狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第32話

 グロッソが鍛えた剣は、今まで見ていた剣とは全く違うものだった。

 今までの剣は、ツルギ。これはカタナだ。

 

 グロッソは、三人の体格や剣技の特性を見極めた上で、それぞれに合う剣を鍛えていた。

 片刃で僅かに反りのある刀身。

 刃紋が波打っている。

 鞘は刀身をしっかりと銜え込み、鯉口を切らねば抜けることはない。

 

 その剣を携えて、試し斬りのためスライムを討伐に行く。

 今まで使っていた剣も悪くはないが、切れ味が根本的に違う。

 

 スライムを斬っても、飛び散ることなく真っ二つになるだけだ。

 もちろん斬りどころが悪ければスライムが増えるだけなのだが、破片が飛び散ることがなくなった。

 討伐の合間にアルテナから剣の手ほどきを受けていたルティは、気の操り方の初歩を会得しかけていた。

 

 刀身の先から気を投げ出すように斬る。

 振り抜いたときに、刀身の形の刃が飛んでいくような感じだ。

 

 三人とも、何度も吊るされた紙を切る鍛錬を重ねている。

 アービィとティアはすぐに上達することはなかったが、アルテナから今後の努力である程度は上達できると言われていた。

 

 ルティは、今では紙を歪ませることなく、切断できるようになっていた。

 剣のおかげだと思っていたが、アルテナが言うには、どんな良い剣であっても太刀筋が狂えば紙は千切れるだけよ、と言われている。

 もうちょっと上達すれば、石だって鉄だって、刃を傷めることなく気で切り裂けるわ、とアルテナは嬉しそうに言った。

 

 プテリス夫妻に礼を言い、四人はベルテロイを目指して山を降りる。

 エッシンフェルゲンを通過し、ビースマック街道を討伐の仕事を請けながら、10日ほどでベルテロイに到着した。

 

 ベルテロイに入る頃、アービィはレベル1の『水流』、『火球』、相手の動きを止める『地縛』が10回、レベル2の『凍結』、『大炎』、指定した相手の力を倍加する『倍力』が6回になっている。

 ルティは剣重視の修練だったので、レベル1の『回復』、『解毒』、物理防御を上昇させる『防壁』が10回、レベル2の『治癒』、麻痺回復の『解痺』、呪文攻撃をある程度防げる『魔壁』が5回。

 ティアは習得した呪文はルティ同様で、レベル2が7回使用可能だった。

 

 

「お爺様、あの少年たちです」

 ドーンレッドに付き従う少女、リムノが教えた。

 

 ベルテロイにいるドーンレッドは、ハイスティと酒場にいた。

 他愛のない世間話と、ラシアス内での商売の見通し、ウジェチ・スグタ要塞から出撃した連合派遣軍の戦況など、機密に関らない範囲で互いに知る情報を交換していた。

 

 ハイスティはビースマックにいる仲間からアービィたちの情報は常時得ており、間もなくベルテロイに来るであろうことは掴んでいた。

 ドーンレッドはリムノを通してその情報を掠め取っており、このまま待っていれば彼らを捕捉できると睨んでいる。

 

 ここ何日か、偶然を装い酒場で会うように仕向けていたのは、お互い様だ。

 何れは始末しなければならないだろう。それもお互い様だった。

 そしてこの日、アービィたちがベルテロイに戻ってきた。

 

「捕らえますか、お爺様?」

 

「いや、事を荒立てては、彼らを敵に回すだけだよ、リムノ」

 祖父がやんちゃな孫娘に世事を諭すときの口調と視線だ。

 

「それでは逃がしてしまいますが? 連れの女を攫い、逆らえないようにすればよろしいか」

 

「そうすることは容易かろうな、リムノならば。が、彼には我が国に忠誠を誓ってもらわねばならんのだよ?もし、リムノがわしを盾に服従を誓わされたとして、それは本心からになるかな?」

 そう言われればそうだ。

 表面上の服従と、いつかは寝首を掻いてやろうという反逆心が同居するだけだ。

 

「考えが至りませんでした、お爺様。では、わたくしは他の密偵を排除する、ということでよろしいのですね?」

 リムノの言葉に、ドーンレッドは満足そうに頷く。

 

「正攻法で行こう。が、交渉が決裂したときは、守ってもらうぞ」

 ドーンレッドは付け加えた。

 

 

 ハイスティは、平静を装いつつ焦っていた。

 ドーンレッドがアービィたちを狙っていることは明白だ。

 召喚した張本人なのであろう。

 いよいよ自分の妨害に、黙って見ていられなくなったのだろう。

 

 さすがに一国の重要閣僚を排除と言う形で殺害などしたら、いくらなんでも国家間の表立った争いになる。

 それに彼に付き従う少女を排除するには、多少の危険も伴うだろう。

 数日前に彼は王宮に報告書を送り、王の判断を待っていた。

 しかし、その返事が来る前にドーンレッドはアービィに接触してしまう。

 

 一間諜の判断の域を超えた事態に、彼は困惑していた。

 とりあえず、アービィたちを拉致するようなら、ベルテロイを出るまでに実力で取り戻すだけだ。

 彼は覚悟を固めていた。

 

 

 高級な宿の一室で、初老の男性と若者たちが対峙していた。

 針で突付くだけで破裂しそうな空気が張り詰めている。

 

 今から十三年前、第一王女が魔王が降臨したと神託を受けたこと。

 三年の研究の結果、自分が勇者召喚の呪文を完成させたこと。

 そして十年前に勇者を召喚したこと。

 その勇者が行方不明になってしまったこと。

 勇者には『日』型の刻印があること。

 アービィの肩にある痣と、勇者にある刻印が同じである可能性が高いこと。

 

「そして、君のことを、我が国の騎士として取り立てようと思う。お三方とも、君にとっては大切な人なのであろう? 共に取り立て、見合う仕事を考えよう。どうかね、悪い話ではあるまい?」

 ドーンレッドからの長い、長い説明の後、沈黙が支配している。

 ドーンレッドは和やかな表情で若者たちを見ているが、目は笑っていない。

 アービィたちは、困惑の表情で固まっている。

 

 前夜、丁寧な招待状を受け取ったアービィたちは、この日の午後、一般的なお茶の時間に合わせてドーンレッドが投宿している宿の部屋に彼を訪ねていた。

 和やかな雰囲気で始まった会談は、彼の突然の説明から一気に冷たい空気を纏い始めた。

 

 天井裏ではリムノとハイスティが対峙している。

 こちらは和やかさなど最初からなく、ドーンレッドが予めリムノを止めていなければ、たちまち血の雨を降らせていただろう。

 

 一言も喋ることなく、視殺戦を繰り広げる二人の足元では、塑像のように固まったアービィたちがいた。

 まるで些細な口げんかから、メディが力を解放してしまったかのようだった。

 

 その力を解放しようとしているメディを目で止め、アービィは口を開こうとするが言葉は出てこない。

 いつしか、日は傾き、窓の外は茜色に染まっている。

 

「いきなり言われても、すぐ答えを出せるとは思わぬ。今夜は部屋を用意した。一晩、ゆっくり考えられよ。もし、承諾してもらえるなら、王都までお連れする」

 考え込んでいる四人に、ドーンレッドは言葉を掛けた。

 言外に断らせぬという意思を込め、ちらりと天井に目をやってから、笑顔でドーンレッドは言った。

 

「人払いはできている故、相談されることも自由だ。私がいては相談もできまい」

 そう言って彼は部屋を出た。

 

 ドーンレッドが出ていた後の応接間は、沈黙が支配している。

 四人が四人とも、混乱していた。

 

 ルティは、アービィの正体が魔獣であるどころか、この世界の者ではないということに衝撃を受けていた。

 それは、得体の知れないものへの恐怖故ではなかった。

 

 他の世界で生活していた人間が、こちらの都合で勝手に誘拐され、年齢が変わっただけでなく人外の化け物にされていたのだ。

 そのことに、心の底から怒りが湧く。

 こんな理不尽なことがあるだろうかと怒りを抑えるのに必死だった。

 

 ティアは、普通の人間が魔獣に堕とされたことが、腑に落ちなかった。

 おそらく、ドーンレッドは、人間を召喚したかったはずだった。

 アービィがいた世界にも人狼がいて、それを狙って召喚するとは考えられない。

 

 人間であれば、性格についての不安は少ない。

 桁外れの戦闘力を持つ人狼だが、アービィは例外中の例外であって、ほとんどは却って人に仇為すだけの結果に終わるだろう。

 この世界の常識に囚われている以上、態々人狼を狙うとは思えないのだ。

 

 なんらかの力、勇者が召喚されては都合の悪い者が、召喚呪文に干渉し、召喚された人物を弾き飛ばした上、人狼に変えたのだろう。

 なんという理不尽。なんという悲劇。

 ティアも、怒りに震えていた。

 

 メディは、既に何がなんだか、解らなくなっていた。

 とにかくアービィの戦闘力が並ではないこと、彼がとても重大な秘密を抱えていることくらいしかわからない。

 

「わたしは、何も言う資格はないと思うの。宿に戻ってるね」

 自分を襲った悲劇以上のことだとは、なんとなく解る。

 そこに口出しもできないことも。

 一抹の寂しさを抱えて、メディは宿へと帰っていった。

 

 

 おそらく、この四人の中でまだ冷静だったのはアービィだった。

 が、それも最初のうちだけで、自問自答するうちに混乱し始めていた。

 

 生まれてから村の前に来るまでの間の記憶は、ほとんど無い。

 確かに残る記憶は、ちょうど十年前からだった。

 

 勇者を召喚した、という時期と一致する。

 が、ドーンレッド召喚したという人物は、十代後半から二十代前半だという。

 今の自分と同じくらいなのだろう。

 年齢が合わない。そうだよ、僕じゃないよ、ね?

 

 でも、と思う。

 夢に出てくる知らない街や、知らない人。

 でも懐かしい街や人。

 

 あれが召喚される前の記憶なのだろうか。

 その世界でも人狼だったのだろうか。ああ、だめだ。もう解らない。僕は誰なの?

 

 

 どれほどの時間が流れただろうか、三人とも何も話せないまま時は過ぎ、窓の外は陽が沈んでいた。

 言葉を交わすこともなく、何かを言おうとして目を合わせる度、喉まで出掛かった言葉を飲み込んでしまった。

 ルティもアービィも自分を疑われることが怖かった。

 

 得体の知れないものと思っていると疑われるのが怖かった。

 得体の知れないものと思われるのが怖かった。

 ティアは自分の推測を言うのが怖かった。

 

 

 夕食の時間になったのか、侍女が部屋に入ってきて、何か召し上がりませんとお体に触ります、と言って、三人を促す。

 アービィは、侍女があまりに心配そうに言うので、これ以上心配を掛けたくないという一心で、二人を促し食堂に行くことにした。

 

 砂を噛むような食事を終え、それぞれは用意された部屋に案内された。

 アービィがドアを閉める直前、ルティは声を掛けようとしたが、その口からは何も言葉は出なかった。

 

 嫌味にならない程度の調度品が設えられた、上品な寝室。

 アービィはベッドに転がり、この一日のことを思い返していた。

 

 なんとなく不安に感じていたことの原因は、これだったのかと考えている。

 自分の出自がまったく解らなかったこと。

 この世界にない知識を持っていたこと。

 

 解らないこともいっぱいある。

 召喚されたとき、今くらいの年齢だったと言う。

 なぜ、若返っていたのか。

 なぜ、人狼になったのか。

 

 そう考えているうち、彼は眠りの淵へ落ちていった。

 

 

 ルティは眠れそうもないまま、ティアの部屋のドアを叩いた。

 承諾の回答があり、入室する。

 

 ティアは、涙でぐしゃぐしゃになったルティの顔を見て、静かに頷いた。

 ティアを見詰める目からまた涙が零れ落ち、何も言わずティアに縋りついたルティは、堰を切ったように泣き出してしまった。

 やがて、それは嗚咽に変わり、ティアはルティが落ち着くまで髪を撫で続けた。

 

「ねぇ、あんまりだよね、ひどすぎだよね? いきなり攫われて……一番苦しいのはアービィなのに、あたし……あたし……」

 異世界など、物語の中だけのことだと思っていた。

 アービィはあちらの世界で普通に暮らし、普通に恋愛もしていたに違いない。

 

 何の前触れもなく、この世界に連れてこられ、人の忌み嫌う人狼に変えられたのだ。

 その上、勇者などというものまで、押し付けられようとしている。

 そして、アービィをこの境遇に陥れたラシアスに怒りを覚えると同時に、それがなければ自分はアービィに出逢うことはなかった事実に気付き、自分の浅ましさが恐ろしくなってしまったのだ。

 

 もう一つ、ルティは気付いてしまったことがある。

 アービィにとっての幸せは、おそらく元の世界に戻ることに違いない。

 

 つまり……

 それ故に、アービィに声を掛ける勇気がなかった。

 

 自分の浅ましさが許せない。

 そう言って、ティアに縋りついたまま泣いた。

 

「ルティしかアービィを支えられないの、悔しいけどね。いつまでも泣いてちゃ駄目よ」 

 ティアはそう言って、ルティの髪を撫で続けていた。あたしじゃ駄目だもんね、解ってるわ、そんなこと。

 

 

 夢を見た。

——よう、俺——

 

「誰?」

 20代後半だろうか、この世界では見ない服を着た、黒髪に黒い瞳の男が声を掛けてくる。

 

——俺だよ、俺。もう、顔も思い出せないかい? 10年だもんなぁ——

 

「僕?」

 

——そう。召喚される前の俺だよ——

 

「やっぱり、勇者って、僕たちのことなんだ?」

 

——なんか、そうらしいなあ——

 

「そうらしいって、他人事みたいに」

 

——現実味がないんだよ。こんなこと、ファンタジー小説の中だけだと思ってたけどな——

 そう言って、その男は話し始めた。

 アービィには解らない単語もあったが、どうやら仕事の途中でこの世界に引きずり込まれ、意識をなくしたと思ったら狼になっていたそうだ。

 それからのことは、アービィの記憶と同じだった。

 

——俺がそのままこっちの世界に着いたら都合悪い奴が邪魔したんじゃねぇかな——

 

「それって、あの人が言ってた魔王かな?」

 

——そうかもな——

 

「ねぇ、ひとつ聞きたいんだけどさ、元の世界に帰りたい?」

 

——いや——

 

「どうして?」

 即答に対し、素直な疑問をアービィは問う。

 

——だってよ、もう10年行方不明なんだぜ? 会社にも迷惑掛けたまま消えちまってさ。どの面下げて帰れって言うんだよ——

 

「あっちにも好きな人とか、友達とかいたんじゃないの?」

 

——あー、思い出せないか? そんなのもいたけどさ。10年だよ、10年。戻ったとしてさ、どうやって説明すんだ? ありのままに話したら精神病棟行きだぜ。永遠に出られない、な——

 

「そう言われれば、そうだね」

 記憶が繋がり始め、言葉も理解できるようになってくる。

 ついでに失恋の痛い記憶も蘇り、失敗したと苦笑いする。

 

——まぁ、そんなのは言い訳でさ。もう帰る気ないよ。だって、俺はおまえだぜ? ルティ置いて帰れるか?——

 

「無理」

 アービィは即答した。一切の迷いも見せず。

 

——だろ?——

 

「うん、でも本当にそれでいいの?」

 

——俺はおまえだよ。おまえがルティと離れたくないってことは、俺がルティと離れたくないってことなんだよ——

 

「そうか~。あのさ、あなたが言ってることって、僕が考えてることなんでしょ?」

 

——そうだよ、俺が考えることはおまえが考えること。一緒だ——

 

「じゃあ、さっきから言ってる戻らなくてもいいってことはさ、自分への言い訳じゃないの?」

 本当に帰らなくていいのか、アービィには自信がなかった。

 

——そうだ。俺はおまえだからな——

 

「やっぱり、帰りたいんじゃないか」

 

——もし、な、もしもだ。俺とおまえの人格が分離できるもので、おまえの人格がこっちに残れるなら帰りたいさ——

 

「これから、その方法探してみようよ」

 

——さすが、俺。無駄に前向きだな——

 

「でしょ。ところでさ、勇者にならなきゃいけないのかな?」

 これが一番解らない。

 魔王なんて、姫様の神託とやらにしか出てきてないし、それこそ現実味がない。

 噂の域でしかないのだ。

 

——そうだなぁ、中坊のころには憧れたよな、勇者になって世界を救うとかにさ——

 

「今はどうなのさ?」

 

——どうでもいいことだ。大切人さえ守れれば、それでいい——

 

「ルティのこと?」

 

——よくお分かりで。なぁ、いいか?——

 そういって男は話し始める。

 

 もし、奴さんの口車に乗って騎士として取り立てられたとしよう。

 俺はまずは対北の民、対他国の兵器にされちまうな。

 

 で、本当に魔王とやらがいたとしたら、対魔王の兵器だ。

 多分、態々異世界から召喚したってことは、俺には魔王を倒せる力が備わっているってことだ。

 

 魔王を倒せる勇者に勝てる奴なんかいないよな。

 この世で最強の「兵器」ってことだ。

 

 この国の姫様は、その力が欲しいんだよ。

 確かに俺を召喚したときは、純粋に国のためって考えだったとは思うがな。

 

 それが10年歳を重ねるうちに、俺の力の意味が解ったんだ。

 この世界に国がひとつだけってんなら、それでも良かったかもしれん。

 

 ただな、姫様のご希望通り、魔王を倒しちゃって、他の国潰しちゃった後だよ。問題は。

 姫様をぶち殺して、俺が王になることを止められる奴は、いないよな。

 

 それじゃ、魔王とどこが違うんだ?

 そんな物騒な存在にはなりたくねぇな、俺は。

 

 どこか一国の所属になるのは危険。

 戦争の火種だ。勇者争奪のな。今もそうなりつつあるが。

 

 どこかに隠遁しても同じ。

 世界を脅かすかもしれない存在を、許しておけるわけがないだろ?

 

 結局、いちゃいけないんだよ、この世界に。

 そういう意味では、帰りてぇよな。

 

 そう言って、男は一息ついた。

 

「ルティを置いて?」

 アービィは聞いてみた。

 

——だから言ったろ、俺とおまえが分離できるなら、だよ。後ひとつ言えば、その時点でおまえが狼と分離ってのもな——

 

「あなたはルティを置いていけるの?」

 

——じゃあさ、おまえはルティを現代日本に連れて行けるか?——

 

「どうすればいいのかな?」

 言葉、風習、文明度、何から何まで違う世界に、いきなり放り込まれて平気なものか。

 それにルティの両親はまだ健在だ。ティアやメディ、レイや伯爵、離れ難い人々がいる。

 ルティにそれを選ばせるのは、酷過ぎるというものだろう。

 仮にルティが全てを捨てて日本へ行くと決意したとしても、戸籍等の誤魔化せないことが山積している。

 

 この世界と日本と、行き来できるならそれもいいかもしれない。

 そんな都合の良い話があるとは思えない。

 

——なぁ、俺はおまえなんだぜ?——

 

「そうだよねぇ。結局自分で考えなきゃいけないってこと?」

 

——そう。俺がこれから考えなきゃいけないこと——

 

「そうだね、僕が、だね」

 

——もう解ってると思うけどよ、俺はもう二度と出てこないぜ。昔の夢は見るだろうけど、俺の視点とおまえの視点は同じなんだからな——

 

「あなたは僕で、別人格のもう一人の僕じゃないってこと?」

 

——そういうこと。自問自答してるうちに思い出したんだよ、俺を——

 

「記憶を、だね」

 苦笑するアービィを尻目に、この世界でも日本人は若く見えるんだな、あの当時で25だったんだぜ、と呟きながら、その男は消えていった。

 

「僕は、もう三十五歳なの?」

 苦笑いしつつ問うが、答える声はもうなかった。

 

 

 アービィには解っていた。

 あれは自分だと。

 自問自答しているだけだったのだ。

 

 口調が違っていたのは、元の世界での素の口調だった。

 どっちが本物、とかいうことではなかった。

 

 なぜ、人狼になってしまったのかは置いておくとして、今後の課題ははっきりした。

 ともかく、当初の予定通り、呪文を極め、精神力をつけて獣化をコントロールすること。

 それが第一で良い。

 

 この世界を選んだのは、なによりも、ルティと離れたくないからだ。

 そして、二人で穏やかに暮らすには、獣化のコントロールが不可欠。

 

 もし、その魔王とやらが実在して、僕とルティの邪魔をするなら叩き潰す。

 人狼にしたことを後悔させてやれば良い。

 

 そのあとで僕とルティの前に立ち塞がる奴がいても、叩き潰す。

 戦いや世界制覇を望んでいるわけじゃない。

 

 とにかく一度、姫様には会ってみないといけないな。

 なんでこの世界に呼んだのかって。

 それで、言ってやろう。

 僕たちに構わないで、と。

 

 その前に、一度インダミトに行かないと。

 メディの用事も済ませたいし、伯爵やレイにも久し振りに会いたいしね。


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