイにも言うなということだしな。しかし、レイには見せてやりたいものだな。あの気の強い娘が、どんな反応をするかは楽しみだが」

 潮時と見て伯爵はルティを宥めに掛かる。

 それまで人狼といえば恐怖の対象でしかなかったが、改めて見るとその毛皮は優美としか言いようがなく、この魔獣のどこに死を撒き散らす力が潜んでいるかと訝しむほどだった。

 

 

 翌日、アービィたちは、伯爵からの資金援助を得て、ラシアスに向かう。

 資金に関しては心配ない、その他にも必要なものがあれば早馬で知らせてくれたらいつでも送る、と伯爵から後方支援の申し出もあった。

 

 レイは、アービィの獣化以外のことを聞き、安堵と共に申し訳なさでいっぱいになっていた。

 死地に友人を送ることにした父に対し、怒りすら覚えていた。

 行かせないでほしい、ボルビデュスの不始末のせいで大切な友人たちを死なせたくない、と父に抗議した。

 当のアービィや、ルティ、ティアからも説得され、メディも地理に明るいから協力すると言い出したのだが、レイは首を縦に振らない。

 

「ならば、私も連れて行ってください。全部を、任せて……私だけ安全なところにいるなんて……」

 貴族としての振る舞いではありません、とレイは同行を申し出た。

 

 さすがにこれは同意できない。

 伯爵も許可できない。

 

「レイ様、あなたが行ってはいけません。その間ラガロシフォンはどうするのです? 領民を守ることが、貴族として一番大切なことではないのですか?」

 ルティが諭す。

 

「レイ様、足手まといです。僕たちが行くと決めたことですから、任せていただきたいのです。それに……人を殺すことになるかもしれません。ランケオラータ様も、それは望まないのではないですか?」

 それでも首を縦に振らないレイに、アービィが宣告した。

 レイは、はっきりと足手まといと言われ、憮然とだが頷くしかなかった。

 まだレイは、戦場はもちろん、野盗の征伐に出たこともない。

 

 魔獣や獣を殺した経験はあるが、まだ人間を手に掛けたことはない。

 いざというとき、一瞬の躊躇いで命を落すことになりかねない。

 

 ティアは、人を殺さなければならない可能性があること、それが最も心配な点だ。

 先日の奴隷狩りを撃退した際の、アービィの目を思い出していた。

 

 あの時は、今一歩のところで狂気に染まり切ることはなかった。

 もし、今回アービィが人を殺めるようなことがあったら、今度こそ人狼の本能が解放されてしまうのではないか。

 それが心配でならない。

 

 ティアは、その役は自分が負うと覚悟を固めている。

 ルティが悲しむようなことがあっては、ティアは悔やんでも悔やみきれない。

 

 メディは、一つの勝算を持っていた。

 北の大地は、多神教の世界だ。

 

 メディの生まれた集落は違うが、蛇を神と崇める集落も少なくない。

 そのような集落の人間にとっては、ティアの獣化は神の降臨と同義語だ。

 もし、ランケオラータがそのうちの一つに捕らえられているのであれば、ティアに神託を出させることで意外と簡単に解決するかもしれない。

 違ったとしても、そのような集落の協力が得られるかもしれない。

 無駄な血を流すことなく、帰ってこられるのではないかと思っていた。

 

 しかし、それを今、ここで言うことは、ティアを窮地に陥れるだけだ。

 なぜ、それなりに高位の魔獣が人に付き従っているのかは解らないが、態々この仲を引き裂く必要は認められなかった。

 この魔獣を従えさせるほどの冒険者であれば、今回のことは難事のうちには入らないのではないか。そう思える。

 

 

 ようやくのことでレイの説得に成功した一行は、リムノを伴いラシアスへ行くことにした。

 北の大陸に渡る前に、向後の憂いは絶っておきたい。

 ボルビデュス家の人々に見送られ、アービィたちは征く。

 

 リムノはだいたいの事情は掴んだが、それを報告するように命令はされていない。

 たまたま、行き会っただけのことだと思っている。

 

 確かにランケオラータ救出は、インダミトに恩を売る良い機会だろう。

 しかし、それを行うかどうか、判断するのはドーンレッドを含む国の中枢に位置する者たちだ。

 

 既にランケオラータが捕虜となっていることは、南の大陸では周知の事実。

 動くならとっくに動いているだろう。

 それこそ、アービィたちがウジェチ・スグタ要塞に着く前に。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞では、そのランケオラータ救出について、軍議が紛糾していた。

 何れの国も救出にいくべきだと、考えているのは同じだ。

 

 しかし、つい先日のアーガス部隊の壊滅劇が、将官の脳裏を占めていた。

 北の大地にもできる将がいる。

 一部の将官は自覚しているが、少なくともここにいる将官のほとんどより有能な将だ。

 

 ラシアスはインダミトに対する立場を少しでも回復したい。

 ディティプリス子爵の功名心が招いたともいえる、アーガスの独走。

 副指揮官リシマキアの制止を振り切ったのはアーガスとはいえ、唆した上に出撃を黙認したのはディティプリスだ。

 

 しかし、他国かに派遣軍を要請している状況では、ラシアス単独での救出作戦は不可能だった。

 派遣軍から抽出した軍勢の御輿に乗りたい。それがディティプリスの本心だった。

 

 インダミトは、中核となる軍勢と将を失った状況では、動くことはできない。

 ましてや他国への要請など論外だ。

 自力で取り返す。それが残された将兵の願いだが、これ以上の派兵は無理という現実に阻まれている。

 

 ビースマックは、ランケオラータ子爵の命が危険であるという認識はある。

 もちろん救出したほうが良いと考えているが、あまりにも馬鹿馬鹿しい理由で自国の兵を消耗したくない。

 

 ランケオラータ子爵は人物は立派だが、軍人としての才はない。

 そのような人物のため、大軍を動かす必要があるのか。

 いや、軍を動かしてもアーガスの二の舞だろう。

 救出作戦は、少数精鋭の隠密行動であるべきだ。

 

 職人気質からか、極めて現実的な見方をしている。

 しかし、ビースマックには、適任の人物はいなかった。

 

 ストラーは、相変わらず口だけは威勢が良い。

 派遣軍の精鋭を持ってすれば、蛮族など鎧袖一触。

 食料がなくとも精神力で耐えるべきだ。

 武器が届かなければ、腕がある。折れたならば足もある。手足を奪われても噛み付けば良い。

 

 しかし、それを行うのは平民の兵だ。

 自らは決して危険のある場所に近寄ろうとはしない。

 

 アーガスを唆したのはディティプリスだけの責任ではなく、その大半はストラーの貴族たちに拠るものだった。

 彼らは、またそれを行おうとしている。

 そして、凱旋するための名誉だけを望んでいるのだった。

 

 結局、各国の思惑が入り乱れ、軍議は決を採ることさえできずにいた。

 北の民は、身代金等を要求することもなく、不気味な沈黙を保っている。

 

 

「リムノは一緒に行ってくれないの?」

 ルティは諦めきれない様子で同じ問いを何度か繰り返している。

 

「私は、北の民よ。それが北の民に刃を向けられると思って? 集落同士の殺し合いはあるけど、南大陸に力を貸そうとは思わないわ」

 何度聞いてもリムノの答えは変わらない。

 

「南大陸の人に使われてて、北に潜入とかはしたことないの?」

 それまでは何も言わなかったアービィが疑問を呈する。

 ラシアスは対北に力を入れているはずだ。

 この優秀な密偵を使わないはずがない。

 

「ドーンレッド様は、そこは考えてくださってるわ。違う者が行くの。私は、対南の国家要員よ。南が荒れることは、北にとって望ましいもの」

 

「情報を教えてくれるくらいはいいでしょ?」

 ティアが言った。

 

「答えられる範囲でね。メディもいるんだから、私はあんまり役に立たないと思うわ」

 そんなことはないでしょ、と言ってティアは矢継ぎ早に質問を並べる。

 

 今回の戦は、明らかに組織立った戦闘が行われている。

 その将の目星。

 ウジェチ・スグタ要塞を通らずに北に渡る方法。

 蛇を神と崇めている部族の数と規模。

 ランケオラータだけではなく、捕虜はどこに捕らえているか、その候補地等。

 

 リムノは、特に隠すべき内容はなかったか、それに対して判る範囲でよ、と断った上で答えた。

 南の民は、北の民のことを蛮族と見下し、部族間の争いばかりで組織立った戦闘を行うことはできないと思い込んでいるが、一部は正しく、一部は間違いだ。

 実際には、いくつかの大きな集団に別れ、その中には部族を率いる族長たちによる議会があり、指導者が選出されている。

 今回は、特に優れた者が選出されたのだろう。

 

 ウジェチ・スグタ要塞は、地峡の街道を塞ぐように建設されているが、周囲の山岳地帯には地元民族しか知らないような間道が、それこそ血管のように張り巡らされている。

 この間道は、北と南の間にある極僅かの交易ルートとして活用されていた。

 

 全ての北と南の民が対立しているわけではなく、国境を接している辺りでは、昔から僅かではあるが交流が見られた。

 北の民の南大陸への移住は確かに悲願ではあるが、地峡に近づくにつれ山岳地帯は険しくなり、土地の生産力は極端に落ちる。

 

 このため、北大陸の中心部に近くは優勢な部族集団が占め、さらに北や地峡周辺には弱小部族が圧迫され押し付けられている。

 敵の敵は味方とばかりに、南大陸との交易で飢えを凌いでいる部族もあるのだ。

 

 南大陸では、北の民の作るものはエキゾチックな雰囲気を持った珍しいものとして、産地不詳のまま高値で取り引きされている。

 両者の利益が一致するなら、そこに殺し合いやいがみ合いは起きない。

 

 部族集団は、同じ神を崇める集落で形成されている。

 北の宗教は、他の神を排斥することはなく、互いを認め合っている。

 部族同士の諍いは、宗教によるものではなく、生存権の奪い合いでしかない。

 

 蛇を神と崇める部族は、中心部に多くいるが、決して多数派ではない。

 他にもあらゆる動物が神と崇められているが、狼や熊、虎やライオンといった猛獣を神とする部族が多い。

 

 捕虜が一人二人であれば、それは砂漠の中から特定の一粒の砂を探し出すようなものだ。

 しかし、2千人近い集団を捕らえておける場所は、そう多くない。

 

 候補はいくつかに絞れるだろうが、それは現地で情報を集めるしかないだろう。

 リムノは物心付く前に、南大陸に渡っている。

 地名等はほとんど分からないし、地図がない北の大陸では、自分が住んでいる周辺だけが世界の全てだった。

 

「結局、全部は行ってからかぁ~」

 メディがぼやくように言った。

 やはり、リムノの情報は、メディが知る以上のことではなかった。

 ここはやはり、ティアに頑張ってもらうしかないか、と独白する。

 

 ティアも図らずも同じことを考えている。

 自分が獣化することで、北の民を味方に付けられるのであれば、躊躇う必要はないだろう。

 

「ティア、もうすぐ寒い季節になるから、そこは気をつけてね」

 メディはラミアの身体を気遣っている。

 メディはアービィの正体を知らないし、ティアも教えるつもりはなかった。

 

 

 ドーンレッドは、アービィたちをインダミトに送り出してすぐに、ラシアスに戻っていた。

 ラシアスの王都アルギールに着くなり登城したドーンレッドは、ニムファに謁見を申し込む。

 

 通常であれば謁見の間で報告ということになるのだが、宰相コリンボーサに聞かれるのは都合が悪い。

 そのため、ニムファの私室で報告を行うことにした。

 

「摂政殿下、『痣』を持つ男を確保いたしました。現在、リムノの監視下で、こちらへ向かわせております」

 宮廷魔術師は、摂政に報告した。

 これで、国を憂いた若き指導者に安寧をもたらすことができる。

 

 彼は、「勇者」はあくまでも「魔王」に対抗するための人材だと思っている。

「魔王」が覚醒しては、南も北も、四国家もない。

 これに対しては世界を挙げて立ち向かわなければならない。

 彼は、そのための切り札だと考えていた。

 

「ご苦労様でした、ヘルフェリー。これで、勇者は私たちの手に戻ってきたわけですね。長かった……いよいよラシアスは……お下がりください。長旅でお疲れでしょう、今日はゆっくりとお休みになって。勇者が到着するのを待ちましょう」

 

 摂政が言葉にしなかった部分に言いようのない不安を抱え、宮廷魔術師は退出し居室に戻ろうとした。

 城の通路を歩く彼に、声を掛ける者がいる。

 

「宮廷魔術師殿、そのご様子では、勇者を見つけられたようですな?」

 声の方に視線を送ると、コリンボーサが忌々しげな視線を叩きつけてきていた。

 

「これは、宰相閣下。幸いにも、ベルテロイにて相見えることができましてな。これもマ・ターヨシ神のご加護と言うもの。現在、リムノがお連れいたしておるところ。数日後にはアルギールに到着されるでしょうな」

 

「さようか。大儀でしたな。これで……。今日はゆっくりされるがよかろう」

 心底、労わるような視線と共に、労いの言葉を送る。

 

 コリンボーサは考えている。

 宮廷魔術師は摂政の寵愛こそ受けているが、それだけだ。

 

 財力や、権力の基盤はそれほど大きくない。

 せいぜい、勇者を釣ったエサは、騎士階級程度だろう。

 

 おそらく、摂政に会わせれば、摂政が伯爵程度はすぐ与えようとするだろう。

 しかし、伯爵という爵位は、摂政の独断で与えられるほど、軽いものではない。

 

 閣議に諮らねばならず、それに反対意見を述べることは、反意と言われることはないだろう。

 その前に、宰相の権限で子爵を与えておけば、こちらに与することは確実だ。

 権威と財力しか人を惹きつけるものはないと信じる男は、最良の果実を我が物にするための策略を、柔和な笑顔の下に隠していた。

 

 

「私の役目はここまで。あなたたちって、不思議ね。ここまで私を偏見なしで付き合ってくれた人たちなんて、いなかったわ。仕事じゃなければ、楽しかったでしょうね」

 アルギール城の城門前で、馬車から降りたリムノが残念そうに言った。

 

 衛兵に取次ぎを頼み、リムノは去っていく。

 おそらく宮廷魔術師の下へ行くのだろう。

 

 アービィは、これから起こるであろう権力との戦いが、心底嫌だった。

 ドーンレッドは、アービィが騎士の地位に釣られていると、思い込んでいる。

 おそらく、彼を自分の手駒とするために、様々な誘惑を仕掛けてくるだろう。

 

 中には脅迫や、仲間を盾に取って膝下に敷くことを強制してくることもあるかもしれない。

 もし仲間を傷つけるようなことがあれば、彼はこの国に敵対する覚悟がある。

 なんであのひとは、召喚なんて面倒なことしたんだろう……

 

 

 ルティは、リムノやメディとの旅を通して、北の民も普通の人間であることを改めて知らされた。

 害意を持たずに付き合えば、友として互いを信じることは、難しいことではない。

 

 北も南もなく、偏見のない世の中になれば、あたしたちも安心できるようになるかなぁ……


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