狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第31話

 「メディさんって、随分と童顔っていうか、幼く見えるけど、確か26歳くらいですよね?」

 ルティが聞いた。

 

「うん、妖呪のせいで十年前から成長が止まってるのよ」

 

「ごめんなさい、悪いこと聞いちゃいましたね……」

 申し訳なさそうに謝るルティに、メデューサが手を振りながら答える。

 

「いいのよ~、それだけは感謝してるの。この状態での寿命がどれくらいかは知らないけど、見た目の歳取らないっていいわよ~。あとね、言葉は普通に喋ってほしいんだけどな~」

 楽天的な性格なのか、そのニ点に関してはあまり拘っていないようだ。

 

「じゃ、遠慮なく。16だっけ、止まったのは? まだ成長するんでしょ、それ。反則よ……」

 どうしてもある一点に拘るルティ。

 

「う~ん、もうあんまり変わらないと思うんだけど」

 そして残酷な一言がメディから投げつけられた。

 

「……そう……もう、変わらない……の……」

 

「でもね、子供生むと大きくなるって聞いたわよ」

 

「――!!」

 ルティが顔を上げた。

 金属同士をぶつける音が聞こえてきそうな視線が、所在無げに焚き火を眺める若者に叩きつけられる。

 

「ティアっ!! 今すぐ『誘惑』っ!!」

 

「効きません」

 

 

 ギーセンハイムの町を後にし、ツェレンドルフへの道中の野営地で、ガールズトークが繰り広げられている。

 アービィは、話に入れずにただ苦笑いと共に佇むだけだった。

 

 

 夫婦に別荘を焦がしたことを詫び、後処理の策を説明した三人は、メデューサを連れてツェレンドルフへ向かっている。

 潰した猪の頭や骨と内臓が炭化したものを、メデューサの残骸としてギルドに申請してもらい、討伐依頼を取り下げさせた。

 当面、これで町は平穏を取り戻すだろう。

 

 今の時点で事の真相は、夫婦とアービィたちだけが知っていればいい。

 メデューサの恋人には、石化を解いた後に説明すればいい。

 

 ラミアのティアラを以ってしても、低位の魔獣では自在な変身はできず、髪や瞳の色まで変えることはできなかった。

 南の大陸では、北の民への偏見が強いため、メデューサの立ち位置はアービィたちの従僕ということにした。

 奴隷では、性的な想像まで掻き立て兼ねず、余計なトラブルを引き起こしそうだったからだ。

 

 

 ツェレンドルフへは三泊の行程だ。

 当初、自分のせいで宿を取れないのかと心配していたメディだが、ビースマックに入ってからの三人の経緯を聞き納得した。

 

 初日は敬語交じりの硬い会話に終始していたが、二日目ともなるとかなり砕けてきていた。

 初夏を過ぎている時期に、焚き火を囲んでいては熱くて敵わない。

 

 四人が車座に座り、焚き火は照明代わりにメディが背負う位置にいる。

 ガールズトークに花が咲き、アービィは所在無げに脚を投げ出して座り、三人を眺めていた。

 

 

 背後の気配に気付いたアービィが立ち上がり、振り向きざまに腕を振るった。

 同時に焚き火に厚い布が投げかけられ、四人を照らしていた照明が、一瞬にして消滅する。

 

 背後から剣を振り下ろそうとした男の顔面に、左に避けたアービィがすれ違いざまに右の掌底を叩き込む。

 腕を振り抜いたとき、相手は糸の切れたマリオネットのように昏倒した。

 

 真っ暗になっても狼の目は、敵を捉えている。

 再度立ち上がって反転し、ティアを後から抱え込んだ男の側頭部を蹴り抜き、その勢いでルティの首に腕を回した男の顔面に拳を打ち込んだ。

 

 ティアは男が態勢を崩すと同時に身体を沈め、自分の頭越しに男の前頭葉よ砕け散れとばかりに蹴りを入れる。

 

 焚き火を覆った布をメディが取り去ると、新たな酸素を供給された熾火が、再び燃え上がった。

 炎に照らされた中にメディが見たものは、目を狂気に染め上げて男の喉を握りしめ、顔面に掌底を落とし続けるアービィと、半ば恐慌状態で泣きながらアービィを止めるティア、そして呆然と二人を見つめるルティだった。

 

 

 怒り狂っていた。

 明らかな悪意。唾棄すべき欲求。

 その対象にルティが選ばれた。

 

 今まで、人に対して殺意を抱いたことはなかった。

 町中でルティにちょっかいを掛けてきた男と諍いになり、本気で腹を立て叩きのめしたことはある。

 

 だが、追い払えれば充分で、二度と手を出してこなければいいと思っていた。

 しかし、今回の襲撃は明らかに違う。

 

 性奴隷狩りだ。

 アービィを殺し、ルティもティアもメディもこの場で陵辱した上で、売り飛ばすための襲撃だ。

 

 焚き火を消す手際といい、アービィのみに刃を向けたことといい、それを生業にしている者の動きだった。

 こんな奴らを生かしておきたくない。

 ルティ目当てに町でちょっかいを掛けてきた輩にさえ抱いたことがない殺意を、人に対する殺意をアービィは初めて持った。

 

 何よりこいつらは、ルティに触れた。

 ルティを、仲間を売ろうとした奴らを、二度と日の下に出してやるものか。

 アービィに残ったひと欠片の理性が、寸でのところで獣化を防いでいた。

 

 

 ヒドラの時と同じだと感じたティアは、必死にアービィにすがりついていた。

 殺させてはいけない。

 この人狼を人殺しにしてはいけない。

 

 もし、この男を殺させたら、人狼の本能が解放されてしまう。

 その直感が、ラミアに染み込んだ人狼への恐怖を抑えつけていた。

 

 泣きながらアービィを止めるティアの必死さに我に返ったルティとメディが、アービィの制止に加わる。

 徐々に冷静さを取り戻したアービィが、男の喉から手を離した。

 

 

 翌朝、縛った男たちを近くの村に駐屯する警備兵に任せ、アービィたちは簡単な事情聴取だけで開放された。

 警備兵の話では、娼婦を義勇軍に同行させるために多数徴発され、多くの娼館が人手不足に陥っているらしい。

 

 多数の健康な男が、いつ命の遣り取りがあるか解らない極限下で、数ヶ月の間女無しで過ごすことは難しい。

 精神的に追い込まれた男たちが、近隣の村で暴行など働くようになっては、義勇軍なのか侵略者なのか分からなくなってしまう。

 娼婦がいすぎて、困ることはない。

 

 

 人買いを根絶することは難しい。

 奴隷売買も同じだ。

 

 経済的な行き詰まりが原因の人身売買は、残された家族を助けるための最後の手段だ。

 そういった理由で売られている奴隷を安易に助けたところで、経済的な問題を解決していなければ、また別の人買いによる売買が繰り返されるだけだ。

 幼少時より奴隷と言う存在が当たり前にいるため、誰もその悪に疑問を持っていないということも問題だった。

 しかし、奴隷狩りで連れてこられる人々は、何の落ち度もない者が、理不尽な暴力によって無理矢理その立場に堕とされた者たちだ。

 

 一応は奴隷狩りによって集められた奴隷の売買は法令で禁じられているが、買う側が判るわけはなく、売る側が公表するはずもなく、売られる側が口にすれば折檻、最悪口封じが待っているだけだ。

 奴隷商人自ら狩りに出れば、元手も掛からない。

 アービィたちに返り討ちに遭ったような奴隷狩りを雇っても、質のいい商品を選んで集められるため利鞘が大きい。

 

 結局一つずつ潰していくしかないのだが、地下に潜った組織を潰しきることは難しい。

 それでも今回の一件で、かなり大きな組織を潰せそうだと、警備兵は明るく言っていた。

 

 

 ツェレンドルフに到着した一行は、その足で土の神殿へ行き、精霊と契約した。

 さすがに一泊くらいはベッドに寝たいと誰もが考えたため、この夜は宿を取ることにする。

 

 宿に付随する食堂でエールを傾けながら、今後の予定に付いて話し合った。

 まだ三人の剣はできていない。

 あと20日ほどはどこかに拠点を持って、討伐等でラシアスでの旅費も併せて稼ぐ必要がある。

 

 剣を受け取ったらベルテロイに戻り、そこからインダミトの水の神殿へ行き、その後レヴァイストル領に立ち寄ってから、ラシアスに向かい、火の神殿に行くことにする。

 メディはそれまでにビースマックへ戻るか、ストラーまで行くかを決めると言う。

 13年振りの自由を、メディは満喫していた。

 

 

 ベルテロイの酒場で、ハイスティはビースマックから来た商人に会っていた。

 少年がヒドラを討伐し、さらにはこの10年間近隣住人を悩ませていた化け物も退治したという噂を聞く。

 

 ふと、彼は近くの席にいる二人連れに、視線を引き止められた。

 黒のローブを纏った魔術師然とした二人連れ。

 

 片方は初老であることが伺え、もう片方は従者であろうか、まだかなり若い。

 二人ともフードを深く被り、その表情が伺えない。

 

 どこかで見たことがあると考えて、該当する者がラシアスを出たという噂を思い出し、それが事実であったと確信した。

 どれ、ちょっとご挨拶でもしておくか、お得意さまだしな。

 

 

 ラシアス宮廷魔術師ドーンレッドは焦っていた。

 召喚に失敗して行方不明になった男の行方は杳として知れないが、痣を持つ少年の報告をコリンボーサが握りつぶしていたことを知った。

 

 従者として連れて出た少女は、北の大陸出身の妖術使いで、殺人の業も身に付けた腕利きの暗殺者。

 正体は謎に包まれており、各国の間諜からは本当に存在するのかさえ解らないと言われている。

 

 ドーンレッドは自分だけの密偵として、彼女に幼少時よりあらゆる闇の業を仕込んできた。

 深い愛情を注ぎ込まれながらも、厳しく育てられた彼女は、ドーンレッドに対し祖父への思慕に似た感情を抱いている。

 

 彼女は、ドーンレッドとは暫く別行動をしており、コリンボーサの密偵が少年の確保に動いた時点から監視していた。

 そして、彼らがインダミトの腕利きに妨害され、失敗した時も手を貸さず全ての動向を探り続けた。

 

 その後、インダミトの密偵に張り付き、ベルテロイにドーンレッドを呼び寄せた。

 ドーンレッドは、自らの呪文の成功に自信は持っていたため、痣を持つ少年が召喚した男だとはまだ信じていない。

 

 それでも念のため、少年の確保をしておこうと考えた。

 コリンボーサも同じ目的で動いているようだが、奴は第一王女への忠誠心からではなく、自らの権勢のために動いている。

 摂政に対して孫にも似た想いを抱く魔術師は、召喚した男の力は権力や政争のためではなく、摂政のために使うべきと考えていた。

 

 他国の密偵に張り付いていれば、少年の元に連れて行ってくれるだろう。

 声を掛けてきた商人に柔和な笑顔を向け、ドーンレッドはそう考えていた。

 

 

 ウジェチ・スグタ要塞は、様々な思惑を秘め沈黙していた。

 地峡に聳え立つ白亜の要塞は、両大陸をつなぐ唯一の大きな街道を、その巨大な城門で塞いでいる。

 

 要塞の北側には広く深い濠が掘られ、橋は城門の中に引き込み式になっていて、城門が開かない限りその姿を現すことはない。

 かつて北の大地に攻め込んだときに開いたきりの城門は、永遠に開く予定のないその雄大な姿を濠に映すだけだった。

 

 しかし、今、城門の内側では、北の大地に向かって巨大な殺気が膨張しきっていた。

 インダミト王国子爵アーガス・ボルビデュスが先陣の位置にあり、騎兵と歩兵を合わせた五千の軍勢を率い、城門を開けさせようとしていた。

 総司令官ラシアス王国子爵カラディリア・ディテイプリスの黙認と、副司令官バコパ・リシマキアの猛反対を無視したままで。

 

 要塞総指揮官の人選は難航を極め、混乱と諦めの産物だった。

 総司令官の座をラシアスの貴族が占めることは、どの国も反対する気はなかった。

 

 宰相コリンボーサと騎士団長ラルンクルスの両者が、違う人選をしていた。

 両者の主張は平行線を辿り、最終的に閣議での多数決となったが、多数派工作をしたコリンボーサと閣僚の良識に期待したラルンクルスとでは、勝負はする前から決まっていた。

 

 コリンボーサは自分が安心して操りやすい無能者を、ラルンクルスは要塞を安心して任せられる歴戦の有能な指揮官を推していた。

 多数決の結果を見たラルンクルスは、国の将来に言い様のない不安を感じ、常日頃反目し合ってはいるものの、国を深く憂いていることについては疑いようのない魔術師を思い浮かべていた。

 

 総司令官の座に収まったカラディリア子爵は、その権力に酔っていた。

 副指令のバコパを冷遇し、自分におもねり擦り寄る者を側近に取り立てている。

 もちろん、袖の下を通る金属にも執着していた。

 

 アーガスは、言葉巧みに、この無能者に取り入っていた。

 口だけは威勢の良い戦略性の全くない大語壮言は耳に心地よく響き、北の民など鎧袖一触と嘲り慢心した作戦会議は思い込みだけで話が進んでいく。

 

 侵攻の意志は全くなかったが、敵拠点を叩き向後の憂いを絶つという、情報の裏づけも何もない戦略が決定された。

 心ある将は敵拠点などないことを熟知しており盛んに翻意を促すが、南の大陸だけの常識に囚われ、ゲリラ戦の経験など全くない貴族たちは、過去の戦物語から得た「戦訓」を頑なに信奉し、聞く耳を持たない。

 既に彼らの目には陣を組んだ連合軍が、蛮族の群れを蹴散らす光景しか見えていない。

 

 もとより、騎士階級の意見を聞くなど、考えもしない。

 騎士階級は所詮家臣であり、貴族たる主人の言うことを聞いているだけでよい、と考えていたのだ。

 ましてや騎士階級からの意見具申で方針を換えたとなれば、自らの間違いを認めることにもなり、かさばるプライドが許すわけもなかった。

 

 さらに、愛妾や高級娼婦のいない南大陸の北端など、決して長くいたい場所ではない。

 さっさと、短期決戦で華々しい戦果を挙げ、故郷に凱旋したいとしか考えていなかった。

 城門が引き上げられ、橋が濠に渡され、五千の軍勢が北に進んでいく。

 

 

 アービィたちはいろいろ考えた末、マグシュタットを拠点にして討伐の依頼をこなすことにした。

 スライムを倒すことはあまり金にはならないが、剣や呪文の修練にはもってこいだった。

 

「ねぇ、ちょっと話がおかしくない!?」

 ティアが叫ぶ。

 

「気にしちゃダメよ~!!」

 ルティが叫び返す。

 

「考える前に手を動かしてっ!!」

 アービィが叱咤する。

 

 なぜか、スライムの群れが大きくなっていた。

 その上、砂鉄が取れる川原や狩場になっていた比較的安全な森、農地を広げようとしていた草原にガーゴイルが出没するようになっていた。

 

 ガーゴイルは石像に魂を入れた擬似生命体だ。

 死への恐怖がないため、完全に破壊するまで動きを止めることはない。

 

 格闘技や剣技など武芸の心得のある者にはたいした脅威ではないが、一般の人々には少々手に余る相手だ。

 それが少ないとはいえ、数体うろついている。

 

 何かの意志が働いていることは間違いないが、今のところ村や集落の中に入り込むことはない。

 スライムもガーゴイルも人を見れば襲い掛かってくるのだが、両者が出会った場合は、ガーゴイルはスライムを殺すことを優先しているようだ。

 今のところ、村人たちはガーゴイルを役に立つものと認識し、できるだけ出会わないようにして、スライムの駆除に間接的に利用している。

 

 この日もガーゴイルの気配に注意しつつ、スライムを狩っていたが、いつの間にかガーゴイルが遠巻きにしていた。

 メディに身体の物理的防御力を上昇させる1レベルの土の呪文『防壁』を唱えさせ、あらかたスライムを狩りつくした三人がガーゴイルに突っかける。

 

 石造りのためか動きの鈍いガーゴイルは、三人の動きには付いてこられず、容易く打ち倒されていく。

 が、痛みも恐怖も感じない擬似生命体は、腕や頭を失っても怯むこともなく、脚を失っても腕で身体を支え飛び掛ってくる。

 

 ルティは斬るというよりは叩き潰すように剣を振るい、『透過』で姿を消したティアは『回復』や『治癒』で援護に回る。

 アービィは剣ではなく掌底で四肢を砕き、怯んだところに『大炎』と『凍結』を叩き込んで熱膨張を利用して、内側から石を破壊していた。

 

 三人の剣ができあがるまでの二十日間、彼らは一生分のガーゴイルを見た気分になっていた。


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