狼と少女の物語   作:くらいさおら

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第28話

 ビースマックに入り、最初の町エッシンフェルゲンに到着した一行は、宿を定めギルドの場所を聞いた。

 ラシアスでの旅は、ほとんど呪文を使う機会もなく終わってしまったので、ここではあまり贅沢は言わず、些細な仕事でも受けることにした。

 ギルドのドアをくぐり、依頼リストのある掲示板に目を走らせる。

 

「ルティ、これなんかどうかな?」

 アービィが一枚の依頼書を取り、二人の前に置いた。

 

 あれからアービィは、時折憂いのある表情こそ見せるものの、いつもの快活な若者に戻っていた。

 依頼書の内容は、エッシンフェルゲンの近くにある洞窟にひと月ほど前から住み着いた魔獣の討伐だった。

 

「なんでも請けようって無欲の勝利ね。いいんじゃない、これいきましょうよ」

 ルティはアービィの気が紛れるのならと、いつも以上に明るく振る舞っている。

 

 ティアに、彼を支えられるのはあなただけ、と言われたことも大いに影響している。

 そして、何者かに襲われ命を落としたという、気の良い母子連れにも言われたことだった。

 

 

 ティアは、今のところルティの明るさはいい方向に出ていると見ているが、いつルティに無理が出てくるかが心配だった。

 馬車の停車駅の宿に泊まった夜でさえ、ルティは剣の修練を休んでいない。

 ティアが見ても、その上達振りには目を見張るものがある。

 

 惜しむらくは、剣が彼女の体格と技術に合っていないことだ。

 ブロードソードは、相手を斬るよりは剣自体の重みを利用して叩き潰す武器だ。

 ルティの剣筋は、どちらかというと力で叩き潰すより、技とスピードで斬り裂く方が合っているように見える。

 

 レヴァイストル伯爵は、正統派のブロードソードの技術を指南したが、ルティは正しく基本を繰り返し鍛錬するうちに、自分に合った太刀筋を体得したようだ。

 それもアービィを支え守りたいという、彼女の強い意志の現れなのだろうと、ティアは思っていた。

 

 

 そんなことを考えつつ、ティアは差し出された依頼書に目を通し、そして絶句した。

 討伐対象として書かれた魔獣の種名は、ヒドラ。

 

 九つの頭を持つ蛇の化け物。

 真ん中の頭以外は、何度斬っても生え替わる不死の頭を持つ大蛇。

 その真ん中の頭は、剣では斬り裂けない硬度を持つ、不死に等しい。

 

 そして何より、ラミアの上位種。

 一対一であれば、どう頑張ってもティアに勝ち目はない。

 生理的に恐怖を感じてしまう相手だ。

 

「あの~、本気?」

 ティアがおずおずと言う。

 

「うん、本気」

 アービィはにっこり笑って肯く。

 退路を断つようにルティも肯いた。

 

 大きな仕事を請けるためには、手数料として元手も必要だった。

 まだ多少の余裕があるうちに、大きな元手を手にしたいという計算も働いている。

 

 しばらくテーブルに伏せていたティアが、決意したように勢いよく顔を上げた。

 よく見ると涙目になっている。

 

「わかったわ。やってあげようじゃないの。いつまでも狩られる対象でいるわけにはいかないものね。ラミ――ぅわん~っ――ぶはぁっ」

 ラミアの意地を見せてあげるわ、と叫びそうになったティアは、慌てた二人に口を塞がれ、目を白黒させていた。

 

 

 ヒドラが巣くった洞窟は、このエッシンフェルゲンの水源だった。

 この街の地下の岩盤が硬い上、水脈も深いため、町中には井戸が極端に少ない。

 さらに川は街より低い位置を流れるため、水を引くことは事実上不可能だった。

 

 洞窟の奥に湧き水があり、その泉から流れ出る水は一度地中に潜った後、大地に濾過された清浄な水となって、街の側の崖から再び地上に流れ出ている。

 流れ落ちる水を大きな器で受け、樋を使って街の各所に水道を引いているのは、技術の国の面目躍如といったところだろう。

 

 しかし、洞窟に住み着き、泉に暮らすヒドラの吐く毒に汚染された水は、大地の力を以てしても浄化しきれず、飲料水としては当然のこと、生活用水、農工業用水としても使用できなくなっていた。

 樋を外した貯水タンクからは、赤茶色に濁った水が溢れ、周囲の草木は枯れ果てていた。

 

 これまでに三組の手練れの冒険者が討伐に挑んだが、何れのチームも返り討ちに遭い五名の犠牲者を出し、生き残ったものの二度と剣を取れない身体にされた者は七名に上っていた。

 それゆえだろう、討伐の報酬は破格の金貨三枚だった。

 

 

 多少の無理をしてでも、この依頼を請けようとしたことには、当然理由がある。

 アービィもルティの太刀筋に関して、ティア同様のことを考えていた。

 

 現在ルティが使用している剣は、鋳造の大量生産品だ。

 そろそろ鍛造の、身に合った剣を持ってもいいだろう。

 

 どうせ買うならばできる限り良いものを、もし可能なら鍛冶屋にルティの体格、技術を見てもらってオーダーしたい。

 ビースマックであれば、それなりにいい剣を手に入れることは、他国より容易であろう。

 が、そのために金は惜しみたくないので、いくらでも稼いでおきたかったのだ。

 

「じゃ、今夜はさっさと飲んで、早く寝ようね。明日は夜明け前に出ようか」

 陽のあるうちから宿の一室で飲み始めた三人は、今後の予定を相談する。

 なんとなく、ティアの呑み方が自棄酒に近かったことに、アービィとルティは気付かない振りをすることにした。

 

 剣の新調に付いてルティにはまだ言っていないが、ラシアスでの生活で路銀がかなり危うくなっていることも事実だ。

 ちまちまとした依頼ばかりでは、宿代と飲食費だけに消えてしまう。

 

 土の神殿があるツェレンドルフへの旅費や、ルティの剣ばかりでなくティアの短刀やダガーも、新調したいし、アービィももう一本刀が欲しい。

 こうなると、街の周辺をうろうろしているゴブリンやリザードマン、コボルドといった小物ばかりでは、いつまでたっても必要な金が貯まらない。

 多少の危険があっても、大物狙いで行こうということになった。

 

 

 ビースマックは峻険な山が多く、人跡未踏の地域もまだ多い。 

 山から降りてくる強大な魔獣は人々の脅威となり、それがビースマック国民の職人気質と相俟って武器製造技術の発達を加速させた。

 

 他国に比べ領土の拡張や国力の伸展にそれほど意欲が見られないのは、魔獣の脅威が大きく影響している。

 くだらないプライドの張り合いや領土の奪い合いなど、魔獣から民を守ることに比べ些細なことでしかないと歴代の王は考えていた。

 

 中には自国の技術力を過信し、四ヶ国に均等に振り分けられた大陸をひとつに纏め、自国の指導の下優れた技術力を持って北に攻め入ろうと目論む貴族連中もいた。

 選民思想に染められた彼らは、自国の技術は世界一と思い上がり、一部の民をも巻き込んで政治勢力を拡大することに血道をあげている。

 

 しかし現実は、平地が少ないという国土の特色が、彼らの野望を満たすための人口という戦力を育てることを不可能にしていた。

 ビースマック王ラーゴグランテ・ウェンディロフ・リシア・ブルグンデロットや多くの貴族、民もその事実はよく理解しており、ラシアスを支えるため、農業国のストラーと連携を取り、武器防具や様々な工業製品の開発改良に励んでいる。

 

 

 陽が沈む頃にはさっさと酔い潰れた三人は、翌朝早くにエッシンフェルゲンを出た。

 昼頃には洞窟に到着し、レーションを胃に納めてからトーチに火を灯し、洞窟の中に進入する。

 曲りくねった洞窟だが、ほぼ一直線になっていて、泉まで迷うことはないと聞いていた。

 

「なんか、既視感があるんだけど、気のせいかな?」

 

「う~ん、ティアと初めて会ったとき、こんな感じで進んでたわね」

 

「じゃあさ、また口車で……」

 アービィが冗談を言うが、それを皆まで言わせずティアが叫ぶ。

 

「無理無理無理無理無理無理無理無理っ!! あんな最凶最悪の蛇、そんなの無理よっ!! あれは知性なんかないわっ!! 動くものなら何でも噛み付いてくるんだからっ!!」

 なんとなく震えているのは、気のせいではないはずだ。

 

 

 途中いくつかの側道はあるものの、全てに看板や注意書きがあり、迷うと危険な側道には入り込めないように丈夫な鉄の柵が打ち込まれている。

 奥に行くに従い瘴気が強くなるのを感じるが、ルティはともかく、狼と蛇の魔獣には何の影響もない。

 時折ルティに『回復』を掛けつつ二時間ほど進むと、赤茶色の濁り水を湛えた広い泉に行き着いた。

 

 ひとつの街の水源を賄うだけあって、そこから溢れ出す水量はかなり多い。

 が、かつては街の生活を支えた正常な水はそこになく、今は濁った水が流れ出ているだけだ。

 

 ヒドラは、その濁り水の中に、大きな背中を見せていた。

 アービィたちの気配を感じたか、ゆっくりと九本の鎌首をもたげ、三人を見下ろした。

 

 

 アービィたちは、打ち合わせどおりに行動を開始する。

 ティアは後ろに下がり、全員の持っていたトーチを岩で固定する。

 その後は『回復』、『治癒』、『解毒』に専念する。

 

 ルティは、切り落とせる首をひたすら切る。

 九本の首全ての攻撃を防げるとは思えないので、適宜呪文で回復する。

 

 アービィは、切り落とした首が生え替わらないように、切り口を『火球』で焼き払う。

 今のところレベル1の使用限界は8回なので、ミスさえしなければ足りるはずだ。

 それだけでなく、隙を見て中心の首への対処もしなければならない。

 できれば獣化せず片を付けたいが、場合によってはそうも言っていられないだろう。

 

 

 情というものを感じさせない、冷たい18の目が三人を射る。

 アービィが跳躍し、全ての首の注意を引き付け、ルティが端の首へと切り掛かる。

 

 アービィを追ってしまったために隙ができたのか、ルティは造作もなく二本の首を切り落とした。

 しかし、アービィはタイミングが合わず、『火球』を叩き込む前に新たな首が生えてしまった。

 

 着地したアービィは、呪文の詠唱こそ終わっていたが、タイミングを失い不発に終わる。

 火の玉が具現化しかけてしまったので、もう一度詠唱からやり直しだ。

 

 首の攻撃ばかりでなく、尾の攻撃も避けながら、詠唱を始める。

 ルティは当たるを幸い首を切り落とすが、アービィの呪文が間に合わない。

 想像以上の再生力だ。

 

 何度か首を切り落としたとき、ヒドラの注意がルティに向く。

 その隙を狙って、ようやく呪文の詠唱が完了したアービィが、切り口に向かって『火球』を叩き付けた。

 肉を焼くいい香りが漂い、その切り口から新たな首が生えることはなくなった。

 

 切り裂かれた痛みと、体全体に響く火傷の痛みにヒドラがのたうち、攻撃が止まる。

 さらにその隙を狙い、ルティが首を切り落とし、アービィが『火球』を打ち込んだ。

 

 六本までは順調に切り落とし、傷口を焼き払うが、ヒドラも死力を振り絞って暴れている。

 叩き付けられる首と尾の攻撃は防ぎきれず、前衛の二人に疲労と傷が蓄積された。

 ティアは、『回復』をルティに掛けるが、そろそろ追いつかなくなっている。

 

 それまで慎重に狙いを定めていたアービィの『火球』が、二度続けて的を外した。

 人外の戦闘力を持つアービィだが、精神力はまだ成長途中で、呪文のコントロールには不安がある。

 疲労の蓄積が集中力を乱し、ここへ来て呪文の失敗へと繋がってしまった。

 

 比較的優勢に進めていた戦闘が、切り札を失ったことによって一気に劣勢に傾く。

 まだ『大炎』が一回残っているが、これは中心の首の口の中に叩き込み、内側からヒドラを破壊する作戦のため、今使うわけには行かない。

 ティアが慌てて『回復』と『治癒』を掛け、アービィの集中力を取り戻すが、三本残った首は自由度が増したのか攻撃のスピードが上がり、受けるダメージが増加していく。

 

 状況を把握したティアは、ラミアのティアラを身に付け、アービィと初めて対峙したときのようにその姿を消した。

 予備のトーチから松脂を削り、鏃に布で松脂を巻きつける。

 

「アービィも切り落とす方に集中してっ!! あたしが、焼き払うわっ!!」

 トーチから火を移したティアが、二人に大声で指示を飛ばした。

 

 今までヒドラを倒すなど、不可能だと思っていた。

 傷口を焼き潰すなんて、発想すらしなかった。

 

 それでも身体に染み込んだ恐怖が、震えを呼び起こす。

 必死に精神を統一させ、ティアは二人が首を切り落とすタイミングを計っていた。

 

 

 ティアからの指示で呪文を放棄したアービィは、ルティと手分けして首を落とすことに専念する。

 人狼の持つ目が素早い動きを見切り、残る片方を切り落とす。

 そこへティアの火矢が命中し、再生可能な首の残すは一本、そして不死といわれる中心の首だ。

 

 しかし、その時点でルティは限界に来ていた。

 呪文は使い切り、自らの回復手段はない。

 ティアの呪文もあと『回復』または『解毒』が二回、『治癒』が一回。

 

 剣は刃が潰れ、既に肉を切り裂く用を成さなくなっていた。

 ヒドラの攻撃を防ぎ、殴り返すのが精一杯だ。

 

 硬度故か、動きの遅い中心の首は、攻撃という点では然程の脅威ではなかった。

 しかし、尾はまだ充分な戦闘力を残し、ルティに迫ってくる。

 

 アービィがルティと尾の間に割って入り、尾を弾いて攻撃を防ぐ。

 その隙を突かれ、残った再生可能の首がルティに噛み付き、大きなダメージを負わせてしまった。

 ルティは、もう立っているのがやっとの状態だ。

 

 ティアが『治癒』を掛けるが、一度では治療しきれない。

 アービィが首を殴り飛ばしてルティから引き剥がすが、意識が飛びかけたルティを尾が巻き取り、締め上げる。

 ルティの手から剣が落ち、力が抜け、意識が混濁し始める。

 

 アービィは、ルティにダメージを負わせた首を切り落とし、怒りに任せて『大炎』を叩き込んだ。

 怒りが疲労と未熟を上回り、詠唱のスピードを上げさせていた。

 

 枷が外れ、瞬時に獣化したアービィは、ヒドラの唯一残された中心の頭を両顎に捕らえる。

 アービィが顎に力を入れた瞬間、腹の底に響く岩を潰すような嫌な音が響き、ヒドラの尾から力が消失した。

 

 ティアがルティを救出し振り向くと、噛み砕いたヒドラの頭を吐き出した巨狼が、これでは足りないとばかりにヒドラの全身を噛み裂いている。

 

 全身をヒドラの返り血で真っ赤に染めた巨狼の目は狂気が支配し、頭を振りたくり、身体を跳ね上げ、ヒドラの死体を噛み裂き切り飛ばす。

 ティアはアービィを止めたかったが、狂気に染まった巨狼への恐怖が脚を竦ませていた。

 

「アービィ、止めて……もう……もう、いいわ……もう……いいのよぉっ!!」

 恐怖に引き攣れた涙声でティアが懇願するが、巨狼の凶行は止まらない。

 

 唐突に喉を大きく鳴らした巨狼の動きが止まり、切れ長の目から狂気が消えた。

 涙目で震えるティアに、念話が届く。

――ティア~、なんか着る物あるかなぁ?――

 

 

 アービィは、最後狂気に駆られヒドラを噛み裂いていたときに、ヒドラの毒をたっぷり含んだ血液を大量に飲み込んでしまい、あまりの不味さに正気を取り戻していた。

 ティアから受け取った野営用に持ち歩いている毛布を切り裂き、即席の服にしてとりあえずは身に纏う。

 

 ティアは意識を失っているルティに『回復』を掛けた時点で、呪文を使い切っている。

 ルティは、『回復』が効いたのか、穏やかな寝息を立てていた。

 

 いずれにせよ、このまま街に帰るのは危険だ。

 疲労困憊で呪文も切れている三人には、現時点ではゴブリンでさえ脅威になってしまう。

 当面の危機はなくなっているので、このままここに野営し、明日呪文が使用可能になったら傷を癒し、ヒドラの死体から討伐の証拠になる牙を抜いて、エッシンフェルゲンに戻ることにした。

 ヒドラがいなくなれば、泉は数ヶ月で元の清浄な水を溢れ返させるだろう。

 

 

 焚き火の側で、三人は眠ることにした。

 ティアも疲労の極致にあり、身を横たえるとすぐに寝息を立て始めた。

 アービィは、ヒドラの毒のせいで一晩中吐き気に悩まされている。

 

 それでも全員のコンビネーションが上がってきたことに、アービィは安堵の溜息をついていた。

 だが、怒りと狂気のコントロールができなかったことに、アービィは不安も感じ始めていた。


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